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今日は「四日間の奇蹟」浅倉卓弥/宝島社文庫です。 第1回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作です。 気分的に読書が出来ませんでした。読了とまではいきませんでしたが、途中までの感想を書きたいと思います。 「如月」はピアニストを目指す青年。「千織」は知的障害を持つ少女。 ある悲惨な事件をきっかけにして2人は出会う。如月はその事件によってピアニストとしての命を奪われ、千織は両親の命を奪われた。 如月はなんの因果か千織の面倒を見ることになった。 千織は音を聞くだけでその音をピアノで弾くという稀な才能を持つ。ピアノを弾くことで慰問のためにいろいろな施設を巡る。 慰問のために訪れたとある山奥の施設で奇蹟の前兆があらわれ始めた…。 前半は実に単調。事件から千織との生活、そして奇蹟の前兆があらわれ始めるまで実に長い。ちょっと長すぎて飽きはじめてしまうかもしれない。 クラッシックに関する説明や千織の症状の医学的な説明、一般的な知的障害の説明もためになるといえばためになるのですが、少し短くしたほうがいいのでは…といった感想です。 それにしてもこの小説を書いたのが新人だったとは思えない文章力です。 「最高の筆致で描く癒しと再生のファンタジー」「魂の奥が揺さぶられるような物語」等々の文言からもこれからクライマックスを迎えるのであろうと思う。 楽しみです。それにしてもこの小説、著者の筆力や恐るべしです。
2005.03.31
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今回は「邂逅の森」熊谷達也/文藝春秋です。 第131回直木賞受賞作品です。 さすが熊谷達也氏。山について書かせたら最高の人です。これまで「漂白の牙」「山背郷」を読みましたが、山岳の描写はいずれも抜群。 456ページもあるこの作品を仕事そっちのけで読みきってしまいました。 自然の驚異、山の怖さ、そして夫婦のあるべき姿、理想について、壮大なスケールで描かれています。 簡単にレビューが書ける作品ではありませんでした。が、とりあえず。 「邂逅」とは思いがけなく出会うこと、巡り合いを意味します。 山を舞台として様々な自然や人間との巡りあいがテーマです。 時代は大正時代。場所は東北。主人公「富治」は14歳。マタギとして成長し、時代に、恋愛に苦しみ悩み大人として成長していく。その人生、生き様が描かれています。 村の有力者の娘との恋。それが発端となって銅山で働くことになる。銅山工として技術と地位を得るが、マタギとしての未練を断ち切ることは出来ない。 簡単にマタギにもどることをその時代の慣習が許さない。訳ありの女「イク」との結婚、若かりし時の恋人とイクとの狭間で悩みながらもイクへの愛情を確認する。 そして、圧巻はマタギとして最後の熊との闘い。 根底にあるのは、恋愛、夫婦、生きることの意味、葛藤や苦しみの中で成長していく男の生き様です。 とにかくマタギの慣習、風習、ならわしについてよく調べ上げられています。民俗文学と言ってもあながち間違いではありません。東北地方の伝承、民話、伝説等々について深い知識をうかがうことが出来ます。 ただ、会話文が東北弁で綴られているため、読みにくい。 東北出身の僕がつっかえつっかえ読まなければならなかったことから、多くの人は抵抗を感じるかもしれません。 しかし、マタギについても方言についてもより噛み砕かれた形で描かれているし、内容が人をひきつける秀作であることから、いつの間にか熱中してしまいます。 時代背景等、多々勉強になることでしょう。 この小説に邂逅できたことは、僕にとってとても幸せなことでした。 少し重たい小説ですが、ためになります。時間があったら是非読んでみてください。
2005.03.30
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「僕の行く道」新堂冬樹/双葉社、読了です。 ちょっとした「母をたずねて三千里」みたいな小説です。 泣かせるラスト、そこに至るまでのストーリーは読み手の心理をくすぐります。 まさに感涙のハートフルストーリーですね。 最後まで一気に読まなければ気がすまないそんな物語でした。 父「一志」とその息子小学3年生の「大志」は父と子二人で生活している。 大志は幼い頃から琴美が家にいないのはパリでデザイナーの勉強をしているからと聞かされていた。母親・琴美と大志の唯一の絆は週に一回の琴美との手紙の交換。 そんな日常を過ごしていた大志はふとしたことから、母親がパリにいることに疑問を持つ。「母親は小豆島にいるのでは…」そんな思いから大志の一人旅が始まります。 ほんの3泊の大冒険。道中さまざまな人と出会い、助けられ、だまされ、そしてまた助けられ…。母親には会えないのか…そんな諦めの展開から劇的な再会。 悲しい再会なのか、感動の再会なのか…。母親は…もう…だった。 嘘か、愛情か、思いやりか、ほんの3泊が小学3年生を大きく成長させていく、その過程が感動的で美しい話です。 よくある話ですが、一志と琴美との出合い、大志の誕生秘話、物語にちりばめられた謎、出会い、人と人との絆、そして成長。見事に読者に投げかけてきます。 ラストシーンで起こる奇跡、それは母を想うまっすぐな少年の心が起こした奇跡です。 一瞬にして読者の心一面にコスモスの花が咲き乱れることでしょう。 人生、運命、家族の絆、そんな言葉が心にこだましました。 ちょっと苦言を呈すれば、ラストシーンで一志も登場したほうがいいような気もするし、道中出会った女性や同い年の女の子、そして大志を心から心配してくれた老人との思い出をほんの少しだけ軽く匂わせてもいいような… それにしても泣かせる冒険物としては抜群にいい小説です。 小学生高学年以上の子どもたちにも読んで欲しいです。 是非泣いてください。
2005.03.29
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「ナラタージュ」島本理生/角川書店、読了です。 思春期の繊細な感情や心の痛みが鮮やかに描かれている小説です。 いつまで経っても忘れられない恋、もうどうしようもないという気持ち、忘れられない人への想いが描かれています。 誰かを忘れるために誰かと付き合い、その誰かと体を交える。けれど、そんなことを繰り返せば繰り返すほどかえって忘れられなくなっていく、明確に好きな人への想いがよみがえっていく主人公「泉」。 ちょっと暗いけど、素敵だな…そう思いました。 好きな人と別れて新たに誰かと付き合うとき、一瞬でも別れた人とこれから付き合う人を比べてしまうことってあると思うんですよね。 そんなとき本当にこの人が好きなんだろうかって常に考えていた自分を思い出します。 前の恋を忘れるための恋をする、これで本当に前の恋を忘れることが出来るならばいいのかもしれないけれど、新たな恋が自分の理想とする恋と大きくかけ離れていたとき、かえって自分を苦しめることになりかねません。 そんな切ない人生を歩んだことがある人には、ほろ苦い小説なのではないでしょうか。 ちょうど「恋しくて」/BEGINを聞きながらこのレビューを書いていますが、このBGMがこの小説をストレートに表現しています。 めちゃめちゃ悲しくなりますね。恋しくて/BEGIN恋しくて泣き出した 日々などもう 忘れたの今さらは もどれない キズつけあった日々が長すぎたのもどる気は ないなんて ウソをついて 笑ってても信じてた もう一度 もう一度 あの頃の夢の中かわす言葉 ゆきづまりのウソ好きなら好きと Say again 言えばよかったI remember. Do you remember.I remember. Wow Wowせつなくて 悲しくて 恋しくて 泣きたくなるそんな夜は OH ブルース OH ブルース
2005.03.29
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今回は「ナラタージュ」島本理生/角川書店です。 今日は前半までの印象です。時間がなくて全部読めませんでした。 なんか最近、先生と生徒の恋愛物ばかり読んでいるような気がする。 「センセイの鞄」といい、今回の「ナラタージュ」といい、先生と生徒の純愛小説です。 …でも、こういうの好きなんですよね。 ナラタージュ…映画などで、主人公が回想の形で、過去の出来事を物語ること。 主人公「工藤泉」の回想で話が進んでいきます。 高校時代の教師「葉山」との出会いから、卒業まで。そして、大学時代になってもあることをきっかけになんとなく続く二人の関係。 恋愛しているときに感じること、見える風景って誰でも一緒なのかもしれないしれないなという印象です。 放課後の学校の風景とかにおいとか、人を好きになるときの空気の流れやにおいが漂っているそんな小説ですね。 でも、それはナラタージュ。 小説の始まりは婚約者と歩いている場面。そして、回想。きっと高校時代の恋愛は成就しないこと、結ばれないことが前提に置かれています。 すこし、「世界の中心で愛をさけぶ」に似ていますが、それでもまたいい感じがします。 読めば読むほど、婚約者の言葉が気持ちが悲しいです。「君は今でも俺と一緒にいるときに、あの人のことを思い出しているのか」…「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」…こんな言葉、僕は口に出していえない。
2005.03.27
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昨日に引き続き「センセイの鞄」川上弘美/文春文庫です。 読了です。抜群によかったです。 いままで読んできた川上作品は「蛇を踏む」「溺レる」しかありませんが、作風がぜんぜん違いました。ちょっと苦手な作家でしたが、今回の「センセイの鞄」を読んで考えが変わりました。 久々に「幸せ」とはなにかと考えさせられました。 高校時代の恩師「センセイ」と生徒だった「ツキコ」の2人がゆっくりと近づき、時間の流れとともに、互いの恋情を育んでいく大人の恋愛小説です。 年齢的に必ず先に死にゆくセンセイ。それまでの精一杯の愛の約束。「ツキコさん、ワタクシはいったいあと、どのくらい生きられるでしょう」といったセンセイ。 年齢に関係なく、誰かを大切に思うとき、人はこのような切ない気持ちになるのでしょうね。 川上作品の特徴(?)である、変にエロチックな描写はありません。 よくある(悪いという意味ではありません)胸の高鳴りとともに互いが猛烈に惹かれあう、もしくは一方が異性に魅せられていくような小説とは異なり、穏やかにゆっくりと求め合う過程がとても儚く切ない物語です。 読み終えた後に、改めて好きな人を大切にしたいと心から思える物語でした。 人としての純粋さがにじみ出た、暖かく、温かい、優しさに満ち満ちた小説です。 最後の数行にでてくる文章と詩で泣かされました。…遠いようなできごとだ。センセイと過ごした日々は、あわあわと、そして色濃く、流れた。センセイと再会してから、二年。センセイ言うところの「正式なおつきあい」を始めてからは、三年。それだけの時間を、共に過ごした。 あのころから、まだ少ししかたっていないのに。 センセイの鞄を、わたしは貰った。センセイが書き残しておいてくれたのである。… 旅路はるけくさまよへば 破れし衣の寒けきに こよひ朗らのそらにして いとどし心痛むかな【楽天ブックス】センセイの鞄
2005.03.23
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今日は「センセイの鞄」川上弘美/文春文庫です。 しかしながら、花粉症の影響で集中力がなく最後まで読めませんでした。 途中までしか読んでいませんが、そこまでの感想を書きたいと思います。 この作品は谷崎潤一郎賞受賞作です。17編からなる連作短編集です。 いままで川上弘美さんの作品は「溺レる」「蛇を踏む」を取り上げてきましたが、これら作品とは少し趣を異にした作品です。 さまざまな人達から推薦をいただいたこの作品、とても良い感じです。 第一印象として、まず「温かい」。 読みやすいし、わかりやすいし、温かいし…こういう作品は大好きです。 居酒屋で再会した高校時代の国語の教師「センセイ」と「ツキコ」。何度か一緒に飲むようになり、親しくなっていく。 …「女のくせに手酌ですかキミは」センセイが叱る。「古いですねセンセイは」と口答えすると、「古くて結構毛だらけ」とつぶやきながらセンセイも自分の茶碗いっぱいに酒を注いだ…とても温かい気持ちになれる一説です。 まだ途中ですが、二人の会話にすんなり入っていけます。それは実体感と生活感がある会話だからだと思う。 70代のセンセイと37歳のツキコ。今後の展開、まだ先は見えませんがとても楽しみです。 明日の花粉症の症状次第では全部読めませんが、早く読みたいと思える秀作だと思います。 最後に僕の心に染み入った一説を紹介します。第6話「お正月」より。…あのとき、電話をすればよかったのだ。ほんとうは電話をしたかったのだ。でも、電話の向こうでひややかな声を出されたら、と思うと、体がこおりついた。恋人も同じように思っていたなんて、知らなかった。知ったときには、すでに恋情は妙なかたちにひしゃげて、気持ちの奥底に押しこめられてしまっていた… うわ~切ない!…電話すればよかった…いままで何度思ったことか…【楽天ブックス】センセイの鞄
2005.03.22
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今日は「恋」小池真理子/新潮文庫です。 この作品は第114回直木賞受賞作品です。 「恋」という淡いタイトルからは想像できないすごい内容でした。 通常の人が人を好きになること、愛することとは一線を画しています。恋愛サスペンスとはうまくいったものだと思いました。 舞台は1972年冬の軽井沢。浅間山荘事件の影で起こった殺人事件。主人公「布美子」は、大学助教授・片瀬信太郎と妻・雛子との奇妙な関係の中で次第に二人に魅せられていく。それは女が男を愛し、女が女を愛するというよりも、夫婦である二人の関係に惹かれ自分自身の居場所を夫婦の中に見出した結果の事件だった。一人の女と一組の夫婦の結びつきの間に一人の青年が出現した。そこから生じた軋みが三人の微妙な関係に発砲事件という悲劇をもたらした。 とにかくすごいと思った。 官能の世界はもちろんのこと、肉体と肉体のつながりというよりも人と人の精神的なつながりが印象的でした。 読んでいると静かに漂う布美子の情熱と虚無感を感じるのですが、殺人にいたるまでの心理描写は非常に激しく、静けさの中に憎しみが増大していくシーンは正直言って怖かった。 それと同時に、可憐で痛切な布美子の姿にも深く感銘を受けました。 それは事件から23年経てもなお布美子の心の中に信太郎と雛子が生き続けていたことからも導かれます。 この作品は人の心の奥底を描いた大作です。 かなり重たいテーマだと思うのですが、読む価値十分だと思います。
2005.03.21
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今日は「雪国」川端康成/新潮文庫です。 10年ぶりくらいに文豪といわれる人の作品を読みました。 基本的にエンターテイメント系の作品が好きな僕なのですが、この作品もとてもいいですね。これからも太宰治や志賀直哉等々を読んでいこうかなと思いました。~国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった~ いきなりこの出だし。いつぞやのJRのCMに出て来たフレーズです。 このワンフレーズですぐに引き込まれてしまいました。 雪国・越後湯沢の温泉地。親の財産で気楽な暮らしを送っている島村は、温泉芸者駒子と出会った。彼女の自分に対する気持ちをわかりながらも、真正面から受止めようとはしない。そんな島村と駒子の物語です。 いろんな意味でとても綺麗な小説です。情景描写は非常に細かく、読んでいるうちにいつの間にかその世界に自分が立っているような錯覚すら覚えました。 心に染み入る詩を読んでいるような小説です。読んでいて静かに時間が流れていきました。 人の感情や臨場感なども見事。島村と駒子との二人の微妙な関係が、情景も含めて作品全体の絶妙な雰囲気を構成しています。 綺麗な文章、綺麗な風景、とてもロマンチィックです。小難しい言葉もなくすんなり入っていけるとても良い小説でした。 お勧めです。
2005.03.20
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久々に読書はお休みです。 今日はギャンブルがもたらす思わぬ不幸について書いてみたいと思います。 僕は、外国為替証拠金取引というのにはまっています。 もともと僕は無類のギャンブル好きでした。 しかし、それによって失ったものがあまりにも多過ぎたこともあって、ここ2年ほどパチンコ、競馬、麻雀は全くしていません。 といってもギャンブラーの僕としては何もしていないのは日常にハリがなく退屈で仕方ありません。 何かしたい。何か刺激が欲しい。何かスリルを感じていたい…こんな思いを満たしてくれるのが、外国為替証拠金取引です。 この証拠金取引というは文字通り外貨の取引によって収益をうるものです。 ハイリスク・ハイリターン、僕のギャンブル精神を満たすには十分です。 賭け事の怖いところは、勝っていても負けていても「今自分がしなければならないこと」を忘れてしまうことです。生きていくうえで「大事なこと」や「もの」が湯水のごとく流れてしまうことです。 負けていればお金がなくなることはもちろんのこと、勝っていても失うものが多いんですね。例えば、人からの信用や信頼。そして、僕がパチンコ等にのめりこんでいたときに一番もったいなかったのは「時間」でした。 パチンコをするために使った時間は何千時間でしょうか?その時間をほかの事に費やせば、もっと充実した実りある人生を歩めたのではないかと反省をしております。 話を元に戻すと、外国為替証拠金取引…これもギャンブルと言ってもおかしくないと思うのですが、証拠金取引の場合、世の人は「賭け事」とはいわず、「資産運用」とか「財テク」とか言ってくれるので人からの信用や信頼を失うことも滅多になく、うまく運用すれば時間の浪費もなく放っておいても年利で考えれば銀行預金の何十倍にもなります。(うまくいけばの話ですよ) 僕にとって最良の素敵な賭け事です。毎日、朝と晩にチャートをチェックしてニンマリして一日を終わります。 そんな僕の趣味を耳にしたある人から証拠金取引のやり方を教えて欲しい旨を言われました。 しかし、僕はハイリスクが伴うことから教えることをためらっていました。 業を煮やした彼はきちんと証拠金取引について調べもせずに始めてしまい、数十万円の損失を出してしまったそうです。 もちろん彼は僕に対して恨みつらみを言うようなことはありませんでした。 僕は、彼がなぜお金を必要としたか、その理由を知りませんでした。 彼の家庭では12月に待望の赤ちゃんが生まれるそうなのですが、その出産費用のためにお金を貯めたかったとのことでした。 最初に言ってくれれば、証拠金取引についてきちんとした説明をして、ゆとりある出産を実現させてあげられた…かもしれません。 彼は出してしまった損失を穴埋めし、さらに出産費用を蓄えるためにアルバイトも始めるとのこと。その話を聞いてとても悲しい気持ちになりました。 パチンコや競馬のように時間やお金も失くすことなく、素敵なギャンブルと思っていた証拠金取引でしたが、僕の安易な発言が人を不幸にしてしまったのかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになりました。 ハイリスクだからこそ積極的に教えてあげるべきだったと後悔しています。 ギャンブルとは、自分自身のお金や時間、信頼、信用を失わせるだけでなく、他人の射幸心まで煽ってしまい結果としてその人を不幸にしてしまう可能性を多く含んだものであるということを改めて思い知らされた、そんな一日でした。…反省。
2005.03.19
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今日は「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ/河出書房新社です。 この作品は第41回文藝賞受賞作です。第132回芥川賞候補にもなっています。 主人公「磯貝」19歳。美術の専門学校に通う学生。そして「猪熊サユリ」。磯貝の通う専門学校の講師を務める39歳。学生からは「ユリちゃん」と呼ばれている。ユリの「好きだったのよ」から始まり、そして、揺れ動くユリの心から終焉を迎える恋。そんな二人の恋愛小説です。 それにしても、なんというか、芥川賞候補としてはどうなのかな。 非常に読みやすい小説です。ちょっと皮肉めいた感想になってしまいますが、薄いし、内容も軽いし、文章自体も読みやすいです。そして、二人が惹かれあう過程とか、男が女を好きなるきっかけとか、そういうものが軽薄だし、性描写も稚拙。 ユリの心変わりがちらほら見え隠れし始め、彼女はいつの間にかに学校も退職していた。そして、磯貝とは距離をおきはじめ、別れがやってくる… 確かに切ないかもしれない。けれど、そこまでにたどり着く心理過程があまりにも陳腐で読み応えはありません。 矛盾しているのですが、それでも悪い気はしませんでした。 いわゆる行間を読む作業によって、自分だけの小説を作り上げていく楽しさみたいなものが僕にはあったからです。作者がそこまで考えて書いているとは到底思えませんが、この小説を面白くするかしないかは、読み手自身ではないかと思います…書き手としてそれが良いことなのかどうかはまた別の問題ですけどね。 その一場面として、メールや電話のやりとり。いくらメールを送っても返事がない。その繰り返しの日常から「恋の終焉」を匂わせているところが、うまいと思いました。 実際こういうのを経験していると、より一層「終わり」を感じることができるんですよね。 最後に「人のセックスを笑うな」とはどういう意味なんでしょうね? 「俺とユリの関係を笑うな」…ぐらいの意味なんでしょうか? 「年増を愛した俺の性を笑うな」…でしょうか? わかりません。 それにしても「ユリ」という名前…非常に良い感じ、良い響きです。 【楽天ブックス】人のセックスを笑うな
2005.03.18
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「子どもが育つ魔法の言葉 for the Heart」ドロシー・ロー・ノルト/PHP文庫です。 小説ではありません。記憶が定かではないのですが、たしか、皇室の皇太子妃雅子さんが子育てのときに参考にしていると言われていた本だったと思います。間違っているかもしれません。 内容はごくごく当たり前のことなのですが、なかなかできない…そんな内容だと思います。 「…あんた未婚じゃん、子どもだっていないじゃん」…そう思う方もいるかもしれませんが(笑)、それはちょっと横に置いててくださいね。 この本を読んで、コメントといえるようなコメントはないんですよね。 でも、僕も含めて人によっては悲しい思いをしたり、身につまされる人も必ずいると思われる、そんな本です。 ~子は親の鏡~ けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる とげとげした家庭に育つと、子どもは、乱暴になる 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまいます 励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる 広い心で接すれば、キレる子にならない 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる 分かちあうことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る 子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ わきあいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる ただ抜粋しただけになりましたが、それぞれ項目、わかっていても実行できないことってあるんじゃないですかね。親だって人だし…完璧な人間なんていないし。 僕の育った家庭は…どうだったのでしょう? 広い意味で、人それぞれ考えるところがある本だと思います。 この本は教育に関するもの、そう思って読むのはもったいない本です。 今、自分が生きている生活環境にも活かすことができます。 例えば、ビジネス。営業関係の人、経営者、上司と呼ばれる人達が、この本を読めば必ず得られるものがあります。 「子どもを育てる」本ではなく、「人を育てる」いい本だと思います。 小中学校の教師、塾講師、家庭教師、もちろん親、ビジネスマン、ありとあらゆる人が読む価値があると思いました。 これが実践されれば、この世の中から「虐待」なんて言葉はなくなるでしょうね…そうはいかないのが世の中ですけどね。 『家庭とは、安心と思いやりとやさしさの港 変わらぬ港でありつづけたい』…ですね。【楽天ブックス】10代の子どもが育つ魔法の言葉【楽天ブックス】子どもが育つ魔法の言葉for the family
2005.03.17
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今回は「泣かない女はいない」長島有/河出書房新社です。 長島有さんは芥川賞作家です。やはり純文学作家だけあってストーリー全体にダイナミックさはないけれど、なんともいえないさわやかさがあります。 いい小説だと思います。 睦美は「大下物流」に就職した。そこで睦美は樋川に出会う。その職場はなんとなく牧歌的な雰囲気の漂う馴れ合いの会社。そんな会社も不況の波に飲み込まれ、仲間が解雇されていく。 樋川は忘年会でボブ・マーリー「NO WOMAN NO CRY」を歌った。題名は「泣かない女はいない」…樋川はそう答えた。 直訳は「女 泣くな 女 泣くな」。解雇された女性は涙を流したのだろうか…自分はいままで泣いたことがない…そんな睦美は次第に樋川に惹かれている自分に気がついた。 そんな気持ちがあることを同棲している恋人・四郎に伝え、そして樋川に伝えた…。 なぜどうして樋川に惹かれていったのか具体的なことは書かれていない。 でも、なんとなく惹かれていく過程がよくわかる。人を好きになる不思議さと自分の身の回りの人を思いやる気持ちが全体から伝わってきます。 ここに描かれていることは、普通の日常です。日常にのみ込まれていない少し変わった女性・睦美の感じ方、受け取り方、捉え方が、なんともいえない固有のさわやかさを奏でていると思います。 全体としてカラッとした風通しの良さをもたらしている作品です。 よくある日常であると思うのですが、僕は好きですね。 人を思いやる気持ち、人を想う気持…なんともいえない良い感じでした。
2005.03.16
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今日は「どや!大阪のおばちゃん学」前垣和義/草思社です。 やっと届きました。面白いですね。爆笑物です。折田さん、ありがとうございます。 本書の良いところは、ただおかしく面白く書かれているだけではなくて、必ず裏づけ・検証・分析がなされていることです。 これがなかったら、問題になるかもしれない…そんなふうに思いました。 ただ、この本の内容はおばちゃんに限られるわけではなく、おっちゃんにも言えるのではないのかな?そして、すべての大阪人ではなく、ごく一部の人にだけあてはまる事柄なんだろうな…そう思ったのですが、もちろんそうですよね?例えば、大阪のおばちゃんは『道を歩いていてピストルを撃つ格好をされると、倒れる仕草をする』とか、『暑いときは「熱冷まシート」を貼って出かける』とか…笑僕が笑った「大阪のおばちゃん語録」を載せたいと思います。●「もうよういわんわ」…といいながら、延々としゃべり続ける。それも誰とでも。●「兄ちゃん、今日は1000円にしとこ、な?」…店の値段を勝手に決める。最後に「な」とひと言念を押すのが決め手。●「あんたの服、ハッデヤナァ~」「あなたの顔の方が派手やがな」…と言って笑い合い、周囲の人の笑いを誘う。派手な服は、驚きと感動を与えようとするサービス精神の現れである。●犬に向かって…「えらいなぁ。散歩してんの」 外国人にも…「どないしはったん」 おばちゃんにかかれば、世界の誰もが友達になる。●「気ぃ遣わんと金遣てや、はい、500万円」…鋭いツッコミも、愛情表現。 僕は正直いって大阪の人間は苦手でした。(大阪の方、ごめんなさい) 「うるさい」「おおげさ」…そんな印象があるからです。 なにかというと「なんでやねん!」「アホちゃうか~」…この反応が東北出身の僕には耐えられませんでした。 たまたま、僕の周りにいた大阪人がこういう人だったとは思うのですが、なぜ何かというとウケをねらうのだろうか、普通に話せないのだろうか、そういうふうに思ったものです。 でも、本書を読んでわかりました。 大阪人のリアクションの奥底にあるのは「人情」。底抜けの陽気さと天性のやさしさがあるということが書いてあります。 そういわれてみれば、そうかもしれない…悪い奴じゃなかったもんなぁ~ こう思えただけでも読んでよかったと思います。
2005.03.15
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今日は「消える」(川上弘美)蛇を踏む/併録/文春文庫 やはり川上ワールドはつかみどころがない、というかわからない。 ちょっと難しい日本昔話みたい…そんな感想です。 と言っても、今、現在、僕自身が非常に眠い。そんな状態にあることから内容をきちんと把握できていない。それで勝手に難しい日本昔話にしてしまっているような気がします。 それにしても、川上さんは日常を抽象的に表現するのが本当に上手です。 抽象的でありつつもリアルさは残されているのが、川上作品のすごさです。 この小説「消える」で長兄が言います。「からだのない寂しさ、家族の側に居ても家族として認識されない悲しさ」 この寂しさはいかなるものでしょうか。 家族とうまくいっていない僕にはわかるような気がします。 「消える」というタイトルはぴったりだと思いました。 たまに思うのですが、家族という存在って、結構残酷なときってあるような気がします。 家族や世間の不自然さを改めて認識させられるような気にさせられた、そんな一冊でした。 今日は正確に内容を把握しているとは思えない…しかし、眠い…。それ以上に僕も…消えて…しまいたい。蛇を踏む ( 著者: 川上弘美 | 出版社: 文藝春秋 )
2005.03.15
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今日は「幸福な遊戯」角田光代/角川文庫です。 この文庫は、幸福な遊戯/無愁天使/銭湯の三作品からなる短編集。 今回は表題「幸福な遊戯」(「海燕」新人文学賞受賞作)についてとりあげてみたいと思います。 この作品が角田さんのデビュー作とのこと。新人が書いたとは思えない心理描写です。 僕は角田さんの作品を読むたびに「人の心の隙間」「影」の描写に感心させられます。「対岸の彼女」「だれかのいとしいひと」「空中庭園」それぞれ素晴らしい作品でした。 それら名作の原点が「幸福な遊戯」…本当に新人が書いたのだろうか…そんな感想です。 やっぱり、書ける人っていうのは新人の頃から秀でた才能の持ち主なのかもしれませんね。 私とハルオと立人。恋人でも家族でもない男2人と女1人で始めた共同生活。この生活の唯一の禁止事項は「同居人同士の不純異性行為」…色恋沙汰をかかえると誰かが出て行かなくてはならないから…そんな理由だった。 始めに約束を破ったのは私とハルオ。これが擬似的幸せな家族の始まりでもあり、崩壊の始まりでもあった。 本当の家族が壊れてしまった私にとって、ここでの生活は奇妙に温かくて幸せなものだった。いつまでも。ハルオが出て行き、そして立男も。この居心地いい空間に浸っていたかったのに…。 この小説は恋愛小説なのだろうか、青春小説なのだろうか。そんなジャンル分けはどうでもいいとして、男と女の微妙な関係、微妙な切なさ、そして家族とはなにか、そのあり方についてとても上手に読み手に問題を提起しているような気がします。 考えても、いくら考えても何も答えがでない。それがわかっていても、つい考えてしまう小説です。 主人公の弱さと僕自身の弱さがリンクしました。哀れでした。 自分で自分がわからない人、進むべき方向性を見出せないでいる人は特に心に響く作品ではないでしょうか。…今日の僕の気持ちがそうなのかもしれません。 自分の進むべき道…我慢…辛抱…あきらめ…どうしたいいのでしょう。ん~つらい。 気分転換にスキーにでも行こうかな…下手だけど(笑)。【楽天ブックス】幸福な遊戯
2005.03.13
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今日は「蛇を踏む」川上弘美/文學界平成8年3月号です。 この作品は第115回芥川賞受賞作品です。 なかなか読み応えのある作品でした。少々重たい不思議な世界が描かれています。 藪の中で蛇を踏んだ。「踏まれたので仕方ありません」と声がした。蛇は人間の形になり、私の住む部屋の方向へさっさと歩いていってしまった。その蛇は50歳くらいの女で「あなたのお母さんよ」といい、部屋で料理を作って待っていた…。 いきなりここから物語がはじまります。 序盤の正直な感想をいえば、読めば読むほど理解に苦しむ内容…そんな感想です。最初は何を言わんとしているのかぜんぜん伝わってきませんでした。 しかしながら、何の意味もなく芥川賞を受賞するはずもないので、ゆっくりゆっくり噛み締めながら読んでいくとなぜか受け入れることができる、そんな世界が描かれています。 (これも芥川賞という賞の権威なのでしょうか。芥川賞をとっていなかったらここまでじっくり読んだかどうか。まだまだ僕も修行が足りません) 女性の自立と孤独、その心の不安感みたいなものを蛇を通して描いた小説です。 「不安感」を直接的な表現を用いることなく、蛇を通じて漂わせる巧みな小説でした。 ここに描かれている世界を感じることができれば面白いし、そうでなければ、ただ苦痛なだけなのかもしれません。 僕は、読み始めの戸惑いから、最終的にはいつの間にか訳がかわらない不思議な展開に魅了されてしまいました。 この作品は「これぞ純文学」といった作品でした。蛇を踏む ( 著者: 川上弘美 | 出版社: 文藝春秋 )
2005.03.12
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今日は「星々の舟」村山由佳/文藝春秋です。 この作品は第129回直木賞受賞作品で、6編からなる連作短編集です。【目次】雪虫/子どもの神様/ひとりしずか/青葉闇/雲の澪/名の木散る 「星々の舟」の「星」は水島家の人々。「舟」は水島家という家庭を意味しているのであろうか。それとも星一つ一つ、それぞれの人生を意味しているのでしょうか。 第1話「雪虫」に出てくる星は、実の妹を愛し続ける男。 第2話「子どもの神様」に出てくる星は、初めから結ばれないとわかっている男ばかりを愛してしま う末娘。 第3話「ひとりしずか」の星は、第1話の実の妹。実の兄を愛し続け一人身を貫く長女。 第4話「青葉闇」の星は、家に帰宅することが憂鬱である長兄。 第5話「雲の澪」の星は、友人を売ってしまった孫娘。 第6話「名の木散る」の星は、戦争体験により屈折してしまった父親。 いずれにしてもよくある話が綴られているのですが、一つ一つの短編が面白い。読んでいて「何があったのだろう」「どうしたのだろう」といった興味が湧いてきます。 凡庸さの中に、激しく光って人の心に訴えかけてくる切なさ、儚さがあります。 すべての小説が「愛情」もしくは「友情」がテーマになっていますが、その心理描写があまりに巧みで、読み手を熱中させます。途中でやめることなど出来ませんでした。 村山由佳さんといえば、恋愛小説の代名詞(言い過ぎかも)みたいな印象がありましたが、家族関係を描かせても最高です。 そういえば、村山さんが小説すばる新人賞を受賞したときの言葉は、『……格調高い「文学」でなくていい。…(略)…ほんの何人かでいいから心から共感してくれるような、無茶苦茶せつない小説が書きたい』と言っています。 この作品は捉え方によっては単に「ありふれてる」小説です。しかしながら、僕は「ありふれた」小説に心から共感しました。 感動と悲しみが入り混じった複雑な感情を読み手に与えるありふれた小説でした。最後に特に感動した言葉を載せたいと思います。第5話「雲の澪」より。「…(略)…お前は、何のためにその子に謝るんだ。許してもらって、お前が楽になるためか」「謝ることで気が済んでしまって、自分のしたことを忘れるくらいなら、いっそ謝らんで後悔をかかえとったほうがまだましだというものだ…(略)…」「謝るべき相手が、そこにいてくれるお前は恵まれている…(略)…あの時おれが…」 …あの時おれが…これが第6話につながっていきます。 これらの言葉を聞いて切なさと反省がこみ上げてきました。 いい小説でした。お勧めです。【送料無料商品】星々の舟
2005.03.12
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今日も「溺レる」川上弘美/文春文庫です。【目次】第1話さやさや/第2話溺レる/第3話亀が鳴く/第4話可哀相/第5話七面鳥が/第6話百年/第7話神虫/第8話無明 昨日は8編中4話まで読み、今日は残りを読み終わりました。 後半は前半の短編とは少々趣を異にして官能の世界が色濃く出ています。 行過ぎた愛というか、究極の愛の果てといったらいいのか、少し変質的な愛の姿が描かれています。 少し変質的といっても、人に見えないところで誰しもしているような、そんな性の世界なのかもしれません。 ある意味「失楽園」を思い浮かべるような短編が多かったような気がします…ちょっと違うかも? 不思議な官能の世界です。 ただ官能の世界といっても直接的な性描写があるわけではなく「いたくする」とか「自在にする」とか抽象的な、遠まわしな表現で性が描かれています。 それがかえってエロさを引き立てているような気もしますが、人それぞれの想像力によっては許容限度を超えているかもしれません…なんともいえない性描写です。 特に第7話「神虫」に関しては嫌悪感を覚える人がいるでしょう。 抑制された言葉で、生々しく、何かしら妖しい男と女の関係を描き出す短篇集です。 僕はちょっと苦手な作品でした。 僕の中の三重鎮のお一人の方が川上氏の作品「センセイの鞄」を勧めてくれたので、しばらくしたらこの作品を取り上げたいと思います。 ↑「溺レる」
2005.03.10
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今日は「溺レる」川上弘美/文春文庫です。伊藤整文学賞・女流文学賞受賞作品です。 川上弘美さんは芥川賞作家であることもあり、前々から興味はありましたが、なかなか読む機会がなく今日になってしまいました。 またしても8編中4話までしか読めませんでした。残りは明日述べたいと思います。【目次】第1話さやさや/第2話溺レる/第3話亀が鳴く/第4話可哀相/第5話七面鳥が/第6話百年/第7話神虫/第8話無明 4話までしか読めませんでしたが、正直僕は馴染めませんでした。決して嫌いな小説とか悪い小説とかそういうことではありません。 僕は小説のジャンル分けというのはあまり好きではないのですが、この短編集は典型的な純文学です。なにか抑揚のない男と女の話が淡々と述べられ、印象としては「暗い」です。読んだ短編に共通するのは背表紙にあるように「アイヨクにオボレる」男と女でしょうか。 読んだ短編のすべてにおいて、世の中から、あるいは何かから逃げている男と女が描かれています。 主人公はすべて女性。女性達は、とりわけ個性があるわけでもなく、良くも悪くもただ自分に正直に生きている女性たちです。 ただし、男の立場で女たちを見てみると、「都合のいい女」「つまらない女」なのかもしれません。「ダメ女」と言ってもいいのかも。 川上弘美の性描写は静寂な流れとなっていることから、いやらしさはないのですが、それら女性たちは、逃げている過程において、ただ「アイヨクにオボレて」いることからその行為は好ましいものとは思えない。 これら短編は不思議に何かがおかしいです。読んでいるうちに感性というか、感情というか、何かが斜めにズレてしまうような、言葉で言い表せない雰囲気を持っています。 ↑ 「溺レる」
2005.03.09
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今日も「ビタミンF」重松清/新潮文庫です。 本当にいい文庫でした。 人それぞれ評価はあると思うのですが、僕は珍しく絶対お勧めです。 後述しますが、第4話「セッちゃん」だけでも読んでほしいと思います。 あと余談になりますが、第5話「なぎさホテルにて」を読んで、池永陽「ゆらゆら橋から」を思い出しました…そんなことはどうでもいいとして。【目次】第1話ゲンコツ/第2話はずれくじ/第3話パンドラ/第4話セッちゃん/第5話なぎさホテルにて/第6話かさぶたまぶた/第7話母帰る 見てのとおり短編7編からなる作品ですが、表題である「ビタミンF」はそのうちの一編というわけではありません。 「ひとの心にビタミンのようにはたらく小説があったっていい。そんな思いを込めて」作られた7編だから「ビタミンF」。 「F」はそもそも「Family」「Father」「Friend」「Fight」「Fragile」「Fortune」…「F」で始まるさまざまな言葉を個々の作品のキーワードとしていたみたいですが、結局は「Fiction」の略であるとのこと。 読めばわかると思うのですが、キーワードとしては絶妙だと思います。 7編に通じていえることなのですが、すべての話に「家庭・家族」の「亀裂」「歪」そして「絆」が描かれています。 どこの家庭でも、どんな夫婦でも抱えている、あるいは抱えるであろう病気(問題)を決して誇張することなく問題の所在を的確に捉えて、さらに処方されています。 それぞれの短編の最後はその「亀裂」や「歪」が修正されるものではなく、「修正のきっかけ」もしくは「可能性」があることを示して終わっています。 この終わり方が僕は大好きです。 家族の修正の可能性を読者がそれぞれより具体的に現実的な幸せに結び付けていければ、この小説を読んだ意義はより一層大きなものになるような気がします。 家族関係が壊れたとき、疲れたとき、悩んだとき、苦しんだとき、本屋という薬局で「ビタミンF」を買って飲んでみてください。 文庫という、格安のお薬です。 最後に特に印象に残った第3話「セッちゃん」を紹介します。 主人公は夫・雄介、妻・和美と娘・加奈子。 加奈子が学校であったことを両親によく話すので安心していた。ある日「セッちゃん」という子が転校してきたがすぐに皆に嫌われてしまいイジメられていると聞いていた。 加奈子の運動会の数日前。いつものように加奈子はセッちゃんの話を始めた。…9月のうちにクラス全員で決めた振り付けが、昨日の放課後になって大きく変わった。それを知らなかったのは、セッちゃんだけだった…とのこと。 加奈子は笑いながらいいます。「でも、マジ悲惨だったよお。セッちゃんだけ違うフリで踊ってるじゃん、ああいうのって、全員で組んで踊るとそれなりにカッコいいけど、一人だけだとタコ踊りみたいなんだもん」 運動会の前日、加奈子は雄介と和美に「運動会に来るな」といいます。雄介も和美も加奈子の言う通りにするつもりでいたが、ちょっとしたイタズラ心で創作ダンスだけでも見てみるか…ということになります。 …そして、 ダンスの輪から、一人だけ、はずれていたのは「セッちゃん」ではなかった。 セッちゃんという転校生は存在しなかった。 ダンスの輪から、一人だけ、はじき出されていたのは「加奈子」だった… そういう話です。 僕は小説を読んで久々に涙しました。 娘がイジメにあっていることを知ったときの親が抱くであろう悔しさや悲しさもさることながら、イジメにあっていることを親に知られまいと必死になる娘の気持ちを考えたとき、目頭が熱くなって文章を読むことが出来なくなりました。 2日ほど前に「重松清 見よう、聞こう、書こう」/NHK「課外授業ようこそ先輩」KTC中央出版についてとりあげましたが、その本に出てくる「小説を書く練習を通じて、人の気持ちを思いやる想像力」を「ビタミンF」を読むことによって改めて習得できたような気がしました。
2005.03.08
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予告どおり「ビタミンF」重松清/新潮文庫です。 この短編集は第124回直木賞受賞作です。今日は7編の短編のうち第3話までしか読めませんでしたが、心が安らぐ小説でした。面白いです。 全部読んでみなければいけないとは思うのですが、今のところ短編家族小説では最高のものだと思っています。 少し前に角田光代さんの「空中庭園」という家族小説を読みましたが、この「ビタミンF」の方が僕は好きですね。…もちろん「空中庭園」も面白いですよ。第1話 ゲンコツ第2話 はずれくじ第3話 パンドラ第4話 セッちゃん第5話 なぎさホテルにて第6話 かさぶたまぶた第7話 母帰る 今日は第3話までの感想ですが、3編通じていえることは、一言でいうと「絆」です。人と人、父と子、夫と妻そして娘、それぞれの「絆」が描かれていると思います。 第1話/面倒なことには関わりたくない男、第2話/息子の不甲斐なさに苛立つ父親、第3話/フリーターの男と娘が付き合っていることを知り、反対だがどうすればいいのか分からない父親。 誰もが経験したことのある日常、誰もが感じたことのある気持ち、誰もが容易に自分に置き換えて想像することができる世界が描かれています。 どれも身近に感じられるありふれた生活ですが、そこにはなにかなんとも言いようのない味があります。 答えはないが考えることをやめてはいけない…そんな気になり、しんみりとさせられます。 第3話「パンドラ」は特に印象的でした。 中学生の娘の性体験をきっかけにして、妻の男性経験、そして自分の性体験を回想する場面は感慨深いものがありました。 過去に結婚を約束した女性、それは自分にとって初めての女性だった。相手の女性にとっても自分は初めての男性だった。そんな女性に連絡を取ろうとする場面、結局連絡できずに終わってしまう場面、少し切なかったですね。 「人には開けてはいけないパンドラの箱がある」この言葉が印象的です。 明日は全体の感想を述べたいと思います。 ↑ビタミンF
2005.03.07
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今日は「重松清 見よう、聞こう、書こう」/NHK「課外授業ようこそ先輩」KTC中央出版です。 この本はあるサイトで紹介されていたもので是非読んでみたいと思っていた本です。重松清作品を読む前に読むことが出来たことは、僕にとって、とても意義のあるものになりました。 この本はNHKの「課外授業ようこそ先輩」という番組をそのまま単行本化したものです。 実に面白い。 タイトルから推測するに、見ること、人に聞くことを通じて簡単な小説が書けるようになること、そして、書くことの大変さ、すばらしさを子供たちに伝えるのであろうと思っていたのですが、それだけではありませんでした。 この本を読んで重松清という人間の奥深さを感じることが出来ます。 まず、授業1で子供たちに嫌いなものを「好き」と思えばどうなるか、「もしも~だったら…」という観点から授業を始め、授業2で「視点を変えてものをみること」の大切さを唱えますが、大人にとっても意義がある授業です。授業3で「想像力でより具体的に」主人公を設定、授業4で取材するという流れになっています。 取材の部分で感心したのは、重松氏が子供たちから聞きだした少ない情報に対して、的確なアドバイスをしていくところです。そのことによって子供たちの「想像力」を巧みに引き出していきます。大人が読んでいても面白い。いつの間にか重松授業にのめりこんでいます。 このシーンを読んでいるだけで子供たちはいい小説が書けるのではないかとすら思えてきます。面白い。 事実、子供たちが発表する小説は大人顔負けの小説です。たった3日間の重松授業が子供たちに与えた影響はいかなるものか。「すばらしい」という感想と同時に羨ましいという嫉妬心が生まれました…自分もこんな経験がしたかった。 しかしながら、重松氏のすごさはこの部分だけでは尽きない。 「人の気持ちを考える」ということを小説を書くことを通じて練習する、重松氏の本当の意図は「自分以外の人の気持ちも考える想像力を持つ」ことにあります。 とてもいい授業です。面白いし、すばらしいし、うらやましいし… 今、学級崩壊という問題が社会現象として取りざたされていますが、重松清氏の授業からは学級崩壊など想像もできない。人の興味を引き出す手法は天才的だと思いました。 さすが直木賞作家、素晴らしかった。 小学校・中学校の先生方、子を持つ親たちに是非読んで欲しいと思いました。 明日は重松清氏の直木賞受賞作品「ビタミンF」にすることにしました。
2005.03.06
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「MENU」山田詠美/「姫君」文春文庫です。 短編集「姫君」第一話に載っている「MENU」を読みました。 毎回1冊の本を紹介することを目標にしていたのですが、最近できません…集中力がなくて。 ということで、今回は「MENU」だけです。 主人公「時紀」。5歳のときに母親が自殺した。母親の首を吊った姿を見ながらおやつを食べた。そんな時紀の青春時代を描いた小説です。衝撃的な経験をした時紀は矢野家に引き取られた。そこで時紀は「聖一」「聖子」兄弟と一緒に暮らすことになる。そして、時紀の大学の同級生「麻子」と「聖一」が結婚することに…。「時紀」と「聖子」の関係、「時紀」と「麻子」の関係が織りなす青春小説といった感じです。 小説の出だしがショッキングでしたね。 母親の自殺、そしてその姿を見ながらおやつを食べるシーンが異常にリアルでその現場に引き込まれるような感覚を覚えました。…すごい発見は、母の体が、カーテンレールを壊さないほどに軽かったということだ。ぼくの気配でカーテンと同じように揺れていた。どっちが重かったんだろう… この表現があまりにリアルで怖くて、悲しく、印象深い描写でした。 このシーンを思い出しても感情が揺さぶられないという時紀。これがきっかけとなってか人を好きになる、そういった感情がわからない時紀の人格が哀れでなりませんでした。 時紀が、聖一に「自分と麻子のどっちを一番、愛してる?」と尋ねたとき、聖一は「麻子だと思う」と答えました。 これを聞いた時紀の激しい心理描写がすごい。…自分を差し置いてひとりの人間を愛せるのは、そのために、他のすべての人々を破棄出来る奴だけだ。あんたに、カーテンレールにぶら下がるような粋な真似が出来るのか… 心に深い傷を負ったとき、あまりにもその傷が深すぎて痛みすら感じなくなって、すべての感情を押し殺してしまった人のことを思い出しました。 人をキズつけてきた自分、素直になれない自分、屈折した自分、汚れてしまった自分、昔の自分の生きざまと時紀の姿が重なったとき寂しくなりました。…こんなはずじゃなかったのに…と。
2005.03.05
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「姫君」山田詠美/文春文庫です。 この文庫本5編の短編集です。 この「姫君」という響き、最高ですね。このタイトルにつられて読んでしまいました。 精神的な余裕がなくて文庫のタイトルにもなっている「姫君」しか読めませんでした。 すべて読んでいないので全体の感想を述べることはできませんが、「姫君」を読んだ感想は…切なく、儚く…といった感想です。 とてもいい小説だと思います。 主人公「摩周」と「姫子」。摩周は自称吟遊詩人のアーティスト。姫子は宿無しで行きずりの男の部屋に転がり込むような女。そんな二人が偶然出会う。素直になれない姫子と姫子に翻弄される摩周。突然出て行った姫子は摩周が気になって仕方がない。摩周に会いに行った姫子の行く末は…。 お互い想い合っている二人。それをわかりつつも素直になれず、寂しさを抱きしめながら毎日を過ごす…そんな経験があればなおさらこの小説は心に響くはずです。 どんな状況でも人が人を求める気持ちって切なくなりますよね。 その心理描写は抜群です。 この短編の中盤から最後にかけて、特にラストは胸に突き刺さるような、そんな痛みが走ります。 お互い想い合っているという点はすごく羨ましいですけどね。 文庫です。是非読んでみてください。 反省を込めて、痛い言葉を紹介したいと思います。『嫌な予感がした。彼女は、今、おれを猛烈に寂しくさせている。それは、いい。けれども、自分が彼女を寂しくさせているのだとしたら?耐えられない。一番寂しくさせたくない人のことを、かけがえのないと呼ぶのではなかったか。』
2005.03.05
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