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エリック1855『テンペスト』



『テンペスト』

雨音が激しくなってきた。
この国では夏から秋にかけて、嵐はそう珍しいものではないらしい。
小さな島に到着し、用意された外国人専用の宿舎に身を据えてから半月、
もう二度も台風というテンペストがやってきた。
凄まじい風と雨で、荒れ狂う海がこの島をひとのみにしようと迫る。

私は、こんな嵐の晩がことのほか好きだ。
このまま世界を押し流してしまえばよいなどど、破壊的な気持ちにさせてくれる、
この不安定で不気味な風音を聞くと、激しいインスピレーションがわく。
ピアノと五線紙に向かいたくなってくるが、ここではそれはかなわぬこと。
その代わりに、私はさる筋から預かった護岸工事のための古い地図を広げた。

ちょうど100年前に完成したという堤防は、原形はとどめてはいるものの
上流から流れる土砂の堆積に追いつかず、再び河川の氾濫が続いているという。
当時、莫大な資金と数多の人命をかけてできあがったというその堤防に、
なんとか根本的な処置を施したいということだ。
建築の心得はあるものの、護岸工事などもちろん手がけたことはない。
ただ、異国の地図を見られること(もちろん、持ち出しは厳禁だ。)は興味深く、
その河川流域に広がる輪状の美しい地形には心惹かれる。

私が考えているのは、河川のまわりにいくつかの小さい湖をつくることだ。
大きな建物の土台を作る際、ときに地下水脈を掘り当ててしまうことがある。
湧き水をいったん溜め、川に逃がすための湖を作る過程を、
一度イタリアのジョバンニのもとで経験した。
恐ろしく費用のかかる面倒な工事だが、熱意があればやってやれないことはない。
濁流の勢いにも耐えられる漆喰の調合が鍵で、これは私の得意とするところ。
問題はこの国に、素材が揃っているかだが、なければ他国から取り寄せればよいだろう。

鎖国などといって外との行き来を制限してきたらしいこの国の人間を、
フランスでもロシアでも、私は目にしてきている。
人も物も、すでに縦横に行き交い始めているのだ。
文明に倦んだ国々にやってきた、未開の、しかし意欲あふれる国の息吹。

私と同じ船にこっそり乗って帰ってきていた者のなかには、
ここからもっと南の地方から密航してきた騎士もいた。
積年の恨みの募る政府を悪し様に罵り、外国の知識を蓄え、
革命を起こさんものと海を渡ったのだという。
確かにその道にかけては、わが祖国には一日の長があるかもしれない。

かの河川の護岸の話をすると騎士の話ははさらに激昂した。
100年前の工事は騎士の故郷がまったくの遠隔地であるのに
無理やり請負わされたということだ。
「これもすべて、幕府の薩摩の力を削がんがための計略。
工事の指揮をとっていた者と側近の数名は、完成の暁に命を絶ったのだ。」

さらにこの国の騎士独特の死の作法を聞き、ペルシアやわがフランスの方法と引き比べてみる。
ジョバンニはいったいなんと言うだろう。
工事の費用がかさみ、人員を失ったことの責任のために死なねばならなかったとしたら。
「遅かれ早かれ、石片と埃が詰った肺がこの世から連れ去ってくれる。
そう急ぐこともないさ、エリック。」
あれから10年もたっているとは。

図面をしまい、寝床でまだ見ぬ土地の有り様に思いを馳せる。
風音に紛れて、今宵ルチアーナの声が聴こえてきたとしても、持ちこたえられるような気がする。
嵐と、革命前夜の胎動と、そして新たな創造への期待が気持ちを鼓舞してくれるのか。
この国に来たことは、正解だったのもしれない。

2005.08.05

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