里見八犬士☆犬坂毛野の夢

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歴史小説~ “天切り松・闇がたり”



 僕は侠気ある真の漢に成りたいです。そう、ただ筋力に恵まれ、また社会的にも成功を収める自信満々の男性が、必ずしも侠気があるとは言えない筈。

 当然“侠気ある真の漢”ならば、道端で持病の悪化や怪我で這いつくばって苦しんでいる方に、常に勇気を出して声を掛けられます。また複数が一人を苛めている場合、これが精神的・肉体的攻撃を問わず、勇気を出して、無慈悲にもぼろぼろに傷付けられている側への助太刀を、迷う事無く行えます。そう、例えある程度の心や身体への傷を受けても、侠気ある漢の意地、そして誇りが自然と救出という行動に移せるのです。また、骨髄バンクへの登録を、その侠気ある人成らば、例え自腹を切っても行うでしょう。では、何故、その人は常に侠気が発揮出来るのかを、僕は暫く語って行き来ます。

 そんな僕の少年時代は、無論男のあるべき姿が解らず、また礼節なども弁えていなかったので、弱者が苛められるのを見ると心の抑制が外れ、苛める側を徹底的に熨してしまいました。故に常に「真の解決」には至らず、また同じ苛めが始まるか、逆に矛先がこちらに向かい「嗚呼、余計な事しちまったな」なんて思う事が多々ありました。

 これではまるで憎しみが憎しみを生む、
 あの凡そ礼節とは無縁な、
 「正義の戦い」と同じに成ってしまいます。

 当然、少年同士の喧嘩に於いても同様で、まずは話し合いによっての解決を最優先しなければいけないのです。然し、乱暴狼藉をする者と「話し合いが不可能な場合」があります。またその場から逃げられない場合も....。そう、それを唯一救い出せるのが侠気のある漢です。そして、彼こそが礼節のある漢。

 未だ「真の侠気」とは何か解らなかったある日、僕は一冊の時代小説に出会いました。そう、大正時代の東京下町に生きる、熱き義賊の物語「天切り松 闇がたり(浅田次郎著)」です。貧困に苦しむ孤独な主人公の松蔵少年は、ある日、目細の安吉一家に引き取られ、熱き血潮の兄貴、姉御、そして懐の広い安吉親分の優しさ、そして厳しさによって、見違えるほど逞しく成長します。また終に実の父親が与えなかった、“真の漢が持つべき侠気”とは何か、ひととしてどう生きるべきかを、時に烈火の如く、また時に実践を通して、無言でクールに「半人前且つ未熟者の松蔵少年」に語りかける安吉親分...。

 また、昔の任侠の、目の覚める程の“渡世の仁義”、そう、この相手、特に目上の誇りを最大限に尊重する精神こそ、現代の若者に欠けたもの。故に、当時の真の侠気ある漢ならば、己よりも体力的に弱い老人や女性、それに子供に暴力を振るうなんて、己の命が失ってもしなかったでしょう。また、若しも肩でカゼ切っている体格に恵まれた男が、この様な弱いもの苛めをしたならば漢としての面目は丸つぶれ。そう誰からも真の漢とは呼ばれなく成ります。だから昔の男性は己の誇りのために、真の侠気ある漢を目指したのでしょう。

 然し、現代の日本に於いて、真の漢が持つ誇りと慢心を混同している場合があります。無論、前者こそ礼節が伴う、漢としての最低限の流儀です。また、これこそが、男性が本来持つべき侠気が沸き出でる精神的基盤に成ります。また人は、誇りが無いから、悪い事をして他者に迷惑を掛け、また、祖国への愛も抱けず、また、己に自信を持てないから恋愛も出来ずに、己だけの世界に閉じ篭もるのです。然し後者はただの虚栄から来る傲慢です。これこそ相手の心を無視したり、影で悪口などを言って傷付ける負の感情、また、オレが一番などという思い違いを生じさせます。そう恋愛では、相手の気持ちを無視して、Noと言われても強引に恋人にさせたりするのも後者の負の感情です。

 僕は以上の事を総て安吉親分を始め、侠気ある兄貴また姉御から“頂戴”致しました。そして未だ未熟者の青二才の僕は更に、安吉親分の様に、真の侠気ある漢を目指します。

 最後に僕は真の侠気のある漢が持つ“真の優しさ”にも言及します。

よく「優しいだけの男」は男らしく無いとか、男性としての魅力が無いなどと聞きました。然し、優しいだけと揶揄される男性は、本当は余り優しくないのでは無いかと思います。そう、真の優しさとは、ただプレゼントを与えるだけでは無い筈。だから若しも意見の相違が出た時そういう人は「あの時プレゼントをしたのに」という情け無い事を言うでしょう。それ故、優しいだけじゃだめだと余計言われるのです。然し本来、他者への優しさ、思い遣りこそが、戦争も喧嘩も総て根絶する筈です。そこで必要なのが、真の漢が持つ侠気から沸き出でる“真の優しさ”です。これはただ相手に物や甘言を与えるだけのそれとは違う、“力強さ、潔さの伴う優しさ”です。またこの優しさを持てば、恋人とも友達ともずっと付き合えます。そう、相手の心を最大限に尊重し、そして、相手のどんな過ちも、男らしく、そして力強く許して行けるからです。

 正にこの人こそ、“器の大きい人”であると、僕は確信します。
 逆に、器の大きい親分肌の人は、真の侠気を持っているから....。

今、若い人は、是非、安吉親分の様なビッグな人間に成って欲しいです!そうすれば必ず巷も真の優しさで溢れ、もっと世の中も良くなる筈だから....。

 僕も、安吉親分の背中、ずっと追いかけて行きます。

 無論、侠気溢れる“真の漢”に成るために....。




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