さんはは日記

さんはは日記

母の事


私の母は平成13年7月3日に、62歳で他界しました。
病名は脳梗塞。
糖尿病の合併症で失明し、私の花嫁姿を見てもらうことも出来ませんでした。
その後人口血管の手術3回。
週3回の透析の為の入院生活。
それが7年続きました。
病院は長期入院をさせてくれないので、4箇所転々としました。
すい臓に癌が見つかり、持って後1年と言われたころ、私のおなかには次女がいました。
次女が生まれるのが先か、母が亡くなるのが先か、父も私と旦那も言葉には出さなくても、きっとそう思っていたと思います。
生まれてくる子を、抱いて欲しかった。

なくなる2週間前に
「お母さんね、子供を産んどいて本当に良かったよ。
こうやってどんなに遠くても着てくれるんだもんね。」
最後の病院は我家からは片道1時間半かかる所でした。
ICUに入っている母に合うには、当時2歳と4歳だった子供達を置いていかねばなりません。
旦那の休みのときしか行ってあげれなかったのに、母はそんな言葉を残してくれました。
その一週間後、母は脳梗塞になり、次に会いに行ったときは意識がない、天井を見つめてうなされる母でした。
今でも、あの母の姿は忘れられない。
私にとって、ものすごいショックな姿でした。
「何してあげても、分からないんですよ。」
看護婦さんはとても冷たく聞こえました。

そして、さらに一週間後。
父が病院に行くと、
「お父さん?なんだかね、ものすごく眠いのよ・・・」
そう言って目を覚ました母がいたそうです。
2,3言葉を交わして、ものすごい有頂天で帰途に着いた父。
しかし、その移動中に容態が急変して、亡くなりました。
実家では当時留守番をしていてくれた伯母が父からの朗報を聞き、親戚中に連絡をしてくれていたのです。
病院からの連絡は話中だった実家から、我家にかかってきました。
「お母様の容態が急変されましたので、至急こちらにおいで下さい。」
電話を切った私は、気丈に振舞う事が出来ませんでした。
長男と長女がものすごく驚いて、ボロボロないている私に駆け寄って来ました。
この時に、思い切り泣きました。
私の頭をいいこいいこしてくれる長男と長女を抱きしめました。

 亡くなる前に意識が戻ったのは、きっと神様が父にプレゼントしてくれた、母との最後の時間だったのでしょう。
でも喜びの後の、突き落とされるような悲しみに、しばらく父は不整脈という形で体に痛手を負いました。
真っ暗な部屋で、肩を落として泣く父を見て、私がしっかりしなくちゃ・・・そう思いました。
だから親戚の前では終始気丈に振舞いました。
泣かない私を見て、
「長い闘病生活だったからね。覚悟は出来ていたんだろうね。」
「お母さんが亡くなったのに、なんだか元気ね。」
と言う人もいました。
どう思われようと、私は私。

たまに「なんで死んじゃったんだよ。」と、恨めしく思う事もありますよ。
でも、きっと母は見ていてくれる。
そう思います。






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