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おばあちゃんが亡くなってから、夜中にフ・・と目が覚めて 寝れなくなる日が続き現在も ぶっ続けで寝ることができません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私たち遺族は 8時半頃まで行かなければならず行ける人は早く行こうってことで8時過ぎに出発。 仲良しY神父サマも留萌から駆けつけてくれて葬儀ミサをささげてくれました。 Y神父サマには、おばあちゃんも いろんなところへ連れて行ってもらいよくしていただいてたのです。 葬儀ミサもたくさんの司祭が参列してくださり、信者さんなどもいっぱい! 葬儀ミサもわたしがオルガンを弾きましたが、やっぱり泣けちゃう。堪えようと思っても 堪えられませんでした。 独唱する歌も 叔父さんが歌ったのですが、最後の部分で 詰まってしまい歌えなくなりました。 ツライよね。 告別式の最後に、孫を代表して 3人から弔辞があったんだけどもぉ~泣けて泣けて大変。 さらにそのあとは、おばあちゃんの顔やからだに触れる最後のお別れがありみんなで花を棺に入れながら さようならをしました。 さらに冷たくなっていたおばあちゃんの顔。 どうしてこんなに冷たくなっちゃったんだろう・・・。 信者さんたちみんなにも花を入れてもらって、おばあちゃんと最後のお別れ。 いつも日曜日ごとに「おばあちゃんどう?」と言って、 おばあちゃんのことを たくさんの人が気にかけてくれてました。 そんな人たちに見送ってもらい、おばあちゃんも嬉しかったでしょう。 コチラもたくさんの人にお別れしていただき予定の時間を押しまくり。 棺をバスに乗せて私たちもバスに乗り込んで 火葬場へ。 火葬場では棺を台車に乗せられるので ふたは開けれず顔だけ見ることができましたが次に出てくるときは もう顔を見ることができません。 イヤだよ、 おばあちゃん。 ずっとずっとそばにいてほしかったけど、きっといままで以上に近くで見守ってくれてるよね。 ホント、 ツラすぎ・・・・。 控え室も2間続けて借りないと入れなくて そこでみんなごはんを食べました。 甥っ子は全日程に参加していましたが至るところで 「どれ、来なさい」と言って 大人気♪ わたしも今回 甥っ子にはホント助けられました。 (精神的に・・・) 約2時間後、変わり果てた姿で おばあちゃんが帰ってきました。 まわりはすごく熱かったです。おばあちゃんも熱かったよね。 ゴメンね。 みんなでそっとおばあちゃんの骨を箱に収めましたが意外と太ももや腕の骨が太くてビックリ! 最後まで力強く人の服を引っぱったり腕をつかんだりしていたのはあのガッシリとした腕から力が出ていたのだ・・・と思いました。 箱に収まりきらずムスコ(叔父さん)がガンガン・・・と砕きながらなんとか全部入れて 教会へ。 帰りのバスの中では甥っ子を抱っこしていたけど、甥っ子はグーグー寝ていてその寝顔も また癒し・・・ 教会へ戻り、繰り上げ法要をおこなって おばあちゃんの葬儀の全日程を終えました。 おばあちゃんは具合が悪くなってからも、特に父のことをとても心配していて「○ちゃん、 ○ちゃん」・・・と それはハッキリと呼んでいました。 幼い頃、喘息などでからだが弱かったこともあり小さいときから心配をかけていたようです。 父も、「○ちゃん」と呼んでくれるお母さんがいなくなって淋しいだろうな・・・。 おばあちゃんを連れて帰ってきて、夜はみんなでお寿司やピザをとって食べました。 甥っ子くんは疲れていたので、わたしの部屋で寝たり ゴロゴロしたりしながら。。。 今日帰っちゃう人もいて、賑やかだった家の中が 少し静かになりました。
2010年04月12日
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おばあちゃんが天国へ旅立ってから2日目を迎えました。 今日はお通夜の日。この日の朝に、おばあちゃんのこどもたちが全員そろってきっとおばあちゃんも喜んでいたと思います。。。 孫たちも22人中19人集まり、おばあちゃんのとなりに寝て一緒に写真を撮ったりおばあちゃんに手袋をはかせたりそれはまあ 騒がしく過ごしました。。。 うるさくてゴメンね。 2時過ぎに葬儀社の方が来ておばあちゃんを棺に納める 「納棺」をおこないました。 おばあちゃんには、私たち家族で 好きだった着物を着せたのでホントにただ、 棺に納めるだけ。 棺に納められるとまた亡くなった実感が湧いてきてしまい涙が止まらなかったです。 わたしは一足先に出て教会へ。 間もなくおばあちゃんも葬儀社の方に連れてきてもらって教会に到着しました。 大好きだった教会。 ずっと行きたがっていた教会。 叔父が司祭をしているので、司祭仲間?もたくさん来てくださり一緒に通夜をささげてくれました。 わたしは、今回ほど悲しいことは初めてなのでオルガンはムリ・・・と言っていたのですが生前、 おばあちゃんがよく「あんたのオルガンがいちばん上手」と言ってくれていたのを思い出し、泣いても、間違ってもいいから頑張って弾いて おばあちゃんを送ろう・・・と思い自分で弾くことを決意しました。 予想通り、歌が始まった瞬間から 泣けて泣けて大変でしたが普段から葬儀のお手伝いをさせてもらっていたので指が覚えていて? 間違えずに弾けました。(おばあちゃん、 力をありがとう!) 私たち遺族は、いちばん前のほうに座っていたので後ろのほうがどうなっているのか 全然わからなかったけど焼香の列がなかなか途切れず焼香だけでえらい時間がかかっていました。。。 通夜だけで450人くらいいたらしい・・・。おばあちゃん、 すごいね。 通夜のあと、玄関ホールで 父や母そして叔父さんおばさんたちがご挨拶をしていてわたしも園長せんせいや主任せんせいにご挨拶を・・・と思って行ったんだけど2人のカオを見たら なんだか号泣してしまい・・・。 ( ̄ー ̄; ・・・・アタマが痛い。 参列者のみなさんがお帰りになったあと遺族だけで飲んだり食べたり。。。 おばあちゃんの思い出話で泣いたり笑ったり 大忙しでした。 教会には、おばあちゃんのムスコたち3人とお婿さん2人の計5人が泊まってくれてあとの人は家やホテルへ帰宅。 いよいよ明日、 お別れです。
2010年04月11日
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この日は、平成22年度の入園式&始業式でした。 泣く子もいたけれど、さほどパニックになることなく 式も進んで今年の1年がスタートしました。 入園式&始業式のあと、運転手さんの歓迎会ってことであらかじめ予約しておいたレストランへ。 結婚式場の中にあるレストランで、ランチにしては ちょっとお高めのところですがどれも美味しくて満足。 おしゃべりしながら食べていたら、なんだか聞き覚えのある声が・・・。 司祭の叔父は姉妹園のひとつで園長をしているのですがそこの幼稚園も偶然 ランチを食べに来たらしくお互いにビックリ。 うちの幼稚園はデザートも食べ終えてそろそろかな・・・って頃に叔父が「おばあちゃん急変したって」と教えに来てくれて、ロビーに出て母に電話をしようと思ったら母から電話で「まっすぐ病院へ行きなさい」とのことだったので、叔父を乗せて 修道院でおろしそのまま祖母が入院している病院へ向かいました。 我が家からも30分弱かかる遠いところで食事をしていたレストランからも同じくらいかかる少し外れにある病院だったのですが向かう途中でまた母から電話があり祖母が亡くなった・・・とのこと。 堪えきれず、 運転しながら泣いてしまったけどとりあえず病院に行ったら父や弟、 そして叔母たちも到着していて廊下でみんな 泣いていました。 誰かにウソだと言ってほしかったけど処置をする看護士さんたちの忙しい姿を見てるとやはり事実なんだ・・と思い始めました。 20分ほど待たされて おばあちゃんの部屋に入ったらベッドに寝かされていたおばあちゃんはまだ温かくて静かに寝ているかのようでした。 おばあちゃんのからだにすがりながらみんなで泣いていたんだけど苦しくて ずーっと眉間にシワを寄せていたのにラクになったからか とってもいい表情になっていることに気付きました。 病気になって、ツライことも口に出せなくなって 苦しかったよね。大嫌いな胃ろうもされて床ずれであちこち傷だらけになって痛かったよね。 葬儀社の方が来てくださり、おばあちゃんをうちに連れて帰る準備が始まったのでわたしは一足先に家に帰り母がやっていた準備を手伝いました。 ちょうど妹と甥っ子も家に来ていて一緒に おばあちゃんの帰りを待ち。。。 30分もしないでおばあちゃんは帰ってきました。ずーっと帰りたかった家にやっとやっと 帰って来れたね。 知らせを受けた札幌のおばさんたちも到着し、母親のかわり果てた姿に大号泣。 誰かが泣くたびにみんなで泣いて悲しい1日が終わりました。
2010年04月09日
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またもやごぶさたしてしまいました。 今日のお昼頃、最愛の祖母が 天国へ逝ってしまいました。 入院はしてたのですが、容態も安定していて 昼の胃ろうもおこない胃ろうのあとに容態が急変してあっという間に 亡くなりました。 病院から知らせを受けて叔母たちや父たち、そしてわたしも駆けつけたのですがちょっとの差で間に合わず。。。 病気になってからずっと苦しい思いをしてきたけどその苦しみからようやく解放されていまごろきっと 天国でおじいちゃんと会っていると思います。 わたしも涙が止まらず困りましたがいまは少し落ち着きました。 これからまた、通夜や葬儀などで忙しくなってくると思うので落ち着いたら更新します。
2010年04月09日
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