高句麗語の発見


 そんな中、東洋史学者の内藤湖南が高句麗の地名に、日本語と類似するものが見えることを発見した。

 「・・・高勾麗の古い言葉になると、日本語と同じ様なのが間々あります、殊に言語学者が言葉の分類を定めるのは、大抵至極簡単な、何処の國でも使ふ、数字の名とか天とか地とか日とか月とか、さう言うもので言語の系統を定めるやうでありますが、其の方から言ふと今の朝鮮の数字の言葉は違ひますが、『三國史記』というものに書いてある高勾麗の言葉では、三と五と七と十などといふ言葉が日本に似て居ることを発見します、勿論これはまだ不確かではありますが、現在の満州の言葉では、それが少しも似寄って居らぬ、尤も満州語は女眞語であるけれども、大分變化をして居ると云ふことは明かに分ります・・・」   
(「日本滿州交通略説 上」)『叡山講演集』623ページ 1907年11月

 古代朝鮮語は資料に乏しいため、古地名を用いる研究は白鳥庫吉などによって進められていたが、特に内藤は高句麗の地名に日本語に類似するものが見出されると指摘した。
 これは特に数詞において顕著であり、印欧比較言語学において数詞か非常に重要な役割を果たしたことからして、重大な意味をもつといえる。

 これを受けて、新村出が次のように述べている。

  「(略)以上、三、五、七、十の四数詞に於て、日鮮語間の類似の程度にも多少の差はあり、又確実さにも幾分の相違はあるが全然偶然の暗号とは見られまいと思ふ。而も十中の四ばかりの類似であるから、比較言語学者には非常の好資料を供し同系論者には幾分の強みを与へるのである。但偶々高勾麗の地名に見出さるると云っても、実例の不備がそれで他の二国にはかかる類似はないと即断するわけにはゆかぬ。実例の不備が然らしめるのであるから、直に数詞の地方的差異と目することは出来ないのである。予輩は如是き実例が他の地域よりも見出さるるや否やを確かむる時機を待つの外はない。」
 (「国語及び朝鮮語の数詞について 1-2」)新村出

 1921年 喜田貞吉「日朝両民族同源論」
 これは、いわゆる「日鮮同祖論」的なものの一つであり、列島と半島の民族が本来同一民族であったことの根拠として、この数詞の例をあげている。しかし、論理の飛躍が甚だしく、到底認めがたいものである。

 1945年 河野六郎 「朝鮮方言學試攷」
 これは、新羅民族、すなわち現在の朝鮮民族に直接つながらない異種族が朝鮮半島に存在したことを示唆している。



参考文献



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