ガオライ日記

留学を決めた時 2

さてさて留学と決まったら即行動。

私はどうしてもパソコン持って行きたかったからアルバイトを開始。

といっても中国へ渡るまで三ヶ月もなかったですけどね(笑)


で、国選びなんですが、難航しました。

なんでって私の留学への決心がとてもアバウトだったから。

傍から見てたらね、浪人生活に疲れて

留学に逃げてるように見えたんだろうね。

というか、そういう風にしか見えなかったみたい。

だからダディはそこら辺をすごく心配した。

普通の大学に行くのも嫌がってたのに今更逃げるの?みたいな。


結局、うちのお父さんが私の留学に納得するのに、

私の留学が私の中で逃げじゃないって彼が思えるのに

私が中国に渡ってからも尚1年かかったのかな。

今では上海旅行積み立て貯金とか友人としてるくらいのバカ親父ですが。


でね、当時ダディに反対されてたのもあって

ガオライは妥協案を練りだします。

当時から、多分今は結構もっと多くなってきてると思うけど

医学部の入試方法自体をまたアメリカの真似とかし始めてて、

要は四大いってから医学部に編入?するスタンスが確立してきており

私の浅知恵から出された案によると、


まずカナダで大学に行く
   ↓
その後日本に帰ってきて医学部に編入する
   ↓
もししたくなかったらしなければいいし、
そうなった場合も英語がまあ喋れるからいいだろう


そんなもんでした。

今思うと、実にくだらないというか何というか・・・

マミーのせいか、カナダに漠然とした憧れがあって

今でも行ってみたいとは強く思うけど

まぁなんていうか、要は私の留学と、親の医学部へ!っていう

ホント、妥協案ですね、ははは。


で、この案を持ってスポンサーの下へGO。

でもね、スポンサーだってバカじゃないしね。

いろいろ実際はあったわけですが、

その後このスポンサーとはいろいろあるんですが、

そこら辺はまぁまたどこかで書くとして(だって長すぎる)

速攻この案は棄却。

いや、でも今思えばそれでよかったとおもうよ、うん。

んで、

このスポンサーは言いました。


お前の人生だからカナダがどうしてもいいと言うならそれでもいい。

但し、カナダの場合、

1年目→全額支給
2年目→学費のみ支給
その後→勝手にしろ

で、中国だったら学校の面倒まで見てくれると。

このスポンサー、要は中国に行かしたかったんでしょうな。

実際はカナダに行っても支給形態は変わらないじゃんっていうか

まぁ今となっては喧嘩して支給はストップですわ。はっはっは。

(そこら辺は確か大学入学の所で書いたっけな?)

このスポンサーに、留学するなら

アメリカ・中国・イスラエルのどれかにしろと言われ、

当時9.11とかあったからね、イスラエルは・・・

て思って、

英語もやりたかったけど、当時いくらバカな私も中国の発展は

テレビなんかで見てるわけで

中国なんて本当に未知の国で

興味すら持った事もないし

中国人なんて触れ合った事もなかったし

なによりいいイメージなかったし

ぶっちゃけ大嫌いだったね、中国なんてさ。


もともと私が留学って思ったのが


3年間自分について考える事はもう考えつくした。

自分の中で、自分がどういう人間で生きていきたいかも決まった。

何が嫌で何が好きかも分った。

それでも何がしたいのかが分らないのなら

結局今からそれを見つけに行かなきゃならんのなら、

場所を変え、国を変え、新しいビジョンを取り入れる必要がある。

そんな所からだったのよ。


だったら、

先入観やらあったり親戚が住んでたりするアメリカではなく

(アメリカだったら親戚の家に行かされそうな感じでそれも嫌だった)

何も知らない中国へ行こう。


そんな感じで、2,3日で考えをころっと変え、

スポンサーに電話。それからバイトを始めました。


今はどうだか知らんけど、当時中国に留学って

なんか増えてたらしくて、流行に乗った感じでまぁ違和感無かったし。


なんだっていいのよ、私がオッケーなら。

その道に進むのに疑問を抱いてないなら。

不安なら有り余る程あったけど、躊躇してないならそれでよかった。

そんな衝動も今まで無かったからそれが新鮮でもあった。


ママは何も言わなかった。

寂しくなるね、って言っただけだった。

でもパパがずっと反対っぽくって

どうして中国なんだ!どうして留学なんだ!

って毎日言われて。あーもううんざりだったね、当時は。

そんなもん私もわっかんないよ!って思ってたもん。うふふ。


そして私はとうとうキレた。

いつもの様にダディと話し合ってた時、あんなにいつも

私の事応援してくれてたのに何で?って思って

でもそれでもダディがそう言うのなら私は確かに逃げてるのかもしれない、

でもこの私の中に渦巻いてるパワーは、

久方ぶりの衝動は彼には説明できなかった。

だからね、ガオライはダディに言ったのよ。


パパがそんなに言うのなら、留学をしなくても構わない。

もう1年浪人して、もう一回医学部を受験してやろうじゃない。

でも、パパ言ったよね?好きなようにしなさいって。

今、パパの目から見て、もしかしたら私が逃げてるように見えて

もしかしたら結果そうなって日本に逃げ帰ってくるかもしれないけど

私はそれでも後悔しない自信はあるよ。

自分で決めた事だから。

でもパパが私の親としてそうなってしまうのが心配で

私の留学を制止して、もう一回受験して

医者になったとして、それもいいよ。

でもそれは私の決めた事じゃないから。

私はまだ20年ちょっとしか生きてないけど

自分の事は自分で決めてきたつもり。

それをパパが私に代わって私の人生の選択をするのなら

私のこれからの人生責任持ってね。

ずっと進む方向を教えてね。

私がおばあちゃんになってもパパは死なないで

私よりも長生きして、常に私の人生の先を見据えて、

ずっと私に方向を示して、私の人生の責任とってね。

それだったらパパが決めていいよ。



こうして書いてみるとすごい意地悪な事言った気もしますが

まぁ、これより以降、ダディは黙りました。



それからはもうトントン話は進んで

中国に渡る2週間前に都市が上海であることを知り、

1週間前に中国語の辞書を購入し、

シエシエとニーハオだけで中国へ乗り込んでいったのでした。


そう、当時は1年の予定でね♪


まあ、ダラダラ書きましたが、結局ガオライが

留学を選んだ理由も、中国を選んだ理由も




無い


わけです。

そんなもんですって、ガオライなんて。ははは。

でもそれで今でも困る事って、

どうして留学したの?どうして中国なの?

って誰かに聞かれた時くらいのもんでしょうか。



たまにはこういういい加減な奴がいてもいいじゃないかぁ~~♪

へへへ。





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