元気力UP!

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2015年03月02日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
" 「そんな帯があるものですか。
それだからあなたは不人情だと云うんです。
女房なんどは、どんな汚ない風をしていても、自分さい宜 けりゃ、構わないんでしょう」
「まあいいや、それから何だ」
「糸織 の羽織です、あれは河野 の叔母さんの形身 にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」
「そんな講釈は聞かんでもいい。
値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」

「その次は何だ」
「黒足袋が一足」
「御前のか」
「あなたんでさあね。
代価が二十七銭」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。
煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。
泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」

「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津 から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」

まるで論理に合わん。
それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。
それからあとは――俺の着物は一向 出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜 うござんす。
オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴 」
「意味も何 にもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。
きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚 な事を言わんで、早くあとを云うが好い。
早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。
それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚 だな。
それでは勝手にするがいい。
俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数 を教えて上げません。
告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃ廃 そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入 る。
細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。
両人 共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨 め付けている。

ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者|多々良三平 君が上 ってくる。
多々良三平君はもとこの家 の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。
これも実業家の芽生 で、鈴木藤十郎君の後進生である。
三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬 を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。

「奥さん。
よか天気でござります」と唐津訛 りか何かで細君の前にズボンのまま立て膝をつく。

「おや多々良さん」
「先生はどこぞ出なすったか」
「いいえ書斎にいます」
「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。
たまの日曜だもの、あなた」
「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」
「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次の間 からとん子とすん子が馳け出して来る。

「多々良さん、今日は御寿司 を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。
多々良君は頭を掻 きながら
「よう覚えているのう、この次はきっと持って来ます。
今日は忘れた」と白状する。

「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。
細君はようやく御機嫌が直って少々笑顔になる。

「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。
御嬢さん喰べなさったか」
「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。

「まだ食いなさらんか、早く御母 あさんに煮て御貰い。
唐津 の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気が付いて
「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」
「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱を誂 らえて堅くつめて来たから、長いままでありましたろう」
「ところがせっかく下すった山の芋を夕 べ泥棒に取られてしまって」
「ぬす盗 が? 馬鹿な奴ですなあ。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。"





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Last updated  2015年03月02日 22時38分06秒
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