ショコタ et チヨコ の Blog de 303

2008.06.08
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レミ・ジャニアール05

Rémi Jeanniard  Morey-Saint-Denis 2005




こんにちは。ショコタです。気になっていたレミ・ジャニアールさんのワインを楽しむ。

コルクを引き抜くや、ゆらゆらと瓶口から漂う香りに早くも魅了される。グラスに注ぎチヨコに声をかけ食卓へ誘う。

テーブルに歩み寄るチヨコが、そこから手を伸ばしてもグラスに届かぬ距離で、ふと立ち止まり少しばかり目を丸くする。香りが先にチヨコを出迎え、早くも鼻腔を刺激したのだろう。

グラスに注がれた液体を前に二人して溜息をつく。無論、落胆したのではなく、その美しい芳香に心が緩んだからにほかならない。

曇天の艶めかしさ。薄雲越しに散れ散れと洩れる柔らかい光を浴びているようなワイン。琴線に触れた。味が旨いとか不味いの問題じゃない気がした。

眉間に皺を寄せ、グラスを両の手で包み込むようにして持つチヨコ。グラスを温め液温を調整しているのかもしれないが、チヨコはグラスの存在など感じていなかったのではないか。少なくとも僕の目には器としてのグラスをチヨコの掌中に見ることが出来なかった。

まるで、両手を重ね合わせた窪みにワインを掬いとったように見えた。手のひらに掬んだ液体が何か神聖なものとでも言わんばかりの面持ちをして香りに耳を澄ませている。

「手のひらで掬う」「水を掬ぶ」…僕が好きなイメージのひとつです。手のひらの器…水を掬ぶ。

掬んだ水が少しずつこぼれ落ちていくのが不思議でたまらなかった子供の頃。漏らすまいと必死になって重ねる手に力を込めたものの、掬んだ水は無常にもこぼれ落ちる。掬んでは消え、掬んでは消えを幾度となく繰り返す。『悲しい』というよりも消えてなくなる水を『何だかキレイだな』と子供ながらに感じていた気がする。



最近思うのです。本当に欲しいものって、自分の両手で掬えるくらいの量なのではないかと…。手のひらの器を満たすことは、不自由を覚悟しなければならないのだろうなと…。

水を掬って顔を洗うたびに、手のひらの器をそれとなく眺める。

こぼすまいとするに子供の頃と違って、力みは無くなったが、手のひらの器に水を留めておくことは今も難しい。

何の話だっけ?

そうそう、レミ・ジャニアールさんのモレサンドニ!…惚れました。器に掬んだ水に自分の顔が映っている。見つめているのか見つめられているのか。・・・美味しかった。

曇天の日にまた味わいたい。会話も要らないかもしれない。このワインの香りの中であの時チヨコは自分の内奥に向かっていたのかもしれない。僕らを深い場所に誘ってくれた美しいワインでした。

レミ・ジャニアールさん、ごちそうさまでした♪


幸せ~。。。










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Last updated  2008.06.15 08:55:45
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