はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2018.07.29
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2017年
02月11日 ズッキーニの種 買ってきた  これは 4月に種まきする予定なり
04月08日 庭で ズッキーニの種まきをした
04月15日 ズッキーニ 種まきしたが 発芽はまだなり もうすこしかかりそう
04月22日 ズッキーニ  発芽した  これで 良し
04月23日 ズッキーニ g-09の畝に植え付けておいた
04月30日 ズッキーニ g--9の畝で 無事なり   半分くらいは なんとか生育しそう
05月03日 ズッキーニ 6本くらいは 無事に 生育してきている
05月13日 ズッキーニ 大きくなりだしてきている

05月21日 ズッキーニ 収穫をした  これくらいで いいかな
05月22日 ズッキーニ 成長は良い どんどん 大きくなっている
05月23日 ズッキーニ 2回目の収穫をしておいた
05月24日 ズッキーニ 成長は 早い  どんどん おおきくなるなあ
05月27日 ズッキーニ  なすび きゅうり より 早く実ができる
05月28日 ズッキーニ 3回目の収穫をした
06月03日 ズッキーニ 4回目の収穫をしておいた
06月04日 ズッキーニ どうみても 変な形をしているが 大きくなるものだなあ
06月10日 ズッキーニ 実が どんどん 大きくなる どんどん 収穫していこう
06月14日 ズッキーニ 2回目の収穫をしておいた
06月17日 ズッキーニ 3回目の収穫をしておいた

06月24日 ズッキーニ  ゆくりと 放置しているので 実が でかい
06月25日 ズッキーニ 4回目の収穫をした 大量にあるなあ
07月01日 ズッキーニ 5回目の収穫をした 勢いがなくなりつつある
07月08日 ズッキーニ 今年は もう 葉が枯れだしてきている 今年は早く 終わりそう
07月09日 ズッキーニ これで 6回目の収穫で お終いとなった 今年は早い



04月14日 hcで ズッキーニの種をかってきた  今年もズッキーニ 育てよう
04月15日 庭てズッキーニの種まきをした
04月22日 庭で種まきした ズッキーニ 発芽してきている 
05月03日 g-05の畑の畝に移動した
05月12日 g-05のズッキーニ なえは 無事に生育してきている
05月19日 ズッキーニ 苗は 無事で たくさんある  収穫が楽しみである
05月28日 ズッキーニ  かなり 大きくなってきている
06月02日 ズッキーニ  大きくなって 花も咲いてきている
06月09日 ズッキーニ  収獲をしておいた  まあまあだなあ
06月12日 ズッキーニ できたのは どんどん 収獲していこう  大きくなる前に
06月16日 ズッキーニ 実が どんどん 大きくなりだしてきている
06月23日 すっきーに 実が たくさん ついている  収獲できるなあ 
06月24日 ズッキーニ でかいものが 大量に収穫できた  1週間で これくらい収穫できる
06月30日 ズッキーニ 残りは実かすこしになっている 1週間でお終いになりそう
07月14日 ズッキーニ 実はあまりついてないなあ もう お終いになったみたい
07月24日 ズッキーニ 実が 1つ また ついてきている
07月25日 ズッキーニ もう すこし 実がついてきている 1個 収獲した









赤塚 不二夫     おべんきょうその14

フジオプロ設立

1962年(昭和37年)、『週刊少年サンデー』で「おそ松くん」、『りぼん』で「ひみつのアッコちゃん」の連載を開始し、一躍人気作家となる。

1964年(昭和39年)、『おそ松くん』で第10回(昭和39年度)小学館漫画賞受賞。
1965年(昭和40年)、長谷、古谷三敏、横山孝雄[30]、高井研一郎等と東京都新宿区十二社にフジオ・プロダクションを設立。この年に長女のりえ子が誕生[31]。
また1963年に、トキワ荘時代の仲間が設立したアニメーション製作会社のスタジオ・ゼロに参加[注釈 5]。
1966年(昭和41年)には『おそ松くん』がスタジオ・ゼロ製作により毎日放送・NET(現:テレビ朝日)系でテレビアニメ化され、赤塚が監修として関わっている他、主題歌2本の作詞も手掛けている。
1967年(昭和42年)には『週刊少年マガジン』(講談社)にて「天才バカボン」、『週刊少年サンデー』にて「もーれつア太郎」を発表して天才ギャグ作家として時代の寵児となる。

1969年(昭和44年)に『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』、1971年(昭和46年)に『天才バカボン』と、代表作が相次いでテレビアニメ化された。以後2010年現在までに『天才バカボン』は4度、『ひみつのアッコちゃん』は3度、『おそ松くん』『もーれつア太郎』が2度にわたりテレビアニメ化されている。
1970年(昭和45年)3月、母親が不慮のガス爆発事故で入院。一命は取り留め一時退院するものの、ショックからクモ膜下出血を発症して再入院となりその後容態が急変するも赤塚の懸命の呼びかけで再び息を吹き返すが、脳死状態となり8月20日に59歳で死去した[32]。この年に妻と別居状態となり、12月にはスタジオ・ゼロが事実上の解散となった。

1971年(昭和46年)5月、既に『少年サンデー』での新連載が決まっていたものの赤塚は既にアメリカに在住していた森田拳次との約束と『MAD』編集部への取材との口実で、長谷、滝沢解、そして当時交際していた愛人の女性とともに渡米。
2か月間滞在し、入稿締め切りが迫る中でサンデーの担当編集者武居俊樹に宛て新連載のタイトルが入った旨を記した手紙と自由の女神との記念写真を送り付ける。
そのタイトルが『レッツラゴン』で、写真はそのまま扉絵として使用されその後3年にわたり連載される。

当初の設定は次第に有形無実となり、劇画や文芸作品までも茶化し武居が「タケイ記者」として作品に登場して赤塚を苛め抜く描写など、ナンセンスを越えたシュールでアナーキーなストーリー展開が連載当時はなかなか理解されなかったという[33][34]。
この年、元・スタジオ・ゼロのアニメーター、吉良敬三らとアニメーション制作会社「不二アートフィルム」を設立(1981年、フジオプロより独立)。

1972年(昭和47年)に『天才バカボン』他の作品で文藝春秋漫画賞を受賞。この受賞がきっかけとなり、週刊文春で『赤塚不二夫のギャグゲリラ』の連載がスタートし10年を超えるロングランとなる。
また同年、フジオ・プロに財政的な余裕が生まれたため「赤塚不二夫責任編集」と題した雑誌『まんがNo.1』を創刊(元々、まんがNo.1という名前はフジオプロのファンクラブ会報のタイトルだった)。

多忙を極める赤塚が編集作業に携わることが不可能だったため、実質的な編集長は長谷が務め、赤塚の荒唐無稽なイメージを伝える事に腐心した。
しかし1号につき250万円(一説にはトータルで5000万円)程の赤字を出し、1973年(昭和48年)に6号で休刊[35]。

1973年(昭和48年)11月5日に3年の別居生活を経て妻・登茂子と正式離婚[36]。
1974年、「週刊少年マガジン」(1974年1月6日第1号)掲載の特別企画「ギャグ界の独裁者 赤塚不二夫の秘密大百科」において、ギャグの一環として実験的に「山田一郎」とペンネームを改名することを宣言。

「週刊文春」(1974年1月7日号)掲載の『ギャグゲリラ』を皮切りに、『天才バカボン』『レッツラゴン』を含む連載中の作品、新連載作品、読み切り作品等、全てのタイトルを同名義で執筆するも、広告サイドから苦情があり、3ヶ月で元に戻した[37](当時はペンネームを戻したのはロクなことが無かったからという)。

一方でこの年の税務署の調査で税金の支払いが長期に渡り滞納していることが発覚。延滞金だけで6000万円ともされた。原因はフジオプロの経理担当者の横領によるもので被害額は二億円とも言われ、実印まで預け信頼していた人物による裏切りであった。
失踪したこの人物は後日逮捕されるが、赤塚はこの人物の将来を考え告訴することはなかった[38]。
しかし、横領された二億円の中には古谷三敏や芳谷圭児といったフジオプロ所属の漫画家らのプール金もあり、このトラブルにより古谷、芳谷はフジオプロを退社。
それぞれのスタッフを引き連れ、自身らの制作プロダクション・ファミリー企画を設立した(その後、赤塚は古谷、芳谷らの被害額を返済している)。

なお、この年(1974年)にはこれまでのギャグ漫画家としての功績が讃えられ、「週刊少年ジャンプ」にてギャグ漫画の登竜門「赤塚賞」が設立された。


はた坊





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最終更新日  2018.07.29 02:29:00
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