2014年夏・欧州遠征(ドイツ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、イタリア、バチカン)
さて、15日(金)から今日の早朝まで欧州方面に遠征してきました。今回の主目的は、クロアチアのドブロブニクと、それをベースに旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、モンテネグロのコトルのそれぞれ日帰り、帰りにローマに寄り、バチカンを訪問という形で訪問済の国を5つ増やすということでした。旅程中いろいろありましたので、かなり冗長なレポートになりますが、よかったらお付き合いください。
14日(木)の夜に自宅を出発、15日の未明便で羽田からまずはフランクフルトへ。機体はANAですが、私はコードシェアのLH便。
現地15日の朝6時ごろフランクフルト空港到着。ここで乗継9時間くらいあるのでドイツ入国。事前に調べていたのですが、ここから電車で30分くらいのところにあるヴィースバーデン(Wiesbaden)という街は温泉で有名(「世界温泉遺産」というTV番組で情報を得ました)です。
まだ早いので、空港内のIT系設備などを情報収集(フリーWiFiも各所で試してみました)。これはITと関係ないですが、リサイクル用のマシン。
切符の自販機。欧州はこのパターンの自販機が多いですね。多言語、クレジット対応は当たり前。
駅舎を背に市の中心部方向。こちらに目的地のKaiser Friedrich Thermeがあります。小雨も降ったりして気温は13度前後と寒かったです。
通信キャリアがやっているもので、公衆電話も兼ねているようです。
こちらがKaiser Friedrich Thermeの裏側。朝10時営業開始なのでしばし周辺を散策。
こちらが表の入口。荘厳な建物で日帰り温泉という感じにみえませんね。
こんな感じです。ここは由緒あるので昔のローマ時代のような男女混浴です。
10時を過ぎたので入場します。中は写せませんが大きなローマ風浴槽や各種サウナが充実しています。料金が意外と安く1000円ちょっとくらい。日本の日帰り温浴施設とそれほど変わりません。
1時間くらい滞在したあと、再び駅に戻ります。こちらは電車の切符。
再びフランクフルト空港へ戻ります。欧州の温泉も悪くないですね。ハンガリーの温泉は欧州でも有名ですが、まだ行ったことがないので次の目的地候補にしたいと思います。
フランクフルトからクロアチアのドブロブニクに到着。フライトは2時間弱くらい。途中からアドリア海の海岸線に沿って旧市街の上空からアプローチするのでとても美しい景色を空からも堪能できました。
クロアチア、入国です。予定より1時間遅れて18:30に到着しましたが、まだこの明るさと暑さ。寒かったフランクフルトとは対照的です。
タクシーに乗り海岸線の道路を西日の刺す方向へ。30分くらいで旧市街近くのゲストハウスに到着。景色はよいところなのですが、急斜面の結構上の方にあり、険しい階段を上がっていかないといけないのでかなり難儀しました。。
これは階段の途中からの景色。7~8階くらいの高さがあったのでは。
まずはようやく落ち着いたところでゲストハウスから旧市街方向の景色を一枚。翌日から本格的なドブロブニク散策が始まります。。
欧州レポートその2、8月16日(土)クロアチアのドブロブニクの朝から。
朝、ゲストハウスのテラスに出てアドリア海と旧市街を観ながら一服。
このゲストハウスはExpediaで予約したものですが、一泊7000円くらいと安価。かなり年配のじいさんのオーナーが一人で面倒を見ていますが、部屋はなかなかきれいで一通りの設備やアメニティも揃っていました。前の晩到着したときに中から返事がなくて一瞬宿泊なしかと思ってちょっとビビりましたが。。
こういうところは最近B&B(Bead & Breakfast)といって、安価で地元生活を味わえるので人気がありますね。ただ、ここは朝食は自己解決なので、最初の朝は坂の下のパン屋で買ったパンだけでしたが。。
庭にあったミカンの樹。温暖な気候なので、なんでもよく育つそうです。
その前にロープウェイに乗り、旧市街を見下ろすスルジ山の頂上に行くことにします。ゲストハウスからは至近で、ここは空港行きのバスの停留所もあり便利なところです。
ロープウェイが発車。私の滞在するゲストハウスはちょうど写真の左上あたり。
旧市街をアップ。ちなみに、ドブロブニクはローマ時代から歴史がありますが、中世はラグーサという都市国家。ベネチア共和国が栄えたころに双璧だったことも。1ヶ月ごとに総督を替えて独裁者が出ないようにして民主的に国を運営していたり、疫病を中に入れないように40日間外部からの訪問者を隔離するルールを作り、それが後の「40」という意味もあるQuarantine(検疫)の語源となったり、世界最初の薬屋を作ったり、欧州でも先進的な地域だったそうです。
その後ベネチアの影響圏に入ったあと、近世・近代ではナポレオンに占領され、オーストリア・ハンガリー帝国に編入されます。第二次大戦中はナチスの傀儡国家になり、戦後はユーゴスラビアの一部に。そして20年前のユーゴ内戦ではここもセルビア軍に攻撃されました。
そんな悲しい歴史があったとは思えない美しさ。青色が濃いです。
このロープウェイは数年前に開通したらしいですが、歩きだと私には到底来れませんので助かりました。
プロチェ門近くから見た旧港。かつてはここがドブロブニクの交易の中心だったわけです。ちなみにここからずっと数km西に行った方に豪華客船なども停泊できる近代的な港湾があります。
かつての砲台。向こう側に見えるのはロクラム島という小島ですが、あの島があるおかげで海風が抑えられてドブロブニクの気候にも貢献しているとか。
ちょうど地図の右上から城壁の中に入ったところ。さらに続く。。
欧州レポート(3)、15日(土)のお昼、旧市街の城壁の中から。
さらに進んでいきます。左に行くと旧港。突き当たって右が中心部。
これがメインストリートのプラツァ通り。
隙間をみると、路地と山側へ連なる長い階段。あの階段は伊香保温泉のそれとも似ています。。
港は私の宿泊するゲストハウスの方向。真ん中に先ほどロープウェイで行ったスルジ山の頂上が見えます。
正門ともいえるピレ門近くの「オノフリオの大噴水」。15世紀に造られた水道用の源泉ですが、今も現役、飲用も可能。
その近くにあるフランシスコ会修道院の建物の中にあるクロアチア最古の薬局がある博物館。
昔の様子。撮影禁止でしたがかつての薬屋が復元されていました。さらには現代的な本当の薬局もありました。
一旦、西側のピレ門から城壁の外に出てみました。ここからもきれいなアドリア海。
ピレ門を背にすると、屋根の色は統一されていますがかなり近代的な街の雰囲気。
今度は城壁の上に上ります。約1時間くらいかけて城壁の上を一周します。あれが一番城壁で高いところですが、反時計回りの一方通行なのであそこは最後に。
クロアチア国旗。
城壁の最西南端へ登っていきます。さらに城壁一周続く。。
欧州レポート(4)、16日(土)昼です。城壁の上を引き続き一周中。
ここは遺跡なのか、20年前のユーゴ内戦のときの爆撃跡なのでしょうか。。
城壁の内側は普通に人も住んでいますし、こんなコートもあるわけです。
振り返ると城壁の下が狭いビーチになっています。このあたり、景色は最高ですが砂浜のビーチというのはあまり多くないです。
山側を見てみます。写真中央の右側、赤い屋根のない白い建物がたぶん私が宿泊しているゲストハウス。
城壁一周終了。途中の喫茶店で一休みしたりしたので、1時間くらいかかりました。
路地にあるオープンなレストランでこの魚とポテトの料理をいただきました。
旧港の近くの城壁にある海洋博物館に入ってみました。これは昔の船乗りのパスポートに相当するもの。
中世ごろ、ラグーサと呼ばれていた時代のドブロブニクでしょうか。
海賊船?クルーズもあります。このあと、一度ゲストハウスに帰って一眠り。海外でこのような俄か普通の生活をするのが至上の喜びであります。。
夕方、晩飯のために再び旧市街へ。まずは大聖堂の中に入ってみました。
この日の晩飯。ナスとパプリカとハムとチーズの何とかという料理。。
食後にまた散策。昼間は30度以上あり日本並に暑いですが、夜になると結構過ごしやすかったです。
ロープウェイ乗り場前のバス停そばの店にあった空港行きバスの時刻表。4日後のドブロブニク発フライトが朝早いので、足をどうしようかと思っていたのですが、思ったより便利なところに投宿したようです。翌日は隣国、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへの一日ツアーです。。


