GUINの匣

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「思い出しちゃった(1)」-2003年3月24日

 父は大正10年生まれ。田舎の本家の四人兄妹の次男坊。体は細めでちょこっと弱く、あまり肉体労働にはむいていなかった。本を読んだり、字を書いたり、能や狂言など、伝統的な事が好きだった。田舎者のわりに煎茶の作法だ、投げ込みぐらいは花も生けようと言う人だった。

 長男である伯父はがっしりした人で、家を継ぎ徴兵された後も軍曹になったらしい。一方父はひょろっとしていつも本を読んでるような人で、甲乙とある乙での徴兵。終戦を迎える前年に戦地に向かったらしい。それでも一応肩書きは伍長だったのだと生前恥ずかしそうに言った。

 私自身が結婚の準備に入るまで知らなかったのだが、初婚ではなかったらしい。婿養子に入ったが、当時の奥さんが結核にかかり、サナトリュームに入ってしまい、ほとんど夫婦生活を送る事なく本家に帰ったらしい。徴兵の前なのか後なのかも私は知らない。

 向かった戦地はビルマ。終戦間際のビルマ戦線から生きて帰ってきた部隊は少ないらしいが、あまり細かく聞いていなかったから、部隊の名前も、詳しい地名も知らない。山の中…これはジャングルの事だよね。深いジャングルの中を隊列を組、敵にぶつかるかもしれない恐怖と、じめじめした中病気にかからないか、また、交代制の夜の見張りが一番辛かった。いっさい明かりがないジャングルの中、いろんな音が聞こえてきたり、ときには不思議な光が動くのを見たりと、恐かったがやらないわけにはいかないから必死だったんだと言っていた。

 ちなみにビルマに行く途中は戦艦大和が陸軍をのせていったんだと、おと-チャンは唯一の自慢であった。

 幼い間は父と良くお風呂に入っていた(*^-^*)。太腿にある変なくぼみは何だろうと思い、よく指でいじくっていたけど、それが鉄砲の玉の後なんだと聞いた。両足の前と後ろだから、4か所。玉がそれぞれを貫通したとの事。貫通したから助かったと父。でなければ、鉛が体の中で腐りはじめ、送り返してもらう事もできないままジャングルの中で死んじゃっただろう。ばい菌が入らないようにとにかく縛り付け、棒っ切れを杖にして、とにかく隊に付いていった。はぐれたら最後だと言い聞かせながら。

 それからそのくぼみをいじくれなくなった。そのうちに一緒にお風呂に入れる年を過ぎてしまった。

 戦争から帰り、大阪にいわゆる丁稚奉公に出ていたらしい。その後母と見合いで結婚。母曰く、結婚するもんだと思っているから、結婚したんだと言っていた。時代…幸せなのか不幸せなのか?選択する事も考えになかったんだろうな。

 私は父43歳、母33歳の時の子供である。

「思い出しちゃった(2)」-2003年3月25日

 田舎もんです。

 幼い頃は、そんなに家族で出かけたりする事もなく、田舎ののどかな風景の中、田畑・森・池・川。自然の中を走り回り、畑の世話も手伝いと遊びを兼ねていた。とにかくおもちゃらしいものはあまり買ってもらった覚えがない。

 父は謡曲が上手くて、師匠について勉強もしていたらしい。本人は、師匠からプロになってもやっていけると言ってもらったんだと自慢げに言っていた。私なら、好きで真剣に勉強もしていたのなら絶対迷わないが、『堅実』を絵に描いたらこんな人じゃないかと言うほどまじめ一徹!晩年まで村役場の戸籍係中心に仕事してました。職場に行った事があったが、ほんとに腕に”うでぬき”をはめて絵に描いたように役場のおっちゃん!

 ひざの上に座っていろんな曲を聴いた。一緒にひざをたたいて拍子を取った。畑仕事をしながらや縁側でのんびりと空を眺めながら謡っていたな。ちなみに剣道と弓道をやっていたので、庭で木刀を振っている父が休憩の時に謡うと、『武士』っぽい!なんせ暇な時や、雨の休みは畑もないし、夜テレビのニュースを見ながらでも、習字の稽古が日課の人だった。
謡いの本は全て私が形見に引き取った。もう少し年を経たらゆっくり勉強してみてもいいな。

 影響で私もたまに聴いたりするが、父より上手な人にはまだ出会っていない(*^-^*)。

 ここまでで、けっこう好きな事やってるやん?まじめ一徹って~のも違うんちゃうん?と疑問が出てきそう。…そうなんだよねー。私はかなり父を美化してる所があるようだ。けして自覚は無い!

 仕事の帰りに将棋仲間の所で遊んで帰るのが、若い当時の母には道楽人で許せなかったらしい。けっこう夫婦喧嘩の時には母の武器であるらしく、しつこい攻め込みのネタであった。現代の私には、なんて事の無い趣味である。

 いろんな本を若い頃から読み、稽古ごと…と言うより伝統や文化に興味があって、「身に付ける」「たしなむ」ということが大切だと、常々言っていたので、私にも習い事に行け!としつこく言っていたが、成長して少しずつ反発が始まり最後まで行かなかった。今となってはめちゃ惜しい!!
美術方面に進路の選択をした頃、「読め!」と言って公民館から借りてきてくれた坂崎乙郎の「絵とは何か」。わざと避けて読まなかった。そのまま何年も過ぎてしまったけど、父が亡くなって二年ほど経って初めて読んだ。17年ぐらい経ってた。

 親不孝ですよね~。こんなもんじゃ終わらないけれど

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