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2005年10月11日
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カテゴリ: 真宗
私は本山のお朝事にお参りして楽しみにしていることがある。それは門首さんの念仏を聞くことだ。いいんですこれ。私が所属する真宗大谷派の門首は聴力に障害を持っておられる。だから自分の声を聞くことができないため声を発生することも容易ではない。聴力に障害がある人がしゃべるには本当に大変なトレーニングをしなければいけないと聞く。門首さんはいつも一生懸命念仏を声に表現されている。それが非常に心に響く。門首という先入観、障害者であるという特別視があってそう思うのかもしれない。そのことは自分の中で問わなければいけないことなのだろう。
昨日の井波別院の御遠忌の御満座で表白を読まれていた。正直今回は何を言われていたのかわからなかった。ほとんど聞き取ることができなかった。でも何を言われようとしているのかわかりたくなる。聞き取ることが困難だからこそ聞き取ろうとする。もしかすると普通に喋れる人がしゃべっていてもそんなに真剣に聞き取っていないのかもしれない。
一方こんなことも思った。耳が聞こえない門首さんに表白を読んでもらう必要があるのかと。気の毒に感じる。ある意味門首さんの「障害」を隠したいという思いも涌いてきたということなのだろう。ちょっと話は変わるけど、誰か「障害」を障がいって表現されていた。そうだよね、害ではないよね。害だと思っているのは私達健常者だけなんだから。…
「障害」を持っておられるからこそ、門首さんは一生懸命発声されているのだ。それに私は胸を打たれる。その一生懸命さに反応して私も一生懸命聞こうとするのだ。「障害」から生まれでてくる一生懸命さに響き、感じたものも共鳴していく。害ではない。宝なのかもしれない。少なくても大切なものなのだろう。大切なことを考えていく始まりとなるのだろう。考え続けていける力、働きなのだろう。どんどんトーンが落ちていく私なのだ。「障害」を美化しすぎといわれそうな気もする。





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最終更新日  2005年10月11日 05時42分29秒
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