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020198
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先生、大好き☆
真弓は心の中で深いため息をつきながら、黙々と問題集に取り組んでいる和広に言った。
「そのページで、分からない所、ある?」
「・・・・・・・・・」
無反応。
「もし、あったら聞いてね。」
「・・・・・・・・・」
まるで真弓などいないかのように振舞う和広。
高校二年になって家庭教師のバイトをすることにした真弓の、初めての生徒が和広だ。
いささか子供っぽい真弓は、中学二年とは思えないほど落ち着いていて背も高い和広と並ぶと、同級生に見られてしまう。
和広は、真弓に何も話さない。
真弓だけでなく、母親にも父親にも何も話さないそうだ。
学校にも行っていない。その割にはとても優秀な生徒だったが。
問題を解き終わった和広が、無言で真弓にノートを渡す。
全問正解。
「すごいわね。全部あってる。」
和広は無言でノートを取り返すと、部屋を出て、階段を下りていった。
真弓はため息をついて荷物をまとめる。
一階に下りると、和広の母親がかけてきた。
「ごめんなさいね。あの子ったら、何も言わないで。」
「いえ、いいんです。」
「ありがとう。あの子をよろしくね。」
「はい。お邪魔しました。」
「お疲れ様。」
和広の母親に見送られて和広の家を出る。
角を曲がってから、真弓は思いきりため息をついた。
ストレスが溜まる・・・。まったく、何なのかしら、あの子。
でも、あの母親のことを考えると、止めたいとも言い出せない真弓だった・・・。
学校が終わるのが憂鬱でたまらない。
もちろん、和広の家に行かなければならないからだ。
真弓はのろのろと帰り支度をして、のろのろと学校を出た。
少し寄り道して行こうかな・・・・。
でも、あまり時間がない。
結局、真弓は和広の家の近くの小さな公園で少し休憩をすることにした。
その公園に入ると、驚いたことに、和広の姿があった。
一人で、ベンチに座っている。
真弓は、和広がいるベンチから一番遠いベンチに腰掛けた。
しばらくぼうっとして、ふと和広のいる方を見ると・・・和広は、ポケットから取り出したライターで、口にくわえたタバコに火をつけるところだった。
真弓の目を引いたのは、タバコでも、ライターでもなく、和広の表情だった。
いつも無表情な和広が、感情を表に出している!
それは、とても痛々しい表情だった。
真弓は思わずベンチを立って、和広の方に近付いていた。
「和広君、こんにちは。」
「・・・・・・・・・」
和広は少し驚いたように真弓を見上げたが、気にせずタバコを吸い始めた。
「ここ、座ってもいい?」
「・・・・・・・・・」
真弓は構わず和広の隣に座った。
「タバコっておいしいの?」
真弓が聞くと、和広はとても低い声で言った。
「何か用?」
それは、真弓にかけられた初めての和広の言葉だった。
「用ってわけじゃないけど。たまたまここに来たら和広君がいたから、何してるのかなって思って。」
「・・・・・・・・・・」
和広は何も言わずに立ち上がると、さっさと公園から出て行ってしまった。
時間になって、真弓は和広の家に行った。
「いらっしゃい。真弓さん。和広は部屋だと思うわ。」
「はい。お邪魔します。」
真弓は和広の部屋のドアをノックした。
返事はない。
「いないのかな・・・。和広君?」
真弓はドアを開けた。
風が吹き抜ける。部屋の中に和広の姿はない。
「窓、開いてるのかな。」
和広の部屋からはベランダに行けるようになっている。
真弓は風になびくカーテンをめくってみた。
和広は、ベランダにいた。
もっと正確に言えば、ベランダの手すりの向こう側に。
「・・・和広君?・・・なに、してるの・・・?危ない、よ。」
和広はめんどくさそうに真弓の方を見た。
真弓がベランダに出ようとすると、鋭い声でピシャリと言い放たれた。
「来るな。」
真弓は電気に打たれたように、その場から動けなくなった。
「・・・和広君、危ないよ?」
二階とはいえ、この家は高台に建っているし、下はコンクリートだ。ここから落ちたら怪我ではすまないだろう。
「目の前で人が死んだら後味悪いっすよね。知らなかったことにすればいいでしょ?」
「・・・そういう問題じゃないよ・・・。」
「じゃ、どういう問題?」
「どうして・・・?どうして、死のうとしたりするの?」
「あんたなんかには、絶対わからない。・・・俺、先生って人種が一番キライなの。」
「・・・私、別に先生じゃないよ。」
「あっそ。じゃあ聞くけど、あんたにわかる?親に異常だって目で見られる気持ちが。あんたにわかんの?」
「え・・・・?」
「俺さ、明後日病院に連れてかれんの。精神病院ってやつ。」
「・・・どうして?」
和広は肩をすくめた。
「大人から見ると異常なんじゃない?何も話さない、学校にも行かない、一日中部屋にこもりっきりの俺って。」
「・・・そんなことないよ。私、大人ってわけじゃないけど。」
「そりゃ、この状況じゃそう言うしかないっすよね。下手に刺激して飛び降りられたら面倒だし?」
「そんなんじゃないよ!・・・それはさ、家庭教師に来て、大変だなって思ったけど。だって、和広君何も言ってくれないから。でも、それと異常っていうのは違うと思う。何も話さないのは、誰も信じてないからでしょ?信じさせることもできない、周りの人間にも責任あると思う。」
「・・・それって、本気で言ってる?もし、こんな状況じゃなくて、例えば、授業の時に俺が同じこと言っても、そう言ってくれた?」
「当たり前でしょ。私の意見だもん。」
「・・・・・・・・・・・」
和広は、じっと真弓の目を見た。
「和広君、お母さんに、私から話してみようか?わかってもらえるかわからないけど・・・。」
「いいっすよ。別に。」
和広は軽々と手すりを飛び越えて、手すりのこちら側に来た。
真弓はほっと息をつく。
「よかった。」
「・・・目の前で飛び降りなかったから?」
「バカ!!」
真弓は思わず叫んでしまっていた。
「・・・・・・・・・」
和広が驚いたように真弓を見る。
「・・・えっと・・・・・ごめんなさい。」
「・・・入りましょう。寒いから。」
和広が言って、二人は部屋の中に入った。
真弓は何を言っていいかわからなくて、本棚に入っている辞書を見つめていた。
「・・・勉強、しないの?」
「え?ううん。」
真弓は慌ててバッグからプリントを出す。
「・・・いつも思ってたけど、このプリントって手書きだよね?あんたが書いてんの?」
「そうだよ。」
「ふうん。・・・・字、キレイっすね。」
「・・・あ、ありがとう。」
今日はなんだかチグハグな教え方をしてしまったけど、仕方ないと思う。
家に帰って、真弓は、いつも重荷に感じていた家庭教師のバイトを、楽しみにさえ感じている自分に気がついた。
次の日、和広の家に行くと、なんと門の前で和広が待っていた。
「先生、遅いっすよ。」
「え?まだ時間じゃないでしょ?」
和広は真弓の腕時計を覗き込んだ。
「止まってますよ?時計。」
「あ、ほんとだ!!ごめんね、和広君。」
和広は楽しそうに笑った。
「いいっすよ。早く行きましょ!」
そう言って、真弓の腕を引っ張って家の中に入る。
「お邪魔します。」
真弓の声に、和広の母親が出てくる。
「いらっしゃい。和広は出かけて・・・・・・・・」
言葉の続きが消えたのは、真弓の腕を引いて階段を駆け上がる和広を見たからだろう。
部屋に入ってイスに座ると、和広はいろいろ話してくれた。
小学校の時は、学級委員をしていたこと。
クラスに、平気で他の生徒を傷つける生徒がいたこと。
友達に泣きつかれて、先生にその事情を話したこと。
名前を出さないように頼んだのに、名前を出され、その生徒に恨まれたこと。
そして、クラス全体から外されるようになったこと・・・。
そして、真弓のことも聞きたがった。
「ね、先生。名前何ていうの?」
「ひどいなあ。私、最初のとき自己紹介したよ?」
「聞いてませんでした。興味なかったっす。」
「もう・・・・。友池真弓。」
「歳は?」
「高校二年。」
「へえ。同じぐらいかと思ってたっす。」
「三つも違うよ!」
「違うっす。」
「え?」
「三つも、じゃなくて、三つしか、ですよ。」
和広はそう言って、にっと笑った。
真弓は、思わず見とれてしまって、慌てて目をそらした。
「ね、先生。彼氏いんの?」
「余計なお世話!」
「いないんだ。」
「・・・・・・・」
「図星。ね、俺がなってあげるよ。」
「何言って・・・!」
真弓は、そこまで言って固まった。
和広が、どんどん近付いて来て・・・。
真弓がやっと思考を取り戻したのは、和広の唇が離れた後だった。
「・・・・・・!!」
「高二のくせに、免疫ないんすね。」
「バカ!!」
和広は真っ赤になった真弓を見て笑う。
「でも、逃げなかったってことは、期待しててもいいんでしょ?」
「・・・・・・・・・」
「俺さ、先生って人種は一番キライなんだ。一番好きなのはね・・・・」
和広は真弓の耳元に口を寄せてささやいた。
「友池真弓って人間。」
真弓の頬がまた真っ赤に染まる。
「先生、大好き☆」
真弓は、和広のペースにすっかり流されていたが、自分の意思はしっかり持っている自信があった。
この生意気な生徒のことを、もっとよく知りたい。
誰も知らない和広を、もっと見たい。一番近いところから・・・。
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