元気力UP!

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2015年07月26日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上に転 がってはおらん。
地面の上に落ちているものには必ず蟻 がついている。
吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。
高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕 えるのである。
これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。
人間の猫に優 ら誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。
もっとも蝉取り運動上はどっちにしても差 し支 えはない。
ただ声をしるべに木を上 って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。
これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。
吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。
少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。
しかし木登りに至っては大分 吾輩より巧者な奴がいる。
たる人間にもなかなか侮 るべからざる手合 がいる。
元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱 とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。

のみならず蝉は飛ぶものである。
蟷螂君 と違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択 むところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。
最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。
あの小便がややともすると眼を覘 ってしょぐってくるようだ。
逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。
飛ぶ間際 に溺 りを仕 るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。
やはりせつなさのあまりかしらん。
あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。
そうすると烏賊 の墨を吐き、ベランメーの刺物 を見せ、主人が羅甸語 を弄する類 と同じ綱目 に入るべき事項となる。
これも蝉学上|忽 かせにすべからざる問題である。
充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。
それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。
蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐 だからやはり集注にする。
――蝉のもっとも集注するのは青桐 である。
漢名を梧桐 と号するそうだ。
ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆|団扇 くらいな大 さであるから、彼等が生 い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。
これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。
声はすれども姿は見えずと云う俗謡 はとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。
吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。
下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉 になっているから、ここで一休息 して葉裏から蝉の所在地を探偵する。
もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。
一羽飛ぶともういけない。
真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。
あとから続々飛び出す。
漸々 二叉 に到着する時分には満樹|寂 として片声 をとどめざる事がある。
かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気 がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉 の上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつの間 にか眠くなって、つい黒甜郷裡 に遊んだ。
おやと思って眼が醒 めたら、二叉の黒甜郷裡 から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。
しかし大概は登る度に一つは取って来る。
ただ興味の薄い事には樹の上で口に啣 えてしまわなくてはならん。
だから下へ持って来て吐き出す時は大方 死んでいる。
いくらじゃらしても引っ掻 いても確然たる手答がない。
蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君 が一生懸命に尻尾 を延ばしたり縮 ましたりしているところを、わっと前足で抑 える時にある。
この時つくつく君 は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。
その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年07月26日 09時03分17秒コメント(0) | コメントを書く


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