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2006年01月06日
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カテゴリ: 真宗
突然「枕勤めに来てほしい」という連絡があった。はじめていく家であった。20歳後半の男性がお亡くなりになられたようだった。家族の方の同様が激しく、子音を聞くという行為が出来なかった。
その一族にはちゃんとお手次ぎのお寺があるので、「法話」というものをする機会が作れないので、友人のアイディアを拝借して、入棺のお勤めが終わった後、3分もかからない時間お話をさせていただいた。そのためにいろいろと思いを巡らしていた。
ふと仏を「佛」と何故呼ぶようになったのかと言うことを思い出した。これは多分大学の授業の中で雑談として語られていたことだと記憶する。でもその事が歴史的にどれだけ正しいことなのかと言うこと、また本当にそういうことをいわれたのかと言うことは非常にあやふやである。
どういうことを思い出したかというと、ほとけ様と言うようになった語源は「ほっとけ」からではないかということである。本当かかいなって思ったことも思い出す。
でもその事を思い出し、また頷けることも何となくある。
ほっとけ様はほっといてもいい人ということなのかも知れないと思った。それはどうでもいい人という意味ではなく、かまうことを必要としない人、いろんなことを心配する必要のない人ということかも知れないと思った。覚者として、ブッダとして関係を結ぶということなんだろう。
またお亡くなりになられた人を、「ほとけ様」と特にいう。それは死後のこと、後のことをなんにも心配ないんだよと私たちの先輩方が頂かれてきた歴史なんだろう。でも私たちは「死んだらどうなるんだろう」って思ったり、「成仏できるだろう」かって心配したりしてしまう。そういう思いを払拭して、「何も心配ない必ず成仏されるんですよ。ブッダに必ずなられるんですよ」という先輩の喚び声がほとけさんという言葉なんだろうって感じた。
また死者を、恐れを運んでくるものとしてあるのではなく、自分が仏道を歩みづつけていけるはたらきとして頂いていく。私たちが不覚者で、また罪悪深重の凡夫であり、反対に死者は覚者、私を救済して下されるお方という関係をあらためて結ぶ、それが死者をほとけさんと呼んできた歴史なんだろう。

死者を荼毘(火葬)に附し、その儀式を仏式で執り行う。新たに仏陀として出遇い直すプロセスなんだろう。死者と対話して(肉声として応えてくれるわけでもないが)、浄土への道を歩むことを進めて下されるお方として出会う。死者から仏陀の言葉を聞き取る、そういうことが仏式で葬儀を執り行う意義なんだろう、そういうことを考えさせられた。

、伊勢谷さんの法話を拝聴した。その事が絡み合ってそんなことを今思っているんだろうな。

余談だが、和田稠さんを神様につくり上げていくのではなく、仏様としてであっていかねければ、また難しいことかも知れないが、同行としての関係を築いていくことを心がけることの重要性も強く感じている。


こんなかっこの良いことを言える私ではない存在だ。本当のところ、私は和田爺から何を聞いていたんだろうって思ってしまっている。私の記憶には入れ歯をカクカク音を立てながら喋っておられた姿しか思い浮かんでこない。喋っていた内容が浮かんでこないんだ。本当に情けなく思う。そう言う私だから和田の爺さんを神様にするということもあり得ないのかも知れない。出遇っていなかった!和田の爺さんと!それだけがはっきりしている。でも和田の爺さんのまわりにいる人に本当世話になった。今を歩まさせて頂いたっていうことははっきりと言える。





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最終更新日  2006年01月07日 04時24分50秒
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しみじみ~  
みやちゃん さん
あおさんの話はいつも味があるねー。
しみじみ~、っていう感じ。
ミーもほっといてもらって、世の中の片隅での~んびり死んでいきたいね。 (2006年01月07日 10時36分19秒)

通夜説法  
尼僧nappa さん
今更かもしれませんが、読んでなんだかお腹が痛くなってコメントいたします。和田先生のお通夜、伊勢谷さんが何を語ったのかさっぱりわかりませんでした。「誰のお通夜のお話されてるの?」って思って聴き、あまりにもびっくりして周りをきょろきょろ見てました。なんだったかなぁ、「人が亡くなるということは?」なんて話だったの?
私は伊勢谷さんが先生から何を学ばれたのかをばかりを聞きたかったので、なんか客観的な話でびっくりしたことを覚えています。
あおさん、何を聞かれたですか?
仏はほっとけ様ということ、それはほっといてもいい人、覚者として、ブッダとして関係を結ぶということ。
お亡くなりになられた人を、「ほとけ様」というのは死後のこと、後のことをなんにも心配ないんだよと私たちの先輩方が頂かれてきた歴史なんだろう。死者を、恐れを運んでくるものとしてあるのではなく、自分が仏道を歩みづつけていけるはたらきとしていただいていく。私たちが不覚者で、また罪悪深重の凡夫であり、反対に死者は覚者、私を救済して下されるお方という関係をあらためて結ぶ、それが死者をほとけさんと呼んできた歴史なんだろう。
死者を荼毘に附し、その儀式を仏式で執り行う。新たに仏陀として出遇い直すプロセスなんだろう。死者と対話して、浄土への道を歩むことを勧めて下されるお方として出会う。死者から仏陀の言葉を聞き取る、そういうことが仏式で葬儀を執り行う意義なんだろう、そういうことを考えさせられた。
みたいなこと、伊勢谷さんが語ったの? (2006年03月06日 00時29分11秒)

Re:通夜説法(01/06)  
もう忘れちまったよ!
でもあのとき伊勢谷さんは話しが横道に行かなかったことはおぼえています。

仏教伝来の時、
死者を仏としたことは当時としてはすごいことやったんじゃないかな。 (2006年03月06日 05時20分51秒)

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