がうでぃのお部屋

がうでぃのお部屋

病名の告知


その時点でもう心臓がバクバクしていたが、何とか震える手で電話。「あまりよい話ではないので診察時間が終わってから来てください」といわれて、2人をつれて7時過ぎに行った。

待合室のソファで向かい合って話す。先生は単刀直入に「悪性でした」と言った。「すぐに紹介状を書くのでほかの病院に行ってください」とも。次女は無邪気に遊んでいるのだが、長女は勘の鋭い子だから、内容はよくわからないながらも何かを感づいたように私の顔を見ていたのでワッと泣きだすことはなかったが・・・やはり衝撃だった。涙で先生の顔がにじんで見えた。私とそれほど年のかわらない先生はかわいそうに思ったのだろうか、「でも上皮内癌なので、表面だけで中には浸透していないようだから、悪性の中では良性といえますよ」と話してくれた。
他への転移はないのか、子供たちのことはどうなるのか、考えると不安で不安でしょうがなかった。
でも・・・自分でも”母は強し”って本当だと思ったのは、帰宅してから普通に娘たちをお風呂に入れて本を読んで寝かしつけることができたこと。子供たちがいなかったら、もっと取り乱していたかもしれない。ダンナはなんて言うだろうか。
子供たちを寝かしつける前にダンナには電話を入れておいたので、その後すぐに帰宅した。
ダンナは私よりも動揺していたかもしれない。私も子供たちを寝かしつけたあとは何をすればよいのかウロウロ。とりあえずネットでいろいろ調べては怖くなっていた。2人で子供たちのこと、入院するかもしれないのでその間のことをいろいろと相談したのは覚えているが・・・黙っていても手がガタガタ震えてくるのは人生33年目にして初体験だった。

翌日、組織検査部分の抜糸と大学病院への紹介状をもらいに、再度口腔外科へ出向く。先生は心配してくれていたようで「大丈夫ですか。落ち着きました?」と聞いてくれた。私はいつもそうなのだけれど、人に心配されるとかえって強がりたくなる。そのときも「怖いけれど、大丈夫です。」と答えている自分がいた。その先生はかなり親切な人らしい。木曜日なら紹介先の大学病院までついていってあげられるけれど・・・と申し出てくれた。昔修行したところらしいのだ。それは心強いかもしれないけど、私はあまり知らない人と電車に乗って約40分行くよりは、一人でいろいろ考えながら行きたいなと思い、お断りしたのだ。
でも、そういう申し出はありがたかったかな。両親や友達、職場の人にもまだ何も言う気はなかったから、一人ぼっちでいるような孤独感があった。先生だけでも知ってくれているというのはなかなか心強かった。

実はそのすぐ後に子供たちの秋休みを控えていた。何ヶ月も前から、長女・次女のお友達とディズニーリゾートに泊りがけで行く予定にしていた。子供たちも楽しみにして毎日指折り数えて待っていたのだ。ダンナと2人、頭を抱えたが、この先どういう治療を受けていくのかまだ予想がついていなかったし、こういう機会をいつ持てるかわからなかったので、結局予定通りいくことにしたのだ。
でも、正直言って心が虚ろというか・・・友達と自然に接することが出来るかどうかが不安だった。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: