倫理観を取り戻したのはどっち?



満開を迎えたと思ったその翌日から一つ二つ花びらを散らしはじめ、今日のぽかぽか陽気とアルプスから吹き降ろす爽やかな風がその姿を『桜吹雪』のように流していきました…

ついいましがた…

イラクはファルージャで囚われの身になっていた邦人3人が開放されました。3日以内に要求した動きが見られなければ殺害するといっていたグループは、日本側の譲歩を引き出せぬまま開放に応じた型となりました。

賛否両論… 人質の開放を最優先とするべきとの意見と、渡航危険地域に自ら飛び込んでいった若者自身の責任に問題ありとした意見が交錯し、世論を煽るマスコミ報道と相まって、混沌とした時間がいたずらに流れていったような気がします。

この問題を議論する前提として考えなければならないことは、交渉のカードに拉致を目的としなければならなかったイラク活動家の動機を今一度考えてみるべきではないか。

昨日の日記にも書いたように、大国の利害に翻弄され培ってきた文化や宗教を踏みにじられ、民族を分断されつづけてきた人たちが、高度な倫理観を持っているであろう先進国アメリカや英国に重火器を頭から浴びせられた屈辱に対し、人を盾としなければならなかった心の痛みを改めて理解する必要があると思うのです。

血を流すことなく3人が開放されたその裏には、活動家の苛立ちや葛藤が相当あったのではないか。そうした中で、日本国政府の譲歩もないまま開放に応じた活動家達は真にボランティア活動に従事するべきやってきた邦人に対し、最大限の譲歩をした結果となりました。

活動家自らが、自身の『命の時間』を削る日々の中で、人間が本来持っている倫理観を取り戻した結果が今回の開放につながったと私は信じています。

イラクの人達も、日本の人達も、アメリカ、イギリスの人達も、世界の皆がみな『真の平和』を望むという想いは同じであるならば、車座になって対話する機会を作り出す努力をするべきではないか。そのための投資なら、巨額の投資をして巡航ミサイルや戦闘機を作るよりもずっと安価で人類永続のために価値のある投資であると思うのです。

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