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俺たちの旅 0
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自分の星に帰ろうぜ。天皇の世紀 第十三回「壊滅」新藤兼人と吉村公三郎コンビによる一本。『天皇の世紀』はどれもこれも異色作だらけですが、今回はほぼ全編に渡ってナレーションで処理。結構な異色作です。そのためドキュメンタリー感がやたら強く、原作者の大仏次郎がイメージしていたものはこんな感じだったのかも。舞台は再び水戸藩。徳川斉昭の懐刀・藤田東湖の四男である藤田小四郎(権藤一佐)が主人公。藤田小四郎は頭が良くて優秀だが所謂やんちゃ。たぶん水戸藩のエグザイルと呼ばれていたと思う。世間の波に乗って尊王攘夷を掲げていたが、違うブームが来ていたら違う波に乗っていたのではないかとも思う。そんなこんなで水戸藩で最もヤバイ男に成り上がり。いつまで経っても横浜港を鎖港しない幕府のやり方に腹を立て、元治元年に筑波山で挙兵(デビュー)、天狗党を結成する。ただし「オレまだ23歳。ベテランにプロデュースしてほしいなあ~」と徳川斉昭と共に謹慎処分されていた武田耕雲斎(加藤嘉)を首領格に招聘。さらに水戸町奉行・田丸稲之衛門もリーダーとして招聘。当初二人とも固辞したが、藤田小四郎のガッツに「お前さんには負けたぜ(笑)」と言ったかどうかは知りませんが、行動を共にすることに。そして暇な町人や農民、頭の悪いフーリガンなどが続々と加わって1400人以上の大軍団に膨れ上がる。「お前らやり過ぎやん!」と怒った藩主・徳川慶篤は田丸稲之衛門の兄・山国兵部を派遣するが山国も軍団入り。もう奴らを止められない。日光東照宮を参拝して「オレたち幕府族」と見せつつデカイことをやろうと画策。でも金が無くなってきたよ。つうことで、なんとあちこち(桐生や足利あたり)の町人や商人を脅して金品を調達、断ったら逆ギレ。放火、殺人、略奪と極悪三昧。ただの暴徒です。これには「うまくないね~」と水戸藩は本格的な排除に着手、幕府も追討軍を派遣する。ついに幕府軍と天狗党の戦闘が開始するが、立派なプロデューサーを招聘しても血の気が多いだけの素人集団に勝ち目はなく敗走を続ける。さらに虐げられてきた地域の皆さん(桐生や足利あたりも含む)も反撃を開始。天狗党の連中をボコボコに殺って殺るぜ。「こうなったら一橋慶喜公に拝謁して朝廷に尊王攘夷を訴えようぜ!」と訳の分からないことを実行しようとするが、肝心の一橋慶喜(松橋登)から「誰が会うか!ボケ!」とNGを喰らう。「こうなったら京都へ行こうぜ!尊王の志士たちと合流だ!」と一応尤もらしいことを実行しようとするが、幕府は諸藩に「あいつら殺れよ」と命令、あちこちの街道は封鎖される。止むを得ず日本海ルートの越前から京都入りを目指すが、なんだか京都もヤバそうすっよ。そこで長州行きも検討されるが、一橋慶喜にも見放されたこともあって「もう無理ッス」と加賀藩に投降する。当初、加賀藩では手厚く対応されていたが「何を甘やかせとんねん!」と幕府激昂。たちまち真冬の肥料小屋やぶち込まれる。尊王攘夷を掲げながら、実際には思想も鼻くそも無い。散々好き勝手なことをした報いとして当然である。その後、形式的な裁判を経たのち井伊直弼を暗殺された恨みつらみの彦根藩の皆さんによって次々と斬首、352名が処刑される。こうして水戸藩内部の凄惨な内部抗争は収束する。お・わ・り『天皇の世紀』は時間と金をかけ過ぎたため、今回を持って打ち切りとなります。モーレツに面白かったのに残念。幕末の日本って今の中東みたいな状態だったのね。大河ドラマのようなマイルドな描写が限界なんでしょう。そもそも幕末ものは、色々と不味すぎて映像化できない。打ち切りの本当の理由はそっちだったのかもしれません。
2019年05月26日
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遥かな星がふるさとだ。天皇の世紀 第十二回「義兵」演出に東映のエース監督・佐藤純弥が登板。やたら血が飛び出るシーンが多く、地上波では絶対に再放送できません。そもそも内容自体マッチョ過ぎてオヨヨですが。冒頭、下校途中の小学生たちの後ろを侍姿で微笑を浮かべた伊吹吾朗が馬に乗って爆走する謎の演出でスタート。今回は土佐藩が舞台。元々高知は長宗我部氏が統治してきたが、関ヶ原の戦い以来、徳川方に着いた恩恵として山内氏に与えられた。その後、土佐藩では独自の身分制度を導入。山内家系列の侍を上士、長宗我部家系列の地元の侍を下士とし、侍同士の間で徹底した身分差別を行った。この約200年に渡る恨みと尊王攘夷運動がドッキング。こうした薩摩藩、長州藩とは異なるオリジナルな事情が爆発。15代藩主・山内豊重は吉田東洋(志村けんではなく喬)を起用。ちなみにこの人のルーツは長宗我部家に仕えていたが、上士として土佐藩に迎えられたんだから下士たちはやってられないよね。吉田東洋は藩政の改革に着手する一方「尊王攘夷なんてとんでもねー」「外国と戦争なんかしても負けるっちゅうねん」。むしろ開国し、国の力を強めるべきとする考え方。これに反発したのが土佐藩士にして土佐勤皇党(今で言う地域政党みたいなもんですな)のボス・武市半平太(細川俊之)。もちろんバリバリの保守派で下士。攘夷運動に関して土佐藩はハッキリ言って薩摩藩や長州藩に遅れていた。その遅れを取り戻すべく、朝廷を盛り上げようぜ!幕府に攘夷を迫ろうぜ!とノリノリに盛り上げ。しかし着々と動いている薩摩藩らに対し、土佐藩は歴史的にも幕府寄りの立場。も~殺ってらんねーと同士の吉田虎太郎(伊吹吾朗)、坂本竜馬(山口崇)らは脱藩。武市半平太はあくまで藩に留まりながら攘夷を目指す。ちなみに吉田虎太郎はその後、例の寺田屋事件の現場に有馬新七側の立場でいたりする。そんなこんなで武市半平太らは吉田東洋を暗殺。これを契機に土佐藩は体制がガラッと変わり、要職を攘夷派が占めるようになる。武市半平太は朝廷や幕府を相手にきな臭く暗躍。ついでに上士へ異例の出世などノリノリ。一方、土佐藩から土佐勤皇党がウザがられ始める。そして文久3年、薩摩藩と会津藩によるクーデターで事態は一変。「やっぱ勤皇より公武合体ダ・ヨ・ネ!」と旧吉田東洋派が要職に返り咲く。吉田東洋暗殺の犯人を捕らえるべく、胡散臭い連中を逮捕。下っ端たちが次々と自白したことで武市半平太の罪状が明らかになり逮捕。切腹。そして吉田虎太郎、坂本竜馬らも討ち死に、暗殺など非業の最期を遂げる。こうした土佐藩固有の事情も相まって新政府に登用された人物は僅かに留まった。お・わ・り
2019年05月24日
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キミたちは宇宙人。天皇の世紀 第十一回「決起」今回は長州藩の高杉晋作(原田大二郎)が主人公だよ。脚本は新藤兼人。アメリカへ渡ろうとした罪で小伝馬町送りになった吉田寅次郎こと吉田松陰(原田芳雄)。「まーせいぜい遠島くらいの罪で済みそうだヨ」と高杉晋作に語っていたものの、安政の大獄で粛清。ショックを受ける久坂玄端(田村亮)、伊藤俊輔ことのちの伊藤博文(一文字隼人)ら弟子軍団。その5ヶ月後に井伊直弼暗殺。攘夷熱は高まる。高杉晋作は公武合体を進めた長州藩の家臣・長井雅楽に文句を言いに直撃するが「攘夷なんてアホなことは止めて、逆に開国したほうがイイネ」と言われ逆に腹立ちまくり。そこへ幕府から上海視察の話が転がり込み、2ヶ月ほど上海行き決定。しかし、そこで見たのはイギリス人に蹂躙されている悲惨な実情だった。シナ人は毛唐を追いやる術を知らなかったからこんなことになった。他人ごとではない。蹂躙されて黙っているか!?帰国すると攘夷熱は高まりまくり。薩摩藩が生麦事件を起こして絶賛の嵐。一方、長州藩は長井雅楽を更迭したもののパッとしないね。そこで高杉晋作らは外国人行使の刺殺を計画。そのとんでもない計画が藩主の息子・毛利元徳(静玄太郎)の耳に入り、自ら中止するよう説得。若殿様のソフトな説得を受け入れ、いったんはばか計画を中止したものの、夢をあきらめきれず品川に建設中の英国公使館を焼き打ち。やったね。このメンバーに伊藤博文や井上馨なんかがいたんだからすんごいですね。その後、脱藩し、頭を丸めて諸国漫遊の旅に出る。その頃、長州藩は下関を通過する英米仏蘭の商船を幕府の許可なく砲撃。ぼこぼこに返り討ちされる。参った長州藩は脱藩の罪を許してやるからなんか良いアイディア寄こせと高杉晋作にお悩み相談。高杉晋作は身分を問わない志願兵による民間の防衛隊・奇兵隊の結成を進言。「それ採用」。早速募集開始。ばかで貧乏だけど志が高く、腕の立つ農民、町人、浪人が続々と集結。日本最強の精鋭ゲリラ部隊が結成される。ユニフォームもカッコイイ。そんなこんなで文久3年、京都で薩摩藩と会津藩によるクーデターが発生。長州藩が追放されたことで奇兵隊が出動となるが「ちょっとやりすぎじゃね?」と上層部からストップ。翌年、その上層部も急進派に乗っ取られ「やっぱ出動!会津藩をぶっつぶせ!」と挙兵するが幕府ほか超連合軍に惨敗。「蛤御門の変」である。このことで長州藩は朝敵とされる。さらに英米仏蘭による猛攻撃を受けてぼろぼろの踏んだり蹴ったりですわ。そこで高杉晋作に英米仏蘭との停戦交渉役を命じる。この時なんとまだ24歳。通訳に同席した伊藤博文も23歳。これにはアーネスト・サトウも「ヤング過ギヤン!」とびっくり。そんなこんなで交渉開始。条件その一、砲台を築いちゃダメ。その二、石炭、燃料などの物資を提供しろ。その三、賠償金を寄越せ。一はOK、二は幕府が決めること、三は貧乏だから無理。「自分カラ喧嘩ヲ売リツケテ何ユウテマンネン!」と呆れちゃいます。しかし「交渉は互いに譲り合うべき」「賠償金は幕府に請求すべき。何故なら砲撃は朝廷の命に従ったまでで、その朝廷は幕府の管轄下にあるからだ」と適当なことを言って納得させる。その後、藩内部の勢力争いに巻き込まれ福岡へ。さらに戻って奇兵隊を率いて挙兵、藩の正規軍と激戦の末勝利。イギリスに渡ろうとして失敗。その渡航費で愛人と四国へ。また挙兵したり、酒に溺れたり、結核にかかったりと大忙しで慶応3年に死去。享年27歳。はちゃめちゃですな。お・わ・り
2019年05月24日
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ボクたち地球人。天皇の世紀 第十回「攘夷」 脚本早坂暁。演出はメガネの相沢のCMでおなじみの篠田正浩。島津久光(佐藤慶)は寺田屋事件を起こした後、朝廷の後ろ盾をゲットして上京。その勢いで幕府に改革案を突き付けることに成功するが・・・。文久2年8月21日、江戸を出て武蔵国生麦村を通りかかった久光一行に、馬に乗ったイギリスの民間人4名が真正面から近づいてきたよ。海江田信義(戸浦六宏)は身振り手振りで道を譲るよう指示を出すが、イギリス人には理解できない。4名は下馬せず、そのまま久光の乗った駕籠に近づくことになってしまった。その無作法に激昂した奈良原喜左衛門(日下武士)によって1名が無礼打ちにあい、海江田信義にとどめをさされる。いわゆる「生麦事件」である。イギリスは幕府に下手人の逮捕と処罰を要求した。薩摩藩は幕府に「足軽・岡野新助」なる人物が斬りつけ、行方不明となったと報告。もちろんでっち上げである。何とも適当な対応に幕府もイライラ。ところが天誅の嵐が吹きまくっていた京都では「これがホンマの攘夷」「薩摩藩スゲー」と大歓迎される。外国人大嫌いの孝明天皇もニコニコ。しかし、攘夷熱に火をつけた流れは薩摩藩の本意ではなく、むしろ甚だ迷惑にさえ感じていたが世間に受け入れられず。そして文久3年、横浜にイギリスの軍艦12隻が相次いで入港。生麦事件の謝罪と賠償を要求するが、幕府の態度は煮え切らない。「極力善処する所存です」。この意味不明な日本語に通訳のアーネスト・サトウもまいったね。さらに犯人の処罰、賠償金2万5千ポンド、薩摩藩との直接交渉を要求。応じなければイギリス艦隊は報復手段に出ると事実上の宣戦布告。これを受けて幕府は紛糾した結果、一応賠償金10万ポンドを支払ったものの攘夷決行を5月10日と定める。そしてイギリス艦隊は鹿児島湾に到着。一触即発。薩摩藩はイギリス人を上陸させないため、84名の特殊部隊を野菜売りにカモフラージュして艦隊に接近、「野菜どっすか?」と売り込むと見せかけて一斉に斬り込む電撃作戦を実行。しかしイギリス人たちは「野菜イラナイヨ」と誰一人相手にしなかった。作戦失敗。そこでイギリスへ回答書を送る。「犯人の岡野新助はどっかに行ったまま」「斬り捨てたのはお前たちが悪いから当然」と長々とくどくどと書かれ、要するに拒絶の回答。交渉決裂。も~殺るっきゃねえ!と双方激突。こうして薩英戦争が勃発する。イギリス艦隊は威嚇だけの装備だったためほどほどで撤収。そのため薩摩藩は我らの勝利と大喜びするが実情は敗北。薩摩藩の大砲は1キロ程度しか飛ばず、イギリス艦隊にかすりもしなかった。一方、イギリスのアームストロング砲は4キロもぶっ放す最新兵器。薩摩海軍&砲台は全滅、市街地も大火に見舞われた。その後、会議が行われる。再度イギリス艦隊と戦えば負ける。今は戦を交えるべきではない。負けても良い。最後に勝てば良いのだ。こうして180度方向転換し、イギリスとの講和の交渉が内密に進められる。イギリスは幕府と違って薩摩藩の豪快な交渉に惚れたね。こうして3回目にして和睦が成立。薩摩藩は賠償金を支払いながらもイギリスから軍艦を購入、生麦事件の加害者「岡野新助」は逃亡中として処罰されなかった。しかし、事件の責任を取って海江田信義と奈良原喜左衛門は「岡野新助」として自害しようするが、大久保一蔵(草野大悟)に止められる。「異人を斬るのは力をつけてからで良い。何十年掛かるか分からないが、それが本当の攘夷ではないか?」。こうした薩摩の子孫は明治以後、日本海軍の実権を握り、世界最強の艦隊を作った。しかし、薩摩のように明快に攘夷を捨て切れなかった長州はのちに日本陸軍を握り、躊躇する日本海軍をよそに米英との戦争に踏み切る。お・わ・り
2019年05月20日
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アイドルを引退します。天皇の世紀 第九回「急流」脚本早坂暁。演出は巨匠・三隅研次。こんな凄惨な殺陣は見たことがない。今回も悲惨なお話です。海に捨てられた丹波哲郎と紅林刑事ではなく田中河内介とその息子・瑳磨之介の遺体が小豆島に打ち上げられる。そんな衝撃的なシーンからスタート。文久二年三月、薩摩藩主・島津久光(佐藤慶)は改革案を幕府に突きつけるべく鹿児島を出発。この動きを歓迎したのが田中河内介。幕府に弾圧されていた浪士たちも続々と京都に結集するが、京都所司代は片っ端から逮捕しようとする。そこで田中河内介らは大坂薩摩屋敷に向かう。さらに清河八郎(永山一夫※のちに北朝鮮へ帰国。その後行方不明)ら勤皇派の志士たちも合流。過激な彼らと行動を共にしたのが、もっと過激な薩摩藩士・有馬新七(滝田裕介)。田中河内介は有馬新七に今回なぜ薩摩藩が立ち上がったのか疑問を示す。つうのも田中河内介は朝廷の連中も、200年以上幕府に飼い慣らされた諸大名も信じていなかった。「でも西郷吉之助は信じるヨ」。その西郷吉之助(織本順吉)は島津久光によって流刑地の大島から呼び戻され、先発隊として京都に向かっている途中だった。この話を聞いて田中河内介はビバ薩摩。しかし島津久光と西郷吉之助はあまり仲が良くなかった。そんなこんなで大坂に到着。田中河内介&有馬新七らの企て(京都焼き打ち・挙兵・幕府ぶっつぶすぜ)を止めるよう説得。ところが島津久光は西郷吉之助が勝手に大坂へ行って過激な連中を先導していると誤解&怒りまくり。そんなビンビンな被害妄想のおかげで西郷吉之助は徳之島へ流罪となる。着々と準備を進める田中河内介らに島津久光のメッセージが届く。「命令するまで勝手なことすんなよ」。そんな適当なメッセージに納得できず薩摩藩士と小競り合い。それでも薩摩藩に賭ける田中河内介。島津久光に賭ける有馬新七。その頃、島津久光は京都を訪れ関白・近衛忠煕らに改革案を述べ、それを実行するよう取り計らいを願い出ていた。ビバ朝廷&ビバ尊王。さらに有馬新七ら暴発寸前の過激な藩士たちの粛正にかかる。このことを契機に島津久光は中央政界の足がかりを得る。一方、朝廷は島津久光を利用してめんどくさくなってきた浪士たちの弾圧を実行。朝廷が一枚上手だったみたい。そんなきな臭い動きに大坂の浪士&薩摩藩士軍団は分裂。ついでに薩摩藩屋敷の出入り禁止が申し渡される。これには有馬新七もショック。こうなったら関白九条と京都所司代を殺るっきゃない!丹波節炸裂。そこでちょっとずつ薩摩藩屋敷を脱出、4月23日に京都・伏見の寺田屋に集合することになる。しかしその動きは薩摩藩にモロバレ。寺田屋に向かうメンバーを編成、無事に話をつけることに期待し有馬新七らと親しかった者たち8名(剣豪)が選ばれたが、ダメな場合はもちろん粛正。その頃、寺田屋ではテロ実行前でノリノリの盛り上がり。そして一行は有馬新七に面会を申し出、決起を止めようと説得するが決裂。互いに激昂し、壮絶な斬り合いが始まる。しばらくして8名のひとり・奈良原喜八郎は「しばらく待て!上意じゃ!一同お殿様の前に出て事情を話せ!」と叫ぶと刀を捨て「止めろ!止めてくれ!頼む!」と一同を説得する。「有馬新七らは君命に背いたので上意討ちにした!しかし諸君らに毛頭敵意は無い!君命なのだから伝える!皆すぐ京都へ行って大殿様の前に出るんだ!そうしてくれ!」。田中河内介はこの説得を受け入れた。「瑳磨之介ようく見ておけ!これが武士というものだ。藩からも主君からも抜け切れぬ・・・」。転がっている有馬新七らの遺体。浪士たちは各藩へ送り返され、藩を持たない田中河内介父子は薩摩藩へ送られることになったが、船上で薩摩藩士らによって惨殺される。「何ゆえに斬られるのか?私に君命など無い!」。西郷吉之助はこの事件を聞き「もう薩摩は勤皇など唱えることはできなくなった。二度とあってはならない三文芝居だ」と述べたという。お・わ・り
2019年05月19日
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俳優を引退します。天皇の世紀 第八回「降嫁」チョットだけ遡って物語は進行。そのため前回獄死したはずの大橋訥庵(光明寺博士)がショッカーの再生怪人の如くしれっと登場。今回派手なシーンなし。その代わり密談につぐ密談が延々とつづく。そのキーパーソンは、朝廷側が岩倉具視(岩倉具視が大嫌いな伊丹十三)、幕府側が久々に登場・長野主膳(天知茂)。時は安政六年。岩倉具視は超貧乏公家だが策略家。江戸幕府開闢以来、朝廷の政治介入は罷りならんのお達しにより朝廷と公家の権威は没落。一方、幕府も政情不安によりすっかり落ち目。そこで幕府は朝廷との関係改善、幕藩体制の強化などを図るため公武合体を模索する。その具体策のひとつが14代将軍・徳川家茂に対する孝明天皇の妹・和宮の降嫁だった。このナイスアイディアを考えたのが井伊直弼と腹心の長野主膳。これに対して「イイネ!」と乗っかったのが岩倉具視。但し、こんなアホアイディアは幕府が落ち目になった証拠&朝廷復活のチャンス。公武合体策を受け入れる代わりに、政治の決定権は朝廷にあるよ、外国連中と勝手に結んだ条約は破棄しろよ、など幕府に対する条件を孝明天皇に提案。チミ、超貧乏のくせしてキレるね。つうことで植木等のように出世街道まっしぐら。ついでに朝廷と幕府はWINWINダヨね。これに反対したのがのちの明治天皇の遠縁にあたる中山忠光(小野寺俊夫)とブレーンの儒学者・田中河内之介(丹波哲郎)。それに幕府の政策に超ムカついていた大橋訥庵も加わる。そんなこんなで安政七年、桜田門外で井伊直弼が暗殺されてしまうが、長野主膳は公武合体を諦めない。公家だか侍だか出自のよく分からない島田左近(川合伸旺)と一緒にあの手のこの手の密談をしまくり。そんなこんなで文久元年、幕府は朝廷が示した条件を飲むことで和宮の降嫁を受け入れる。結果的に政治のキャスティングボードは朝廷に渡ってしまい、幕府自らの首を絞めることになった。ところが幕府はいつまで経っても諸外国との条約を破棄しようとしなかった。これには攘夷を望む孝明天皇だけでなく丹波哲郎こと田中河内之介も激怒。和宮降嫁に暗躍した男たちは勤皇攘夷派のテロリストたちの手で次々と暗殺されていった。そして和宮(15歳)は江戸へ下向となる。「惜しまじな 君と民との為ならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも」。大老・井伊直弼の企てによってまだ少年と少女の面影を残した和宮と家茂の結婚はほぼ丸四年目に実現した。しかし、この政略結婚は実際上、何の効果も評価も得られなかった。得したのは岩倉具視だけ?お・わ・り
2019年05月19日
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我が心中、ガイラー将軍の髪型の如く。。。天皇の世紀 第七回「黒い風」脚本石堂淑朗。演出は何と蔵原惟繕。殺陣がリアルすぎて怖い。侍同士の斬り合いってこんな感じだったんでしょうな。万延元年、幕府がアメリカへ使節団を派遣していた頃、国内はテロリズムの嵐が吹きまくり。井伊直弼が殺害された半年後、天下の副将軍・徳川斉昭死去。そのことで水戸藩は脱藩者が続出。益々攘夷運動が激化する一方、幕府の権威は失墜。そんな中、過激な思想を持った攘夷派志士たちが次々と外国人を襲撃する。安政6年に横浜でロシア人が殺害。同年にフランス領事館に勤めていた清国人、翌年にはオランダ人と襲撃は止まず。文久元年にはハリスの秘書兼通訳を務めていたヒュースケンが殺害される。そして水戸藩を脱藩した浪士たちは江戸高輪・東禅寺に置かれていたイギリス公使館を襲撃する(第一次東禅寺事件)。こうした事件に直接的にも間接的にも関与していたのが尾高長七郎(露口茂・山さん)。長七郎といっても『長七郎江戸日記』でおなじみの松平長七郎(里見浩太郎)ではなく、こちらはリアル運動家。ただし、まともな考えを持っていたらしく、一連の過激路線に対してかなりの違和感を持っていた様子。当時、攘夷思想の急先鋒を担っていたのが儒学者・大橋訥庵(光明寺博士)。外国人皆殺し路線をがんがん提唱。実際に挙兵を画策するが、思っていたより人が集まらなかったので中止。代わりに老中の暗殺を計画。ターゲットは井伊直弼に代わって幕政の最高権力者に着いた老中・安藤対馬守。これまでの強硬路線を否定、公武合体策を進めるが幕府は何をやってもダメだったのか、これはこれで批判続出。とくに大橋訥庵は超ムカついていた。そんなこんなで「成功、失敗を問わず、会津藩へ行って挙兵しようぜ」という話にまとまるが「ダメ!全員その場で腹切って死ぬの!」と超ライト思想フルスロットル。尾高は同じライトでも犬死に反対。そして文久2年、大橋訥庵の影響を受けた水戸浪士たち(世界の蜷川ほか)は安藤を襲撃(坂下門外の変)。ただし、殺害には至らず水戸浪士たちはその場で惨殺される。まさに犬死に。愕然とする尾高。その後、事件に関与していたことで幕府から追われる身となり、秩父で稼業の藍玉作りに精を出していたいとこの渋沢栄二郎(のちの渋沢栄一)を訪ねる。既にがっぽり儲けていた渋沢(23歳)から金を渡され、京都へ行くことを勧められる。しかし、渋沢も過激な攘夷思想の持ち主であり、金に物を言わせて着々と武装化を進めていた。そして高崎城を乗っ取り、横浜焼き打ち&討幕を計画する。「やめなさい!みすみす犬死と分かっているものを、私は絶対に行かせない!」。尾高は決起に無意味なことを説き、一夜激論の末に渋沢たちの決意は瓦解した。今は小さな暴動など何の成果も生まない。そう意見されればまさにその通りで、渋沢は憑いていた狐が落ちたように虚脱した。涙を流す尾高と渋沢。「諸君の志の高さは否定せぬ。それを止めねばならぬとは、いったい神の加護とはこの国にはもう無いのか。悔しい。残念だ・・・今まで何人の同志たちが・・・」。この後、尾高は取るに足らないことで人を殺し、自らも不幸な死を遂げる。こうして過激路線は大橋訥庵一派の失敗により袋小路に入り、個人的な運動から全国的な政治運動に膨れ上がる。お・わ・り
2019年05月12日
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便器の黄ばみのような宇宙人。。。天皇の世紀 第六回「異国」万延元年、幕府はアメリカに使節団を派遣することになった。しかも咸臨丸による単独パシフィック横断計画。これには堀江謙一青年だけでなく、チャレンジボーイの轟二郎もびっくり。司令官に命じられたのが海軍奉行の木村摂津守(津川雅彦)。木村はエキスパートたちを選考。艦長に勝麟太郎(オオヤマキャップ)、蒸気関係の技術者に「よし分かった!」のセリフでお馴染みの加藤武ではなく肥田浜五郎(加藤武)、通訳に中浜万次郎(マコ岩松)などなど。ついでに乗船を熱望していた福沢諭吉(やいと屋又右衛門)も連れて行くことになる。さらにちょっぴり心配だったので技術アドバイザーとしてジョン・ブルック大尉ら数名のアメリカ人たちにもお声かけ。木村の本音はメイドインジャパンの船でパシフィックを渡れるのか半信半疑、できるものならこのお役目を辞退したいぐらいブルーだった。幕府から与えられた持参金も少なかったので家宝を売り払って補填したり。そんなこんなで1月19日に浦賀を出発。出発早々「なんでメリケン人が乗ってまんねん!」と水夫たち(江守徹ほか)激昂。そして嵐の連続。ここからドリフの沈没コントのようなシーンが延々と続く。強烈な船酔いに全員オエ~。木村は横になったまま、勝もチフスかなんかに罹って役立たず。おかげで指示系統めちゃくちゃ。このまま何処かへ流されそう。一方、アメリカ人たちは「こんなんフツウだっせ」とジャパニーズライスとミソスープに舌づつみ。ジョン・ブルック曰く、日本使節団は技術不足もさることながら、それ以上に組織の体をなしていなかったという。そんなこんなでアメリカナイズされた中浜万次郎が指揮を執るが、水夫たちには中浜の言っていることがどうも分からない。役割分担とか協力とか平等とか。国家や市民という概念もない。侍も水夫も同じ「市民」だと説明してもサッパリ分からない。福沢諭吉だけ興味津々。プレジデントは国の代表であり、市民から選ばれると聞いて「マジ!?」。そんなこんなで飲み水が不足してヤベーよ。ハワイ辺りでもらおっか。しかし水夫たちは反対。そんなこんなでまたまた嵐。今度こそ超ヤベー。中浜万次郎はジョン・ブルックリンに応援を要請。「OK!」てきぱきと指示を出す。やっぱアメリカスゲーよ、ベイベー。。。そんな中、アメリカ人の一人が勝手に飲み水を持ち出す事件が起こる。自分たちでさえ我慢しているというのに。水夫たち激昂。さりげなく「み、水~」と大村千吉が狂った演技を披露(ワンシーンのみ出演)。しかし、飲み水が不足していることをアメリカ人たちに隠してたことがそもそもの原因。勝と中浜万次郎は丁重に詫びる。ジョン・ブルックには内情を隠そうとする考え方が理解できなかったが、勝の静かで落ち着いた対応に大きく感動する。そんなこんなで浦賀を出て37日目の3月17日、サンフランシスコに到着。ジョン・ブルックは日本人の技術力の高さ、航海中の両国スタッフの関係がしっくりいっていたこと、深い心尽くしを持って待遇されたことなどを海軍省に報告する(ホントはかなり違ってましたが)。そして咸臨丸一行はアメリカの市民社会を目の当たりにしてびっくりするのだった。つ・づ・く
2019年05月06日
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悪魔のような宇宙人。。。天皇の世紀 第五回「大獄」前回のつづき。井伊直弼(中村竹弥)は天皇に無断で日米通商修好条約を結ぶ。これには孝明天皇以下、朝廷の皆さんかんかん。さらに徳川斉昭(三島雅夫)を江戸・水戸屋敷(地震でボロボロ)に謹慎させる。こうして安政の大獄がスタート。井伊直弼のアドバイザーとして暗躍するのが前回チョイ役だった長野主膳(天知茂)。幕府がどんどんきな臭くなる一方、朝廷も幕府推し(保守派)と水戸藩推し(改革派)に分裂、どいつもこいつもばらばら。水戸藩推しの孝明天皇らは水戸藩へナイショの手紙(戊午の密勅)を送る。それは水戸藩に幕政改革を指示するもので、①勝手に日米通商修好条約を結ぶなっつうの!、②朝廷と幕府で連立政権をたてて(公武合体)外国人どもをやっつけようぜ(攘夷)、③この手紙を全国の藩に回しとけよ!、以上の三点がしたためられていた。これには長野主膳も気づかず。幕府の面目丸つぶれやがな。つうことで慌てて幕府推しの九条関白(青野平義)を通じて「その手紙は偽物だヨン」と揉み消し&水戸藩陰謀論を展開。以後、改革派に対する厳しい取り締まりが始まる。ここで突然、舞台は現代の東京に。明智小五郎ではなく天知茂が画面から視聴者に向かって渋く語りかける。「ここは東京の常磐橋です。安政の大獄で検挙された人たちは、ここにあった評定所というところで裁判を受けたのですが、その審議には初めから予断があり、およそ公平な裁判とはほど遠いものだったのです」。いや、お前が捕まえたんやんか!この謎の演出に度肝を抜かれました。そして長野主膳役の天知茂は語り続けます。「暗い幕末期にあってひと際光を放った人物。越前の橋本左内と長州の吉田寅次郎も検挙されていたのですが、この二人は井伊大老にとり絶対に許せない不逞分子でした。ではまず橋本左内から」。将軍継承問題に介入した罪で捕まった橋本左内(田村正和)。「身分の低い者が国を案じてはいけないのですか?」「いかん!」「徳川総本家の主またこの国の将来を案じる手前主人は道を間違えているのでありましょうか?」「そ、それは・・・別段不都合ではない」「ではその主人の命を忠実に守った私の行動は如何です?」「それは・・・」「不都合じゃ!よいか左内。いかほど良いことでも、度過ぎては悪となる」。それでも左内は上に能力の高い将軍を据え、下には広く人材を集め、諸外国に開かれた新しい統一国家を作るべきだと主張する。一方、吉田寅次郎(原田芳雄)の考えは同じく逮捕された身でありながらも微妙に異なる。統一国家は賛成だが、その中心はあくまで天皇とすべき。じゃ幕府はどうなるの?「御所を主に、公儀を従に合体すればイイじゃん」。それでこそ幕府は存続する。ところが調子に乗って老中暗殺を計画していたことまでしゃべってしまう。「御調べ済みでしょ?」。え!?マジかよ!とびっくり。このカミングアウトがまさに命取りとなった。そんなこんなで徳川斉昭に最終処分が決定。水戸で永蟄居となり政治の表舞台から姿を消す。こうして井伊直弼は捕まえた連中を次々に死刑(または獄死)、反対派を罷免・免職と徹底して弾圧。橋本左内には遠島が言い渡されていたが「ダメ。死刑」と判決を翻す。そして安政7年3月3日、藩邸を出て江戸城に向かう途中、水戸藩脱藩浪士たちの襲撃を受け首をはねられる。享年46歳。現代の江戸城(皇居)をバックに「井伊直弼の首を討ち取ったぞー!」の声が響き渡る。つ・づ・く
2019年05月05日
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ヤッターマン8号天皇の世紀 第四回「地熱」なんと今井正が演出。前半は橋本左内(田村正和)、後半は井伊直弼(中村竹弥)をメインに進行。黒船来航以来、幕府は大揺れ。開国すべきか、諸外国と戦って鎖国を続けるか。答えは二つにひとつ。でも決め切れないグダグダぶり。13代将軍・徳川家定は病弱でダメだこりゃ。そこで将軍継承問題が浮上する。やっぱリーダーシップを発揮できる人物こそ将軍になってもらおうぜ!つうことで天下の副将軍・徳川斉昭(三島雅夫)は実子・一橋慶喜(松橋登)を擁立する。蘭学者で越前藩のブレーン・橋本左内も賛成。一方、井伊直弼は血縁重視の慣例から紀伊藩主・徳川慶福を擁立。イケメンで頭のいい慶喜vsまだ12歳の慶福。一橋派(水戸藩)と南紀派(紀伊藩)とで対立を深めるが、ここでも決め切れず朝廷に判断を仰ぐ。朝廷は政治に介入しちゃダメよと定めたのは幕府なのに、自らその決まりごとを破るくらい弱体化していた。コレ前代未聞の事態なんです。しかし、徳川斉昭と前関白・鷹司政通(美川陽一郎)はなかよし義兄弟であり、斉昭には朝廷の力を借りようとする下心もあった様子。その甲斐あって朝廷はイケメンで頭のいい慶喜推しを決定する。ちなみに一橋派は開国に賛成だが、斉昭は攘夷派でちょっとややこしい。ところが貧乏公家たちは攘夷派が占め、普段大人しいくせにこの時ばかりは鷹司政通らに噛みついてふんがふんが大荒れ。朝廷もこんなざま。そんな中、アメリカ総領事のハリスは「はよ日米修好条約を結びなはれ」と揺さぶりをかけてくる。今、清国でイギリスとフランスがむちゃくちゃなことしてる。「そのうち日本もあいつらにムチャクチャやられまっせ」と。そんなこんなで将軍継承問題もいい加減決着を着けないとヤバい。大老に就任した井伊直弼は徳川御三家の意向を無視して慶福を後継に決定する。そしていよいよ国内の反対勢力を粛正する安政の大獄が始まる。つ・づ・く
2019年04月30日
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ヤッターマン7号天皇の世紀 第三回「先覚」結構地味なエピソード。だがこのチョイスがなかなか。時代はやや遡って天保年間。長崎町年寄の高島秋帆(中村翫右衛門)はアヘン戦争で清国がエゲレスに敗戦を重ねていると聞き、長崎奉行に意見書を出そうと決心する。アヘン戦争の非は明らかにエゲレスにあるにも関わらず、正しい立場の清国が大敗している。その理由は清国の前時代的な武力にあった。出島のオランダ人たちも皆そのように話している。日本の火砲も西洋では既に数百年前に廃棄した陳腐なものである。この機会に火砲の近代化を進め、江戸、長崎に配備などなどの意見を提出する。そんなこんなで独学で洋式の砲術を研究、私費で武器を製造、さらには高島砲術まで完成させる西洋軍事マニアぶりを発揮。それを面白く思っていなかったのが西洋大きらいで超保守派の鳥居耀蔵(伊藤雄之助)。蛮社の獄で渡辺崋山や高野長英などの蘭学者をびしびし弾圧。実績アップで当時の警察庁長官・南町奉行に昇進する。一方、幕府はアヘン戦争の噂を聞いて軍備増強しないとちょっとヤベーよ。つうことで高島秋帆らの洋式軍備を採用。江戸で本邦初の公開演習が開かれる。大砲撃ちまくり、近代的な軍服、西洋式の行進(掛け声はオランダ語)などなど超カッコイイ~。あんなものなくても日本はだいじょうぶだあと思ったかどうかは分からないが、鳥居耀蔵は高島秋帆が密貿易で丸儲けしているとでっち上げて投獄してしまう。要するに冤罪。それから約10年、高島秋帆は江戸・小伝馬町牢屋敷で囚人として監禁される。そんなある日、大火事が発生。囚人たちは一旦解放されるが三日後には必ず戻ってくるとこと申し渡される。そのまま逃げるチャンス。しかし高島秋帆は幕府の腐った脳みそとも言うべき鳥居耀蔵と対峙するため小伝馬町牢屋敷に戻る。ところが鳥居らによる過酷な取り調べが待っていた。そんなこんなで嘉永6年にペリー来航。その前後に老中・水野忠邦は辞任に追い込まれ、鳥居耀蔵は失脚、讃岐丸亀藩預かりの身となる。そんなすったもんだにより高島秋帆は赦免され、幕府からも「やっぱ手伝ってよ」と講武所の師範に登用される。こうして幕府は軍備の近代化を図っていく。つ・づ・く
2019年04月29日
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ヤッターマン6号天皇の世紀 第二回「野火」石堂淑朗脚本。今回は吉田松陰こと吉田寅次郎(原田芳雄)と金子重之輔(高橋長英)が主人公。嘉永7年、再びペリーが来航する。寅次郎と重之輔はアメリカに渡るため黒船乗船を画策。そんなこんなで下田に辿り着く。どうやって黒船に乗り込むか、あれやこれや考えていると何となく撮影スタッフが画面に映り出し、演出家が寅次郎と重之輔に当時の状況を説明。寅次郎と重之輔も原田芳雄と高橋長英に戻っていたりする。そんなこんなで寅次郎と重之輔に扮した原田芳雄と高橋長英は、当時下田港沖に停泊していたポーハタン号の位置を目指して実際に小舟を漕ぎ始める。二人が乗った小舟の周りを演出家が乗ったモーターボートが飛ばしまくる。「当時の波の高さを再現してるんだぞー。伊達に走り回ってる訳じゃないんだぞー」。そんなこんなでやっとの思いで黒船へ忍びこむことに成功。通訳のヒュースケン(大月ウルフ)にアメリカ密航を懇願するが、日米和親条約を結んだ直後だったことから断られてしまう。尤もそれは表向きの口実で、二人をアメリカ側に送り込んでどう反応するか幕府の仕掛けた罠だと疑っていた。結局、二人は死罪を覚悟で下田奉行所に自首する。そのことを知ったポーハタン号の乗組員たちは晒しものにされている寅次郎と重之輔を見かける。寅次郎は木片に密航の動機をしたためると乗組員に渡す。そこに書かれた内容に感銘を受けたペリーたちは再び寅次郎と重之輔のもとを訪れるが、時既に遅く、二人は江戸へ護送された後だった。つ・づ・く
2019年04月28日
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ヤッターマン5号天皇の世紀 第一回「黒船渡来」朝日放送創立20周年記念番組として1971年に放送。原作は大佛次郎。平成初頭、奇跡的にビデオソフト化され「観たいなあ」と思っていたら明後日で平成終わりですよ。つうことで観ることにしたね。第一回は山本薩夫が演出。淡々と物語は進行。サブタイトルどおりのお話。嘉永6年6月、アメリカのペリー艦隊(通称黒船)が浦賀沖に来航。日本の幕府に捕鯨船の物資補給、漂流民の保護等々を目的に通商条約の締結を迫る。とりあえず親書を持って来たので受け取ってほしいと申し出るが、幕府は長崎以外の地での外国との交渉は認めていないと拒否。アメリカ側は長崎行きを拒否。そんなこんなで上陸を認めない代わりに船上での交渉が始まる。そもそもなんで浦賀に来たの?「江戸ニ近イカラデース」と地図を広げる。リアルな地図に浦賀奉行所与力・中島三郎助(藤岡重慶)びっくり。アメリカの使者たち(大月ウルフ)は日本の事情にもやたら詳しい。情報ダダ漏れやがなと二度びっくり。一方で、アメリカ銘菓(焼きりんご)をぱくぱく食べまくったり、蒸気船の構造や大砲をスケッチしたりして。そんなこんなで何だかやべーことになってきたなあつうことで老中・阿部正弘(田村高廣)を中心に緊急閣僚会議を開く。さらに山路弥左衛門(北村和夫)から海外の情勢についてレクチャーを受ける。今はオランダよりもアメリカ、フランス、エゲレス、ロシアが台頭していること。エゲレスはインドを植民地にし、清国にはアヘン戦争で勝利し香港島をいただいいちゃった。とりわけアメリカは太平洋を挟んで日本とは一番遠いはずなのに太平洋を横断するだけの技術力を持っている。浦賀へ来る前に琉球王国を訪れ、あっという間にアメリカ側の要求を通したという話も。勘定奉行・川路聖謨(木村功)はアメリカと一戦交わった場合、財政的にも一日しか持たない、むしろこの機会に開国すべきと進言する。そうこうしているうちに今度はロシア艦隊が長崎に来航する。開幕以来初の外交交渉に老中・阿部は悩みまくるが、アメリカから一年間の猶予が与えられる。ところが半年後、再び黒船は浦賀に来航した。つ・づ・く
2019年04月28日
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