鍋・フライパンあれこれ美味
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
536651
ホーム
|
日記
|
プロフィール
【フォローする】
【ログイン】
読書日和 ~Topo di biblioteca~
2004 5月~6月に観た映画
2004年5月~6月に観た映画
Kill Bill vol.2
パッション
アップルシード
ビッグフィッシュ
トロイ
レディ・キラーズ
21グラム
真珠の耳飾りの少女
デイ・アフター・トゥモロー
白いカラス
ハリーポッターとアズカバンの囚人
「KILL BILL vol.2」
「KILL BILL vol.1」を観て、その
「ぎょえー」
という描写の連続に
「もう、・・・vol.2」は観なくてもいい…と思っている人がいるとしたら
それはものすごーく、「もったいない!!」ことだと思います。
それでは消化不良を起こしてしまいます。ちゃんと解消した方がいいかもしれません。
柊は残酷だったり、ひたすら暴力的だったりする映画は苦手です。
実際のとこ「vol.1」を観終えた後はただボーゼン。
「ああやっぱり…タランテイーノ監督…。容赦がない。
」と思ったものですが
時間が経過するにしたがって思い浮かぶのは“その手”の描写そのものではなく
「うう、このあと一体どうなるの!?」という映画そのものに対する緊張感と期待感、
各場面で手に汗握った高揚感なのでした。
「たとえ目を見開いていることが出来なくたって、この結末を見届けないで
どーする!?」という勢いのみで映画館に足を運んだようなもの(笑)
観始めてすぐの頃は「vol.1」の青葉屋での流血!みたいなシーンが
一体いつ繰り広げられるのだろうかと異様に緊張してたのですが(すごく心臓に悪い)
「ザ・ラブストーリー」という副題が付けられているだけあって
復讐を決意するまでの心の経緯というか、憎しみだけに留まらない感情の波に
(それは言い換えれば愛なのだけど)すごく引き込まれます。
殺し屋としてたくさんの人を殺してきたのであろう主人公に無条件に
同情する(感情移入する)ことは抵抗があるんだけど…「母親」としての気持ちを
察してしまうともう駄目です。
ちゃんとラストまで目を見開いて観ることが出来ました。
人によっては描写に嫌悪感を覚える人もいるのでしょうが、監督の
「どうしたら映画が面白くなるか!!」というテンションが柊には伝染してきて
それだけで柊はとてもラクな気持ちになれます。
女は女に対して最も容赦がない…とでも言いたげな対決シーンにはぞくぞくします。
ダリル・ハンナ演じるエル・ドライバーという女性。いかにも「悪」的な存在
なのですが柊は不思議と嫌いになれません。何故…?ははは。
「KILL BILL」に登場する女性たちを観ていると漠然と力が湧きます。
対決する相手が男だろうと誰だろうと絶対負けない!という気迫がビシビシ
伝わってきて、これは女性に対する応援歌なのだろうか…とも思ったりします。
思えば柊が映画にはまり始めたきっかけの一つともいえるのが
タランテイーノ監督の「パルプフィクション」で、
麻薬や銃や、柊が苦手とする要素がてんこもりのはずなのに、
「映画ってこんなこともできるんだ!!」って
編集、俳優の演技、展開の一つ一つにかなりの衝撃、インパクトを受けたのでした。
「パルプ…」でミア役を演じたユマ・サーマンが格好よくて、今回「KILL BILL」の
ザ・ブライド役で更に、格好よく進化した印象に…大満足しました♪
「vol.1」と「vol.2」を足して2で割ると丁度いいかも?…或いは一本の映画として
続けてみる方が印象いいかもしれません。
久しぶりにパンフレットも購入。(しかも「vol.1」「vol.2」の二冊一度に)
家に帰って熟読していたら「vol.3」の構想なんかがちょこっと載っていて
それが実現したら…すごいだろうな~と想像しちゃいました。(←既に期待してる☆)
「パッション」
パッションHP
これまでに見たどんな宗教画、受難図、磔刑図よりも生々しいイエス=キリストの
姿を見た気がします。
聖書に登場する様々な人物たちが、良心(信仰)と保身との間で葛藤し、矛盾を
抱える姿が柊には印象に残りました。
体に鞭を打たれ、重い十字架を背負わされ、その十字架にかけられる姿を
(その描写を)残酷だ…という感想を多く目にしたけれど、
その場面を残酷だという感想のみで括ってしまうのは何か違う気がします。
キリストの体に刻み付けられる生々しい傷の一つ一つは、人間が犯す罪の象徴で
あって、その罰を身代わりに受けている姿なのだから…決して目をそらすような
場面ではないはずです。
(残酷だというなら、理由もなく、あっけないほどに簡単に、銃で大勢の人が
撃ち殺されたりする映画のほうが余程残酷という気がします)
聖書に書かれた受難の場面を読んでから観に行ったのですが、
聖書に書かれている一節一節…その場面を感情的になりすぎず、演出しすぎる
ことなく、映画にしているように感じました。
聖書に書かれている内容を自分なりに解釈することはとても難しい。
柊は十字架にかけられたキリストが死の間際に天に投げかける言葉
「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイによる福音書)という
言葉を映画ではどう解釈し、描かれるのかを最も注目して観ていたのですが…。
残念ながらやっぱりそこは納得のいく答えは得られなかったかな。
息子としてのイエスを心配し、愛し、見守る母マリアの姿に柊は泣きました。
マリアの中にあるその感情は信仰とは異なるもの、に感じたから。
(その一方でイエスを憎悪するサタンの冷たい視線にはぞっとするものがあります)
イエスがここまで身を挺して教えてくれようとしていることに対し、
一体いつまで人は憎み、争うことを繰り返し続けるのか…。
…とはいえ柊はキリスト教を信仰することは出来ません。
キリストの教え、たとえ話の一つ一つに納得することは出来ても…
何故だろう。やっぱり何処かに矛盾するものを感じるからでしょうか?
信仰も個人のうちにある間は崇高な思想を持ち続けられるけれど
それが欲を満たす道具として利用されるようになるのはとても怖い。
キリストは「愛」を説いているはずなのに、何故キリスト教、となると
過去に血を流し続けてきた歴史を振り返ることになるのか…。
柊には難しすぎる問題です。
映画ではキリストの受難が描かれていますが、マタイの福音書の最後の一節に
復活したキリストが弟子にこう語る部分が書かれています。
「…見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」
受難を経て復活したキリストの真意をどこまで正確に知り、感じることの出来る人が
いるだろうかと…エンドクレジットを観ながら思いを馳せてしまった柊です。
「ビッグフィッシュ」
ビッグフィッシュHP
人生を彩るものは人それぞれだけれど
それが心をわくわくさせるような、たくさんの物語だったら素敵だな、って思います。
Big Fish…大きな魚。(誰にも釣り上げられたことのない幻の魚)
これに例えられているものは
「ああ、自分らしく生きることが出来た」と心から思えるような人生かもしれない
なあと柊は思いました。
恋にまつわるおとぎ話…に話が進むに連れて、俄然映画は面白くなっていきます。
ユアン・マクレガー…一途な恋の想いを演じるのがとっても上手かも。
「リアルなものは?、現実は?本当は?…」
そうやって人の話をせかして、ゆっくり耳を傾けることが出来なくなってる。
結論を急ぎたがることが、今の柊にそっくり当てはまりそうでどきっとしました。
いつからそんなふうになっちゃったのかな。
素直に物語を楽しむことができなくなっちゃったのかな。
現実に流されてしまうこと…多くないかな。
(もちろん、現実を生きることは大切だけど)
いそぐ理由など特にないはずなのに。
映画の終盤は泣けてきました。
(ネタばれになっちゃうと困るので、詳しく理由などが書けないのが残念)
自分の人生を後悔しないように。
たくさんの自分の物語を心に綴っていけるように…頑張らなくちゃって思いました。
めずらしく、一人ではなく夫と一緒に映画を観たのですが
隣に夫がいなかったら思う存分泣けたのに~と思うと残念です。
(夫の隣で映画を観て泣く、なんて弱みを見せるようで?出来ない!!)
心がきれいにお洗濯されるように、えぐえぐ泣いちゃいたかったな~。
柊は最近、涙腺が弱いです。どうしちゃったんだろうって思うくらいに。
泣いちゃいそうな映画は…やっぱり一人で観に行こう…
心置きなく泣けるように!
「トロイ」
トロイHP
自分の名前と、生きて存在した証を後世に遺したい…。
アキレスのように「死を覚悟して名を残すか、或いは名は消えても親しい人と過ごす
時間を大切に生きるか」の選択を迫られる状況は現代ではないに等しいけれど
生きた証が欲しい、それを遺したいと思うのは誰の心にもある思いなのでは
ないでしょうか。
「史上最大の愛のための戦い」とあるけれど、きっかけはどうあれ、
その「愛」もまた他国へ踏み込むための大義名分に過ぎず、権力を求める人間に
利用されるだけなのだろうか…なんて思いました。
トロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレンを略奪したことに端を発したトロイ戦争は
(映画で観る分には一ヶ月にも満たない期間に思えるけれど)
実際は10年にも及ぶ長い長い戦争です。その分逸話も多く残されています。
そのため、たとえ登場人物の誰に焦点を当てたとしても、
面白く、興味の尽きない物語になるはず、です。
映画ではブラッド・ピット演じるアキレスに焦点を当ててこの戦争を描こうとした
みたいですが…役者が揃っているだけに、エリック・バナ演じるトロイの王子ヘクトルにも、
ついつい感情移入して観てしまいました。
どっち側について観たらいいのか迷う~っくらいで、その分映画全体としては
散漫な印象になっちゃってる気がします。(勿体無い…。)
闘いの引き金となったパリス王子やヘレンの心情をもっと掘り下げても
面白くなったのでは…なんて思っちゃう。
でもそれだけ、映画に盛り込んでみたくなるエピソードが数多い、
ということかもしれません。
トロイ戦争云々…については阿刀田高さんの本(解説)が面白くて
「ギリシャ神話を知っていますか」「新トロイア物語」なんかを一時熱中して読みました。
(本は実家に置いてあるので、映画の帰りに書店へ寄ってちょっと立ち読み。)
映画に関連した部分を改めて読み返してみると、映画では描かれなかったその後の
展開などもわかりやすく紹介されていてやっぱり面白い!!です。
映画を観る前、或いは観た後でも面白いのでお薦めです。
ヘクトルの息子はその後どうなったのか…などなど。
かたきを討つ、という憎しみの連鎖はえんえんと繰り返されていくようです。
真面目な感想はここまで!?
久々にまとも?な役柄のブラッド・ピットを観た気がします。
「きゃああ~☆」という感じでしょうか。ふふふ。
(「12モンキーズ」「ファイト・クラブ」などはちょっと
普通の性格の役柄じゃない…よね?
)
そのブラッド・ピットを押さえちゃうくらい、王子ヘクトルを演じたエリック・バナが
魅力的でした。
王子パリスを演じたオーランド・ブルームは…格好いい役柄ばかりについて
演技が固まっちゃうよりも良かったかな…って感じでしょうか
阿刀田さんの本によれば、王子パリスに化身した太陽神アポロが天罰を下すため
矢を放つ…ということらしいので、そう思って観ると兄に比べて軟弱なイメージの
彼の姿も違って観えてくるかもね…?
「レデイ・キラーズ」
レデイ・キラーズHP
天才的知能犯の教授(トム・ハンクス)と、彼が率いる四人の仲間たちが
カジノ強奪を計画。ところが、その完全犯罪には一人の老婦人=マダムが
障害となって…という展開。・・・ベースは1955年の「マダムと泥棒」
教授役のトム・ハンクスが可笑しい。
信心深いマダムを前にあたふた必死になって取り繕う様子は絶妙です。
台詞の語り方に特徴を持たせた…とインタビューで観たけれど、確かに、
これまでのトム・ハンクスの話し方とは違うような…?
役柄に合わせて台詞に個性を持たせちゃうなんて…うぷぷ。
教会での礼拝シーンがありますが、この間観た「ブルースブラザーズ」同様
歌ありダンスありの楽しい礼拝で、こういう礼拝だったら信者でなくても
通いたくなっちゃいそうだわ…と思って観て(聴いて)しまいました。
教授 vs マダム 果たして最後に笑うのは…?
結末はどうであれ、犯罪者といえども憎めない、悪に染まりきっていない雰囲気…と
思っちゃうのはトム・ハンクスの人徳かな~。どうでしょう。
全く関係ないけれど、マダムの飼い猫ピクルスが、柊が子供の頃に飼っていた
猫にそっくりで注目してしまいました。
毛の色がはちみつ色に思えたので柊は“ハニー”と呼んでました。ははは。
21グラム
命の重さを問う…というよりも、罪悪感を伴ったまま生きることのつらさが
じわじわと身に沁みてくるような映画だと思います。
21g HP
交通事故によって夫と娘を失ったクリステイーナは、
自分一人が生き続けなければならないことに苦しみ、
ジャックは事故を起こしたにもかかわらずその場から逃げたこと、
三人の命を奪ったことに対して罪悪感を抱き、
そしてクリステイーナの夫の心臓を移植されたことによって生きながらえたポールは
自分の生が誰かの命と引き換えに与えられたものだということに、心から喜ぶことが
出来ずにいます。
自分がこの三人のうち、誰かの立場に立ったら…なんてつらすぎて
想像もしたくないです。
クリステイーナの心情を思うと、今、こうして家族と離れて過ごしている時間が
無性に怖くてたまらない。
ジャックの罪の意識を思うと、車を運転することも怖くなる。
どんなに注意していても、ふとした瞬間っていつ訪れるとも限らない。
ハンドルを握っていること…自分にその気はなくても凶器を手にしている。
命が消えるそのときに、人は21グラムだけ軽くなる。
そうかもしれないけど、でも本当の命の重さや、生きることの重さは
決してはかる事などできない、と思います。
少なくとも、21グラムよりも、もっと、もっと重いはずです。
真珠の耳飾りの少女
絵を描く人は、対象の質感、本質、内面を画面に写し取ろうとするけれど、
この映画はフェルメールの絵そのものを映画の中の光と影に
写し取ろうとしています。
アトリエの斜め上の窓から差し込む光が、少女の上に光と影を作り出す…。
まるで、絵そのものを見ているような映像です。
「真珠の耳飾りの少女」HP
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がどんな状況で描かれたのか…が
この映画の物語です。
これまで、絵を描く(対象を見る)側の気持ちは想像できたけれど、
絵に描かれる側の気持ちを考えてみたことはなかったな…。
画家に「描きたい」という気持ちを与えた高揚感と、
心までも見透かされてしまう強い視線に、閉じ込められてしまう閉塞感と…。
どこか居心地の悪い緊迫した空気を感じるのです。
(一方、画家はというと、そんな相手の気持ちも全て絡めとるかのように、
少女の体の上に作り出される光の影、表情を見つめ続ける…)
視線の中に閉じ込められる…と考えるとちょっと怖い気がします。
描く側と描かれる側の関係は、いつも、とても特別な関係だ、と思います。
一方で画家の妻という存在は常に嫉妬の対象を絵の中に見せられて、
可哀想だな、と思います。
それは絵を描く対象(モデル)が自分以外の女ではなく、静物や風景で
あったとしてもそれは同じことで、視線の外に置かれているという疎外感に
変わりはないのです。
視線のうちに閉じ込められるのも、疎外されるのも、どちらも苦しい存在だな…
なんて思ったりして。
映画の中で、影の中から浮かび上がる少女グリートの真っ白な頭巾が
とても印象的でした。
フェルメールを演じたのは「ブリジット・ジョーンズの日記」「ラブ・アクチュアリー」の
コリン・ファースですが、これらのコミカルな二作品とは違った雰囲気が良かったです。
物語はありふれているかもしれないけれど、このフェルメールを想い起こさせる
映像…光と影をもう一度観に行きたい気持ちです。
デイ・アフター・トゥモロー
あきらめるなんてできない。
“その時”自分が何処にいても、たとえ何も出来なくても、家族や友人の
行方を捜したい。捜さなくては、って思うはず。
デイ・アフター・トゥモローHP
もっともっと恐怖心を煽り立てるだけのパニック映画だと思って敬遠して
いたけれど、夫や楽天日記の感想などを色々目にしているうちに
「先ず自分で観てみない事には!」と思い足を運びました。
異常気象、竜巻、洪水、嵐、氷河期…
思わず半袖の腕をさすってしまうような映像はとても怖い。
「まさか」が現実になるときってなかなか自分の気持ちが周りの
出来事を正直に受け入れることが出来ない気がします。
目を見張る映像と、それに立ち向かおうとする人々と…
どちらに偏りすぎることもなく、丁度いいバランスでした。
自分を見失い、立ち向かおうとする人の足を無意味に引っ張るような
人物があまり目に付かなかったことが良かった気がします。
(現実だとしたら<自分も含めて>我先に、という人が一番多くなるのでしょうが)
それぞれが、自分の決めた場所で死を覚悟したり、或いは
助け手を信じて待ち続けたり、自分の内側に起こる恐怖心と戦う
姿が印象に残ります。
映画のその後の展開が気になるけれど、むしろこの後の方が
一番、人にとって、乗り越えるにはきつい壁になるのだろうと思います。
映画館を出て、思わず空を見上げたら、
信じられないくらい青い空がそこには広がっていて
「映画が現実になりませんように!」と願ってしまいました。
余談…映画の冒頭、日本のシーンだけは違和感を否めませんでした。
白いカラス
この映画が訴えかけるもの全てを汲取るには柊はまだ…です。
白いカラスHP
この映画を観て「訴えるものがない」というように書いていた人もいるけど
映画を観終えた今ならその意味がわかる。
訴えるものがないのではなく、それを受け止め、理解する素地が
自分にはないのだ、ということが。
そしてそれは自分が今とても恵まれた状況にある事を教えてくれるのです。
コールマンが抱える傷は
肌の色という理不尽な差別を受けること、それに対する怒りと恐れ。
秘密にすることで生まれる自分、家族への罪悪感。
一方、フォーニアが抱える傷は、子どもを事故で亡くしたことへの罪悪感。
そして夫や養父から受けた暴力…。
二人の受けた傷の痛みは柊の想像ではとても補えないものです。
傷を抱えた二人がどんなに互いを必要としても、理解しようと努めても
その傷を耐える、乗り越えるのは自分しかないのだという壁の存在…
そんな二人を見ていると痛くて。
二人を理解したい、その心を想像したい、と思うのも
許されないような、そんな気がして。
ニコール・キッドマンの演技が素晴らしいです!
フォーニアの抱える傷を自分のものとして、画面に曝け出すその力、創造力は
どこからくるのかと感嘆するのみ、です。
だからこそ、彼女自身の
「私たちは他人の痛みに、もう少しだけ共感したり理解を示したり、
あるいは許したりしながら生きていけるはず…。」という
映画に寄せる言葉に共感を覚えます。
脇に回るゲイリー・シニーズ、エド・ハリスも巧みで、それぞれの役にこめられた
心、演技を観るだけでも見応えがある映画だと思います。
背景に流れるピアノの旋律も心に沁みるものでした。
「白いカラス」、原題はThe Human Stain…どちらも意味深いです。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
映画を観終えた今、原作本を再読しています
文章に、行間に、今観てきた場面が鮮やかに蘇ってきます。
映画も、本も、なんて
想像力に満ち満ちているんだろう!!
もちろん映画は二時間半という制約の中に物語を収めなければならないので
原作に含まれているエピソード全てを盛り込むわけにはいきません。
(…柊は映画が大好きなので、面白い映画なら3時間でも4時間でも
5時間だって平気だけど…
)
けれども、物語の一番面白いエッセンスが凝縮されてる、
そんな気がします。
原作の細かい部分を指摘しながら観てしまうのは勿体無い。
映画は映画として思いっきり楽しんじゃえ~という気がする。
このシリーズは本当に登場人物の配役がうまい、と思います。
新たに登場する人物たちも原作のイメージぴったり、なので
画面に登場してくるだけでおかしい気分になっちゃいます。
(一人一人について言及したいけど、ネタばれになるので無理だわ)
物語は原作を反映してずっと闇が濃いです。
鳥肌が立ってくるのに似た、ざわざわ感は前二作にはない感触です。
ああ、言いたいこと、書き留めておきたいことが山ほど溢れてきそうなのに
全てはネタばれに繋がりそう☆
観客数が落ち着いた頃に、柊はもう一度(二度??)観に行きたいと
思っています。
その時にはネタばれ付きで思いっきり書いてみたいなあ
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
経済
2024.9.3.財界オンライン:2024-09-03 元…
(2024-11-12 00:09:27)
これまでに読んだ漫画コミック
僕は君たちを支配する 2巻 読了
(2024-12-03 19:05:07)
最近買った 本・雑誌
雑誌『映画秘宝 2025年 1月号』 冒頭…
(2024-12-04 09:00:10)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Design
a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: