仏像とか条約とか


仏像とか条約とか

T学会の大会1日目。
バリ島に伝わるグンデルワヤンの演奏を聴いた後、
公開講演会を聞きました。

講演会のテーマは
「近代日本における美術と音楽の生成」。
明治に入るまでは、美術という言葉自体が無かったんですって。
(音楽は、一応あった。)
しかも
最初の頃の美術は、今の芸術を意味する言葉で
西洋の「音楽」「画学」「像を作る術」「詩学」などをすべて含んでいたらしい。
ちなみにここの「画学」とは、今の絵画のことで
「像を作る術」とは今の彫刻のこと。
絵画、彫刻という言葉も、明治に入るまでは無かったそうな。

彫刻の話でおもしろかったのは
仏像の話です。
今では仏像と言うと、たしかにお寺にあるのが一般的だけど
美術品としても当たり前のように扱われていますよね。

しかし、明治期?までは仏像を彫るのは彫刻ではなく造仏と呼ばれ、
あくまでも宗教的な行為だったわけで
仏像を美術館に収容する際には、
「仏を見世物にしても良いのか!?」と、 国会でも議論になった というお話。

それから
美術と音楽とは現在では美術大学・音楽大学があるように
「書」「茶」「花」「香」「人形」「版画」「写真」「挿絵」「演劇」などに比べ
ずっと“制度化された歴史”を持ってるんだそうですが、
(言われてみれば、確かにそうかも・・・)
これは、明治政府の“富国強兵”政策の賜物で、
結局は、西欧世界への美術工芸品輸出による外貨獲得や、
文化戦略、つまり日本文化の示威的提示を目指したもので、
その究極の目的は『条約改正』だった、というお話もありました。
実際、
1910年頃に日本により有利な形での条約改正が達成された直後に
西欧でのジャポニズム(日本ブーム?)も終わってしまったということです。

世の中、
何がどこでどうやって関連してるんだか、
わかったもんじゃないですねぇ(感心~)

2002/10/12 (土)




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