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Skull-Sick~その狭間に立つものたち~
「分かりました。ガナ爺も、くれぐれも気をつけて」
そこは誰にも知られぬ街ヘルクラネウム。
早朝。”霧”との境目に二人は立っていた。
ボサボサに伸び散らかした髭。そしてそれを束ねる桃色のリボン。
身長が全く低く、ずんぐりとした体型。その割りに服の上からでも分かるたくましい筋肉。
そして背中に担いだ、自らの身長をゆうに超える長さを誇る”大鉞ズウゼ”。
年齢も百歳を超える老鍛冶師モズラートは、そう言ってバンザにまたがった。
バンザは、体格のいい四足歩行の動物だ。スピードはないが、二百キロ近い荷物を背負っても歩くことができる、運搬に良く使われる草食動物だ。
性格は基本的にはおとなしいが、暴れ出すとその力の強さから押さえ込むのはまず無理である。
モズラートがまたがったのは、バンザの中でも小型のものだった。
身長が低いので馬や牛には一人では乗る事ができないのだ。
「日暮れまでには戻る。そろそろこの役も、ザワールに任せることにしようかのう。年には勝てん」
「いつでも任せてください」
「ふむ。じゃがそのためには、石を見る”眼”がもう少しだけ足りんようだ。そのときが来たら、ちゃんと任せるでの」
「分かりました。最近は各地で正体不明の”何か”が騒いでいるらしいです。とにかく、気をつけて」
「ガハハ。わしを誰だと思っとる。大丈夫。では、夕暮れにまた会おう」
そう言って、モズラートは霧の中に消えていった。
古臭い鈴の音が鳴った。
ザワールはモズを送ってから鍛冶工場に戻ってきた。
綺麗な黒髪もすっかり伸びてしまった。
いつも通り上下黒の軽い服を着ている。
モズからは店番を頼まれたが、多分客は来ない。
ここの顧客は大体が常連だ。しかもその場合は事前に注文を受ける。
そして品物が出来上がった頃にその客が取りに来ると言うシステムに、自然とそうなってしまった。
今現在も抱えている注文が三つほどある。ちなみにどれにもまだ手はついていない。
モズは、武器の材料となる鉱物を買出しに行った。
ほとんどストックを使ってしまったので、注文に手がついていないと言うか、手を付けれないのである。
鉱物の仕入先までは、霧を抜けてからバンザで四時間ほどだと聞いた。
まだ石の良し悪しがはっきりとは分からないので、ザワールは買出しをまだ任されないでいた。
当然、仕入先がどこなのかも分からない。
モズ曰く、それは極秘の場所らしい。
数々の武器や、今となっては何か分からないものらが飽和的に圧縮陳列された棚の隙間を抜けてカウンターにどっと座る。
そして一通の注文の手紙を見る。
差し出し人のところに、”ヴェアトリクス孤児院”と書かれていた。
「セフィ母さん・・・・」
ザワールは、誰にも聴こえない小さな小さな声でつぶやいた。
そして、いつの間にか眠ってしまった。
どれくらいの時間が経ったのか。
深く濃い霧の中。そこでは、多くの感覚が機能しなくなる。
ずんぐりとした影が、それほど早くない調子で進んでいた。
「こぶしよ、そろそろ霧を抜けるぞい。そうしたら休憩じゃ」
その影の上半分、モズは、自らの乗っているバンザにそう語りかけた。”こぶし”とはバンザの名前なのか。
その言葉を理解したのかしていないのか、バンザは変わらぬ表情で、変わらぬ調子で歩き続けた。
言葉どおり、それほど間をおかずに、唐突に霧は晴れた。
すると、そこは広大な草原だった。綺麗な新緑の絨毯。その中に、細い細い土の道が、自由に軽いカーブを描いてどこまでも続いていた。
心地良いそよ風に霧が揺れて、まるで雲の中の草原のように思えた。神秘的な場所。
モズとバンザは変わらぬ調子で少し進み、小道の脇に小さな岩が露出する所まで進んだ。
「よおし。ここで一休みじゃ。お前も疲れたろう。お互い、老いには勝てん」
モズは遠慮がちに地面から顔を出している岩の上に座り、背の大鉞を脇に立て掛けた。
バンザは少し離れて適当に草を食んでいる。
そこは連なる緩い丘のてっぺん。まだ霧の雲からそんなに離れていない。のどかな景色。
「何者じゃ?」
唐突にモズは言った。
いつの間にか、モズの真後ろに三人の男達が立っていた。
「流石は老練の鍛冶師でもあり、元凄腕のデバッガー。我々の予想よりも反応が早い」
並ぶ男達の中央の男が言った。
男達は皆、同じ服を着ている。黒で統一された小奇麗な衣服。そして黒眼鏡。
明らかに怪しい。
モズは背中を向けまま応える。
「この老いぼれに何のようがある。遥か後方の二人はお前達の上司か?」
その言葉に、男達の微かな同様があった。
男達の遥か後方に、大小二つの影があった。それは到底背を向けたまま気付ける距離ではない。
あまり良く判別できないが、二つの影の小さな方は、美しい銀髪だった。大きな影は布で巻かれた太い何かを担いでいる。
「驚いた。あなたに老いというのは無いらしい」
「そんな事はどうでも良い。まず自ら名乗ってはどうじゃ?」
「おお、これは失礼致しました。と言っても、まだ我々について詳しいことはお教えできません。ただお教えできるのは、”ディスゴーツ”という組織の者だと言うことくらいです」
「ディスゴーツ?知らんな。で、その組織の下っ端が何のようじゃ?」
その言葉に、男達は明らかにムッとした。モズはまだ背を向けたままだ。
「・・・・あなたに、我が組織の一員となって頂き、我等のために武器を造って欲しいのです」
「何をしているのやも知らぬ組織に、いきなり武器を造れと言われても、うなずけるわけがないじゃろうが」
「もしあなたが承諾してくだされば、全てをお話できます。我等がホームに戻ってからですが。報酬も十分すぎるほど用意してあります。後悔は絶対にさせませんよ」
「ふん、この年になって、十分すぎる報酬などいらぬわ。わしは、残り少ない時間を、わしの好きなように使って、そして後世に伝える。それ以外はまっぴらじゃよ」
「そんなことを言わずに。我々の技術があれば、あなたの残りの時間を大幅に増やすことさえできるのですよ」
「興味ないわ。人は人として、自然体に生きるのが良い。わしはもう十分生きた」
「どうしてもですか。我々もそれほど寛大ではありません。早めにうなずいた方が身のためですよ」
「ほう。このままわしがうなずかない場合はどうしろと、上司に言われとるんだ?」
「・・・・力づくでと」
その言葉には、明らかに今までとは比にならないほどの圧力、殺気さえ含まれていた。
「ガハハ!わしも、舐められたものよ」
そしてモズは、傍らの大鉞を手につかみ、はじめて男達の方を振り向く。
その表情。邪悪な笑みに、さっきの男の言葉とは次元の違う気を発している。
男達は、それぞれ数歩下がり、戦闘態勢に入る。
「残念です。死んでも知りませんよ」
モズは応える。
「痴れ者が」
そう吐き捨てて、モズは大鉞を肩にどすりと担いだ。
「私達もまだ慣れていませんから、手加減は難しいですよ」
男達は、深く息を吐き、各々の黒眼鏡を外した。
するとその下から現れたのは、銀と黒の色が混沌と混ざり合う奇妙な眼だった。
さらに、男達の体はめりめりと不吉な音と共に変形、なんと瞬く間に異形のものと変わり果てた!
モズは小さく舌打ちをした。
「貴様ら・・・・虚仮人(こけびと)か!」
モズが叫ぶのと、異形の者たちが飛びかかるのは同時だった。
スピードを緩めずに後ろを振り返る。
見えるのは、ただ複雑に深い森の中。
木の枝葉で日が当たらず、森の中は不気味に湿っている。
できるだけがむしゃらに進む。追っ手を惑わすため。
確か近くに町があったはずだ。そこまで何とか逃げ切らなければ。
そこで、近くにあった巨木の影に身を隠す。
直後、轟音と同時にその巨木に穴が穿たれた。貫通はしないまでも、中ほどまでを一気に削り取った。
敵の姿は見えない。
”奴等”も相当上部の刺客を放ったらしい。この距離では、奴の”武器”に到底敵わない。
やりあうとしても、接近戦で無ければ勝ち目は無い。
やはり、いったん町へ逃げ込もう。
さっきから、追っ手とは別の、妙な気配もする。
いや、”そっちの方が嫌な気配だ”。驚くべき強大さ。
虚ろか。いや何かが違う。しかし人間でもない。人間ではありえない。
”同類”か。それとも何か違う。
・・・・何だ・・・・。
またも、轟音と共に今度はすぐ脇の草むらが爆ぜた。
切れた息を瞬時に整え、また疾走を開始する。
走り出してまた少し時間が経った。
奴はことごとく、的確に俺を狙ってきている。
そして、”嫌な気配”もかなり近づいてきた。いやすぐそこにいる。
頬を汗が伝う。奴よりも、嫌な気配の方に俺は恐怖を感じている。
そして、突然目の前が開けた。
そこには道があった。この先の町へ行くための道か。
その道を横切り、また向かいの木々の間へ入っていくその刹那。
”それ”はいた。
俺は目の端にそれをとらえた。奴は奇妙な剣を構えていた。
・・・・人間?いや、”違う”。
一見は単なる男だが、その存在は全く異なる次元のもの。
巨大な体躯。狼のような凶悪な牙。背中に生える悪魔のような翼。不気味な一つ目。
その”存在”に、一瞬にして俺は飲み込まれた。・・・・間違いなく、危険だ。
俺は半ば逃げるようにまた木々の間に身を滑らせる。
刹那の”接触”で俺の心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。戦いたくない。
とにかく町へ行こう。一刻も早く。
古い森。道の両側は太古の木々が不規則に列をなしている。
木々は広く枝葉を伸ばし、ほとんどの日を遮っている。
そのため、森全体が暗くじめじめしている。
俺はその森の、唯一の道を歩いている。
道は暗いが、ようやく左腕も完治し、気分は良い。
『都市リガータにはどのくらい滞在するんだい?』
俺の中の”もう一人の俺”が中から尋ねてくる。
俺は現実性多重人格という、えらく変わった体質と言うか、人間だ。
『俺としては、長い時間いたくない。明日には発ちたいと思っている』
『食糧や、あと包帯と消毒液なんかも補充したいんだけど』
『おいおい、食糧は必要として、医療の道具を買うほど持ち合わせに余裕がないぞ』
『そうでもないでしょ。僕らの経済状況については君よりも僕の方が知ってるつもりだけど』
『まあ、そうだが、なんと言うか、俺も補充したいものがある。発光石や小手榴弾が残り僅かしかない。あとランプの燃料』
『なんだって?一つ言わせてもらうけど、君の消費する道具は全て高価なものばかりなんだよ。小手榴弾なんて一個分の値段で包帯と湿布とガーゼとビタミン剤が一式手に入るほどなんだ』
『しかたねえじゃねえか。あの時腕一本じゃ流石にきつかったんだよ。そのせいで発光石も余分に撒いちまった』
『じゃあ、互いに妥協しようじゃないか。僕は当初計画していた量の三分の二に抑えるから君は小手榴弾をあきらめてくれ。発光石やランプの燃料は必要だからね』
『待てよ!お前は小手榴弾の価値が分かっていない。あれ一個で神にすら瀕死のダメージを与えれるんだ。それに予備はあと一個しかない。いざって時に一個じゃ切り抜けられないかもしれない』
『一個あれば十分。こっちの包帯は完全に使い切ったんだから』
『包帯包帯って女々しいことを言うな。怪我して包帯が無くても死なねえよ』
『そういう問題じゃない。君は医療を”死なないための処置”と勘違いしている。死ぬか生きるかの問題じゃないくて――』
俺ともう一人の俺との議論は内側で続く。
リガータは、この大陸でもそこそこ規模の大きい都市だ。その分他の町や村よりも、必需品の品揃えや質がいい。
にしても、本当にそろそろ財政的にも困難になってきた。デバッガーの仕事を請け負わなければならない。
もう一人の俺は旅の途中で出あった、怪我をした子ども、同じく怪我をした旅人などには手当てをしてやるのだが、そこから金銭的なものは受け取らない。
つまり無償で手当てしてやってるわけだから、収入は全て俺が賄わなければならない。
全く、人が良すぎる。
『武器があれば怪我もしないわけだから――』
『そんなことを言って君はいつもいつも――』
そのときだった。
『静かにしろ』
俺は立ち止まって、感覚を研ぎ澄ます。
持っていた大きめの鞄を地面において、肩からダブルエッジ”アマサメ”を抜いて構える。
『敵かい?』
『・・・・いや、分からん。何だ。奇妙な気配。限りなく虚ろに似ているが、どこか違う。でも人間でもない』
俺の額に、汗がにじむ。
『近い?』
『ああ、近い。すぐ傍だ。そして、強い。恐怖さえ、感じる』
俺は息を殺す。四方は森。どこから来るか分からない。
聴こえるのは、風にこすれる葉の音だけ。その音が邪魔だ。
どれくらい時間が経っただろう。
そのとき、道の右側の森から轟音が響いた!
一瞬の雷のような音だ。潜んでいたのか、小鳥達が大勢木の中から飛び出して逃げていく。
そしてそれはまた響く。何度も。しかも、だんだんと近づいてくるようだ。
『この音は・・・・銃?』
『そうかもしれない。珍しいな』
汗が頬を伝う。そして
『来る!』
直後、正面数メートルのところを右側から何かが飛び出した!
・・・・人?顔から体まで、大きなローブを羽織っているため、多くは見えない。
ただ、背中に、巨大な、鎌のようなものを背負っている。
一瞬、そいつのフードの間から目が合った。
違う!人じゃない!
それは”存在”として見えた。表面上は人。だがその奥に潜む、強大な存在。
それは、何か、狐のような姿に見えた。その目から放たれる気に、俺は一瞬にして凌駕された。
俺は動くことができなかった。
奴は一瞬にして左側の木々の間へと入り込んで、見えなくなった。
・・・・町に向かっているのか。
とにかく、俺は我を失った。そのあまりの”危険”な存在感に・・・・。戦いたくない。そう思った。
『・・・・大丈夫かい?』
どれくらい俺はその体勢でいたのか。
もう一人の俺の呼びかけでようやく我を取り戻した。
全身に多量の汗をかいていた。
『・・・ああ。すまん』
俺はアマサメを専用の柄に収める。微かに手が震えている。
『彼は、おそらく・・・・』
『そう。奴は、何者かに追われていた。方向から多分リガータへ逃げ込むつもりだ』
『彼は、何者だい?』
『分からん。おそらくは人。だが、完全にそうではない。何か、”裏側”に強大な虚ろの気があった』
『まさか・・・・虚仮人』
『俺も考えていた。だが、虚仮人という種は何年か前に忽然と姿を消したはず』
『もっとも、見た目では判断できないから、あくまで確証は無いけれどね』
『確証とか、そういうのはどうでもいい。とにかく俺の勘が言ってる。今まで感じたことの無い空気。隠そうとしても絶対に隠しきれない虚ろの血の臭い。あまりにも強大な気。やつは、虚仮人だ』
『だとしたら、厄介だよ。彼が都市に入って何をしでかすか』
『追っ手の方も気になる。銃を使うデバッガーなんざ数えるほどしかないはずだ』
『でもリガータには、確か”警団”があるはず』
「警団」それは、規模の大きい都市に与えられる自衛の戦力。本部は”都”にあり、全ての警団は”都”から派遣され、その街の警備に当たる。警団全ての戦力を合計すれば、おそらく大陸最強の戦闘力になる。それくらい規模の大きな組織だ。しかし、自分達では街を虚ろから守る正義の組織と思っているかもしれないが、実際はそんな頼もしいものでもない。街の民が虚ろに襲われた場合、警団は”民を虚ろから救う”のではなく”虚ろを退治する”のだ。つまりその邪魔となる負傷者などには構いもしない。警団は”都”から一方的に与えられるため、街と警団が必ずしも友好関係にあるというわけでもない。警団はむしろ非道と言ってもいいほどだから、大抵の場合は民にも嫌われている。しかしまた、警団のおかげで街が救われているのも事実だった。
『ああ、奴等がいる限り最悪の事態は免れると思うが、警団の力で間に合うかどうか』
『まさか。警団は小規模なものでも個々の力は並のデバッガーを数段凌ぐはず。そう簡単には・・・・』
『俺は警団が弱いと言っているんじゃない。むしろできれば俺も関わりたくないほどの力だ。ただ、いくら警団でも・・・・』
『まさか・・・・もしかして』
『そう・・・・”奴”の眼の奥に、裏側にいるのは・・・・”神”かもしれない』
最悪の事態を防ぐため、俺達は疾走を開始する。
奴を追って俺はリガータに入った。
森を抜けた辺りからポツポツと民家が見え始め、それはだんだんと規模の大きなものに変わっていく。
土の道も、いつの間にか端正な石畳になっていた。
郊外と中央部の境界部分まで走った。周りは住宅街のようだ。
道の端に大きな馬車が停まっていたので、行き先を尋ねると、丁度都市の中央まで行くらしいのでそれに乗ることにした。
乗り込む際に運転手に料金を支払い、乗り込むとすぐに馬車は出発した。
中には俺のほかにも数人の客が乗っていた。かすかな振動が伝わる。
『出費はできるだけ抑えましょう』
『文句を言うな。一刻を争ってんだ。金がどうこういっている場合じゃねえ。それに・・・・』
『・・・・それに?』
『一人分の料金で乗れるだけマシだ』
『確かに』
都市の上空で、何羽もの大きな鳥が円を描くように飛んでいる。
そのうちの一羽が声を上げた。
遠くまで響く、高く美しい声だった。
そして鳴き声は他の鳥の鳴き声を誘った。
美しい声は、いくつも重なって、もはや煩わしく感じるようになる。
だが、鳥達はだんだんとある一ヶ所のエリアに集まり始める。
何羽もの鳥が、ある一定の場所で円を描いている。
まるでそこに何かがあると示しているように。
都市リガータの中央部のはずれ。ただでさえ大きな建物が多い中、その中でも一際目を引く建物があった。
立派な門には警備も付いている。
『警団院 リガータ支部』
門には、そう書かれていた。
鳥の声が響いている。
厳かに豪華な建造物。関係者があわただしく行き交う大理石で作られた廊下を進む。
最上階。都市の中心を向いた部屋。一段と豪華な両開きの扉には、『支部長室』と書かれていた。
中に入ると、いかにも高価そうな机と、客用の巨大なソファがあった。
扉から入って正面の壁は、一面がガラスで作られていた。おそらくは強化ガラス。
その部屋からは、都市リガータの中央部を一望できるようになっていた。
一人、初老の男性が、そこから都市を見下ろしていた。
脇には、秘書らしき女性も立っている。
初老の男は、手を後ろで組み、鳥達が騒いでいる辺り、リガータの東の郊外をじっと見つめている。
その表情からは、自身への経験と実力の自負からなのか、並みの戦士の域を軽々と越えた気迫が伝わる。
「まねかれざる客か。久しぶりだ。それにあの空子の数、只者ではない」
「”処理係”を向かわせます」
「うむ。あの地区の担当は誰か?」
「ウルヴァ、イリアス組です」
「ふむ。そやつらでは、ちと、役不足かもしれん。ヴィンカー、ジーフ組はあいているか?」
「あいていますが、彼らは本来中央部の・・・・」
「かまわん。向かわせろ」
「承知致しました」
そう言って秘書は支部長室を後にした。
しばらくして、中央部の上空でも、一羽の鳥が鳴いた。
「おや、もう一匹か。・・・・嫌な予感がするの。どれ、久しぶりにわしが――」
そうつぶやいて、男も部屋を後にした。
馬車を降りる。
そこは、郊外とはもはや別世界だった。
石畳を行き交う数え切れないほどの馬車。その間を縫うように大勢の人々。
さすが、警団が置かれるほどの都市は違う。
『それで、どうするんだい?』
『どうって、”探す”んだよ』
『探すって、もうコントロールできるのかい?』
『まだ不完全だが、ものは試しだ。使わないと意味が無い』
『ごもっとも』
すぐ前方に広場がある。ベンチがあり、噴水がある。
そこでは多くの人々が、短い休息を取っている。
広場まで歩いて、開いているベンチに鞄を置く。
一度深呼吸して、黒レンズを左にだけはめた特注の眼鏡をはずす。
目を瞑る。
意識を左眼に集中。一切の視覚情報を左眼に任せるように。
そして、右目は閉じたまま、あの日以来紅く変色した左目だけを開く。
ドクン。
周りの音がだんだんと小さくなっていき、自らの鼓動の音が大きく聞こえる。
開いてすぐに左目は痛みを発してきた。
眼から内部へと、刺すような痛み。
視界の方も、まだ色覚障害が酷い。まともには何も見えない。
それはほぼ漆黒に近い。
目の前にかざした自分の手が、何とか薄ぼんやりと見えるくらいだった。
開いて数秒。もう痛みが増してくる。
『急いで。開いていられる時間は、僕の予想だと最高でも三十秒だよ』
『分かってる』
落ち着け。そう自分に言い聞かせる。
ゆっくりと、俺は周りに目を向ける。急激な視界の変化による負荷にはまだ耐えられない。
ゆっくりと。
西から北へ。時計回りに角度を変えていくが、何も見えない。距離が遠すぎるのかもしれない。
と思ったそのとき。
北から東へと変わっていくと、眼の端に赤い霧のようなものが見えた。
『見つけた!』
それはおよそ真東。血のような赤い靄が微かに漂ってくる。
俺は左目の力を解除する。
眼鏡をかけて、再び眼を開ける。
しかし、急に視界が揺らいだ。立っている状態を保てず、俺は不恰好に倒れた。
周りからの視線が集まる。
『あー、すまねえ』
『なぜ謝るんだい?”反動”には僕も耐えられなかったよ』
俺はまだ微かに揺らぐ視界の中で何とか立ち上がり、鞄を持ち直して走る。東へ。
丁度そのとき、俺の上空で一羽の鳥が、高く美しい声で鳴いた。
警団院前。
曇天の下、大きな建物から二人の男が姿を現した。
一人は大柄の男。いかにも凶暴粗悪といった顔立ちだった。手をポケットにつっこみ、煙草の煙を吐きながら歩くその男の背中には、黒い布に包まれた二本の棒状のものが交差して背負われている。その姿はまるで巨大な十字架を背負うようだった。
もう一人は、大柄の男の後ろに控える、褐色肌の細身の男だった。
こちらは大柄の男とは打って変わって、冷静沈着と言う表情。
短い白髪の髪と、その隙間から見える先端の尖った耳から、エルブ人であることが分かる。
この男も、大柄の男の背中のものと同じものを、こちらは一本だけ背中に刺している。
「ハッハッハ!久しぶりの獲物だ。ワクワクするなあ、ジーフ」
「今回の獲物は強敵だとアギマ支部長本人からのお言葉です」
「そうでなければ面白くない。すぐに東へ・・・・ん?」
大柄の男と、ジーフと呼ばれたエルブ人が丁度門を出た時、中央部の上空でも一羽の鳥が鳴いた。
「もう一匹!?聞いていません、今すぐ確認を――」
「いやいい」
ジーフの言葉を遮って大柄の男が続ける。
「今日は運がいい。最近は退屈してたところだ。しかし、いきなり中央部に現れるとは、虚仮人か?まあいい。他の連中が向かう前に俺達で処理しちまおう。いいな?」
「マスターがそうおっしゃるなら」
「東のはお前に譲る。俺は中央の奴を倒してからそっちへ向かう」
「了解」
「じゃあ、あとで会おう」
そう言って、大柄の男とジーフは別々の方へと歩き出した。
「は、は、はぁ・・・・ち、きしょう」
俺たちは大通りを東に向かって走り出したが、それから十分と経たずに、俺は走り続けることができなくなり、壁にもたれてうずくまってしまう。
さっきから汗が止まらない。
頭が割れるように痛い。
左眼の激痛が止まない。
吐き気がおさまらない。
『これ以上無理な運動は危険だ』
『この眼は代償が大きすぎる。ろくなもんじゃねえ』
『眼を開いていたのは、僕の目算で二十三秒。初めてにしては上出来だよ。にしても、少し休憩が必要だね』
『馬鹿言え。休憩なんていらん。またすぐに出発だ』
『無理だね』
『ああ?』
『落ち着くんだ。僕は医者だ。それにこのまま”奴”と対決したって、勝てるわけが無い』
『・・・・』
『幸い、そこの角を曲がれば病院がある。ひとまずそこに行こう。後は僕が』
『おい、つっても体はもう酷い状態――』
僕は吐き気と頭痛と眼の痛みに耐えて立ち上がる。
相当発汗している。水分も必要だ。
『おい、大丈夫か?』
『言ったよ。僕は医者だ。そして同時に今この段階では患者だ。こんなにも治療がやりやすいケースなんてないよ』
『まいったな』
僕は歩き出す。
体を動かすごとに不快感は襲ってくる。
僕は壁に手をついて体を支えながら、少しずつ進んでいく。
角を曲がって、大きな病院に着いた。
中に入る。
中は、さまざまな患者で混雑していた。最も、これくらいの規模になれば混雑していない方が珍しい。
受付まで行き、A級医師の証明書を見せる。
「急患なんだ。いくつか頂きたいものがある」
受付の看護士は、慌てたように奥へと案内してくれた。
他の看護士が、手の空いている医者を呼んできた。
胸の証明書を見る。C級の文字。看護士が慌てたのも当り前だ。A級医師なんてこの世に数えるほどしか居ない。
ましてS級になると、歴代でも両手の指で足りてしまう。
一番奥の普段は使われていない診療室を借りる。
医師には、必要な薬品名を数種伝えて、薬品室に取りに行ってもらった。
その間、僕は近くにいた看護士に氷嚢を頼んだ。
近くの水道から水をコップに数杯飲む。
すぐに看護士が氷嚢を持ってくる。受け取って礼を言う。ここの看護士は対応が早い。良く教育されている。
僕は白衣を脱いで、氷嚢を額から前頭部にあててベッドに横になる。
しばらくして、医師が薬品を持ってきた。
礼を言って受け取り、調剤器具を借りて、自分で薬を調合する。
手が震え、思うように作業ができないが、なんとか即席の鎮静剤を作る。
それを自らの腕に注射し、また氷嚢を当てて横になる。
『五分もあれば、大分回復すると思うよ』
僕が作ったのは、僕らの特異な体質を計算に入れた、通常とは異なる分量で調合した特性の鎮静剤。
普通の人間には危険な薬だ。
一時的な回復かもしれないが、それでも今は十分だろう。
「・・・・あの、スカルヴァ・スースヘル先生ですよね?」
脇に居た医師が目を輝かせるように、それでも恐る恐る声をかけてきた。
この名前は、医学界でも、やっぱり有名だった。
「そうだよ」
「やっぱり!カルカス校の歴史の中でも、あなたは有名ですから。史上最年少にしてS級医師への期待が高まる中、突然の現役引退。そして行方不明。医師の間では、あなたにまつわるさまざまな推測や噂が飛びかっていますよ」
「すまないけれど、今は静かに体を休めたいんだ」
「え?・・・・あ、はい。すいませんでした」
本当に悪いけれど、今は世間話なんてしていられない。
五分後、汗も引いて、一時的にだが痛みもほとんど消えた。
僕は立ち上がって、氷嚢を看護士に返し、使わせてもらった薬品分の料金を払う。
医師は受け取ろうとしなかったが、理由も喋らずに随分と図々しいことをしてしまったので、勝手に置いてきた。
まあ、A級特別割引を使って、タダ同然の格安価格だったのだが。
『出費はできるだけ抑えろよ』
『はいはい。でも本当に悪いくらいの値段だった』
俺は外へ出てまた東へと走り出す。さっきと同じ体だとは思えないほど軽くなっていることに驚いた。
遥か上空で鳥が鳴いた。
東へと走り続けて、人通りも大分少なくなってきた。
奴はおそらく中央部東端にいる。
背の高い建物に挟まれた、広いが陽の当たらない道。
前方、建物と建物の間から一人の男が歩み出てきた。
両手をポケットにいれ、煙草をふかしながら道の真ん中まで来る。大柄な男だ。
俺の疾駆は止まらない。腰のダブルエッジ、カザフに手をかける。
そしてそのまま男との距離は縮まっていく。男は退かない。
男との距離が三メートルほどになったとき、男の手がポケットから出された。
俺がカザフを抜き取るのと男が背中に手をかけるのは同時だった!
そして交錯。甲高く響く金属音と共に俺と男はすれ違い、互いに背中を向けている一瞬。
俺は鞄と白衣を放って同時に体を半回転、その遠心力を使って後ろの男へと水平に刃を走らせる!
二度目の金属音。今度はより甲高い音だった。
渾身の一撃が、相手の下段から突き上げる刃と激突し、両者共に弾かれる。
さらに両者は大きく後方に跳躍、距離をとる。
大柄な男が手に持つのは、警団専用武器スラッシャー。
最高級鉱石で作られたその剣は、威力抜群、強度も相当なもので、質量も驚くほど軽い。さらに、柄の左右に刃が生える両刃の剣だった。
そんなスラッシャーを独自の技術で自在に操る警団剣術は相当の脅威だ。
「その剣。あんた、スカルヴァ・スースヘルだろ?」
「答える義理は無い。貴様、警団こそ、一体なんの用だ?」
「俺の名はヴィンカー。そう呼んでくれ」
「質問に答えろ。なんの用だ」
「ハッ、まさしく愚問だな。・・・・警団に向かって、”なんの用だ”だと?」
俺の鼓動が跳ね上がった。そうだ。奴は警団。目的は一つ。”仕事”だ。
仕事の内容は・・・・虚ろの人の駆除。
「四つ牙ともあろう者が。”喰った”な?」
ヴィンカーの周りに、さっきまでとは比にならない殺気が混じる。
俺の心は、深い暗闇の中に堕ちていった。
『とうとう、俺自身も・・・・』
『”侵蝕”は僕の予想よりも早いようだね。まあ、いずれはそうなることだから、覚悟はしていた』
『・・・・ああ、俺等はもう客観的にでさえ、”純粋な人間”ではなくなってしまった』
俺は途方も無い喪失と不安の中、それでも目の前の敵、ヴィンカーを見た。
その眼はおそらく酷く虚ろなものだったに違いない。
俺はカザフを腰に戻す。
「東には、さらに強大な何かがいる。そっちはいいのか?」
俺は尋ねた。その声は自分でも驚くほど低いものだった。
「東には俺の弟子が行ってる。心配しなくとも、東のと一緒にあの世へ行けるんだ。寂しくないだろう」
「弟子とは、一人か?俺も奴を追ってきた。奴は強い。とても一人で太刀打できるとは思わない。都市民のためにも、東のを先に処理すべきではないのか?」
「ハッ。何が都市民のためだ。俺達は”守る”んじゃない。”戦う”んだ」
「やはり貴様も所詮”警団”か。ただの戦闘狂だ」
「いい言葉だ。俺は強い奴と戦いたい・・・・それが”人間”だろうと”虚ろ”だろうと、 ”そのどちらでもない者”だろうとな!」
その言葉が戦闘再開の合図だった。
俺は肩からアマサメを抜き、疾走に移る。
ヴィンカーが間合いに入った瞬間上段から渾身の打ち下ろし。
奴も斜め下からの突き上げる太刀で受ける。
金属音。両者のあまりの力に、一瞬火花が散る。
しかし勝敗は付かない。両者の腕が弾かれる。
すぐに次の攻撃に移ろうとしたが、次の瞬間には、すでにヴィンカーの攻撃が迫っていた!
なんと、弾かれた力をそのまま利用し体を高速回転、反対側の刃で水平に斬りつけて来た!
何とかアマサメを正眼に持ち直して受け、そしてそのまま流す。
しかし、奴はさらに体を回転、同じ要領で、さらに反対側の刃が飛んでくる。
大きな体のわりには驚くほど身軽な体だった。
俺はまたも受けることで精一杯だった。
しかし受けるだけではヴィンカーは止まらない。
回転の中から無限に繰り出される刃。防戦一方だ。
さらに回転からの斬撃かと思いきや、ヴィンカーの体は急停止し、代わりに上段からの一撃!
フェイント!一瞬の気を取られ、十分な受けができない。
金属音の後、俺の腕は弾かれる。奴の邪悪な笑み。
振り下がった腕がそのまま急上昇、反対の刃で切り上げてきた!
アマサメでは間に合わない!
しかし、俺の左腕は腰のカザフの柄をしっかりと握っていた。
更なる金属音。奴のスラッシャーは、鞘から半分ほどしか抜かれていないカザフの刀身で、間一髪受け止めることができた。
ヴィンカーの驚愕の顔と共に一瞬の停滞。俺は見逃さない。
カザフを抜き取る瞬間から、すでにアマサメは奴の首目がけて走っていた。
勝った。そう思った瞬間。
東の鳥達が高く高く、けたたましいほどに鳴き喚きだした。
それと、俺が凄まじいほどの虚ろの気配を感じ取ったのは同時だった。
あまりの気に肌が痺れる。
アマサメは急停止。ヴィンカーも異変を察知したのか、俺から大きく跳躍し後退する。
奴だ!おそらくヴィンカーの弟子やらとの戦闘が開始された!
急がなければ!
そして、東の上空の鳥達が、突如飛ぶことを止めたように次々と落下していった。
おそらく、奴の気に耐えられずに失神したのだ。
「分かったろう、ここは一時休戦だ。まずは奴をなんとかする」
俺の言葉に、ヴィンカーもうなずいた。
二人は疾走を開始する。
「ジーフ、俺が行くまで耐えるんだ」
後ろから、ヴィンカーの声が微かに聞こえた。
「見えた!」
中央部のはずれ、建物も大分少なくなった角を曲がると、そこは小さな広場だった。
そこに見える影は二つ。しかし、その光景は悲惨なものだった。
ガラン。ヴィンカーの弟子と思われるエルブ人が持っていたスラッシャーが石畳に落ちた。
そしてエルブ人は自らの腹部へと、ゆっくり視線を移した。
エルブ人のすぐ目の前に、鎌を背負い、濃い茶色のローブを深々とかぶった”奴”がいた。
そして奴の両手に握られた短剣の一つが、深々とエルブ人の腹部に突き刺さっていた。
エルブ人は自分の腹に震える手を当て、そしてべっとりと付着した血を見た。
体全体が痙攣し始めている。
「ジィィィィィィフ!!!!!」
遅れてその光景を眼にしてヴィンカーの絶叫。
その声に、ジーフと呼ばれたエルブ人がこちらを向いた。
その表情から、ヴィンカーは何を読み取ったろう。
悲しそうな、そして晴れやかな、しかし無念の笑み。
『まだ助かる!!』
俺が疾走に移ろうとした瞬間だった。
奴はジーフの腹部から短剣を抜き取り、その体を回転、なんと再度、今度はジーフの胸部に短剣を突き立てた!
そしてすぐに抜き取り、俺達の姿を一瞬だけ眼に止めて逃げるように去った。
ジーフは倒れた。
その残酷非道な行動に再び立ち尽くしていた俺を追い越し、ヴィンカーがジーフの元へ駆けつけた。
力なく横たわる体を起こし、何かを叫んでいる。
奴の方を見ると、広場のはずれに建てられた教会へと入っていった。
僕はゆっくりと、広場中央の師弟へと向かう。
彼らの会話は終わっていた。
ジーフの眼は閉じられ、ヴィンカーの眼からは雫が垂れた。
僕は血が着くことを気にせず、ジーフの体に穿たれた二つの穴を触る。
「複数の主要臓器が裂かれている。酷なことだけれど、どの道、助からなかった・・・・」
それはわざわざ僕が言う必要もなく、ヴィンカーには分かっていただろう。
「ジーフには、俺の持てる全てを授けた。自慢の弟子だった・・・・」
俺は立ち上がった。
「奴はあの教会へ入った。俺は行くぞ」
「・・・・待て。奴は俺が殺す。貴様は何もするな」
ヴィンカーはゆっくりとその弟子の体を寝かせ、立ち上がった。
弟子との別れを悔やむ時間は短かった。ヴィンカー自身、その時間が無駄極まりないということを知っているのだ。
しかし俺はぐっと飲み込んだ。ヴィンカーの戦闘力を持ってしても、奴に敵うかどうかと言う言葉を。
俺達は歩き出した。教会へと向かって。
教会の厚い扉が渋い音を立てて開いた。
中は広かった。正面一番奥に、聖人の大きな像があった。そして、広い間隔で並ぶ長椅子。床は、自らの姿が映りこむほどに磨かれていた。
戦うには十分すぎる空間だった。
そして、聖像の元。そこに、”奴”がいた。
深いローブに、顔まではっきりと識別できない。が、その手に持つのは、よく見ると、短剣としては長く、剣としては短い、えらく中途半端な長さの武器だった。
奴は両手に、逆手で持っている。
さらに、その体から発せられる鬼気に、驚かずに入られなかった。
ヴィンカーも同じく。そしてヴィンカーは感じただろう。戦いたくないと。
だがヴィンカーも、奴に勝るとも劣らない、恐るべき殺気を放っていた。
「いいか、絶対に手を出すな。その時はお前も殺す」
そして背のスラッシャーを取って構える。
同時に、奴も戦闘体勢を取った。
「うおぉぉぁぉぉあああ!!」
ヴィンカーが叫びと共に疾走。
間合いならヴィンカー方が有利。奴の数メートル手前で高速回転、そのまま奴へと強烈な水平の薙ぎが繰り出された。
だが奴は音速の速さで身をかがめる。数ミリ上をスラッシャーが駆け抜け、その直後奴が間合いを詰める。
身軽な体から恐ろしい速度で攻撃が繰り出される。短剣故のスピードだった。
接近戦ではヴィンカーに不利だ。
ヴィンカーもスラッシャーを目の前で自在に回転、奴の音速の攻撃を何とか受けるが、そこから攻めることができない。
後方へ跳躍、距離を取って一度仕切りなおす。
そして互いに間合いを測り、また刃の嵐がはじまる。
俺は手を出すなと言われたが、脇の長椅子に鞄と白衣を置き、アマサメを抜く。
『一応聞いとく。”薬”は使えるのか?』
『一応完成はしたよ。腰の保護ポーチに入れてある』
『いざとなったら使うぜ。と言っても、おそらく使うことになりそうだ』
『じゃあ簡単に説明するね。液体だから、服用方法はそのまま飲むだけ。一回につき一本。これは絶対。薬の効果が具体的に何分保つかは分からない。確実なのは、一時間は持たないということ。それ以上続けたら体がバラバラになってしまうから。さらに、本当に必要な時以外使用しないこと。この薬を使えば、体に超負荷がかかる。効果がきれた時の反動がどれくらいのものかはまだ分からない』
『ふん、俺が一番知りたいことを意図して語っていないな』
『やっぱりバレた?』
『当り前だ。ずばり聞く。効果のほどは?』
『僕が保証する』
『その言葉を待っていた』
右腰の保護ポーチを見る。そこには、厳重に封のされた短いフラスコのようなものが数本収まっていた。
よし、俺の戦闘準備は整った。
改めて前方の戦況を見る。
しかしこの僅かの時間で、もはや勝負の行方は見えていた。
ヴィンカーの戦闘力は、恐るべきものだ。奴の動きを見切るのに、かなりの手間を要する。
おそらく、このリガータ支部警団でもトップクラスの者だろう。
しかし、奴には勝てない。
徐々に徐々に押され始め、ついにそれは覆ることのないほどにまで達している。
いかん!
俺は走る。すぐに腰のカザフも抜き取る。
「くっ!?」
奴の高速の斬撃に、ヴィンカーの受けが追いつかなくなった!
ヴィンカーのスラッシャーが弾かれ、がら空きとなった腹部へ奴の短剣が走る!
ヴィンカーも死を覚悟したろう。その表情には一瞬、あきらめと悲しみ、そして圧倒的な無念の色が浮かんだ。
しかし。
短剣がヴィンカーの腹部を突き刺す直前、鋭い金属音。
奴の短剣は寸でのところで俺のアマサメに阻まれ、ヴィンカーのみぞおちにカザフの柄が叩きつけられた。
苦痛に体を折ったヴィンカーの延髄をさらにカザフの柄で打つ。
ヴィンカーの意識は途絶えた。悪いがいかに警団といえど、半日は動けまい。
俺は力でアマサメを振り切り、奴を引き離す。
そして、ヴィンカーのでかい図体を担いで、少し離れた長椅子へと下ろす。弟子を屠られたことがよほど心を傷つけたのだろう。意識を失ってもスラッシャーを持つ手は、しっかりとそれを握りしめていた。
そして俺は奴と対峙する。
両の手にアマサメとカザフを提げながら。二本を同時に扱うのは久しぶりだ。
「”四つ牙”」
奴がはじめて言葉を発した。それは驚くほど感情のない、鋼のような淡々とした声色だった。
「俺を知っているのか。光栄だな。こちらも、是非あんたの名を聞きたい」
「ディーゴ」
奴は、固い声のまま即答した。そして続ける。
「ディーゴ・ザ・アヌビン」
「ディーゴ、覚えたぜ。これで心置きなく戦える」
俺は二本の、そして四本の刃を構える。
すると、ディーゴは背負う鎌を背中から外して近くの椅子へと突き刺し、その深いローブを取り払った。
伸縮性に富んだ膝までのショートパンツと、そして裸の上半身と言う格好だった。。
その上半身には、見るも無惨な、多数のそして多種多様な傷跡が埋め尽くしていた。
灰色の髪の毛に、その顔は驚くほど美しいものだった。
しかし、同じく灰色のその眼は、感情と言うものを少なくとも見た目には全く含んでいないようだった。
ディーゴは胸の前で腕を交差させる。
軽い金属の音と共に両の手首から手の甲へとかけて装備された装置から、それぞれ二本の、手の甲に垂直な爪が飛び出した。
もちろん手には短剣も持っている。
ディーゴの両手には、合計六本の鋭い刃。
「四つ牙スカルヴァ・スースヘル。相手にとって不足は無い」
俺の頬を汗が一筋伝う。
「刃が多けりゃいいって考え方か?まあ俺が言えたことじゃねえが」
ディーゴが構える。
「行くぞ」
ディーゴの言葉を合図に、二人は同時に駆け出した。
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