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ドラマの感想2
就職するかプーか、彼等には、そのどちらかのオプションしか無かった…。
僕らの頃は、寄らば大樹での起業選びの時代だった。
今は、厳しい時代だからか、よらば属性とでも言うべきものなんでしょうか?
取りあえずの考え方。
そこには、起業という選択肢が無い。
知っていたとしても、それが、彼らの選択肢となりうるだろうか?
今のままでは、ムリかもしれない。
でも…。
人は変わる。変われる。
人間は、成長し進化し続けることが出来る生物だからだ。
そんな彼らの中の一人。
サラリーマンをバカにしているが、じゃあ、自分が何が出来るか?と、言えば
何も無い。居心地の良い学生生活から卒業しようと言う意識が感じられない。
チャラチャラした成宮は、目的も見出せず、街をッブラブラしながら、
写真を撮ていた。そして一人の美女を見かけて、思わず写真を撮る。
と、その時、彼は彼女が耳が聞こえないことを知る。
それを知った時の彼の表情がとても印象に残った。
恐らく、彼は今まで、彼が知らなかった世界があることに衝撃を受ける!
何となく生きていくことから、何かに少しづつ気付いていくのかな?
て、思った。
以上、何となく僕が勝手に心の中を解説してみました。
実際の所は、大ハズレだったけどネ(爆)
「声置いてきたの 自分なのにね。」
「まだ4年、慣れてないの。」
僕もある時期、目が見えない時があり、
今から点字とか覚えなきゃならない、
どうしようと思ったもの。
今まで出来ていたことを、突然奪われる。
それは、とてつもない恐怖。
好きな人が自分を好きでない、好きになってくれない悲しさ。
しかも、自分の本当のところを見てくれる彼だった。でも…。
妻夫木の友達から電話。
本来、デートに誘った張本人。
美人だと言う理由で、デートの約束をしたのに、
相手が聴覚障害と言う事を知り、
ウソをついて、妻夫木に代理を頼んだのだ。
実際に、心を触れ合うこともせず、
偏見で、判断してしまう愚かさ。
上辺だけで、本質を見ようとしない彼を
僕は哀れに思った。
彼女の幸せな時は終わり、現実に戻される。
段々好きになっていった人は、身代わりに過ぎなかったのであった。
傘一つ買うのにも苦労。
普通の人なら、何の苦労も無いことも、
とても大変なことなんだ。
それでも強く生きている、生きていく!
聴覚障害がテーマのドラマだけど、悲壮感が、あまり感じられない。
とても爽やかな後味が残った。
障害を抱える人によく見受けられるのが、
同情されるなんて、まっぴらだ!
優しいフリをして、実は自分を満足させやがる。
奴らは偽善者なんだ!って、言う人。
とても可哀相だと思う。
もうひとつ見受けられるのが、
自分が障害をもっている事を隠さない人。
自分が障害を負っていることを決して恥じることは無い。
多分、他人と比べて、自分を否定することが無いからだと思う。
考えてみれば、人は全てみんな違う。
同じ日本人であっても、姿・形・性格・考え方が違う様に
障害を負っていたとしても、他人とは、ちょっと違うだけ。
誰にでもある違いに過ぎない、そう考えているからかもしれない。
僕は、少なくともそう思ってる。
たとえ、障害が無くても、人と比べて、自分を否定する人が沢山いる。
お金が無いとか、何が足りないとか、何かと人と比てべたがる。、
だから、障害があったとしても、
前向きに堂々と生きていけば良いのだとも思う。
人の優しさに触れた時、殻に閉じ篭ることは止めようよ。
素直な心を大切にしようよ!
宿命 いじめ 人間の弱さ(砂の器) (3) 03月29日(月)
「宿命」どうしても変えられないもの 三木は言った…。
宿命とは、この世に生まれてきた事
生きていると言う事
ドラマはこうして幕を閉じた。
宿命とは!?
僕なりに思ったこと、それは
“生きること”
宿命と言う言葉は、普通、悪いイメージがつきまとっている。
犯罪者の子供、貧乏な人の子供、生まれつき体が弱い、
障害者として生まれ、それでも生きるしか無い等々。
普通は、それを悪いとか、ツイて無いとか、何で自分だけ?とか、
思ってしまい、その感情を持ったまま、それでも
生き続けなければならないと言う意味に受け取られてしまう。
でも。
やっぱり違う気がする。
僕は、それを悪い事だと受け止めるのでなく、
“その人生をどうやって生きるのか!が、大切である”って事を
いかに気付くかなんだと思う。
そして普通では経験し得ない、こうした人生を“生きていることへ意味”を見いだす。
“与えられたことへの意味”を【見いだす】為に生きること。生き続けること。(だと思う)
だから、それから逃げてはいけない。
逃げてしまったら、せっかくの自分の成長を逃がしてしまうから。
だから他人と比較して、不幸を嘆くのではなく、
他の人では味わえない、自分だけの幸せがあるんだよって、思う事が出来る。
って言う教えを、僕はこのドラマから教わった。
でも…。
幼い時に受けた深い心の傷は、やはり厳しいものがあると思った。
愛情と憎しみは裏表と、よく言われるが、
秀雄が父を思う気持ちが深いほど、心の傷が顔を出してくる。
そして、その心の傷が耐え切れないほどの心の痛みを伴うことも知っている。
秀雄は、父親を憎むべき対象として捉えることで、
心の傷が顔を出して来ようとしてくるのを、必死で抑えてきたのだと思う。
和賀が、感情をあまり表に出さなかったのも、それが怖かったからではないだろうか。
あれだけ深い愛情と思いやりで、優しくしてくれた三木を殺してしまう事が出来たのも、
深い心の傷があまりに深すぎて、その恐ろしいほどの恐怖感が、
普通なら、人間として到底しえない、
三木への行為へと及んでしまったのではないだろうか?
(否、和賀は最初から完全に殺そうと思っていたのかさえ疑問だ。
少しは、自分の中での葛藤があったのだと思いたい。
洋服を変えていた事は、三木と自分が
関係が無いことへの偽装にすぎなかったと思いたい。
そして、三木の出現が、過去への回帰へと心が向き、
そして深い心の傷が顔を擡げてきたことへの
恐怖から、思わずつきとばし、その時運悪く
三木が角に後頭部をぶつけてしまった様に見えた。
結果的に死んでしまった様に見えた。
そして、宿命と言う曲を完成させるが為だけに
一連の行動を取ったのでは無いか?って、僕は思っている)
人間は、諦めないで、一生懸命頑張る事が大切。
でも時に、頑張りすぎることが、逆に良くないこともある。
これも本当に難しいと思う。
僕も小6の頃、一時、イジメにあったことがある。
相手は、小学生とは思えないくらいの大きな体格だった。
でもそいつが、ある日、
母が貧乏なのに、僕の為に買ってくれた大切なカバンを
ナイフで傷をつけようとしていた!
その時、僕は思わずカバンを守ろうとして、ナイフの前に手を差し出してしまった。
指から、血が噴出した!
とても痛かった。
でも…。大切なカバンは、守ることが出来た。
それが痛かったけど、嬉しかったことを覚えている。
(だから、秀雄が、ピアニカを庇った気持が理解出来る)
僕の場合、その事があってから、いじめが無くなったのだけれど。
もしあの後も続いていたら、登校拒否とか、逆ギレして刺すとかしたかもしれないとも、
今となっては思う。
(僕は柔道とか空手やってて、決してケンカに使ってはならないと教えられてたから、
逆にそれに縛られ、大人しくなりすぎていたのかもしれない。
中学、高校の入学時は、やってきたら、逆に腕をちょこっと絞ってやると、
二度とチョッカイを出されなかったんだけど(笑)そうやって、あまり縛らなくした。
勿論、それを、ケンカの道具にはしなかったけど。
と、言うか、ケンカをしかけてこられなかったんだよね)
僕は子供がいないけど、もし、自分の子供がいじめられてたとしたら?
どう対処するだろうか?
やられたら、やりかえせ!って言うかな。
学校に改善を強く求めて、それでも直らないなら、
無理して学校行かなくてもイイんじゃない?って、言うかな。
今は、分からないな。
その子が、どんな子かで、変わるかもしれないし。難しいな。
人間とは、本当に弱い生き物なんだよ。
「いじめ」が、このドラマのもうひとつのテーマだったけど、
あの殺された村人達の様に、
何の言われも無い人、いじめ易い弱い人に対するいじめは、
全くの論外としても、
秀雄が亀嵩の学校でいじめられたことは、深く考えさせられてしまった。
殺人者の子供、と言うことでいじめられていたからだ。
僕が思うに、あれほどの大量殺人を犯した犯人の子供だった秀雄。
その経緯など知る由もない、亀嵩の村人や子供たち。
父親の大量殺人という行為は、あまりに許されるものでは無いし、何より、
その子供だから、と言う、何か言い知れぬ恐怖感が
誰にでも、心のどこかにあるとは言えないだろうか?
そう、これは、あの○○○教信者に対するものと、その子供達への感情と
似ていないだろうか?
僕は、あの事件は絶対許すことが出来ない。
あまりに身勝手な論理(と言えるものでもないが)から行なわれた行為。
僕の中でも、これだけは、どうしても許せない。
もし、自分の身近な問題となった時、その時、
果たして、普通に接する事が僕に出来るだろうか?
(勿論、イジメや、迫害、暴力、殺人などは、許されるものでは決して無い)
僕は、自信を持って、偏見の目を持たないとは言い切れないと思う。
僕もとても弱い人間だからだ。
ましてや遺族の方々は、況やであるだろう。
それでも、憎しみからは、何も生まれないって、悟れるものなのだろうか。
(それでも○○あやかちゃんの母親の様な方もいらっしゃる)
これは本当に難しいことで、人間としての弱さ、限界を考えさせられた。
その意味を見出す事が出来るか?も、
これから生き続ける中で大切なことの一つなのかもしれない。
でもこの道は、とても険しい道なのだろうけれども…。
愛 新たな発見と成長 03月23日(火)
最終回が終わった。
でも僕は、イマイチ盛り上がりに欠けてた様なきがした。
だから、もう一度見直した。
でもよくよく考えたら、
恋愛をゲームとしか考えられなかったハルは、
確かに変わっていた。
だから、普通のハッピーエンドも、
ハルにとっては、凄いことなんだと思える様になった。
自分に合う女はアキ以外にいないとも
気付ける様になってたし。
夏川への気持を変えさせた友(市川)の言葉。
あれを聞いたら、考え直すよね、やっぱり。
自業自得だから、仕方が無いのだけど、
でも、やっぱり辛かったと思う。
夏川もまた、ハルと同じ様に、
女性を本当の意味で愛してこなかったから、
今回のことで、
本当の愛とは何かが分かったんじゃないかな?
アイと別れても、きっと素敵な恋愛が出来ると思うな。
だから、写真を送る事ができたのだろう。
その相手の気持ちを考えて
行動出来る様になったことが、僕は嬉しかった。
典子も、お金以外の価値を見出せたし、
コーチもまた、愛する事の意味を知る。
つまり、普通なら、ただのハッピーエンドに見える
このドラマも、それぞれの愛に対する新たな
発見と成長があったんだって思えた。
とっても後味が爽やかなドラマだった。
ただ、僕は感動とか、涙ボロボロ系が好きだから、
そういう意味で、盛り上がりが
イマイチと感じただけなんだろうな。
好みって、人それぞれだから、それでイイと思う。
だから、今度のドラマは解夏のドラマ版なので、楽しみ。
コーチが視力を失っていくと言う話、それを
次のドラマが、違う形で語ってくれる様な気もするし。
僕も2ヶ月間、両目が見えない時機があり、
何度も両目の手術をして、
ようやく今、右目の視力は、かなり戻った。
目が見えないと言う恐怖、生活の不便さ、
本やテレビを見る事の出来ないやりきれなさ、絶望…。
そんな時に側で支えてくれる人がいるありがたさ。
(結局その後は、いなくなってしまったが、
その時は本当に心強かったし、頑張れた。)
そんな人達の思いを、真摯に表現していってくれたらと
願わずにはいられない。
そして勇気を与えてくれたら、もっといいと思います。
形式より本質 権利より愛情 03月24日(水)
ボクも数年前、元妻が家を出て行ってしまった…。
居なくなった後のガランとした空間
心にスッポリと空いたとてつもなくおおきな穴
埋めようも無いほど果てしなく広がり続ける空間
だから、てつろうの気持がちょっとだけ分かる気がする。
愛する人が、昨日まで隣にいた人が、今日はいない。
そんな切なさは、言葉に言い表せない程悲しい。
てつろうは、凛ちゃんとは離れ離れになっちゃったけど、
ゆら先生と幸せになれそうで、良かった。
お互い、大切なものを見つける事が出来たみたいだから。
二人とも本当に良かったね♪
仕事について、
どう考える事が一番大切なのかにも気付けた。
職業観なんて、人それぞれ。
どれが正しくて、どれが間違いと言う事は無いし、
どれがえばれるとか卑下するとかもない。
自分の幸せとは何かを考えれば、
その人なりの答えが出てくるのかもしれないですね。
そして何より、本当の愛に触れることも出来た。
凛ちゃんも又、父親から本当の、真実の愛を感じられる。
離れていても、この父娘は、とても幸せだと思った。
(本当は、家族が一緒であれば、一番イイと思うけど、
やっぱり夫婦は他人だと言う事なのかな?寂しいけれど…)
でも、やっぱり列車の別れのシーンでは、
悲しさは止められない。
頭では分かっていても、
感情と言うのは止める事が出来ないからだ。
誰と暮らすかは、勿論大切だろう。
でも、たとえ離れて暮らすことになっても、
愛し続けることが大切なんだって、教えてもらえた。
形に捉われない事に気付き、てつろうも
てつろうなりの幸せに気付いた。
彼女が笑い、娘が笑う。
本当に最高に幸せだと思うな。
いつも周りに笑顔があり、自分も笑顔で
いられ続けたら、どんなに素敵なことだろう!
僕もいつもそうでありたいと願う。
最初は凛を愛してないと言っていた加奈子も
母親の本当の愛に目覚めた。
これなら凛ちゃんを任せても、安心だ。
夫婦が、子供を通じて本当の愛情に気付く。
やっぱり、幸せとは人と比べるものじゃないんだね。
人それぞれに幸せの形はあるし、愛の形も異なる。
そして愛には、とてつもなく偉大な力がある。
それは恋愛もそうだし、親子の愛情もそう。
形を変えて色々と存在する。
その力に気付く事が出来れば、
幸せにまた一歩近づけるのかもしれないね。
てつろうは、側に気付かせてくれる人がたくさんいたけど、
もし周りにそういう人がいなかったとしても(いても気付かないのかもしれないが)こういったドラマとか本とか
気付く機会は沢山あるんだよね。
だからその為にも、素直な気持でいることが
大切なのかもしれませんね。
今回のドラマも、見て本当に良かったと思います。
僕にとっての意外な展開 (6) 03月25日(木)
”腎不全、移植、失明。”
僕は、今まで何となく見ていたこのドラマが、
急に身近に感じられる様になった。
でも、やっぱりドラマなんだよね。
どちらも体験した僕だから言えると思うが、
あの状態なら、現実なら絶対に目の手術が優先されるもの。
腎移植の先生も、失明の危機があれば、
よほど命に係わる状態で無い限り移植はしない。
って、言うか、その前にまず人工透析をすぐやるはずだ。
それも描かれていない。
て言うか、もう本当に万全の状態でないと、
当日でさえも移植手術が中止される事はざらなのだ。
風邪とかもちょっとでもひいてたらダメだしね。
それほど、慎重に腎臓移植手術は行なわれるのだ。
医師は、患者を総合的に判断して、
手術にも優先順位をつけるのだ。
だから、あんな事は現実には起こりえない。
僕も網膜剥離になったが、その時は検診で見つかり即入院。
{とにかく動いてはダメだ!」と、医師から言われ、
ずっと、じっとしたままにさせられた。
手術も麻酔が効かない為、あの激痛は言葉に出来ない。
ベッドにしばりつけられ、4時間近くの手術。
白内障なら、30分で終わるのに。(しかも痛みは桁違い)
手術終了後は、汗で着物がビッショビショ。
その後、ベッド上で24時間ずっと下向きで
過ごさなければならないのだ。
(食事も寝る時もずっと…。)
振動を与えてはいけない為、お風呂は勿論、
歯磨きも髭剃りも一切禁止。
そんな状態が2、3週間も続くのだ。
正直、気が狂いそうになる。拷問に近い。
そこまでの思いをしても結局手遅れだった。
目が見えないことが、どんなに辛いことか。
それに目の見える生活を長く過ごしてきた人ほど、
その絶望感が大きく、悲観して自殺する人さえいるのだ。
僕は当時妻がいたから、愛する人の顔が見えない辛さは、
本当に悲しかった。
とにかく何も見えない事は生活も出来やしない!
道を歩くのも本当に怖かった。階段なんてとてもとても…
一度目をつぶって道路を歩いてほしい。
本当に怖いことが実感出来るから。
だから、幸運にも右目の視力が残り、生活出来るありがたさ、本を読める楽しさ、愛する人を見る事が出来る感動を
僕は感謝しながら生きていられる。(愛する人いないけど)
網膜剥離と腎臓移植。
どちらも僕が体験してきたもの。
それが、牡丹と薔薇で描かれているなんて、
本当に奇遇だと思った。
でも、たとえドラマであっても、姉に腎臓を移植する
かよには感動する。
本当は移植であげても何ら普通と変わらないのだけれど、
やはり手術するだから、凄い決意がいる。
よほどの思いが無いと、出来ないことなのだ。
僕は、その戴いた腎臓がダメになってしまったけれど…。
本当にこれだけは、運が無いとしか言えない。
でも、今日も父親に感謝しながら、
前向きに生きていられる!
牡丹と薔薇も良い結末になることを願っている。
と、ここまで書いて今日の放送を見終えた。
現実離れしているけれど、
姉を思う香世のも深い愛を表現したかったんだって思えた。
自分が目が見えないのに、心配させまいと
必死で隠そうとするその姿に胸を打たれた。
でも、そんな香世にも嬉しいことが。
ゆきおが香世への愛に目覚めたのだ。
これは、バチがあたったのかもしれない香世が、
その過ちに気付き、人として
立派な行いをしたからなのかもしれない。
人は誰でも失敗するし、過ちを犯す。
でも、そこからやり直しが出来る、
そして誰でも、その人なりの幸せが得られるんだって思える
そんな気持になれるドラマなんだなって思えた。
明日、最終回だ。
二人には、幸せな結末を描いてほしいな。
人間に潜む“鬼の本性“ 差別といじめ 03月22日(月)
僕は最初ドラマを見た時、
和賀が過去を知られたくないと思ったのは、
単に今の栄華を手放したくないからだと思っていた。
自分から逃げているのだとも思った。
しかしその真相は、
とんでもなく深い心の闇から発せられている事を知る。
和賀が、なにゆえ、
あそこまで感情をあまり表に出さないのか?
婚約者と偽りの愛を演じているのかが
少し分かった気がする。
物語は、父親から引き離された時の慟哭から始まった
本当に秀雄も父を愛していたのだ。心から…。
和賀の悲しい宿命。他人には決して知られたくなかった過去
それは村八部という差別意識から生まれた。
千代吉(父)は、さぞかし無念であっただろう。
それでなくとも、愛する人を失った悲しみは
言い様の無いほどの苦しみと、
寂しさを超えた切なさで心が泣き叫ぶ辛さがある。
しかも、それが謂れの無い差別意識からくる見殺しであるのだから、
その悔しさたるや例えようも無いものがあったに違いない(と思う)
僕が分からないのは、
何故逃亡しなければならなかったのか?
と言うその理由が知りたい。
辛い苦しい厳しい旅、でもそこには確かな愛情があった。
子供に何かを教える為?
子供の寂しさを考えたから?
何かの信念、思いがそこにはあったのだろうか?
とにかくその場を離れたかったにしても、
後でいくらでも自首出来たハズ。でもしなかったのは何故?
やはり子供のためだろうか?
“差別といじめ”
憎しみからは何も生まれない
鬼が鬼を生んだのだ
と、今西は言った。
今でも必ず起き続けている、「いじめ問題」
人が簡単に陥り易い差別意識、
いじめと言う、その“地獄”は
誰の身にも突然、容赦なく降りかかる。
苦しみを、自分以外の他人(ひと)に与え、
そのことで、己の快楽とする。
否定したくとも出来ない、人間に潜む“鬼の本性”
人の不幸を喜ぶという心の歪み。
“人間”という存在の弱さがそこにはある
優しさ 温かさ 助け合う 支えあう
人間が人間たらしめる“心のありよう”が、
いかに大切かを、気付かせてくれる。
この作品を、過去何度もやていたのに、
今まで見てこなかったことを痛切に後悔している。
幼い秀雄の子供心は、いかほどのものだったのだろうか?
相当心に深い傷を負ってしまったことだろう。
それでも父親と一緒だから、耐えることが出来たのではないか。
そこには親子の強固な絆と言う愛があったと思う。
だから、とても辛かっただろうけど、
淋しくは、無かったんじゃないかな。
ピアニカを手にした秀雄は、嬉しそうだった。
経緯はどうあれ、それは、秀雄にとって、
何にも代え難い宝物だったのだ。
ひしひしと伝わってくる親子の絆、幸せ。
今の時代、物質的な恵みに満ち溢れ、現代は確かに不自由さを感じない。
しかし、愛という“精神的幸せ”を、人は中々見出せない。
例えようの無い、虚しさが、そこここにある。
改めて、幸せとは何か?を自分に問い直す…。
ピアノを奏でながら、回想する和賀(と僕は思う)
差別や偏見があるかぎり、
その迸る能力も人目を見なかったのかもしれない。
やはり、宿命を完成させたい何かが和賀にはあるのだろう。
和賀のその特別な才能は、
その激しいほどの過去の厳しさから生まれたのだろうか?
厳しさ悲しさに彩られた宿命
父との愛、幸せ、厳しさ、叫び。
そういった思いが凝縮された
心の表現を、厳粛で荘厳な音楽の響きが
見ている我々に、鬼気迫る迫力で心の奥まで伝わってくる。
このドラマを見て、本当に良かった。
生きること 生きる意味 教え (1) 03月18日(木)
白い巨塔を見て
命は重い。
でも、その命は死に直面するまで中々見えない。
健康のありがたみが病気にならないと分からない様に。
そこにあるのが当たり前と思っている以上、
気付かないものなのだ。
無意味な死は無い。
だから無意味な人生はありえないのだ。
一番になることを望み執着し、ある時は、手段をも選ばず、
猪突猛進してきた財前吾郎だった。
彼は死に直面しても尚、分からないと言った。
でも実は、分かっていたのだろう。
佐々木さんへの懺悔の思い、
里見へ託した手紙がそれを物語っている。
彼も死に直面したことで、人生における真実に気付く。
そして財前又一も、あれだけ金にまみれた守銭奴、拝金主義者、野望に満ち満ちていたあの財前又一までもが、
最後に見せた優しさ溢れる人間性。
彼もまた財前によって、人間性に目覚め、
人間とは何か!?について、気付きを得ることが出来た。
命の前では、全てが神聖になる。
命の力は偉大であり、命の重さが真理を教えてくれる。
(もうこの辺から涙が止まらなかった)
若村も、彼女も何かしら気づいた様だだった。
彼女もとても可哀相だった。
妻でありながら、
愛されていない悲しさがあったのだと思う。
財前の母親の、子供への果てしない深い愛情も
心を動かされた。
財前の里見への、最後まで揺るがなかった強い絆と信頼。
これこそが本当の友情と呼べると思った。
里見への手紙に託した思いにもそれが込められている。
”屍は活ける死なり。”
僕も自分が死んだら、そうでありたい。
死んでも尚、意味のある屍でありたいと思う。
だから、ドナーカードを持っている。
ムダ死にはしたくない。
お世話になったこの世界に少しでも役に立ちたいと思う。
生きることは意味がある。
今日もつくづくそう思った一日だった。
(サッカーU23、やったァ!おめでとう!)
恋愛と決断 03月17日(水)
テーマ「【僕と彼女と彼女の生きる道】 見てる人~!(225)」
明日は復職の面接だ。(良くても出向になりそう)
明日もまた人生の一つの分岐点なのかもしれないな。
どのような結果になるが分からないが、
受け入れるしかない。
勿論自分の意見は主張するつもりではいる。
それでも、自分の希望通りになるとは限らない。
大事なのは、その結果にどう対応するか?だ。
ただ、悲嘆にくれてても、何も解決しない。
それは、もう経験済みだ
。
命に比べたら、失業など大した問題では無い。
再起のチャンスは必ず来る!
自分を信じることが大切だと思う。
だから、「僕と彼女と彼女の生きる道」の徹朗も、
もし最悪の状況になってもがんばってほしい。
凛ちゃんの為に銀行を止めて、考え方も変えて、
愛情を知り、かけがえの無い存在になってしまった。
だから、それは悲しいのも仕方が無いよ。
でも、それでもがんばってほしい。
たとえどんな結果になっても、それを受け入れ
凛ちゃんを愛し続けてほしい。
心の中でいっぱい愛し続けてほしい。
逢おうと思えばいつでも会えるハズだよ。
逢える幸せを感謝してほしいと思う。
それさえ出来ない人も、沢山いるのだから。
そして、側にあるもう一つの愛も大切にしてほしい。
僕たちも失恋した時、それはとても悲しいものだ。
失恋の脳が感じる痛みは、骨折と同じくらい痛いそうだ。
時には死にたいって、思うくらいツライもの。
でも、相手に受け入れられない時は、
こればっかりは諦めるしかない。
人を思う気持ちも、その愛情の深さは、
時に逆上して殺人まで引き起こす事さえある。
ストーカーとなって、相手を苦しめる事もある。
だから、何事も諦めてはいけないのだが、
恋愛だけは例外なのかもしれない。
ただ僕は、それでも、たとえ相手に受け入れられなくても
自分が心に思う、心の中で愛することで我慢する。
それだけでも、十分精神的に満足出来る。
心が幸せになれる。
若い時は、そうもいかないだろうけど、今はそう。
だから、今は淋しさを感じない。
この日記やメルマガや本を読むことに夢中で楽しい。
何か見つけられれば、そういうものなのか?
プライドで言えば、NHLに、ホッケーに目覚めたハル。
元々ホッケーが恋人みたいなもので、
恋愛はゲームだった。
淋しいなんて感じたこと一度も無いとも言っていた。
所が!本当の恋に目覚めて、
彼女に愛情を取り戻してもらう。
でも、彼女は…。
それでも好きな人が傷つけられて逆上して殴る。
そして、ホッケーに目覚め、全てをかける。
彼女は、その彼の為に(多分)好きでない人と
結婚する道を選ぶ。
ここで”決断”が問われる!!
自分が選んで決断しなければならない!
アキは本当にそれでイイのか!?
ハルは、彼女を取り戻さなくてイイのか!?
全てを犠牲にしなければ、本当に
夢は実現出来ないのだろうか!?両立は出来ないのか!
”決断”しなければならない時がきた!!
ビジネスなら、期待値等の手法を使うなど、
ある程度最適解に近づく確率を高める方法論があるのだが、
こと恋愛には正解が無い。
主観が支配する部分が大きいからだ。
(勿論、損得計算が先に出る人はいるけど)
愛に対する価値観はひとそれぞれ。
正解は無いのだから、選択をして、
その結果がどうであろうと後悔だけはしたくない。
だから、大事な決断をする時は、自分ひとりで
決めなければならないと思う。
特に恋愛は、自分を真正面から見つめて、
自分の心に素直になる事がイイんじゃないかな。
どんな結末になっても、後悔しないでほしい。
そうすれば、幸せが近づくのかもしれない。
昔は見なかった砂の器 (1) 03月14日(日)
砂の器は、松本清張の作品だから過去何回かドラマ化されてたハズ。でもなんか面白そうじゃなっかった。
なんか暗そうなイメージがあって。
今までは、全く見る気がしなかった。
それが、今回、白い影で好演した中居君が演じるとあって、
試しに見てみようという気にさせられた。
作りも最初からオーケストラの迫力ある演奏から、
始まり、陰気なイメージが吹っ飛んでしまった。
中居君のお陰で、砂の器、楽しめたよ。感謝♪
来週はそろそろ架橋に入る。
松雪さんが、喋ってしまい、追い詰められた和賀。
彼は何を思い車を飛ばすのか?
宿命から人間は逃れられないのだろうか?
いや逃げようとすればするほど
その重みが増してくるのではないか?
やっぱり人間は宿命から背を向けず、
真正面から受け入れ、それを自分なりに
消化していくしかないのかもしれない。
ただ、和賀の場合は、あの宿命と言う曲の完璧な完成に
とても強い思い入れがありそうだ。
その為なら、全てを投げ打っても良いと言う様な
悲壮な決意が感じられる。
それが何なのかはまだ分からない。
原作知らなくて良かった!
人生も同じ。
どんな事が起ころうとも、
先が見えないからオモシロイ。
先が見えないから、知恵を働かせ、
工夫をし、努力を続けるのだろう。
美しい音色とともに、とても考えさせられる
深いテーマがある、良いドラマだと思った。
次回も楽しみなドラマだ。
サッカーU23がまさかの敗戦!!
未だに信じられない。
本当に何が起こるか分からないヨ。
ガンバレ日本、若き戦士達!!
この世に耐えられない苦しみなど無い。 “ (4) 03月12日(金)
人は強いもの。
耐えられないと思っても今も変わらずこうしている。
傷ついたと思うだけで本当は傷ついていない。
嫉妬もどんな痛みや悲しみも海の底へ消えていく気がします。
お蝶夫人の言葉だ。
宗方コーチが亡くなった。
原作だとこの後の岡ひろみが、絶望感と戦う姿が描かれている。
そしてどんな事があっても耐えられる強さを得る。
“どん底から這い上がった人間、立ち直れた人間こそ強いのだ。
この世に耐えられない苦しみなど無い。 “
だったら、僕も少しは強くなれてるのかもしれない。
僕も病気で凄い副作用の薬使った時、42度の高熱と吐き気、下痢が物凄く、
身体中の力が入らなくなり、もうふらふら。
体を起こすことさえままならない、起き上がれない。
勿論食事どころではない状態がずっと続いた。
そのくせ意識があるから余計辛い。辛かった…。
2週間くらい続いた時は、本当に苦しかった。
2週間後くらいに医師に「ようやくヤマを通り超えてたみたいだから、
もう少し頑張ろうね」と言われて救われた。
ホント、手術とかを経験するたび、本当に辛いことばかりだったけど、
それでも今こうして生きていられる。
失恋して深い悲しみを負っても、離婚して寂しさで
耐えられない日々があったとしてもそうだ、
それでも今こうして生きていられる。
だから、お蝶夫人の言葉が実感出来ると思う。
闘わなければならないのは、自分自身だ!
自分に負けちゃダメだ。
藤堂の言葉。そう諦めちゃあダメなんだ、人間は。
宗方を見てると愛するとはどういう事かが分かる。
どんなに好きでも相手がいることだから、
叶わない時がある。沢山ある。
それでも愛し続けると言う事の大切さ。
それを僕は幼い時から、宗方コーチに教わっていたのかもしれない。
憎しみからは何も生まれない。
死んではいけないのだ。
必ず苦しみも悩みの痛みも全て何か意味がある。
その意味が何かを見つけられないと、
とても不幸だ。
でも必ず人間はそれを見つける事が出来る。
だから、人はこの世に生まれてきた事が幸せなことであり、
生き続けることが幸せなのだ。そう思った。
幸せとは生きている事に感謝すること。
たとえ寿命が来たとしても、後悔しないだけの
意味を見いだせられるか!?
そうすれば、たとえ他の人より短くとも
生きていて幸せだったと思えるのではないか?
僕もそう言える様に生きられたらって思う。
どん底から這い上がった人間、立ち直れた人間こそ強いのだ。
諦めない人が強いのだ。
本当に励まされるよ。感謝しなければいけない。
未だに通用するイイ言葉が本当に多いと思う。
二人がプレーしてる時、遠くから写す場面や後から写す
サーブの場面は、普通にうまかった。
だけど二人とも素人だったのに、さすが役者、それなりにそこそこ演じていたと思う。
それなりにかなり練習したのだろう。
昔、僕達が練習してるコートでロケがあった。
ホント、ヒドイものだった。フォームもへったくれも無かったよ。
それでもテレビで見てたら、それなりに映ってた(爆)
それに比べると、かなり練習してるな、って思った。
でも、お蝶夫人はスライスを多用してる様だけど、正に一昔前の
日本のテニスの主流の打ち方だな。
安定してるけど、攻撃的で無い。世界では通用しないテニス。
なんせ岡は、ライジングで打ってるんだから。(笑)
ライジングだから弾ませない為にスライスを多用してたのか?
でも、本物のライジングには、通用しないよ。
第一、 主導権取れないから、ボレーの餌食になり易い。
まあトップスピンロブ打ってたけど、そうそう打ちやすいアプローチを相手も
してこないから、リスクが大きい。結局戦略が苦しいんだよな。
なんて技術論言っても仕方ないよな。
結局羨ましいんだよ。思いっきりテニスが出来る事が。
テニスが今出来る人は本当に羨ましい。
でも僕もこうして本を読んだり、勉強したり出来る。
だから、幸せだ。生きていられて本当に幸せだと思う。
エースをねらえは本当に素晴らしい作品だ。
生命の重さの前には全てが許される 2004年03月11日
財前が肺ガンで倒れた。どんなに名医であろうとも
病気には無力なのだ。
僕はこれで財前が同じ病に冒されたことで、
命の重さを気付いてほしいと願う。
その上で、何とか手術が成功して、技術だけでなく、
心も兼ね備えた本当の名医になってほしいと願うのだが。
次回予告を見ると、そうもいかないみたいだ。残念だ。
病気の事実を知り、対立していた?友人や恩師も、確執を超えて、財前の為に全力を尽くそうとする。
正に生命の重さの前には全てが許される。
重ねて言う。人類は病気には無力なのだ。
僕も腎臓がダメになった時、医師から言われた。
「本当に残念なのですが、今の医学では、腎臓を維持する為のこれ以上の治療法は無いのです。
透析に戻られる事になります。」と…。
医療は日々格段の進歩を遂げ、一昔前より
治療や手術等で救われる様になっている。
それでも、やはり限界はある。
イギリス等では認められている再生医療に伴うクローン技術。何故アメリカは反対するのか?
キリスト教カトリックの影が政治的に色濃く影響しているのは、否めない所だろう。
そして日本は、アメリカにもはや盲従状態にあり、
グローバルスタンダードと言いつつも
実際は、アメリカンスタンダードになってしまっている。
先日もNHKで骨髄移植の事をやっていた。
その時、せっかく親から戴いた大事な体にメスを入れたくないと言う観念論を聞いたが、
「あなたは盲腸になってもメス入れませんか?
プチ整形やピアスはどうなの?
痔は切らないの?
指を包丁で切ったこと無いの?」て、聞きたいよ。
僕が思うに、自分が関係無い時は、たとえ死んでしまっているとしても、「カワイソウ」の一言で移植提供を拒む。
所が一転して、自分や身内、知人がいざそのと立場になってしまうと、「くれ!」と欲しがる。
あまりに身勝手で、自分勝手だなと思う。
死刑廃止もそう。反対支持者の弁護士が自分の妻を殺されて
やっぱり死刑は必要だと思う。
交通事故もすい酒飲んで運転してしまう。
所が身内が事故にあったとしたらどうだろう?
イラクで戦争が行なわれていても、無関心なのに、
いざ日本にテロが起きると聞くや、急に反対しだす。
鳥インフルエンザも、まさか関東にくるなんて、なんて言ってる。みんな他人事!自分に関係無いと正論を言う。
自分は普段無信心なのに、都合よく解釈してこじつける!!
僕は、こうなるずっと前からその事に違和感を持ってたし、
(古くは子供の頃やってた山口百恵の
赤いシリーズの頃からだ)
当然、昔からドナーカードも持っていた(勿論今も)。
両親と死んだら大学病院に献体する話もしている。
かように人間は、自分勝手で、
自分が可愛いトコもあるのだ。
それはある面仕方が無いと思う。
人間は弱い生き物だからだ。
だったら、暴論を言わせてもらえば、献血の様に提供意思がある人の会員制にしたらどうなんだ!って、思っちゃうヨ。
でもそれは反対の人も多いでしょう?
だからクローン技術の研究は禁止するべきでは無いと思う。今は臓器作るより、人間作る方が作り易いそうだが、
だからこそ、そうさせない為の
研究をすれば良いのではないだろうか?
これだけ医療費が政府の財政を圧迫してると言うのなら、
どうして政府は、反対するのだろうか?
誰か僕に教えてほしい。
愛の力は凄いですね! 03月10日(水)
あれだけ頑なだった父親が凛ちゃんと徹朗の関係を見て、
そして凛ちゃんの優しさ、健気さ、可愛さ、そして笑顔に
包まれていく様に段々素敵なおじいちゃんになっていく過程が描かれてました。
ホント、凛ちゃん、どんどん明るく魅力的に成長している。
返事と笑顔がとても素敵だ。
父の考え方に追従してきたのか、とても冷たかった徹朗が
凛ちゃんとのふれあいを通して、
優しさや愛情を取り戻していく。
今度は父親が、二人を通じてその大切さに気付き
人間として成長していく。
これを見て、人は過ちを犯すものだけど、
それに気付いてやり直す事が大事なんだ。
何歳からでも、気付くことが出来さえすれば、
やり直せるんだなって、そう思えました。
僕も若い頃は、父に色々と反発していたものだが、
年を重ねるにつれ、お互いが成長していき、
分かりあえる様になるんだな~とつくづく実感しています。
腎臓を戴いた今では、
本当に感謝の思いが一層強いものになった。
不幸にして戴いた腎臓がダメになってしまったが、
今でも戴いた腎臓は機能を失ってしまったが、
それでも僕のお腹の中で生き続けている。
僕はこの腎臓が、無性に可愛くて仕方ない。
腎臓がダメになったと医者から言われ、絶望の最中に
この腎臓から”ごめんんさい、ごめんなさい”って、言う
声が聞こえた様な気がした。本当に聞こえたって気がする。
だから子供のいない僕にとって、この腎臓は、今では
とても愛しくて堪らない存在となっている。
そう可愛い子供だって思ってるよ。
僕も”離婚”を経験している。
でも僕の場合は、とにかく病気であることが
嫌だ!と言われたから、その時点でかなり
愛情が失せてしまっていた。
それでもいつかは戻ってきてくれるんじゃないかって、
信じて3年待った。でも、彼女の意思はどうしても固くて変わる事はついに来なかった…。
徹朗がどんないに僕は変わったんだって言っても、
凛ちゃんが一緒にいたいって思っても、一度好きでなくなった彼女は、もう戻ってこないのだろう。
男は未練をもち、女は未練は持たない。
どっかの本に書いてあったけど本当にそう思うな。
僕は性格なのか二股とか浮気が出来ないから、
徹朗が浮気しちゃってたのが、とても残念。
どうして愛する妻がいるのに浮気なんてするのだろう?
愛情が無いのに浮気してしまうのかが僕には分からない。
僕はどちらかと言えば女脳に近い考え方をするみたいだ。
一緒に本を読んだ友達は、完全な男脳だった。
そいつは、「女の考えてることは、全く分からん!もっと論理的に物事考えられないのか!!」って、凄く憤る。
女の人も男の考えることは、
分からないと思う人も多いのではないか!?
僕は離婚を経験したことで、女の人の気持を
より一層考えてあげたいって気持になれた。
だから、離婚もそれほど悪いことばかりでは無い。
ただ病気だけは、どうしようもない。
直せる病気(風邪とか)と違うから。
だから、今は、恋愛のことを
考えないようにして生きている。
自分にドラマで十分だって言い聞かせている。
それが今の僕だけの生きる道だ。
1日遅れのプライド 03月09日(火)
昨日は透析の日だったから、プライド見るの
1日遅れになってしまった…。
いきなり大和がホッケーを断念する場面になり、昔の事思い出して涙。テニスが大好きで大学卒業して就職しても大学の練習に参加していたり、会社にテニス部が無かったから作っちゃった位好きだったテニス。それが、突然の目の病気で、一時は両目が見えなくなってしまった。
その後、何度かの手術を経て、ようやく右目だけは、何とか視力戻ったけど、左目が…。
大好きなテニスが、もう出来ない。
それはもう死ぬほど辛かった。
だから大和の気持が痛いほど良く分かる。
今でも時々夢の中でテニスやってる。
起きて、夢かと気付いた時の空しさ。
本当に悲しかった。
昔エースをねらえで、宗方コーチがテニス出来なくて、ヤケになったが、その後別の目的(使命)に目覚め、その思いを振り切る事が出来たシーンが思い出された。
まさか自分が同じ気持になるとは当時思わなかった。
だから、僕も何か別の事を探す事にした。
幸い片目が残ったから、本を読むことが出来る。
それで、趣味は読書になったのだった。
目が見えない事は本当に恐ろしかった。
歩き事もままならない。凄く恐い!
だから、片目が見える事はとても感謝。
でも、やっぱり今でもテニスがしたい。
思いっきりボールを打ってみたいよ。
プライドの話に戻るけど、
アキがハルの元を離れた理由が、心清き人で無いとダメって
言う理由とは思わなかったヨ。
それだけの覚悟(二人とも別れる?)が
あっての行動だったんだ。
僕はただ単に古き良き時代の女が故かと思ってた。
なるほど、と一人で納得。
最後はハルが逮捕さて終わっちゃったけど、
僕も同じ立場だったら、冷静でいられるかな。
今となっては、恋愛とは無縁だが、ミスチルじゃないけど、
”君が好き~♪僕が生きるうえでこれ以上の意味はなくたっていい~♪”って、スグ熱くなっちゃう方だから、
わかんないな(笑)
次回も楽しみだナ!
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