僕のできる事

僕のできる事

ある男の人生8章



南大和の駅に着くと、既に大川オーナーが車で待っていて、すぐに大和市間の平和病院で診断し、坐骨神経痛、椎間板ヘルニアということで、手術するまでには到らないということで、しばらく安静し、リハビリのような運動と機材による治療で、ほぼ1ヶ月で退院することができ、店のほうは若いが、一也の売上を更にのばしているということで新宿の移転した、事務所に挨拶に行き、開発に復帰することとなったが、朝は必ず事務所に顔を出し、昨日の結果と今日の目標を報告し、自宅へ戻り私有車で仕事に出ると言う、なんとも、やる気の出ない辞令を受けた。
六時四十五分に、家をでて、会社で朝礼をしてから仕事に出るというこが、新しくなった会社の方針ということで、従わざるをえない、家からテリトリの場所に着くまでに、十五時を過ぎてしまうことが、度々あるので、担当で話し合い、改善を申し出て、神奈川地区の事務所を、大川オーナーの紹介で南大和に移すことになり、営業経験の無い、山川部長の陣頭指揮の元活動開始し、加盟契約2件、オープン1件、もう一つの物件を探しているときに加盟候補者の見つからない物件が他の担当者から出されたので、1週間の立地調査と3日連続の候補者との深夜同行調査をしてた矢先、山川部長から鶴が丘の店を40万にしてくれないかとの指令がでて、急遽鶴が丘の店長となり、期間も3ヶ月と限定されていたので、三十五時間+休憩+十時間で2日間家へかえれず雪の日などは、近くの24時間サウナで仮眠をし、とにかく商品を売る前に売る人の教育をすることが優先だった、売上は商品を増やせば簡単にあげられるが、この店の売れ筋がわからなければ、損益分岐点も正しい数字が出ない、とにかく、廃棄を無視し、人の確保と単品の売れ筋に重点をおいたが、一也には家庭も自分のからだの変化にも気がつかないでた。
1ヶ月が過ぎ、数字が上向きはじめたかなと思っていると、毎日のように、神奈川地区の本部社員の仲間達が、顔を出すようになってきた、契約の話がすすんでいるようだ、開発担当も加盟候補者らしい人を何度か案内をしてくるようになってきたが一也は緊張するとなにか、わけのわからないものが身体に感じるようになっていた、たぶんヘルニアのせいだろうと、あまり気にしないでいた。鶴が丘店を任されて、4ヶ月目にはいろうとした時、加盟契約が成立したとの連絡がはいり、2週間後に本部というより、神奈川地区事務所へ、出勤することになったが、
“部長、また開発へ戻るんですか?できれば運営をしてみたいのですが?“
“どうかな、氷川課長としては”
“そりゃ、私としましては、大賛成ですし、私からもお願いしたいですね”
“竹村さん、そういうことだ、一つ売上をどんどんあげてくれよ”







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