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さてもさても。ここ何ヶ月か、姑に付き添って小姑2の外出サポートをしている。姑だけでは歩行もおぼつかないし、小姑2の要求を断れないので、月に一度だけだけど、付き添うことにした。相方は今年に入って用事があるから2度、マクドを買ってきて欲しいと言うから1度病院へ行っている。小姑1は1度も行ってない。もう1年以上は行ってないだろうな。相方に執着するのを解っていて、相方にだけ行ってもらおうとする姑に業を煮やしたのと、姑がまだ歩けるうちに小姑2に退院のチャンスを持ってもらいたいと思って始めたことなんだけど。なんというか、『脳の障害』というのは難しい。最初に、姑に付き添って担当の医師にお話を伺ったところ、「義妹(ひねもすのこと)さんの話をよくされますよ。 まあ、ほぼ悪口ですが。」と言われた。「アハハハ、そうでしょうねえー」と答えたけど、たぶん医師もわたしがどこまで理解して付き添ってきたんだろうか?という問いかけでもあったんだろうと思う。だって、世間的にも『嫁=他人』だからねえ。今までにも、この病院に小姑2が入院して、ケースワーカーとの話し合いの機会などもあったけど、そのたびに「できればお母さまと弟(相方)さんかお姉さん(小姑1)で お話し合いがしたいのですが。 お嫁さん(ひねもす)の同席は遠慮していただきたいのです」と言われたものね。そりゃそうだと思うよ、わたしも。けど、相方も小姑1も嫌がっていて、姑はズバズバと質問するわたしに同席してもらいたがる。でもねえ、本来なら他人ですから。けど、ここ何回か外出に行く前に医師の話を聞いて、(最近の様子など)こちらが気づいたことなどお話をしているうちに、どうやらわたしの事も理解していただいたようで。昨日も外出サポートに行ったんだけど、医師から止められた。小姑2の具合がまた悪くなったので。けど、姑には「顔だけでも見たい。(ひねもすさん付きの)外出はしたくない。 母だけ来て欲しい」という電話がしきりに来ていたというので、「それやったらわたしは別の場所で1時間ほど待ってますから お義母さんだけ面会されたらどうですか? 具合の悪い時に、嫌いなわたしを見たら余計に不安定になるでしょう?」と言うと、医師も横で「ああ、その方が良いですね。今は被害妄想が強まっていて、 お嫁さん(ひねもす)は攻撃対象ですから、会われない方が良いです。」そう言って頷かれたので、姑はと見ると深く俯いて「…私は、そんなあの子に会うの怖い。あの子のこと考えただけで 気分が悪くなるのに、そんなんひねもすさんが居いひんとこで 会いたない、怖い」と。そうしたら医師も「今日はもう、面会されずに帰られた方が良いでしょう。 この状態で会われても、どちらも具合が悪くなるだろうし」と判断された。こう言われたとたん、姑の声の明るいこと。「ああ、そうですか~(明)」だって。そうして、会わずに帰ってきたんだけども。脳の仕組みって不思議。この日少しだけ聞いたことなんだけど、小姑2の障害はかなり難しいらしくって。以前から気づいていたんだけど、小姑2は幻覚や幻聴が聞こえている時は、あんまりわたしに対して攻撃的ではないのね。むしろ、ちょっとくらい幻聴がある時の方が、周囲に気配りもできる。ところが、幻聴や幻覚が治まってくるとこだわりが強くなって潔癖が度を過ぎてきて、被害妄想(セクハラ的なもの)や攻撃的(ひねもすが悪の根源)な思考面が強くなる。これって、なんでなんだろう?これが過ぎたらもっと良くなるんだろうか?とか思ってたんだけど、それはまた別の病気なんだそう。だから、「1つの障害の経過」ではなくて「別の部位の障害」なので、小姑2は障害を複合しているんだそう。以前の担当医にも、「統合失調だけではなくて、強迫性障害もある」と言われたことがあったけど、やっぱりそうなのかーと。正直、頭の良い人だったのに、この状況でわたしを敵にしてなんの得もないのに、そうしてしまう事自体障害の重さを感じる。しかし、ほんとにわたしを敵にしてもなーと思うんだが。今は姑がまだ歩けるうちに、と病院へ行って外出の許可もとって外へ連れ出しているけど、姑がいなくなったら…どうなるんだろう。わたし、そんなに良い人じゃないし。どっとはらーい
2011.07.08
さてもさても、2つめ。思い出して、「なんだかなー」が消化出来てないので、ついでに書いとく。ふだん、わたしは学校や先生方、そしてそこで子たちのために勤めておられる人たちにとても敬意をもっている。なので、「なんだかなー」は飲み込んでいる事が多い。けど、ついでついで。(苦笑)Aの担任先生について。指導や、話し方が「なんだかなー」と思うことがあっても、なんといってもあちらはプロなんだから、わたしがツッコム事じゃない。けど、Aの発達障害のことで話した時に、「ああ、理解してもらえない先生に今回はあたってもうたなー」という感触が今の今まで尾を引いてる。例えば、今までの担任先生たちは色々だったけど、まず・過保護な親?でも、たしかに問題が見える子だわねー と受け止めてくれた 先生・問題はあるかもしれないけど、皆大なり小なり抱えてるから、まあ その都度、話し合いましょうー という臨機応変な先生・はあ?発達障害ですかー うーん、よく解らないですが、要望には応えます というどっちゃでも良い先生でも、5・6年になった担任先生は・発達障害?どこかで本当に診断を受けたんですか? 考え過ぎじゃ? でも、中学に向けて本人にがんばってもらわないと!という先生だった。(過去形)確かに、一理ある。 がんばらないといけない。これは当たり前。でも、これでもけっこうがんばってるんです、うちの息子。がんばっても、なかなかどうにもならないとこが『障害』って言われてるわけで。そう思っても、黙ってたわたし。だって、そんな事を語りだしたら『障害の概念』とか、そもそもどこで息子の障害の線引きをするのかという長ーい話になるし。全ての人に『障害』を理解してもらうよりも、そういう自分の考えとは違う人が社会や世の中にはいる、ということを知る方がわたしやAには勉強になるから。で、まあええかーと思っていたら。ある日、二者面談で言われたのが、「補助教員を外しても良いでしょうか?」という言葉だった。これは、1年生の頃から担任先生がたにお話しさせてもらっていたんだけど、自分の子どもを棚に上げているようで、申し訳ないけど、他の子たちに多動や落ち着きのない行動の子どもが多く見えて不安。目立たないタイプの障害を抱えているので、うちの子どもは療育手帳なども持っていない程度だけど、『こういう子どもがいるので』という言葉ひとつで補助教員先生が付けてもらえるなら、うちの子どもの名前を出してもらっていいから、他の子の指導ができるようにしてもらいたい。先生が落ち着いて楽に授業を進められるようにしてもらいたい。それがひいては、うちの子の安定につながるから。というお願いを常々していたのだけど、それが気に障ったか、過保護に感じられたかしたみたいで、「そういう風にお願いされても、あくまで補助教員はAくんのために配置され てきますから、Aくんにだけずっと付いてるんです。 そうなると、“なんでAにだけ”ってなりますよね。 それはAくんに障害があるから、ともう高学年にもなるとまわりの子たちも 気づくし、Aくん自身も気にしだすと思うんです。 それでは、困るのではないですか?」という意味のことを言われた。はて?今までそんな風に補助教員がべったりAにだけついてるなんて事、言われたことないけど?それとは逆の、「Aくんだけを見ているわけじゃないです、それどころかAくんは学習は出来ているので、出来ていない子を見たりもしてもらってます」と言われていたけど?軽く、不安と不信に陥るわたし。(苦笑)「まあでも、高学年になれば事情は変わるものかもしれない。たしかに、Aが そういう目立ち方をするのは、困る」という気持ちと、「補助教員なしでも、私は大丈夫ですから!と仰ってるんだろうから、まあ そういうやり方でやりたい先生に、ムリにその方が楽でしょう?とは 言えんへんわなあ」という諦めに似た気持ちがあった。さて。今、担任先生は休養生活に入られている。 病名も、容態も説明はない。時期も、夏休み前は「夏休みが明けるまで」だったのが、明けてから「10月まで」となって、10月になって「どうやらムリなのでこのまま代理の先生が卒業まで」となった。病気ならば仕方がないと思う。目に見えていないけど、理解できる。そこをあえて、「先生にもがんばってもらわないと!」とは、わたしは言わない。Aのクラスのやんちゃな子たちは、以前からやんちゃだったけど更にやんちゃ度を増し、もう何度も学校のガラスを割ったりしているという。代理の先生も、男性の中堅クラスといった感じだけど、それでも抑えきれるわけではないし、補助教員の先生が入っている。もちろん、“誰かののため”ではないので、誰かにべったりついている補助じゃない。でも、居て助かるのは先生も、子たちも、だと思う。こういう事態を目の当たりにして、「なんだかなー」と思うし、こうしてイヤミなブログを書いたりするわたしは、りっぱなモンペの一員?まあ、それも含めて仕方ないなあーと鼻ほじってるしかないんだけども。どっとはらいー
2010.10.25
さてもさても。最近、姑に関することはほとんど『しかたがない』で済ましているけど、済ましきれない時もある。それは特別こっちのがヒドい!とかそういうわけでなくて、コップに水が溜まってあふれるような状態で、吐き出したい衝動なんだな。昨日がちょうど、そんな感じ。他にも色々なんだかなーと思うことがあったんだけど、溢れたのは『くつした』。舅の荷物をあれこれ処分しているという話をはじめた姑。ハァハァソウデスカ、と聞いていたら「そうなんやけど。 ほら、前にひねもすさんにもらったお父さん(舅)の靴下、 あれ、ひねもすさんのお父さんに持っていってくれへん?!」と言いだした。わたしのあげたお舅さんの靴下というのは、何年か前の父の日にあげたもの。たしか、デイケアに通い始めた頃じゃなかったか。「新品のまま、お父さん(舅)が大事にとってあったのよ~」えーと、それおかしくないですか?舅はもう認知症が始まっていたし、あなたが靴下をおろしてあげれば良かったんですよね?じっさい、わたし何度か舅が穴のあいた靴下を穿いてるのを、何度か見ましたが?「新品だからもったいないし」しかも、舅の父の日にあげたものを、わたしに返して、わたしの実父にあげてと言う、、、なんだか、とっても気分が悪いのですが。それに。これがもし、逆の立場で。新品だからといって、わたしの母のおさがりをわたしが持ってきたら、あなたは着れますか?このお方、とっても潔癖性で。なくなった舅のハンカチひとつ、自分で使えない。こないだまで、部屋も「お父さん(舅)のニオイがして嫌」と言って、消臭剤を撒きまくって、お香を焚き続けていた。(ちなみに、お線香ではない)自分は気持ち悪いけど、他の人は良いでしょ。 というのは、どうなの?と思うんだけど。世の中には、人の気持ちを考えるのがとても苦手な人っているんやなあーと改めて思った。自分に置き換えて考えてみればいいだけなのに、それができない。そういうことってあるんだね、きっと。で、二言めには『もったいないから』と言う。だったら、舅が生きている間に穿かせてあげれば良かったのに。それか、自分が穿けばいいのに。(重ね履きでもすればいい)その『もったいない』は、姑>靴下>わたし+父、ってことかと思っちゃうんですけど。まあね。なにぶん、人の気持ちを考えたり、感じたりすることのできない姑がいうことなんだから、「ハイハイあざーっす」ってもらって、家に帰ってポイッと捨てときゃ、姑も気が済むんだから、わたしもムキにならずにそうすれば良いんだろうけど。できないんだよねえ~ニンゲンそこまで出来てへんし。だから、目の前にいた相方にパスしたょ。「○○さん穿いたら?」って。そしたら、相方ちらっと見て、「サイズは?ちっさいな、ムリ!それに気色悪い」バッサリ。それを聞いて、姑、なんか怒ったみたいになんやかや言うてはりましたけど、相方は話はそれっきり返事もせず。そりゃそうだよねえーとわたしもフォローせずに、新聞を読むのにもどった。姑にはわからないんだから、しかたがない。けど、だからってなんでも姑の気持ち良いようにはできひんよなあーと思う昨日の出来事だった。どっとはらーい
2010.09.21
さてもさても。姑・小姑1のことで、まあイラッとする事はいろいろあったんだけど、もう、一つずつをこれから思い出して書くのもメンドウなので、思い出したらまた愚痴ることにして、あえてここで、「あいかわらずハッキリとモノを言わないで、やってもらおうとする姑が うっとおーしーーっ!」とか、「ん年前にも言ったけど、自分の友だちが子ども連れてくるからって、 『○○ちゃん、連れて行ってあげようかと思うんだけど』(しかも上から目線) って、うちの子を貸せって言うバカ小姑、ノーミソ沸いてますかっ?」とか、ってのは封印しとこうと思う。(もう言っちゃってるじゃん、って思われるかもだけどこれ、ほんの一部)とりあえず、もう色んな事で脱力するしかないような義実家関連のことがある中で、一番なにが疲れるといっても姑からの電話。「それ、どうでもいいよね?いつでもいいよね?」という用事で、いちいち・いちいち(2回言ったよ)電話がかかってくる。正直、電話がなるだけでどんより。「寂しいから仕方ないんじゃない?」と思われるかもだけど、週に2~3回は顔を見に行って、その都度用事も済ませてるのに、帰宅したら電話がかかってくる、切ったあとにまた電話がかかってくる、朝から電話がかかってくる。もうほんとに、気が狂いそうになるくらい。電話に出なければ、次には仕事中の相方に電話がいくわけで、それはくだらない用件だけに、避けたいし。悩みというにはくだらないし、誰かに愚痴るほどでもないし、と悶々としていたある日のこと。舅が亡くなって、舅名義のアレコレを動かすのに、ネットで見てももうひとつよく解らないことが多かったので、のほほんおかんさんに相談していたわたし。この日も、おかんさんの事務所に訪れてほっこりしていたら、事務員さんがテキパキお仕事されているのに見ほれて、すごいですねえーと言うと「もうね、今やっとかないと! もう、今すぐやっておかないと、すーぐに さっきまでのこと忘れてしまうから~」と。「ええー?まあ、確かにわたしも忘れてしまって、『あ!』ってこと ありますけどー。でも、ついのんびりしてしまうんですよねぇ」「いやいや、それはお若いから。(と言っても、そんなわたしと年の差ないようですが) 年いってきますとね、もうすーっかり忘れちゃいますからね。 用事があったこと自体、ほんとに忘れますよ。 だからね、『今すぐ!』って、焦るんですよ~ウフフ♪」なんかこの言葉で、ああそっかぁーと腑に落ちた。ストーンと落ちて、楽になった。姑、焦ってるんだなあと。なんかもう、ほんとどうでもいいことなのに、朝や夜遅くに電話をかけてきて急かされるので、もう嫌で嫌で、用事を済ませることも気が重くなってたけど。あの、気の小さい姑のこと。どうでもいい事の判別も難しい上に、焦ってるとこっちの都合なんて考えられるはずもないわけで。そんな一言を聞けて、とても楽になった。たぶん、これは身内や相方から聞いても無理だったろうと思う。(だって、姑を庇っているだけに聞こえるだろうから)いいタイミングで、いい人に、いい言葉が聞けたなー。わたしはやっぱりラッキーだ、と思ってたんだけど。だけど。年寄りの焦りは甘くない。(苦笑)たとえば、待ちきれずに(翌日にはわたしが義実家に行く予定だったのに)、ぐらつく脚立で電球交換をしようとして、落ちて腰を打ったり。(しかも、その電球交換はわたしや相方だと脚立なしで届く場所)大きなダイニングテーブルを、初盆の準備で動かす予定だったんだけど相方が来る日が待てずに、一人で動かそうとして更に腰を痛めたり。なんだろうなー。そんな、今日明日に死ぬわけでもないのに。(ボソっ)そんな反発心から?更にのんびりしすぎるくらい、してしまう嫁も嫁だけどさ。どっとはらーい
2010.08.22
さてもさても。今日は義実家で、姑のデイケア申し込みのための面接と説明を聞くために昼からケアマネさんと、施設の方と、集まった。わたしが出る前はまだ雨が降っていなかったけど、今日は絶対に崩れるだろうから、念のためにバスで行ったんだけど、自転車だったら坂道があるとはいえ、25分程で着けるのに、バスだと1時間半弱はかかるので、しんどい。幼稚園のお迎え時間には到底間に合わないので、園とママ友にお願いすることになった。案の定、相方とデイケアの見学に行って、「申し込むから。別にええよな?」と、相方と一緒に尋ねた時ははっきりと何も言わなかったのに、今日になって曜日の確認を再度したら、「その曜日は病院の診察があるしー」と、言い出す。その病院というのは月に1回の受診で、ひと月分のお薬をもらっているところ。しかも今までに何度となく、お薬を取りにいけないからといって、送ってもらったりもしてる。・・・何の問題もないと思いますが?というか、受診日を変えてもいいし、それが嫌なら月に1度くらいはデイケアを休んで病院へ行ってもいいですよ?そう言うと今度は「オタクは○○系列の病院なんですよねえ!?」と言い出した。実はこの○○系列には大姑・舅も長く通っていて自分も通っていたのだけど本当は嫌いだったらしく・・・(大姑生存中、舅が達者な頃は言えなかったらしい)でもそんなことを、今ここで言い出すかーぁ?もうイヤでイヤで、顔が能面のようにこわばっている姑を見ると、なんだかもうじゃ、行かなきゃいいじゃん~って言いたくなる。そりゃ、わたしの傲慢でもあるけど、今日も昼過ぎに行ったのにお昼ご飯を食べる気がないからといって抜いちゃってるような、眠いからと言って勝手に就寝前に決められている睡眠薬を夕方前に飲んじゃってるような生活を、少しでも心配して、よかれと思って走り回ってるのに、そーんなに気に入らないならもう勝手にしたらええですやん~って思う。でも、お互いそうはいかない計算もあるしね。まあ、ブツブツと言ってたけど、姑はわたしや相方に本気で愛想を尽かされれば困るし。わたしだって、姑に少しでも良い状態で居てもらわないと負担がもっと大きくなるのは困るし。で、なんとか契約。来週から通うことになった。とりあえず、準備と初日はわたしが立ち会う予定でいこうと思う。今週はあと2日、病院の付き添いと、薬を見に行かないといけない。今日はそんな用事があるので、姑はまた神経質になっていて。部屋が臭い、臭いと言ってウロウロしていた。(実際はお線香の匂いしかしていない)もう、ケアマネさんも来ていらしたのに、なんだか失礼やなあーと思っていたのだけど、仏壇にお線香を上げているのに、お香まで焚きだした。(ため息)けど、それを見ていたケアマネさんが小さい声で「お香、危ないですね。火がむき出しですから。できれば 消臭は他のものにしてもらった方が・・・」と。そういえばそう!うっかりしていたけども。何が危ないと言っても、お香を焚いているのを忘れて、そのうえ消臭スプレーでも撒きだしたら!今やりかねない状態だし、実際。やっぱり来て見ない事には、こういう事も気付き難い。でもさ。こんな状態の義実家で、初盆をするという小姑1。あの人、やっぱり見ていないんだなーと思った。そして、見る気もない。だったら、もう段取り組みはすべてお任せしようと思う。そうして少しでも義実家に行く事になれば良い。少しでも姑と向き合って話せば良い。今日改めて思った。 そうでもしないと、わからないよねたぶん。どっとはらーい
2010.06.15
さてもさても。昨日は珍しく早く帰宅できた相方と、レンタルで借りてきたドラマをまーったりと観て過ごしていた。1日雨降りで、子たちは隣の部屋でなんか学校ごっこをして遊んでいるし、夕食前のちょっとのんびりした時間。そうしたら、まず相方の携帯に電話。 姑さんから。テレビの音を小さくして、様子を聞いているとなにやらおかしな質問をしている…埒があかないのと、質問の意味もよく解らないので相方が「とりあえず、明日にでも行くから。それから、その書類見な わからんし。 ハイハイ、じゃ。」と言って電話を切った。そこで、お話は終わったしーと思い、またテレビの音を上げて二人で観ていると今度は家の電話が。今度はわたしが電話をとると、また姑さん。しかも、何の前置きもなく話しだす。「あのね、だから15日からって書いてあるの!」…ハア、ナニガデスガ?なんだか15日からで、振込がで、自分の口座のある銀行から来たので、宛名は○○(小姑2)で、1~5までの年金がで、20日まで、、、なのよ!って言われてもねえ~。まっっったく、要領が掴めないので、まず文面を読んでみてください?とお願いしても、読んでる途中でご自分の話が始まって…もう、まったく解らないので相方が言ったことを繰り返して、「あのですね、明日相方さんが行くと言うてはりますし、もし 行けなくても、わたし火曜日に義実家に行くお約束してましたよね? たぶん、今日明日中に片付けなきゃいけないことではないんですし、 落ち着いて、待っていてください。」そう言って、電話を切ろうとしたら「ああ、もう!ファックスで送るわっ!」(怒りモード)それでもかまいませんよーと言って、電話を切った。すぐにファックスが送られてきた。送られてきたものを見ると。。。『ATM時間外手数料無料のおしらせ』と、小姑2の年金振込の通知ハガキ。なんにも、相談しなきゃ解らないような、急がなくちゃいけないようなことは書かれていない。ただのお知らせ。相方に見せていると、また電話。「届いたかしら、だからね、○▲~”#%$&」と、またつかみ所のない質問が始まったので、さえぎって「あのね、お姑さん。 これ、ただのお知らせですから。 心配しなくていいです。とりあえず、わたしたちに渡す用の箱に入れて (ちなみに、この箱は ご 丁 寧 に小姑1が作ってくれたらしいよ) 置いておいてください。 急ぎのことはなんにも書いてないので、大丈夫 ですからね。」と言ったんだけど、「でも!年金が~~~で、後期高齢者のが引かれてない!」とか。それでもなんとか、なだめて電話を切って相方の(テレビの)所へ戻ると相方が「いったいなんやねん!嫌がらせか?!」と怒るので、「あのね、ちゃうよ。お姑さん、もうこの程度の文章の理解も 出来ひんくなってるの。 それに、ちょっとろれつも怪しかったやろ?また、薬飲んだはるのちゃうか?」と言ってみると、ちょっと相方も冷静になったのか「そう言うたら。しゃべり、おかしかったな…そやけど、なんでや! 薬は朝と寝る前だけのはずやのに!」(投薬の紙は相方が目を通して、ちゃんと姑に教えて書いて渡している)「うん、でも、睡眠薬とか自分が寝たい時に勝手に飲んだはるよ。前から。 何回か、注意したけど聞いたらへんで」とりあえず、火曜にはデイケアの方と面接があるし、通所が始まったら日中寝たい時に勝手に薬を飲んで寝るようなことも減ると思う。日中に行って、話をすると割合しっかりしてきた(舅が亡くなった頃より)んだけど、やっぱり…なあ。週に1~2度は用事もあって、行って顔を見てるけどもうしばらくは食事を一緒にしたりとかした方がいいかもしれない。…でもなあー。外食や店屋物は食べるんだけど、姑、わたしの手料理は嫌なんだよねー(苦笑)もう解ってるとはいえ、さすがにわたしでも面白くないし、家には招きたくない。相方も解ってくれているから、家に連れてこようとは言わないんだけど。むう。ず、かしーな。ぁ。 どっとはらーい
2010.06.14
さてもさても。今日も今日とて、自転車で体力作りにいそしむ。ついでに、娘のパンツと靴下を見にまたユニクロへ。(どんだけ好きやねん)そうしたら。 そこで小姑1にバッタリ出くわして。別に、たいして話したいこともないのだけど、なんとなく一緒にお茶を飲んだ。奢る義理も奢られる義理もないので、こういう時ってスタバって便利やねーと、思った次第。でもさ、わたしだったら義理の仲とはいえ、一応義妹になるんだし奢るわーの一言ぐらい言うけど。もちろん、いいですよ~って断るけどさ。ま、この人に奢ってもらったことはないので、(奢ったことはあっても)期待もしてないし、察して欲しいとも思わん。で、姑のことについて、一応話したんやけどね。今日も、姑が気の毒に思えた。聞けば、四十九日法要以降、義実家には行ってないらしい。「行けば、半日も居なくちゃいけないしー」と言う。相方や、わたしが行くのは確かに用事があるからですけどね、その用事も姑のこれからのために、デイケアをいっしょに見学に行ったり、ちょっとした家の用事を手伝いに行ったり、病院の付き添いだったり、検診の申し込みだったりしますけどね。それもこれも、やっぱり姑が心配だから。独りになって、心細いだろうからなにかれと気にかけるわけで。別に、姑に言われてしてるわけじゃないから、「してあげた」つもりもないけど。でもさ、姑さんわたしには「○○(小姑1)も来てくれるから」って言うのね。じゃあ、してもらえばいいよねーと思ってたのは甘かったよう。今日は平日だけど、自分の健康診断だったとかで、有給を取ったのだそう。舅の亡くなった日、「忌引き休暇は三日しかないから、お通夜は翌日にしてほしいんだけどー」とか言ってたのにね。へえ、有給、取れるんや。で、わたしとユニクロで出会ったのは、朝の10時半。健康診断は早かったんだね。 で、行くとこないからユニクロでぶらぶらしてるんですね。いいんですけどね。なんで、実母と昼食か夕食くらい一緒に、って思わへんのだろう?あのね、これ、すごく変だと思うんですよ。たとえば、母親に対してなんらかの葛藤や、わだかまりがあるというならわかる。でも、あっけらかんと「あー私、あれから(法要以降)行ってないし、わからへんわ~」って。この人には後ろめたさも、母親が嫌いとかいう葛藤も無い。ただただ、独りになった母親を思いやる、ということが解らない。みたいで。けど、四十九日法要に来ていた叔父さんが、久しぶりに皆で集まれて楽しかった。また行きたいと言っていたので、初盆もやりたいとか言ってたんだけど。これもなんだかなあーという話で。“楽しかった”って、正直そうだとしても、もうちょっと言葉を選んで頂けたら、って思うよ。だって、あれ、親族会とかじゃなくて『通夜・お葬式・納骨』だったんですから。しかも、叔父さんが喜んでいたからやりたい!って。。。(この叔父さんも叔父さんだよね。それを話した従妹も従妹だし。 そんなに楽しみだったら、次は叔父さんとこでどうですかー?<毒嫁 って、マジ思うわぁ。)なんかクラッときたのは、暑さのせいばかりじゃないよね。一応、言葉を濁して、お茶飲み終わったら即にこやかにお別れしたけど。なんかね。思いやりって、どうやったら育つんだろうか。反面教師として、学びたい。母親のデイケア申し込みのことも、健康診断の申し込みのことも一切知らずにいて、嫁がその話をしても「ありがとう」の一言もなくて。しかもそれが、格好悪いことだとも思わない。それなのに、自分の会社の社長が忌引き明けに弔意の言葉ひとつなくてどうかと思う!と愚痴る人に。どうやったら、子どもたちが成らないで済むのか。ものすごーーーく、学びたいと思う。姑は気の毒だと思うけど、なんで彼女はああなんですか?って聞きたいよ。ほんと。まあね、わたしの心根や気遣いがすごくデキテルわけでもないし、あんまり責めることもできないけど。それでも彼女には唖然とさせられるもの。ほんとに。どっとはらいー
2010.06.10
さてもさても。も、こんなネタばっかりで自分でもうんざりなんだけど。今日、相方の話を聞いてビックリした。舅の初盆をどうしようかねえ?という話をしていたら、小姑1がやる気だという。いや、やるのはいいんですけどね。義実家は4DKのマンションで。そのうち、1部屋はいまだ小姑2の荷物がぎっちり詰まっていて、しかもその部屋の整理は、「帰ってきた時に怒られるから」と言って姑・小姑1ともに片付ける意思なし。もう1部屋は物置状態。一応使えそうな部屋はデカイ仏壇(1畳分くらいある)のある6畳間。それと台所を挟んである洋室8畳間(ただしタンスが2竿と机がある)。実質、2部屋のこのマンションに。ご親族とうち家族、姑・小姑1を合わせて15人。(大人12人+子3人)このうち、膝を折って座れない、つらい人が3人。(椅子用意)こんなメンバーで、狭い部屋で会食したいんだそうですよ?もうねー。なに簡単に言ってくれてんの?って話。もちろん相方は「はあ?なにゆってんの?」って聞き返したらしい。(わたしはその場にいなかった)だのにね。間のふすまを外せば良い、タンスを動かして、テーブルを移動したら、と、語りだしたらしい。もちろん、出来なくはないですね。ムリだとは言いませんよ。やろうと思えば出来るでしょうね。でもね。「はいぃ?」 ですわ。それ、あなたがやるんですか?もちろん、お料理の手配もあなたがやるんですか?皆さんの車の手配もあなたがやるんですか?いやあ。ビックリしたねー怒るって言うよりもビックリしたね!今回、あなたが何をやったんですかって聞きたいね!もちろん姑さんは無理ですよ。うちだって嫌ですよ。(うちはお盆の間に、2回くらいに分けてお参りしていただいて お接待すればいいのでは?と考えていた。 だって、そうでもしないと 場所が無理だって!)なのにやるんだってさー。こないだ、ご親族が集まってよほど嬉しかったんだねー(棒読み)だからまた集まりたいんだねー(棒読み)でもそれは、親族が集まってる席でべたっと座ってられる人が言う事でさー。あなたは本来なら、ホスト側なんだから料理の運びや、お茶の注ぎ足し、洗い物、するんだから楽しい親族会と違うんやでー。って、そこまで言わないと解りませんかね?はっきり言って。親族のいる席で、この人が立ち動いてるの見た事ないよ。わたし。やりたいって言うなら、ぜひともがんばってもらいたい。うちは遠慮させてもらうよ。子どもも騒ぐしね。遠慮すればその分、楽でしょ?うちも楽だし。あー。しかし。ほんま久々にビックリした。どっとはらいー
2010.05.29
さてもさても。穏やかならぬタイトルですが。昨日、義実家でケアマネさんと姑のこれからについて話しあってきた。ケアマネさんは週2回くらいのデイケアに参加しては?という。もちろんこちら(わたしと相方)も賛成。ところが、やっぱりご本人は能面装着~(気に入らん時は無表情にお成り)「もうちょっと様子を見てからー」 (引き延ばし作戦?)「わたしの姉妹もそんなん嫌いですわ」 (カンケー無いし)「アーハイハイ」 (聞いてないし)ケアマネさんも、わたしも、言葉を選んで、プライドを傷つけないように、「デイケアと言っても、リハビリを主として考えているところ。 リウマチに詳しい人もおられるし、病院と同じ感覚で通って もらいたい場所」と、説明しているのに「私はもう若返りますからね」 (はあ?)「なんや、お父さん(舅)のあとを追わされてるみたいや」 (デイに行っている人に謝れ!)ぐだぐだぐだぐだぐだ。もう、いい加減にしろ。と思って、軽く脅させてもらった。「あのね、お姑さん。 こうしてわたしと相方さんと来て、 お話して納得してもらえないというなら、今度は小姑1さんに お仕事を休んでもらって、徹底的にお話してもらわなダメですよね? わたしも、小姑1さんにお仕事を休んでもらうのは気の毒なんですけど、 そうして実の娘さんからも説得してもらわないと、姑さんも 嫁と息子では話しづらいでしょうからね。 お話がつくまで、何度でも平日に休んでもらいますから。」あー。スッとした。ほーんと、申し訳ないけど。この脅し文句自体、ばかばかしい事だけど。なんでか、姑は相方を仕事中に呼びつけたり、頼み事をしたりするのは「悪いわねえ~」と言いつつ、何度もやらかしてくれるんだけど、小姑1には言わない。もう、わたしの愚痴を長く読んでいる人は覚えているかもだけど、小姑2のゴタゴタがあった時も、舅が徘徊で行方不明になった時も、相方に連絡しても、小姑1には「あの子は仕事があるから」(!)と言って、なかなか連絡すらしない。相方が、仕事を途中で抜けたり、通院介助のために送っていったりするために、職場で頭を下げて、迷惑をかけた分取り戻そうと必死になって残業したりしていても、それを愚痴ったりしないからって。ちなみに小姑1は、有名企業の子会社にお勤めで、大層しんどいお仕事を任されていて、とても大変なの(本人曰く)で、無理なのだそうだ。でも、お給料は安いので、一人暮らしを始めてからずっと、毎月5万姑からの援助を受けている。でも、姑をサポートするのは別の話らしい。うちの相方の仕事をバカにしてるのか?この親子?と、常々ムカついてたんだけど、それを相方に言うのは不憫なので黙っていた。けど、もういいよねー。その認識を今更改めてもらうつもりはないし。無理だろうし。だから。そんなに大事な娘さんと、そのお仕事。それを休んでもらってでも、デイケア行きを拒否しますか?それくらいこっちは真剣に考えていますから、今までみたいに引き延ばされたりしませんよ。どっちを選ぶかは姑。けど、わたしや相方に頼りたいならきっちり覚悟を決めてもらわんと。小姑1がデイケアに行かなくていいとか言うなら、もうあとは小姑1に一緒に暮らしてもらわないとね。相方はここのとこ、たまの休みでも走り回ってる。昨日も、午前中に姑を病院まで送っていって、小姑2の長期入院の手続き更新に行って、銀行に行って、帰ってきてまた一緒に姑のケアマネさんと話し合いをしてる。週休2日ある小姑1が、2週に1回しか来れないから!とか言っているのに。ほんとにね。相方には申し訳ないけど、これから存分に脅させてもらいますよ、あたしゃ。どっとはらいー
2010.05.27
さてもさても、2つめ。今さっき、ケアマネージャーさんから連絡あり。姑の介護認定がおりた。要介護1、とのこと。かなり疑ってはいたものの、それでも“要支援”くらい?と思っていたので、、、なんというか、、、軽くショックというか。とはいうものの、昨日も夜に電話があって。もうずっとなんだけど、必ずわたしと電話で話す時は「うふふ、うふふ」と笑い声まじりで話すんだよね。別に何もおかしいことはないんだけど、話しづらいことをぼやかすために、愛想笑いをしてるの。で、何の用かといえば「すごく不思議なんだけどー」「私の銀行のカードが無くってー、ひねもすさん知らない?うふふ」「今日の朝、確かに見たんやけどー今見たら無いの。」「すごく不思議なんだけど、ひねもすさんがもしかしたら、 知らへんかと思ってーうふふふふ」いやいやいや。すごく不思議なのは、その思考ですって!と言いたかったけど。言ってもしゃーないので、とりあえず昨日は義実家に相方が行ってたので相方に聞いて確認して、こっちには無いですよーと穏やかに伝えたけど。要介護1、と決まったのならそう考えてサポートを考えなきゃな。さて、これで実子たち(小姑1、相方)もちっとは考えてくれればいいんだけどなーどっとはらーい
2010.05.20
さてもさても。姑の言葉にイライラしているのは、自分に余裕がないからだろうなーと昨日あらためて思った。姑のはっきりしないもの言いは以前からだし。(以前からムカついているけど)それが、姑の性格からくるものなのか、根性悪がしたいのか、認知面の衰えなのか、土地柄なのか。そのどれもが理由なのかわからんし、わかっても治らないだろうし。だったら、怒るのもばからしい。まともに取り合わないのが一番いいんだと思う。けどさ、寂しいもんだよね。相手の気持ちを考えないで、話す事でまともに取り合ってもらえなくなるのって。わたしはそういうの、イヤだけどな。でも、それはわたしの考え方であって、姑の考え方ではない。こないだから、本当に全然急がないような、どうでもいい事で電話をしてくる姑。日に2度3度はかかってくる。それも、もちろん気が滅入る事だけど、それよりも。そのたびに姑が言う、「大変でしょう~?どうするの?そんなのムリでしょう?」って言葉。気が滅入るし、イライラする。言葉だけをみれば、こちらを気遣って心配しているみたいだからこれを読んだ人は、え?なんで?と思うだろう。けど、これが毎回と想像して欲しい。お布施の封筒を用意します、と言うと「大変でしょう~?用意ってどうするの?」「別にどっちでもいいんやけど、前はこうしてたんやけどー」引き出物のお菓子はこちらで買ってきます、と言うと「大変でしょう~?小さい子もいてるのに?」「そんなん子どもらも帰ってくるのに、買い物になんてムリでしょうー?」お寺さんへのお供えは別の物を前は用意した、と言うので、じゃあ今回もそうしましょうか?と聞くと「大変でしょう~?別にどうしても、ってワケじゃないのよ? 前はそうした、っていうだけでーどっちでもいいのよ? それに、そんなん 大 変 で し ょ う ~ ?」そうして欲しくて、何度も電話してくるくせに聞き直したら ど っ ち で も い い。じゃあ、今回はヤメましょうか?と聞くと で も 前 は … それなら、(前のように出来るよう)こちらで用意しておきます、というと 大 変 で し ょ う ~ ?で、 ど っ ち で も い い か らに戻る。なんで、ストレートに、「これこれこのようにして欲しい。大変だろうけど。ありがとう。」ってならないのかな?フンガーーー! って怒ってるわけなんだけどさ。だって、「大変でしょう~?」って言ってるけど、ほんとはちっともこっちの事なんて考えてるわけじゃなくて、単に気遣っているフリ、自分はそういう気遣いをしてますよーっていうアピールだけで。あんまりしつこく「大変でしょうーそんなのムリでしょー」が続くので、「じゃあ、お姑さん一つ○○をお願いできますか?」って言ったのね。そうしたら無言え?なんなの?なんなの?じゃあなんで「ムリでしょう?」とか言うの?ムリだったらどうなの?だから一つでも私がやるわ、じゃないの?ムリでもやってね!ってことなの?じゃあ「大変でしょう?」ってなんなの?今朝も電話がかかってきて、(ここのとこ相方が通院に付き添っている。今日はその通院日でもあるけど、粗供養の引き出物や、Aの修学旅行の準備や、四十九日法要の打ち合わせやいろいろある。だから本当に忙しい日でもある)「大変でしょう~?大変でしょう~?」と、言ってくるのでイラッと来て相方にすぐ電話を代わった。だって、大変でも姑が何か出来る状態でないのは解っているし、通院の付き添いだって、自分でタクシーを呼んで行けばいいのに行こうともしないくせに、「大変でしょう~?」って言われても、気遣いどころか催促されているみたい。別に、何かやる事がイヤだとか、なんで相方ばっかりで義姉1は?とか、思わないわけじゃないけど、それで腹が立つわけじゃない。そんな状態になっていても、自分の体面だけを気にして、口ばかり気遣ってくるのが嫌で嫌で。けど。思えば、この人は以前からこうだった。以前からそれはイヤなとこだったけどわたしも余裕がある時は、アーハイハイダイジョブデスヨー、って流せてるわけで。やっぱり、自分も余裕なく焦ってるんだろうな。この苛立ちはバロメーターだ。ちょっと落ち着こう。・・・でもやっぱしムカつくーーー!キシャーーー!どっとはらーい
2010.05.19
さてもさても。ちょいと愚痴。言ってもしょうがない事だから、ほんとここに掃き捨てなんだけど。姑が困る。まだらな認知症症状もなんだけど、なんというか感情の起伏が。しかも、どうやら攻撃的なもの言いをするのはどうやらわたしだけのようで。実はここに至るまで、わたし自身気づいていなかったというオマヌケぶり。ハハハ。まあ、そんなだからわたしが「姑の様子が変な気がする」と言っても、相方も小姑1にもピンとこなかったんだねー。今日も電話があって。どーでもいい事でミョーに突っかかったもの言いをしてくる。例えば、四十九日の法要の日時を親族に知らせるのは、相方がするのか、自分(姑)がするのか、というようなこと。それは、相方と姑で話をすればいいじゃない?なのに、「私がしようか?」と何度も聞いてくる。何度も聞くので、するのがイヤなのか?と思って、相方にさせようかと提案すると、また「私が!ついでだし!」と声を荒げて言う。またそれとは別に。「粗供養をどうするの」と言うので、昨日相方と小姑1もいるところで「じゃあ、用意しておきますね」と答えて、相方と小姑1も「そやな、当日持っていかんとあかんしね。荷物が多いとオカアサン大変 やろうしね」ということになったのに、「粗供養はどうするのっ?」といきなり声を高くして言われたので、さすがにカチンときて、「 昨 日 も 言 い ま し た け ど こちらで用意させてもらいます」と、答えたら「でも、しなくてもいいかもねー最近はどうしてはるか知らんし、 ひねもすさんの思うようにしてもらったらいいのよ?」↑また出たこれ。「今まで通りしないと気持ちが悪いのはお姑さんでしょ? だったら、今まで通りしたらええやないですか。 そやのに、なんでそんな変えたらいいとか、でも今まではこうしていた とか、言わはるのか解らないんですけども!」と、こっちもキレ気味に返したら。「たくさん請求書がきててねっ! コンビニまで行かんとあかんのよ!」って。↑話つながってます? つながってないですよね。だから、つい「え?」と怯んだ隙に、また怒り口調で「コンビニにね、行って現金で払わないといけないのよ!」要するに、今まで舅口座で引き落としていた公共料金やカードやらが口座凍結により、請求が家にきていると言いたい。けど、それは仕方がないじゃない? それも、お金がないからとかじゃなくて、行くのが腹立つみたいで。そりゃ、リウマチもあって辛いんだろうけど、別に督促状ではないんだし具合のいい時にぼちぼち行けばいいし。今は病院に行った時と、わたしたちが行った時くらいしか人と話す事もないんだから、それくらい外に出ることも必要でしょうに。しかも、口座変更すればじきにそれも無くなるし。なのに、「あのねっ!」とツンツンしたもの言いでわたしに言うわけがわからんのですけど?なーんか不条理。まあ、以前からちょっと元気になるとこうだから、多分今は元気な方なんだろうと思っているけど。だったら、自分の子にもそういうものの言い方をしてみればー?と思う。不思議な事に、我が子にはそういうキツい口調でもの言ってるの見たことない。注意されたり、自分の気に入らないことを言われたりしても黙ってるくせに。へーんなの。大抵、イラッときたらその都度言い返しているつもりだけど、今度声を荒げたら、笑ってみようかしらねえー。「お元気ですねえ~」って。どっとはらーい
2010.05.14
さてもさても。同居されている方も、別居されている方もどうしているんだろうか。法事のあれこれ。今回、舅が亡くなり、姑は介護疲れもあってか全く取り仕切れない状態だったので、葬儀屋さんに聞きながら、お寺さんに聞きながら、ネットで調べながら、それこそ手探りで進めてきた。これで大丈夫、って思った事は無いけど、色んな人に温かい言葉をかけてもらいながらやってきたんだけど。昨日、母の日で義実家へ行ったら。姑が何やら箱を出してきて言うには、「(お寺さんへの)お礼の封筒やけどねえ、ここに“お布施”って 書いてあるのがあるんやわ。」前回の三七日では、「お任せするわ」と言われたので、白封筒と“お車料”と印刷されたものを用意したのだけど、それが気に入らなかったらしく、そのあとにもなんだかブツブツ言ってたんだけど、渡してしまったあとだし、仕方ないので謝ったんだけど。まあ、それでもわたしには何のこだわりも無いし、“お布施”と書かれた封筒があるというなら、「ほな、五七日はその(お布施と書かれた)封筒に入れてお渡し しましょうか」と、答えたら「けどねえ、別にひねもすさんのやり方でええと思うのよ」と言う。「いえ、わたしは恥ずかしながらこういった事はよく解りませんので、」「あらーそう?でもねえ、○○家ではこういう封筒でお渡しした ことないのよ」「はあ。」「○○家ではねえ。でもまあ、ひねもすさんの方法でしてもらったら ええ事やし」「はあ。」(この辺りでイライラムカムカ)「まあそうやし、別にええんやけどねえ、うちではそうした事無いし」「(プチっと切れた。ニンゲン出来てないんで) だーかーらー、どうしてたんですか? わたしのやり方は調べたもので しかないですし、○○家の今までやって来た方法があるんやったら、 そうしたらええんちゃいますか? お 姑 さ ん が そ う し た い ん で し ょ ? 」そこまで言ったらようやく、「○○家ではねえー、白封筒に『上』って書いてー、その下に○○家って 書いてたんやけどねえー」… く っ だ ら ね えあら、ごめんあさーせ。おほほほ。 でもね、はっきり言わせていただくとそれだけの事を、なにをもったいぶって言ってんだか。 てのが本音。別に、どっちが正しいとか、こういうしきたりだとかどうでもいいんですけどーみたいな。そういう封筒にしたいんだけど、ってなんでスパッと言えんかな?↑ここだけ読んだら、わたし悪嫁ですけどね。多分、長いお付き合いの方は解っていただけると思う。このお姑サン、「あらあら、いいのよーひねもすさんの思うようにやってちょうだい?」と言っといて、ぜったいに当日もう一組、自分も封筒を準備してる。これ鉄板。ガチだから。100円賭けてもいい。で、私も用意したんだけどーって出してくんの。たとえは悪いけど、昔の少女漫画で、ヒロインが涙目で校庭の隅っこから「…あの、これ、、、私も…あ、でもっ!私のなんか!いいんですぅ~」って感じで、毎回出してくんのね。で、受け取らなかったらおもっきし悲劇のヒロインみたいになんの。それ見たくないし、受け取るんだけどね。つーか、嫁の立場で拒否できるわけないですし。あ、そうそう。三七日の当日も。もう、ひねもす一家と、姑、小姑1だけだし喪服じゃなくていいよね?ってことで、意見を合わせてたんですけどね。もちろん、全員そうしようって言ったのよ?なのに行ったら、姑一人だけ喪服をきっちり着ておられましたよ。それを見ておもわず、実の息子の相方が「 き っ た ね ー ! 」って、ボヤキましたよ。なのに、スルー。 リバー・ランズ・スルー・イット。きったねーという言葉が華麗に消えていったね。ブラピもびっくり。なんかおかげで最近妙な疲れが。昨日他にも言ってたのは、「忌明けの挨拶状」をお参りにきていただいた人全員に出すとか。(これもはっきり『出す』とは言わない。回りくどーい言い方で)お香典をお断りして、頂いてない方のとこにも全部送るんだって。そういうものなの?知らないけど。っていうか、親族以外ほぼ相方と、小姑1の会社関係の人たちのお参りでしたからね。お二人と相談してくださいね。って、2回言った。2回言ったよ。でも、これもリバー・ランズ・スルー・イット。(もうええって)自分の意見が通るまで繰り返すつもりみたい。はぁ~。疲れるなあ、もう。どっとはらいー
2010.05.10
さてもさても。昨日は亡くなった舅の三七日、それと朝から姑の介護認定調査員が来られる日。よく聞くのは、介護認定の判定がかなり厳しいので困っている事を家族からよくアピールすること、というのがある。これ、難しい。昨日は本当に、つくづく感じた。例えば、姑。今現在、一人暮らし。→“介助されていない”状態。 でも、生活できている。リウマチで通院している。舅が亡くなって、その時に状態の悪さを目の当たりにしたので、なんとか相方が付き添って車に乗せて行っている。けど、杖をついて休みながらでも行こうと思えば行ける状態。関節のこわばりや、痛みはあるのに調査員さんには「もうずいぶん良くなりました」の一点張り。ただし、認知面ではかなり怪しい。受け答えがどんどんずれて行く。 けどコレも、どこまで汲み取っていただけたのかわからない。わたしから見れば、アピールするまでもないくらいズレてたんだけど。たとえばこんなやりとり。調査員の方が 「お鍋とか、焦がされたりしますか?」と聞かれたのに対して、「はあ、ハイハイ、よく焦がします焦がします!もうねえ、それは よくやるんですよー。」「ひと月に何回くらい焦がしたりしますか?」「はあ、もう、あんまり…」「2~3回くらい焦がしたりしますか?」「…こがす?こがすって、なんですか?」「…お鍋とかを火にかけててね、忘れてしまって、焦げつかせてしまう ことはありますか?」「ああー、なるほど。」(と言って、ここで終了)また別の質問で、「今日、朝食は食べましたか? 何を食べられましたか?」と聞かれ「ああ、ハイ。それはもちろん。ウフフフ」「そうですよねー、一応こういった質問もあるんですよー。(笑) それで、何を食べられましたか?」「ああ、ハイ。食べました。(笑)」「そうですかー食べられたんですねー。何を食べられたんですか?」「ええまあ。食べました」と、最後まで“何を食べたか?”は答えられなかった。それ以外では、質問に的確に答えるというより、質問に含まれる言葉に反応して話をしている、といった感じで。たとえば、「姑は潔癖な人なんですが、よそのお風呂というのが嫌いで、銭湯や 温泉といったところにも拒否感があるんです。 デイケアでの入浴というのは必ずしなくちゃいけないんですか?」と、ちょっとした質問をした時にも横から「私には姉妹がおりまして、元気な時にはそのつれあいも一緒に温泉へ 行ったりもしたんです。○○会といいましてねえ。 けど、もう皆体が動かなくなりまして。ご飯もねえ、そんなに食べられなく なりましたでしょう?だから、これからは妹が来てくれると言うています んです」という感じ。 たぶんこれは『温泉』という言葉に反応したのね。それなのに、『介護サービス』を受けるとしたら、という話にはものすごく過敏に拒否反応をしめして。「私の性格ですから。 私は姉妹もいてまして電話で喋ったりしてます。 そのうちの一人は、誰とでも喋れる性格で、皆であんただけなんで そんな風に喋れるんやろうなあと言うてます。リウマチも自分でも 打てる注射を姉も受けていて、私は先生にしてもろてるんですけど 良くなってきてます。息子や娘もよく声かけてくれてます。この マンションは私の他にも一人暮らしの方が多いので、管理人さんが 見て回ってくれています。 (以下繰り返しになるので略)ウンヌンカンヌン~」そうして最後、調査員さんには「それで、ご家族はどういったところが一番心配ですか?」 と聞かれた。身体面でのふらつきや、不自由さはもちろんだけど、それよりも姑の認知面の衰えがかなり心配な事。あれこれできる事も確かにあるので、つい見落としてしまっていたけども、判断が思い込みや間違いでかなり危うくなっている。本人が助けてほしい、といってくることは些細な事が多くて、肝心な事の助けが呼べていない。つまり、その判断自体できていない。それでこちらは、つい「またか」と見落としてしまうので第三者に定期的に会って話すサポートが欲しい。そういった心配と、サポートの希望を出したけども。さて、どうなることやら。もし、訪問サービスも、デイケアも受けられないような認定ならもちろん再請求を出す。よしんばそれが認定されても、本人がこれだけ拒否しているのを受け入れやすいようどうするか?もこれから考えないと。聞けば、こうして拒否感を示す高齢者の方は多いらしい。もうだったら、いっそデイケア義務ってのもあって欲しいよーと思ったりする。かつて、元気なお年寄りが病院にたむろするのを「ムダ!」と言ったものだけど、ああして通う場所があった方がいい。病院と言えば、お年寄りたちは積極的に来ていたのに、デイケアと言うとこれだけ嫌がるんだから。呼び名を変えて、うまく外へ引っ張りだす事が出来れば病院だろうと、サークルだろうと、避難訓練だろうとなんだって良いよ!と思うんだけどな。なんだかな、もう。どっとはらーい
2010.04.30
さてもさても、2つめ。前記事の続き。舅が亡くなって。葬儀の手配を葬儀社の人と相談していた時に、そのアドバイザーさんみたいな方に「お父様とお母様はお二人で暮らしておられたんですね? では、今夜からお母様はお一人になられますね。 こういう時はかなりお気持ちが落ちておられるので、できれば どなたかご一緒にいてあげた方がいいですよ。 息子さんご夫婦は葬儀事でお忙しいから、お姉さんがご実家で お泊まりになってあげられたらいいですよ」と言われた。小姑1の返事は「えー、いや~…」それでも重ねて、アドバイザーさんが「そうしてあげられた方がいいですよ」と言ってくださっているのに「えー、いや~…」(二回言った)なんだかね。もうきっと、一人暮らしの自分の部屋がたぶんもう一番落ち着く場所で(けど引っ越したいと言ってる)そこに帰りたいんだろうけど。父親が亡くなって、母親があきらかに弱っていて、それを他人に泊まるように勧められて、断れるこの人が全く解らない。例えばこれが、普段からものすごく母親と仲がうまくいってなくて、この状況でもそれは覆らないくらい、とかだったら解る。そうじゃなくて、実家に帰ってはお寿司とか出前してもらって一緒に食べたり(自分が出したりとかはもちろんしない)、聞けば一人暮らしの家賃の援助までしてもらっているのに。わたしは、親に援助してもらう代わりにそうしろとは思わない。そうじゃなくて、援助を受け入れる分くらいは親に気持ちがあるんじゃないの?と思うから不思議で。わたしだったら、嫌いな親からの援助は出来る限り受けたくないし。それでも、お互い持ちつ持たれつを切れないから諦めつつ、受け入れたりもしてるわけで。でもそんなのをすっ飛ばして、「またこれからは2週間に1回くらいは(義実家に)来るからぁー」と、葬儀の合間に言えてしまうこの人は…どういう心の持ち主なんだろう?ってちなみに、義実家と小姑1の家の距離は自転車で10分くらい。小姑1はミニバイクに乗ってる。朝晩は健康のためにウォーキングをしていて、30分以上歩く事もざらだという。30分歩けば、義実家には着くだろうけど姑が言うには「(小姑1は)しんどいから行けない、って」そして、「今まではお父さん(舅)の介護や、○子(小姑2)のことで疲れてただけ。 お母さんはこれから大丈夫やから~」って。74歳で、リウマチで、外交的でなくても。「お母さん、これからはテレビよう観て、刺激受けなアカンよ! そうでないと、ほんまにボケてしまうからー」って。それを聞いて、姑も頷いてるし。(介護認定なんて受ける気がないし)そんな娘の言う事でも、自分に都合のいい方を聞くのは当たり前で。また、ギリギリまで放っておくしかないの?と思ってしまう。ただ、今回違うのは相方がそれに反対していることだけど。結局は実子たちの意見が違うと、事はうまく運ばないんだよね。。。なんだかなあ、って思うんだけど。相方はあんなにがんばったのに、いざとなったら相方やわたしに頼るのに、娘はカワイイんだなあ。ものすごく嫌みな言い方になるけど。姑が少しでも元気で、思うように暮らせるためにと考えている息子夫婦よりも、自分の都合をいつも主張する娘がそんなにカワイイのなら、娘に振り回されても、それがあなたの選んだ道なんですよね。だったら、幸せですよね。とはいえ、ほっとくわけにはいかないんだけど。だから、イヤな嫁と言われてもサポートの体制は作っとかないと。は~あ。どっとはらいー。
2010.04.24
さてもさても。前記事でコメントを入れていただいて、もうずいぶんとお返事を返せないでいたのですが、ようやく楽天復帰です。特にものすごく忙しかったというわけでもないんだけど、なんだか長く文を打つ気になれなかったというだけなんですが。葬儀のあれこれはまた思い出せるうちに、記録として書こうと思うけど、とりあえず今は姑の事を。たぶん、介護疲れからだと今になって思うけども、前々の記事からもそうだったように、姑の行動や言動はなんというかものすごく違和感があった。舅が亡くなる前日、ほとんど寝ていないと言うので「なぜ?」と聞くとその日からレンタルした介護用ベッドと、床ずれ防止マットを舅が汚すのではないかと気になって、夜の2時くらいからずっと見張っていたとか。もう、弱ってしまって寝返りもうてない舅が気になって、お風呂も入れなかったという姑。「ああ、でもこれくらい身なりが酷い方が親族には、それらしく 見えるわね」と、妙なところを気にしたり。葬儀の間中も喪主席にいるのに隣の小姑1にコソコソ話を続けようとしたり。とにかく、変な状態で。ただ、今にして思えば、こういう事態が起きた時に場にそぐわない行動や言動は少なからず起きてしまうものだろうし、その時だけを見て、その人を判断してはいけないと思う。ましてそれが、故人と近い人ならばなおさらそうだと思う。けど、改めて今回の事でわたしは姑のサポートを考えないと、と思った。これは今更なんだけども。姑の老いを今回の事で目の当たりにしたから。葬儀中の事だけでなく、介護からの疲れやストレスを差し引いても、姑の判断力はかなり落ちている。(と、わたしは思っている)なので、葬儀後からすぐに舅がお世話になっていたケアマネさんとかかりつけ医に連絡を取って、舅が生前にお世話になったお礼とこれからは姑がお世話になるので、協力をお願いした。どちらも、引き続き見ていただけるとの事で姑自身にも、介護認定を受けて、サービスを利用するメリットと、重要さを説明して下さったのだけど。「私は必要ありませんから」と言い張る姑。。。今回、葬儀の事など一切を相方とわたしで取り仕切ったので、その事に関して姑も感謝していて、わたしに逆らえない様子だけど、たぶんじきに、「もう来なくていいから!」と言い出しそう。じっさい、病院では「もうあれこれ言ってもらいたくないので、これからは嫁には付いて来てもらいませんから」と言ってたくらい。ま、先生には「ハイハイ、じゃあ若奥さん、また電話でー」と返されてたけど。けど、本当はわたし自身まだすっきりと介護の体制を作っていく事に専念できない気持ちもある。というのは、小姑1の存在があって。まあ以前から、“ひねもす・毒”カテゴリーでも、さんざんボヤいているのだけど、今回のことでもやっぱりこの人の事は理解できないという思いがひっかかっている。いや、別に理解してもしょうがないんだけど。(苦笑)けどこれはまた別の話なので、次に記録しておこうと思う。どっとはらいー
2010.04.24
さてもさても。子どもの記録もしておきたいんだけど、どうしても義実家記録になってしまう。どっかで巻き返さんと。(苦笑) * * * * * * * * * * * * * * *昨夕のこと。舅のかかりつけ医から電話が入った。熱が下がり、床ずれになりかかっていたのでデイケアに行き、少しでもねたきりの体位を動かしてもらうよう頼みなさい、とアドバイスを頂いていたのだけど、昨日様子を見に行くと状態は悪くなっていたらしく。ここで、かかりつけ医の先生はこのまま、姑が舅を看るだけではけして状態は良くならないと考えられ、入院先を探してくださってどうですか? と連絡してこられたというわけ。このとき、「大変申し訳ないのですが、お母様(姑)とではこういったお話が できません。 けして、お母様(姑)を非難しているわけではないのですが、 どうしても『もう無理ですから』というと、話が混乱される。 このあと、手当の指導をしますから、といって診察時間後に お母様(姑)とお約束しているのですが、このお話をさせて もらっていいのかどうかと思いまして、電話させていただいた というわけです。」と言われた。もちろん、入院して治療していただけるのならこちらとしては願ったりの状態。ただ、この時にショックだったのは、「床ずれ防止のマットもベッドももうレンタルされるということ ですが、それよりも栄養状態が良くないのです。 失礼だけども、その改善も今のお母様(姑)では望めないでしょう」ということ。だって、、、医師とわたしの前で「7割くらいは食事は食べています」と言っていたのに?それも嘘だったということ?たしかに、風邪をひいた熱が出たと聞いてから2週間程なのに体重の急激な減少具合は気になってはいたけど…。とりあえず、先生にはお礼を言って入院をお願いし、その席には相方を行かせる事を約束して電話を切った。そこからすぐに、相方に入院の話と姑の付き添いを連絡した。相方には「姑ではもう無理」ということは伝えずに、床ずれの進行とつたえた。ただ、やはりかかりつけ医では同じことを言われたらしいけども。この時。明日以降のケアをどうするのかという話になったときに、先生が「大丈夫ですか?」と姑に聞かれたところ、「明日は嫁(ひねもす)が来てくれますから。」と答えたらしい。・・・行くなんてひとことも言ってませんが?もちろん、来てくれとも言われていませんが?相方も横で聞いていて、「そんな事聞いてないけど?」と思っていたらしいが、そういう約束をいつの間にかしたのかと思って、問い直すことはしなかったらしい。このあとも、何度か「嫁(ひねもす)さんにしてもらうし」という言葉が出ていたらしく、相方が帰宅後、それを知ってまたショック。これはどうやら、ケアマネさんにも今までそう言っていた事が今朝わかった。。。入院の予定と、その直前に入っているショートステイの相談を連絡したところ、それがわかった。ケアマネさんはもう薄々わかっていたらしく、「今度の(姑の)介護認定の調査では、ぜひこういった事も話して下さい。 これまでにも、そぐわない行動や混乱した物言いなどもあった でしょう? 実子さんたちは、やはり認めたがらないのでお嫁さんから言って下さい」そう言われた。それ以外にも「レンタルの介護ベッドのお話は、私と、息子さん、お嫁さん、奥さん、 全員の前で決めて、納得した状態でしたよね。 でも、今日お電話させていただいたところ、 “息子がベッドを買ってくれたのが、今日届きますので”と言われてて。 たぶん、もうずいぶん色んな事が混同されていると思われますよ。 ですから、こういった事も実子さんたちにお話しいただいて」これまでにも、何度も話してるっつーの。こないだ、小姑1と話し合った際にも(どっちかというと小姑1の愚痴を延々聞かされたんだけど)、姑のおかしな言動や行動について2人がいるよい機会だからと話した。なのに、2人とも「今は疲れているから。 父(舅)の事が楽になれば大丈夫。 元に戻るから」そう思いたい気持ちもわかるけど、、、『元に戻る』の『元』っていったい何年前の状態のことを言ってるの?少なくとも、わたしに張り合ってうまく自分を庇っていた頃といえばもう、4~5年は前になるけど? * * * * * * * * * * * * * * *時間は平等で、アンチエイジングという言葉がいくら流行って、色々な医術がさかんになっても、そうはたやすく若返ることなんてできない。けど、小姑1や相方が言っているのはそういうこと。姑が老いるのは、小姑2や舅のせいで、その負担を軽くすればいいと。小姑2が入院する以前から、そして入院してもう2年のあいだも姑の状態は良くないというのに。そうしてまた、姑から電話がかかってきた。「あのね、どうして私が介護認定をうけなきゃいけないの? ひねもすさん、今日来れないってどういうこと?そんな急に 言われても!」介護認定調査の話はもう噛んで含めるように、2度した。2度とも「ああそうね」と言ったのに。今日行くなんて話は一度もしていないし、頼まれてもいないのに。それでも、認められないというなら、わたしができる事は限られている。どっとはらい。
2010.04.09
さてもさても。義実家のこと。昨日はかかりつけ医に往診に来ていただいた。それというのも、先月の終わり頃から風邪を引いた舅がそれが長引き、デイケアサービスに行けなくなり、立ち上がれなくなり、相方が二度(姑の要請で)大きい病院へ連れて行った。ところが、ねじれた姑の思考で話を聞き、解釈しているので姑は勝手に“この状態なら大きい病院で入院させてもらえる”と思っていた。もちろん、そうはいかない。認知症を抱えたお年寄りの場合、治療を理解して協力できない。いくら認知症外来のある大学病院でも、「じゃあお預かりします」とはならない。姑にはそれが理解できない。なので、「かかりつけ医に往診に来てもらって様子を診てもらいましょう」というケアマネさんのアドバイスを無視!して、わたしが確認の電話をしたら、「(往診は)やってませんって。」という嘘をついたのが昨日の午前中。嫌なことだけど、わたしはまったく姑を信じていないので、(これが小姑1や相方だと「ああ、そうなの?」と疑わないとこ)「先生に直接聞かれたんですか?電話したんですか?」と、二度三度同じことを聞く。(一度ではまだ誤摩化すから)そうしたら、ようやく「…いや、聞いてないけど、、、でも看板にも書いてないしー そんな事を言ってはるのを聞いた事ないから…」と、モゴモゴ答える。 もうこれを叱っても仕方がないので、「じゃあ、わたしが聞きますから。」と、なる。実はこの前にケアマネさんに電話をした時に、ケアマネさんから「往診をおすすめしたんですが、明日には息子さんがまた大きい 病院に連れて行ってくれるとも言っておられましたが?」と聞いていた。そんな約束も、お話も、これっぽっちも相方もしていないし、聞いてもいないんですが。これも、姑の勝手な解釈と希望が入り交じった嘘発言。一事が万事こうで。もちろん、それはよくお話しするかかりつけ医もケアマネさんも気がついているのに、姑は気づかれていないと思っているので話がこちらへ来ないままになっていた。それがようやく、昨日(かかりつけ医)・今日(ケアマネ)の面談となったのだから、皆がホッとした。かかりつけ医の先生は、先生自身も高齢であるせいか、姑の気持ちも十分に慮って、その上で介護サービスの利用をすすめてくださった。一人で看ようとしないで、人の力を借りながら舅にとって家族にとって少しでも良い生活をおくれるように、アドバイスして下さった。なのに。姑は、先生が帰った後に 「大きい病院に電話しなくちゃ」 という。そうして、向こうの診断をもう一度受けたい という。こちらの先生が、これならデイケアに行ってもらって、少しでも起こした方が良いというのが気に入らないから。入院させてもらいたいから。一応止めたけども、たぶんわたしが帰った後に電話はしたと思う。そして、今朝はケアマネさんとお約束して、義実家で面談。とりあえず、昨日かかりつけ医の先生にいただいたアドバイスで、床ずれ防止マットと、電動のベッドレンタルをお願いした。姑はもったいないと言って、小姑1が置いていったパイプベッドに布団を2枚重ねにして、舅を寝せていたのだけど、これは介護する側もされる側にも、まったく良くない。今までにもケアマネさんは薦めてくださっていたようなのだけど、受け入れずにいたらしい。それと聞けば今現在週に4日デイケアサービスに、月に1度2泊のショートステイを利用しているのだけど、まだ介護サービスの利用枠は残っているというので、これもショートステイをもう少し長くして、キャンセル待ちもお願いした。本当はヘルパーさんもお願いすれば、今の状態から本当にもっと楽になれる。けども、姑は他人を家に入れるのが嫌で、わたしの申し出さえも断るくらい。もう、これはもっと状態が我慢できない状態にならないと無理なのかもしれない。ただ。姑自身、リウマチは全身に症状が出ていて、判断力もこんな状態。姑にも介護サービスが必要。なので、ケアマネさんからもその提案が出て、わたしがその認定の手順を聞いて、二人の介護サービスが重なる場合の話などを質問しだした頃から、雲行きがどんどん暗~く怪しく。いつもの姑の『能面顔+舌打ち』。自分の“介護認定”は非常にお気に召さない。「私は若いつもりでおりますので! この状態が悪いだけで、 お父さんさえいなければ、リウマチは良いお薬も出てますので、 介護認定はすぐ外してもらいますから!」そこで、ケアマネさんが慌てて「そうですそうです。 介護認定は見直しや更新もありますしね、 良くなれば変わりますよー。 もちろん、○○さん(姑)が嫌がっているのに、無理にヘルパーを 入れたりはしませんよ? 大丈夫です。 ただ、もしもの時の事を考えて、今回この状態でも ありますから、申請はしておきましょうという事なんですよ」と話されて、ようやく表情が緩んで「ええ。私はすぐ治るつもりですから!」と。まあ、その気力はメリットでもあるので否定はしないけどさ。その見通しのなさと、こだわりがもうヤバいんですけど。でもとりあえず、介護用ベッドと床ずれ防止マットの導入は認めさせられたし、介護サービスを増やす事にも納得できたようなので、今回は少し前進。 * * * * * * * * *次は介護ベッドを入れる事で、舅の部屋をもう少し使いやすい状態にして。もう入院が長くなって、帰ってこないだろう小姑2の部屋を片付けるのが目標。(これも姑のこだわりで、「帰ってきたら怒られるのが怖いから 片付けたくない」といって、もう2年も手つかずの状態。)姑の介護サービスはまだまだ遠い。でも、しょうがないよねー死んでも受けたくないってんだから。もっと間際で選択を迫られなきゃムリでしょ。どっとはらいー
2010.04.07
さてもさても。今日、義実家のあれこれで、ケアマネとかかりつけ医に電話して話をしたら、まあ出るわ出るわ姑のくい違う話。その嘘を取り繕うために、ケアマネの訪問を断り、ヘルパーの申し出も断り、かかりつけ医の往診は無いと言い、嫁は来ないと言い。自分の思う老後の生活というものがあったんだろうけど、それからどんどんと現実はかけ離れていって。気持ちに正直でいるにはそれを受け入れて、その上で考えることだけど、そうしたくなかったんだろう。とりあえず、今日はこれからかかりつけ医に往診に来ていただく。かかりつけ医の要望でわたしが立ち会って話を聞くことになった。明日はケアマネと相方とわたしと姑で面談。今日、ケアマネと話したところ、やはりこちらも姑のねじれた話に困っておられたとのこと。どちらも、誰か姑の横で話を聞いてほしいと言われる。けど、姑は自分の現実をねじ曲げて、話をしているのでそれがバレるのが嫌で、わたしを遠ざけてきた。それでも聞いてもらわねば困る、と相方も小姑1も思っていない。彼らは姑の物言いがまともな状態で、わたしがオーバーだと思っているから。けど、彼らはそういった医師やケアマネとは話したことがない。そして、それを圧してまで義実家のことをどうこうしようという程、わたしは善人ではない。これはあっち側の話。こっち側は、今日から子たちが始業式。担任は前年と変わらず。明後日はCの入園式。新しく役員決めなどもあるだろうなー。まあでもやれる限りはやりましょう。それよりも、今気になっているのは。今更なんだけど、お昼の放送。『宮廷女官チャングムの誓い』うひゃー。今日は感動の真実が! うひゃー。もう終わっちゃったーうひゃー。今から義実家行ってくるけど。うひゃー。こうして、あっち側とこっち側行ったり来たりしております。まあそれも、日常よねん~どっとはらい~
2010.04.06
さてもさても。めっきりこっちはご無沙汰しております。みなさまいかがお過ごしでしょうか。うちはあんまり変わらず、かなあ。相方はほぼ復活。 朝、少し遅れて出勤するけど毎日行けているし。子たちは元気。わたしはちょっとぼんやりしている。(←いつもやがな)最近、マンガは読んでるけど活字はあんまし読めない。なんか、根気が続かん感じ。相方が仕事に行けるようになって、なんだかまた生活が変わってふわふわ?してる。それなりに楽しく生活はしているんだけども。自転車が楽しくなってきて。(ええ、ハマりやすいもんで)なんとなーく、自転車ばっかり見てたり。乗ってみたり。自転車のブログを作ってみたり。(苦笑)義実家はこんな事をしているあいだも、どんどん悪くなってる感じ。でも、手の出しようが無いというか。手を出せないというか。例えば。昨日電話があった。ここのところ、舅の体調が悪い。熱が続いて、相方が呼び出されて病院に2度連れて行った。そんなだから、デイケアには当然行けない。舅がデイケアに行けないという事は、その間に通院している姑も病院へ行けない。で、昨日の電話。「もう手も動かせなくて(リウマチで)、病院にも全然行けてないの。 1週間に1度、注射を打ってもらうんだけど、それも行けなくて。 足も痛いし、病院は坂の上でもう上れないの。」「病院まで送って行きましょうか?タクシーで行きますか?」「そんな!休みながら行けば行けるのに!」(え?そこで怒られるの?行けない、って言ったのはあなたですが?)「でも、痛いんですよね?」「そうなのよ。もう、指も曲がったままで、背中も。それなのに、 お父さんが薬を飲みたがらないし、私の薬は全然取りに行けへんし」「ええ、じゃあわたし留守番に行きますよ。お父さんを 看てますから、その間に行かれたらどうですか?」「いやそんな!子たちもいるのにー。それでね、私今の病院がもう 行くのも大変やしね、お薬もないのよ。それとね、神経のお薬もね もう要らん気がするの。先生も変わったし、前の先生とちがって あんまり喋らないし、もうあっちの病院はいらないと思ってね…(略」↑オーバーではなくて。 もうこれくらい、話が支離滅裂で。要するに、病院を変えたいという話と、自分が大変だという話と、舅のせいで通院出来ないという話がごちゃごちゃになってて。でも相変わらず、自分の要求をきちんと出さないで「どうしたらいいと思う?」という言い方をされる。意見を聞いているようだけど、実際は自分の要求と違う答えを出されると「ああ、ああ、ハイ、ハイ。そうね。ハイ。」と言って電話お切りになられるんですけどね。この時もそうで。しびれを切らした私が「ほなわたし、月曜にそっちへ行きますから。 入れ替わりにお姑さんは、病院へ行ってください。 今度変わりたい病院に直接行って、事情を説明すればいいでしょう。 子たちは、いっしょに行きますけど公園にでも行かせるので。」そう強引に話を決めた。するとその時は「ああ、そう?そう。じゃあお願いしようかしら?」と言ってたんだけど。希望(姑の正解)としては。子たちがいない状態で、わたしに来てもらって舅をみさせて、自分は息子(相方)に病院につきそって連れて行ってもらいたかったらしい。↑ムリ。まだ春休み中だし。娘はまだ幼稚園じゃないし。相方は仕事にようやく復帰しつつある時だし。(もちろん、いまだに相方が鬱で長期に休職していたことは知らないし)で、今日お断りの電話がきた。曰く、「ひねもすさんが思うよりもずっと大変な状態なの! 下の世話もしなくちゃいけないし。シーツも汚れるし。子どもたちも いるのに、そんな事できひんでしょう。 いいの、私の事やったらもう2、3日したらお父さんもデイケアに 行けるようになるやろうし、そうしてから病院に行くから。 だからもう、明日は来なくていいですから。 またお願いするときもあると思うけど、明日はもういいから!」下のお世話も、とうぜん想定内ですが。すごく大変なのもよくよく覚悟して、申し出たのですが。それよりも、もう姑さん自体、嫌なんだなーと。そういうサポートを受け入れることが。自分の願っているサポートと少しでも違うかもしれないことが嫌で嫌でしょうがないみたい。たとえ、自分の体が悲鳴を上げていても。でもね。もうずっとこんな具合に、姑の気分次第でコロコロと言う事が変わってるんですね。ある時は「お願いします」、その3分後には「いや、でも、私出来るから!」「預かってもらえたら万々歳やわ」「いなくなるとさみしいから」「もういっそ、、、と思うんやわ」「最近おとなしいし」けっこーきついっすわ。何か実際にやったわけではないので、贅沢な話かもしれないけどクルクル気持ちの変わる人の話を聞かされるのは。そんな感じで。もう、ここに書くのも思い出すのもイヤーーー!ってな感じでまーーーったく、考えないようにしてたらふわふわして、ここに何かを書く気になれなかったというわけ。でもここは、子たちの事も書いていたし。ちょっと新年度で、あれこれ切り替えなきゃいけないのはわたし自身もだなーと思った次第。気持ち切り替えて、あっちに引きずられないようにしようと思う。どっとはらいー
2010.04.04
さてもさても。先日、彼岸参りの報告に義実家に電話したところ、小姑1が来ていて、姑が「○○(小姑1)が電話かわって、って言ってるから」と言って、久しぶりに(正月以来)電話でご挨拶。それから、「あのね、お父さん今だいぶ認知症もすすんでいて、お母さんも もうかなりしんどい具合で。。。 だから●●(相方)とひねもすさんと相談したいから時間を 作ってもらえへんやろうか?」ようやく、きたかー。と。こういうお話をする日が。というか、何度もその機会をと思って、せっついて、もうこんな状態で、ようやく、話し合いかーとも思うんですが。でも、相方もようやくその気になってるし、もっと早くしておけば良かったのに!と思うけど、それは今更言ってもしゃーないし、こういう事態にならなければ決心できなかったんだろうから。わたしの今の希望はひとつ。姑の希望を、小姑1がきちんと聞いて説明してほしいってことだけ。嫁だから言いにくいのか、回りくどい、人を操ろうとするようなモノの言い方にはもう慣れたけども、それでも本心はわからないし。以前。小姑2が入院したとき。わたしの手配でほぼ今の病院に入院が決まって、その時は感謝していたけども(もう姑も体力気力ともに限界だったし)、それから今までに何度、病院への不信感や、わたしへの非難めいた愚痴を聞かされたことか。『だったら、自分で全部考えて、調べて、決めれば良かったやん』と何度言おうと思ったか。あげく相方まで、姑の言いようを理解するようなことまで言うし。正直、あのときに義実家への気持ちも相方への気持ちも心底冷えて、もうだったら、頼まれたことだけしようと思ったんだよね。もちろん今もその気持ちに変わりはないから、わたしはわたしの納得できることしかしない。だから、もういい。ようやく話し合いができるようになったけども、わたしはもう何にも決めない。手伝いはするけど。いちお家族だし。とりあえず、方針が定まればあとは動くだけなんだから。でも、あの姑の言いようをどう捌くか。小姑1にはぜひがんばってもらいたいところ。どっとはらーい
2010.03.23
さてもさても。お彼岸です。 もう4月半ばかと思うような天気で暑いくらい。お彼岸の入りに姑さんから電話。いきなり「手がまがって何も出来ない、歩けない、でもコルセットを買ったので 大丈夫なの。」という要点のつかめない話し方をされる。(ここのとこ毎度だけど)とりあえず、「それは大変ですね。大丈夫ですか?なにかお手伝いしましょうか?」そう応えると「もう大丈夫。大丈夫なんやけど、“お彼岸”があるでしょうー」「ああ、もうお彼岸ですね。でも、お姑さんそれでは大変でしょう? うちが行きましょうか?」「あら!でもひねもすさん大変でしょ!子どもたち居るのにどうするの? 私やったら大丈夫やからーもうほとんど毎日歩かれへんのやけど」(↑じゃあナニしに電話して来て、歩けへんアピールをするのか ちっともわからんのですが)でも結局、『お彼岸にお参りに行って欲しい』というのが正解だったようで、さんざんおばちゃんたちの「ここは私が払うわー」「いやうちが…」「いえいえわたしがー」って感じのやり取りをして、うちが今日墓参りに行くことになったわけ。それはまあいい。もういい。うざいやり取りだけど。もっとムカつくのは。今日行くと言ったら前日に、お線香・ライター・ろうそくをセットにして渡され、お花代、塔婆代を渡され、それらをどのように渡すかのメモも渡された。(一応行くたびに見て12年は経っているんですが、まあマヌケな嫁 なので、その心配はわからんでもない・苦笑)けどさ。当日(今日)の朝にまた確認の電話が。。。あのさ。そんなに心配だったら、もういっそ自分で行かれたらどうですか?と思うわけ。失敗しても、それはわたしの失敗だし、お彼岸参りでの失敗がそんなに取り返しもつかないほど大きなものだと思わないし。わからなければ、お寺さんで聞くし。このお方。もうホント、いつもこんな感じ。 わかってたことだけどイラっとくる。イラッとくるので電話はとらず。(←陰湿な嫁である)終わったあとに「お参り済みましたけど、なんでしたぁ?」と電話した。そうしたら。「あ、なんでもないの。 お願いするわね、って言うのを忘れてたから」だって。いや、彼岸の入りの日に聞いて。彼岸参りセットとメモを渡された相方も聞いてるし。まだ念押し?どんだけ?まあね。相方との結婚の挨拶に行った時、出かけると言った小姑1に、ポシェット持ってきて中にハンカチや、ティッシュ、財布にお金まで入れて渡してた人だしね。小姑1この時、30歳目前だったんだけどね。ビックリだよね。あーもーねー。行くのは全然かまわないし、別の用事でも言ってくれればやる。自慢じゃないけど、そんな事でイライラしない。でも、信用できないんなら頼まないで欲しい。自分の思い通りでないことも諦めて欲しい。しんどいって思うのは、子ども連れの用事じゃなくて姑のやり方なんだよね。ふーうーぅ。どっとはらいー
2010.03.20
さてもさても。朝からカッチーーンときた。今さっき、姑から電話があって。こないだから、入院している小姑2のある手続きに関して、小姑2の任意書を欲しがっておられる姑。(小姑2が自分で手続きするのに、病院から連れてくるのは難しいので)その手続きはけっこうこれからの事で、大事なポイントになるものなんだけどそれを自分は娘に会わずに済ませようとしているので、相方が行くのならたぶん車で移動するのだから、リウマチが痛いといっても日常の生活は出来る程度なんだから、娘の面会と説明は親の仕事でしょうと思って、『いっしょに行ってはどうですか?』と言ったんだけども。これがどうやらお気に召さないらしい┐( -"-)┌ヤレヤレ...相方は良くなってきたとはいえ、相変わらず朝はなかなか起きられないし、仕事も午後遅くからようやく出勤できる程度。だから今日もまだ起きれてないわけで。そんな息子の状態を知らない姑さん。知らないからしょうがないんだけど、相方が今日は休日と知ってて電話してきてまだ寝てますと言うと、「えぇー、まだ?! もう、区役所は開いてるっていうのに!」(電話がかかってきたのは8時50分でしたが)早く済ませたいのはわかる。で、30分の間にさらに2回電話をかけてきて・・・「そっちから私を迎えにきて、それから病院に行って、そのあと区役所に 行ってもらうのが悪い気がして。 それだったら、病院に行ってそのまま区役所に行ってもらう方が楽でしょ。」という。小姑2の病院に行くのに、楽な気持ちなんてないんですけど?というか、楽させてやろうと思うなら、全部自分で行ってください、って話なんですけど。相方の病気まで知らせたら、姑はつらかろうと思っていっさい話してないけどさすがにこの電話の途中で、のど元まで出かかった。「あなたの息子さんは病気で休んでるんです。 少しは考えてもらえませんか?」・・・それで、ああ済まなかった、自分は母親なんだしと思い出してくれるのなら言うけどねえーと、そっとため息をついて逃したけど。なにより、また『自分が』悲劇のヒロインになって大騒ぎされても困るし。それで相方がつらい思いをするのだろうから、言わないけどね。今度はファックスが来たよ。昨日は潰れてる(紙づまりが起きていて直せない)と言ってたのにね。(苦笑)任意書の文例を書いた紙を送ってきて、「やっぱり私を迎えにきてもらうのは悪い気がして」だって。だから、罪悪感を感じるポイントが違いますって。罪悪感を感じるなら、そういう手続きでも自分の手を汚そうとしないことに罪悪感を感じてくださいっての。ああ、もう、ぶっちゃけてやろうかと思う。人間のできてない嫁だし。どっとはらいー
2010.01.13
さてもさても。某番組ではないですが。笑ったからと言って、黒子が出てきてお尻をぶっ叩かれる罰ゲームもないんだけど。いや、そこで笑っちゃマズいんじゃね? という自制心を試されるようなお正月だったのは確か。ひねもす家のここ何年かのお正月は、レンタカーを借りて義実家を乗せて一緒にお墓参りに行くことになっている。(過去日記も正月は義実家愚痴だけどな)今年もそうする予定だったのだけど、8時半頃、まだ寝ている相方の携帯に姑さんから電話が。「お父さん(相方父)がお餅喉につめはって、今救急車に乗ってるとこやねん。 アンタだけ来て」と。 電話の向こう側では救急車のサイレン音。相方は今ウツの薬と、入眠剤を飲んで寝ているので起きたては結構ツライ。とはいえ、そんな事態なので頑張って起きてすぐに行こうとしているので「とりあえず、何かひとくちでも食べていきなー」と声をかけて何を食べるか聞いたところ、真顔で「ほな餅焼いてー」ここで堪えきれずに “ぐはっ” と笑ってしまった。なぜに、今、餅を食べたいんだろうかねこの人。とはいえ、不謹慎なので夫婦して困った顔して笑ってしまったんだけど。とりあえず、相方だけ病院に向かい子どもたちとわたしは自宅待機。舅は救急の方が来て処置していただいたときに、ほとんどお餅は取れていたらしいけど、念のため病院でレントゲンを撮り、点滴を打ってもらって終わった。相方はその義両親を義実家に送って、それからわたしたちを迎えに来て、それからお墓参りに。お餅を喉につめる話は、全然笑い事じゃないんだけどそういうお正月をまさか自分たちが経験するとはねえーと言いながら、お墓参りを終えて義実家へ。義実家には小姑1も来ていて、和やかに年始の挨拶。姑さんがあれこれもの言いたげだったけど、悪嫁上等のわたしはさっさとトンズラして、おかんさんのところへ。ここで年始からおしゃべりして、スッとしているとこへBの泣き電話が入った。この人が一番、空気を読むのだよねえ。落ち着けない義実家で、わたしがいないことで涙が出ちゃうらしい。長男Aは構わん人で、Cちゃんは我が道を行ってるからなあ。この2人に挟まれるだけでも、泣けてきそうだけど。渋々腰を上げて、義実家へ戻るとBは拗ねているのはまあ良いとして、義実家の様子が少し変。あら~なんでかしらん?と、様子を見ているととにかく姑がキリキリしてる。で、そのキリキリをやわらげるべく小姑1と相方ががんばって会話を明るくしてるのね。まあ、きょうだい仲良くがんばってるやん~と思って、わたしもそちら側に加わったのだけど。しばらくして、隣室から舅がウロウロとあちこちを開けようとしながら出てきた。もしかして「おトイレですか?」というと「もごもご」と聞き取れないけど、どうやらそうらしい事を言っているようなので、手を引いて誘導したのね。で、あと少しでトイレのある洗面所の入り口という所で、舅がパンツを下ろしてボタボタボターと。瞬時の判断って、この場合どうするのが良いか2つほど浮かんだけど、無理。唯一出来たことといえば、かからないよう跳んで逃げることくらいで。自分で言うのもなんですが、逃げ足は昔から早いんだよねえー(しみじみ)ニンゲン、どこで何が役立つかわからんものよねえーとりあえず、病院で打ってもらった点滴の効果もあってかなかなかオシッコが止まらないので、皆で止まるまで待ってからお片づけ。相方が言うので、わたしは子たちを部屋から離さないようにして、相方と小姑1が拭き掃除。姑が舅をお風呂場へ連れて行って、後始末を。もうこの状況になれば、“笑ってはいけない”というより“笑うしかない”ので、相方と、小姑1と、わたしで、「いやー、ビックリしたねえ~」などと笑っていたんだけど。姑は違った。そりゃあ、普段もこんな具合で、お正月もこんなで、のんびり笑ってるようなわたしたちを見れば腹が立って仕方ないのかもしれないけど、もうピリピリムード満開で。けどね、悪いけど同情する気にはなれなかった。なぜなら。たとえば、舅の粗相の後始末を相方と小姑1でやったんだけども、そのあとの拭き直しがものすごかったから。いい大人の息子娘が水拭きして乾拭きして終わった床を、さらに5回も拭き直してんの。相方たちが「子どもが信じられないんだよねー」ってやんわり言っても「私は汚いのがイヤだからっ!」って。しかも、言った言葉が「あんたたち手を洗たの!? よく洗いなさいっ!もう!汚い!」って、一応終わった後洗ってるよーと言ってるのに聞かない。いや、それよかいくら子どもとはいえ、労うことばとかないの?と思うわけで。まあ、以前から人のやる事は一切信用できない人ではあったけども。でもって『潔癖性』でもあったけど。なんだかものすごくこだわりがきつくなっていて。そのあとにも、こだわりの強い発言があれこれと。まあ、これはまたあとで書こうと思う。今年はこんな感じで幕開け。笑ってはいけないというか、笑うしかないんだけども。けど、笑ってられないという感じもあるし。でも、笑っちゃうよねえーと笑えるうちはまだ良いと思うんだけど。どないでしょ。どっとはらいー
2010.01.05
さてもさても。思えば、このブログを始めた頃、もう4年前になるんだけど。その頃の姑さんと、今の姑さんの変わりようはかなりすごい。あの頃は元気だったんだなあーと改めて思う。 だって、嫁に張り合ってたし、娘たち(小姑1、2)が居るとはいえ、なにもさせずに、仕切ってたもの。ここを読んでくれてる、長いお友だちは重々わかってくれてると思う。アレやコレやのわたしをイライラさせた出来事。それが4年で。まあ、その間に小姑2の病状の悪化もかなり進んだんだけども。こないだ、実家のババから電話があって。「お歳暮が義実家から送られてきたから、お礼の電話をしたらそこから 2時間半、捕まって話を聞かされた」と、いうのね。正直、あちゃー と思ったけど、もう聞いちゃったもん仕方ないわけで。で、実ババは姑さんとは年に1、2度しか話さない人なのでその違いと姑さんの話す内容に驚いて電話してきた。実ババ曰く、「ろれつも少しまわっていなかった、話しているうちに内容が支離滅裂になって 敬語になったり、タメ口になったり、なんか私にはよくわからない病気の相談に なったり。。。それに、あんた(ひねもす)が毎日様子を見にきてくれてる みたいな事も言ってたけど、そうなん?」まあ、、、ここのところうちにかかってくる電話も、毎回同じこと聞いてくるし。それも、毎年やってる税金の申告時期を聞いてきたり。タクシーの運転手への苦情だったり。病院の薬の文句だったり。舅のデイケアや、ショートステイへの不満だったり。これが毎回。 だけど、毎日じゃないし、わたしは義実家には行ってない。もう、姑の行動は以前からおかしいとここでも書いてきたけど、やっぱり4年前から比べると、おかしさの意味合いが違っていて、衰えの方が目立ってきたなあと思う。これからの事を考えると、不安もあるけどそれよりも呆然って感じで見てしまう。(そんな場合じゃねえだろーとも思うんだけどさ)まあ、なんとかするしかないし、なんとかするんだろうけど。わたし。それよか。実ババが「なあ? あんたわかってるの? どうするの? 大変やで? 」と言い続けてくるのがどうにも、なあ。(苦笑)心配してくれてるんだろうけど、なーんかわたしの不安を煽ってるだけなんだよなあ。とりあえず、これも来年の課題だなーどっとはらいー
2009.12.21
さてもさても。朝、姑から電話があって、なんか疲れちゃった。朝の挨拶もそこそこに、「◯◯(相方の名前)の会社の人が亡くなったんですって?」と。まだ相方は仕事を休んでいるから、もしかして連絡がそっちに行ったかと思って慌てて「え!? それは会社の方から連絡があったんですか?」と聞いたら、「いいえー、そんな会社からの連絡はないけど…」「?? えっと、じゃあそれは誰からお聞きになったんですか?」「あのー、お父さん(認知症の舅)がそう言うんやわ。」もう、なんかそこでドッと疲れというか、怒りというか。「・・・お舅さんが。 そんなことを知ってるはずないじゃないですか?」「え? ああ、私もそう思うんやけど、お父さんがそう言わはるしー」(いや、だからそのお舅さんが言ったからってナニ?)「だから、お舅さんはそんな会社の事を知る事も出来ないって、お姑さんも 知ったはるんですよね?」(知ってて電話する理由が解らないんですが?)「ええ、でも、◯◯(相方)のお数珠もこっち(義実家)で預かってるし、 気になって」(いや、だから誰も亡くなってないし、お数珠は関係ない…)(っていうか、舅の言う事を信じちゃってるから、数珠が気になるんでしょう?)「とりあえず、相方さんの会社では誰も亡くなっていませんから。。。」「ああ、そう? いや、お父さんが会社のキタさんっていう人が亡くなったって 言わはるからー(キタさんなんて人はいない) ほら、◯◯(相方)は仕事中やろうし、そんなん電話して邪魔したらあかんと 思て、ひねもすさんに電話したの。 ほんとに誰も亡くなってへんの? ああそうー」相方には一応こういう電話があったよ、と言ったけど。それ以上、ボヤくわけにもいかないし。なんか疲れちゃったー。電話1本なのに。破壊力あるなあ。(苦笑)もしや、姑も認知症キテル?とも思うし、いや、でも前から小姑2の妄想話を聞いて(うちが火事になったとか、看護師に暴行されたとか)それを確認する電話は前もあったよなあーとも思うし。認知症の舅や、統合失調の小姑2の話をそうやってわたしに確認する事すら、もうすでに姑もおかしいやろとも思う。でも、以前に書いたけどこの人は自分が「オカシイ!」と思っていても、そうは言いたくないから、他者の口から言わせるために、わざとそういう奇矯な言動や行動を「どう思う?」と確認するふりをしてきたからなあ。って、あれこれ推測するのもなんか疲れたーだって、意味ないし。イヤガラセだろうが、本気であろうが、姑の電話が厭なもんには変わりないしねえ。(苦笑)まあ、良かったなあと思うのは。その電話を相方が受けずに、わたしが受けた事くらい。こんな気の滅入るような電話、今の相方には聞かせたくないし。なので、わたしはここでボヤくのさー。いやーしかし、ほんと一気に疲れたよーどっとはらい~
2009.12.01
さてもさても。久々にどっかーんと頭にきた。一昨日、相方のいとこの結婚式があった。 義両親は体調も宜しくないので欠席。一人暮らししている小姑1と相方での出席となった。この場合、相方の嫁のわたしも招待されるのが普通なのかどうなのか知らないけど、うちは親しくつき合っているわけでもないし、わたしたちの結婚式の時にこの人たちは欠席されたので、わたしは行っていない。ま、それは置いといて。わたしたちの結婚の時、ある事情から義実家親族間でもめ事があって、それで結婚式にも出席してもらえなかったし、それ以降も舅の末弟一家とはほぼ断絶状態で今に至る。それがかれこれ11年ほど。その間、誰も連絡は取ってなかった。けども、一昨日の舅の妹娘の結婚式で、テーブルを囲むことになったのね。今日、姑から電話があってわかったことだけど、この時に聞かれるがままに小姑1が、小姑2が精神病院に長期入院中であることと、その病院の場所までしゃべり、早速昨日、その叔父さんたちが小姑2の病院にお見舞いに行かれたらしい。そしてそれを知った姑が、叔父さんのところへお礼の電話を入れたんだそう。なんかね、それだけの事なんだけども。この、叔父さんという人も少々クセのある人で。今回とは別なんだけど、以前に招待もされていない結婚式に当日連絡もなく出席したり、また別の葬儀場で姑と出会った時には思いっきり無視するような、なんというか、ちょっと問題のある人。だから、姪が精神病院に入院しているのに、その家族に了承を取ることもなく、いきなり面会に行けちゃうんだろうけど。(場合によっては閉鎖病棟で面会を断られる時もあるのに)そういう人だと解っていながら、なんでペラペラ喋るかなあっ?って思うわけ。小姑1。おまけに、自分だって、長く小姑2の面会に行ってないし、状態が解っているわけでもないのに。それに加えて、わたしがなんでこんなに腹が立つのか。思えば、小姑2の病名を知ったのはいつだったか。きちんと、姑や小姑1に話をしてもらったことなんて、まずない。意を決して、正面から聞いた時も、言葉を濁され逃げられ、ようやく病名を聞いたのは、相方が聞かされて、しかもその際ご丁寧にも「ひねもすさんには内緒にしておいて」と付け加えた情報ごと聞いたんだよねえ。結婚して、子どもも生んで、その後の面倒も見るだろうわたしは他人だからマトモに話もしてもらえなかったんですよねえ~。なのに、ほぼ断絶状態だった(しかも向こうの勝手な怒りで)ひっかきまわすだけの、何の力にもなってもらえない叔父さん夫婦は自分の血縁者だから、11年ぶりに会って、ほんの1~2時間のあいだにこれまでの経緯から、事情から全部お話しできるんだなあ、って思うと、いったい自分がなんであの人たちの今後の事やらを考えないといけないんだろうと思う。だって、他人じゃん。まあ、見ていてご覧なさいな。外からの情報に乏しい妄想の世界に生きている小姑2は、この面会でまた混乱するだろうし、(少し具合良くなっていたのにね)舅姑を憎んでいる叔父夫婦は、これをどういう風になんの材料にするか解らないし。そうでなくても、世間体を人一倍気にしている姑が、それに怯えてまた鬱になるだろうことは間違いないわけで。(認知症の進んだ舅の介護だけで、精いっぱいなのにね)けど、そんな姑でも娘(小姑1)のことを叱れないし、怒れないからますます不満と、疑心がすすんで、姑のストレスに。そんな義実家の仲間入りなんてしたくないし、他人扱いされるならそれはそれで結構だけど、尻拭いはこっちだし、愚痴は聞かされる。おまけに、この変化の始まりはわたしと相方の結婚だったことを考えれば、まあたぶん、わたしのせいだということになってるんだろうなーと。もちろんこれはわたしの憶測にすぎないけども、『鬼嫁が来て、義実家と同居しなかったせいで、 舅はボケ、姑はストレスでリュウマチ、小姑2は悪化して、小姑1は 家を出ざるをえなかった』というストーリーができあがってるだろうと思われるのね。だって、それまでは『舅がどんなに家族をふりかえらずにいても、姑は愚痴をこぼさず 小姑2の障碍も隠して、小姑1を抱え込んで放さずに仲良く暮らして 来た』んだから。その状態を破綻させたのは、息子と他人の結婚だったから。かくして、鬼嫁・ひねもすの仕業が今のこの状態というわけ。はあーー。穿って見すぎと言われれば、そうなんだけどね。そういう見方をさせるくらいの事なんだよね、小姑1の発言は。まあ、あの人も他にこういう話を出来る人もいないし、晴れの場で気持ちとお口が弛んだだけで、なんの考えもないのだろうけど、それで、悪意のある人がもし、それを利用して義実家のあれこれを引っ掻き回そうと思えば、充分に面白おかしく利用できる状態なんだと、たとえ身内であってもなんで思えないかなあと。ま っ た く 赤 の 他 人 の嫁は思うわけ。ええ、赤の他人でも心配くらいはするんですけどね。ああでも、そんな心配は身内だけで充分なんでしょうけど。このことで、またしばらく情緒不安定な姑からの電話がくるんだろうな。他人なんですけど。娘に言えば良いのにね、この人も。娘と一緒に暮らしている時は、何でもかんでも内緒にしていたくせにね。嫁は他人だからって。僻んでるみたいだけど、僻んではいない。相方と結婚したけど、義実家のことはどっちゃでもいいし。でも、気持ちをかけても甲斐のない人たちが身近にいるのは、とても残念なことだなあと思う。それで今日は疲れ気分。なんもしてないけど。(笑)どっとはらい。
2009.11.23
さてもさても。昨日は用事があって、義実家に行ってきた。相方が休職していることは、義実家実家共に言っていないので、普段の相方の休日に合わせて行ってきたんだけど。舅がデイケアに行っているので、姑と話しただけなのでわたしが舅の認知症の程度をあれやこれや言えないんだけど、聞いただけでもかなり進んでいて、姑自身のリュウマチも進行していて、本音をいえばこれがわたしの実家のことなら、もう放っておけないけどなあと思う。…鬼嫁発言ですわな。>これがわたしの実家のことならけど、本当に申し訳ないけど、これが本音。姑がわたしに言ってくるのは、相変わらず聞いて欲しいだけの愚痴で、いつも嘘や、思い込みが混じっている。舅のショートステイに関しても、「自分は望んでいないけど」「自分は面倒なのだけど(ショートステイの準備など)」「ひねもすさんが言ってくれたから」という言葉が必ず出る。以前に、ここで老人心理学を学ばれたという方からコメントを頂いた。→1月5日の日記。おかげで、わたしの中で理解というものではないけど、諦めのような気持ちがある。ああ、もう、言いたいだけなんだし。 といったような。とはいえ、共感はできないし、イライラもする。で、ここにきて思うのが。>これがわたしの実家のことなら 。間違いなく、怒鳴りながら、ケンカしながら、あれこれ手を出してるだろうってこと。良くも悪くも。先日、ママ友から電話があって。彼女のご実家のお父さんにガンが見つかったとのこと。お母さんも何年か前にガンで亡くして、本当に辛くて、その事実を知った時にパニくってしまったという彼女。けど、それ以上にお父さんは落ち込み、パニくってしまい、その事から息子や息子の嫁に拗ねて当たり散らしてると知って、彼女は実家に乗り込んで、ガンの父親をつかまえて怒鳴り散らしてきたそうだ。彼女は末っ子長女で、本当言えばお父さんに悔いのないように優しくしたい、甘えたい、一緒に泣きたい気持ちもある。それでも、これからの抗がん剤を使った治療には本人の頑張りがないとどうしようもないし、優しく支えることはお兄さんのお嫁さんがしていくこと、ガツンと叱れるのは実子の自分しか出来ないと思ったのだそう。(息子もいるけど、こういう時男の人って…口がまわらない人多い)バリバリ口達者な彼女のことだから、そりゃもう、人から見れば暴言の嵐だったろうと想像に難くない(苦笑)。けど、実子だから出来るんだよね。>これがわたしの実家のことならは、嫁の一種の逃げでもあるけど、実際そうとしか言いようが無い。叱咤激励は信頼関係がないとできない。実際ちょっと強く言って、無言で舌打ちされたこともあるしねえ。親を叱るというのはものすごくパワーがいる。子どもを叱るのとは、ワケが違う。叱っているこちらは、自分自身の身を切るような辛さがある。それでも、しなくちゃいけないことで。相方にも小姑1にも、それが出来ないのならもう仕方ない。わたしが事態を良くしようと動くことはないし、考えることもない。もうじき、今年も終わるけど、小姑1から義実家のことで何かを頼まれたこともこの1年で相談されたこともない。相方も、自分から義実家の話をした事はない。そういうもんなのかなあ。結婚して11年になるけど、やっぱり“よその家”の事はわからん。夫婦といっても、相方もわからん。そんなものなのかね?わたしやったら、暴言でもなんでも話をする方がうれしいけどね。穏やかで、静かなまま、優しく、無視する方が平和かもしれへんけどさ。どっとはらいー
2009.11.19
さてもさても、2つめ。あきらめの悪さと、こだわりって、どう違うのかなあ?という話。こだわりがあんまり強くて、生活に、関係に、支障をきたす状態となると精神障害の範疇になるけど、これもかなりグレーゾーンな話で、どこからどうという線は見えへんわけで。すごく病状が重くても、その生活を苦に思う人がいないか、少なければ問題ないわけで。 ま、そりゃ、極端な例えだけど。今日、小姑2の誕生日。今年で39歳。もう入院して2年以上。最近では姑もほとんど病院に行かなくなった。最初は行けなかった、そして行かない理由を探すようになって、そして行けなくなった、というのが正しい。そういう姑をわたしも受け入れがたくて、義実家へ行くことはめっきり減ってしまった。けど、全く関係なく生きていくことは無理だし、小姑2を気の毒にも思うし、前から小姑2が靴を欲しがっているということだったので、誕生日にと買って、今日届けがてら面会に行ってきた。(この靴を欲しがっているという小姑2の話で、姑とのあいだに何回か 気の滅入るようなやりとりがあった。もう、本当につまらない話)小姑2は、今日はずいぶん調子が良いようで、わたしとはあまり話したくなさそうだった。(苦笑)皮肉な話だけども、具合の良いときの小姑2は、わたしの言いたい事がわかるので(グループホームを勧めたり、実家への執着をいなしたり)早く帰って欲しがるんだよねえ。けど、実の姉も弟も両親も来れないのになあ、と思うんだけど。まあ、それでもウザイ事を言う弟の嫁が来るよりかはマシ、と思えるくらいなら結構なことだと思う。でも、相変わらず『普通の暮らし』へのこだわりが強い。グループホームは嫌、退院したら実家に帰りたい、もしくは一人暮らししながらバイトして、優しい彼氏をつくって、結婚して、習い事をしたり、お茶に行ったりする、子どもは可愛くて優秀で、、、てな具合。年金も、手帳も、認められない。受け入れられない。この病院は嫌(精神病院だから、周囲の目が気になる)、転院したい、姑の言っていた病院に転院するから退院を認めて欲しい。↑今日も言ってた。極端な言い方だけどさー。あきらめたら死ぬの?って聞きたいよ。聞いてもムダだし、聞かないけど。まあそれが彼女の病気なんだから、仕方ない。しあわせになる方法って、いろいろあるんだけどなー。絶対に、それでないとダメ!ってこと、人生にいったいいくつあるんだろうねえ。こだわりって、幸せになるためにあると思うんだけど、こだわりが通せないから不幸になる、っていうことはないと思うんだよね。まあ、“しあわせじゃないなあー”ってくらいはあると思うけど、不幸ってなっちゃうのはどうなんだろ。どうなんすか。どうなんでしょ。とりあえず、持っていった靴は喜んで受けとってくれたのでよかったと思う。もしかしたら、明日には気分が変わって捨てているかもしれないけど。わたしが持っていきたくて、持っていったんだからそれはそれで良いと思う。そんな風に諦めるのは、やっぱり悪いことじゃないと思うのねー。どっとはらいー
2009.11.17
さてもさても、2つめ。お盆と言えば実家。うちの実家は何年か前から、大仰な法事を取りやめて以来、実家両親の仲が良くなった。罰あたりな!という人もいるかもしれないけど、事実なんだから仕方ない。そのかわり、お盆に妹家族とうちがあつまって、両家の孫で地蔵盆のような状態になる。そんな中で、和やかにもうつき合わなくなった親戚や、亡くなった祖父母の話をしたりする。なんで、こんな空気がその昔祖父母が生きていた時に作れなかったのかなあと、思ったりするけど仕方ない。そういう関係がまず作れなかったんだから。それから1日置いて、義実家へ。こちらはもう、なんというか。わたしは相方が悪いと思うのだけど。相方はたしかにニブチンで、気が回らないタイプではあるけど、優しくないわけじゃない。 けど、義実家ではさらに“冷たく”見えてしまうくらいに。たとえば義実家と食事に行くお店を決める際にも、もうお腹のユルくなっている義両親2人は油物がツライ。なのに、ハンバーグがメインのファミレスにしようと言ったり、大きなテーブル席と言えば、座敷しかない中華屋に行こうと言ったりする。(舅は膝を曲げ伸ばしするのも大変になっている)車から降りる際には、もう視野も狭いし、身体感覚も鈍くなっている舅の体を支えてあげることもしない。なんというか、触れるのを避けるみたいに。もうそれは、以前からだったけど。舅がこんなにおぼつかなくなっても、手を差し伸べられないのかーと思うと、嫁として色々考えてしまう。申し訳ないけど、簡単に言えば。相方はそれを習ってないから、解らないんだよね。で、その事を深く考える事もなかったから、意識しなければ触る事もしないわけで。たとえば食事をしていて、誰かが咽せても相方は黙ってる。「水を頂戴。背中をさすって?」と言えばその通りにしてくれるけども、言われなければ、ただ見てるだけ。結婚して、この類いの事で何度怒鳴ったか。(笑)はっきり言って、とっさに「大丈夫?」と声をかけられるようになったのは、息子Aの方が先だったよっ!さて、そんな相方の気の回らなさにもイライラしたんだけど、それよりもショックだった事。姑さん。相方はどう感じたか解らないけど。今回、お盆前に相方はちょっと目立つところに怪我をした。傷の度合いは酷くないものの、範囲が大きいので包帯を巻いていた。うちの実家ではジジババにとっ捕まって、何度も説明させられて「うわあ、大丈夫? 大変やなー いたないか?」と言われてちょっとウンザリもしてたんだけど。姑さん、一切聞かず。もちろん事前に何の説明もしてない。なんか、まるで目に留まらないみたいで。自分の捻挫した話とか、皮膚科を変えようかと思う話、舅の認知症の程度、そんなことを話してた。気にならない、というより包帯の意味すら解らないのかも?と思うくらい気にもしないので、なんか怖かった。相方は怪我は恥だと思っているので、こちらからは言い出さないしわたしも言えないし。で、結局義実家では怪我の事は触れられないままに。別に、心配して欲しいわけじゃないけどね。それともうひとつ。義実家を訪問した時。玄関に内側からチェーンがかけてあって。それはもちろん、姑さんがかけたんだけども(舅さんはチェーンをかけられない)なかなか外せなかったんだよね。5分くらいかかった。たぶん、本人もものすごく焦ってたと思う。ようやく外せた時に、それを笑って誤摩化す事もできないほどに。わたしはそんな姑さんにすごく違和感を感じたんだけどね。でも結局、“嫁”は言っても無駄だなあと思った。今年はそういうお盆だった。どっとはらいー
2009.08.18
さてもさても。もう桜も終わり。今年の桜は、咲くまでぎりぎり朝夜の冷え込みが強く、満開になってから上天気が続き、一気に散ったような感じ。こんな時、川端通り沿いの桜が一斉に散るので川は花びらで白くなる。なかなか観れない景色。昨日はもう初夏のような暑さになったのだけど、そんな中カルガモ隊は相方祖母の回忌法要へ。お焼香や、お経をあげて頂く機会は中々ないので良い経験になったと思う。こどもたちは。ここに至るまでにも、姑さんとのやり取りで疲れていたけど、昨日もやっぱり疲れた。舅さんはもう、全然状況も解ってない状態で、お焼香も炭の方をつまもうとしたり、読経の時に木魚を叩くおっさんのマネをしたり、数珠を自分の背広の内ポケットに入れたのに忘れて、無いと言ったり、、、まあ想定内ではあるけど、もうやっぱりこどもたちよりも手が要る人になっていた。けども、小姑1も居て(この人はかなり今回グッジョブ!な人になっていて、やはりもっと早くにあの家を出ていれば良かったのになあ、と改めて思った)舅を横で見ているし、そんなに大変ではなかったのだけど、姑さんもかなり思考が危うくなってきているのか、かなりテンパっていて、なにもそんなに混乱しないでもいいのに、と思うようなとこで慌てていたので、段取りがもうわやくちゃになっていた。まあそれでも、こういう事は終われば一山越えたように、あと何年も縁がない事になるので、どんなにわやくちゃでも終われば全て良し、なわけで。問題は、日常生活のアレコレの方がややこしく、わやくちゃ。(苦笑)法要を終えて、相方にメールで無事帰宅した事を報告したら、その報告返しの返信が「小姑2がまた病院から脱走」 というもの。なんともはや。前回は年末。開放病棟に移って、短い外出が自由になったのを病院に嘘をついて(近所に外出しますと言って)義実家に無理矢理帰宅して、病院には戻らない!と言い張って騒動になって。連れ戻されて、また外出禁止となったのに、その意味をまた受け取らず拒否して昨日また、同じことをくり返そうとしたらしい。今回は病院側も、前回のことがあるので職員さんが義実家の近くで待機して、近くで保護されたとの事。義実家には一歩も入らせずに(職員さんの指導で)、玄関のインターフォン越しに姑さんと会話して病院へ帰っていったらしいのだけど。もちろん、その後に姑さんからまた着信アリでひねもすに連絡が(苦笑)。小姑2が入院した当初は、いずれ彼女が寛解して近距離の地域で暮らす事が出来ればと考えて地元の病院を選んだけども、考え直さなくてはいけないかも、と最近思っている。サポートを出来る範囲で、というこちらの気持ちを、サポートでなく依存を求めいている彼女に、時間をかけても理解してもらえたらという考えがあったのだけど、その余力が舅にも姑にももう無い。両親に依存する事しか知らずに、もう40になろうかとしている彼女に自分の生活を投げてまで、相方も小姑1も教え直すことは無理だろう。障碍が無くても、人の価値観や生き方を変えるという事はとても難しい事だ。桜を儚いと言って、人は慌てて観に行って愛でるけども、その人が来年にはどうなっているか。桜は毎年咲くけど、今年桜を愛でた人が、来年にもいるとは限らない。人の時間はあるようで、無い。桜よりよほど短い。そんなことを、考えながらダラダラして寝た。←ダメじゃん!笑どっとはらいー
2009.04.13
さてもさても。昨日の姑さん電話の内容といえば。この週末、相方祖母の年忌法要があるのだけど、この法要で塔婆を誰のと誰のをあげるかって話。こういう事に疎いので、わたしに聞かれてもよく解らないのだけど。塔婆って、お参りに来た人が「来ましたよー」っていう参加札をお墓に立てて、お参りするようなもんだとわたしは認識してるんだけど。(違うかもしれんが、ま、ええじゃないか)姑さんはそれを、誰と誰の分をお寺さんにお願いしとけば良いか?ってことで電話してきたのね。参加するお家の分でいいんじゃない? って、わたしは思うんですが。ココで一人、ほぼ断絶状態になっている舅弟って人がいまして。姑さんはこの人の分をどうしようか?というわけ。「来ないんだから、いらないんじゃないですか」 「でもー来ないのは、こっちが知らせてないからだし。 それに、お寺さんに聞いたら、こども全員が揃ってお参りしてあげるのが 何よりの供養だって言わはるしー」「ほな、呼ばはったらどうですか」 「でもー、前の時も声かけたのに無視しはったし」「じゃあ塔婆だけこっちであげといたらええんちゃいますか」 「でもー、そんなん勝手に人の名前を出してするのも」「勝手に名前を使われて怒るようなこととちゃうと思いますけどね。 まあ、でもそう思わはるんでしたら、やっぱり辞めとかはったら」 「でもー後でわかって、自分だけ塔婆あげてないってなったら」「叔父さん、もうええお年ですよね? 自分の親の年忌法要くらい 何時か解ったはるやろし、気持ちがあるんやったら自分でお参り したはるでしょう。 こちらに連絡の1本もないねんし、そこまで 気にすることないでしょう?」 「うーん、でもー、それはうちも連絡してないからー」「ほな、連絡して聞かはったらどうですか」 「だってー向こうも解ってて連絡寄越さへんのやろしー」…。たぶん、こういう埒あかんことをグダグダとしゃべりたいだけなんでしょう。そういう人っていますよね。うちの実母もそうだし、そういう友人も居ますけどね。そういうのめっちゃ苦手な人ってのがわたしで。なもので、「あのですね。 相手に直接聞かないかぎり、結局はお姑さんの気持ちひとつで決まる ことなんですよ。 実際、わたしがこうすれば?って言っても、納得できないんですよね。 だから、精々お姑さんが気の済むように悩んで、決めて下さい。 どちらにされても、わたしたちは「ああそうか」と思うだけですし。 ほな、そういうことでよろしくお願いしますぅ」 そう言って、終わらせた。冷たいようだけど、ココ最近は実の娘の小姑1も相手にしてない。(最近、母離れが進んでいるらしい。)その愚痴も言いたそうだったけど、嫁姑の生さぬ仲で、聞いただけでも後でわたしが言ってたことになりかねないので、それも遮って切った。「でもでもだって」っていう言葉は、気をつけないととり憑かれたみたいになるな。まとめて結論出してから話しなさい、とは言わんけども。せめて、相手を選んで欲しい。どっとはらいー
2009.04.10
さてもさても。きっとくる~きっとくる~♪はリングだっけか、らせんだっけか。毎日のように、姑さんから『着信アリ』デスよ。。。正直、罵られよーが、けんか売られよーが、苛められよーが、笑いに変えられる自負があるけど。こういう毎日、大した用事もないのにオンコールが続くとプギャーっ!と奇声のひとつもあげたくなる。(すんません、今「のだめカンタービレ」読んでて、セリフが移ってマス)昨日の出来事も、ほんまならさっさか切り替え出来るんだけど、ここんとこ「着信アリ」の影響で、色調がブルー。イライラする理由を、相方は知ってか知らずか、ちうかヤツも花粉症でボーッとしてるしねえ。まあ、でも見ないフリしてるだろーなーって感じ。というのも、この週末に相方実家の法事があるんだけど、当然のようにこのお人不参加でして。ま、そりゃ会社、平日休みですしね。でも、なんとか出来ないこともないんじゃないのーって疑惑は濃くて。で、今回相方が出ないのにわたしがこども3人連れて参加ですワ。折詰めの手配もしましたしね。ご親戚は参加ですヨ。この親戚ってーのに、相方のイトコさんが居られましてね。相方より1つ年下の男性と、5つ年下の女性のきょうだいさんなんですが。結婚してすぐくらいかなあー、この妹さんの方に「なんでそんなに早く結婚しようとか思うんですかー」とか初めて会っていきなり言われたんだヨネー。。。あーねえー。一昨年くらいに、この兄の方は年賀状が遅れた非礼を詫びるつもりで電話をかけてこられたんだけど、その時に「年賀状見るたびに、こどもがポコポコ増えてますよね。相方くん 忙しい(そのときまだ帰ってなかった)っていうのにねぇ・笑」って、親しくもないのに、久しぶりの電話でそう言われたんだヨネー。。。あーねえー。も、なんつーか、ホント愚痴なんですけど。マジで会いたくね。嫁だしね。行くけどね。この恩はしっかり、感じてもらわないとね、相方。そして返してもらうからね!ぎゃぼーーーーっ!!!…どっとはらいー
2009.04.09
さてもさても。今日はちょっと泣けるいい話もあるんだけど、先に愚痴。さっさと吐いちゃって、3歩あるいて忘れるつもり。珍しく、このうっかり嫁オブキングなひねもすが、なんとカレンダーを見てお彼岸という行事(行事なのか?)に気がついたのね。いやー、結婚というものをして10年越したけど、だてに年くってないなー。(って今さら)で、相方に「あーねえ、もうじきお彼岸なんやけど、今度の休日に 一緒にお墓参り行こうって義実家に電話したら?」 「あ、俺、今度の休日に講習入ってるから」(某タイヤメーカーの講習)「でも、次の祝日・20日は休みやろ? ほなその日は?」 「…んー、でもなあ」「お墓参り行くより、小姑2の病院に行ってって言われそうやしなあ」「それやったらそれで良いんちゃう?顔だけ見て帰ればいいんやし」 「…んー。でもなあ。やっぱ行かへんわ」という会話があったんですね。相方はもう、かなり嫌だ!オーラ出してるので、わたしもそれ以上、ツッコム気もなく。わたしだって、つき合いたくない自分の方の親戚つきあいを相方に強要されたらイヤだしね。でも。今日はBくんの卒園式で、朝から家を修羅場みたいにして飛び出して行ってきたんだけども。家の電話と、携帯電話に留守電。姑さんから。「聞きたいことがあるから電話ちょうだい」だそうです。なんでしょ?なんざましょ?ここのとこ、電話と言えば認知症舅の愚痴、小姑2の入院している病院の不信と愚痴、相方が見舞いに行かない不満、そんな事ばっかりで。Bくんがもうじき入学するということも、覚えていないのかなんにも触れないので。正直、電話したくないんですケド電話しますけどね、今から。イヤだからしないって言うほど、子どもじみてないし。けど、今日Bくんの卒園だった事とか、入学式が近い事とか言うつもりナイ。お祝いせがまれてるとか思われたら嫌だし。って、書いてたらダークな思い出話をあれこれ愚痴ってしまいそうなので、とりあえず電話して終わらせる。はぁどっとはらい~
2009.03.19
さてもさても。義実家に関しては、最近とんとご無沙汰してるので(正月以来)、怒る事も少ないだろうはずなのに、そうはいかない。昨日も、わたしの頭の中のちっこいステテコオヤジがどぉうりゃーーっ!!と丸いちゃぶ台をひっくり返してる映像が、少なくとも5回くらいは現れたわけ。と、いうのも。ここのとこ、相方の休日になると姑さんから電話がかかる。まず、家の電話が鳴る。これを取らないと(もしくは取れないと)、相方の携帯にかかってくる。用件は「小姑2が話があると言っているから、行ってほしいのやけど」というもの。でも、話なんてない。妄想をただ一方的に語られるだけ。で、弟大好き(依存したい)なので、ただただ会いたいだけ。それはもう、姑さんも解っているはずなのに会いにいけと催促の電話。なんでかっていうと、自分が娘(小姑2)に責められるから。それから逃れたい一心で、相方に会いにいけというのね。そりゃあ、長期の入院をしている障害のある娘が不憫だと思う気持ちも少しはあるかもしれないけど、それならば同じように、もう一人の娘(小姑1)や、相方(息子)の気持ちを考えるはずなんだけど、もうそんな心配りは、姑さんには無理な様子。というのも。先週、相方の休日はちょうどわたしたちの結婚記念日だったのだけど、映画館に入ったその時、相方の携帯に姑さんから電話がかかってきた。マナーモードに切り換えようとした瞬間だったので、そのタイミングにひそかにわたしはゾッとした(苦笑)。相方の返事の様子から、察するに「今日、結婚記念日やね。 おめでとう」「ああ、うん。ありがとう」「今どこにいるの?」「映画、観に来てるんや。もう始まるし…」「それはそうと、◯子が会いたいって言うてるんやけど、行ってほしいねんけど」「今日は無理や!もう始まるし、切るで」「そやかて、もうずぅっと言うてるねんで。私もアカンって言うてるねんけどな、 色々話したい事もあるらしいし、少しは良くなってきてて…」「そやし、また行ける時に行くって言うといて! もうホンマに切るしな」という事があった。正直いうと、小姑2の事が言いたいだけなら「記念日おめでとう」なんて言ってほしくなかった、というのが相方とわたしの気持ち。わたしたちの結婚記念日を祝う言葉は、ただの口実かいっ!と思っちゃうわけで。そういう出来事を踏まえると、今の姑さんの見舞いに行ってやってほしいというのも、結局 “責められるのから逃れるため” じゃないの?と見えている。そして昨日。姑電話につかまったわたし。ぶつぶつとまた恨みごとと、愚痴を聞いていた。要点でまとめると1、舅がお薬をかえてもらったので、徘徊が治まってきた。 だから、ひねもすさんが言っていたショートステイは必要ないと思う。(ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし1回目)2、舅が紙に落書きをするので、必要な書類とかもぐちゃぐちゃにするので 困る。(ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし2回目)3、小姑2がお金を返してほしいと言っているので、本人に渡そうかと思う。(ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし3回目)4、息子(相方)が年末からずっと、小姑2に会いにいってくれない。 会いたいとずっと言ってるのに、忙しいと言ってばっかり!(ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし4回目)5、もう何をどうしたらいいのか、わからないの(ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし5回目)1~5、まとめてもう一回、ステテコオヤジ登場→ちゃぶ台がえし。もうこれまで、何度も言っているけど再度言うしかないので。少々キツいけど、一応全部に反論。A1、申し込みだけはしとかないと、困った時にすぐ利用できるものでは ないので、必要ないのなら断ればいいんです。 でも、申し込みはしときましょう。 お薬が効いてきたのは良かったですね、でもこのあいだまで大変だった事を ちゃんと思い出して下さい。 それでも必要ないのなら、お好きなようにしてください。A2、必要な書類が無くなっているのなら、また取り寄せればいいので。 (どうやら、自分の不始末があるらしく。 言い訳がしたくて仕方ない様子) 気にしなくてもいいですよ。A3、姑さんがそうした方が良いと言うなら、わたしたちはそれに従います。 お金の管理を任されていますけど、やはりこれは保護者の責任下に あると思ってますから。 けど、間違いなくまた通帳も印鑑も紛失されるか、散財されることは 覚悟して下さいね。A4、年末に病院を脱走してこられましたよね? あの時、わたしも行きましたが 相方くんが結局病院まで連れて戻したんですけど。 それよりも。 小姑1さんもですが、今「会いにいこうかな」と思える状態ではまだない でしょう? 相方くんも辛いことだと思いますよ? それについては、どう思いますか?(返答なし)A5、無言。 だって、無言しかない。 「どうすればいいのか」と言いながら、こっちの提案は否定してるもの。 まあ、そんなこんなでステテコオヤジのちゃぶ台祭状態なわたしの頭の中だった。これでも、「あーもう姑さんもオカシイよなあ」と思って、無理して義実家に行かなくなったので、心身ともにそんなダメージはないのだけど。でも。年老いる事って、どこでこんな風になっちゃうんだろうなあと思うと、少々凹む。そんな年の重ね方をしている人ばかりではないけど、ね。なりたくてなったわけでもないだろうし。どっとはらい~
2009.02.19
さてもさても。つい、TVや、町でお年寄りを見ると「いくつくらいかなあ?」と考えてしまう。元気そうな80才の方と、相方の両親を比較して、なんでこんな年の重ね方が違ってくるのかなあ?と思ったりする。まあ、体力や環境も違うし、考えても仕方がないんで、そこまで止まりだけど。昨日、姑さんから電話がかかってきて、「今からケアマネさんが来はるんやけど」と言う。お正月に、ケアマネさんと話したいので連絡を取って、嫁が話したいと伝えて下さいね、とは言うてたのだけど。今!ですか。Aも学校から帰って、また遊びに行ってしまい、Cはお昼寝。せめて朝に連絡があったのなら、朝に言うてくれればと思っても、言えば責めてるように聞こえてはと思い、「今聞いて、すぐに出られる状況でないので、お忙しい人 だと思いますけど、改めて時間を作って頂くか、来られたら電話をもらえるように 話してもらえますか?」 と聞くと、わかりました。といって電話は切れた。夕方、電話がかかってきたので、出ると姑さん。「電話がかかってきて、じゃあまた火曜日に時間を決めましょうと 言わはって」へ?今日来はったんじゃないんですか?「違うの。 朝に電話があって、1時か2時頃に来るって言わはって。 で、3時頃に“これから伺います”って電話があって、今また電話でお話しして…」これだけ聞くと、なんじゃそのケアマネっ!ってなるんですけど、どうにも姑の話もあやふやと言うか、聞く度に話が違う。これ以外にも、舅の話になって「そういえばお舅さん、カイセンがぶり返したって◯◯さん(相方)に 聞いたんですけど、どうですか?」 と様子を聞くと、どうにも話があやふやでわからない。相方が聞いたのは、カイセンが駆除出来たと聞いたのに、一向にデイケアに行く様子がないので、なんでや?と聞くと、またカイセンが悪くなって、お医者さんから止められているので行けないという姑の話。たしかにそういう事はあるだろうし、それではまたひと月はデイケアに通所できない。それではますます舅の具合は悪くなる。けど、どうにも納得しづらい話なので改めて聞くと、違う。確かにカイセンは治っているのだけど、その咬まれた後がまだ痒いので、ストレスの溜まっている状態でもある舅が掻きむしって、ひどい湿疹状態になっているらしい。その状態で、デイケアでのお風呂は止めておいた方が、と皮膚科の方で言われた様子。こうして書くと、なんやいなそれ、という事情なんだけども、これだけの事を聞き出すのに少々コツが要る事が今回わかった。例えば、相方が「で、どうなん? 悪いの?カイセン治ってないの?」と聞くと、姑さんは「そうなの、治ってないの。悪いの。私は一生懸命やってるのに 治らへんし、もうどうしていいのかわからへんし、~(以下愚痴が続く)」という感じで、姑さんが何をして欲しいのかわからないまま電話が続いて、切れる。けど、こう言うと聞こえは悪いけども、わたしは愚痴を聞くのはイヤなので(苦笑)「まだ悪いと聞いたんですけど、カイセンが治っていないのですか? 先月に治ったと言われましたよね? またダニが見つかったんですか? それとも、掻き壊したのですか?」 と、答えを2つ並べて聞くと、ようやくそこで「掻き壊した湿疹」という事がわかる。医師のデイケアに行く事のストップも、「行ってはいけないと言われたのですか? それとも、行ってお風呂に入るのは良くないと言われたのですか?」 と聞くと、「お風呂は避けた方が良いと言われた。 デイに行く事を 止められたわけじゃない」という。以前から、そう思っていたけど、相方も小姑1も姑が言う事をそのまま鵜呑みにする。だけど、いちいち疑っているわたしは、考えられる他の答えを提示して「どっちですか?」 という聞き方をする。そうすると、最初に聞いていた話と違う答えが出てくる事が多くて、なんだかなあと思っていたんだけど、どうやらここにきてそれがものすごく支障をきたしている。以前は、姑の奥歯にモノの挟まったような言い回しで、それでも自分の要望をうまく伝えて(回りくどいけど)、小姑1も相方もなんとか動いてきたんだけど、それがガタピシとなってきた感じ。本意を自分自身でもよく解らなくなってきてるうえに、さらに覆い隠そうとするから?みたいな。これが「老い」なのかなあ。老いてきた綻びみたいなものが、わたしにはみえるんだけど、それはやっぱり他人だからかな。相方もけっこう冷静に姑さんの事を見てるんだけど、まだこういうものの聞き方は出来ない。それは、やっぱり身内だからかなあと思うんだよ。自分の老いを認識するのも容易くないけど、身内の老いを正しく視るのも難しいことだろうなあ。どっとはらい。
2009.01.24
【続き・2】わたしは17、8才の頃、認知症の祖母と暮らしていた時期がある。認知症の症状は今の舅か、それよりも進んでいたか。以前にもブログの記事にしたことがあるけど、夜間の徘徊対策のために祖母をわたしやきょうだいで外に散歩に連れ出したりもしていた。お風呂に一緒に入ったり、オムツ換えもしていた。たしかに嫌な事でもあったけど、わたしたちは祖母が好きだったし、今では笑い話も多い。どんどんわたしたちのことを忘れている時間が長くなっていく祖母を見るのはつらかったけど、良い経験だったとも思ってる。「それでもね、お姑さん。 わたしは自分の子たちに、お舅さんをそんな風に看させようと思っていません。 甘いのかもしれへんけど、うちの子たちはまだ小さいと思ってる。 Aにわたしがしたように、お舅さんの手を引いて歩かせたり、いっしょに お風呂に入らせたりしたくない。 というより、させるつもりがないんです。 でも、同居をするとしたら、わたしがずっと手伝うとしたらそうなるでしょう? わたしはそれは嫌なんです。」 姑は同居嫁で、それに否応がなかった。同じ嫁の立場で、わたしはそれを拒否する。 姑からすればこちらの方が理不尽だろう。けど、同居して我慢していたのは姑だけじゃない。さっき書いたように、小姑1も、小姑2も、相方も我慢してきた。それは悪いことばかりじゃないけど、悪影響もあった。わたしはそれは嫌だから、別の道を選ぶ。子どものためとかそういう事ではなくて、その方が自分が楽で良く思えるから。嫌だけど我慢して、得られるものもあるけど、そうじゃないものを選ぶ。家族の事を「我慢して看る」気持ちは嫌だ。だから、きっと姑さんとはどうしても解りあえないんじゃないかなあ、と思う。利己的だと思うだろうし、実際そうだから。わたしにはこの答えしかない。姑さんは、結局だからずっと無言だった。どっとはらい。
2009.01.05
【続きから】姑はダンマリをきめこんでいる。その無言の中に、姑の希望「いっしょに我慢してくれる人がほしい」という気持ちを小姑1も感じたのか、こんな事を言い出した。「お母さんはいつもそうやねん。 なんにも決めへん。 そうして逃げる。 お母さんは私を守ってくれへんかった。 ◯子(小姑2)も、お父さんも私にストレスぶつけるし、仕事から 帰ってきたら皆がわたしにぶつかってくる。 それで私が泣いても、お母さんは我慢しいって私にばっかり言う。 ◯子(小姑2)も私も同じ子どもやのに。 私、この家に帰ってくるだけでほんま言うたら気分悪くなる。 PTSDみたいなもんやわ。 体もあの頃、ガタガタでもう限界やった。 あのまま家に居たら私が入院してたかもしれへん。 ううん、たぶん入院してた。 今、私が戻ってきたらお母さんはええかもしれへんけど、私は 無理や。 お父さんを外に預けたくない、◯子を家に受け入れる、それで また私がお母さんの愚痴を聞いてって。 そんなん無理や。」 薄々は想定していたことだけども、彼女がこんな風に自分の気持ちを話すのを初めて聞いたのでわたしはビックリした。そして、同情した。わたしの弟は障害というほどではなかったけども、問題行動も多かった。うちの母はそれでも男の子を大事にする風習の中で育った人で、弟を優先にして、そんな弟だから庇うようにとわたしや妹に我慢をさせることが多かったから、同じではないけども、小姑1の気持ちが近く感じた。きょうだいだから、障害を持った妹のことを理解してあげて。そういう親の気持ちも、自分は親になったので痛いほど解る。きょうだいで仲良くしてほしい、助け合ってほしいと思う。けど、それは親のエゴじゃないか、とわたしはずっと思ってきた。気に入らないからといって攻撃してくるきょうだいに、ひたすら我慢しろと言われる理不尽さ。きょうだいだからね、という言葉は不条理でしかなくて、自分だって普通なら仲良くできるのに、そうでないのは自分のせいではないのに。きょうだいが最初っから憎かったわけじゃないけども、憎まずにいられない。いろんな家があって、いろんな家族の形があるのでわたしの想いが正しいわけじゃないのは重々わかっているつもり。それでも、小姑1の言いたい事はそういう事だったと思う。小姑1が望んでいたのは、守ってくれるお母さんであって、一緒に我慢するお母さんじゃない。一緒に暮らしていた頃は、それでもお母さんだけが、自分と愚痴が言い合えたからそれが当たり前だと思っていた。実際、親子というよりも一緒に我慢する、自分たちだけが理解しあえる仲間みたいな人たちだった。けど、確実に小姑1は体に変調をきたしていたし、それを姑は見ても気づかないのかあえて目を向けなかったのか。姑はこれだけ言われても、ずっと黙ったままだった。理解できているのかどうか解らない。小姑1は、絶対に義実家に戻るのは嫌だと言う。舅の事ももちろんだけど、姑への不信感が根っこにある。「絶対また◯子(小姑2)は帰ってくるわ。 それでお母さんはまたしょうがないって言うて、◯子を家に入れるねん。 愚痴は言うけど、どうにかしようとはしてくれへん。 私がまた攻撃されてもお母さんは何にもしてくれへんやろ。 もうそんなん考えただけで、震えがくるわ!」姑は小姑1の我慢を当然だと思っていたんだろうか。自分が我慢しすぎて、人もそれくらい当たり前だと思っていたんだろうか。姑もつらかったんだと思う。逃場を上手く作ることができなくて、小姑1と肩を寄せあうことで自分も支えられてるし、こどももそれで充分だと思っていたんじゃないだろうか。でも本当は、自分だけの逃場を作っておくべきだったとわたしは思う。自分の友人や時間。 それはわがままなんかじゃない。そうして小姑1も逃がして上げるべきだった。娘も息子も可愛いのなら、手元におく事に執着してはいけなかったと思う。そんな風に思うわたしは、まだ自分の子ども時代にとらわれすぎているのかもしれないけど。守ってほしい人に、守ってもらえなかった想いは何かに、誰かに変えられない。だから、我慢していい事と、我慢してはいけない事ってあると思うんだけどな。【続きます】
2009.01.05
さてもさても。正月からこれかい、ってなもんだけど。まあ正月だからこそ出来る話もあるので、ボヤキ記事もご勘弁を。1日の日。おせちや黒豆、お供えのお菓子など持って義実家へ。いうまでもないけど、おせちと黒豆は相方友人Jくんとこのだ。わたしのお手製なんかではない。ムリムリ。荷物を下ろして、義両親とお墓参りへ。小姑1は今年も不参加。 まあねえ、わたしも不信心ではあるけど、このお方の割り切りぶりはある意味羨ましい気もする。お墓参りのあとは和食レストランで食事。子たちに気をとられて、義両親の事はほぼ見てない。なんかメニュー決めがやたらと時間かかっていたような気がする。食後、義実家へ帰宅。Cちゃんは朝からはしゃぎすぎて、車中で寝てしまった。Aが相方とはさみ将棋をするというので、Bとご近所さんへお出かけ。小姑1もこの頃、義実家で合流。夕方5時から1時間DSが日課になっているBに催促されて、義実家へ帰宅。相方はすでに白みそのお雑煮をたらふく食べている最中。おせちを皆でつつきながら、あれやこれやと雑談。そして、あらかた食べて一息ついたところで本題のおはなし。先日、小姑2が無断で義実家に帰ってきたのを病院に送った時に、小姑1とちょいとあれこれ話をした。舅のこれからの事、姑の事、お金の事。なので、本題は姑の前でとてもスムーズにすすんで、姑の意思確認だけ、だったのだけど。結局のところ、それが一番の難関だと小姑1とわたしは再認識するに至ったわけで。舅の特養申し込みもイヤ。 夕方から夜にかけての徘徊があって眠れないというのにショートステイの申し込みもイヤ。少しでも自分一人の日中の時間を増やして、サークルやデイなど自分自身も外に出ては?という提案はハナからダンマリ無言の拒否。事前に(姑の抵抗は)話してあったのだけど、これには小姑1も苛立って「なんでそこで嫌がるの! お母さんが決めてくれさえしたら、私も仕事を休むし ひねもすさんだって動いてくれるって言ってるのに!」と、けっこう強い口調で言ったのだけど、ダンマリ。。。推測するに。舅をどこかのサポートを受けながら看るのは姑の希望ではないんだね。その理由はひとつではないけども、一番にあるのは姑自身の不安だと思う。けして、舅のためというのが一番ではない証拠に、姑は舅のデイに積極的でないことがある。行っても無駄だと思っているし、ましてや今回のカイセン騒ぎがあったので余計に嫌気がさしているんだと思う。では姑はどうしたいのか。一番には小姑1に帰ってきてもらいたい。いっしょに住んで、自分の仲間になってほしい。二番にはわたしたちと同居したい。いっしょに住んで、介護を手伝ってほしい。この辺りが姑の希望みたいで、しきりに「お父さんは昼の間は穏やかで、なんにも手はかからないし、本当に 夜に騒ぐのだけ乗り切れたらそんなよその(外部のサポート)たいそうなことは いらんのよ」と言う。それは嘘だ。昼であっても、舅は理屈に合わない事を話しているし。食べ物でないものも口へ運ぼうとしている。よしんば本当であったとしても、夜に眠れない事はいかに人を消耗させるか。姑が望んでいるのは、自分と我慢してくれる人間が欲しいということ。同じようにしんどい思いをして、いっしょに「しんどいねえ」と愚痴を言って聞いてくれる人間が欲しい。どうにもその一点の様子。我慢って、なんなんだろう???【続きます】
2009.01.05
さてもさても。どないしょーもこないしょーもない。小姑2が昨日、病院を昼前に外出し、そのまま義実家へ帰ってきてしまった。今は開放病棟へ移り、外出もある程度自由になっているので、「11時半には戻ります」と言ってそのまま。で、そこからおかしなもの言いが始まり。以前の病院に戻るとか、誰かの腕が血だらけでとか、冷水をかぶせられるとか、妄想を語りだし。病院には絶対戻らないと繰り返し。黙って出てきたので、昼の薬も飲んでないので余計に悪い状態に。ちょうど友だちの子たちを預かっていて、友だちが帰ってきたので今度はうちの子たちを預けて義実家へ。行くとちょうどエレベーターのところで姑と舅にばったり。言われるままに滞在用の薬を受取に行ってきたと聞いて、どうしたいのかと意思の確認。すでに連絡してあった小姑1もこちらへ来てもらうように言って、直についた小姑1と説得するにも、もうこちらの言葉は全然入らない状態で。そうしている間に、舅もいつもの空気と違うせいかオロオロとするし。どないもなりまへんがなー(苦笑)結局そのまま、相方を待って、(相方の話は聞く)なんとか病院へ連れて帰ったのだけど。なんとも間が悪いことに。今、小姑2は「任意入院」扱いになっている。つまり、実はそんな風に嘘をついて出てこなくても自分が退院したいといえば退院できる状態なのね。でも、理解していないので、嘘をついて飛び出してきたわけ。もちろんこんな状態なので、病院からお迎えが来るようなこともない。無理矢理連れて行っても、出たいと言えば次の日にでも出て来れる。ところが義実家がこういう状態で受け入れが難しいということを理解できるほど小姑2の状態は良くない。で、今日も朝から電話。やっぱり出てくると言っている。と。さてどうしたものか。どっとはらい。【追記】今、確認をとると。病院は昨日のことがあるので、外出は制限しますと言っている。なのに、また姑が小姑2の言葉でパニくって「どうしよう!」となっていることが判明。小姑1の部屋にそういって逃げ込んでいるそうな。小姑1も姑の言う事を信じていたので、今その事実が判明してビックリしている。…だから姑の言う事ももう疑わないといけないんだけどなあ。まだ大丈夫だと思っているんだろうな。
2008.12.30
さてもさても、2つめ。自分と違う人をみて、罵る事は自分が浅はかなだけかもしれないと思う気持ちがある。その人にはその人の事情や、考え方があってわたしには理解できないだけなのかもしれない。だから、これから書く事はわたしの視点であって、感覚なので、わたしの浅はかなボヤキだとスルーしてもらいたい。舅が、夕方前にまた行方不明になった。昨日外泊していた小姑2を病院まで姑と送ってきての出来事。先を歩く舅から離れて歩いていたところ、見失ったのだという。先日行方不明になった時と同じパターンだ。姑は舅と触る事も嫌がるけども、歩く時も手を繋いだりなんてとんでもなく、まるで他人みたいに離れて歩くので、こういう事態になったのだと思う。まず、病院へ行き小姑2を返した後、職員の人にお願いして警察に連絡してもらい息子(相方)に連絡、相方と病院からうちに連絡が入った。なにぶん少し入ると山道も池もあるところなので、心配で、うちの近所でもあるのでAくんに頼んでうちの近所だけでも、自転車で見てこさせた。しばらくして、相方から連絡が入り、「オバア(姑)を連れて帰るし。家で待ってて下さいって警察にも言われたし」と、いうので待っていたらしばらくして到着。姑と早退してきた相方が帰宅。相方は着替えてすぐに「ちょっと自転車で辺りを見てくるし」と言って、出て行った。予期せぬおばあちゃんの登場に子どもたちははしゃいでいたけども、やはりわたしは落ち着かないしで、ウロウロしていた。そうしたら、姑の携帯に電話が。警察にはこの携帯番号を知らせてあるので、もしやと緊張して姑を見ていると電話の主は小姑1。相方が電話をして、今日は休日の彼女に義実家で待機しておくように伝えたのでようやく着いたという連絡かと思っていたら。そこから。姑と小姑1の和やかなお喋りと愚痴が始まって。正直、わたしは「連絡が入るかもしれない電話で何を長話してるの?」 と、イライラしていた。相方はこのあいだも、寒い中自転車で走り回ってるというのに。笑い声をたてて、話してる場合か?あまりに電話が長いのに腹が立って、もう相方には家に戻ってくるように言おうと思ったその時、家の電話が鳴った。取ると警察。またご迷惑をかけてしまったので、申し訳なさで謝っている後ろで姑は全然気にしてない様子で、小姑1に「ああ、家の電話がなってたのよー」とか言ってるし。会話の合間に、後ろの姑に「お舅さんが見つかりましたよ!今、交番にいたはるそうです」と口早に伝えると「あら!お父さんが見つかったんやて~。」と携帯で会話中の小姑1に報告。その時、耳から携帯が離れたせいでわたしにも聞こえた小姑1の声は「ほな、私もう帰るわ」あの。こういう時すごく感覚が違うんだな、と思う。今日は、すごく寒い日で。舅がどういう状態で見つかったのか、なんにも知らない状態で。それでも冷えただろう事は予測できるんだし、こういう事があって義両親とも疲れてるだろうことはわかると思うんです。夕方前です。誰もご飯も食べてないし、夕飯の支度をして部屋を暖めておくくらい、しようと思いませんか?もし、何もしなくても、無事な様子を一目見てから帰ろうと思いませんか?ビックリです。 ついでカッときたので「小姑1さんにはそのまま居てもらってください! 部屋を暖めてもらって!」そう言って、また電話の向こうの警察の方にお礼を言いながら、引き受けに行く相談を続けると、さすがに気まずいのか姑がぼそぼそと「あ、やっぱり家で待っててもらった方が良いかも」とか申しわけなさそうに言ってるわけで。あなたが、申し訳なく思うのはそのバカな娘ではなくて、あちこち捜索に出られている警察の方にだと思うのですが?そうしている間に、わたしの携帯で相方にメールで「父見つかる。警察から連絡あり。」と連絡。電話を切ったあと、今度は小姑2の病院に連絡して、お騒がせしたお詫びと無事見つかった報告。小姑2には職員の方から連絡を入れてもらう事をお願いしていたら、相方が帰宅。顔色がおかしい。笑ってはいるけど?と思い、「なに?」と聞くと「●●(小姑1)!あいつはアホや!」と怒り笑いしている。「今オレの携帯に電話してきて! 義実家の鍵を忘れて、中に入られへんから もう帰っても良いか?やと。 アイツ、何の役にたつねん! もうええし、帰れや!って言うたわ。」それを聞いて姑を見ると、サッと視線をそらした。その事は、さっきの長電話の会話中に姑は聞いていたはず。じゃあ、「やっぱり家に居てもらおうかなあ」というのはわたしの手前言うただけで。というよりも、娘の使えなさを隠したかったんだろうね、姑。でもね?わたしからすれば、バタバタしていて鍵を忘れたというのはまだ許せるんですよ。誰だって、慌てている時はしょうもないミスをしますから。理解できないのは。もう40にもなる女性が、往復でも2000円かからないタクシーを使わず、原チャリは寒いからとゆっくりとバスでやって来て、鍵を忘れたから帰っても良いか?と電話してきて、あげく長電話してたことなんです。そしてそれに連絡待ちの状態の姑が笑いながらつき合っていた事なんです。相方が年末で忙しい中、早退してきて、寒い中自転車で走り回って、連絡が入ったからと急いで帰ってきて、息をつく間もなく姑を乗せて舅を迎えに行くのを見て、わたしは子どもだから当たり前だと思う気持ちもある。気の毒だとは思うけど、仕方がないと思うんですな。けど、その反面。姑と小姑1の行動や、思考は絶対に当たり前でないし非常識だと思うわけで。どちらが正しいという事ではないかもしれないけど、相方と自分の行動を肯定するなら、彼女らの行動は認められないなあと思う。相方に言えば、相方は悲しむだろうと思う。それは、そんなでも彼女らが自分の血族だから。血族でないわたしが、それを指摘すれば相方は申し訳なく思うだろう。本当に理不尽だと思う。相方がそんな事で苦しむのは。合わないとずっと思っていたけど、絶対に合わないし合いたくないという気持ちになってしまった。この一連の騒動で、相方やわたしがバカな事をしたとしたら、それは少しでも気持ちを動かした事だと思う。誰がなんと言おうとも、その一点が一番の失敗。これからは相方は早退させないし、迎えにも行かせない。姑だってタクシーに乗れるし、なんと言っても彼氏も居ない小姑1は休日だと家でひとりでじっとしているんだから。間違っていると誰に言われても、間違ったままでいい。認知症の夫と手を繋ぐのも嫌がる人が正しいのなら、正しい人になんかならなくてもいいと思うから。どっとはらい。
2008.12.23
さてもさても、2つめ。日曜に就学前相談や、電車の旅に行っている間に姑さんから携帯に留守電が入っていた。1「○子(小姑2)が明日外泊します…一応報告しておこうと思って…」2「またお父さん(舅)が“外に出る”言うて困らせはる。どうしたらええのやろなあ?」答えようがないので、そのまま放っといたんですが、冷たいですかそうですか。で、昨日はそのまま町内会に行って、亡くなられた方の香典の話や、色々聞いて今日はBの終了式なのでバタバタと過ごし。ついさっき、携帯にメールが入った。「ひねもすさんへ まだ起きていますか。自宅にいてるんだけど電話してもらえますか?」すわ、何事と思い電話をかけると取ったのは小姑2。聞けば姑はもうご就寝中とか。また勝手に姑の携帯を使ってのメールだったようで。何用かと問えば、「昔の友人に年賀状を送りたいのだけど、PCを起動できないの。 住所録や、全部入っていて。 年賀状はもう買ってきたんだけど」「ごめんなさいね。 わたしはMacしか扱った事がないので、電話で教えてあげられるほど小姑2さんの PCの事、知らないんですよ。 年賀状、むこうから頂いたのは残ってないですか? それを見て手書きされたらどうですか?」 「それがないの。PCの中に全部あるはずやねんけど。それを見て手書きしたいねんけど」「でも、もうこんな時間ですよ? いつもならもう就寝されて いるはずですよね。 とりあえずもう寝た方が良いですよ。」 「でも、ひねもすさんはお友だちも沢山いて、住所もたくさんあるんでしょう? 私は友だちも少ないし」「あのね、数の問題じゃないんですよ。 小姑2さんはもう眠った方が 良い時間だと言ってるんです。」 「大丈夫、もうお薬も飲んだし。でも30分くらいは眠らないし」「お薬を飲んだなら、余計にもう横になった方が良いです。 今からPCを起動させて、住所録を出して、はがきを書いていたりしたら せっかくお薬を飲んだのに、眠るタイミングがずれてしまうでしょう? 申し訳ないですが、PCのお手伝いは出来ません。 なのでもう、今日は 横になって下さいね。 ではおやすみなさい」 そう言って電話を切った。* * * ここからボヤキ * * *クーソーバーバーぁあのね。小姑2の外泊に反対はしないよ、わたしたち。だって、舅たちが亡くなれば彼女が帰省するところは実質無くなるもの。わたしたちが実家として受け入れる事は一切考えてないのだし、両親が生きているあいだはせいぜい受け入れてあげたらいいなと思っている。それを手伝ってほしいというなら、それには出来る限りこたえたいと思っているし。けど、舅がそんな状態でできるの?本当に?留守電で「どうしよう」ってなにが?無理な状態でなんで小姑2の外泊も受けちゃうの?それで、息子(相方)にも電話して。相方が心配だから「帰りに寄ろうか?」と聞いたら「いらない」ってどういう意味?愚痴りたいだけなら、小姑1にも仕事中に電話して言って下さいよ。譲って、わたしは愚痴は聞きますよ。暇な専業主婦ですから。でもね、夜の10時半に携帯メール。姑名義の携帯から。何事かあったのかと思って心配しましたよ。そしたら、また。小姑2に携帯を渡してメールを打たせてるんですね。電話もしてるのに、知らん顔ですか。そうしてまたあとで謝ってくるんですよね?「ごめんなさいねえ、私は嫌やったんやけどあの子がどうしてもって聞かへんから~」って。それを止められないから、服薬の管理も出来なくて結局ここまできたんですよね?母親のあなたに、止める覚悟がないから小姑2はここまで悪くなったんじゃないですか?いつも、喉元まで来てるんですよ。この言葉。それでも。相方の母だから、携帯のメールを見て心配したんですね。けど、その心配が今回も裏切られた気分。電話の向こうで、小姑2が電話をかけてるのを見ないフリで様子を伺ってるのが目に浮かぶよう。自分は止めたけど、、、聞いてくれないし、、、自分は悪くないし、、、どうしたらいいのかわからへんし、、、以前とこれっぽっちも変わってないよね。このお方。はあ。これでまた、ずいぶん残り少なくなってる姑に対する同情というか、気持ちみたいなもんがガックリ落ちた。も、しかたないよね。これって。姑がすっごく悪いとは言わないけど、それならわたしだって悪くない。わたしは姑の考え方がわからないし、やりようが嫌い。自分が看れないなら、人に頼る部分を考えて真っ正面から「お願いできるかな?」と聞くべきだとわたしは思うし、それを断っても次の手をいっしょに考えるくらいの気持ちはあったよ?真っ正面から来ないんなら、絶対受けない。いっしょに何かを考えることなんてもう絶対しない。犠牲になったりしない。その為にしなくちゃいけない事をするだけ。今度の正月、もう揉める事もなさそう。 話し合いなんてないもの。どっとはらい。
2008.12.22
さてもさても。今、姑さんに言いたい言葉。ついさっき、電話があって。とるといきなり「ひねもすさん? 今、お父さんがまた外に出たい言うてきかへんのよ。 鍵を開けられへんから、荒れてしたはるの。 そんな騒動になってて大変なの」挨拶もなく早口でいきなり言い出す。「はあ、はあ」 としか答えようがない。ようやく息を継いだ時に、「あの、今日はお天気もそんなに悪くないですし、一緒に 散歩に行かれたらどうですか? このあいだ行く予定だったデイにも参加出来なかったし、そりゃ舅さんだって ずっと閉じこもりでは、外に出たいと言われると思いますよ。」 ハイこれまたフルスイング空振りな答えだったようで。(苦笑)し~ん、という音が聞こえるような沈黙が続いて。「でも、また“家に帰る”っていうて前の家に行こうとしてはるのよ」“前の家”まで、直通のバスはないけどもタクシーを使えば20分ほどの距離。「タクシーを使って行って、その近所を散歩されたらどうですか? 小姑2さんとは違って、舅さんが急に走り出したり、長時間無茶な歩き方を したりされないでしょう? 手を繋いで歩けば、見失うこともないでしょうから」 ハイここでまた沈黙。こういう沈黙ってイヤな思いをさせてるってなんで思わないかなあ。そう思って、今度は「そういえば、ケアマネさんと連絡は取れましたか? どうおっしゃられてました?」 と聞くと、「取れたけど… 『いっしょに外を歩いてあげて下さい』って。」…だよなあ。さてもさても。大抵の場合、わたしは姑が【こたえて欲しい答え】を薄々わかりながらフルスイングで外してきているんだけども、今回は正直謎。外したことは確実に判っている。舌打ちこそはないものの、あの長い沈黙と、沈んだ声。望んでいた答えじゃない、という拒絶は電話の向こうから怨念のように感じるから。今回、姑はどういう答えを望んでいたんだろう?1、すぐにCちゃんを連れて駆けつけ、わたしが舅を散歩につれていく。2、認知症の老人が暴れていると、どこかに通報する。3、義実家へ行き、姑と一緒に舅を説得・監視をする。これがわたしの想像出来る答えなんだけど、どれも矛盾点がある。1に関しては、姑さんは舅さんをそもそも外に出したくない、ので散歩をさせたいわけじゃない。2に関しては、どこかってどこ? 通報したいんなら自分ですれば良い話。3に関しては、こんなことがある度にわたしと監視し続けるつもりなのかどうか。大体、説得が通じる相手ではないのに。そりゃあ、姑さんの希望を叶えられるわけじゃないけど。だけど、希望がわからないとこちらとしては「はあ、はあ?」としか言いようが無い。で、結局「あ、お父さんがトイレから出てきたから切るわ」プツッ。意味が分かりません。そりゃ、わたしは頭が良くないけどさ。気もきかないけどさ。なんで姑さんが、舅を外に連れて散歩に行くことをあんなにも拒むのか。だったら、サポートサービスを利用すればいいのに、それも拒むのか。毎度、わたしの答えは気に入らないのに電話してくるのか。全く意味が分からないのですが。 今度会ったら聞いてみたいなあ、と思うけどそれより決めなきゃいけないことがあるので多分聞けずじまいで終わる。でもほんとなんだかなあ~という電話だった。どっとはら~い
2008.12.18
さてもさても。昨日、様子を聞く為に義実家に電話した。この日から舅はデイケアに参加出来る許可も下りたので。ところが、デイには行ってないという。夜にまた眠らないので、睡眠薬を飲ませたのだけどそれでも眠らないのでもう一服飲ませたので、今度は寝すぎて寝坊してしまったと。舅が眠らなければ、姑も安眠出来ないので気持ちはわかるけども、それでは何も良くないわけで。それで、これからの相談をする為にもケアマネさんとお話をするのに同席したいと言ったところ。気に入らないようす。姑のわかりにくい話をアレコレつなぎあわせて推測するに。・まずデイケアの重要性をわかっておらず。・他の介護サービスを使うのもイヤ。・特養なんてとんでもない。でも、自分はもう年だし、つらい 死んでしまいたいくらい、と嫁のわたしにだけ、「頼りにしてるから お願いしますね」と言うのは。導きだされる姑の希望は、「嫁が介護してくれ」ってのが正解かと。嫁=介護要員、って式は根強いねー。いやあ、びっくりするよ。(笑)で も 無 理 で す か ら申し訳ないけども、子どもが小さいのはもちろんだけども、子どもの特性と認知症の舅の暴言や、振る舞いはけして一緒には出来ませんし。相方もその意思は固いんで。姑はそれを自分はやってきたと言うかもしれないけど、そのために犠牲になったのは姑の心だけでなくて、相方や小姑たちの心でもあったわけで。あっしにはムリっすね。(ヒップホップな兄ちゃん風)全然、同情せずに「ケアマネさんとお話しさせて下さったら、わたしから他の サービスや、施設について聞かせてもらいますし。」 と、言い続けると今度は何を思ったのか「いやでも、大変なのは夜に出て行こうとする時だけやし。 穏やかに眠ってくれる日もあるし。 そんなショートステイに行ってもらわんでも…やっていけてるし。 ただ、少し大変な時もあるだけで」あのですね。小姑2の時もそうだったわけですよ。で、自分が結局フラフラになって大慌てでみんな動いたの、覚えてませんか?息子や嫁が手伝ってくれたら乗り切れると思ってるんでしょうけども、それがそうそう出来ないって言ってるんですが?相方は体調が悪くても仕事に行ったりしてるんです。家族を背負ってるんですよ。わたしもチビがいて、マイカーもないんです。特養での長期入所を考えずに、家での介護を望まれることに反対はしません。けどそれなら、ナイトケアや、ショートステイを組み込んでやって行くのはけして無茶な提案だと思わないんですが。あれもイヤ、これもイヤ、嫁が看てくれればってのはあなたの気持ちの問題だけであって、それを言うならわたしも「キライだからイヤ」と言わせてもらいますよ、ええ。とりあえず、小姑1にも確認をとって特養の申し込み。ケアマネに会わせてもらえるなら、定期的なショートステイ・あるいはナイトケアの申し込み。姑の直球でないボールをわざわざ打ったりしないし、すべてフルスイングで空振っていくつもり。もちろん直球できたら、直球で打ち返すけど。どっとはらい~
2008.12.16
さてもさても、2つめ。救急車で運ばれた舅の治療を待っている間に、姑がここ最近の舅のおかしな言動を愚痴っていた。ここ最近、デイに通えなくなって認知症がすすんだ舅は「家へ帰る。 ここは家じゃない。仕事場だから。 家へ帰って、父や母とお酒を飲んでご飯を食べる」と言い続けていたらしい。たしかに今住んでいる場所は、舅の生まれ育った場所ではない。けど、もちろん大舅や大姑も亡くなってずいぶん経つわけで。大舅は相方が生まれてすぐに亡くなっているらしいから、もう36年。大姑はわたしと相方が結婚する前だから12~3年前に亡くなっている。転倒して顔面から打ったらしい舅は、レントゲンを撮ってもらい医師に名前や生年月日、今がいつか尋ねられたらしい。それに対して、舅が答えたのは「7月○日」。相方も姑も、そうと考えたのかどうかは知らないけども。舅が答えた「7月◯日」は小姑1の誕生日の翌々日。小姑1が生まれた頃、大舅も大姑も元気で、舅は自分の両親と晩酌するのがすごく好きだったらしい。彼が一番しあわせだった時間は、その頃だったのかもしれない。両親はまだ元気で揃っていて、第一子に恵まれて。うちの祖母が認知症になった時に、帰ると言ったのは少女の頃に住んでいた家だった。結婚して、小姑さんが怖い人で、その後苦労続きの人だったから、一番しあわせだったのは結婚する前のまだ子どもであった頃だったのだろうと思う。しあわせだった時間に戻りたいと、誰もがどこかで願っているものだと思うけど認知症が進むにつれて、その夢が近づいてくるんだろうか。だとしたら、周囲の苦労は別として、本人はしあわせなのかもしれない。もし、いつか。わたしが認知症になった時、わたしはいつの、どこへ、帰りたいと言うだろうか?わたしは大抵、今が一番しあわせだなあと思うオメデタイ人だけど、いつかこの時間に戻った夢を見るんだろうか。ただ少し。舅が自分の両親と食事することばかりを話すのは、認知症で仕方ないとは言え自分が嫁だったらスゴく腹立つし、悲しいなあと思った。ワガママかね。どっとはらい~
2008.12.15
さてもさても。相方にSOSが入ったらしい。舅が姑を叩いたらしい。で、帰りに相方が義実家に寄ったら「今睡眠剤を飲んで眠ったとこだから帰って」と言われたらしい。相変わらず。何をどうしたいのか、自分で決断を下すつもりは無くて。ただただ、「どうしよう?」という電話。小姑2の時と同じ。さて、どうするのか。今回は見ているつもり。 春で思い知ったから。どっとはらい。
2008.12.12
さてもさても。ここのとこ、義実家とは接触を断っている。初めは、姑のもの言いのおかしさにイライラさせられていたわたしが、今までのように行けなくなって。久々に行くと、舅の子たちへの対応が2~3時間が限度なのを目の当たりにして。そして、11月には舅が疥癬にかかり、これは感染するので義実家には行かなくなった。そして昨日姑さんから電話があって。なんだかまたわざとらしいくらいの弱々しい声で話すので、聞き取りづらいのを何度も聞き直して判ったのは。(毎度の)小姑2の外泊のこと。年末年始でもあるし、外泊許可の話が周囲でもあるのだと思う。それで、姑に毎日何度も電話があるのだという。きっとまた断りたいのだと思い、けど、認知症の舅もいるし難しい状況でもありますしねえ。 と聞いていると「あのね。 ここ最近、本当にあの子良くなっていて。 本当に、今までにないくらい 普通の状態で話もできるの。 入院前とはくらべられないくらい、良くなっているの。」「はあ? それは良かったですね。 じゃあ、外泊も できそうなんですね?」 「でも。 私はこんな具合やし、お父さん(舅)も痒いのが完全に取れたわけやないし」「ええ?だから外泊は受け入れが無理なんですよね?」 「そう、でもあの子の具合は本当に良くなっていて。 だから、外泊したいって言うてるの」まさかなあ、と思いながら。この日、帰宅した相方に「こんな電話があって」という話をした。すると相方が途中から「あかん、あかん! そんなんあかんで!」と言い出した。おそるおそる「どう思う?」 と聞くと「うちに外泊させたいねやろ! アホな事を! はっきり言わんでも、その口ぶりはそういうつもりや! 考えられへん、筋がちゃうやろ。 親がおんのになんで…」「やっぱり、、、そういう意味かぁ」 なんとなくそうじゃないかなあ、という気はしていたけどまさかいくらなんでもそんな希望は、と思っていたのだけど。相方が聞いていても、そうだと思うなら、やっぱりそうなのかなあと。一応、まさかと思いつつも、その地雷には一切触れずに「状態が良いと思うなら、外泊を受け入れれば良いし。 イヤだと思うなら、元旦以降に長く外出されてはどうですか。 お姑さんが、受け入れるお気持ちなら、わたしたちもそのつもりで 義実家に伺いますし。 別にわたしたちに反対する気持ちはないですよ。」 そういって電話を切ったんだけど、と相方に言うとホッとした様子で「それでええ。 そこでちょっとでも、“ほなうちが”とか言うたら、悪いなあって言いもって 姉をうちに外泊させるわ。 いくらなんでもそんなんありえへん。 親も生きてる、姉はもうひとりおる、うちにはチビが3人おるんや。 まともに考えたらありえへんやろ。 ほんまになあ」呆れた様子でボヤいた。姑は回りくどく、自分の希望を通してくる人なので実のところ本当はどういう意味なのか判らないけど。自分がこういう言い方をして、相手がどう思うだろうか?という考え方がもう姑にはいっさいないような気がする。相方と結婚した当初からそうだったけど、いくらなんでもこんな無茶な話をにおわせる事はしなかったんだけど。。。なんだかなあ。どっとはらい~
2008.12.08
さてもさても。昨日、幼稚園の祖父母参観があって、久しぶりに姑さんにお出まし願った。最初快諾したものの、その後変な言動もあったりでなんだかなあと思っていたのだけど、楽しく参加されたようで良かった。で、参観でどんな事をしたかとか、そんな話を聞いていると、すごく晴々とした様子で「あのね、子どもたちと歌をうたったの。 本当に、歌をうたうなんて久しぶりで。 いいわねえ、ああして歌うのは。」と言って、嬉しそうに何度も口ずさんでいた。それを聞いて、ふと思い出したのだけど。姑さんは子たち(小姑たちや相方)が小学生の頃、PTAのコーラスに入っていて、長い事活動していたらしい。(まあ、子どもが3人居ればなあ。うちも小学校は12年通う計算)その練習で、帰宅が夜になってかつての姑(相方祖母)に閉め出された事もあったとか。(なんつーババァだ。「わざとじゃなかったらしいけど」と聞いたけどな)今でもPTAのコーラスってあるけど、好きな人が参加してる。姑さん、歌うの、好きなんじゃないの?自分の気持ちを出さない人だけど、人というのはどこかで自己表現欲があるものだとわたしは考えている。ブログだってそうだ。姑さんにとって、歌ってそうじゃないの?今アレコレしんどいだの、つまんないだの、グダグダ言ってるけどちょっとぱあっっと歌えるとこ行けば良いのに。けど。わたしはデイケア、もう薦める気もないし、これ以上何かを薦める気はない。結局のとこ、『歌うのが好き』っていうのも自分で気がついて、どこかで歌えないかなあとか思わないとダメなんだよね。ましてや、嫁のわたしが何薦めてもダメ。あの人は自分の思う通りにしか動かないから。若い人の『自分さがし』っていうのも鼻についてイヤなものだけど、ある程度の年齢になって、「あなたは何を思ってるの? どうしてそう思うの?」と問われても確たる答えが出せないのはイヤなもの。自分の気持ちを大事に出来ない人が、他人の気持ちを大事に出来るとは思えないからね。そういう人といるとないがしろにされる気がする。しかし、時間は山ほどあるのになんで自分がやってみたい事の1つも思い浮かばへんのかなあ。不思議だ。どっとはらい。
2008.11.06
さてもさても。【身勝手】;他人のことを考えず、自分の都合や利益だけを考えて行動すること。また、そのさまや、そのような態度。わがまま。今日は実ジジババが、佃煮が沢山あるのでとお裾分けにと持ってきた。車で1時間以上もかかる距離、佃煮は口実で、孫会いたさに来たわけで。わたしにとってはなんだかなあ、と思うところのあるジジババだけど、うちの子たちは大喜びでじゃれついて、駄菓子を買ってもらって、あちこちから引っ張り合って自分を見てもらおうとアピール大会。Aは小さい時から人見知りのない子だったし、相方の実家にとっても、うちの実家にとっても初孫であったので、本当によく両実家へ連れて行っていた。ほぼ、毎週交互に行っていた。義実家へ行くのが嫌じゃなかったというのは嘘になる。けど、結婚を反対された、自分のわだかまりを少しでも消したかったし、なにより孫になるAを可愛がってもらいたいという気持ちがあったから。まあこれには余計な(苦笑)小姑たちが加わってたけど。それでも、あまり泣かずにニコニコしている穏やかなAの性質もあって、よく可愛がってもらったと思う。Bが産まれた頃、Aが幼稚園に入園。色々と忙しくなってきた。それでも、相方は日曜休日だったし、できるだけ義実家に行っていた方だと思う。ただ、その頃から小姑2の精神状態はどんどん悪くなっていた。行こうと思っても、断られる事もあった。姑もその事が身体に響いてきたのもこの頃からだと思う。いわゆる不定愁訴的な話が多くなっていた。そうしてCが産まれ、Bが幼稚園に。相方は休日が平日になり、平日は子たちの学校や幼稚園でほぼ出かける事がなくなり義実家にも行かなくなった。けども小姑2の入院があって、そのあとに疲労している姑の様子を見る為に一時義実家へ足繁く通った事もあったのだけど、「しんどい」「気ぃつかうしかなん」と言われるようになって、また義実家へは月に1、2度くらいのペースになった。ここ最近はほとんど行っていない。子たちは、どちらの祖父母も大好きだ。けど、義両親はもう「しんどい」のが先立って見える。実際、要介護2でもともとコミュニケーション能力がもうひとつな舅は孫たちと同じ部屋で過ごすのも1時間半くらいが限度。姑も、日頃の淋しさと鬱憤を晴らしたいので、わたしに愚痴りたい欲求が高くて孫と遊ぶ気がない。先月、Cの3才の誕生日にはなにも連絡がなく、敬老の日に「今日は来るの?」 と聞かれた。Cの事は聞かれなかったので、何も言わなかった。たぶんもう、そんな事は普段考えないんだと思う。最近は電話があっても、孫たちの様子を聞く事もないから。【身勝手】 だと思うのは、自分の事だ。もともとわたしは、義実家の人たちを一度だって好きだと思った事はない。けど、それでも義実家へよく行っていたのはわたしの子たちが可愛がってもらえるからだ。子たちを可愛がってくれる人が一人でも多いのは嬉しかったから。子たちにとって、よくしてくれる祖父母がいることは良い事だと思っていたし。けど、そうしてくれない義実家に今行くのは億劫でしかたがない。本当に身勝手だな、自分。そうは思うものの。実は来週、幼稚園で祖父母参観日がある。実ジジババに来てもらうには距離が遠い。それとなく、今日話してみたのだけど「義実家の方に先に話して、断られたら代わりに来るけど…」と。(この辺、婚家への遠慮というのがまだあるらしく)孫を可愛くないというわけではないけど、もうその気持ちもしんどい、そんな様子を見るのがイヤだ。しんどいと言われてもお願いして来てもらえば、Bは喜ぶだろうな。。。気持ち、よいしょとテコ入れして電話するか。 ふう。どっとはらい~
2008.10.26
さてもさても。“ねじねじ”と言っても、中尾さんのあのネクタイの話でなくて。姑の精神状態のこと。精神科の先生に「あのね、はっきりしないんだよ!お宅のお姑さん!」と言われ、「ねじれてるわね?お姑さん」と言われたのはやはりさすがだ。昼前にわたしの携帯に姑さんから電話。小姑2が、相方にどこかに連れて行って欲しいと言っているんだけど、、、と。今日、相方の休日で。それを承知で、わたしに電話。Why? ナーゼデスーカーァ?急に外国人になってしまうくらい意味が分かりませんーん。相方に頼み事なら、相方に電話して言えば良いと思わん?これ以前からだけど。わたしに頼み事があるときは、相方に電話する。相方に頼み事があるときは、わたしに電話する。些細なこと、と笑われるかも知れないけど一事が万事こんなだったら?イラッとくるよ。ほんと。それ以外にも、“反対に言う”ってのがある。たとえば、スゴく暑い日で、たまらずクーラーつけたりした時に「今日はもう全然暑くないけど。ちょっとだけクーラーつけたわ」と言う。なんだか趣味に合わない食べ物をもらった時に「ほーんとにほーんとに素晴らしいものをもらったわぁ。もう素晴らしすぎて もったいないわー」と、ことさら大げさに持ち上げる。それも、こちらが笑うまで言うのな。ギャグのつもりなのか、嫌味なのか、わからないけど、「ははは…」と笑うと得意げな顔をしておられるので、たぶんその両方かと思われる。けどな。おもろないねん、それ。で。小姑2が外に何か食べに行きたい、弟に連れて行って欲しいと言っているんだけど。とな。それをなんで、わたしの携帯にかけてくるのか。直接頼まずに、御簾の向こうで、誰かを通してモノをいうほどあなたは偉いんですか。という気にもなるんですが。ま、しかし。 携帯ってのは便利なものでして。かけてきた相手も解れば、持ち運びも出来るので。タイミング悪くトイレに入ってましたが、相方に呼び出し音なってる状態で渡したげましたよ。そしたらね、開口一番が「あら? これ、ひねもすさんの携帯じゃないの?!」だって。確信して電話してるんやね、このお方。タチ悪いなー、ほんと。今度会ったら、「相方にモノを頼むのにわたしの取り次ぎはなくてもいいんですよぉ?」と言うつもり。どっとはらいぃ
2008.10.01
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