鈍行列車でいいのなら

鈍行列車でいいのなら

げその中学時代

☆げその中学時代☆

歌を書き始めたのは中学2年の春のことです。
ひょんなことから
「ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)の存在を知り、
気がついたら親友3人とフォークグループを結成。
このホームページのタイトルは
その時のグループ名(どんこう列車)から取りました。

アマチュアミュージシャンの音楽の祭典「ポプコン」。
全国予選を勝ち抜いた代表が年2回集まるのが
静岡県の「つま恋」というステージでした。
いわば「音楽の甲子園」。
いつか、あの舞台に立って私の歌をみんなに届けたい。
ただその一念で、熱に浮かされたように毎日毎日
ギターとピアノと五線紙を行きつ戻りつ……。

残念ながら応募曲は予選をかすることさえありませんでしたが、
それがかえって 私の情熱(笑)に火をつけることに。

当然、教科書も何もかもそっちのけ。
友達の親に「不良!」と言い放たれたこともありました。
夢見ることのどこが不良なのか 私には理解できなかった……。

当時は「ザ・ベストテン」(TBS系)という歌番組が全盛の時代。
毎週木曜日には同級生たちと「予想ランキング」を作っては
翌日の給食の牛乳を賭け 争奪戦を演じていました。

「ニューミュージック」(J-POPなんて言葉、まだなかったのだ)
なんて言葉が出始めたころで、
自分で曲を書いて歌うシンガー・ソングライターが
私自身を含めて 多くの若者の心をとらえた時代でした。
でも「ベストテン」にはこれらニューミュージックに交じって
普通のアイドルや演歌も
ランキングにごった煮で登場していましたっけ。

子供からおじいちゃん、おばあちゃんに至るまで
全世代に通じるヒット曲、
「ほんとうの流行歌」がまだ存在していた時代でもあったと思います。

そんなわけで
歌謡曲も演歌も分け隔てなく(爆)自然に聞いていた私ですが、
この道に入る? きっかけを作ってくれた
円広志さんの「夢想花」をはじめ、
当時はチャゲ&飛鳥
(私にとってはCHAGE&ASKAではないんだなあ)
長渕剛
(これまた今のイメージとはかなり違う軟派なお兄ちゃんだった)
中島みゆき
(彼女のイメージは当時と変わらない……)
などなど、
やはりヤマハ系のアーティストを多く聞いていた気がします。

また 大学生だったサザンオールスターズのデビューもこのころ。
あのころ教室でみんなで聴きまくっていた彼らが今なお
当時と同じテンションで大活躍しているさまは、
うれしいのと同時に、どこかうらやましくもあります。


☆当時の作品☆

あしたはあしたの風が吹くから  …初めてポプコンに応募した曲です。

今日の空は青すぎる  …どフォーク作りに挑戦!

喜劇役者  …中学時代は演劇部だったのだ(爆)

ありがとう そして さよなら  …中学卒業をテーマに書いた曲です。

私が大事にしたいもの  …同じく、中学卒業のうたです。






© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: