はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2013.08.28
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  • しぶがきたい.JPG















裏の庭に柿ノ木を植えている  高さ6mで幹の直径が11センチで竹のような細い柿ノ木

2002-10月 柿の種 ポットに植える
2003-06-1日に芽がでていた
2006-03 3.0m 太さ 3センチ 3年生
2007-03 4.0m 4センチ 4年生
2008-03 4.7m 5センチ 5年生  ただ今 ココ 秋に満6年
2008-11 4.7m 6センチ これで6年と2ヶ月目 発芽してからは5年と5ヶ月
2009-04 4.7m 7センチ すこし太くなる これで6年と8ヶ月 発芽してから5年11ヶ月
2009-06 4.7m 7センチ これで6年と10ヶ月が過ぎた 発芽してからでは6年と1ヶ月

2009-12 5.7m 9センチ これで7年と04ヶ月が過ぎた 発芽してからでは6年と7ヶ月
2010-04 6.0m 9センチ これで7年と08ヶ月が過ぎた 発芽してからでは6年と11ヶ月
2011-01 6.0m 10センチ これで8年と05ヶ月が過ぎた 発芽してからでは7年と8ヶ月
2012-01 6.0m 10センチ これで9年と05ヶ月が過ぎた 発芽してからでは8年と8ヶ月
2013-02 6.0m 10センチ これで10年と06か月が過ぎた 発芽してからでは9年と9か月
2013-05 6.0m 11センチ これで10年と09か月が過ぎた 発芽してからでは10年

2013-06 3.0m 11センチ ついに 大きくなりすぎたので カットした
高さを半分にして 真ん中のところ 2箇所の枝をかっと
で みると 実がなくなった

今年は 実はなし


庭のしぶがき隊



今年も 渋柿の種からの発芽が 始まった

6月01日 庭にあちこちで 発芽している
6月02日 g-10の畑にも 発芽している

あちこちに 渋柿の種からの発芽が みられる

06月15日 しぶがき隊 すこし大きくなってきている

07月31日 やや大きくなってきている 畑に移動してみよう

しぶがき隊 畑で 育ててみよう
当分 畑で なんとか大きくしていこう
08月04日 10本の苗を畑に移動した  m-07の端っこに植え付けておいた

畑で1年くらい育ててみよう  大きくなるかな ???
08月11日 その後 苗は無事  なんとかなるだろう
08月25日 その後 苗は10本のうち 4本くらいは 大きくなりそうだ





東日本大震災 3月11日発生
8月28日は 既に900日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から18年

武田さんのブログ


【原発の安全】02・・・誕生の時の科学者の動き

「genpaturekisi02tdyno.355-(10:27).mp3」をダウンロード

広島・長崎の原爆の経験があるので、日本では軍事用の原子力利用にはアレルギーがあったので、「原子力の平和利用」を象徴する「非核三原則」と、「自主・民主・公開」の「原子力三原則」を表面にたてて政治的活動が行われた。

15年ほど後の沖縄返還の時にも、表面上は非核三原則を守り、密約で日本政府とアメリカで「沖縄への核の持ち込みは自由」ということになった。

このことから判るように、日本の核化は「政治、軍事、経済」が先行し、技術やエネルギーという視点ではなかった。つまり原子力の利用が大きな政治課題になったのは1950年代の終わりで、その後、1970年代まで、日本はエネルギーの不安は感じていなかったからだ。

それでは、原子力を導入する政治的な大がかりなキャンペーンの中で物理を中心とする原子力研究陣はどのような状態だったのだろうか?

戦争中に核反応(日本軍の原爆)を研究した理化学研究所の仁科芳雄、後にノーベル賞を受賞した湯川秀樹などの学者が日本の原子力研究の最初を担い、続いて戦後、伏見康司(日本学術会議会長)、茅誠司(東大総長)、武見太郎(日本医師会長)らが活躍した。

これらの人たちはその優れた頭脳で広島の爆弾が原爆であるということや、日本の原子力の平和利用に関する初期の段階で学者として活躍し、どちらかというと「批判派」でもあった。

つまり、正力松太郎、中曽根康弘などの政治、経済組がひたすら日本の核化を進める中で、主として軍事目的への原子力の利用を警戒し、かつアメリカからの安易な技術導入ではなく日本が自主的な研究開発を進めるべきであるというスタンスに立っていた。

しかし、今から歴史を振り返ると、政治・経済サイドが現実的で権力に基づく推進策を採ったのに対して、学者は理屈を述べていたこと、核物理や放射線の影響についてはかなりのレベルにあったものの、アメリカからの情報の不足もあって、原子力発電の安全性やそのエネルギー的意味などについては考えが及ばなかった。

基礎学問の面ではきわめて優れていた初期の原子力の人たちも、システムエンジニアリングのような分野は、概念すらはっきりはしていなかった。

当時、世界的には東西対立と原爆競争の中にあり、1955年のアインシュタインとバートランド・ラッセルによるロンドン宣言に見られるように「核の安全問題」はもっぱら「人類を死滅させる可能性のある核爆弾」に関心が集中していたことにもよる。

不思議なことで、人類の将来を脅かすものとしての環境問題が指摘されたのは、ロンドン宣言からわずか8年後のレイチェル・カーソンの著述物だった。世界の知性と言われたこの二人も、8年後を予測できなかったのだ。

それはともかく、当時、今日の原発の安全についてはほとんど意識されていなかったと言っても良い.またこの時代から科学者は必ずしも誠意がなく、たとえば仁科、湯川などの核物理の専門家は戦争中、原爆製造計画に携わっていたが、それは本人達からは明かされなかった.

(平成25年8月26日)武田邦彦


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最終更新日  2013.08.28 00:36:17
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