元気力UP!

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2014年12月21日
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カテゴリ: 吾輩は猫である

東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。
「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済ます。

「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注す。

「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏でも附けて、詩歌文章の類を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天の琵琶行のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村の春風馬堤曲の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物をやりました」「近松? あの浄瑠璃の近松ですか」近松に二人はない。
近松といえば戯曲家の近松に極っている。

それを聞き直す主人はよほど愚だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀に撫でている。

藪睨みから惚れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。
「ええ」と答えて東風子は主人の顔色を窺う。

「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極めてやるんですか」「役を極めて懸合でやって見ました。

その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。
白はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装と書割がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原へ行く所なんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾ける。

鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠めて顔の横手へ廻る。
「なあに、そんなに大変な事もないんです。

登場の人物は御客と、船頭と、花魁と仲居と遣手と見番だけですから」と東風子は平気なものである。

主人は花魁という名をきいてちょっと苦い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。
「仲居というのは娼家の下婢にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋の助役見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。

「なるほど仲居は茶屋に隷属するもので、遣手は娼家に起臥する者ですね。

次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。

その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。

主人は存外真面目である。

「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。

花魁が法学士のK君でしたが、口髯を生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのですからちょっと妙でした。
それにその花魁が癪を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。
「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。

「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。

「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。

「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。
「私しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩らす。

やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。

東風子は別段癪に障った様子もない。
やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾に終りました。

実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。
私しが船頭の仮色を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極りが悪るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後がつづけられないので、とうとうそれ限りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。
覚えず咽喉仏がごろごろ鳴る。

主人はいよいよ柔かに頭を撫でてくれる。
人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。
「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞を述べている。

「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。

「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版の帳面を出す。
「これへどうか御署名の上御捺印を願いたいので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまま置く。
見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃をしている。

「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。

「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表し被下ればそれで結構です」「そんなら這入ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。
責任さえないと云う事が分っておれば謀叛の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。
加之こう知名の学者が名前を列ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。

「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。

吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。

東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張る。

モゴモゴしばらくは苦しそうである。

吾輩は今朝の雑煮事件をちょっと思い出す。
主人が書斎から印形を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。

主人は菓子皿のカステラが一切足りなくなった事には気が着かぬらしい。
もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。

 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間にか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年の御慶目出度申納候。
……」
 いつになく出が真面目だと主人が思う。

迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後別に恋着せる婦人も無之、いず方より艶書も参らず、先ず先ず無事に消光罷り在り候間、乍憚御休心可被下候」と云うのが来たくらいである。
それに較べるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕り度候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候……」
 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。


「昨日は一刻のひまを偸み、東風子にトチメンボーの御馳走を致さんと存じ候処、生憎材料払底の為め其意を果さず、遺憾千万に存候。
……」
 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

「明日は某男爵の歌留多会、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」
 うるさいなと、主人は読みとばす。

「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候為め、不得已賀状を以て拝趨の礼に易え候段不悪御宥恕被下度候。

……」
 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度心得に御座候。
寒厨何の珍味も無之候えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候。
……」
 まだトチメンボーを振り廻している。

失敬なと主人はちょっとむっとする。

「然しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候も計りがたきにつき、其節は孔雀の舌でも御風味に入れ可申候。
……」
 両天秤をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半ばにも足らぬ程故健啖なる大兄の胃嚢を充たす為には……」


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2025年03月13日 21時15分06秒
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