~7~






  何か、あったかい柔らかいものが心を包んでくれたみたいに
  短い時間でもぐっすり眠れて、朝の便で東京に帰ってきた。

  飛行機の窓から、ブルーやグリーンの色が重なる海を見てると
  どうしても彼女のことが頭に浮かぶ。

  キレイな景色を見たり、おいしいものを食べたりした時
  誰かと分かち合いたいといつも思うけど、
  今は彼女のことしか浮かんでこない。

  今度、この海を見るときは彼女と一緒だったらいいと思った。
  そうなるまでのことは、何も考えられなかったけど・・・。

  秋が深まるのと同じペースで、仕事はまた少しずつ増えてきて
  スケジュールもだんだんキツくなってくる。

  もうゆっくりプラネタリウムを見ることも、
  これからしばらくはできなくなりそうで、
  ほんのわずかな時間でも、彼女と共有したいと思った。
  あの静かな、別世界のような空間にすっぽり入り込みたかった。


  タクシーを降りて、聞いていたとおり通用門のインターホンを押す。

   「はいっ!!」

  思ったより明るいまいちゃんの声。
  昨日話してた、電話の小さな声とは違って。

   「こんばんはっ!!」

  こっちも負けずに元気に叫んだ。

   「はい! ちょっと待っててね!!」

  インターホンの向こうで明るく笑ってる。

  ドアのすぐ横で待ってたら、まいちゃんが勢いよく飛び出してきて
  ぶつかりそうになった。

   「きゃっ! びっくりしたぁ~! あぶないよ~!」
   「えっ?! オレが悪いの?!」
   「わるいわるいっ!!」

  なんかミョーなハイテンションで、まいちゃんは後ろにまわると
  俺の背中を押して、後ろ手にドアを閉めた。
  背中を押されただけなのに、ヘンにドキドキした。

   「じゃあ、またあとでね!」
   「えっ?」
   「まっすぐ行ったらロビーに出るから、そこから階段上がってね!」
   「あ、はい・・・。」

  拍子抜けしたまま、ぼ~っと階段を上がると、
  笑顔の坂井さんが待っていた。

   「よっ! あいばくん、久し振りっ!!」

  坂井さんもハイテンションだ・・・。

   「こんばんは~! すみません、また時間外に・・・!」
   「いいよいいよ~! 会いたかったんだも~~ん!
    時間外デートって、いいよね~~♪」
   「あははっ!」

  まいちゃんは、ゆうべの事は触れずにいてくれた。
  あの時は本当に心配してくれてたから、今はなおさら、それが嬉しい。
  ついこのあいだまで、まったく知らなかった人たちなのに
  昔からの友だちのように、自分のことをわかってくれてるような気がした。


  投影が終わってロビーで待ってると、坂井さんがやってきた。

   「お疲れさま~~! って、ホントに疲れてるね~・・・!」
   「えっ? そーですか?」
   「なんか痩せた? 前より・・・。」 
   「え~・・・、そんなことないですよ~。」
   「若いとコキ使われるからねぇ~~・・・!」
   「はぁ~・・・。」

  コキ使われてるつもりはないんだけど・・・。 苦笑いするだけ。

   「ね、ホントにあなたたち付き合ってないの?」
   「えっ? ・・・あ、メル友・・・です・・・。」
   「ふう~~ん・・・。 そっか~・・・。」
   「・・・・・。」

  なんか素直に笑えなかった。

   「まいちゃんのこと、どう思ってんの・・・?」
   「えっ? どうって・・・、言われても・・・。」

   「聞いてない? ・・・よねぇ~・・・。」

   「・・・なんですか・・・?」

  気になって坂井さんを見ると、マジメな顔になってた。

   「ときどきうちに来てくれるメンテナンスのお兄ちゃんが、
    まいちゃんのこと前から気に入ってて~・・・。」

   「ふ~~ん・・・。」

  ムリヤリ平気なふりをしてあいづちをうった。

   「きのう、コクってたの、偶然聞いちゃったんだよねぇ~・・・。」

   「へぇ~・・・。」

  頭に血がのぼって、耳鳴りがしそうなくらいだった。
  話の続きが早く聞きたくて、聞きたくない気もして、焦ってくる。

   「返事はまだみたいなんだけど・・・。
    とりあえず付き合ってみればいいのにね~・・・。 どう思う?」

   「・・・さぁ・・・、カンケーないですから・・・。」

  愛想笑いすらできない。

  息苦しさで大きなため息をつきそうになるのを必死でこらえた。

  なんでもないふりをして、何か言わなきゃと思うけど、
  何も言えないまま、不自然な沈黙が続いた。

   「・・・ところでさぁ~・・・、相葉くんって・・・。」

  覗き込まれて、ムリヤリなんでもない顔を作って
  坂井さんの方を見た。

   「はい?」

   「・・・相葉くんって・・・・・・・・、あいばちゃん?」

  一瞬、息が止まった。

  坂井さんと見詰め合ったまま・・・。

  少し落ち着きかけた心臓がまたバクバクしてきた。

   「あ・・・あの・・・。」

   「・・・やっぱり・・・。
    なぁ~んか見たことあるなぁ~って思ったんだよね~・・・。
    娘の部屋にいるでしょ、キミ・・・。」
   「えっ・・・?」

   「ポスターとかって、神秘だよねぇ~・・・。
    こうやって近くで見ると、フツーのおにいちゃんなのに~・・・。」

   「ど、どうも・・・。」

  的外れな答えしか出てこない・・・。

   「あ、心配しないで! 娘には言ってないから!
    ちなみにニノ担とか言ってたけどね。」
   「はぁ・・・。」

   「まいちゃんは、知ってるの?」
   「・・・いえ、なにも・・・。」

   「・・・でしょうね・・・。
    まぁ、わかっても騒ぐような子じゃないけど・・・。」
   「・・・・・。」

   「どうすんの? このまま黙ってるの?」
   「・・・いえ、・・・そのうち言おうとは、思ってたけど・・・。」

   「・・・まあ、まわりがとやかく言う問題じゃないよね。
    別に付き合ってるわけじゃないんだし・・・関係ないよね。」

  そうだ・・・、関係ない。

  まいちゃんがコクられたことも、誰と付き合おうと、
  俺の仕事を知らなくっても・・・。

  偶然知り合っただけの、ただのメル友なんだから・・・。

  その時、まいちゃんが小走りでやってきた。

   「ごめんなさい! お待たせしました!」

  坂井さんは、立ち上がる時に俺の肩をポンと叩いて、

   「うわ、あいばちゃんに触っちゃった~♪」

  耳元で言うと、まいちゃんの方に歩いていった。

   「じゃあ、おばちゃんはここで!」
   「えっ?・・・あの、もしよかったら、一緒に・・・。」
   「まいちゃん、それは失礼よっ!  
    相葉くんはまいちゃんに会いに来たんだから・・・ね?」
   「えっ? ・・・あ、いや、・・・。」

  突然振られて、またドギマギしてしまった。
  ホント、情けねぇ~・・・。

   「じゃあね! お疲れさん!!」
   「あ、お疲れ様でした・・・。 遅くまですみませんでした・・・。」

  坂井さんは、ヒラヒラ手を振って、廊下の角を曲がっていった。

  あっけにとられたまま、ふたりで顔を見合わせた。

   「じゃあ・・・、行こっか・・・。」

  少し微笑んで、まいちゃんは先に歩き出した。

  複雑な気持ちを抱えたまま、後をついて行く。



  5分も歩かないうちに、古い造りの民家のような店に着いた。
  小さな看板が、普通に歩いてたら見落としそうなくらい、
  ひっそり掛かっていた。

   「ここですよ・・・。」

  まいちゃんがカラカラと引き戸を開けた。
  ドラマなんかによく出てきそうな、こじんまりとした小料理屋さん。
  カウンターには、大皿に盛ったお惣菜が並んでる。
  割ぽう着のおばあちゃんが、ひとりで切り盛りしていた。

  まいちゃんは、おばあちゃんと知り合いらしく
  親しみを込めて挨拶した。

   「こんばんは~!」
   「あら~、いらっしゃい・・・! 久し振りだね~・・・。」

  そう広くない店の中には、サラリーマン風のおじさんたちばかり。
  気兼ねなく座れそうだった。

   「カウンターだけど、いいかしらね・・・?」
   「はい! いいですよ・・・ね?」
   「あ、うん!」

  席に着くと、まいちゃんはおばあちゃんといろいろ話しながら、
  手際よく大皿のお惣菜を小鉢に盛り、ごはんをよそってくれた。

   「は~い、ほかほかごはんです~・・・!」
   「うっわ~、うまそ~っ!」
   「うまいよ~! おにいさん、た~っくさん召し上がれ!」
   「いただきまーっす! って、俺がごちそうすんだから、
    まいちゃんもしっかり食べてよっ!」
   「あ、そうだった! じゃあ、いただきまーす!」

  もううだうだ考えるのはやめよう。
  今が楽しけりゃいいじゃん。
  ホントに姉弟の晩ご飯ってカンジ・・・。

  今日は、ずっとまいちゃんハイテンションだけど、
  やっぱり昨日のことを気にかけてくれてるのかもしれない。

  夜の静けさの中、息を潜めるようにケータイでやり取りをした。

  寂しさとか、プレッシャーとかに押しつぶされそうだったところを、
  返信メールから始まって、少しずつ助け出してくれた。

  そして今日、何も訊かずに明るく笑うまいちゃん。
  やっぱりオトナだなあと思う。 かなわないと・・・。

  ホントにごはんもおかずもおいしくって、
  体中の細胞が元気になっていく気がした。

  他のお客さんも、こっちを気にする人はいなくて、
  のびのび楽しく、話に笑いながら食事できた。

  こんな関係って、ホントに貴重なのかもしれない。

  今まで、こういうタイプの女の人とふたりで過ごしたことなかった。

  家族じゃないし、恋人でもないし、・・・友だち?
  このままの関係でいた方がずっと楽しいのかも・・・。

  ほんとうは、このひとをひとり占めしたいのに・・・。

  でもひとり占めすると、こんな雰囲気にはもう戻れないし、
  彼女を特別な世界に閉じ込めてしまう。

  こんなにのびのびと、優しく笑う、このひとを・・・。





  賑やかな店での楽しい時間は早く過ぎていく・・・。

   「いかがでしたか? いいお店でしょ?」

  まいちゃんは、あいかわらず優しい笑顔だった。

   「うん、この店、気に入った! また来たいよ!」  
   「よかった~! もう私がごちそうしたいくらい!」

  ふたりとも、お酒も入ってないのに上機嫌で店を出た。

   「もっと時間があったら、二次会行くのにね・・・!」
   「うん・・・。」

   「電車?」
   「いや、タクシー拾うよ。」

   「またごはん一緒に行こうね。
    ホント、相葉くんといるとすっごく楽しくって・・・!
    またメールするね!」

  明るく言ったまいちゃんの言葉がなぜか引っかかった。

  普段なら軽く受け止める、嬉しい言葉のはずなのに・・・。

  ・・・俺といると楽しいって・・・?

  なんか素直に受け入れられない。

  さっき坂井さんから聞いたことが、またよみがえってくる。

  楽しい・・・? だけ?

  こっちはいろんなことグルグル考えてばかりなのに・・・。

  淋しさのような、くやしさのような、ヘンな気持ちになった。


   「・・・でも・・・、俺なんかと遊んでて、いいの・・・。」

  自分でもびっくりするくらい低い声だった。

   「えっ・・・?」

  まいちゃんの足が止まる。 顔は見られなかった。

   「まいちゃんのこと、本気で想ってる人がいるって・・・。」

   「なんで相葉くん、・・・そんなこと・・・。」
   「・・・・・。」

   「坂井さん・・・?」

  まいちゃんは、まっすぐこっちを見てるはず・・・。
  でも、目を合わせられない。

   「・・・なにもわざわざ言うことないのに・・・。
    ごめんね・・・、関係ないのに・・・。」

  胸がギュッと痛む。 思わず唇を噛み締めてこらえる。

  カンケーない・・・? カンケーないって・・・。

  ・・・そうだよな。

  まいちゃんにとっては、俺はメル友のひとりなんだし・・・。
  そう言われても文句言えない。 カレシじゃないんだし・・・。

  重たい空気に息苦しくなる。

  怒ったりする立場じゃないのに、無性にくやしくって、言葉が選べない。

   「早く返事してあげればいいじゃん・・・。」

  あー、なに言ってんだろ! こんな事言うつもりじゃなかったのに・・・。

   「でも、そんな簡単には・・・。」
   「とりあえず付き合ってみればいいじゃん。 イヤじゃないなら。」

  関係ないって言われただけで、もうヤケになってた。

   「俺らこんなにしてるとこ、その人に見られたらどうすんだよ。
    はっきりさせないと気の毒だろ・・・。」

  なんかいつの間にか自分の不満をぶつけてるような気がした。

  まるっきりそうじゃん・・・。 便乗して言ってる。
  ホントどうかしてる。
  冷静でいられなかった。

   「とりあえず付き合うって・・・、普通そうなの? 
    そんなのもアリなの・・・?」

  彼女の声に、表情はなかった。 顔を見るのが怖かった。

   「・・・仕事の相手なら、プライベートではどんな人かなんて
    わかんないんだし・・・。
    その人がイヤなヤツとか・・・、他に好きな人がいるとかさ、
    断る理由がなけりゃ、アリなんじゃないの・・・?」

   「断る・・・理由・・・?」

   「気を持たせてる方が、よっぽど残酷だよ・・・。」

   「・・・そんなつもりじゃ・・・。」

  寂しげな声の後に、小さなため息が聞こえた。

  横顔を盗み見ると、うつむいて頬にかかった髪の隙間から、
  きゅっと結んだ唇だけが見えた。

  俺もうつむいて、自分の情けなさに叫び出したくなるのを
  歯をくいしばってこらえた。

   「・・・相葉くんの方が、ずっとオトナだよね・・・。」

   「えっ・・・。」

  気まずい雰囲気になってから、初めて彼女の目を見た。

  表情の消えた寂しい目。

  今まで見たこともない、彼女の表情・・・。
  きっと俺も同じ目をしてるんだろう・・・。

  オトナだなんて・・・、きっとまいちゃんは怒ってる。
  皮肉を込めて言ったんだ・・・。

   「・・・私、気がつかないことばっかりで・・・。
    ありがとう。 よくわかったよ・・・。
    すぐ返事するよ・・・。」

  なんだよありがとうって!

  結局俺がアドバイスして、それに対するありがとうなのか・・・?

   「・・・ほんとに今日は楽しかったよ。
    ごちそうさまでした・・・。」
   「・・・・・。」 

   「お仕事、がんばってね・・・。」

  寂しい目のままで、かすかな笑顔を見せて、まいちゃんは言った。

  そして視線を大通りの方へ移すと、目の前を走り抜け、
  すぐにタクシーを止めた。

  あっけに取られて見ている俺のほうに戻ってきて、

   「タクシーつかまったよ、早く!」

  手首を取って引っ張った。

  さっき背中を押された時とは違う、手の温もりを直接感じて、
  彼女に触れられるのはこれが最後かもしれないと、ふと思った。

  タクシーの前まで来ると、少し笑って、

   「じゃあね・・・! 今日はありがとう!」

  そう言って、すぐに走って行ってしまった。 あっけなく・・・。


  追いかける理由もない。 時間もないし・・・。

  自分に変な言い訳をして、もう投げやりな気持ちになってた。

  タクシーに乗り込むと、チカラが抜けて、シートに深く沈みこんだ。
  ため息をついて目を閉じる。

  なにもかもが重くなってく。

  息苦しさは続いていた。

  まるで、喉元に大きな石が突っかえてるような、鈍い痛み・・・。

  ・・・後悔・・・?

  でも、もし自分の気持ちをすべてぶちまけたって、どうなるんだろう・・・。

  臆病になってる?

  今までだって、普通の女の子と付き合ったことはあった。
  みんな初めから自分のことを知ってて、
  すごい気楽で、楽しくって・・・。

  でも、彼女は何も知らない、そういう世界とは全く無縁のひとで、
  こっちに巻き込むことこそ、残酷なことなんじゃないかって気がした。

  彼女の生活を乱す権利なんてない・・・。

  本当に幸せになってもらいたい・・・。

  頭の中で、繰り返し言い聞かせた。

  けど・・・、




  胸が重苦しくって、


  心の奥で、泣いていた・・・。


つづく     15,Feb.2005







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