娘
ひっこりんの最愛なお姫様
彼女が生まれたのは、ひっこりんが結婚して1年目の冬。
その日、ひっこりんは仕事があり妻の陣痛があり入院したことを聞いたのは職場にいる時でした。
妻は実家で出産をと四日市の実家に帰っていました。ひっこりんの当時の職場は知多半島の半田市(来年開港の予定の中部国際空港の丁度反対側)、車で1時間30分かかります。
陣痛が始まったことを聞いたのは、お昼近く。早速上司に報告し早退を申請しました。
しかし、無情にも当時の上司は許可を出してくれませんでした。
ひっこりんは、妻の初めての出産に立ち会うことが出来なかったんです。
仕事が終わったのは6時、定時で帰ることは許されましたが、その間のひっこりんは仕事が手につかず、終業のベルが鳴るのをひたすら待っていました。妻が心配でしょうがなかった。生まれてくる子供が5体満足でいて欲しい。それだけを思っていました。
終業のベルと同時に会社を後にしたひっこりんですが、今度は渋滞に捕まりました。当時四日市までの道は国道1号線か名四国道(国道23号線)の2つのルートしかありませんでした。帰宅と帰社の車の渋滞に捕まったのです。
心は、妻と子供のことしかありません。独りで運転する車の中、無事に出産することだけを願っていました。
結局、ひっこりんが病院に着いたのは9時近く。子供も無事生まれ女の子だと看護婦さんに聞かされ、ほっとして妻のいる病室に向かい、半分涙ぐんだ妻の顔を見ることが出来ました。妻は、ぼくが側にいてくれなかったことが、とても心細かったといいました。本当に申し訳なかったと思いました。どれだけ一緒にいてあげたかったか、どれだけ我慢したか。口に出さず妻の手を握りました。しばらくして看護婦さんが連れてきてくれた赤ちゃんを見て、妻の笑顔が戻った時本当に良かった。母子ともに無事であったことに感謝しました。
子供の名前はしばらく考えてから付けました。周りの人たちは字画のこととか姓名判断のこととかいろいろ助言をしてくれましたが、ひっこりんは結局誰の言うことも聞かず、妻と相談して「繭」という名前を付けました。
たとえ暗い殻の中で何年も辛抱しなければならなくても、絹のような綺麗な心をまとっていてほしい。そして、未来には大きな羽根で大空を飛び回るように。
今の写真は本人もいやがると思うので、子供の時の写真を少し載せます。ひっこりんが愛情を込めてとった写真です。