♪ なぐさめに送りし歌の言の葉の霊(くし)びてひとのこころ晴れゆく
先日の放送で、花子の息子が疫痢で亡くなり憔悴しきっていた花子に歌を送り、悲しみの中にも前向きに生きる力を与えるというシーンがあった。
短歌には人を慰撫或いは慰藉する力がある。詠む人も、それを手に取って読む人にも。
歌を詠むことは、悲しみや苦悩、寂しさや孤独を癒すことでもある。また、そういう立場で詠まれた歌が、同じ心を持っている人の心に沁み入っていく。そして、読み手の心とその言霊とが溶け合っていく。そのことで、それまで見えなかったものが見えてくる瞬間が訪れる。
歌を詠むことは、客観的に自己を見つめる中で、囚われている諸々のものから解き放たれていくことでもある。31文字という制約が有ることで、言葉を選ぶというストイックな作業が要求される。その過程の中で、脳が作り出していくものの何か。脳内ホルモンが刺激されて、それらが何らかの働きを脳にもたらすことが考えられる。
柳原白蓮は、1885年(明治18)生まれ。大正天皇の従妹にあたる。
東洋英和女学校に編入(908年(明治41)した23歳の時、姉・信子の紹介で佐佐木信綱主催である短歌の竹柏会に入門する。
白蓮の号は歌の師である佐佐木信綱の勧めで、信仰していた日蓮にちなんで付けたもの。
柳原白蓮 大正三美人の1人
1915年(大正4年)3月、処女作の歌集『踏絵』を自費出版。竹久夢二が挿絵を手がけた豪華装丁本。1919年(大正8年)3月、詩集『几帳のかげ』・歌集『幻の華』刊行。
1920年(大正9)1月、編集者として別府を訪れた宮崎龍介と出会う。戯曲『指鬘外道』刊行。1921年(大正10)10月、白蓮事件。伊藤伝右衛門と離婚。『白蓮自選歌集』刊(36歳)。1924年(大正13)小説『則天武后』刊。1925年(大正14)9月、歌集『紫の梅』刊。
1928年(昭和3)歌集『流転』『筑紫集』・自伝小説『荊棘の実』・小説『恋愛懺悔』刊。1930年(昭和5)小説『青春譜』刊。1935年(昭和10)歌誌『ことたま』創刊(50歳)。1939年(昭和14)『歴代女流歌人の鑑賞』刊。1943年(昭和18)小説『民族のともしび』刊。1950年(昭和25)『短歌教室』刊。1956年(昭和31)5月、龍介と中国訪問。毛沢東主席、周恩来総理と対面。歌集『地平線』刊(70歳)。
白蓮の歌
殊更に黒き花などかざしけるわが十六の涙の日記
天地(あめつち)の一大事なりわが胸の秘密の扉誰か開きぬ
ひるの夢あかつきの夢夜の夢さめての夢に命細りぬ
われは此処に神はいづくにましますや星のまたたき寂しき夜なり
おとなしく身をまかせつる幾年は親を恨みし反逆者ぞ
ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで
生けるかこの身死せるかこの身
踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故いだき立てる火の前
月影はわが手の上と教へられさびしきことのすずろ極まる
女とて一度得たる憤り媚に黄金に代えらるべきか
吾は知る強き百千(ももち)の恋ゆゑに百千の敵は嬉しきものと
君故に死も怖るまじかくいふは魔性の人か神の言葉か
わたつみも沖に火燃ゆる火の国に我あり誰ぞや思はれ人は
幾億の命の末に生まれたる二つの心そと並びけり
わが命惜まるるほどの幸を初めて知らむ相許すとき
南無阿弥陀仏マカセマツリシヒトスジノ
ココロトシレバスクワセタマヘ
誰か似る鳴けようたへとあやさるる緋房の籠の美しき鳥
ともすれば死ぬことなどを言ひ給ふ恋もつ人のねたましきかな
年経ては吾も名もなき墓とならむ筑紫のはての松の木のかげに
我歌のよきもあしきものたまはぬ歌知らぬ君に何を語らむ
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわれのうちに見つ
1961年(昭和36年)76歳 緑内障で両眼失明
1967年(昭和42年)81歳 死去
*「霊ぶ(くしぶ)」ーーー不思議なはたらきをする。神秘的な力をもっている。「すなはち-・びますことをあやしみ給ひき/釈日本紀」
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ ジョーク、冗談、ユーモアは生活の調味… 2014.10.22
◆ 消えていってこそ虹 2014.10.21 コメント(2)
◆ 映画っていいね。色々あるから良さも… 2014.10.20
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着