lièvre à la royale



翔子(三五)女性。オーナーシェフ。

卯月(二一)男性。大学生。翔子の同居人。

安芸(四四)男性。翔子のパトロン。





●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・厨房・昼
   手際よく捌かれる獣肉。
   コックコート姿で包丁を振う翔子。
   手指を薄く血に染めながら。

●タイトル『lièvre à la royale』

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・前・午前
   店の前に仕入業者のトラック。
   大きなスチロール箱を受け取る翔子。
業者「今日はいい鹿モモが入ってるよ。あと
 頼まれてたウズラね」
翔子「リエーブルは?」
業者「今季はどうも不猟みたいだよ。まあ、
 気長に待つことだね」
   いぶし銀の笑いを見せて去る業者。
   箱を抱えたまま見送る翔子。

●翔子の部屋・ダイニング・夜
   ダイニングテーブルに部屋着の翔子。
   グラス片手にノートパソコンを触る。
   傍らには少し減ったレミーマルタン。
   カーディガンの肩に背後から手が。
   甘えるように覆いかぶさる卯月。
   キャミソールの胸をさわさわ弄る。
   卯月の手をそっと払いのける翔子。
翔子「言ってるでしょ。ここは食事の場所」
卯月「翔子さんだって何か見てるじゃん」
   PC画面に映るワインリスト。
卯月「お酒見ながらお酒飲むって、どんだけ
 のんべえなの」
翔子「仕事よ。マリネに使うワインを探して
 るの」
卯月「ふーん。今度はどんな料理?」
翔子「リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル」
卯月「Fラン大学生バカにしてる?」
翔子「野ウサギの王家風」
   翔子の背中から離れる卯月。
卯月「ベッドで待ってる。早く来ないと爆睡
 しちゃうからね」

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・厨房・昼
   翔子、ウズラの仕込み中。
   一羽一羽腹を開いて詰め物の準備。
   迷いなき手つきだが心ここにあらず。
   翔子の首筋に前歯の歯型。

●翔子の部屋・ベッドルーム・早朝(回想)
   シーツから半裸で這い出す翔子。
   シーツの中で丸まっている卯月。
   首筋を撫でる翔子。
翔子「あまり歯を立てないでね。人前に立つ
 商売なんだから」
   卯月、シーツの中でモゴモゴ。
   苦笑いしてバスルームに向かう翔子。

●同・バスルーム・早朝(回想)
   降り注ぐシャワーの雨。
   心地良さげに浴びる翔子。
   ふと切なげな表情がよぎって。
   へその下へと伸びる右手。
   眼の縁と頬がピンクに染まる。
   快感と苦痛に耐えるように唇を噛んで。
翔子「どうして入れてくれないの・・・」

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・厨房・昼
   手先が狂って落とされるウズラの足。
   我に返った翔子、重い溜息。

●同・フロア・夜
   たった五席のこじんまりとした店内。
   上品な老若男女で満席。
   スタッフは翔子を入れても三人だけ。
   てきぱきと給仕する初老の男性。
   厨房でカスタードを絞る若い娘。
   席に呼ばれて笑顔で挨拶する翔子。
   その頸には鮮やかな朱のスカーフ。
   賞賛の言葉に花咲く笑顔で応えて。

●繁華街~車内・夜
   信号待ちする赤いシトロエンC3。
   横断歩道を渡る華やかな人々。
   運転席でハンドルに寄りかかる翔子。
   街の灯や信号が疲れた顔を化粧する。
   車内、助手席に置かれた紙袋。

●翔子の部屋・ダイニングルーム・夜
   ダイニングテーブルに突っ伏す卯月。
   退屈そうに何か齧りながら。
   器と口元を往復する卯月の手。
   何もつけない野菜スティック。
   玄関の鍵が回る音。
   卯月、生き返ったように飛び起きる。

●同・玄関~リビングルーム・夜
   上がり框でブーツを脱ぐ翔子。
   奥から忠犬のように駆けてくる卯月。
卯月「おかえりなさい、翔子さん」
翔子「ただいま。いい子にしてた?」
卯月「いい子すぎて今すぐ天国行けそう」
翔子「今死なれちゃ困るわよ。大学は?」
卯月「まあ・・・ボチボチ?」
翔子「またサボったな。出席日数大丈夫?」
卯月「翔子さんは変な心配しなくていいの。
 毎日遅くまで頑張ってるんだから」
翔子「新メニュー開発がね。はい、これ」
   廊下を歩きながら紙袋を渡す。
卯月「何?」
翔子「今日の成果。また感想ちょうだい」
   コートのままソファに倒れ込む翔子。
   ソファのひじ掛けに腰を下ろす卯月。
卯月「食べなくても分かる。翔子さんの料理
 は全部神」
翔子「それじゃ参考にならないわ。今日はね、
 ウズラのテリーヌ。お店に出せなくなった
 ウズラを使ったの。パテの中身が新機軸。
 何を入れたか当ててみて」
卯月「うーん、今はちょっと・・・」
   なぜかためらい気味の卯月。
翔子「お腹空いてないなら明日でもいいよ」
卯月「わかった。冷蔵庫入れとくね」
   紙袋を持ってキッチンの方へ。
翔子「ごめんね、いつも一緒にごはん食べれ
 なくて」
卯月(声)「気にしないで。ここにいさせて
 もらえるだけで十分なんだから」
   翔子、やっとリラックスした笑顔。

●ホテル・駐車場~車内(回想)
   アイドリング中のレクサス。
   運転席に安芸、助手席に翔子。
   共にパーティー帰りの服装。
安芸「こうしてると思い出すよ。まだ会って
 間も無い頃だった。君を送る途中でひどい
 渋滞につかまって」
翔子「・・・・・・」
安芸「すぐに話題が尽きてお互い黙り込んで
 しまった。雨の音がやけに耳についたのを
 覚えてる」
翔子「・・・・・・」
安芸「君が緊張してるのが伝わってきたから
 何とかしなきゃと焦って思いついたのが」
   言いかけて思い出し笑い。
   翔子、無反応。
安芸「やれやれ、あの頃は私もまだ青かった。
 あれから十年・・・いや十二年か」
   煙草に火をつける安芸。
   勧められて無言で断る翔子。
   フロントガラスに吹きかけられる煙。
安芸「二人で会うのはこれっきりにしよう。
 無論、店は最後まで面倒見させてもらう」
翔子「・・・・・・」
安芸「上客の紹介だって・・・」
   最後まで聞かずにドアを開ける翔子。
   翔子の腕を掴んで引き戻す安芸。
   強引に抱きしめ翔子の唇を奪う。
   翔子、最初は抵抗するも流されて。
   やがて安芸の腕の力が弱まる。
   するりと腕から抜ける翔子。
   体を半分車の外に出して振り向く。
翔子「つまらなかったわ。あの時の落語」
   精一杯のいい女の笑顔を向けて。

●路地裏・夜(回想)
   汚れたアスファルトを打つ雨。
   壁に手をついて呻く翔子。
   肢体に張りつくパーティードレス。
   足元で吐瀉物が雨に溶けてゆく。
   そっと背中を撫でる手。
   振り返った翔子に卯月の笑顔。
   自分もずぶ濡れになりながら。
卯月「おねえさん、だいじょうぶ?」

●翔子の部屋・リビングルーム・夜(回想)
   ソファで目を覚ます翔子。
   下着姿に掛けられたブランケット。
   キッチンでケトルが笛を吹く。
   警戒しながら体を起こす翔子。
   キッチンから卯月が現れる。
   湯気の立ったマグカップを捧げて。
卯月「しょうが湯。向こうにあったから勝手
 に淹れちゃった。体、冷えてるでしょ」
   マグカップを怖々受け取る翔子。
翔子「・・・どうやって入ったの?」
卯月「鍵渡してきて、早く開けなさいって。
 おねえさん、めっちゃ偉そうだったよ」
   翔子、赤面。
   ごまかすようにマグカップに口。
翔子「・・・おいし」
卯月「よかった。お湯で溶いただけだけど」
   まだ濡れた髪で無邪気に笑う。
翔子「シャワー」
卯月「ん」
翔子「使ったら?」
卯月「いいの? 名前も知らない男に」
翔子「じゃあ教えて」
卯月「うづき。四月の、卯月」
翔子「季節外れね」

●同・ベッドルーム・深夜(現在に戻る)
   寝返りを打つ翔子。
   寝返りを打たれた側に卯月。
   天井をじっと見つめている。
   一瞬、舞い落ちる雪の幻影。
翔子「おとうさん・・・だめだよ・・・」
   翔子の幼い寝言と共に消える雪。
   静かにベッドから降りる卯月。
   翔子を起こさないように。

●同・キッチン・深夜
   冷蔵庫からタッパーを取り出す卯月。
   容器に透けて見えるテリーヌ。
   迷わずゴミ箱に歩み寄る卯月。
   ペダルを踏んで蓋を開ける。
卯月「ごめんね、翔子さん」
   生ゴミの上に落ちるテリーヌ。
   隠すように被せられる紙ナプキン。
   卯月の表情は暗くて見えない。

●同・ダイニングルーム・朝
   パジャマのままで珈琲を飲む翔子。
   洗面所から卯月が出てくる。
   髪も服装もすっかり外出支度。
翔子「珍しい。まじめに登校?」
卯月「たまには顔見せとかないとね。友達に
 死んだか捕まったって思われる」
翔子「へー、友達いたんだ」
卯月「それ事実陳列罪」
翔子「じゃあ、いないんじゃん」
卯月「・・・・・・」
翔子「ごめんごめん。そうだ、テリーヌ」
卯月「え」
翔子「ウズラ以外の材料。分かった?」
卯月「えーっと・・・ひまわりの種?」
   卯月、スニーカーを履きながら。
翔子「ブッブー。なんか適当じゃない?」
卯月「アイドンノウ。降参降参。じゃ!」
   逃げるようにドアの外へ。
翔子「正解は明太子でした・・・」
   独り言の虚しい答え合わせ。

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・厨房・午前
   何度も書き直されたメモ。
   コース料理のメニュー表。
   一度消しかけたメインディッシュ。
   思い直して何重もの丸で囲む。
   『リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル』。
   厨房の壁を見つめる翔子。
   貼られた写真、コックコートの父親。

●同・前・午前
   店の前に仕入業者のトラック。
   物問いたげに業者を見る翔子。
   業者、残念そうに首を横に振る。

●同・厨房・午前
   給仕とパティシエを前にした翔子。
給仕「潮時です。メインを変えましょう」
翔子「まだ一週間あるわ」
給仕「お嬢さん・・・」
翔子「その呼び方はよして。ここはもう私の
 店よ。父のじゃない」
パティシエ「シェフ、リエーブルになぜそこ
 までこだわるんですか」
   無邪気な問いに思わず口が開く。
翔子「・・・邪魔したのよ私」(呟く)
パティシエ「え」
翔子「何でもない。とにかくメニューはこの
 ままでいくわ。さ、開店準備よ」

●同・前・夕
   ドアに掛けられた『Fermé』の札。

●同・フロア・夕
   がらんとした店内を見回す翔子。
パティシエ「やんなっちゃいますね、当日に
 なって団体キャンセルなんて」
翔子「集団食中毒なんだって。仕方ないわ。
 うちで食事された後に発症しなかっただけ
 マシ」
パティシエ「これ、試食してもらえますか。
 来週のVIP向けの新作です」
   テーブルの上にデセールの皿を置く。
   皿の上に広がる雪化粧されたお花畑。
翔子「わあきれい。花びらはフルーツ?」
パティシエ「はい。ベースをスフレで作って
 アケビのソルベを添えてみました」
   スプーンで掬って口に運ぶ翔子。
翔子「口当たりが最高ね。コースの締めには
 ぴったりだわ。見た目も華やかだし外国の
 お客様にも気に入っていただけそう。うん、
 よくがんばりました」
   褒められて照れるパティシエ。
翔子「今日は早く帰って自分のために時間を
 使いなさい。店は片づけておくから」
パティシエ「はい、お疲れさまです」
   パティシエと入れ替わりに給仕。
翔子「お疲れさま。どうだった?」
給仕「仕込んだ食材はすべて引き受けていた
 だけました」
翔子「よかった。持つべきものは近所の同業
 他社ね。普段は手ごわいライバルだけど」
給仕「食材の質がいいって大喜びでしたよ」
   コートを脱ぎながら顔色を窺う。
給仕「あと、差し出がましいようですが」
翔子「どうぞ」
給仕「クレマン様の件、もしもの時を考えて
 京都産のカナールを手配しております」
   翔子、溜息と微笑。
翔子「本当にあなたって心配性ね。父が信頼
 していたのも納得だわ」
   一礼する給仕。

●同・フロア・夜
   一席を除いて椅子を上げたテーブル。
   残された席に翔子、眼前にはリスト。
   ペン片手に電話をかけている。
翔子「そうですか、入荷の見込みも・・・。
 いいえ、無理を申しまして。引き続きよろ
 しくお願い致します」
   電話を切ってリストを消し込む。
翔子「お世話になっております。こちらル・
 ロワの・・・」
   卓上に置かれたワイン瓶とグラス。

●駅・夜
   改札口から出てくる翔子。
   寒さと酔いで頬が林檎色。
   俯きがちの目をふと上げる。
   卯月のお出迎え。

●マンション・エレベーターホール・夜
   並んで待つ翔子と卯月。
翔子「よく分かったね、車置いてくるって」
卯月「野生の勘」
翔子「何よそれ」
卯月「僕、耳がいいんだ」
   耳をピクピクと動かす卯月。
翔子「関係ないじゃん」(笑う)

●翔子の部屋・玄関・夜
   鍵が回ってドアが開く。
   部屋に一歩踏み入る翔子。
   目を閉じて鼻をひくつかせる。
翔子「これって・・・」
   後ろで得意げな卯月。

●同・ダイニングルーム・夜
   テーブルに鎮座する土鍋。
   添えられた鍋つかみで蓋をとる翔子。
   湯気が翔子の顔を包み込む。
   鍋の中、ホカホカのおでん。
翔子「キミが作ったの」(震え声)
卯月「翔子さん、いつも作る専じゃん。たま
 には食べ専もいいんじゃない?」
   洟をすする翔子。
   卯月、聞こえないふり。
卯月「お酒、何がいい? 日本酒切らしてた
 っけ。いつも飲んでるのにする?」

●同・承前
   取り皿の大根を割る箸。
   レミーマルタンの琥珀色。
   少女のようにはしゃぐ翔子。
   保護者のように見守る卯月。
翔子「おいしいよ。出汁しっかりとれてる。
 まさか、飲食でバイトとかしてた?」
卯月「全然」
翔子「じゃあ才能あるのかも。将来こっちの
 道も考えてみたら?」
卯月「今のお仕事、楽しい?」
   箸を止めて考え込む翔子。
翔子「うーん・・・楽しみが百とはいかない
 わね。苦しいことも悲しいこともたくさん
 あるし。でも、厨房に立てば平気」
卯月「ふふ、何かの歌詞みたい」
翔子「厨房に立って食材と向かい合うとね、
 そこはもう私たちだけの世界。面倒くさい
 壁もしがらみもきれいさっぱりなくなって、
 料理という愛の行為がはじまる」
卯月「愛?」
翔子「そ。食材はすべて命だから。あ、この
 ガンモもおいしい!」
   がんもどきを食べてはお酒を一口。
卯月「おでんに洋酒って合うの?」
翔子「合う合う。試す?」
   レミーマルタンの瓶を押しやる。
卯月「やめとく。気にはなるけど」
翔子「そう言えば飲んでる姿見たことない。
 やだ、気づかなかったわ。いつも私ばかり
 酔態演じちゃってる・・・」
卯月「酔ってる翔子さんもカワイイよ」
   水のグラスを口に運んで。
卯月「体質に合わないんだ。本当はちょっと
 飲んでみたいけど。きれいな色してるから、
 きっと味もきれいなんだろうなって」
   グラスを持った翔子の手が止まる。
   鍋を見ながら何かに気づいて。
翔子「卯月ってさ・・・」
卯月「?」
翔子「もしかしてベジタリアン?」
   絡み合う二人の視線。
   鍋の中で出汁に浸った具。
   コンニャク、じゃがいも、餅巾。
   結び昆布、ギンナン、人参。
   卯月、深く吐息。
卯月「さすが翔子さんだね。隠しとおすのは
 無理ゲーだったか」
翔子「つくづく自分が情けない。いくら食事
 するタイミングが合わないからって、今の
 今まで・・・」
   翔子の視線、ゴミ箱へ。
卯月「あの、ごめん、いつもの試食・・・」
   翔子、視線を卯月に戻して。
翔子「いいの。気にしないで。逆に私が謝ら
 なきゃ。これまで随分とイヤな思いをさせ
 ちゃったわね。本当にごめんなさい」
卯月「謝らないでよ。そんなことされたら」
   卯月の目から涙が溢れる。
   席を立つ翔子。
   何も言わず卯月の背後に回り込む。
   ギュッとバックハグ。
翔子「泣くな男の子」
卯月「・・・だって草食系だし」
翔子「ベッドの中だと肉食系なのに?」
   卯月、泣き笑い。
卯月「オヤジくさいよ、そのセリフ」
翔子「オバサンくさいよりいいでしょ」
   おでんは冷めても心は温かい。

●同・ベッドルーム・深夜
   ベッドの上の翔子と卯月。
   乱れたシーツ、疲れた肢体。
翔子「・・・ありがとね」
卯月「え」
翔子「いつも私を気持ちよくしてくれて」
卯月「そういうの、あらたまって言われると
 ハズイんですけど」(背中を向ける)
翔子「なによ、さっきまでケダモノみたいに
 人のカラダ貪っておいて」
卯月「・・・・・・」(寝たふり)
翔子「キミに何かしてあげたいの」
   卯月の背中を指でなぞる。
翔子「キミを満足させたい。だから・・・」
卯月「・・・・・・」
翔子「私と一つになるの、イヤ?」
卯月「・・・・・・」
   石になったように動かない卯月。
   翔子、溜息ひとつ。
   左耳からルビーのピアスを外して。
   卯月の手を開いて握らせる。
翔子「持ってて。私だと思って」

●雪原・午後(翔子の夢)
   五歳くらいの翔子。
   赤いダウンでモコモコに膨らんで。
   雪の丘を懸命に駆けのぼる。
   丘の向こうに見えてくる光景。
   雪原に跪いて何かを抱えている男性。
翔子「おとうさん!」
   笑顔で振り向く父親。
父親「翔子見てごらん、立派なもんだろ」
   父親の腕の中に大きな野ウサギ。
   ちょうど罠から外されたところ。
   傷ついて血が滲んだ後ろ足。
翔子「どうするの、その子」
父親「まずは血抜きだな。それから店で捌く。
 あとは赤ワインに浸けて・・・」
   翔子の唇が震える。
翔子「おとうさん」(雪に消え入る声)
父親「なんだ?」
翔子「だめだよ・・・殺さないで・・・」
   父親、ウサギを抱えたまま固まる。

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・前・夜
   ドアの前で客を見送る翔子。
翔子「ありがとうございました。又のご来店
 お待ちしております」
   しばらく頭を下げたまま。
   ようやく顔を上げた視線の先。
   門前の樅の木陰から漂う煙。
翔子「もう会わないんじゃなかった?」
   気まずそうに現れる安芸。
   煙草を携帯灰皿でもみ消す。

●同・フロア・夜
   ほとんどの照明が落ちた店内。
   一つだけ残った席にスポットライト。
   翔子と安芸、差し向かい。
   とっておきのワインを酌み交わす。
翔子「夢を見たの」
安芸「どんな夢」
翔子「子供の頃の夢。目が覚めた時、なんで
 今さらって思ったわ」
安芸「夢なんてそんなものだよ」
翔子「でも、よく考えたら必然だった。今の
 私の頭の中、リエーブル一色だもの」
安芸「随分ご執心だ」
翔子「父が作れなかった料理だから」
安芸「それ、君のせいじゃないだろ」
翔子「分かってる」
安芸「じゃあ・・・」
翔子「心の底では分かってるの。父が料理を
 作れなくなったのも、心が折れてしまった
 のも、私のせいなんかじゃないって」
安芸「君は背負い込みすぎだよ、昔から」
   翔子、グラスを飲み干す。
翔子「肩代わりしてくれるとでも?」
安芸「そうすべきだったのかもな、あの時」
   安芸、グラスを飲み干す。
   自分に注いで、翔子にも注ぐ。
安芸「逃げた奴の言うセリフじゃないが」
翔子「ごめんなさい。八つ当たりね」
   グラスを手で弄びながら。
翔子「クレマン様の事、あなたが手を回して
 くれたんでしょ」
安芸「最後まで隠れてるつもりだったんだ」
翔子「あなたの煙草、匂いがきついのよ」
安芸「メインで悩んでるって聞いて、居ても
 立ってもいられなくなって」
翔子「ありがとう。でもいいの」
安芸「・・・・・・」
翔子「いくらあなたでも、自然相手じゃ何も
 できないわ」
安芸「それはどうかな」(決め顔)
翔子「え」
安芸「冗談だよ」(崩れる決め顔)
   自嘲気味に笑う安芸。
安芸「出逢った頃の私なら、何とかできたん
 だろうな、たぶん・・・」
   二人、無言でグラスに口をつける。

●翔子の部屋・玄関~廊下・夜
   翔子の視点。
   覚束ない足取り。
   脱ぎ捨てたブーツ。
   伝線したストッキング。
   酔いにぼやける廊下。
   奥から聞こえるシャワーの音。

●同・バスルーム・夜
   卯月、シャワーの雨の下。
   音もなく開くバスルームの扉。
   いきなり卯月に抱きつく影。
   服を着たままの翔子。
卯月「ちょっと翔子さん、何して・・・」
翔子「大雨だー。もっと降れー」
卯月「酔ってるな。とりあえず離れて」
翔子「やだ、ぜったい離さない!」
   駄々っ子のようにしがみつく。
   翔子、たちまち濡れねずみ。
卯月「子供じゃないんだからさ・・・」
   辛うじてシャワーを止める卯月。
翔子「あ、やんだ・・・」
   無垢な瞳で卯月を見上げる翔子。
   その美しさに思わず戦慄する卯月。
翔子「ねえ卯月・・・」
卯月「え」
翔子「キスしてよ」
   背伸びする翔子の爪先。
   重なる二人の唇。
   長い長い口づけ。
   やがて翔子から唇を離して。
   すがりつくような切ない眼差し。
翔子「して」
卯月「・・・・・・」
翔子「最後まで」
   その時、卯月の鼻が何かを捉える。
   無意識に翔子を突き放す卯月。
   翔子、濡れた床にくずおれる。
翔子「なんで・・・」(べそをかいて)
卯月「匂い」
翔子「え」
卯月「嫌い、この匂い・・・」
   翔子の霞んだ視界を横切る煙。
   フラッシュバックする記憶。
   別れ際、翔子の頬に口づける安芸。
   その指に挟まれた煙草。
安芸(声)「幸運を祈ってる」
翔子「待って。私、あの人とは何も・・・」
   無視して背を向ける卯月。
   追いすがろうとして床を這う翔子。
   そのまま遠くなる意識。
   最後に見たのは卯月の後ろ姿。
   裸のままで軽く足を引きずって。

●雪原・午後(翔子の夢)
   銀世界を跳ねる野ウサギ。
   どんどん遠ざかって黒い点に。
   いつまでも見送っている幼い翔子。

●翔子の部屋・ベッドルーム・深夜
   童女のような翔子の寝顔。
   傍に顔を寄せる卯月。
卯月「また夢を見てる」
   翔子の唇が微かに動く。
卯月「翔子さんは何が欲しいの」
   答えを聞こうと耳を近づける。
   卯月の顔に広がる悲しげな微笑。
卯月「うん、知ってたよ」

●同・リビングルーム・朝
   ソファの前に立ちつくす翔子。
   きちんと畳まれた卯月の衣類。
   その隣に残された通学鞄。
   鞄の口に手を伸ばす翔子。
   恐る恐る中を覗いてみる。
   勉強道具の類は一切入っていない。
   唯一入っていたのはスーパーの袋。
   中には萎びかけたキャベツの玉。

●〈ル・ロワ・ドゥ・クール〉・前・朝
   赤いシトロエンC3が来る。
   運転席には赤い目をした翔子。
   店の前に仕入業者のトラック。
   車を止めて歩み寄る翔子。
   荷台からスチロール箱を下ろす業者。
翔子「今朝は早いんですね」
業者「フライングしちゃったよ。一刻も早く
 見せたくって」
   意気揚々と蓋を開く業者。
   箱の中で保冷材に囲まれた野ウサギ。
翔子「リエーブル・・・」
業者「仕掛けたてホヤホヤの罠にかかったん
 だとさ。待ってはみるもんだね」
   翔子、言葉もなく見つめる。
業者「ほい、受け取りのサイン」
   伝票を差し出す業者。
   無意識にペンを走らせる翔子。

●同・厨房・午前
   調理台の上の野ウサギ。
   その前に茫然と佇む翔子。
   包丁を手に取ろうともせず。
   やがて震え出す肩。
   翔子の口から洩れる声。
   笑いとも泣きともつかない呻き。
   感情の爆発もひとしきり。
   やにわに包丁を掴む翔子。
   無造作に前足に刃を入れる。
   続いて後ろ足。
   毛の間に古い傷痕が見える。
   愛しげに指で撫でる翔子。
翔子「きれいなお酒でマリネしてあげる」

●同・承前
   剥がされる野ウサギの皮。
   取り除かれ取り分けられる内臓。
   骨を抜き、切り開かれる一枚肉。
   ワイン、コニャック、香草でマリネ。
   内臓を他の具材と共にミンチに。
   使えない消化器官を始末する翔子。
   ふと、作業の手が止まる。
   胃袋の表面を探るような指。
   何か硬いものが中に。

●同・フロア・夜
   テーブルを埋めたクレマン御一行。
   スープを堪能し終えたところ。
   ワインを注いで回る給仕。
   自らメインの皿を捧げて現れる翔子。
   主賓の前に優雅に皿を置いて。
翔子「リエーブル・ア・ラ・ロワイヤルです。
 どうぞお楽しみくださいませ」

●同・厨房・夜
   拭き浄めた皿を片づける翔子。
   着替えたパティシエが顔を覗かせる。
パティシエ「お疲れさまです、シェフ」
翔子「お疲れさま。お褒めの言葉頂いたわよ。
 この国の冬のように美しい一皿だって」
パティシエ「ほんとですか。やったぁ」
   子供のように喜ぶパティシエ。
   背後で給仕が咳払い。
   パティシエ、きまり悪そうに退散。
給仕「まだ何かございますか」
翔子「あらかた片づいたわ。少し残っていく
 からお先にどうぞ」
給仕「そうですか。では失礼します」
   一礼して行きかける給仕。
給仕「お嬢さん、いえシェフ」
翔子「?」
給仕「ご立派になられましたね」

●同・フロア・夜
   一つだけ残した席に翔子。
   目の前には一皿のリエーブル。
   翔子、右耳のピアスに触れる。
   皿の傍らにはもう一つのピアス。
翔子「返してくれなくてよかったのに」
   フォークとナイフを手にとって。
   円盤型の料理の端を切って口に運ぶ。
   ソースと共に溶けてゆく肉と血。
   目を閉じた翔子の唇に微笑。
   その傍を転がり落ちる一粒の雫。
翔子「覚悟しなさい。もうどこへも行かせて
 あげないから」





                   了

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