♪猫姫♪の部屋

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卵管破裂、それは突然に


だった仕事に行けそうもないので、手術の前に行くことにした。
以前働いていた職場で、新人に仕事を教える為に時々手伝っていた。
内心行きたくなかったけど、先方は人手がなくて困っていたので
行かざるを得なかった。
仕事は午後からにしてもらい、とりあえず楽しく働いていたら、
夕方5時を過ぎた頃からお腹が痛くなってきた。
だんだん吐き気もしてきて、裏で休ませてもらった。
少し休んでよくなったら自転車に乗って帰ろう…そう考えていた。
ところが痛みと吐き気は増すばかり。
これは普通じゃないと思い、クリニックに電話しようと思ったけど、
今日はクリニックの休診日。
緊急の場合の連絡先として聞いていた先生の携帯の番号をメモリーに
入れていたのを思い出し、這ってロッカーまで行き携帯を探して電話。
タクシーに乗って○○病院に行くように指示された。
数分後、先生から電話があり、○○病院は緊急オペで受け入れて
くれないから、とりあえずクリニックに来るように言われた。
30~40分かかるけど、先生が出てきてくれることになった。
同僚がタクシー会社に電話してくれていたが全く電話が繋がらず、
そんなこんなしているうちに私の症状は益々酷くなり、血の気が引き
もう1歩も歩けないし動けない。
再び先生の携帯に電話をして、もう1歩も歩けないことを告げると
救急車を呼んでクリニックまで来るようにと言われた。
職場の上の人に救急車を呼んで欲しいと言ったのに、周りの噂が恐いから
救急車は勘弁してくれと言われた。
その代わり、その人の奥さんが車で来てくれて、クリニックまで
連れて行ってくれた。
その奥さんは何度も救急車で命が助かっている人で、動けない状態の
私を見て「救急車を呼べばよかったのに。そうすれば1歩も歩かなくて
済んだのに。」と言ってくれた。
クリニックの前に着き、抱えられて中へ、そして診療台の上へ。
休診日だというのに、看護師さんも一人出てきてくれていた。
超音波を入れる時、大声で叫ぶ程の痛みが全身を駆け抜けた。
それと同時に先生が「外妊!右の卵管!」と叫んだ。
そこからは慌ただしさが増した。
私の血圧はみるみる低下し、寒くて寒くて震えが止まらなくなった。
両腕に点滴をして血管確保。
先生は救急車を呼び、受け入れ病院を探す為にあちこちの病院に
電話をかけてくれた。
ところが近くの救急車は出払い隣の区から来てくれるので少し時間が
かかると言われ、何処の病院も緊急オペで受け入れができないと
断られてしまった。
それでも先生が「私が手伝いますから!!」と叫びながら一生懸命
受け入れをお願いしてくれていたのが私には聞こえていた。
5件目の病院でやっと受け入れてくれることが決まり、救急車も到着。
救急車にはクリニックの先生が乗ってくれた。
痛がる私の腰を一生懸命さすってくれた。
搬送途中でどんどん容態が悪化し、チアノーゼも起き、酸素を吸わされた。
病院に着いたあたりから記憶が飛び飛びになる。
すぐに手術を始めることになった。
家族の到着を待っている時間はないので、手術承諾書には自分でサイン
してくれと言われた。
激痛と薄れていく意識の中でサインをした。
輸血をすることになるからと輸血の承諾書にもサインした。
ずっと強い吐き気に襲われながら、激痛でお腹に力が入らない為
吐けなかったけど、手術の直前にようやく吐くことができた。
お昼に食べたアップルパイが緑色になって出てきた。
食べてから6~7時間も経っているのに出てくるなんてビックリだ。
消化不良を起こしていたらしい。
そこからの記憶は曖昧になって、ハッと気づくとそこはもう手術室だった。
口にマスクをあて、何回か大きく息を吸うと意識がなくなった。
手術の始まりだ。
2004年12月22日(水)20時のことだった。

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