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どの子も
出産の時の記憶はハッキリしてる。
2番目は2つ違いで
絶対に女の子が欲しかった。
当時は
「男女の産み分け」や「立ち会い出産」「うつ伏せ寝」
がマタニティ雑誌で取り上げられてた。
ネットのない時代、24歳の未熟ママは飛びついた。
産み分け方法は2つ。
タイミングと食事。
どっちも実行できたのか?
女の子を授かったけども
今思えば烏滸がましい考え方。
若くて健康で すぐ妊娠する
と思っていたし
予定通りの妊娠と出産を迎えた。
立ち会い出産が可能で
夫の実家にも自宅にも近い
ベテラン医師のいる病院を選択。
当日は早朝に産院へ着くも
すでに
分娩台に初出産のAさんが
長い陣痛で喚き散らしていて
なだめられていた。
2番目に第二子出産の私が分娩台へ
次に
3番目に第三子出産のBさんが分娩台に。
3人ともあまり時差なく生まれそうなのに
医者の母堂様の危篤?で医師不在で
夜勤のナースだけでは手が足りず
早出してきたナースと分娩室はてんやわんや。
緊急依頼した医師が到着した時には
すでにBさんは いきみ始めてて
産道全開状態。
もう私もいきみたくてたまらない。
医師の白衣を羽織っただけで
直ぐに出産体勢に。
あっと言う間にBさんのベビー誕生。
先生は会陰の縫合もあるし
産後処置やら赤ちゃんの産湯やら
ナースが3人しかいないのに
私もいいみたいよ〜!ってことで
何回かいきんだら生まれてきた。
エッ?もう出てきたの?
ってくらいスルリと。
ガマンの時間の方が長かった。
Bさんとの時間差は15分程度。
初産のAさんはまだ唸ってたけどね。
そんなわけで
立ち会い出産は不可能となり
病室で待ってた夫は
生まれたての長女と対面して
ずーっと「可愛いね」と
小さな手を撫でていた。
あれからもうすぐ36年。
長いな〜。
なのにハッキリ、くっきり覚えてる。
予定日は9/8だったから
息子と同じで遅れて生まれてヤキモキしてた。
こんなに残暑も厳しくなかったよね。
息子の時みたいな陣痛の記憶もない。
末娘のときは4年空いて
陣痛から覚えてる。
間が空くと出産も辛くなる。
お産だけなら年子は楽なんだろうな〜
と思ったもの。
出産の思い出はいつも懐かしく
嬉しい記憶ばかり。
会陰切開の後の痛みと
子宮収縮の痛みで眠れないくらいキリキリしたのも思い出した。
詳しく話したら
きっとお産したくなくなるから言わない。
生まれたてで
すでに名前も決まってた長女。
全部、夫と2人でやってきたこと。
若い2人だけどしっかりしてたな~
なんて思う。
その後の3人の子育ての大変さは
夫がいても
もう一度はできないよ。
遠い異国の地にいる長女。
メッチャクチャ物価の高い国だから
いつ訪問できるのか不明だけど
行ってみたい。
つつがなく幸せに暮らしておくれ
と願うばかり。
愛猫は今日も元気だよ。