『かた栗』



登場人物表

綾乃(一六)女性。くりの者。
千塚 鹿ノ介(二一)男性。剣術道場主。

桜丘 松梅(一八)男性。道場の門人。
荘内、亀井、春日 いずれも男性。門人。

桂花(一七)女性。新参の惣嫁。
権兵衛(?)古参の惣嫁。

弓削 久利(六六)男性。蘭方医。
お佐渡(七三)女性。千塚家の下女。

千塚 蔵人(五〇)男性。先代道場主。
千塚 累(四二)女性。蔵人の妻。

刑部 臥竜(?)男性。くりの里の長老。

宗像(三〇)男性。浪人。元くりの者。





●千塚道場・庭・朝
   晩春の穏やかな陽光が降る庭。
   地面の米粒を啄む雀たち。
   稽古場から澄んだ気合いの声。
   泡を食って飛び立つ雀たち。
   後に取り残された一羽。
   傷ついた翼を抱えて右往左往。
   少し離れた所に蹲ったどら猫。
   欠伸をしながら片目で雀を見ている。

●同・稽古場
   無様に転がった防具姿の大男。
   それを見下ろす小柄な防具姿。
   竹刀を油断なく構えて。
   周囲に坐した門人たち、ざわつく。
   審判役の千塚鹿ノ介、落ち着いて。
鹿ノ介「次、荘内!」
荘内「応!」
   歩み出る次の挑戦者。
   先陣に劣らぬ恵まれた体格。
   一回りも小さい相手と対峙する。
鹿ノ介「始め!」

●同・庭
   今にも雀に飛び掛からんとする猫。
   その首根っこを軽く摘み上げる手。
   威風堂々たる初老の男、千塚蔵人。
   その目には憐みも蔑みも無く。

●同・稽古場
   空を切る荘内の竹刀。
   相手の姿を見失ってたたらを踏む。
   懐深くに潜り込んだ相手。
   荘内の胴を抉るように薙ぎ払う。
   そのまま背後に回り二の太刀の構え。
鹿ノ介「お見事です」
   よく通る声で試合を止めた鹿ノ介。
   門人に目で合図し、竹刀を受け取る。
   差し出された防具は断って。
鹿ノ介「私とも手合わせ願いましょう」
   向かい合う鹿ノ介と小柄な剣士。
   獰猛な獣のように逸る剣士の切っ先。
   対する鹿ノ介は揺るがぬ晴眼の構え。

●タイトル

●千塚道場・稽古場
   閑散としながら未だ熱気の漂う空間。
   縁側の向こうに見える庭。
   井戸の周りで水浴びをする門人たち。
   半裸の男たちの鍛えられた肉体。
   緊張感も品も無い若者特有の談笑。
   庭に向かった襖を閉じる鹿ノ介。
鹿ノ介「男所帯の上、気の利かぬ弟子ばかり
 で申し訳ない。どうぞ、あなたは湯殿にて」
   壁際に正座して防具を脱ぐ剣士。
   面の下から艶やかに結い上げた黒髪。
   上気して汗に濡れた綾乃の顔。
綾乃「お気遣い感謝いたします。ですが私も
 井戸で結構。皆さまが使い終わられてから
 頂戴します」
鹿ノ介「それは困る・・・」
   背を向けて口ごもる鹿ノ介。
   先程までの達観とは打って変わって。
綾乃「あら、私は平気ですわ。兄との野卑な
 旅で慣れておりますから」
鹿ノ介「・・・私が困るのです」
綾乃「・・・・・・!」
   鹿ノ介の含羞に釣られて綾乃も赤面。
綾乃「・・・では、お言葉に甘えて」

●同・湯殿
   濡れ髪を梳きながら物思う綾乃。
   高窓からの陽光が肌の上の雫を輝かす。
   青さを残しながらも美しく実った肢体。
綾乃「馬鹿みたい。おぼこでもないのに」
   自分の軀を苦々しく見下ろして。
   脳裏に浮かぶ鹿ノ介の背中。
   その姿がもやもやと別の男に変化。
綾乃「・・・あの山猿とは大違い」

●同・座敷・午後
   向かい合って座る鹿ノ介と綾乃。
   綾乃、凛々しい若侍の装い。
鹿ノ介「お兄上から何か便りは?」
綾乃「それが一向に。元々筆不精ではあるの
 ですが、他家に御迷惑をお掛けするのです
 から丁重な文の一通や二通横着せずとも」
鹿ノ介「いやいや、それこそあの御方の身上
 ではございませんか。私はそのような闊達
 さに惚れたのです。挨拶などこれで十分」
   懐から折り畳んだ半紙を取り出す。
   広げた半紙に大雑把な筆で。
   『妹たのむ おくれて行く 宗像』
綾乃「お恥ずかしい限り・・・」
   うなだれる綾乃。
鹿ノ介「顔をお上げくだされ。そもそも三島
 の宿にて旅慣れぬ私を護摩の灰よりお救い
 くださったのが縁。上方へお越しの折りは
 是非お立ち寄りにと私の方から無理に申し
 上げたのです。お兄上がお着きになるまで、
 我が家のようにお寛ぎいただきたい」
   鹿ノ介の青空のような笑顔。
   眩しそうに目を逸らす綾乃。
綾乃「千塚さま」
鹿ノ介「その呼ばれ方はくすぐったい。まだ
 若輩、綾乃殿とさして年齢も変わりません。
 どうか、名の方で」
綾乃「では、鹿ノ介さま」
   あらたまって膝を揃える綾乃。
綾乃「田舎者の願いを一つ、お聞きいただけ
 ませぬか」

●同・後刻
   廊下から座敷を覗き込む蔵人。
   抱えた鳥籠には傷ついた雀。
蔵人「お佐渡、鹿ノ介は何処じゃ」
   座敷を調えていた老婆が振り返る。
   どことなく陰気で、まるで妖怪。
お佐渡「ご客人を洛中までご案内に。夕餉の
 刻までにはお戻りと。旦那様は如何なさい
 ますか?」
蔵人「出掛けるゆえ支度は不要じゃ。留守中
 に弓削先生が見えたらいつも通り離れへ」
お佐渡「かしこまりました」
蔵人「それと、こやつ」
   鳥籠を掲げて示す。
蔵人「傷が癒えるまで世話いたせ。くれぐれ
 も無碍に扱うでないぞ」
   鳥籠を恭しく押し頂くお佐渡。
   蔵人が去った後、皮肉っぽい呟き。
お佐渡「まったく信心深いことで・・・」

●洛中・市街・午後
   老若男女が行き交う賑やかな大通り。
   鹿ノ介に連れられて歩む綾乃。
   物珍しげにあちこち目を移して。
綾乃「やはり古よりの都、これほど華やかな
 町並みは見たことがございませぬ。中途の
 宿場で幾分かに縮めたような町並みは目に
 しましたが、とても比べ物には・・・」
   興奮して早口になる綾乃。
   反比例するように足取りは遅れぎみ。
   自然に歩幅を合わせる鹿ノ介。
鹿ノ介「何処か行きたい所がお有りなのでは
 ないですか」
   はしゃぎすぎに気づく綾乃。
綾乃「あ、はい。では五条の橋へ」

●五条の橋・午後
   橋の袂からアーチを見上げる綾乃。
綾乃「ここで牛若と武蔵坊が・・・」
鹿ノ介「そう伝えられております。綾乃殿は
 『義経記』をお読みに?」
綾乃「幼き頃に爺様・・・いえ、雇人の爺や
 が語り聞かせてくれたのです。毎夜毎夜、
 私が飽きもせぬものだから同じ下りばかり」
鹿ノ介「左様ですか。私もよく父にねだった
 ものだ。尤も、牛若と武蔵坊と真に優れた
 武芸者はいずれと思うか問い詰められて、
 終いに泣き出してしまうのが落ちでしたが」
   苦笑する鹿ノ介。
綾乃「厳しいお父上様ですのね」
鹿ノ介「一切、子ども扱いされませんでした。
 今ではすっかり穏やかになられたが・・・
 無理もない」
   鹿ノ介の快活な眼差しがふっと曇る。
   見て見ぬふりの綾乃。
綾乃「・・・橋、渡ってみようかな」
鹿ノ介「ではご一緒に」
綾乃「向こうまで行ってまた帰るだけです。
 独りで大丈夫、すぐ戻りますのでこちらで
 お待ちになって」
   人々の往来に混じる綾乃。
   振り向いて笑顔で手を振る。
   恰好も相まって無邪気な少年のよう。
   思わず振り返した鹿ノ介の曇りも消え。

●同・承前
   橋の中程に差し掛かる綾乃。
   人波に逆らって欄干に近づく。
   擬宝珠の継ぎ目に指を。
   細く丸められた紙片を抜き取って。

●寺院の参道・茶店・夕
   道に面した緋毛氈敷きの縁台。
   並んで腰かける鹿ノ介と綾乃。
   熱い茶を啜りながら通行を眺めて。
   茜さす坂道に途絶えぬ人足。
鹿ノ介「まだ慣れませんか」
   夢見るような綾乃の横顔。
綾乃「少し人に酔ってしまいました。人より
 猿が多い里で育ったものだから」
鹿ノ介「武芸は、その里で?」
綾乃「長じるまでは専ら槍を。剣は近ごろに
 なって兄から習い始めたばかり。ですから、
 お恥ずかしながら鹿ノ介さまには一太刀も」
鹿ノ介「習い始めと思われぬ腕前でしたよ。
 それに覇気も。どの対戦者もすっかり飲ま
 れていた。卑下なさることはない」

●千塚道場・稽古場・回想
   対峙したまま微動だにしない二人。
   綾乃の視界で揺らぐ鹿ノ介の輪郭。
   やがて跡形もなく消え失せて。
   竹刀を取り落とす綾乃。
   いつの間にか籠手に入れられた一本。
   間合いの内に立っている鹿ノ介の姿。

●寺院の参道・茶店・夕
   晩鐘が腹に重く響き渡る。
綾乃「お姿がまるで蜃気楼のように・・・。
 あれは一体?」
鹿ノ介「己が内より雑念を追い出したからで
 しょう。勝負欲、敵意、殺意。総て剣には
 有害無益なもの」
   鹿ノ介、真剣な面持ちで。
鹿ノ介「<死なさずの剣>、それこそ我が一門が
 辿り着いた剣術の極意です」
綾乃「敵を殺めぬということでしょうか」
鹿ノ介「それは飽くまで理の一部。己を死な
 さず、己が同胞を死なさず、さすれば仇を
 死なす理も無し。誰の命をも奪うことなく
 大切なものを守り通す。絵空事と嗤われる
 かも知れませんが、私の目指す境地はそこ
 に有る」
綾乃「殺そうとする剣より、活かそうとする
 剣の方が強いと?」
鹿ノ介「そう教わり、そう教えております」
   厳格な表情に、ふと弱気が滲む。
鹿ノ介「尤も父の域には遥かに及びませぬ。
 先代が退いてからは門人の数も減る一方。
 昨今では理非を嫌い、他者よりも強くなる
 ことにのみ心血を注ぐ若者が目立つ。私の
 指導など、心に届いてはおらぬでしょう」
   茶碗を置いて立ち上がる鹿ノ介。
鹿ノ介「そろそろ戻るとしましょうか。もう
 日が落ちる。遅くなるので駕籠を」

●同・四ツ辻・夕
   樹の下で休む町駕籠に歩み寄る鹿ノ介。
鹿ノ介「もし、伏見までやってくれないか」
   物臭げに顔を上げる駕籠舁きたち。
駕籠舁き甲「もう上がりじゃが」
鹿ノ介「駕籠賃なら多少弾むぞ」
駕籠舁き乙「ええやないか。今晩の酒代もう
 ちっくと稼がんね」
駕籠舁き甲「ほうじゃの。けんど二人は乗せ
 られんき」
鹿ノ介「連れを乗せてやってくれ。私は脇を
 走ろう」
綾乃「私が走ります。鹿ノ介さまがどうぞ」
駕籠舁き乙「どうでもええきに、早う決めて
 くれんかい」
   譲り合う二人に迷惑顔。
   その時、唐突に起こる喊声。
駕籠舁き乙「いけん!」
   客を置いて逃げ出す駕籠舁きたち。
   そこに雲霞の如く襲いかかる侍たち。
   揃いの隊服の浅葱色が入り乱れ。
鹿ノ介「狼藉はやめよ!」
   制止も虚しく斬り伏せられる駕籠舁き。
   ぼろ雑巾のように横たわる二人の亡骸。
鹿ノ介「何の真似だ。市井の者をこんな惨い
 目に・・・」
   隊士の一人、血振りして納刀。
隊士丙「貴様、こやつらの仲間か」
鹿ノ介「いや、ただの客だ」
隊士丙「ならば首を突っ込むな。その首が胴
 から離れることになるぞ」
   鹿ノ介たちの口論を見守る綾乃。
   その指が音もなく鯉口に掛かる。
隊士丁「そっちの坊や、抜くんじゃない」
   いつの間にか綾乃の背後に別の隊士。
隊士丁「ここで我々と一戦交えたいか」
   漲る緊張を破って口を開く鹿ノ介。
鹿ノ介「・・・よしなさい」
   黙って刀から手を離す綾乃。
隊士丙「お利口さんだ。悪党を庇って墓穴を
 増やす道理は無いからな」
鹿ノ介「この者どもが何をしたと云うのか」
隊士丙「お上に背く大罪よ。こやつらを只の
 駕籠舁きと思うか。うまく化けてはおるが
 紛れもない脱藩浪士、それも公卿さまを殺
 めた下手人との疑いが掛かっておる」
   亡骸を爪先で邪慳に扱う隊士。
隊士丙「当然の裁きだ」
綾乃「・・・疑いだけで斬るのか」
   砂を噛むような綾乃の呟き。
   微かに聞き咎める背後の隊士。
隊士丁「何か申したか?」
鹿ノ介「行きましょう」
   綾乃の袖を引っ張って場を離れる。
鹿ノ介「これもまた、今の京の貌です」
綾乃「・・・・・・」
   二人の背を落日が朱く染める。

●千塚道場・外・夜
   すっかり夜の帳が下りた屋敷町。
   築地塀沿いに歩く鹿ノ介と綾乃。
   鹿ノ介、むっつり黙り込んで。
   綾乃、気遣うように無言で従う。
   道場の門前に一丁の上等な駕籠。
   今しも降り立った粋な装束の老人。
   薬箱を持たせた少年を連れて門内へ。
   門の手前で立ち止まる鹿ノ介。
綾乃「こんな刻限にお客様なんて」
   綾乃の呟きに、やや迷ったのち。
鹿ノ介「・・・弓削先生、お医者様ですよ」
綾乃「・・・どなたかお悪いのですか?」
   振り向いた鹿ノ介、不自然な笑顔。
鹿ノ介「すっかり遅くなりましたね。歩いて
 お腹も空いたでしょう。婆やを待たせては
 悪い。さあ入りましょうか」
   そのまま振り切るように門内へ。
   綾乃、少しの間その場に留まる。
   綾乃の脳内に響く宗像の声。
宗像(声)「千塚道場を見張ってくれ。些細
 な事でも構わん、怪しき兆を決して逃すな。
 おぬしの目と耳と鼻だけが頼りなのだ」

●同・座敷
   寝巻に着替えて文机に向かう綾乃。
   背後にポツンと敷かれた布団。
綾乃「狙いも明かさずに、ただ見張れだと。
 相変わらず虫が好かん男だな」
   手元に広げた紙片の文字を目で追って。
綾乃「・・・俺が着くまで無茶はするなよ?
 あやつ、私を何だと思っているのだ」
   ぶつぶつ文句を吐き続ける綾乃。
綾乃「そもそも、このような由緒ある道場に
 怪しき事など」
   突然に揺らぐ行燈の火。
   綾乃の耳、ピクリと動く。
   閉ざされた襖の向こうに闇の庭。
   微かに何物かが忍び歩く音。
   くぐり戸が開き、また閉じる。
綾乃「怪しき事など・・・」

●洛中・三条の橋・夜
   暗い河原を人目を忍んで歩む男女。
   女、茣蓙を抱えた貧相な惣嫁。
   男、宗十郎頭巾で顔を隠した武家風。
惣嫁甲「今晩はえろう混んでるわ。急にええ
 陽気になったさかい、あっちでもアンアン
 こっちでもアンアン。まるで盛りのついた
 犬っころや」
   空き場所を探しながらおどける惣嫁。
惣嫁甲「まあ、うちらもこれから犬になるん
 やけどな」
   婀娜っぽい笑みを向けるも男無言。
惣嫁甲「ああ、この辺が具合良さそうや」
   橋脚の陰を覗き込む惣嫁。
惣嫁甲「石は片付いとるし地べたも湿気って
 へん。先に誰か使うたんやろ。ね、旦那」
   振り返ろうとした惣嫁の口を塞ぐ手。
   抵抗する暇もなく脇差が喉を掻き切る。
   白く裏返る惣嫁の眼。
   どこかで本物の犬が遠吠えている。

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