任那滅亡と聖徳太子



 512年には、韓子と呼ばれる日本人男性と百済、任那女性とのハーフが増え、国籍が問題になり、調査官が派遣されている。前方後円墳、横穴式石室などの出土が朝鮮半島西南部で確認されており、ある程度の数の日本人が移住したことを裏付けている。おそらくは外交、軍事拠点が中心であり、構成の日本書記などには誇張して書かれたのであろう。

 欽明天皇は任那再興を命じて崩御する。いよいよ古墳時代末期、古代国家形成のクライマックスを迎えようとしている。

 いわゆる聖徳太子、厩戸皇子は古くは非常にカリスマ的魅力を持つ人物であると認識されていたようである。近年では「非実在説」というラディカルな立場まで唱えられているが、その美化の程度に注意することは必要であろう。


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