shakehips...3

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8月2日の真相

miyaの小話6
~08月02日の真相~
『私が彼を選んだ理由』


この日記を書けること、この日記を読んでもらえること・・・
全てに感謝します。全てを嬉しく思います。
8月2日の日記 には書けなかったお話です。
皆さんにはご心配をおかけしてしまってすみませんでした。
メールを頂いたり、本当にありがとうございます。 やっとお話することができます。

8月2日、私は行きつけの婦人科へ行きました。
数日前から出血があったからです。
以前からお話しているように、私は婦人科系統が弱く
子宮内膜症になったこともありました。
その時は、月経が終わって1週間くらい。
少し下着に血が付きました。
でも前にもそんなことがあって病院に行ったことがあります。
排卵出血だったこともあり、今回もそうだろうと軽く考えていました。
排卵出血:月経が始まる、大体2週間前に起こる出血のこと。

しかし、排卵出血にしては日が長く・・・
数日後に血の塊が出てきました。
驚いた私はすぐに病院に行きました。
仕事を辞めてから行っていなかった病院。
今更悔やんでも仕方ないのですが・・・。

それが8月2日です。

病院に着くと、待合室は混み混みで、先月から予約制になっていました。
もちろん診て貰う事は出来ますが・・・。
1時間近く待った頃、診察室に呼ばれました。
ここの病院の先生は、10代の頃から診てくれている女医さんです。

症状を話すと、すぐに診察台へ通されました。
これも慣れたことです。
でも、今回はちょっと様子が違いました。

出血が止まりかけているとは言え、完全に止まったわけではありません。
中の様子を見て、先生は『おりものの色が変ですね』と言いました。
その後、エコーで排卵出血かどうかの確認をしました。
『左の卵巣が大きくなってるから、もしかしたらそうかもしれないけど』
ホッとしかけたところで、思わぬ言葉が降って来ました。
先『miyaさん、おいくつでしたっけ?』
私『26です』

先『そう・・・ 子宮ガン検診って受けたことあるかしら

以前の会社で、子宮ガン・乳ガン検診は受けていました。
でもその時期を覚えていません。

診察台を降りて、また先ほどの先生の机の方に移動しました。
排卵出血だとタカをくくって来た私には、とても衝撃的な結果でした。

先生は言いました。

● 20代後半でガン検診から1年以上経っていること。
  それは、 子宮ガンの疑いが少なくない ということ。
● これから出血の原因を探るために、毎日基礎体温を測ること。
● 基礎体温の数値によって不正出血と認められた場合は
一緒に治療法を考えましょうということ。

そして、久しぶりに見る基礎体温表と止血剤3日分を渡され帰りました。

その日はダーリンがお休みで、会うことになっていました。
病院に行く日は、仕事の日でも必ずダーリンに連絡を入れることになっています。
その日も、病院を出てすぐにダーリンに電話しました。
『どうだった?』と聞く彼に、『あんまりよくないね』としか言えませんでした。
母にもそれは言えないことでした。
母は私が高校生の頃、子宮ガンの疑いが強くて子宮を全摘しています。
結局は重度の子宮内膜症でしたが・・・。
婦人科系統は遺伝すると言います。
彼女は自分を責めるでしょう。
とても言える事では無かったんです。
その後、ダーリンと会っても、頭の中はグルグルと色々な考えが廻ります。
ダーリンもそれは気付いていて、微妙な雰囲気が流れました。

結局何も言えないまま、いつもの友達と飲む時間が近づいてきます。
とりあえず、私は基礎体温計を買わないといけない、と、薬局に行きました。

最初言われた時は実感が無かった『ガン』という言葉。
時間が経つにつれて、恐怖と『どうしよう』という思い。
友達に会ってからでは話せません。
今、言わないと・・・。
考えれば考えるほど、心臓はギュッとなって涙が込み上げてきます。

だけど怖かったんです。
軽く流されたらどうしよう。
すごく動揺されたらどうしよう。
冷たくされたらどうしよう。

そんな人では無いと、分かっていても言い出せませんでした・・・。
そして覚悟を決め、車で待っている彼の元へ戻りました。


乗ってすぐ、話があることを告げました。
彼は『うん。どうしたの?』と言ってくれます。

『あのね・・・もしかしたらね、今回ね・・・
 あんまり経過が良くなければ、子宮ガンかもしれないって・・・』

話すうちに声が震えてきました。
涙が止めどなく流れてきます。

子供が産めないかもしれない・手術をしないといけないかもしれない
・・・・死ぬかもしれない

彼は静かに聞いていました。
ちょこちょこと相槌を打ちながら、ずっと静かに聞いていました。

涙で話が続かなくなった頃、彼は静かに言いました。

『なんでもっと早くに話さなかったの?』
話してくれれば、友達の誘いだって断ったし、何よりももっとずっと聞いてあげたのに、と

『miyaに子供が出来ないってことは、
俺にも子供が出来ないってことなんだからね。
 1人の問題じゃ無いでしょ。
ちゃんと話さないとダメだよ。』

私が泣きながら『子供が欲しい』と言うと
『そんなに欲しけりゃ俺が生む!(笑)
それに外国に行けば、生きてれば、方法なんてたくさんあるでしょ』

その後、尽きない私の不安に、彼は1つ1つちゃんと答えてくれました。
彼の優しさは分かっていたんです。 でも怖かったんです。
彼が受け止めてくれたことが嬉しかった。

最後に彼は言いました。

『もしmiyaが本当にガンだったとしても、俺は絶対見捨てないから。
大丈夫、安心していいよ』
と。
一番嬉しかった言葉です。
大丈夫だよ、とか。そんな(ガン)わけないよ、とか。
そんな気休めの言葉よりも、嬉しかった。

付け足された言葉。『だから俺ん時も見捨てるなよ』(笑)

この人を選んで良かったと思いました。
この人に選ばれて良かったと思いました。

そして、この人しかいない、とも思いました。

3日分の止血剤は1日飲み、その後出血は止まりました。
そして一週間後、また病院を訪れました。
今度も淡い期待を抱いていました。恐怖の反面、今日で終わるな~と。
でも、今回もまだ結果は出ません。
今度は2週間後に来て下さいと言われました。
これが旅行の前日です。旅行は晴れ晴れとした気分で行けると思っていたのに。
その後、旅行先でもどこでも、毎日基礎体温を付け続けました。

そして今月の月経が来ました。
良かった・・・。
で、2週間後です。
ちょうど仕事が平日休みとなった8月27日、不安が残る基礎体温系を持って行って来ました。 エコーで中の様子も見た先生の言葉は『順調ですね』
『大丈夫ですよ。体温もキチンと上下してますから。
このまま体温が上がって月経がくれば問題ありません。』
待ちに待った、やっと聞けた言葉でした。
『とりあえず、今回は今日で終了です。
また何かおかしいな、と思ったら来て下さい。大丈夫です』
すぐにダーリンに電話しました。
ダーリンもホッとした様でしたが『まずは安静にね』と言ってくれました。

これが真相の全てです。
友達にも昨日、ちゃんと話しました。

だけど、このことは彼が居なかったら乗り越えられなかったことでした。
親にも友達にも言えない。
元医療関係者の姉に聞けば、もっと楽だったかもしれません。
でも、子供を産めた人に気持ちが分かるはずがない!と思ってしまったんですね・・・。
カラオケ用に持っていた平井堅すら聴けませんでした。
私がその主人公になるのか、まで考えたり・・・。
人が病気で死ぬ映画の何が感動なのか!泣ける映画って何?
バカにしてるの?って。
人が死ぬ音楽の、何が名曲なの?
その気持ちは今でも変わりません。


だから、子供が産めること、子供がいること、それを母である人達は誇りに思ってください。
この1ヶ月弱、子供のいる人にすら嫉妬していました。
その人達が吐く弱音が、本当に許せませんでした。
子育ては大変です。でもそれを経験したくても出来ない人は何人といるんです。

それと、ダーリンが言ったことです。
『医者は、病気が確定していないのに病名を口にするな』
1人ごとのつもりかもしれませんが、その一言で患者の生活は一変します。
まだ決まってもいないのに、確証も無いのに、それはいけないことです。絶対に。

ご心配をお掛けした皆さん、本当にすみませんでした。
本当にありがとうございました。
やっとご報告が出来ます。
私は元気です。



2005年10月8日、彼とお別れしました。

彼が私に言ってくれたこと、彼が支えてくれたこと、それは一生忘れません。

今でも彼への感謝の気持ちは変わりません。

これから違う道を生きていきますが、私はこの時のことを胸にこれからも生きていきます。






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