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この日は10月19日(土)。我が家の近くの公園の「金木犀」です。「金木犀」は9月〜10月に開花するモクセイ科モクセイ属の常緑樹。学名は「Osmanthus」(オスマンサス)と。その芳醇な香りから、ジンチョウゲ、クチナシと並ぶ「三香木」のひとつに数えられる秋の花。日本の花!と思いがちですが、原産国は中国であると。鮮やかで小ぶりな群生するオレンジの花は、庭木や公園樹、鉢植えなどさまざまなシーンで親しまれているのです。その豊かな香りは香料のみならず、お茶やお酒などの食品に加工されているとのこと。香りが強く遠くまで届くことから古くからは「千里香」の別名を持っているのです。金木犀の花言葉は?「謙遜」「気高い人」「真実」と。「謙遜」という花言葉は、金木犀の花がとても小さく、控えめな印象があることにちなんでいるとのこと。また、古くから金木犀の香りには高貴な印象を持つ人が多かったことから「気高い人」といった花言葉がつけられたと考えられています。「真実」という花言葉は、金木犀は香りが強く、離れた場所でも存在がわかることからつけられたといわれています。金木犀の恋愛にまつわる花言葉は「初恋」「陶酔」金木犀には、上記のほかに「初恋」「陶酔」という、恋愛にまつわる花言葉もあると。いずれも、小さい花や花の香りに由来するものです。小さい花がかわいらしくて初恋を連想する、甘い香りに酔いしれるということから、このような花言葉がついたといわれているとのこと。以下、2枚は帰路での写真です。「日本みつばち はちみつ 高貴(金木犀入り)」の写真をネットから。幻と言われる日本みつばちのはちみつに、旬の無農薬の金木犀の花弁を手摘みし、漬け込みました。味はマイルドになり、紅茶などにいれると金木犀の花が咲きます。花弁も食べられます。日本みつばちのはちみつと、金木犀のハーモニーをお楽しみください と。 ・・・おわり・・・
2024.10.20
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今日は10月3日(木)。猛暑もようやく収まり、朝はかなり涼しくなって来ました。我家の庭に咲く花々です。まずは、午前中の「酔芙蓉」の花です。わずかにピンクに染まり始めて来ました。近づいて。そして先程には、花びら全体がピンクに染まって。そして「コルチカム(イヌサフラン)」。秋になると、地面からにょっきりと花茎を伸ばし、透明感のある美しい花を咲かせる「コルチカム」。寄り添うように咲く姿が愛らしく、秋花壇を彩ってくれる球根植物です。この時期、花期を迎えると、葉を展開する前に土から直接花茎を伸ばして咲く、ちょっと不思議な花姿が特徴的な「コルチカム」なのです。近づいて。透明感のあるピンクや白、紫などの花を、地際付近に美しく咲かせます。日本ではイヌサフランという別名でもよく知られています。以下2枚の写真は白、紫のコルチカムの花は我が庭のものではありません。以前に、植物園で撮ったものです。白のコルチカム。紫のコルチカム。我が庭の「白の彼岸花」。白い彼岸花は、「シロバナマンジュシャゲ」、学名から「アルビフローラ」と呼ばれることもあるとのこと。花びらの反り返りが緩やかな柔らかい印象の品種です。花びらがクリーム色の「リコリスニアホワイト」、白色の花びらにピンクの筋か入った「リコリスアルビフローラ」という品種もある と。近づいて。「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」とも呼ばれる彼岸花ですが、親からは、赤い彼岸花は屋敷内に植えてはいけない・・・と言われた記憶があります。自宅の近所にも、赤い彼岸花を庭に咲かせている家は散見されますが・・・。 ただ赤、白にかかわらず、彼岸花は全体に、特に鱗茎(膨らんだ根っこ)に強いアルカロイド系の毒があり、もし食べたりしたら吐き気や下痢、ひどい時には脳などに麻痺を起こして死んでしまう可能性もあると。あえて植えてはいけないと言うのはそのためなのででしょうか。子供が誤食などしたら大変なことになりますので。 ただその有毒性を利用して、田んぼの畦に植えてネズミ、モグラ(というかそのエサであるミミズ)、虫など田を荒らす動物が毒を嫌って避けるように、また墓場に植えて、土葬した遺体が動物に掘り荒されるのを防ぐために、この植物は過去に使われていました。 すなわち墓場には多くこの草が見られるから、それを庭に植えるのは不吉だとして避けられると考えることが出来るのです。 あるいは、鱗茎には強い毒があると同時に豊富にデンプンが含まれていること。根をすりおろして水にさらすと、毒は水溶性の物なので流れてしまい、残りが食用になります。つまり救荒作物としての一面もあるとのことです。これを食べ尽くしたらもう三途の川の彼岸に行くしかない=死ぬしかないというのが、彼岸花の名前の由来だと。それがまた不吉だとして避けられるとも見れますね。 こういった所から、縁起の悪い草として後付けの理由が生まれたというのは容易に想像出来るのです。しかしそれらは、やはり迷信に過ぎない・・・と言えるもの!?。そして最後に、我が菜園の近くの休耕畑に咲く真紅の彼岸花です。「彼岸花」は、発芽してから開花までがたったの一週間。しかも、いきなり茎が伸びてきて花を咲かせ、葉っぱが見あたりません!このとき葉は球根の中で待機しているようです。花は、5日間ほど咲いて枯れてしまいます。それから寒くなるのを待って、ようやく出てくる葉。これは冬に光合成をすることで、土の中の球根を育てて翌年に備えるため。ヒガンバナの葉は、その使命のため?に地上では永遠に花を見ることができないのである と。山口百恵さんの歌で「曼殊沙華」という曲がありますが、 この曲を作詞した阿木曜子さんは「マンジュシャカ」と読ませています。 梵語(古代インドの文語・サンスクリット)でこの花の事を「マンジューサカ」と言うようですので、 おそらくそこから取ったのではないかと。「♪マンジュ~シャゲ」だと確かに歌い難そう。 それに「マンジュシャゲ」だと「ジュ」と「ゲ」の濁音が二つになり、歌詞から瑞々しさが失われるような・・??1976年6月21日に発売された13枚目のシングル。宇崎竜童・阿木燿子コンビによる山口百恵のシングルとしては初めての作品。私が26歳・未だ独身の時の曲なのである。♪♪「曼殊沙華(マンジュシャカ)」♪♪👈️リンク 作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童涙にならない悲しみのある事を知ったのは ついこの頃形にならない幸福(しあわせ)が何故かしら重いのも そうこの頃あなたへの手紙最後の一行 思いつかないどこでけじめをつけましょ窓辺の花が咲いた時はかなく花が散った時いいえ あなたに愛された時マンジューシャカ 恋する女はマンジューシャカ 罪作り白い花さえ 真紅(まっか)に染めるあてにはならない約束をひたすらに待ち続け そう今でも言葉にならない優しさをひたむきに追いかける そう今でもあなたへの想いどこまで行ったら止まるのかしらそんな自分をもて余す机の花が揺れた時ほのかに花が匂う時いいえ あなたに愛された時マンジューシャカ 恋する女はマンジューシャカ 罪作り命すべてを もやし尽すのマンジューシャカ 恋する女はマンジューシャカ 罪作り白い夢さえ 真紅に染めるヒガンバナはなぜかアゲハチョウに大人気!!ちょっと不思議なくらい寄ってくるのは、もしや見えない赤い糸で結ばれている? そう、アゲハチョウは他のチョウに比べて赤色がよく見え、華やかで大きな花にフラ〜と引き寄せられてしまうらしいのです。この時期、真っ赤な花はヒガンバナくらいなので、アゲハたちはせっせと通って花粉を運ぶのだと。けれども、日本のヒガンバナはほとんどが種を作れない染色体。残念なことに、このアゲハたちの行為では実を結ばないのだと。こんなに愛されているのですが・・・。 ・・・おわり・・・
2024.10.03
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今年は、ようやく、我が家の庭の『酔芙蓉』が毎日花を開き楽しませてくれています。例年より1ヶ月近く遅い開花の盛りなのではないでしょうか。遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた芙蓉の花。古くから栽培されているにもかかわらず、ムクゲと違って変異が出にくく、品種はあまり多くありません。その数少ない園芸品種の一つが『酔芙蓉』。『酔芙蓉』は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に変わるのです。酒を飲むと顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ていることからこの名がついたといわれています。芙蓉は、全国各地の庭先や公園など、どこででも目にすることができますが、群生している名所となると寺の境内が多いでは。『酔芙蓉』となるとなかなか群生しているところは少なく、千本以上あるところは珍しいようです。『酔芙蓉』の花は短命で、一日花のはかなさに諸行無常の教えを悟り、蓮の花に仏教の縁を重ねるのは私だけでしょうか。この日・10月1日の朝、真っ白な花が咲いていました。時間は6:45。そして8:30過ぎには僅かに外側がピンクに染まりだしました。濃いピンクの部分が花弁化した「雄しべ」そして白い部分が「雌しべ」。そして10:30前には花片全体が淡いピンクに染まり始めました。花びらがピンクに染まり、中心の円周上に濃いピンクの点が。時間は13時前。そしてすっかり酔った『酔芙蓉』。時間は15時過ぎ。そして花片も閉じかけて。時間は16時前。そして16:30過ぎには萎んで。酔い潰れている『酔芙蓉』の前には未成年で飲酒禁止の若者が群れを成して。酔い潰れた花の背中に突然の小雨が。そして翌朝には酔いつぶれて二日酔い状態。既に地面に落下しているものも。この日の我が夕前につかの間の急な雨に、そして我が家の『酔芙蓉』も雨に濡れて。弱弱しい花片に雨滴が留まり、安らかに和ませてくれる『酔芙蓉』の花。自然の法則に季節も忘れず、長い夏からようやく秋の兆しに『酔芙蓉』の花は長かった夏とも別れを告げる準備に。小さな蕾が少しずつ大きくなり、とある朝、命満ちて開花し、色を変化させながら、一日の寿命を終える『酔芙蓉』に何故か親近感を覚え始めた75歳前の後期高齢者間近な私なのです。『酔芙蓉』と言えば「おわら風の盆」。物悲しい胡弓の音色と盆歌に合わせ3日3晩、越中八尾の若い男女が菅笠で顔を隠し優雅に踊りながら、八尾の町を練り歩くのである。「風の盆恋歌」は高橋治の恋愛小説で、昔の恋人と偶然パリで再会し、互いの想いを知り、八尾で逢瀬を重ねるために、主人公が古家を買い、老婆に管理を任せ、彼女が来るのを待つ。1年目は来ず、2年目も来ない。3年目に主人公が訪れると酔芙蓉が植えられ、待ち人がやってきていた。たった3日間の為に家を買う。現実にはあり得ない夢の世界。究極の不倫小説なのである。そして『酔芙蓉』👈リンク と言う歌のある事を今知ったのです。歌:島津悦子作詞:坂口照幸作曲:大谷明裕苦しまないでね 私のことで男が曇れば あとを引くいいの 最後の 逢瀬でも酔えるひと刻その刻だけをせめて私に 下されば花はひと咲き 酔芙蓉(すいふよう)男の好みに 女は合わす日陰の恋なら 尚更に帯はくれなゐ しじら織りどうぞその目に 残して欲しい今日を限りの 一夜咲き咲いて一生 越えもするあなたの接吻 火の接吻で女の命を 閉じらせて夜をこのまま 裂かれても肌のすき間に あなたが匂う夢の果てまで 一緒です花はひと咲き 酔芙蓉 ・・・おわり・・・
2024.10.02
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この日は、8月26日(月)、早朝に自宅から自転車で5分ほどの場所にある、「ひまわり畑」に向かいました。今年は、1回目は、これも自宅近くで初めての場所の7月7日の「ひまわり畑」👈️リンク 、そして2箇所目は8月13日の「座間のひまわり畑」👈️リンク そして今回が3箇所目の「ひまわり畑」なのであった。国道467号から20mほど奥にある「ひまわり畑」。既に、過去2回の「ひまわり畑」のブログアップで、ひまわり・ヒマワリ・向日葵の美しさを表現する言葉は全て使ってしまったのでこれ以後はキャプションなしでお楽しみください。太陽の光が降り注ぐ広い畑。その中央に立つ一本の高い茎があり、その先には大きなひまわりの花が咲いていた。花びらは鮮やかな黄色で、太陽の光を浴びて輝いていいたのであった。花の中心には茶色い花芯があり、その周りにはたくさんの小さな黒い種が並んでいた。風が吹くたびに、ひまわりはゆっくりと揺れて。その美しい姿は、夏の暖かい風景を象徴。ひまわりは、希望と情熱を感じさせる花であり、その存在は私に元気と活力を与えてくれたのであった。そして、帰路に残雪が全て消えた富士山山頂近くの雄姿を。 ・・・おわり・・・
2024.08.29
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さらに「座間市ひまわりまつり」の「座間地区」のひまわり畑を愛でにひたすら歩く。「幸福の鐘」か?正面から。近づいて。私もカランカラン〜と鐘の音♪を一人で遠慮気味に。ここにも展望台が。テント広場を見る。10時過ぎには賑わうのであろう。夏の朝の日差しが降り注ぐ中、広大なひまわり畑に足を踏み入れると、その光景に圧倒された。一面に広がる黄色い花々は、まるで黄金の絨毯を敷き詰めたようで、目の前に広がる風景はまさに圧巻。ひまわりの花は、太陽に向かって大きな顔を向け、空を見上げる姿がとても印象的。その鮮やかな黄色が、夏の青空と相まって、まるで自然が描いた絵画の如し。花のひとつひとつが、笑顔を振りまいているかのようで、見ているだけで心が晴れやかになるのであった。ひまわり畑の中を歩いていると、心が自然とリラックスしていくのを感じた。広大な景色に包まれることで、日々の喧騒やストレスが忘れられ、心が穏やかに。自然と一体になっている感覚は、普段の生活では味わえない特別な体験。皆、満面の笑みで。風が吹くと、ひまわりたちが一斉に揺れ、まるで波が押し寄せるかのような美しい動きが。この風のリズムに合わせて、花たちが一体となって踊っているかのような光景に、自然の神秘と力強さを感じたのであった。ひまわりの花言葉である「尊敬」や「あこがれ」を思い浮かべながら、その美しさと力強さに感銘を受けたのであった。花たちが力強く空を向いて咲いている姿は、私たちもまた困難に立ち向かう勇気を持たなければならないことを教えてくれていた。頑張ろう!!今日も!!仮設トイレも完備していた。私も利用させて頂きました。洋式トイレが。まだまだ、仮設トイレに和式便器が多い理由としては、掃除のしやすさや大小便を兼用しやすいこともありうるが、そもそも和式トイレが主流だった時代につくられた製品であることも大きな理由なのであろう。 また、かなり古いタイプの仮設トイレは「ボットン式」なのである。この仮設トイレはフットポンプ式であった。・手を使わないので衛生的!・足でポンプを踏むだけで水が流れた。テント広場の内部を散策。中央にはオブジェが。近づいて。周囲にはひまわりの花が。「座間市特産品認定 本格焼酎 ひまわり」と。これが販売されていたのであろうか?(写真はネットから)。「座間市国際交流協会本協会は、平成3年11月1日に米国スマーナ市と姉妹都市がむすばれたことを機に、平成4年に設立されました。この姉妹都市交流を中心として、私たち市民生活のなかに国際交流の輪が広がり、国際相互の理解が増進され、さらなる国際親善の促進と発展が図られていくものと考えます。地球社会における担い手が、私たち市民である以上、私たち市民が自らの知恵と努力によって、市民レベルの国際交流活動を幅広く推進していくことが必要と考えます」とネットから。全部で20店舗以上の模擬店の数であっただろうか?あゆ・塩焼と書かれた旗も。ここも「ハイブリッドサンフラワー」という品種で花径は20~30cm程度であろうか?・ハイブリッドサンフラワーは景観形成作物として開発された草丈150cm前後のF1ハイブリッド ひまわりです。花径30cmくらいの大輪花で、短棹で耐倒伏性が強い品種です。 また、バイオディーゼル燃料(BDF)としての栽培も増加しています。・リン酸吸収を促進する効果があります。緑肥作物としての活用も可能で、水稲のブロック ローテーションとして利用すると翌年の収量・品質が向上します。・小麦、馬鈴薯、タマネギ、テンサイなどの輪作としても導入されています とネットから。このひまわり畑は、単なる観光地を超えて、心に残る感動的な体験を提供してくれたのだ。自然の美しさとその力強さを実感できるこの場所。このひまわり小径にもアーチ状ゲートが。中心部には小さな花が密集しており、これが成熟すると種子になりるのだ。再び大山を背景にして。 葉は大きく、心形から楕円形で、縁に鋸歯状のわずかな切れ込みが。葉に近づいて。ここのひまわりの舌状花はやや細い別の品種か?近づいて。最後に、ミツバチを発見し、デジカメで追いかけました。花粉まみれのセイヨウミツバチ。最後に「顔出しパネル」を「ひまわり出しパネル」にして。隣の穴からも。そして帰路に。帰宅して、日本人がひまわりの花を好む理由は何であろうか?と。明るい色と元気な印象: ひまわりは鮮やかな黄色の花が特徴で、見ると元気が出るという感覚がある。その明るい色合いは、暑い夏の季節にぴったりで、元気をもらえると感じる人が多いのだ。54年前公開のイタリア映画「ひまわり」は。戦争で引き裂かれた男女の悲しみを描いた名作として映画史に刻まれているのだが、「日本人とひまわり」は戦争とは繋がらないのでは。夏の象徴: ひまわりは日本の夏を代表する花の一つ。夏の風物詩として、ひまわり畑の風景やひまわりの花束は、多くの人にとって楽しい思い出を作る要素。ポジティブな意味: ひまわりは「希望」や「前向きな気持ち」を象徴する花とされており、その意味も日本人にとって魅力的。ひまわりの花言葉には「尊敬」や「未来を見つめる」といったポジティブな意味もある。芸術や文化への影響: ひまわりは日本のアートや文化にも影響を与えている。例えば、歌や詩、アニメなどの中でひまわりが登場し、その美しさや象徴的な意味が広く親しまれている。写真はネットからフィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』は、7枚の作品が知られています。そのうちの1点は太平洋戦争末期に米軍による空襲で消失しました。 残る6枚のうち1点は日本にあります。1987年に購入。東京新宿のSOMPO美術館(旧館名:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)に収蔵されているのです。約53億円(当時の為替換算)で落札。私が本物の「ひまわり」の絵画を見たのは、オランダ・アムステルダムにあった「ファン・ゴッホ美術館」の1枚のみ。以下2枚の写真(SOMPO美術館収蔵)はネットから。制作年 : 1888年寸法 : 100.5×76.5cm ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2024.08.19
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「座間地区」の大きな駐車場は相模川の河川敷にあったが、早朝のため会場内の手前の空き地に車を駐めさせて頂き、そこから徒歩で会場に向かう。「四ツ谷地区」と同様に大山を背景に。ひまわりの種類は「四ツ谷地区」と同じのようであった。ここにも、「四ツ谷地区」と同様な造りの展望台が数か所にあった。展望台から大山方向の眺め。右にカメラを移動して。早朝からバイクで来ている若者の姿も。車も増えて来た。ひまわりの最も特徴的な部分は、その明るい黄色の花びら。太陽のような色合いは、見るだけで元気をもらえると感じる人が多いはず。中心のブラウンやオレンジのディスクも、全体のデザインに豊かなコントラストを加えているのであった。ひまわりの花は、その大きな円形の花びらと中央の種を囲むような構造が特徴。このシンメトリーは、自然の美しさを象徴するものとして多くの芸術作品やデザインに取り入れられているのだ。ひまわりは、つぼみの状態から満開になるまでの過程も美しいのだ。つぼみが徐々に開き、花びらが一枚一枚広がっていく様子は、自然の変化の美しさを感じさせるのだ。ひまわりは太陽に向かって花を向ける特性がある(向日性)。そのため、太陽の光を浴びる姿は、明るく、活力に満ちた印象を与えるのでは。まるで太陽を追いかけるように花が動く様子は、自然界の不思議さを感じさせるのだ。一輪のひまわりも美しいのだが、広い畑に咲くひまわりの群生は圧巻。広がる黄色の花が早朝の風に揺れる様子は、壮観で心に残る光景なのであった。ひまわりにはさまざまな品種👈️リンクがあり、それぞれに独自の美しさがある。例えば、ミニチュアサイズのひまわりや、赤やオレンジ、クリーム色の花びらを持つ品種もある。これにより、庭やフラワーアレンジメントに多彩な表情を加えることができるのだ。ここが、開場時間の9:30になると利用可能となる駐車場であるが、入口には未だチェーンが。時間はまだ6:30前と3時間前。テント小屋も未だ完全に閉ざされて。「ようこそいさまの大地へ 55万本」 ここは手書きで日にちが12→13に。「いさま」の地名は「夷参」或いは「伊参」が、古来、「伊佐間=いさま」と読まれ、そのうち「い」が落ちて、「さま」になり、更にこれが「ざま」になったという説が最有力だとのこと。「夷参」も「伊参」も奈良時代からの官道であった東海道の「駅(うまや)」の名前である。これらの名は、『続日本記』『和名抄』『新編相模国風土記稿』に登場する。お隣の海老名には、相模国分寺跡があり、国府も当初この辺りにあったとされる。ここ一帯は大和政権の東国経営の拠点だったのである。ひまわりの小径。これぞ、ポジティブなエネルギーや希望を象徴する花。その明るい外見から、幸せや感謝の気持ちを伝えるために贈られることも多いのであろう。再び大山を背景にズームして。未だ静かな空間であった。「食用ヒマワリの種 一袋200円」と無人販売で。新聞紙で包まれて。「ゆりかご式木製ブランコ」?も置かれていた。「映え写真」用の木製ブランコ。カップルでの撮影用か?。再び展望台から。これ以上の美しさを表現する言葉は持ち合わせていない私。以下、しばし沈黙。白いベンチも。この先にも展望台が。そしてこの周辺は、倒れたひまわりの姿が。『ど根性ひまわり』と名付けたと。『ど根性ひまわり』一、過日の大風で根元から倒れてしまったひまわりニ、それでも倒れたままで大空に向かって見事に花を咲かせてくれたひまわり三、やっぱ、ひまわりは強い四、わたしはこんなひまわりが好きだ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~☆すくすくと育っていたひまわり畑に大風が襲って倒れたままのひまわり。 倒れても咲くひまわり。 荒れてしまったひまわり畑。 しかしこんな光景もちょっと見ていただければ・・・☆いつもきれいに咲かせたい。そんな思いもその時の気象によって左右される令和六年ハ月十日====ひまわりまつり実行委員会====」と熱い想いが感じられたのであった。『ど根性ひまわり』を追う。過日の大風で根元から倒れてしまったひまわりそれでも倒れたままで大空に向かって見事に花を咲かせてくれたひまわりやっぱ、ひまわりは強いわたしはこんなひまわりが好きだいつもきれいに咲かせたい。そんな思いもその時の気象によって左右される と。「ど根性ひまわり」に背中を向けたひまわりたち。背中を向けたひまわりに他意はないのです。別の展望台に上って。「ど根性ひまわり」を展望台から。「注意★10人以上同時に乗らないでください。★手すりにはよりかからないでください。」と。これは、「心理テスト」であると。「結果」👈️リンク はこれです。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.08.18
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さらに、「座間市ひまわりまつり」の「四ツ谷地区」のひまわり畑の散策を続ける。「大山」を背景に黄金の世界を。子供たちの笑顔のごとくにこちらを向くひまわりの花。大山、ひまわり畑に向かって立つ、早朝のアシナガジイサンの姿も。近づいて。ひまわりの花は舌状花(ぜつじょうか) と管状花(かんじょうか・筒状花とも言う)という2種類の花で構成されています。外側の花びらのように見える部分が舌状花(ぜつじょうか) 、中央の芯の部分に密集している小さな筒状の花を管状花(かんじょうか・筒状花とも言う)と言う 。中央の円盤部分が「管状花」で、小さな管状花がたくさん集まってできています。開花する順番は① 一番外側の黄色い舌状花から咲き始め、② 管状花は外側から中心へと順に咲く。開花した管状花はめしべが伸び盛り上がって見えるので、よく見ればわかるのだ。「ひまわり」の花の筒状花部分の拡大写真をネットから。外側から順に、受粉の終わった層、縦縞のストライプの入った柱頭が並ぶ「めしべ」の層、チョコレート色の葯の先端に黄色い花粉をつけた「おしべ」の層、そして最中央部に蕾の層が順番に並んでいます。大きなカメラを持ったオジサンが持参した脚立を借りて撮影する女性の姿を。かき氷屋さんの垂れ幕も置かれ、粋な演出が。さらに様々な場所からひまわり(向日葵)の花を追いかけたのであった。「四ツ谷ひまわりの会」と。再び「展望台」をズームして。ワンちゃんが「ようこそ座間へ」と書かれたアーチゲートの下に。争うように朝の陽光を浴びる向日葵の花たち。再び展望台に上って。「密です!!密です!!」。展望台から後ろ姿を。そして再び大山を背景に。大山の頂上からもこの黄色の絨毯が確認できるのであろうか。「逆さ向日葵」の演出を再び。太陽に向かって元気よく咲く「ひまわり」を見ると、なんだか元気をもらえたのであった。ミツバチの姿を発見。懸命に蜜と花粉を集めて。「ひまわり蜜」があることを知ったのは、フランスを旅した時に。この朝の如くに、日本でも夏になると大きな花を咲かせるヒマワリ。この大きな花に飛び込み、体にたくさんの花粉を付着させミツバチたちが集めたはちみつがヒマワリ蜂蜜。濃く鮮やかな山吹色は、まさにヒマワリのよう。山吹色で少々癖のある?濃厚な味わいでありながらも、食べやすいまろやかさが特徴の人気のあるはちみつなのです。そして「四ツ谷地区」のひまわりのうしろ姿に別れを告げて駐車場に。駐車場に戻り、次の目的地の「座間地区」のひまわり畑に向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.08.17
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この日は8月13日(火)、早朝起床し座間市で開かれている「座間市ひまわりまつり」に車で行って来ました。【開催日時】 2024 年8月 10 日 ( 土 ) ~ 13 日 ( 火 ) 9:30 ~ 17:00 入場 無料(畑は終日開放)【催しもの】 ◆ 市内商店による模擬店の出店/展望台・写真撮影スポットの設置/ ひまわり切り花・農産物などの 販売/ アユのつかみ取り(10 日・11 日)9:30 ~ 15:30 /ひまわり写真コンテストこの日は、「座間市ひまわりまつり」の最終日とのこと。首都圏随一の55万本ものひまわりが見渡す限り 咲き誇ているのであった。会場には、フォトジェニックな写真撮影ができる展望台やフォトスポットが設置されていた。座間会場では、黄色一色に広がる見ごたえのあるひまわりが、四ツ谷会場では 数種類のひまわりが咲き大いに楽しめたのであった。花に関するブログは、タイミングがあると思っていますので、ブログアップは早めにと。今年・2024年の「座間市ひまわりまつり」ポスター。開催場所は相模川沿いの「四ツ谷エリア」と「座間エリア」の2箇所。自宅から車で50分弱で、まずは「四ツ谷エリア」に到着。快晴の下で、大山を背景にした一面のひまわり畑は、まるで黄金色の海が広がっているが如し。広大な畑には、無数のひまわりが早朝の青空の下で一斉に咲き誇り、早朝の陽光を浴びて輝いていたのであった。ひまわりの大きな花びらが風にわずかに揺れ、まるで黄色の小波が穏やかに揺れているかのように。少しずつズームして。今年のひまわりの品種は「ハイブリッドサンフラワー」と。倒れにくい品種と。手前に鏡を置き、「逆さひまわり」の写真を撮れる演出も準備されていた。「仮設展望台」も設置されていた。定員:10人と。展望台から黄色の海を見る。大山を背景とした景色が美しい。周辺は農地や相模川なので、建物がほとんど入らないのが良い。まるで北海道のような雰囲気があるのであった。風景写真の撮影だけなら、四ツ谷会場がベストだろう。首都圏でこの風景は貴重。四ツ谷会場のひまわりの植栽数は10万本で、座間会場45万本の4.5分の1のスケールだが、数種類の花が整然と咲きそろった風景は美しい。ちょうど人の背丈と同じくらい。展望台から見下ろしたひまわり畑は圧巻そのもの!!展望台からひまわりの花の後姿を逆光で。行儀よく、よそ見をせずに朝の陽光を正面からひたすら浴びているのであった。ひまわりはいつも太陽の方向を向いていることから「向日葵(ヒマワリ)」と呼ばれるようになった、という話は有名であるが、実はヒマワリが動くのは花を咲かせる前の伸長成長をしているときで、ちょうど花を咲かせる頃に動かなくなるのだ と。ひまわりは、日の出の前に東を向いてスタンバイし、太陽が上り始めるとその光の方向に合わせて東から西へ向きを変えます。そして、夜の間にまた、西から東の方へ向きを変え、日の出を待ちます。この動きをするのは、伸長成長をしている時期で、花を咲かせると、東に向きを固定しほとんど動かなくなるのだと。ひまわりは、花を咲かせる前の成長期に、若い葉が付く茎の先端部分を太陽の方に傾けます。この動きにより、より多くの光を葉に当てることができます。ひまわりを太陽の方向に向けないように固定すると、個体全体の乾燥重量が13%減少し、葉の面積も9.7%減少したという研究結果が得られています。つまり、ひまわりは、たくさんの太陽エネルギーを得て光合成をし大きく育つために、小さい頃から太陽を追いかけているのです。ひまわりの花を西向きにすると、東向きにした場合に比べて訪れる昆虫が減少するのだと。ひまわりの花は、東を向くことによって朝日を浴び、早朝から花の温度を上昇させることができます。花を訪れる昆虫は、気温が低い時には、暖かい花に好んで訪れる習性があることが報告されています。ひまわりを訪れる昆虫も、夜間に下がった体温を上げるために早朝は、暖かい花を好んでいると考えられます。西向きにしたひまわりをヒーターを用いて東向きのひまわりと同様の温度に熱すると、訪れる昆虫の数が増加しました。このため、花が東向きであるのは、朝日でひまわりの花を温め、多くの訪花昆虫を呼ぶということが理由の一つではないかと考えられています とネットから。なるほど!!所々にひまわり畑の中に入る小径もあった。花に近づいて。この場所のひまわりは、舌状花の部分がやや濃い別の種類のひまわりのようであった。花の小径の入口ゲート。先ほど上がった仮設展望台を振り返る。手前と奥では、黄色の色合いが異なる別の種類のようであった。「顔出しパネル」早朝のため、日付はまだ前日のままであった。舌状花の部分がやや濃いひまわりに近づいて。大山、ひまわり、サーフィンボードのコラボ。サーフィンボードの色も負けじと黄色に。迷路にはなっていないようであったが。若い御夫婦がひまわりを背景に愛犬を撮影されていた。許可をいただき、私もシャッターを。いや、犬の人形であったのか???それぞれのひまわりは、高さや向きが少しずつ微妙に異なり、まるで自然が描いた繊細な模様のように見えたのであった。後ろ姿を。花の中心部の茶色い部分が、周囲の鮮やかな黄色と対照的で、まるでアートのような美しさを醸し出しているのであった。畑の中を歩くと、ひまわりの香りがほんのりと漂い、自然の中にいることを実感。早朝の空気が清々しく、心が癒される瞬間であった。太陽がしだいに高く昇り、温かい光がひまわりの花を照らし出す中で、この風景はまるで夢の中にいるかのような、穏やかなひとときを提供してくれるのであった。まだまだ続きます。 ・・・つづく・・・
2024.08.16
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我が家の横の菜園で『花オクラ』を栽培し漸く開花を初めました。『花オクラ』はアオイ科トロロアオイ属に属する一年草です。「トロロアオイ」や「黄蜀葵(オウショッキ)」とも呼ばれています。『花オクラ』は中国原産の植物で、花や根の部分が食品や漢方薬として活用されてきました。日本へも古くから伝わっていて、根と果実の粘液が和紙ののりとして現在も使われているそうです。『花オクラ』は実ではなく花の部分を食べます。花をおいしく食べることができるよう品種改良されているのです。『花オクラ』の花は花弁が5枚で、オクラの花とよく似た淡いレモンイエロー色をしており、中心部と雄しべの柱頭が濃いワインレッドをしています。朝に咲いて夕方にしぼんでしまう一日花。旬は6~8月で、道の駅や農家の直売所などで販売されている所もあるようです。スーパーなどで売っている場合もあると聞いていますが、傷みやすいのでそれほど一般的ではないのです。『花オクラ』は淡白な味わいですが、ほのかにオクラのような風味や香りが感じられます。生で食べるとシャキシャキとした食感。また、オクラに似た特有の粘り気があり、とろりとした舌触りを楽しめます。加熱すると粘り気がさらに増すのが特徴なのです。『花オクラ』の花は10~20cmほどの大きさで、『オクラ』の花の2倍ほどのサイズです。『花オクラ』も実をつけますが、かたく短い実で『オクラ』のような長いさやにはなりません。食べてもふさふさとした毛が口に残ってしまうため、食用には向かず、食べられることはほとんどないのです。この日の朝は『花オクラ』の花を5個ほど摘み取って来ました。中央の花の付け根の部分そして蕊の部分を除去し、沸騰水に少量の酢を加え、手早くしゃぶしゃぶする感じに茹でます。お酢を少し入れると色が綺麗に残るのです。そしてこれを冷水に晒し、盛り付けてポン酢や麺つゆをかけて出来上がり。そしてこちらは『モロヘイヤ』。この日は『ヌルヌル』の2種のおツマミを楽しみながら、ビールを楽しんだのです。そして今日は『花オクラ』を生で。『花オクラ』の生ハム巻です!『花オクラ』の花びら2~3枚を緩やかに巻き、さらに生ハムでまいただけのシンプルレシピ。ねっとりと濃厚な生ハムの味わいや香り、塩分と、花オクラの香りとシャクシャクとしつつ、とろりとした食感がとっても合うのです。今回は、口当たりを滑らかにするためオリーブオイルを少々かけて見ました。生産者のみが味わえる?、エディブルフラワー( エディブルフラワーとは「Edible =食べられる」「Flower=花」、つまり『食べられる花』を意味しています。)を食べ楽しんだのです。 ・・・おわり・・・
2024.07.25
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そして「小田原城 本丸東堀跡」に到着。正面に見えたのが「常盤木門(ときわぎもん)」に続く石垣の上に立つ枡形門の一部。この日は「小田原城 あじさい 花菖蒲まつり」を開催中。「小田原城東堀」にある「花菖蒲園」は6月になると約6000株(鉢)の花菖蒲が花を開いているのであった。「あじさい・紫陽花」と「花菖蒲」のコラボを楽しんだのであった。「常盤木坂」に架かる朱の欄干の「常磐木橋」を見る。ズームして。ハナショウブは初夏、梅雨の中でも、ひときわ華やかに咲き誇ります。野生のノハナショウブをもとに、江戸時代を中心に数多くの品種が育成され、現在2000以上あるといわれています。優美な花形としっとりとした風情が魅力で、色彩の魔術師とも呼ばれるように、花色の変化に富んでいます。アヤメやカキツバタに似ていますが、花弁のつけ根が黄色で、アヤメのような網目模様はなく、葉幅は狭く、葉脈がはっきりと隆起している点でカキツバタと区別できますと ネットから。紫と白と花菖蒲が満開状態。紫の花菖蒲をズームして。こちらは白地に紫の花菖蒲。朱の欄干の「常磐木橋」が正面に。カメラマン?の姿が。「御城印あじさい花菖蒲バージョン小田原城天守閣にて販売中!!」と。「常磐木橋」を潜りながら、北側に続く「菖蒲園」を見る。北側に続く「菖蒲園」の西側・「小田原城 常盤木門」の下の斜面には「あじさい園」が拡がっていた。これぞ「あじさいブルー」。「常磐木門」を振り返って。「花菖蒲園」を囲むように「花菖蒲」、「あじさい」両方を同時に楽しめる遊歩道が。斜面の「あじさい」をズームして。「花菖蒲」は「鉢」に植えられたまま並べているのであった。様々な色合いの「花菖蒲」を楽しみながら進む。あじさいはこれからが花のピークに。「花菖蒲」と「あじさい」のコラボを楽しむ。ズームして。しばし「花菖蒲」をカメラで追う。あじさいの斜面を。「常盤木橋」方向を振り返って。今度はしばし、あじさいをカメラで追う。青の額紫陽花。手毬状になった真っ白な花が美しく。やわらかく優しく。再び「花菖蒲」を追って。「常盤木橋」手前から散策して来た北側の「花菖蒲園」を振り返って。「常盤木橋」下から南側の「花菖蒲園」を望む。「常盤木橋」を支える石垣。そして再び「常盤木橋」を潜り南側の「花菖蒲園」を。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.07.25
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この日は7月7日(日)、午前中は仕事の打ち合わせで平塚駅近くまで行き、帰りに最終日になった「平塚七夕まつり」に立ち寄った(後日、ブログアップ予定)。そして地元の駅に到着し、自転車で家に向かう途中に、回り道して、農家の方が栽培しているひまわり畑に立ち寄る。例年は、この畑から国道に沿って300mほど南に進んだ場所にひまわり畑👈️リンクがあったが、今年は栽培が行われていなかった。今年の、この畑も、農家の方が畑の緑肥用に栽培されているとのこと。主に土壌の菌根菌を増やして、後作の作物のリン酸吸収を促すのだと。菌根菌は植物の根に共生して生育する微生物の総称。 菌根菌は土壌中の養分を吸収して植物に供給し、その一方で植物が光合成によって生成した物質を受け取ることで生育しているのだと。また、深根性のため土壌の透水性改善効果もあるのだと。全国的に5~8月が播種に適しており、農地の景観アップには最高の植物。花が終わった直後に、トラクタ―のロータリーで、立ったままのひまわり(向日葵)を鋤き込むのだと。これにより連作障害も緩和されるとテレビから。ヒマワリはいつも太陽の方向を向いていることから「向日葵(ヒマワリ)」と呼ばれるようになった、という話は有名ですが、実はヒマワリが動くのは花を咲かせる前の伸長・成長をしている時で、ちょうど花を咲かせる頃には動かなくなるのだと。ヒマワリは、花を咲かせる前の成長期に、若い葉が付く茎の先端部分を太陽の方に傾けます。この動きにより、より多くの光を葉に当てることができます。ヒマワリを太陽の方向に向けないように固定すると、個体全体の乾燥重量が13%減少し、葉の面積も9.7%減少したという研究結果が得られているとのこと。つまり、ヒマワリは、たくさんの太陽エネルギーを得て光合成をし大きく育つために、小さい頃から開花する直前まで太陽を追いかけているのです。ズームして。さらに。そして我が?ミツバチを発見。ミツバチは花粉を求めてヒマワリに訪花しているとばかり思っていたが、以前に、フランスを旅行した時に「ヒマワリ蜜」があることを知ったのであった。「南仏オーガニックはちみつ(ヒマワリ、ラングドック産、125g)」そしてフランス語で「MIEL」とは「蜂蜜」であることをこの時に知ったのであった。大谷翔平選手が本塁打を放った後、大量のヒマワリの種を顔にかけられ手荒い祝福を受けるシーンがいつもテレビで。ドジャースに今季加入したT・へルナンデスが発案したパフォーマンスだと。ヒマワリの種は大リーグの球場ではベンチに一般的に置いてあるお菓子だと。私も、若い頃、中国の各地に出張した際、会議のテーブル上にこのひまわりの種が、お皿の中に山のように積まれ、中国人がお茶菓子代わりに口に含み、見事に口の中で殻を割り、床にペッペペッペと吐き出し、床が殻だらけになっていた記憶を懐かしく思い出しているのです。中国では食べるヒマワリの種を「瓜子(guāzǐ)」と呼び、とにかくいろいろな場所でその当時は目にするのであった。いろいろな味があるようだが、あまり美味いとは思わなかったが。これがその時の写真。ネットで見るといろいろなヒマワリの種を購入できると。興味のある方は、TRYしてください。 ・・・おわり・・・
2024.07.22
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国道135号沿い、サンビーチから続く「ムーンテラス・親水公園」は、北イタリアのサンレモ市が熱海市の姉妹都市であることや、海岸沿いの地形が似ていることから、地中海北部のリゾート地をイメージして整備されている。また、夜間のライトアップは、夜のデートスポットとしても人気がある。海上に大きく突き出した展望テラスで、姉妹都市イタリアを思わせるリゾートムードが漂う。潮風を感じながら散策したり、沖を走るクルーザーを眺めたりと、海辺の風情を満喫できる。「恋人の聖地」に認定されており、テラス尖端にある噴水前には恋人たちが愛を誓い合うことのできる石のモニュメントも。ライトアップされてロマンチックなムードになる夜もおすすめ と。航空写真をGoogleマップから。熱海~伊豆大島、神津島を航行する「セブンアイランド 友」の姿が。全長27 m、総トン数164 t。旅客定員数は254名。2013年4月1日に就航、1989年竣工以前は、鹿児島商船「トッピー1」として鹿児島・指宿・種子島・屋久島航路に就航しました。馬力は3,800馬力×2、最大速力43.0kt(knot・ノット)。ノット (knot 記号: kn, kt)は、速さの単位であり、1ノットは1時間に1海里 (1852 m) 進む速さである。よって最大速度43.0kt≒80km/hrで運行していると。再び「熱海サンビーチ」そして高層マンション群を見る。国道135号からの石段の壁には多くの種類の魚たちが。巨大なマンボウや亀の姿が。ムーンテラスの曲線が印象的な石のアーチを過ぎて突端まで行くと噴水のモニュメントがありその下に石碑があるのだ。それぞれのアーチの先端で海鳥が羽を休めていた。熱海城を見上げて。ズームして。「熱海ムーンテラス」の「恋人の聖地」 のモニュメントをズームして。塔の頂から水が流れ落ちて。廻り込んで。熱海市の鳥「カモメ」をイメージしたデザインらしい。テラス尖端にある噴水前には恋人たちが愛を誓い合うことのできる石のモニュメントがあった。このモニュメントの前に立つときには、ちょっとした作法があるそうです。モニュメントを後ろにして、男性が向かって左に女性が右に立ち、背中の方で手と手をクロスさせながら、手形に手を置き、お互いに思いを伝え合うそうです。「恋人の聖地Yumi Katsura Lover's SanctuaryHere I declare this land as "Lover's Sanctuary" to impart the joy and themagic ofencounters, blissful marriages, and raising a happy home, I send my blessings to yourencounters and wish you a wonderful future.SINCE 2006Bridal Mother 桂由美NPO法人地域流性化支権センター」熱海城を背景に「恋人の聖地」 のモニュメントを。「スパ・マリーナ熱海」を見る写真左に恋人たちが愛を誓い合うことのできる石のモニュメントが。北方向に向かって進む。円形中央に東西南北の表示があり、その先に世界の都市名が記載されていたようであったがかなり傷んでいたのであった。丸い地球儀をイメージした中には、「シンガポール」、「カイロ」、「カスカイス」、「サンレモ」、「中国 北京」等の名前があった。廻りこむと「ニューヨーク」、「テオティワカン」、「リオデジャネイロ」、「ロトルア」、「シドニー」と。南側から「恋人の聖地」 のモニュメントを。「熱海後楽園ホテル」を中央に。豪華クルーザー。プレジャーボートのうち、サロンクルーザー、メガヨット、ギガヨットと呼ばれているものの通称。一般的に25フィート(7.62m)以上の船舶で、サロンまたはラウンジ、トイレ、キッチン(ギャレー)、ベッドルーム、シャワーなどの「居住空間と居住設備」を備えたレジャー用のヨットやボートを現す言葉である とウィキペディアより。「VISIONARY Ⅴ」と。「VISIONARY」とは「夢想家 空想家」と。反対側・南側には日本の都市名が。「スカイデッキ」を見る。「釜鳴屋平七夫婦像」方向を見る。アーチの先端には海鳥?の姿が。「スカイデッキ」の下段の「レインボーデッキ」を駐車場方向に歩く。再び「スパ・マリーナ熱海」に停泊中のクルーザを見る。そして駐車場近くの「アガパンサス」の花を追う。アガパンサスはこの時期、さわやかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美しく、厚みのある革質の葉が茂る様子には力強さも感じられます。こちらも南アフリカに10~20種ほどの原種が自生し、交配などにより300以上の園芸品種が育成されているとのこと。性質が強く、植えっぱなしでほとんど手がかからないので、公園などの花壇やコンテナの植え込みに利用され、また切り花としてフラワーアレンジメントにも使われているとのこと。近づいて。「アガパンサス和名 紫君子蘭(むらさきくんしらん) 別名 アフリカンリリー原産国 南アフリカ開花期 6月~ 8月科属名 ヒガンパナ科アガバンサス属梅雨の時期に花開くアガバンサスは、紫や白など涼しげな色合いで見る人を和ませてくれます、西洋では「愛の花」とされ、恋や愛にちなんだ花言葉を持っています。多年草で細長く伸びた茎の先から放射状に花を咲かせ草丈は3 0 ~ 1 5 Ocmまで成長します。」そして、今年の「ジャカランダ」の花の見納めに再び、最初に見た駐車場近くの樹を。今年も紫色の花をブドウのように房状に咲かせ、葉の緑と花の紫がとても美しい熱海海岸のジャカランダの花を大いに楽しんだのであった。東海岸町のお宮緑地が「ジャカランダのプロムナード(散歩道)」となっており、独り占めの如くに楽しむことが出来たのであった。ジャカランダの花が咲くこの季節には、ジャカランダの樹の下を歩くと、足元には紫の花びらが絨毯のように広がっていたのであった。その上を歩くと、まるで花の海を漂っているかのような気持ちにさせられます。花の香りもまた、甘く優しく、心を落ち着かせるのであった。鮮やかな青紫色の花びらは、まるで絵画のように華やかで、遠くからでもその存在感を放つのであった。この日の如くに初夏の陽光に照らされると、花々はまるで空から降り注ぐ紫の雨の如くにも見え、風に揺れるたびに心を奪われるのであった。最後にカメラの設定を変えて。近づいて花をよく見ると、一つ一つの花は小さな鐘のような形をしており、その中に繊細な模様が浮かび上がった。さらにズームして。淡い紫から濃い紫へのグラデーションは、まるで絵画のような美しさ。花びらが風に舞う様子は、儚さと美しさが一層引き立つのであった。最後に、こちらが、南アフリカの首都・プレトリアのジャカランタの並木。熱海のジャカランダは、残念がら花のボリュームより葉のボリュームが多いのだが。これも天候、土地の質等が微妙に影響するためと。熱海の「ジャカランダ」の花には多くの葉が同時にあり残念だが。一度、この写真の光景を見に行きたいと思っているのだが・・・無理!!せめて「宮崎の日南市」のジャカランダでも!! ・・・もどる・・・ ・・・おわり・・・
2024.07.22
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「熱海サンデッキ」から「熱海城」をズームして。白い建物は「熱海後楽園ホテル」。そして「初島」、「熱海港防波堤灯台」を見る。 「初島」は熱海の南東に浮かぶ島。高速船で熱海からわずか30分で辿り着く、家族連れに人気のリゾートアイランド。古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もあると。熱海市本土から南東に約10 kmの位置にあり、人口193人、114世帯。住民のほとんどは島の北部に位置する宮の前地区に居住していると。「初島」👈️リンク をGoogleマップから。◯が島の北部の居住範囲。島は伊豆半島東部相模湾海上に浮かぶ島。静岡県唯一の有人島で首都圏から一番近い離島として知られています。全て火山島である伊豆諸島と違い、海底が隆起して海上に姿を現した海成段丘(隆起と海水の浸食によって出来た地形)の島と言われています。現在初島灯台が建っている第1段丘(島内最高地点:海抜約50m)付近は、地質学的な調査によると2万年ほど前に海上に姿を現したと言われています とネットから。「熱海サンデッキ」から山の斜面に建つ高層マンション群を振り返る。「熱海サンデッキ」のタイル画。子供とハートをイメージしたオブジェ。その先には「熱海港防波堤灯台」と「初島」の姿が。近づいて。「ホスピタリティーそれは、もてなしの心人を思いやる心・人を愛する心です私たちの前で手と手をとり合って下さいきっと愛が大きく翔くでしょう愛・・・・・・それは熱海の心です」と辛うじて判読。海岸を背にして「坪内逍遥の句碑」があった。「海なぎぬ 冬知らぬ里の やぶ椿 せいえう」碑のバックは藪椿であろう。再び「熱海サンデッキ広場」から。「ジャカランダ遊歩道」に戻ってさらに進む。再び陽光に映える「ジャカランダ」の花を追う。青空に映えて。そして「ジャカランダ遊歩道」の南側入口まで戻る。ブーゲンビリアをこれでもかとカメラで追う。そして再び国道135号沿いの石版絵画をカメラで追う。「中山晋平記念館「大衆音楽の普及に大きな役割を果たした作曲家中山晋平の業績を偲び、晋平が晩年を送った住居をそのままの形にて遺品とともに梅園内に保存されています。」「大湯間歇泉「お湯が音とともに噴出し、周囲に湯気とイオウの臭いを立ちこめる大湯間隙泉。関東大震災により噴出が不規則になり現在は復旧工事にて人工間歌泉となった。」「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになった」と。「澤田政廣記念館熱海が生んだ芸術家澤田政廣。九十三年間の生涯における作品は、木彫、油絵、陶芸、書、リトグラフ等と極めて多彩であり、津田芸術の集大成がここに展示されています。」「熱海が生んだ芸術家 澤田政廣。九十三年間の生涯における作品は、木彫、油絵、陶芸、書、リトグラフ等と極めて多彩であり、澤田芸術の集大成がここに展示されています。」「伊豆山神社伊豆に流されていた源頼朝と北条政子が、ここで忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様として人々に親しまれているロマンあふれる神社です。この「伊豆山神社」👈リンク は昨年2019年2月に訪ねたのであった。」「いずに流されていた源頼朝と北条政子が、ここで忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様として人々に親しまれているロマンあふれる神社です。」ブーゲンビリアを横から。「釜鳴屋平七夫婦像」への遊歩道の石段手前にあったオブジェには「アタミ サンビーチ」と。「遊歩道」から背の低い「ジャカランダ」に再び近づいて。「熱海サンビーチ」。遠く真鶴岬の姿が。まだ人の姿はなし。時間は9:15。真鶴岬の「三ツ石」をズームして。国道135号の擁壁沿いを歩く。木の先端にジャカランダの花が。そして「親水公園・ムーンテラス」を望む。地中海北部のリゾート地をイメージした「親水公園」内のテラス。サンビーチから南に続く親水公園の一画に、多目的トイレやベンチ、モニュメントなどが設置されている。青い海と白い砂浜が続くサンビーチとムーンテラスは「恋人の聖地」に認定されており、テラス先端に設置された噴水は恋人達が愛を誓い合う場として有名だ。夜にはテラス全体がライトアップされ、ロマンチックなムードが漂うのだ。国道135号の擁壁を背に。そして「釜鳴屋平七(かまなりやへいしち)夫婦像」に到着。ズームして。さらに。「安政のころ、釜鳴屋平七はこの浜に起った漁民一揆の先頭に立った罪に問われ八丈へ遠島の途中大島で死んだ。人間平七の無死愛人の足跡が熱海の歴史を語っている。八十五歳武者小路実篤」と。「釜鳴屋平七安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元たちのひどいやり方に反対し漁民側に同情、網元から脱退、漁民に見方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。このため、平七は漁民二百五十余人と共にムシロ旗を立てて韮山代官所に押しかけ、平七は役人の制止を振り切って代官江川大左衛門に訴状を差し出しました。代表者平七ら七人は捕らえられ、首謀者とみらされた平七は島流しの刑を受け、文久三年十月(1863年)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島におろされ、十一月四日三十五歳で亡くなりました。漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることができました。星露百余年、今なお大衆の心に生きる義人平七の魂はここに眠っています。」そしてこちらは「熱海市名誉市民橋田壽賀子 顕彰碑大正十四年京城(ソウル)生まれ。戦後映画界で、女性脚本家の草分けとして執筆を開始。後に黎明期のテレビに活躍の場を移し、ドラマの発展を支えた。日本人の心と家族の絆を温かく描き、多くの視聴者に感動を与え、愛された。ドラマは海外でも放送され、文化を超えて高評価を得る。壮絶な戦争体験から物語には平和への祈りも込められた。熱海を慈しみ、この地で多くの作品を生み出した。熱海市名誉市民、テレビ界で初の文化勲章を受賞。従三位。主な作品おしんおんな太閤記春日局愛と死をみつめて女たちの忠臣蔵源氏物語渡る世間は鬼ばかり 橋田壽賀子。」 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.07.21
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さらに熱海・お宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。「ジャカランダ」はノウゼンカズラ科の低高木で、中南米原産。淡い紫・藤色に輝き、異国の情緒を漂わせる「ジャカランダ」。ここ静岡・熱海や宮崎・日南など日本の数カ所でも「ジャカランダ」の花で名所づくりをしているが、都内以南がおそらく開花の北限になるようだ。極めて美しいブルーの花を50花以上、ブドウのように房状に咲かせているのであった。さらにズームして。南アフリカのツアーが最も人気が出るのがジャカランダの時期・10月。プレトリアでは街全体が紫色に染まり、まるで花のトンネルをくぐっているような気分に!。日本の桜の「青紫」版である とネットから。右手前方にユニークな鍵穴の如き造形の石であったが、説明書き等はなかった。正面から。熱海城を背景に。更にジャカランダの花を追いかける。椰子の木を見上げて。そして前方に「ジャカランダ遊歩道」の出口・北側からの入口が姿を現した。ズームして。ラッパのごとき藤色の花。その形がファンファーレを吹くトランペットを連想させることから「栄光」「名誉」という花言葉がつけられたと。その神秘的な紫色は高貴な色とされ、王室をイメージするとも。さらにズームして。「ジャカランダ遊歩道」の出口・北側からの入口もブーゲンビリアに覆われて。「ギンバイカ」も咲き乱れて。近づいて。「ギンバイカ」は、芳香があるかわいい白い花を枝先に開花させる常緑低木の花木。ハーブとしてマートルの名前でもよく知られていると。葉には油腺があり、葉をたたいたりもむことでフルーティーな芳香が放たれるのであった。「ジャカランダ遊歩道」の出口・北側からの入口には「ATAMI ジャカランダ フェスティバル」と。「ジャカランダ遊歩道◆ジャカランダ詳細世界三大花木(カエンボク・ホウオウボク・ジャカランダ)の一つで、いまでは熱海の初夏を告げる花となりました。街路樹がジャカランダなのは温暖な熱海だからこそ。本州ではめずらしい風景です。また、ジャカランダの日本での認知度は、海外のリゾート地への渡航者の増加に伴って広がりつつあります。熱海での開花は折しも傘の花開く梅雨シーズン。ラッパの形をした小さな青紫色の花がブーケのように熱海の梅雨空を彩ります。●形質 ノウゼンカズラ科の落葉高木~低木。葉は優美なシダに似た2回羽状複葉、花は藍色 または青紫色が基本でピンクや白色もある。落葉だが春先まで葉を着けることが多い。●原産地 南米の熱帯~亜熱帯地方原産で約50種が知られる。●分布 世界の熱帯、亜熱帯の乾燥地帯を中心に栽培される。国内では関東南部~沖縄まで 栽培事例あり。●生育環境 凍障害を受けない温暖な土地で、かつ日照の多い比較的乾燥地を好む。●開花特性 国内では花より葉が先行して出芽する。花数も相対的に少ないため樹冠全休が花で 覆われることは少ない。」熱海の風景をテーマにしたお宮緑地の石碑を楽しみながら歩く。「長谷寺山門」。熱海にも「長谷寺」👈️リンク があることを以前に知ったのは、この絵画から。ブーゲンビリアを見上げて。熱海市と姉妹都市関係(1990年~)にあるカスカイス(ポルトガル語: Cascais )は、ポルトガルのリスボン県の都市である。ユーラシア大陸最西端のロカ岬へのバスがここから発着している。2019年にポルトガル・ロカ岬を訪ねた際に絶壁上に立っていたロカ岬のシンボルの十字架のモニュメントにも同じようなよく似たカスカイスの紋章が刻まれていたのである。ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり 海始まるAQUI ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA」を刻んだ石碑であった。椰子の巨木を何度も見上げて。「ジャカランダ遊歩道」を引き返して。青空に映えるジャカランダの花。「錦浦景勝熱海の景勝地の一つ。伊豆の玄関、魚見崎の南から約1キロメートルに及び断崖が続く名勝。(魚見崎~錦ヶ浦~曽我浦は約2キロメートル)太陽がのぼるとき、光が浦にそそいで眩しい五色の光となって輝くことから、京の錦織の名をかりて「錦ヶ浦」と呼ぶようになりました。熱海多賀火山の名残を残し、源頼朝、加藤清正などの歴史的人物に由来する伝説も残されています。崖の高さは80メートル。荒波が刻んだ兜岩・基盤岩・烏帽子岩・弁天岩など奇岩が並び、海上には初島や大島が浮かびます。」とネットから。再びはユニークな形の石造りのオブジェが現れた。淡いピンクの百合の花。近づいて。この時間は観光客の姿は少なかった。雲のゆっくりと流れて。再び「ブッドレア ブラックナイト」とのコラボを。別名は「房藤空木(フサフジウツギ)」。原産地は中国である。日本へは明治時代にヨーロッパで改良されたものが渡ってきた。ブッドレア・ブラックナイトはそうした園芸品種の1つである。特徴は花の色が濃い青紫色をしていることである。樹高は1メートルから3メートルである。葉は卵状の楕円形で、向かい合って生える(対生)。葉の裏面には毛が密生していて白い。開花時期は7月から10月である。細い枝を広げて円錐花序(枝分かれして全体が円錐状に見える)を出し、紅紫色の花をたくさんつける。花は上側に向いて咲くので下面には少ない。花はよい香りがする。花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。全体にサポニンを含み有毒である。」とのネット情報。以前、日比谷花壇大船フラワーセンターでも見た記憶があるが。ズームして。「サンビーチ 花火大会熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり、花火業者さんも絶賛する日本一の花火打上会場です。 夜空に広がる花火や、水面に映る花火、そして、フィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」の美しさは、瞬きを忘れるほど!心にずっと残る思い出ができる、熱海ならではのイベントです。」と。「熱海サンビーチ案内図」。以前に訪ねた「来宮神社 👈リンク来福・縁起の神として古くから信仰されている來宮神社。本殿横には国の天然記念物にも指定された樹齢二千百年、幹の太さは24メートルの大楠の御神木があり、パワースポットとしても有名です。幹を一回りすると一年寿命がのびると伝えられており、この木の生命力にあやかろうと長寿・病気平癒・健康祈願の参拝者が多く訪れます。また、願い事のある人は、思うことを誰にもいわず一回りすると願い事がまとまる、とも言われています。夜はライトアップされ、朝、昼、夜とそれぞれの表情が楽しめます。例大祭は毎年7/14~16に開催されます。」と。「熱海♨観光 案内マップ」。再び現在の「お宮の松」を。「お宮の松」案内板。遊歩道にも巨大な「お宮の松」の絵が刻まれていた。案内板は英語・日本語版が並んで。「明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から5年半に亘り読売新聞に連載されたちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こした。ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子富山唯継に見染められた。しかし、宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらず、宮の両親はそれを承知の上で富山の求婚を受け入れたことにはじまる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌 熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限りが広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになり、今日、国際観光温泉文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に金色夜叉が大きなきっかけになったのは言うまでもありません。金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「一月の十七日来年の今月今夜は、貫一は何処で此月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・・十年後の今月今夜・・・・」の名台詞と共に、歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。紅葉は、37歳の若さで死去し金色夜叉はついに未完に終わったが、紅葉の死後、彼の残した「腹案覚書」をもとに紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成された。熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われます。貫一お宮のブロンズ像は、熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものです。 平成元年五月吉日 寄贈 熱海ロータリークラブ」。「梅見の滝熱海市の全国的に知られる観光名所である「熱海梅園」内にある、四季の移ろいが感じられる滝。」「姫の沢公園「姫の沢公園」は、市街地中心部より北西約5キロメートルに位置し、四季を通じて花と緑を楽しんでもらうように造られた自然を基調とした総合公園であり、園内には、四季折々の花木はもとより、アスレチックコースなどが整備され、家族連れで自然に触れ合いながら一日中楽しむことができると。」「貫一お宮尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の名場面。主人公貫一とお宮の別れ場面に熱海海岸が登場し一躍有名になった。現在の像は昭和60年に建立された。」そして「サンデッキ広場」への石段まで戻る。石段を上って。「サンデッキ広場」から国道135号沿いのビル群を見る。遠く山の中腹に「熱海城」の姿が。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.07.20
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熱海のお宮緑地(ジャカランダ遊歩道)の散策を続ける。椰子の並木と「ジャカランダ」のコラボ。こちらは比較的花のボリュームが多い「ジャカランダ」。見上げて。ここにもキバナランタナが。椰子の木とのコラボを追う。紅葉?した葉も。「カスカイス市・熱海市国際姉妹都市提携記念植樹ジャカジャランダ(ノウゼンカズラ科)平成2年(1990)7月2日」カスカイス市は、ポルトガル・リスボンから1時間足らずの美しい国際的なリゾート。太陽海岸(コスタ・ド・ソル)と呼ばれる美しい海岸線を持ち、マリンスポーツやゴルフ、乗馬が楽しめます。豪華なホテルやレストラン、カジノなどが並び、欧州最西端のロカ岬への観光の拠点にもなっています。もともとのどかな漁師町でしたが、19世紀後半にポルトガル国王ルイスI世が夏の離宮を造営したことから、貴族たちの別荘建設ラッシュにつながりました。こうした街の発展のしかたは、御用邸の建設を機に政財界の大物や文豪が別荘を構えるようになった熱海とも、ちょっと似ています。熱海市とのご縁の始まりは、ポルトガルに柔道を伝えた日本人柔道家を通じた交流の提案で、平成2(1990)年から姉妹都市。提携を記念して熱海市内の海岸沿いの緑地に植えられたジャカランダは、カスカイスを代表する木です と。カスカイス(カシュカイシュ)はここ○ブットレア・ブラックナイト。ジャカランダ遊歩道から駐車場へ下る石段の壁のステンドグラス風の色彩が美しかった。再び椰子の木を見上げて。熱海市の汚水マンホール。明治時代に熱海温泉を一躍有名にした尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の名場面と「お宮の松」、そして背景の夜空には「花火」を図案化したもの。「AAY380タイムカプセル」。「AAY380タイムカプセルこのカプセルは昭和59年10月1日より昭和60年3月30日の間、熱海梅園開園百年等の記念すべき節目の年を迎え、この年を「明日へ向けての熱海観光元年」としATAMI ANNIVERSARY YEAR380(AAY380-熱海380記念祭)と名付け開催された数々のイベント等の記録を収納したものです。21世紀、市にとって最良の日に後継者により、オープンされますことを期待しここに設置いたします。昭和61年7月13日 熱海市長 内田 滋」。「サンデッキ広場」の植栽の間を歩くと左手にもベンチとタイル画があった。「熱海八景画家、山本光一は天保13年(1842)江戸下谷に生まれた。名は信敬。明治36年(1903) 10月6日、61歳で歿した。墓は臨済宗南禅寺派の月州寺(東京都台東区童泉2丁目2ー15)にある。山本家は代々江戸で儒学を教授していたが父素堂は二男て画もまたよくし、生歴を画家として終えた。光一の兄、学半も画家を志した。詳細は2人とも不明である。光一は熱海の風土が好きだったにちがいない。度々来遊して、明治21年には、「熱海梅園之図」と「改正熱海市街全図」を、翌22年には「伊豆の浦づたい」と題する絵入りの和綴本を刊行し、熱海の紹介に努めている。この「熱海八景色紙」は明治21年の刊。八景とは、かって成島柳北(1837 ~ 1884)が選んで話題となっていた景勝の地8ヵ所、すなわち梅園の春暁、来宮の杜鵑、温泉寺の古松、横磯の晩涼、初島の漁火、錦浦の秋月、魚見崎の帰帆、和田山の暮雪、を版画にしたのであろう。現今の風景と比べて興味津々たるものがある。今を去る90余年前の熱海である。 「1980年熱海八景色紙」より」」ここにも陶板画が。温泉寺松明治21年に描かれた山本光一の熱海八景。「ルリマツリ(プルンバゴ)」の花であろうか。こちらは朱色のカンナの花。ズームして。反対側の壁にも美しい造形が。クジャクサボテンの真っ赤な花。「サンゴシトウ(珊瑚刺桐)」。名前の由来。 赤くいっぱい咲く花 → 「珊瑚」 枝葉に少々トゲあり → 「刺」 葉っぱが桐みたい → 「桐」と。ズームして。「サンゴシトウ(珊瑚刺桐・珊瑚紫豆)」。別名 ヒシバデイゴ(菱葉梯梧)、Coral tree (コーラル・ツリー)原産国 東南アジア、アフリカ開花期 6月~ 8月花言葉「夢」「活力」分類名 マメ目マメ科デイゴ属アメリカデイゴとエリスリナ・ヘルバケアとの交配種で、赤い刀型で筒状のまま花を咲かせます。花名は、珊瑚のような色、枝や茎に刺があり、葉が桐に似ていることからから名付けられました。」ピンクのランタナ。「キング・プロティア」。開花すれば。「キング・プロティア学名 プロテア・キナロイデス分類名 ヤマモガシ科プロテア属樹高 1 m ~ 3m程度原産地 南アフリカ開花期 4月~ 10月花言葉 王者の風格 甘い恋プロテアは花の王様と賞賛される南国の常緑低木で、花名な自由に姿を変えることができるギリシャ神話の海神プロテウスが由来。南アフリカには多種類のプロテアが自生しており、中でもこの「キング・プロテア」は花が大きく優雅であることから南アフリカ共和国のシンポルであり国の花となっています。」「貫一お宮の像」。近づいて。心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が。「尾崎紅葉記念碑」。尾崎紅葉の写真。「この像は、明治時代の新聞連載小説、尾畸葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。ニ人の心の擦れ達い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません。是非、この小説をご一読いただき、ニ人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけましたら幸いです。」台座には館野弘青(たてのこうせい)作と刻まれていた。」「尾崎紅葉(1867~1903)森鴎外等と並び明治を代表する文豪。胃癌のため35才の若さで惜しまれつつ世を去ったが、晩年、読売新聞紙上に連載した恋愛小説「金色夜叉」が日本全国の読者の熱狂的支持を得て、その舞台となった熱海海岸は一躍全国に知れわたった。以来。熱海市は国際観光温泉文化都市を標榜し、全国有数の観光地として大きな発展をとげ、今日に至っている。熱海市民は、尾崎紅葉先生の業績に感謝するとともに、その遺徳を偲び「金色夜叉」の「来年の今月今夜のこの月を」の名科白で有名な貫一・お宮の別離の日、1月17日を記念日と定め、尾崎紅葉祭を開催している。」「「お宮の松」の由来お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、智恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。1897(明治30)年から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、1919(大正8)年熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立された。この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。1949(昭和24)年、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等によりとうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2メートルの場所にあった)。市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、1966(昭和41)年現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。「お宮の松」の樹齢は、2001(平成13)年現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になります。」「お宮の松」案内板。「紅葉山人紀年 金色夜叉の碑」。「宮に似た うしろ姿や 春の月 風葉」と。現在の「おみやの松」。「初代のお宮の松」。近づいて。現在の松は1966年(昭和41年)に植え替えられた2代目で、樹齢300年を超える初代の松は切り株へと姿を変えて2代目の隣に展示されていた。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.07.19
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車を降り散策開始。「熱海城」が山の中腹?に。ズームして。熱海城は、静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。市街地や南熱海を一望できる熱海市内有数の絶景スポットとなっている。城郭は歴史的に実在したものではない。1959年(昭和34年)に海抜100mの位置に建てられた。外観5重、内部9階の日本の城郭に見られる天守を模して造られた鉄筋コンクリート造建築であり、天守閣風建築物である。浅野祥雲作による金鯱を戴く天守からは、熱海市街・初島・大島・相模灘を一望できる。晴れた日には6階にあるパノラマ展望台の望遠鏡から東京スカイツリーや横浜ランドマークタワーが見える。208本の桜が植えられ、3月下旬から4月上旬にかけて「熱海城桜まつり」が開催される。1962年(昭和37年)公開の映画『キングコング対ゴジラ』や1967年(昭和42年)公開の『大巨獣ガッパ』などにも舞台として登場した。かつては地下に温泉施設があり、隣接する離れは宿泊棟だったが共に閉鎖された。現役の展望台真下には古い展望台がそのまま残る とウィキペディアより。「糸川」に架かる「熱海渚橋」を見る。この「糸川」沿いに咲いた「熱海桜」👈️リンク を1月31日に楽しんだのであった。しして「ATAMI ジャカランダ フェスティバル 2024」が行われていた。紫に彩る熱海の初夏の風物詩6.1(土) ~6.16(日) ジャカランダライトアップ 期間中毎日 18:00~22:00 ジャカランダ遊歩道 ブーゲンビリアライトアップ 期間中毎日 18:00~23:00 糸川遊歩道まずは熱海海岸沿いを彩るジャカランダの花の散策開始。道路の反対側に咲く「ジャカランダ」の花。南米産のノウゼンカズラ科の「ジャカランダ」。ホウオウボク、カエンボクと並んで世界三大花木の一つに数えられている。紫色の花をブドウのように房状に咲かせ、葉の緑と花の紫がとても美しい落葉高木。熱海市には、国道135号沿い(東海岸町「ジャカランダ遊歩道」~渚町「親水公園」間の歩道、および親水公園内)に高木(見上げる高さ)と低木(目線の高さ)があったのだ。花色は紫、桃、白が有りますが、国内で一般に普及しているのは、ジャカランダの仲間で最も鑑賞価値が高いとされる、アルゼンチン原産のミモシフォリア種です。花色は薄紫色で、長さ5㎝くらいのラッパの形をした花を枝先に多数つけます。熱海のジャカランダも主にミモシフォリア種で、花の見頃は5月下旬から6月中旬頃です。この種は、生長すると幹の高さは15mにもなる高性種で、南米等を訪れた旅行者は、大木全体を覆い尽くすように咲く紫色の花々に鮮烈な印象を受けるようです。さらにズームして。既に落下している花びらもあった。「花が頭に落ちるとしあわせが訪れる」と言われる「ジャカランダ」の花。再び見上げて。別の花をズームして。国道135号から熱海市春日町の高台に立つ高層高級マンション「ザ・クレストタワー熱海」の姿を。地上30階建、全320邸であると。手前の写真左のピンクの建物は「ゼファー熱海ビーチタワー」。咲くか、咲かないか、その年になってみないと分からない花と。そんなちょっと気まぐれなジャカランダ。1990年に熱海市の国際姉妹都市、ポルトガルの力スカイス市から贈られた2本が、いまでは100本以上に。常夏の熱帯地域を中心に分布する世界三大花木は、いまでは熱海の初夏を告げる花となった と。熱海の海沿いでは、この6月になると、お宮緑地からサンビーチにかけて、ラッパの形をした小さな青紫色のジャカランダの花がブーケのように空を彩るのです。昔、アルゼンチンを訪れた時に見たジャガランダは日本のソメイヨシノの様に、花が咲いてから葉が開くのに、ここ日本・熱海のものは逆で、葉が開いてから花が咲くのだ。確かにサクラの様に咲けばより美しく迫力十分。なぜなのであろうか?ネットを調べてみると、下記のごときページがあった。「ジャカランダは、アルゼンチンが原産とされており、乾期に落葉して、乾期の終わりから雨期の初め頃に花が咲くようです。日本では、冬が乾期に当たり、春になって開花に至ると考えられます。葉をたくさん出すと乾燥には弱くなるため、原産地ではまず花が咲き、雨期になって十分に湿度が上がったことを感受して葉(新芽)を出すように適応していると考えられます。日本ではそこまで乾燥が強くないため、春暖かくなるとともに新芽が出るため、葉が先に成長すると考えられます。落葉樹木の多くは落葉前に花芽を作っており、その後の環境要因に応答して開花に至ります。サクラなどでは温度が開花時期を決める主要因となっていますが、ジャカランダの開花要因については詳しくは分かっていないようです。もっともサクラにおいてもソメイヨシノは花が咲いてから葉が出ますが、山桜などは葉が先に出ますので、ジャカランダも日本で開花できる品種の特性によるのかも知れません。」と。下の写真はネットから。これぞ本場の「ジャカランダ」。こちらは、オーストラリア・シドニーのジャカランダとネットから。こちらは熱海のジャカランダ。ラッパの形をした小さな青紫色のジャカランダの花がブーケのように。青紫色の花を初夏に咲かせる姿がキリに似ることから、キリモドキとも呼ばれる。ジャカランダの葉をズームして。新緑の如き葉はレースのような繊細な対性羽状複葉で、小葉は長楕円状ひし形で長さは1㎝程度。涼しげな草姿は観葉植物としても人気。ズームして。「ジョナサン 熱海サンビーチ店」前のジャカランダ。ズームして。国道135号を渡って。「熱海サンビーチ」を背景に。移動して。ズームして。後方に「熱海港防波堤灯台」。ジャジャランダをズームして。中央に、遠く真鶴岬・三ツ石を望む。「熱海サンビーチ案内図」。「現在位置」はここ。お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)がここからスタート。濃いピンクのブーゲンビリアもゲートフェンス上に。ズームして。濃いピンクのブーゲンビリアがアーチ状に。「キバナランタナ」の花。ズームして。「名称 キバナランタナ花期 1~12月花言葉 協力、厳格」お宮緑地(ジャカランダ遊歩道 約380m)入口を振り返って。「ブラシの木」の花も。「近宝樹・ブラシの木【花種】 フトモモ科ブラシノキ属【学名】 カリステモン(美しいおしべ)【原産地】 オーストラリア原産【開花時期】 5月中旬~ 6月中旬【花言葉】 はかない花」「ジャカランダ遊歩道」 を北に進む。「カシワバアジサイ」。近づいて。「ジャカランダ遊歩道」 沿いの「ジャカランダ」の花をカメラで追う。「竹灯篭」。スマホ用撮影台も設置されていた。この先にも。夜になれば・・・(ネットから)。ジニア・ヒャクニチソウ(百日草)。ジニア=百日草であることを最近知ったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.07.18
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この日は6月11日(火)、下の姉が熱海のジャカランダの花を見て来たと写真をLINEで送ってくれたので、私も見に行くこととした。デジカメを我が愛車のダッシュボードにセットし、リモートスイッチでシャッターを押せる用にして、7時過ぎに我が家を出発。藤沢バイパスに向かって善行地区を進む。新湘南バイパス・茅ヶ崎料金所を通過。この日は富士山の姿は見えなかった。前方に、「湘南ベルブリッジ」が姿を現した。本橋は、新湘南バイバスの茅ヶ崎海岸I C付近に位置し、相模川の支流である小出川を鋭角に渡河する橋梁。新湘南パイバスは風致地区を通過するため、湘南のもっイメージや周辺環境と調和した道づくりを目指して計画されたと。とくに本橋は湘南海岸へのゲートとなり、この路線のランドマークとしての役割が期待されて造られたと。橋の長さは246.5m。そして国道134号に出て、相模川を渡る。橋の名は「トラスコ湘南大橋」。橋に手前から「平塚市」になっている。相模川の河口流路が変化していた歴史をしめすものであろう。現在の相模川下流部はかなり直線的な流路になっているが、かつては激しく蛇行を繰り返し、かつ河口部は現在よりかなり東寄り(茅ヶ崎市寄り)を流れていたことが知られているのだ。「大磯ゴルフコース」横を通過。梅澤海岸にある、二宮漁港物揚場を左に見ながら進む。橘料金所手前から箱根の山々の姿を見る。橘料金所を通過。「西湘バイパス」は、西湘二宮ICから箱根口ICおよび石橋ICまでの区間は中日本高速道路管理の一般有料道路である。下り線は、この手前の「橘IC」で降りれば、料金は無料なのだ。国府津駅前を右に見ながら進む。正面右に箱根の二子山、左に伊豆半島の姿が。酒匂川を渡り、早川IC手前を通過。真鶴道路方面に向かう。「小田原ブルーウェイブリッジ」を渡る。石橋料金所を通過し、国道135号へ。前方に「真鶴半島」を見ながら進む。海岸沿いの国道135号を進む。正面に「根府川隧道」。「地魚ごはんと海の幸 浜ゆう」横を通過。「屏風岩隧道」手前。有料の真鶴道路(真鶴ブルーライン)には入らずに一般道・国道135号を進む。JR真鶴駅前を通過。湯河原町「吉浜海水浴場」手前を通過。「湯河原駅入口」交差点を通過。有料道路「熱海ビーチライン」手前。一般道・国道135号を進む。国道135号・朱の橋「逢初橋(あいぞめばし)」が前方に。「治承2年(1178)の夏、北条政子は親の定めた山木判官兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜に頼朝を慕って宴席を抜け出し、ここ伊豆山へ逃れ、足川の地に隠れました。当時、伊豆の蛭ケ小島に流されていた源頼朝はその日伊豆山密厳院の院主で頼朝の師匠であった阿闍梨 覚淵の坊にいましたが、知らせを受けて頼朝と政子が劇的な対面をしたのが逢初橋と言われています。一般的には、伊豆山温泉入り口の国道135号に架かる朱色の橋が逢初橋となっていますが、本当の逢初橋は御岳社の森に架かっている橋であるといわれています。 伊豆山温泉観光協会」2021年7月3日の熱海市伊豆山土石流災害にて上記本物の「逢初橋」は流出してしまい、その土石流は、ここ国道135号の「逢初橋」👈️リンク まで押し寄せて来て、約1ヶ月、国道135号が通行止めになったのであった。前方の山の斜面に白亜の高層マンション「熱海サニーハイツ」が姿を現した。そして前方に「熱海城」の姿も。熱海サンビーチが近づいて来た。「春日町」交差点を通過すると熱海湾の姿が。左手には熱海城、その下に熱海後楽園ホテル。「貫一お宮之像」を左手に見ながら、熱海サンビーチに沿って進む。そしてこの先の一方通行の国道135号に左折して進み、目的地の「熱海市営 第一親水公園駐車場」に到着し、車を駐めたのであった。時間は8:25。自宅から約1.5時間で到着したのであった。 ・・・つづく・・・
2024.07.17
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車で移動し「鷹匠橋」を渡り、車を停めて橋の袂まで戻る。橋の名は「鷹匠橋」。徳川時代に将軍が鷹狩りをする目的で、藤沢御殿が造られた。現在の藤沢市民病院の側であった。その関係で、藤沢の辺りには鷹匠も住んでいたと。このことから市民病院北東の境川にかかる橋は、『鷹匠橋』と名付けられているのだ。歴史を感じさせる橋名。藤沢市内にはもう一つの「鷹匠橋」がある。こちらは「伏見稲荷大社」に向かって進むと引地川に架かる橋であり「大場鷹匠橋」と呼ばれているのである。よって正確には「鷹匠橋」はこの橋のみなのであるが。「鷹匠橋」から「境川」上流を見る。「境川」に架かる「大清水橋」の上流約500mの場所までは「境川」が藤沢市と横浜市の境界になっているのだが、そこから南側は藤沢市が大きく「境川」を超えて、東に広がり鎌倉市と境界を作っているのである。「鷹匠橋」から「境川」の川面を見下ろすと、亀の姿が。「ニホンイシガメ」の雌であっただろうか?体長25~30cm?。そして「境川」沿いにある「大清水境川アジサイロード」を見る。ズームして。「鷹匠橋」の欄干のデザインはスミレの花であろうか。別の場所のステンドグラス風の絵。「さかいがわ」と。ここにも4枚のステンドグラス風の絵の1枚が。藤沢市民病院を見る。その手前に国道1号・藤沢バイパスに架かる「境川大橋」。再び「境川」の上流を見る。「境川」と漢字で。ここ「境川の右岸」にも多くのアジサイが植えられていたが、数年前に、「県道451号線藤沢大和自転車道線」の拡張工事の為に抜かれてしまったのであった。そして愛車に戻り帰路に。前方に見えたのが「横浜水道境川水路橋」。神奈川県と共同で運用している寒川取水ぜきから取水し、横浜市戸塚区の小雀浄水場まで約12.4Kmの導水路の1部である。そして「花應院」の先で車を停め、再びアジサイをカメラで追う。装飾花・ガクの小さなアジサイ。こちらは鮮やかなピンク。このアジサイも白の装飾花・ガクが細かく。近づいて。紫のアジサイ。近づいて。こちらは装飾花・ガクの花びらが多いのだ。こちらの装飾花も。装飾花・ガク片が大きい。「スイセンノウ」。そして帰宅して、ご近所の白の「カシワバアジサイ」。葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来。花は円錐状あるいはピラミッド型に付く独自の形状をしており、5月〜7月に真っ白い花を付ける。八重咲きと一重咲きがある。一般のアジサイとは異なり全体の印象としては木のボリュームに比し、花が少ないのが特徴。葉には切れ込みがあり、秋には紅葉する。そしおて見事な色合いのアジサイも。近づいて。紫の装飾花のまん中にも小さな青い花が咲いているのだ。そして我が家のブルーのアジサイ。今年は例年になく花の数が多いのである。剪定の強度の影響か?近づいて。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2024.06.10
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この日6月3日(月)の朝は5時半過ぎに目が覚め起床。天気が良かったので、車で10分ほどの場所にある「大清水境川アジサイロード」に今年も向かう。藤沢市と横浜市戸塚区の境を流れる「境川」の岸に植栽されているアジサイ群。「大清水境川アジサイロード」と呼ばれている。地域住民が自宅の庭などで育てたアジサイを植栽したもので、毎年、アジサイ祭が開催されているのだ。「大清水境川アジサイロード」のスタート地点の「大清水橋」を渡り、車を道路脇に一時停車。下車して「大清水橋」を振り返って。さらに「大清水橋」の上流側に見えたのが「横須賀水道路境川水管橋」海老名市社家の相模川から有馬浄水場経由で田浦配水池へ送水される有馬系統の導水管であると。以前は半原系統の導水管(φ500)も敷設されていたが、需要減少、水質悪化、施設老朽化などに伴い2007年(H19)に取水が停止され、2015年(H27)に系統と共に撤去されたのだと。 構造種別:1径間三弦トラス(1個のトラス構造で上弦材1本と下弦材2本の三角形構造) 河口からの距離:7.1km 橋の長さ:約57m 水管径:φ1000 完成:不明そしてこの日のアジサイの開花状況。かなりの花は咲いていたが満開にはまだ少し早かったので後日出直すこととし引き上げた。そして一昨日6月8日(土)、平塚での仕事の打ち合わせを終え、帰宅の途中に、天気も良かったので再び立ち寄ったのであった。時間は11:30過ぎ。神奈川県立藤沢清流高等学校前に車を止め散策開始。アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「集真藍(あづさあい/あづさい)」がなまったものとする説である と。ほぼ満開の「大清水あじさいロード」。紫陽花の漢字の由来は、唐の詩人、白居易(はくきょい)が招賢寺というお寺を訪れた時、お寺に咲いていた紫色の花を「紫陽花」と名付けたことから来ているのだ とネットには。しかし「紫陽花」は日本原産ですからこれは誤り?で、白楽天が詩に詠んだ花とは違うのでは??とネットには。紫色のアジサイの花に近づいて。アジサイ(紫陽花)の別名には、こんなものがあるのだと。●七変化(しちへんげ) :七変化とは、咲き始めてから時間が経つにつれ、色を変える ことからついた別名●四片・四葩(よひら) :「花びら(正確にはガク)が四片あること」からつけられた名前 ●手毬花(てまりばな) :丸く集まった装飾花の形から●オタクサ :この名は、シーボルトの美しき恋心から生まれた名前。 1823年、長崎に渡来したドイツ人医師シーボルト。 植物研究にも情熱を注ぎ、とりわけ紫陽花に夢中になった。●刺繍花(ししゅうばな):手毬花と同じく、刺繍に見立てる。 刺繍から連想するのは、西洋紫陽花ではなく山紫陽花●八仙花(はっせんか) :「七変化」と同じ。さまざまな色合いに変化することから 名づけられた名前花(萼)の色はアントシアニンという色素によるもので、アジサイにはその一種のデルフィニジンが含まれている。これに補助色素(助色素)とアルミニウムのイオンが加わると、青色の花となる と。アジサイは土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になると言われている。これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムがイオンとなって土中に溶け出し、アジサイに吸収されて花のアントシアニンと結合し青色を呈する。逆に土壌が中性やアルカリ性であればアルミニウムは溶け出さずアジサイに吸収されないため、花は赤色となる。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい。同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである。花色は花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量がおよそ40マイクログラム以上の場合に青色になると見積もられている。ただし品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともとその量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい。土壌の肥料の要素によっても変わり、窒素が多く、カリウムが少ないと紅色が強くなる とウィキペディアより。また、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こるのだ と。上の花との違いで、花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていくのが解かるのであった。日本に自生していたガクアジサイ(額紫陽花)が母種となり、西洋にわたって品種改良されたものが世界の紫陽花の主流になったのだ と。青のガクアジサイ(額紫陽花)。紫陽花の花は、装飾花と両性花から出来ていると。まず、装飾花とは、一般的に花と認識されている部分のことを指すつまり、花びらが4~5枚あるように見えている部分のこと。一方で、両性花はガクアジサイやヤマアジサイの花房の中心部分にある、地味な花のことを指す。説明写真をネットから。ちなみに、装飾花で大きく目立つようながく片は、花粉を運ぶ昆虫を呼ぶ際に利用するために発達したといわれているのだ と。白▶️黄色▶️薄紫▶️紫▶️濃紫と開花の時の流れが一つの株で。近づいて。再び「大清水橋」方向を振り返る。ピンクの西洋アジサイ。近づいて。西洋アジサイは←が花の部分。そしてガクアジサイ。近づいて。再び濃いピンクのアジサイを。近づいて。白のガクアジサイ。まるで線香花火の如し。装飾花は薄紫になりはじめていた。一株で?紫、ピンクの花が。近づいて。「平成16年度藤沢市まづくり賞 受賞ここは、大清水小、中、高等学校がひまわりの苗1200本を植え、境川を美しく彩りました。その活動が、「第23回沢市緑と花いつぱい推進活動」において「まちづくり賞」を受賞しました。」装飾花と両性花が同じピンク色に染まったガクアジサイ。近づいて。こちらは装飾花が両性花の後を追う。再び大清水橋を振り返って。この花は色に迷いが??2種類のアジサイが開花のピークに。ガクアジサイに近づいて。藤沢市民病院を背景に。ズームして。両性花が存在を強調して。「境川」を超えた山の上には学校の校舎が。「聖園女学院高校・中学校」。神奈川県藤沢市みその台に所在し、中高一貫教育を提供する私立カトリック系の女子中学校・高等学校である。名古屋市に本部を置く学校法人南山学園の管轄である。完全中高一貫校だったが、2024年度より高校募集を再開している。毎日の朝礼時・終礼時に祈りを捧げて聖歌を歌い、6月と9月、11月、12月、2月にミサを開く。「マリアホール」「イエスの聖心聖堂」などがある。学級は、ばら組・ゆり組・すみれ組・きく組と花の名前である。生徒数の減少により、2015年度からきく組は設置していない。各組は30 - 40名程度[13]で、中学1年生 - 中学3年生の英会話は、1組を2つに分けて少人数で授業する。英語の授業は高校1年生から習熟度別に分ける。高校2年生からは、文系理系に分かれ、選択科目も科目により習熟度別を採る とウィキペディアより。 ・・・つづく・・・
2024.06.09
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「百花繚乱」、「今を盛り」に咲き乱れて。「かれん Karen」。花形 半八重咲き花径 中輪香り 微香開花 四季咲き と。「かれん Karen」日:平林 浩 1995年作出。「ロアルト ダール Roald Dahl」。1輪か3~5輪の房状で咲き、形の良いカップ咲きの花は開花と共に白く退色する。中香だが質の良いフルーツ香、ティー香がありややうつむいて咲く。半横張り性で自然樹形となり、枝のトゲは少ない。返り咲き性が強く秋までポツポツと花を付ける。誘引すれば小型のつるバラとしても利用できる。品種名はイギリスの小説家にちなむ と。「ロアルト ダール Roald Dahl」英:オースチン 2016年作出。ここにも少女像。「タモラ Tamora」。初期のイングリッシュローズ。四季咲、花径8〜10cm、アプリコット、八重カップ咲、樹高1mぐらい。ミルラ香。「タモラ Tamora」英:オースチン 1983年作出。「スノーグース Snow Goose」。甘いムスク系の香り。「モーヴァン・ヒル」のように、大きくなり、繰り返し咲きます。大きなスプレーになり、輝くような白い花がつきます。外側の花弁は少し長めで、しべが中心に覗くと可愛らしい印象のデージーのような外見になります。枝はとげが少なめで、まっすぐですので、アーチや壁面、フェンス、トレリスなどに簡単に誘引することができます と。「スノーグース Snow Goose」英:オースチン 1997年作出。そして「皇族の名を冠したバラ、プリンセスローズ」👈️リンク のコーナーへ。「プリンセス アイコ Princess Aiko」現天皇皇后両陛下の御長女・敬宮愛子内親王殿下のご誕生を祝して名付けられたバラです。蕾から巻いた花弁が開いていく様子が優雅でとても美しく、愛らしい内親王様そのもののイメージの花です。花つきがすばらしく多く、長く咲き続けます。2001年JRC銅賞受賞 と。「プリンセス アイコ Princess Aiko」日:京成バラ園芸 2002年作出。「プリンセス ミチコ Princess Michiko」。「プリンセス ミチコ」は、バラの品種。フロリバンダ系の品種で、花の色は濃いオレンジ色。 1966年にイギリスのディクソン社から当時日本の皇太子妃だった現上皇后美智子に献呈された。柔らかな香り、オレンジ色で丸みを帯びた花弁が特徴。上皇后美智子の名を関したバラにはこのほかにエンプレスミチコがある。「プリンセス ミチコ Princess Michiko」英:ディクソン 1966作出。「エンプレス ミチコ Empress Michiko」。プリンセスミチコと同様、美智子皇后陛下が、立后された後、新たにイギリスの同育種家により贈られたバラです。花は淡いアプリコットをしのばせたピンクで、穏やかで上品な美しいバ ラです。花付き良く、数輪の房咲きになる。コンパクトに育ちますので、鉢植えにも向きます。「エンプレス ミチコ Empress Michiko」英:ディクソン 1992年作出。「マサコ Eglantyne」。今上陛下が皇太子としてご成婚の際、皇太子妃雅子殿下(当時)にちなんで名付けられたバラです。別名は「エグランタイン」とも呼ばれています。「マサコ Eglantyne」英:オースチン 1994年作出。「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ Jubile du Prince de Monaco」。複色花でこれほどまでに白赤の発色が鮮明な品種は他にはありません。濃緑色の照り葉とのくっきりしたコントラストも力強く美しいです。樹勢は強く、生育旺盛で花付きも良く、バランスのよい樹形になります。暑さにも強い特長があります。日当たり次第では色は薄めになります。前モナコ公国元首レーニエ3世の在位50周年(ゴールデン ジュビリー)を記念して捧げられたバラ。赤と白はモナコ公国の国旗の色です。レーニエ3世の妻グレース公妃に捧げられたグレース ドゥ モナコ、プリンセス ドゥ モナコと同じメイアン作。別名チェリーパフェ(Cherry Parfait)。「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ Jubile du Prince de Monaco」仏:メイアン 2000年作出。「イエロー クイーン エリザベス Yellow Queen Elizabeth」。名花クィーンエリザベスの枝変わり種。花色は淡いクリームイエローで、外弁にほんのりピンクがのっています。ゆるくカーブした丸弁の花びらが印象的で、優しい雰囲気のバラです。「イエロー クイーン エリザベス Yellow Queen Elizabeth」ベルギー:フラーミンク 1964年作出。そして再び「センターフィールド」横まで戻る。「三日月山」の手前には「富士山ベンチ」が。その手前に「EXPO 2027 YOKOHAMA JAPAN」と。花菜ガーデンにある「富士山ベンチ」を「富士山」を背景に。これはネットからの写真。「富士見百景」に選定されている場所であると。そして最後に訪ねたのが土産物売り場「ディア チャペック (Dear CAPEK)」。一番左に「ヒマワリはちみつ」👈️リンク と。「ヒマワリはちみつ」があることを初めて知ったのである。ミツバチがヒマワリに訪花するのは、花粉が目的と考えていた趣味の素人養蜂家の私なのだ。駐車場に戻る際にも、これでもかとバラをカメラで追う。「和音 Waon」花の中心に明かりを灯したような黄色が印象的な花をたくさん咲かせます。楚々とした雰囲気で、さまざまな花や演出したい場所に調和し、「和音」を奏でるかのようです。ぎふ国際ローズコンテスト銀賞及び世界バラ会連合特別賞受賞。「和音 Waon」日:京成バラ園芸 2004年作出。「スパークル Sparkle」。アプリコットかかったオレンジ色が綺麗な薔薇です。スパークル(Sparkle)には、閃光、きらめき、活気などの意味があります。 ワインなどの泡立ちもスパークル(スパークリング ワイン)といいます と。「スパークル Sparkle」英:フライヤー 2009年作出。「ファイヤーワックス ラッフル Fireworks Ruffles」。切れ込む花弁が特徴的な「ラッフル ローズ」シリーズ。春は菊のように細く黄色い花弁の先が赤味がかり、花火のようです。夏の高温期には、黄色一色になります と。「ファイヤーワックス ラッフル Fireworks Ruffles」蘭:インタープランツ 2014年作出。「ノース フレグランス North Fragrance」日:吉池貞蔵 2009年作出。系統 フロリバンダ(Floribunda)花色 クリーム花形 ロゼット咲き花径 大輪香り 強香(ティ&フルーツ)開花 四季咲きそして駐車場に向かい、平塚駅近くにある打ち合わせ場所のファミレスに向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・END・・・
2024.06.07
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次に訪ねたのが「ひらきの棟」の四季ギャラリーで開催されていた、樹脂粘土で作るモダンクレイアート「花で彩る世界展」。作品展が5月7日(火)から19日(日)まで、花菜ガーデンの四季ギャラリーで開催されていたのであった。「MODERN CRAY ART」。作品が並ぶ。樹脂粘土で作られた本物の生け花のような作品。本物のバラの如くに。多くの見学者の姿が。透明感のあるオリジナル粘土を使い、花々を作っていくと。着色は自分の好みの色を作るのだと。1枚1枚手でひろげ、一輪ずつ作り上げた花々をアレンジした作品の展示会。花びらや葉の一枚一枚を手でのばして。「クレイアート」👈️リンク。そして再び「花菜ガーデン」の「センターフィールド」前に。「KANA GARDEN」と。「自家採蜜 非加熱 はちみつ」販売車。再び「花菜ガーデン」案内図。「フラワーゾーン」、「アグリゾーン」、「めぐみの研究棟ゾーン」に別れていた。この日は、平塚駅近くで15:30から仕事の打ち合わせであったが、まだ1時間近く時間の余裕があり、バラ園で訪ねていない場所に気がついたので、再び「つむぎ通り」、「春告げの小道」を利用して「バラ園」に向かう。先ほど、写真を撮らなかったバラを追う。「ラ バリジェンヌ La Parisienne」。鮮やかなオレンジと黄色のグラデーションで独特の華やかさを持ちます。花色は環境で変化しますが、花付きよく何度も咲き多様な楽しみを与えられます。健康的な葉が繁り、耐病性、樹勢が非常に強い。枝が暴れることなく育てやすいバラです。背が高い木立ちタイプくらいで育てると扱いしやすいですし、花も良く咲くように感じます。足元に背の低いフロリバンダ系を植えてバランスよくするのも素敵です と。「ラ バリジェンヌ La Parisienne」仏:デルバール 2009年作出.「ブルーライト Blue Light」。蕾の姿が、美しく、藤色の美しい花形と、素晴らしい芳香を併せ持った品種です。花弁が厚いので雨にも強いです。レディラックとマダムヴィオレの交配種です。1994年JRC金賞「香りの大賞」受賞 と。「ブルーライト Blue Light」 日:伊東良類 1995年作出。「クリアムーン Clear Moon」。名前通りの満月のような黄色のバラ「クリア・ムーン」(Clear Moon)。剣弁高芯咲き大輪で日本の大月啓仲氏の作出による作品である と。「クリアムーン Clear Moon」日:大月啓仲 2006年作出。「プロスペリティ Prosperity」。つぼみの時はややピンク色を帯びているが開くと純白になる。数輪の房咲きでややうつむいて咲く。葉は濃い緑色で小葉、新梢は赤みを帯び節間が狭くバランスがよい。自然樹形でも楽しめるが広いスペースが必要となるのでつるバラとして扱う。二番花までは四季咲きのように咲き、夏以降もポツポツと咲き続ける。強い剪定をしても開花するので利用範囲が多い。耐病性があり樹勢も強く育てやすい品種 と。「プロスペリティ Prosperity」英:ペンバートン 1919年作出。「進化するオールド・ローズ中国のバラの導入により、西洋のオールド・ローズは大きく変化します。中でも最も顕著なのが、四季咲き性である品種が増加したことです。その他では、花色に淡黄色やアプリコットが登場し、花型では剣弁咲きが、香りではティー(紅茶)の香りの品種が現れます。このコーナーのバラのうち、ティー系とチャイナ系の品種は、中国のオールド・ローズの特徴を最も色濃く現しており、中には(リージャン・ロード・クライマ一」のように中国のオールド・ローズそのものも植載されています。」「ムタビリス Mutabilis」。移り色で知られる美しい一重のチャイナローズです。花色は淡いアプリコット色から濃いピンク色へ移り変わります。枝は赤みを帯び、一株で色とりどりの花が咲き乱れる様はまさに蝶が舞うようです。細い枝は弱剪定で管理すると伸びてくるので、トレリスやフェンス、アーチなどに使用しても面白いでしょう と。「ムタビリス Mutabilis」。「エルモサ Herumosa」。スペイン語で「美しい」を意味する花名どおり、原種系チャイナながら花弁数の多いカップ状の花に驚かされます。株は花で覆われ、低めに茂ります。優しい色合いは草花との相性もよい と。「エルモサ Herumosa」仏:Marchesseau 1832年作出。バラ園の一番北の角を歩く。「野の花 Nonoka」花色は淡いピンク系、ほんのりピンク。花形はナチュラル系一重咲き。微香 と。「野の花 Nonoka」日:鈴木満男 1987年作出。「薔薇の轍」に向かって進む。「ピンク ノックアウト Pink Knock Out」。非常に花つきがよく、しかも育てやすいバラ。四季咲き性が特に強く、春から晩秋まて途切れることなく咲き続けます。特に優れた耐病性を示し、乾にも強く、低肥料て年々株が広がる画期的なシリーズです。春はかわいいピンクの花が株を覆いつくし圧巻てす。ノックアウトの枝変わりなので丈夫で育てやすく、株も大きくはならないのて鉢ても楽しめます。「ピンク ノックアウト Pink Knock Out」米:モンテシノ 2001年作出。「ブラッシング ノックアウト」。雄しべは白く、淡いピンクのグラデーションが、いっそうひきたち美しいです。可憐な雰囲気が演出できます と。「ブラッシング ノックアウト」仏:Meilland 2004年作出。「つる ピース Cl.Peace」。名花ピースの枝変わりつるばら、大輪系としてはステムが短いので枝にびっしりと咲き満開時は大変見事です。壁面のほか、花後のシュートは上に伸びますが、あえてフェンスに仕立てるのも美しいでしょう と。「つる ピース Cl.Peace」米:ブレイディ 1949作出。これぞ「百花繚乱」!!。「モダンタイムズ Modern Times」。長蕾から開花するローズ赤に白の鮮明なしぼりが最大の特徴。花は大きくなると重みで俯き加減に開花します。花型はよく整い、綺麗に入る絞りがさらにこの品種の魅力を上げています。花付きも良く、たくさん咲くと特異な花色のお陰で華やかな印象を受けます。樹の成長は少し遅いのですが、伸びないわけではなくじっくり育てればそれなりの大きさになります と。「モダンタイムズ Modern Times」蘭:ヴェルビーク 1956年作出。さらに「百花繚乱」の中を歩く。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.06
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左手前方には、説明員付きの園内ツアー客の姿が。「エキウム・ウィルドプレッティスペイン領カナリア諸島テネリフェ島に自生しています。株の中心から円錐状の淡紅色の長い花穂を1 ~ 2m伸ばし、雄大な草姿となります。開花期の4月下旬から5月上旬には約20,000個の花がつき、その外見から「宝石の塔 Tower of Jewels」と呼ばれています。」テネリフェ島(火山島)に自生する3mを超す豪快な花。開花期は5~6月。開花までに3年かかり、開花するとその株は枯れてしまうのだと。小さな花が螺旋状に連なって咲いているのが解るのであった。エキウム・ウィルドプレッティから採蜜したハチミツは地元の特産品 と。別の株でミツバチ発見。「さらさ Sarasa」。花名の「さらさ」は、優しい春風の音をイメージして名付けました。2007 JRC 国際ばら新品種コンクール 銅賞。「さらさ Sarasa」日:京成バラ園芸 2009年作出。「京極 Kyougoku」。鮮やかなローズピンクで裏弁は白色をおびる。花は整形で凛々しく咲きます。早咲き。樹性はやや横張りに生育する と。「京極 Kyougoku」 日:京販園芸 1995年作出「ブラスバンド Bras Band」。オレンジに複色が特徴の、丸弁咲き、中大輪房咲きの花。ティの微香。四季咲き性。「ブラスバンド Bras Band」米:クリステンセン 1993年作出現在地はプラントハウスの前、ここ。「カーネーションの施設栽培神奈川県内のカーネーション栽培は、明治末期に露地栽培から始まり、大正末期から昭和初期にはかなりの温室栽培がありました。現在の主要な産地である秦野市では昭和8年から生産が始まり、戦争による中断がありましたが、戦後の復興は早く、昭和40年代には、麦作等から施設園芸で収益性の高いカーネーション栽培へと転換し、栽培規模の拡大が進みました。カーネーションの切花には、一輸咲きとスプレー咲きの2種類があり、県内でも100品種以上の多彩なカーネーションが栽培されています。」プラントハウス・温室ではカーネーションの栽培、販売が行われていた。この日は5月12日(日)・母の日であった。そして前方に「つどいの棟」が姿を現した。よって「花菜ガーデン」を1周したのであった。「センターフィールド」では鉢植えの各種バラが販売されていた。平塚市内にある「サンメッセしんわ」で作られた「湘南みかんぱん」等が販売されていた。「湘南みかんぱん」。「大磯・二宮の青摘みかん果汁を生地とあんこに使用し、爽やかな酸味を感じるみかんあんぱんです。また、生地には平塚産カオリ小麦を配合し、やわらかく子供からお年寄りまで食べやすく焼き上げています。知的障がいを持つ方々が利用する施設で、地域の活性化と共に手作りの美味しさをお届けします。平塚市のふるさと納税返礼品にもなっています!」とネットから。そして園内中央の「きらめきモール」まで戻る。「つどいの棟」内では藤川志朗「花のイラスト展」が開催されていた。「マドンナリリー」も香りを放っていた。「マドンナリリー学名:Lilium condidum L和名:庭白百合 ユリ科ユリ属原産地はマケドニアから小アジア南端部を経て、イスラエルへと至る地中海東部沿岸地域と推察されています。日本への渡来は、1765年にオランダよりもたらされた球根を、駒場薬園に植えたとの記録があるようですが、日本にはすでに白く美しいユリが自生していたので、マドンナリリーが普及することはありませんでした」「歴史ー1BC1500年頃のクレタ島の遺跡から発掘されたミノア文明期の壁画や壺には、マドンナリリーと思われるものが描かれており、当時すでに栽培がされていたのではないかとみられています。古代アッシリアでは神聖なる花と言われ、鉄器時代にはギリシャよリエジプトへ渡る人々によってもたらされたといわれています。古代エジプトのファラオの墓には白いユリが描かれた場所があります。」ミノス文明期の遺跡には「ユリの王子」という壁画が今も残っています。ユリを集めているところが描かれた、古代エジプトの壁画。「マドンナリリー」はレバノンのベイルート川渓谷の自生地を調査したという報告があります。ベイルート川の石灰岩地帯、北向きの日陰に自生していました。19世紀に日本から「テッポウユリ」がヨーロッパに伝わると、白い「テッポウユリ」とそれまでの「白いユリ」を区別するため「マドンナリリー」とよばれるようになってきました。日本では「ニワシロユリ」と名付けられていますが、大正時代頃は「フランスユリ」、「ヨレハユリ」等と呼ばれていました。しかし、和名、学名で呼ばれるよりも「マドンナリリー」の名前で呼ばれることが多いユリです「歴史-2ローマ帝国は領土拡大を目指し、BC58年ガリアに、BC55年ブリタニア(現在のイギリス)に遠征を行いました。ヨーロッパ北部へ侵攻することで、マドンナリリーもヨーロッパ各地に広まりました。当時はマドンナリリーの球根や花をワインの中で砕き、「うおのめ」の膏薬に利用するという事もあったようです。その後、キリスト教が誕生したヨーロッパに浸透するにつれて、白いマドンナリリーの花は聖母マリアの象徴として見られるようになっていきました。中世以降の宗教画にはマドンナリリーが多く描かれています。」「歴史-312世紀以降、フランス王の旗や衣装にユリが描かれるようになりました。また僧院では薬草園でマドンナリリーを育てていました。」ダヴィンチ作「受胎告知」1472年-1473年大天使ガブリエルがマドンナリリーを携えてマリアに受胎告知をする場面です。「歴史-4江戸時代の末期、日本のユリがシーボルトによってヨーロッパへ伝わると、一気に人気となり、次第にキリスト教の祭事などでもマドンナリリーに代わり、テッポウユリがつかわれるようになりました。いつしか日本のテッポウユリは「イースターリリー」と言われるようになりましたが、テッポウユリが伝わった後も、宗教画に描かれているユリの多くはマドンナリリーです。今日ではその可憐な姿と希少性から、マドンナリリーは日本でも注目されるようになりました。」多くの蕾も。これぞ純白。そして「ひらきの棟」の内部の常設展示へ。「わたしたちの神奈川県■県庁のあるところ:横浜市■面積: 2 , 415.81 km2 (東西約78km、南北約60km ) (2014年げんさい)■総人口: 9,148,549人(2016年11月1日げんざい)■県の花:やまゆり■県の鳥:かもめ■県の木:いちょう■なんでもランキング 人 口 :東京に次いで全国で2番目 人口密度:東京、大阪に次いで全国で3番目 面 積 :全国で43番目」「水草の水槽」。「水草の種類(★が各水槽の名称)」。エキノドルス、クリプトコリネ、アヌピアス、ナヤス、チシママツバイ、マツモ、コケ。魚。エンドラーズ'ブルースター'、オトシンクルス、サイアミーズフライングフォックス、エビヤマトヌマエビ、ミナミニマエビ、貝ラムズホーン(ピンク)。「神奈川の農産物「三浦だいこん」や「相模半日きゅうり」は昔から神奈川でつくられてきた伝統野菜。そしてたまねぎの「湘南レッド」やなすの「サラダ紫」は、品種改良で生みだされた新しい野菜。両方とも、神奈川の気候・風土や最新の栽培技術を生かしながら、大切に育てています。」市別特産品。「みかん 湘南ゴールド12年かけて開発された新種のみかん。さわやかなかおりとジューシーなあまみが特ちょうで、温州みかんがすがたを消す4月ごろが旬。県西部を中心に、生産拡大をはかっています。たまねぎ 湘南レッド1961 (昭和36)年生まれの生食用たまねぎ。ふつうの黄たまねぎにくらべ、からみや刺激臭が少なく、あまみが強いのが特ちょう。シャキシャキとした食感と赤紫のうつくしい色で、サラダにびったり。」新しい仲間もぞぞくぞく登場!「地域の特ちょうを学ぼう」同じ神奈川県でも、気候や地形などによって、地域ごとに特ちょうがあります。次の6つの地域には、どのような特ちょうがあり、どんな農業が行われているのでしょうか?1️⃣横浜川崎地域農産物をたくさん消費する大都市に近いという利点を生かし、野菜やくだもの、花き、肉など、いろいろな農産物を生産しています。2️⃣横須賀三浦地域あたたかな気侯にめぐまれた、三浦半島の水はけの良い台地では、だいこんやキャベッ、すいかなどを栽培。全国でも有名な露地野菜の産地です。3️⃣湘南地域ビニールハウスや温室を利用した野菜や花の栽培と畜産を中心に、野菜の露地栽培も行われています。県内で最もたくさん農産物を生産する地域です。4️⃣県央地域神奈川県の水源地。相模川の上流域である中山間地では、お茶やしいたけの栽培、畜産がさかん。平たんな中流域では、米や野菜、くだもの、花きなどを栽培。5️⃣足柄上地域ゆたかな緑と水にめぐまれ、山間地のお茶、丘陵地でのくだもの、水田の米とともに、牛乳や肉牛などの生産がさかん。森林地帯ではしいたけの生産も。6️⃣西湘地域海、山、川の自然にめぐまれた地域で、米やみかん、キウイフルーツ、梅、お茶、しいたけの生産や酪農がさかん。梅ぼしやジャムなどの農産加工品も人気です。様々な神奈川の特産品が紹介されていた。神奈川県下の月ごとの祭りや催事が紹介されていた。「これからの農業は環境との調和が大切」。「みんなでつくる実りのカレンダー」。この部屋の名は「Kizuki Experience Room」と。そして「花菜ガーデン」案内模型。「バラ園」周辺をズームして。「チャペックの家と庭」、「尾根見の池」周辺。各種の棟とセンターフィールド。写真左側にバラ園。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.05
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一旦「バラ園」を後にして「尾根見(おねみ)の池」に向かってすすむ。「紅葉重ね(もみじかさね)のほとりカエデコレクション水辺に積もる木の葉の絨毯が、秋の深まりを静かに伝えます。染まりゆく葉の美しさを堪能くたさい。葉の形がカエルの掌(てのひら)に似ていることからその名がついたカエデは、日本の秋を代表する紅葉の美しい樹木ですここでは紅葉に焦点をあて、イロハモミジとオオモミジ、ヤマモミジを中心に国内外の野生種と園芸品種を展示していますまた、尾根見の池では円沢・大山を背景に、スイレンのコレクションもお楽しみください。」「尾根見(おねみ)の池」手前のモミジの紅葉。さらに「尾根見の池」に向かって進む。この周囲は人の数は少なかった。「「尾根見の池」の植物水辺を彩る植物を展示しています。耐寒性スイレンは昼咲き性で、日が高くなる頃には花が閉じます。他にも、湿原などを好むポンテデリアやミソハギも展示しています。初夏から秋にかけ開花し、尾根見の池の景観に彩りを添えます。」。そして「尾根見の池」に到着。水面一面には耐寒性スイレンが開花中であった。白とピンクのスイレンの花が水面一面に。黄色の菖蒲の花も。薄いピンクのスイレン。ズームして。赤いスイレンの花は水面に、白のスイレンは水面から少し上で開花。濃いピンクのスイレンをズームして。白のスイレンをズームして。「華やかな水生植物 ~スイレン~スイレンは、世界各地の熱帯・亜熱帯・温帯地域を中心に約50種が自生するスイレン科スイレン属の水生植物です。園芸上の分類で、熱帯性スイレンの昼咲き系・夜咲き系と耐寒(温帯)性スイレンの大型系・小型系に分けられます。初夏から秋にかけて豪華な花を咲かせ、芳香性品種もあり、近年、熱帯性を中心に人気を伸ばしています。ここでは、熱帯性昼咲き系品種と耐寒(温帯)性の代表的なスイレンを50品種ほどを展示しています。水面に美しい花を咲かせ、丈夫で管理の手間も少ないスイレンを一度栽培してみませんか。」純白のスイレン。ズームして。こちらも。「フルーツフルファーム三日月山の斜面を利用して山肌の実りあふれる果樹園の風景をイメージしました。梨は「長十郎」「菊水」「あけみず」、柿は「禅寺丸」、柑橘類は「湘南ゴールド」など、神奈川県内育成品種を中心に植栽。木立の合間を散策しながら果実の実りや香りをお楽しみください。また、畑のとなりには「十郎」の梅、そしてパーゴラにはキウイフルーツや「藤稔」などのブドウを絡め、みなさまのやすらぎの緑陰をつくっています。」「ナシ園」。「神奈川県が育成したナシ「菊水」・「あけみず」神奈川県が育成したナシには多くの品種があり、現在の栽培品種に多大な功績を残しています。代表的な品種に、現在でも多く栽培されている「新高(にいたか)」をはじめ「菊水」や「愛宕」、「旭」、「あけみず」などがあります。特に「菊水」は、現在の主要品種である「幸水」や「新水」の親品種であり、「豊水」は「幸水」を親とし、「菊水」の血を引く品種です。このように「菊水」は現在の主要な品種の基礎を築いたといえます。「あけみず」は大玉で品質良好な極早生品種で、7月下旬には収穫できる甘くておいしい赤ナシです。」。再び「ナシ園」を見る。休憩場所には親子三代の家族の姿が。そしてオレンジ色の家は「チャペックの家と庭」。『花菜ガーデン』が理想とする、チェコの園芸家カレル・チャペック氏の家と庭をイメージしたものだ と。「House and Garden Karel Capekチャペックと庭世界中の園芸家から愛され続けている「園芸家12ヵ月」の著者カレル・チャベックは、仕事に趣味に忙しい毎日を送る中、自らも生涯庭いじりを楽しみました。そんなチャペックのライフ・スタイルや庭を愛する心は、現代へ、そしてこの花菜ガーデンへと通じています。今もなお、チェコに残る彼の家と庭を、花菜ガーデンのシンボルとして世界で初めて再現しました。池のほとりにダーシェンカが座っているかもしれません「園芸家12カ月」(1929年出版)に描かれている庭の風景・植物、そして今でもプラハに現存する家の庭を参考にして再現したガーデンです。このガーデンを訪れる方々に「チャペックのように庭づくりのおもしろさや苦労を見つけ、園芸家にとってのーっーっの作業すべてを楽しみたい」と思っていただけるような庭をつくりました。自分の庭でお客様をもてなすのが好きだったチャペック。デルフィニウム、カンパニュラ、ドイツスズランなどの宿根草を中心にここでは一年間いつ訪れても花を楽しめるように、その季節の一年草を交えて植栽しています。今もなお、存在するチャぺック邸チェコ・プラハの街に今もなお当時の面影を残して佇むチャベック邸。当時、この家を二分して、カレル・チャペックと父、兄で画家のヨゼフ・チャぺックとその妻及び娘が住んでいました。そのことから、家の前の通りは、「チャぺック兄弟通り(BRATRI CAPKU)」と名付けられています。二人の死後は、それぞれの親族とその子孫が、彼らの残した数多くのエピソードとともに、チェコにあるこの家を代々受け継いでいます。20世紀を代表するチェコの作家カレル・チャベック(Karel Capek / 1890-1938 )新聞記者であり、作家であったカレル・チャペックは、評論、小説、童話、旅行記、工ッセイ、戯曲と幅広い分野で筆をふるいました。代表作「R. U. Rロボット」(1920年出版)で「ロボット」という言葉を作り出した人物としても有名。そのほか人気作品として「ダーシェンカ」(1933年出版)「山椒魚戦争」(1936年出版)など。1938年12月25日肺炎により死去。」。「チャペックの家と庭」のフェンスの赤いつるバラ。「BRATRI CAPKUVINOHRADY-PRAHA 10」と。「チャペックの家」。邸内に入ると、レンガ造りのベンチには「ZZZ・・・・」と。展示室に入る。「プラハ郊外のカレル・チャペックの家チャペック兄弟通りと名づけられた小道の奥にその家は今も現存します。カレルの妻オルガの親族である優しい女主人がイリスと名づけた犬と一緒ににゆっくりと静かに家を守り、まるでカレル・チャペックが生きていたときそのままの時を今も刻んでいます。」。「Karel Capekカレル・チャベック(1890.1.9 ~ 1938.12.25 )20世紀前半を代表するチェコの作家、ジャーナリスト。評論、小説、童話、旅行記、工ッセイ、戯曲といった幅広い分野で筆を振い、秀作を数多く残している。なかでも、1920年に出版された戯曲『R. U. R.ロボット』は、「ロボット」という言葉を生みだした作品として知られている。また、「園芸」「ペット」「カメラ」をはじめとする多彩な趣味の持ち主だったことから、『園芸家12カ月』や『ダーシェンカ」のような趣味に関連する作品も多い。1938年12月25日肺炎で死去。享年48歳。」「カレル・チャペックの生涯」。様々な「カレル・チャペック」に関する展示パネルが。「今もなお、チェコ・プラハに存在するチャぺック邸花菜ガーデンのシンボルとして園内に再現されている「チャぺックの家と庭」は、チェコ・プラハのヴィノフラディ地区に現存する家で、1925年からカレル・チャペックが暮らしていたとされています。当時、この家を二分して、”カレルと父”、”兄で画家のヨゼフと妻と娘”が住んでいました。チャペック兄弟自ら造園に携わったというこの家の庭に、カレルはしばしば客人を招いていました。そのなかには、政界・文学界の著名人や、時の大統領マサリクの姿もあったようです。兄弟の死後は、それぞれの親族とその子孫が、彼らの残した数多くのエピソードとともにこの家を代々受け継いでいます。」。「ゆかりの品々に出合えるカレル・チャペック記念館チェコ・プラハ南部の村スタラー・フッチのある『カレル・チャペック記念館』には、カレルと兄・ヨゼフの作品をはじめ、兄弟にまつわる品々が展示されています。この建物は、カレルの結婚のお祝いに義兄から贈られた家で、カレル自身、1935第から1938年まで別宅として使っていました。広人な自然に囲まれたこの家と庭をとても、気に入ったカレルは、当時暮らしていたプラハの家はそのままに、晩年の作品の大半をここで執筆したといわれています。この記念館のほか、カレルの生地マレー・スヴァトニョヴィツェにある『チャペック兄弟記念館』でも兄弟ゆかりの品に出合えます。写真上/プラハ南部の村スタラー・フッチにあるカレル・チャペック記念館。写真下/マレー・スヴァトニョヴィツェにあるチャペック兄弟記念の"チャベック・ブラザーズ像”」「チャペックの家と庭」の前に広がっていた「花菜ガルテン(かながるてん)“クラインガルテン”はドイツ語で、市民農園のことをさすと言われています。ここでは、都市に暮らす人々に潤いを与える市民農園の参考になるような展示や体験を展開しています。こどもから大人まで、土や農業に触れることができる“トライアル農園”、体験し、観賞することの楽しさを実感する“キッチン菜園"誰もが土に触れることを楽しめるレイズドベッドの“テープル花壇"など、さまざまな形でみなさまの庭づくりをご提案します※レイズドベッド:立ち上がり花壇」。トライアル農園講座やプログラムを通して、屋外の土で園芸や農業のイロハを学べる体験フィールド。栽培ステージごとのプログラムで学ぶことができます。キッチン菜園スペースの有効活用や作業のしやすさ、観賞する楽しさなど、あなたの庭やペランダの新しい魅力づくりのヒントがみつかりますテープル花壇テープルの高さに土があることで、立ちながらでも座った状態でも植え込みや手入れ、観察をどなたにでも楽しんでいただけます.「土のパーゴラ」を見る。「パーゴラ」とは、庭や軒先に設ける格子状の棚、またはその空間のことです。 イタリア語のぶどう棚が語源です。 バーゴラには藤やブドウ、ゴーヤなど蔓科の植物を絡ませると、夏場の日差しを遮り、涼しげなイメージだけでなく室温の上昇を緩和させる効果も期待できます と。「触れん土ファームFriend Farmここはこどもたちが中心となって取り組む農業体験学習のフィールド。神奈川県内の主要生産品目や育成品種を中心にいろいろな野菜を栽培し、それぞれに生まれ育つ様子を目の当たりにすることができます,友だちのように土に親しみ、友たちと一緒に力をあわせて新しい発見=”きづき”を感じてほしいという私たちの想いをこめた、大切な育みの場所です。」「触れん土ファーム Friend Farm」への植え付けはこれからか。童話の世界に出てくるような小屋が絵になります!「総合案内 Information」トラクターに乗って遊ぶ子供達。こちらの水田・田んぼは、稲の植え付けの準備中か。「ユニバーサル遊具の広場誰もがみんな同じ空間で遊べるよう工夫された遊具です。お友達といっしょに仲良く遊んでね!」工夫された遊具。蓮田であっただろうか。蓮の花が咲けば・・ネットから。蓮の花が咲けば・・ネットから。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.04
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「ウインドラッシュ Windrush」。どこかアルバ・セミプレナを思わせるような半八重の花が爽やか。親のゴールデンウィングスのように花つきが良い、名前はイギリスのコッツウォルズ地方を流れる川にちなむ。柔らかな花びらのバラ・ウィンドラッシュ、色もソフトホワイト。南仏の風が似合いそうな 匂いたつ薔薇。花径は、7~9センチ。「ウインドラッシュ Windrush」英:オースチン 1984年作出。前方に四阿風休憩場所。その手前に「クイーン オブ スェーデン Queen of Sweden」チャーミングで小さいふっくらとしたつぼみは、しっかりと包み込まれたカップ型からシャローカップ咲きになります。花色はソフトで輝くようなアプリコットピンクから、清らかなソフトピンクへと変化します。中輪の花姿はいつ見ても美しく、オールドローズの性質をずいぶん受け継いでいます。まろやかなミルラの香りがします。まっすぐ上に伸び、飛びぬけて丈夫でよく茂る、とても耐寒性のある品種です。トゲが少なく、花は摘み取った後も日持ちがするので、室内でフラワーアレンジメントとして楽しむのにも向いています。イギリスとスウェーデンの友好条約が結ばれて以来、350年 を記念して生まれたバラです と。「クイーン オブ スェーデン Queen of Sweden」英:オースチン 2004年作出。「レディ エマ ハミルトン Lady Emma Hamilton」色鮮やかなこのイングリッシュローズは、ボーダーの中で、ひと際目を引きます。しっかりとつぼんだつぼみは、オレンジの混じる深みのある赤で、魅力的なダークの葉との間にコントラストが生まれます。花が完全に開くと、花びらの内側はタンジェリン(濃いオレンジ色)外側はイエローオレンジが混ざり合った色合いの花になります。やや直立状に伸びますが中程度の育ち方でよく茂り、花は驚くほど次から次へと咲き続け、乾燥した地域で、よく育つ傾向があります。洋ナシ、グレープ、シトラスの調べのフルーツ系の濃厚かつさわやかな香りは、フランスのナンテスの香りのコンテストでトップ賞を受賞しました。エマ・ハミルトンは、ネルソン提督の恋人の名前です。「レディ エマ ハミルトン Lady Emma Hamilton」英・オースチン 2005年作出。ここにも蔓薔薇・クライミングローズのトンネルが前方に。花菜ガーデンの池・「願いの泉」には睡蓮の花も咲いていた。中央の黄色が美しい満開のピンクの睡蓮。こちらは別の種か?ズームして。徹底比較!「ハス(蓮)とスイレン(睡蓮)」ハス(蓮):水面よリ高い位置で咲く 花びらは1枚ずつ散り、散り終わると花托ができる。スイレン(睡蓮) 水面に浮いてるように咲く。 花が咲き終わったらしぼんで沈む。親子仲良くベンチで。その後ろのツルバラをズームして。「田毎の月 Tagoto no tsuki」。純黄色、丸弁一重のカップ咲き。日本ばら会の“2010年度 JRC新品種コンテンスト 入賞花のご紹介”というページでは、フロリバンダの部金賞になっている と。「田毎の月 Tagoto no tsuki」日:吉池 貞蔵 2010年 作出。「フラワーステーション」の壁にも。「ヒュー・ディクソン Hugh Dickson」。「ヒュー・ディクソン Hugh Dickson」英・Hugh Dickson 1905年作出。そして「風ぐるま迷図 香りのバラ香りのよい65品種のバラを選び、展示したエリアです。」「香りのバラ」コーナーは迷路になっていた。「イブ ピアッチェ Yves Piaget」 。艶のあるピンクで波打つ花弁と豪華な花容、甘い芳香が素晴らしい と。「イブ ピアッチェ Yves Piaget」仏:メイアン 1983年作出。「香りのバラ」コーナーの四阿を見る。「風ぐるま迷図 香りのバラ」。「ルージュ・ロワイヤル」。近づいて。そして純白のクレマチスも開花中。「クレマチス ’早池峰’」。「クレマチス ’早池峰’ Clematis ’Hayachine’ 早咲き大輪系」。「クレマチス 'ミセス・チョムリー' Clematis 'Mrs Cholmondeley'」。「クレマチス 'ミセス・チョムリー' Clematis 'Mrs Cholmondeley' 早咲き大輪系」。「クレマチス ’ブルー・ライト’ Clematis 'Blue Light'」爽やかなスカイブルーのセミダブル咲き咲き進むとポンポンの万重咲きになり、花持ちよく長期間楽しめる花径10cm程の大輪、強健で育て易い品種 と。「クレマチス ’ブルー・ライト’ Clematis 'Blue Light' 早咲き大輪系」。「ヨハネ パウロ 2世 Pope John Paul Ⅱ」。白バラには少ない、花の大きさ・ボリューム感・花形のどれをとっても優れたバラ。多湿な環境でも花弁にしみがつきにくく、美しい姿を保ちます。このバラは第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の偉業を称え、バチカン法王庁がバチカン庭園に植樹する為に選ばれました。光沢のある純白の花弁は、高貴な法衣姿を偲ばせます。生育旺盛で耐病性もあり、濃緑色の葉が花の色を引き立てます。きりっとしたフレッシュシトラスの芳香です。2010年豪アデレード金賞、ベストローズ、ベストHT、芳香賞受賞 と。「ヨハネ パウロ 2世 Pope John Paul Ⅱ」米:ザリー 2007年作出。近づいて。「エンティンテッド イブニング」藤色、丸弁咲き、中輪房咲きの花。ブルーの強香。四季咲き性。樹勢は普通で耐病性も普通、木立樹形のバラ。トゲは普通 と。「ウィティケラ(ヴィチセラ)系ヨーロッパに自生するクレマチス・ウイテイケラの交配種のグループで、小輸の花を節々に多数咲かせます。品種によって花型は異なり、ベル型や正開咲き、八重咲きなどがあり、花の咲く向きも横向きや下向き、上向きと様々です。中には香りのある品種もあります。新梢咲きで、冬季に地上部は枯れてなくなります。開花期は初夏から秋で、四季咲き性が強く長期間楽しめます。日本の曇さや寒さにも耐え、立枯病に強く、丈夫で育てやすい品種が多いので、ガーデニングには最適なグループです。」この花は?「サニーノックアウト」黄色、丸弁咲き、小中輪房咲きの花。ティの中香。四季咲き性 と。「月光 Gekko」。輝くような黄色は「月光」の名にふさわしく、花色・花形、香りと三拍子そろった優良品種です。1999年JRC銅賞受賞 と。「月光 Gekko」日:京成バラ 1999年作出」。再び「花ぐるま迷図」の四阿。その手前に大輪の黄色いバラ。「ドゥフトゴルト Duftgold」。ドゥフトゴルトは大きさ12㎝ほどの黄色い花を咲かせるバラの品種です。半剣弁高芯咲きの花形で、春の花は花びらに切り込みが入ることが多いです。早咲きの品種で花付きもよく、強い芳香があります と。「ドゥフトゴルト Duftgold」独:タンタウ 1981年作出 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.03
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「モダンローズ」区域の散策を続ける。「シンシア・プルック Cynthia Brooke」。少し樺色を含むオレンジ色が特徴、幾重にも重なった薄い花弁が優雅。濃い緑の葉も花色をひきたててとても魅力的。低めに茂り株のまとまりもよい。古いハイブリッドティーの良さを現在に伝える貴重な品種です。ティー香があります と。「シンシア・プルック Cynthia Brooke」アイルランド:McGredy 1943年。「クライミングとシュラブローズ」への手前の正面の生け垣前に対で。「ノック アウト Knock Out 」。ローズ色がのった赤色の花は3~5輪位の房咲きで黄色いシベを覗かせる。2018年第18回デンマーク コペンハーゲン大会で世界バラ連合の栄誉殿堂入りを果たしている と。「ノック アウト Knock Out 」米:ラドラー 1999年作出。「薔薇愛で人」の数も増えて。「ピース Peace」。20世紀を代表する傑作品種。バラの歴史を大きく変えた、フランスの大育種家「フランシス メイアン」の最高傑作の1つです。巨大輪の先駆的品種であり、黄色の花にうすいピンク色の覆輪が入るふっくらとした花容、照りのある大きな葉、まとまりよく伸びる樹に巨大輪であるにも関わらず良好な花付き、そして強健な樹勢、良質な性質を多く持ち合わせたこの品種は戦後世界的大ヒットとなりました。特徴的な照り葉は、交配親の「マーガレット マグレディ」より受け継がれたものです と。「ピース Peace」 仏:メイアン 1945年作出。「20世紀を代表する「ピース」とその子品種たち第二次世界大戦終結後の1945年、世界の平和を願って命名・発表されたパラ「ピース」は、丈夫な性質と今までにないボリューム感のある巨大輪花が評価され、瞬く間に世界中で人気品種となります。「ピース」の登場は革命的な出来事であったため、やがて「ピース」を親とした子品種が続々と登場しました。ここでは、「ピース」とその子品種たちを集めて展示しています。後に「ピース」は20世紀を代表するバラとされ、1976年に世界バラ会連合選出の「バラの栄誉の殿堂」入りの第1号品種となりました。」「ピース」とその子品種たち。「多彩なモダン・ローズの世界ハイプリッド・ティー系とフロリバンダ系に代表されるブッシュ・タイプのモダン・ローズは、20世紀に最も広く栽培されたバラで、立派な葉に色とりどりの洗練された印象の花を咲かせます。ここでは、それらの品種を色別に展示しています。多彩な品種の中でも「スーパー・スター」は、「ピース」と共に20世紀を代表するバラとされ、当時の人々が切望していた未色の大輪バラの第一号品種になります。その他にもラヴェンダーや茶色など、モダン・ローズならではの、複雑な色彩のバラをここでは見ることができます。」モダン・ローズの世界を楽しむ。「ダブルデライト Double Delight」。黄色みがかった白地に非常に強く赤色の覆輪が入る特有の花色、花容。半横張りの樹形でトゲが多いですが、その鮮やかな花は庭を華やかに彩ります。弁はしっかりしており、豊かな芳香にも恵まれています。ただ、葉質が少し弱いので春先のベト病や薬害等には注意が必要です と。「ダブルデライト Double Delight」米:スイム&工リス 1977年作出。「アブラカダブラ Abracadabra」。咲き始めは濃いピンクに中心部がアプリコットの丸弁高芯咲き。四季咲き大輪のHT(ハイブリットティー)です。黄色からクリーム色、赤ピンク、赤紫、白と、咲き進むにつれて色味が変化して移り変わります。株の状態や気温や環境によって、黄色味が強かったり、全体的に淡いピンクがかったり、白と覆輪の濃いピンクが出たりなど、色幅があります。魔法の呪文の「アブラカダブラ」、名前の通り魔法のような色変わりが美しい品種です と。「アブラカダブラ Abracadabra」 独:コルデス 2002年作出。「パローレ Parole」。ローズ色の花は巨大輪で剣弁高芯咲き。クラシック・ダマスク香を中心にフルーツ香、ティー香がのる超強香。花型もよく切花のコンテストにもよく利用される。半直立性で株のまとまりはよくあまり樹形を乱す枝の発生はない。冬季剪定では樹高の1/2位を目安に切り戻す。マドリード国際コンクールで芳香賞を受賞 と。「パローレ Parole」独:コルデス 2001年作出「ニュー バレンシア New Valencia」。四季咲き、大輪系。一茎に一輪咲かせて花の見事さを楽しみます。モダンローズの中心的存在で、バラの60%を占めます。バラが世界中の人に愛されるようになったのはこのハイブリッドティーローズがあったからこそと言っても過言ではありません。格調高い花形、豊富な彩りは花壇・鉢植え・切花にも良く、楽しみ方も育て方もいろいろ。木バラの代名詞でもあり、香りが強い品種が多いのが特徴です と。「ニュー バレンシア New Valencia」独:コルデス 1989年作出。少女像も。すずなりに咲く薔薇の花。「すずなり」正しい使い方??こちらには裸婦像が。全て同じ作者なのであろうか?「つるシャルル ドゥ ゴール Cl.Charles.de Gaulle 」。ラベンダー色と花形の華やかさが素晴らしく、香りも楽しめる優れた品種です。花つきもよく、丈夫な大株になり、棘は少ないです。花名は元フランス大統領の名前です と。「つるシャルル ドゥ ゴール Cl.Charles.de Gaulle 」2012年作出。「クライミングとシュラブローズ」のコーナー。クライミング・ツル性のバラ、シュラブ・半ツル性のバラとのこと。「ツルバラとシュラブローズモダン・ローズの中には、長く伸びた枝を構造物に誘引して楽しむクライミング・ローズ(ツルバラ)やシュラブ・ローズ(半ツルバラ)もあります。ツルバラやシュラブ・ローズは、ブッシュ・ローズよりも四季咲き性では劣るものの、一度に多数の花を咲かせるため、開花期には大変見事な景観を作り出せます。ここにも「クライミングとシュラブローズ」の世界が拡がっていた。ここは「シュラブローズ」の世界か?前方に「クライミング・ローズ(ツルバラ)」用の棚が。再び「シュラブローズ」を。近づいて。色彩豊かに。「サハラ ’98 Sahara ’98」に近づいて。黄色からだんだんオレンジ色に変わります。最盛期は見事な景観を作ります。秋にもよく咲く、丈夫で使いやすい品種です。陽当たりの良い場所で美しく発色します と。美しいグラデーションが見事!!「サハラ ’98 Sahara ’98」独:タンタウ 1996年作出。「シティー オブ ヨーク City of York」。ヨーク市はイングランド北部のノース・ヨークシャー州の都市であり、ヨーク大聖堂をはじめ中世の町並みが良好な状態で保存された、大変美しい観光地としても知られています。アメリカのペンシルベニア州にも同名の都市があり、薔薇戦争で知られるヨーク家の紋章にちなんで「ホワイトローズ・シティ」と呼ばれることもあります。ばらの「シティ・オブ・ヨーク」も大変に美しい白ばらで、半八重のシンプルな花容に黄色い大きなおしべがひときわチャーミングです。一度に大量に咲く咲き方はしませんが次々と咲かせ、時に秋にも返り咲きます。 葉も光沢のある深緑で美しく、開花がない時期にも楽しめます と。「シティー オブ ヨーク City of York」独:タンタウ 1945年作出。正面にクライミング・ローズ(ツルバラ)とシュラブ・ローズ(半ツルバラ)。そして「イングリッシュ・ローズイギリスのバラ育種家デビッド・オースチン氏はモダン・ローズがオールド・ローズの持つ繊細で儚げな美しさを失っていく中、オード・ローズの持つ美しさとモダン・ローズの優れた四季咲き性を持ち合わせたバラを目標に改良を始めます。こうして誕生したイングリッシュ・ローズは、作出当初は人々に受け人れらませんでしたが、1980年代中ごろより人気が出始め、20世紀末には一大ブームとなりました。その影響は他の育種家達にも及び、同様のクラシカルな花型の品種が近年次々と誕生しています。」「ワイフ オブ バス Wife of Bath」。品種名は「バースの夫人」という意味で、「カンタベリー物語」の一節に出てくる老婦人のことをさしています。古いイングリッシュローズ。花の中心はピンク、外に向かって次第に薄く。ミルラの香り。「ワイフ オブ バス Wife of Bath」英:オースチン 1969年作出。「L.D.ブレイスウェイト L. D. Braithwaite」。鮮やかな濃赤色の大輪花で3-5輪の房咲きになり、良い香りがあります。カップ咲きの花は開花が進むとロゼット咲きになっていきます。株は半直立性で比較的大きな株になり、少しとげが多いです と。「L.D.ブレイスウェイト L. D. Braithwaite」英:オースチン 1998年作出」。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.02
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「れもん Lemon」。熟れたレモンを思わせるような、純黄色の爽やかなバラ。花はころんとしたカップ咲きになり、一枝に1輪~3輪ほどの蕾をつけます。芳香があり、ダマスク・シトラス・ティなどがミックスされた香り。花つきがとてもよく、秋までよく咲きます。 樹形は半直立性~やや横張り。花名の由来は花色と花形の印象から小説「檸檬」 のイメージから。同作品は大正~昭和初期の小説家・梶井基次郎の短編小説。「丸善の棚の檸檬」のフレーズで著名。「春告げの小道」の両脇のバラを楽しみながら進む。「れもん Lemon」日:今井ナーセリー 2017年作出。「サニーアンティーク Sunny Antike」レモンイエローで爽やかな香りがある。「キャラメルアンティーク」の枝変わり と。【樹 高】 約1.5m【花弁数】 40~50【花 径】 10~12cm【開き方】 半剣弁ロゼット咲き【形 状】 直立性【花 期】 四季【香 り】 中香【棘の程度】 中程度「サニーアンティーク Sunny Antike」独:コルデス 2010年作出。「プチ トリアノン Petit Trianon」。フランス王妃マリー・アントワネットが愛した離宮プチ・トリアノンの名を冠したバラです。ヴェルサイユ宮殿庭園長とメイアン社の親交により生まれたバラで、肖像画の中で、マリー・アントワネットが掲げている淡いピンクのバラをイメージしました。ソフトピンクの」花弁はデリケートな美しさがあり、株が充実すると3~4輪の房咲きになる花付きのよい品種です。葉には光沢があります と。「プチ トリアノン Petit Trianon」仏:メイアン 2005年作出。「ハイ フライヤー High Flyer」。ラージ・フラワード・クライマー[LCl] として作出された大輪咲きのつるバラです。濃緑色の葉は光沢のある照り葉です。明るくて目立ちやすく、花壇全体が引き立つ赤色バラ と。「ハイ フライヤー High Flyer」米:ウォリナー 1992年作出。「桜貝 Sakuragai」。花色は青みを帯びた淡いピンク色で、名前の通り「桜貝」の色のよう。半剣弁高芯咲きの中輪花で、花つきが非常に良く、房状にたくさん花をつけます。樹形は直立性でトゲも少なく、育て易い品種です。微香性 と。「桜貝 Sakuragai」日:平林 浩 1995年作出小輪の白い花がたわわに。「日本の野生種とその交配種バラの野生種は150 ~ 200種ほどが北半球に自生しています。園芸品種の成立過程では日本の野生種も重要な役割を担い、ロサ・ムルティフロラ(ノイバラ)は房朕き性を、ロサ・ルキアェ(テリハノイバラ)はつる性の性質を、ロサ・ルゴサ(ハマナス)は耐寒性や耐病性と芳香を付与しました。その他にも、ロサ・プラクテアタ(カカヤンバラ)も交配に使われています。ここでは、バラの園芸品種の成立に重要な役割を担った日本の野生種とともにそれらの交配種を展示しています。」近づいて。「うらら Urara」。濃いピンク、丸弁咲き、中輪房咲きの花。ティの微香。四季咲き性。樹勢は普通で耐病性も普通、木立樹形のバラ。切り花向き。トゲは普通。「うらら Urara」日:平林 浩 1993年作出。そして「薔薇の轍(ばらのわだち) ローズ・コレクション歴史上の人物たちも愛してやまなかった花、「薔薇」。長く深い歴史を持つバラの”進化の軌跡”がここにあります。古代ペルシア時代にすでに栽培されていたバラは、西洋と東洋で別々に園芸化が進みました。やがて、東洋のバラが西洋へと持ち込まれることで大いなる変革が起こり、私たちがよく知るモダン・ローズが誕生します。ここでは、野生種から将来のバラまで、悠遠の歴史をたどることができます。」「世界の野生種とその交配種バラの野生種の多くは、中国西南部からヒマラヤ、西アジアにかけて自生するため、この地域がバラの起源と考えられています。ここでは、園芸品種の成立に影響を与えた海外の野生種とその交配種を展示しており、特に園芸品種の特性に大きな影響を与えたロサ・モスカタ(房咲き性や耐病性)やロサ・ギガンテア(ティー(紅茶)の香り)、「ペルシアン・イエロー」(黄色の色彩)などを見ることができます。また、長年「幻のバラ」とされていたチャイナ・ローズの原種ロサ・チネンシス・スポンタネアも植栽されています。」自然交雑によって誕生した園芸品種のバラ・オールド・ローズを見る。別の角度から。「初期のオールド・ローズバラの栽培化の過程で野生種の中から優れた性質の個体を選抜したり、また、栽培の中で昆虫などによる自然交雑が起こるなどして、園芸品種が誕生していきました。このように自然交雑によって誕生した園芸品種のバラは、オールド・ローズと呼ばれています。初期のオールド・ローズは、ヨーロッパや中近東の野生種によって成立したもので、開花はほぼ一季咲きです。花色は白、ピンク、紅、黒赤、赤紫などで、香りの高い品種が多く、これらのバラの一部は、現在でも香料用に栽培されています。」「オールド・ローズ」をカメラで追う。「カーディナル ド リシュリューCardinal De Richelieu」 仏:Laffay.M 1840年作出 最も古い紫のバラ、と言われています。シックな紫色は咲き始め赤みが強く、のちに灰色を帯びた青紫へと移ろいます。この系統の中でももっとも青みがかる紫色が楽しめます。オールドローズの中でも大変よく知られ、知名度にふさわしい名花と思います。トゲもほとんどなくこぼれるように咲く姿は本当に見事。中輪・八重咲きで春のみに咲きます と。「薔薇の轍」。当園は、野生種から近年のバラまで約1,300品種を所有しており、関東有数の品種数を誇っています。なかでもフラワーゾーンにあるバラ園・薔薇の轍は、バラの品種改良の歴史に沿って系統、分類ごとにご覧いただける“歴史園”になっています。バラと育種家が辿った今日までの道のりを、車の通った両輪の跡=轍(わだち)に例えて“薔薇の轍”と名づけました と。「中国の4つのオールド・ローズ西洋とは別に、中国でもバラの園芸化が独自に進んでいました。1800年代になるとプラント・ハンター達によって、中国のバラがヨーロッパにもたらされます。中でも通称「4つの種馬」と呼ばれる4品種のバラは、ヨーロッパのバラの世界に大きな変をもたらします。これらのバラによってもたらされた画期的な性質としては、四季咲き性や剣弁高芯の花型、ティー(紅茶)の香り、淡黄色の色彩などです。ここでは、4品種のバラを展示していますが、これらの個体が当時の体そのものであるかは定かではありません。」バラの周囲には様々な花も開花。「マルタ ゴンザレス Martha Gonzales」。濃い赤色のバラ。ネットの検索でも詳しい品種データは見つかりませんでした。「マルタ ゴンザレス Martha Gonzales」仏:ラフェイ 1829年以前作出既に散りだしているバラの花も。紫の花の名はムラサキセンダイハギ(バプティシア・アウストラリス)であっただろうか。様々な色のバラが遊歩道沿いに。トランプのモニュメントが。近づいて。「ポール ネイロン Paul Neyron」。カップ状の堂々たる大輪花で、とても高い香りがあります。トゲがほとんど無い半つる性品種で珍しく秋にも返り咲きがあります。伸ばしたままですとあまり花付きが得られませんので誘引か弱剪定による管理で花付きをふやすようにし と。「ポール ネイロン Paul Neyron」仏:ルヴェ 1869年作出。純白の花。「フラウカール ドルシュキ Frau Karl Druschki」。1901年に発表されて以来、白つるばらの名花として100年以上愛されてきた品種です。かつては不二(ふじ:ふたつとないの意)の名で親しまれました。特徴はやはりその輝くような白さと、気品ある花型でしょうか。花つきも非常に良好で、木が成熟すると秋にも返り咲きます。蕾のうちはほんのりピンクがかかり、葉は清らかな明るい緑、花色を引き立て、芽吹きの頃はとりわけ美しく感じられます。香りが微香であることは少し残念ですが、それでもこの品種の気品ある佇まいは、やはり他の追随を許さぬものと感じます と。「フラウカール ドルシュキ Frau Karl Druschki」独:ランベルト 1901年作出。蔓薔薇(つるばら)のトンネル。漢字の「薔薇」という字は中国から来た言葉で、音読みでは「しょうび」と読みます。古今和歌集にはその読み方で登場しているそうです。「薔」は垣根、「薇」は風にそよぐという意味です。つまり「薔薇」という漢字は、「垣根に植えられた野生のバラが風にそよいでいる様子」を表しています。バラの学名はラテン語の「Rosa(ロサ)」です。しかし、一般的には英語読みの「Rose(ローズ)」が浸透しています と。「モダン・ローズ」案内板。「黎明期のモダン・ローズモダン・ローズは今から約150年前に誕生し、その第1号品種は、ハイプリッド・ティー系の「ラ・フランス」です。この品種の誕生した1867年はモダン・ローズとオールド・ローズの境界線とされますが、それはハイプリッド・ティー系が初めて人為的な交配によって誕生した系統であることと、モダン・ローズの代表的な系統になったことが理由です。また、この時期には本格的な黄色のバラが登場し、後に多彩な園芸品種が登場することへと繋がっていきます。」このバラの名は?近づいて。モダン・ローズと言われる、ピンクの薔薇の花の中に、透き通って見える衣類・???を纏ったように見える女性像。別の角度から。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.06.01
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この日は5月12日(日)、午後から平塚で仕事の打ち合わせがあるので、早めに家を出て平塚市寺田縄496−1にある「花菜(かな)ガーデン (神奈川県立花と緑のふれあいセンター)」にバラの花を楽しみに立ち寄ったのであった。「花菜ガーデン」案内図。4/27(土)~6/9(日)まで「ローズフェスティバル 2024春」が開催されているのであった。この日は「モダンクレイアート展」も開かれていた。「花菜ガーデンの見どころ情報」近づいて。敷地面積約92,000平方メートル(横浜スタジアムの約3.5倍)の土地に四季折々の花を楽しめ、園芸や農業を学べます。特に、1000本を超える薔薇が春と秋に見ごろです。また、地元食材をメインにしたレストラン「キッチンHana」で料理を楽しめます と。バラ園「薔薇の轍」と「風ぐるま迷図」案内。当園は、野生種から近年のバラまで約1,300品種を所有しており、関東有数の品種数を誇っています。なかでもフラワーゾーンにあるバラ園・薔薇の轍は、バラの品種改良の歴史に沿って系統、分類ごとにご覧いただける“歴史園”になっています。バラと育種家が辿った今日までの道のりを、車の通った両輪の跡=轍(わだち)に例えて“薔薇の轍”と名づけました。隣接する風ぐるま迷図には、モダンローズの中でも特に香りのよい品種を集めて、クレマチスと一緒に展示しています。(香りのバラのエリア) と。券売所。ピークシーズンの5月は、シニア(65歳以上)は3割引の700円であった。中央広場(センターフィールド)に向かって進む。「見頃の花やおすすめエリア」案内板。①~⑧のバラエリアと⑩が見頃と。自転車付きのリヤカーの上には様々なバラの花が。ユニークな形の花は「エキウム ウィルドプレッティ」と。「エキウム ウィルドプレッティ」は、スペインカナリア諸島原産の植物。高さ3メートルを超えて育ち、淡紅色の花穂の長さも1メートルを超すことがある。現地名はタヒナステ・ロホ。花穂は小さな赤い花が螺旋状に咲いており、その外見から、宝石の塔とも呼ばれる。蜜の含有量が高く、養蜂家に好まれている。しかしながら、開花に雨量や気温の影響を受けやすいため、タヒナステ蜂蜜は希少性がある とウィキペディアより。「エキウム ウィルドプレッティ」花に近づいて。正面が「中央広場(センターフィールド)」。「中央広場(センターフィールド)」沿いの遊歩道・「薔薇の轍」のバラの花を早速楽しむ。「メイド イン ヘブン」と。「リアン ローズ」。透明感あるクリスタルピンクのひらひらとした花。フルーツにミルラの甘い香り。繰り返しよく咲き、育てやすいバラ。花名の「リアン」はフランス語で「絆(きずな)」の意 と。「リアン ローズ(Lien Rose)」日:河本純子 2016年作出。「春告げの小道」を進む。「フェルゼン伯爵 Le Comte Fersen」。王妃アントワネットの心をつかんだほど魅力的なフェルゼンの、高貴で洗練された姿を表しています。気品ある紫の花色と、中輪系には珍しい強香品種で、シトラスとバーベナを思わせる力強いさわやかな香りがあり、見る人を魅惑する甘美なバラです。開くにつれ花弁は波打ってきます。一茎に5輪ほどの房咲きで花立ちが良い品種で、庭植えだけでなく鉢植えでも楽しめます。いくつもの花が房になって次々と咲き、美しく巻いた蕾が開いていく過程も楽しめます。フェルゼン伯爵の宮廷でのきわだつ存在を感じさせるバラです。2010年ローズヒルズ国際コンクール芳香賞 と。「フェルゼン伯爵 Le Comte Fersen」仏:メイアン 2009年作出。「夢で逢えたら Yume-de-aetara」。サーモンピンクのグラデーションが美しいバラ「夢で逢えたら」。2017年度のJRCの四季咲き性房前系で銀賞を受賞 と。「夢で逢えたら Yume-de-aetara」日:佐藤亘 2017年以前作出「さらさ Sarasa」。近づいて。絶えず咲きこぼれる桃色の花。花色は咲き進むにつれてやわらかな桜色へ変化する。花名の「さらさ」は、優しい春風の音をイメージして名付けられた。2-3本まとめて植えると、より一層花数が増し華やかになる。2007年JRC銅賞受賞 と。「さらさ Sarasa」日:京成バラ園芸 2009年作出。「パパメイアン Papa Meilland」.良質なダマスク香。ビロードのように艶やかな黒薔薇の大輪咲きは、世界ばら会連合「栄誉の殿堂入りのバラ」にも選出されています。気温が低いほど黒味が増していく、黒バラの代表的な品種として長く親しまれてきた名花です。 品種の名前になっているパパメイアンは、祖父アントアーヌ・メイアン氏の愛称になります。 香りでバラを選ぶなら外せない品種でもあります と。「パパメイアン Papa Meilland」仏:メイアン 1963年作出.「コッペリア Coppélia」。ピース直系の品種で半剣弁杯状咲き。クリーム白に底黄、ピンクの覆輪がはっきりして美しい。まさにバレエを見るように と。「コッペリア Coppélia」 仏:メイアン 1952年作出「アキコの夢 Akiko's Dream」。「アキコの夢 Akiko's Dream」日:尾形英男。「グレーシャスグレイ Gracious Gray」。系統:フロリバンダ 花色:グレー、薄いラベンダー花型:丸弁杯状 花径:中輪香り:中香 花季:四季咲き と。「グレーシャスグレイ Gracious Gray」日:大月啓仲 2010年作出「あゆみ Ayumi」。咲き方:四季咲き花色 :黄色・淡い黄色 と。京成バラ園芸が創立50周年を迎え発表した、記念すべきバラ。黄金色の花色は褪色が少なく、剣弁高芯の花形、ティー系のさわやかな香りが凛とした印象を与えます。京成バラ園芸の創立50周年記念のバラで、これから歩んでゆく未来に願いを込めて名付けました。2007年JRC銀賞、他受賞 と。「あゆみ Ayumi」 日:京成バラ園 2009年作出「宴 Utage」。花色:鮮赤花形:半剣弁高芯咲花弁数:25~28 枚花径:10~13 cm樹高:1.3 m樹形:直立性芳香の強さ:微香 と。「宴 Utage」日:京成バラ園芸 1979年作出。「春乃 Haruno」。「しのぶれど」「しののめ」に続く、京成の和歌シリーズ3作目。「宿りして 春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも 花ぞ散りける」紀貫之。「春の山辺に宿して寝た夜は、その夢の中にも昼間目にした花が舞い散るようである」という意味です。桜ピンクの花は株いっぱいに咲き春爛漫な雰囲気を作り出すため、「夢の中までも花が舞い散る」かのごとく、心深く人を魅了するバラです。2010年ぎふ国際ローズコンテスト銀賞、2011年第5回越後国際コンクールFL部門銀賞、他受賞 と。「春乃 Haruno」日:京成バラ園芸 2015年作出。「チャイコフスキー Tchaikovski」。柔らかな色彩と花形が魅力の房咲き品種で育てやすく、秋もたくさん咲いて楽しめるガーデニング素材として使い易い品種です。 花名は19世紀のロシアの作曲家にちなみます。中型のシュラブですが、冬の強剪定で木バラのように咲きます。樹高: 1~1.5 m 樹形: 半直立性 と。「チャイコフスキー Tchaikovski」仏:メイアン 2000年作出。さらに「春告げの小道」を進む。「オジアーナ Osiana」。1988年にドイツで作られた、アプリコットピンクの大輪品種。剣弁高芯咲き=剣のように先が尖った花びら。まっすぐ伸びる姿が美しい! と。「オジアーナ Osiana」独:ハンス・ユルゲン・エファース 1988年作出「ラパリジェンヌ La Parisienne」。鮮やかなオレンジと黄色のグラデーションで独特の華やかさを持つ。大輪抱え咲きで、花弁はややフリルがかかる。中香。健康的な葉が茂り、耐病性・樹勢が非常に強いが枝が過度に暴れることも無く、育てやすい。「ラパリジェンヌ La Parisienne」仏:デルバール 2009年作出「春告げの小道」の両脇に鉢植えのバラが並ぶ。「スーリールドゥモナリザ Sourire de Mona Lisa」。花付きが良く、スカーレット赤の花が咲き乱れる様は壮観です。葉は新枝の時は赤みを帯び、緑色が濃くなっていく照り葉で、病害虫に優れた抵抗性があります。枝がシュラブ状によく伸びるので、小型のつるバラとして、フェンス、トレリス、オベリスク仕立てに適しています。冬に枝を短く切っても良く咲きます。花名は、“モナリザの微笑”を意味します と。「スーリールドゥモナリザ Sourire de Mona Lisa」仏:メイアン 2008年作出。 ・・・つづく・・・
2024.05.31
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我が家から地元の小田急線の駅に行く道の途中の民家の藤棚に、見事な藤の花が満開になっていましたので、無断で写真を撮らせて頂きました。幅2m、長さ4mほどの藤棚でしょうか。和名「フジ」の由来には定説がないが、一説には本来『風散(ふぢ)』と呼称・発音され、風が吹く度に花が散るので「吹き散る」の意であるという。漢字表記の「藤」は、本来は中国産の種であるシナフジを中国で紫藤と表記したことにより、日本でこれを省略して当てたものであるとのこと。藤という字そのものは藤本(とうほん)、すなわちつる性で木本性の植物を指す言葉であると。花は枝の先端に出て下に垂れるように伸びて60~70 cmにも達し、多数の花を付けていたのであった。日本では藤(フジ)は古来から文学や色の名前、家紋などでも親しまれており、日本の花というイメージを持っている人が多いのでは。そして私の住む市にも「藤」の文字が入っているのである。藤(フジ)全般の花言葉 ネットから藤(フジ)全般の花言葉はいくつかあります。・『優しさ』 小さな花をまとった房が優美な藤(フジ)。 風に揺られてゆらゆらとなびくその姿が、藤(フジ)全般の花言葉のひとつである 『優しさ』を表しているとされています。・『歓迎』 垂れ下がった藤(フジ)の枝の様子が、頭を下げて迎え入れている人を連想することから 『歓迎』の花言葉が付けられたといわれています。・『忠実』 藤(フジ)のツルが幹にしっかりと巻き付き離れない様子が、『どこまでも付いていく』と いう人の意志に通じることから『忠実』の花言葉を託されました。・『恋に酔う』 紫式部が記した長編小説『源氏物語』に登場する藤壺の宮と紫の上にちなんで、『恋に酔う』の 花言葉が与えられました。 2人の女性は、光源氏の生涯の想い人として登場しており、物語の中で常に彼女たちの面影を 追っている様子が描かれています。・『決して離れない』 相手に固執し、執着のような想いを募らせる印象の強い花言葉の『決して離れない』。 ツル性の藤(フジ)の性質にちなんだ花言葉ですが、それだけ相手のことを慕っているという 意味にもつながっているのではないでしょうか。 人を信じる寛容な心や、恋い焦がれる気持ちを表現している花言葉が多いのだとそして我が名(苗)字にも「藤」が付くのだ。「藤」の付く苗字ランキングTOP10は1.佐藤2.伊藤3.加藤4.斎藤5.藤田6.後藤7.近藤8.遠藤9.藤井10.藤原 であるとネットから。毎年きれいなフジの花を咲かせるために、藤棚の剪定(せんてい)を1年を通じて行っているのであろう。花が咲いたのちの「花がら摘み」、冬季の樹形整形や誘引の結束は、次の年にきれいな花を咲かせるために必要不可欠な作業のはず。花後(かご)の実を付けたままにしたり、定期的な剪定(せんてい)を怠ると、栄養がそちらに取られてしまい、「花芽(花が咲く芽の部分)」に栄養がいかず、花が少ない、または咲かないフジとなってしまうとのこと。来年も、この見事な藤棚の光景を楽しみにしているのである。 ・・・おわり・・・
2024.05.05
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「ウィリアムアダムス・三浦安針墓(安針塚)を訪ねる」をアップ中ですが、昨日4月25日(木)の早朝に、車で10分弱の地元の白旗神社に藤の花を愛でに車で行って来ましたので、本日はこれをアップします。境内に車を駐め、まずは境内の奥にある紫の「弁慶藤」に向かう。。ここ「相州・藤沢 白旗神社」は、奥州平泉で最期を遂げた源義経を祀る神社。伝承によれば、義経と弁慶の首は鎌倉の腰越の浜で首実検が行われた後、2つの首がここ白旗神社に飛んで来たのだといいます。正面の藤棚に紫の藤の花が満開に。1m余りの花房を幾重にもつけ見事な「弁慶藤」。「藤」の原産は日本で、本州または四国から九州の比較的温暖な気候である林に見られる。平安時代からは、観賞用として庭園でも育てられて来た。そして現代では、つる性の特性を活かして藤棚となり、公園や遊歩道でも楽しまれているのだ。これぞ「藤紫(ふじむらさき)」の色。藤紫とは、藤の花のような明るい青紫色のこと。平安の頃より女性に人気の高い『藤色』と、高貴な色の象徴である『紫』を組み合わせた色名で、藤色よりも紫みが強い色。藤紫が染め色として登場するのは江戸時代後期とのことだが、明治期の文学作品や美人画などに数多く見られることから、明治文化を代表する色名の一つといわれていると。また、「藤紫」は大正浪漫の女性を虜にしたことから「大正藤(たいしょうふじ)」とも呼ばれたのだと。左側に廻り込んで。『万葉集』にはフジを詠んだ歌が題詞を含めて28首あるのだと。次はそのうちのひとつだ。「須磨の海人(あま)の塩焼衣(しおやきぎぬ)の藤衣(ふじころも)間遠(まどお)にしあればいまだ着なれず」フジの繊維は織り上げると白い衣となったが、ゴワゴワして肌触りが良くなかった。庶民の仕事着とされたり喪服として着用された。取り上げたこの歌では須磨(すま)の浜(現・神戸市須磨区須磨海岸)で塩をつくり出すために働く漁師の作業衣とされているが、和歌を詠みながらも、まだ着心地が悪いと愚痴をこぼしているのだと。そして大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌。「わが屋戸(やど)の時じき藤のめずらしく 今も見てしか妹(いも)が笑(え)まひを」奈良時代には山野の藤を観賞用として家の庭などに移植する技術が普及していたことがうかがえると。藤の木から垂れ下がる花房が芳しい香りをあたりにただよわせ、花房のまわりに蝶やクマバチが羽音をひびかせながら乱舞している。平城の京の街中にある家の庭にはそんなフジの花が咲いていたことであろう。我が藤沢市の市の花「藤(フジ)」。そして「藤」の字を持つ名字は種類も数も多い。桜や梅ほど花の美しさが評価されない藤が、なぜこれほどまでに名字や地名に用いられているのか。それは日本人の生活文化のなかに藤が深くくいこんでいるということだ と。藤原・藤田・佐藤・武藤・近藤・尾藤・首藤・安藤・伊藤・後藤、進藤・斎藤・加藤・・と。近づいて。風に僅かに揺れて。藤棚にが2本の老木が。そして「弁慶藤」の右横にあったのが「芭蕉の句碑」。「草臥て 宿かる比や 藤の花」。貞亨5年(1688年)4月11日、『笈の小文』の道中大和八木で詠まれた句。文化2年(1805年)3月、以足建立。以足は江戸の人。別号牛文庵。碑の裏に以足の句が刻まれている。「東路や華にくるまる鈴の音」ここ藤沢で詠まれた句ではないが、ここ藤沢の「藤」にちなんで建てられたものであろう。この句は『猿蓑』にも収録されている と。「芭蕉句碑草臥て(くたびれて) 宿かる比や(ころや) 藤の花 文化ニ年建」と再び右側の藤棚。左側の藤棚。そして次に「社務所」前にある純白の藤の花「義経藤」を訪ねた。「弁慶藤」に比べて一週間ほど遅れて見頃になるのです。こちらは未だ三分咲きか?純白の藤の花「義経藤」。「義経藤」。今年の「義経藤」の開花は例年よりもさらに遅く?こちらも満開になると白房花が1m近くに。藤棚全体を撮影。神事の舞台会場。「藤沢市指定重要無形民俗文化財湯立神楽白旗神社を中心に神官により継承されている神事芸能。湯立てを伴う神楽で、湯花神楽、鎌倉神楽等の名称で、藤沢、鎌倉から三浦半島一円におよんでいる。古くは、関東一帯に分布したとされる神代神楽を源流とし、鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の神楽男が伝承し、次第に近隣に定着したものとされる。「湯立て」という神事手法に組み込まれた神楽には品格があり、舞にも洗練されたものがある。演目は十一で打囃子、初能、御祓、御弊招、湯上、中入、掻湯、大散供、笹の舞、弓祓、最後の剣舞・毛止幾で神人共楽の内に終了する。 白旗神社神事 十月ニ八日 平成ハ年三月一日指定 藤沢市教育委員会」「おみくじ掛け」。「一の鳥居」。日本初のグラスファイバー製の「大鳥居」であると。高さ8m、幅6mの明神鳥居で、昭和59年12月に建立された。地震対策のために軽量で耐久性のあるグラスファイバーを取り入れ、建設時には新聞、テレビ、週刊誌等で報道されたのだと。向かい合うようにあったのが「源義経公武蔵丸弁慶公之像」。この「源義経公武蔵丸弁慶公之像」は2019年(令和元年)10月竣工。源義経公没後830年の「記念事業」👈リンク の一つとして建てられたのだ。「義経公・弁慶公の御首は、文治5年(1189)6月13日に腰越の浜で首実検の後、金色の亀に乗り当地に辿り着いたと伝えられています。義経公の首塚は、現在の位置より北に40メートル、当社から南に150メートルの場所にあり、その御霊は当社に祀られました。一方、弁慶公の弁慶塚は藤沢宿 常光寺内にあり、その御霊は常光寺内の八王子社に祀られていましたが、現在は塚のみを残しています。一般的に神社は南向きか東向きに建てられていますが、この八王子社に限っては、主君 義経公が祀られている白旗神社の方を向いていたため北向きに建てられていたと謂います。此度、令和御大典の嘉年と主従役儀830年の佳節を吉年とし、ここに源義経公・武蔵丸弁慶公の銅像を建立し、御霊の平安と隆昌を永年に亘り祈り奉ります。」馬に乗る「源義経公」をズームして。平安武将の大鎧を再現した見事な源義経騎馬像。鎧だけでなく、馬具・轡(くつわ)なども忠実に再現したのだと。そして「武蔵丸弁慶公」。武蔵坊弁慶が主君の義経を仰ぎ見る忠義の士の姿。拝殿への階段手前の右側には石碑が並んでいた。右側から「御大典記念 永代御供米三俵 藤澤米穀肥料商組合」と刻まれた石碑。次に「八海山大神」と刻まれた石碑。次に「御嶽大神」と刻まれた石碑。そして一番左に「三笠山大神」と刻まれた石碑。そして白旗神社のお参りに向かう。拝殿への石段。「白旗神社御祭神 寒川比古命 源義経公配神 天照皇大神・大国主命・大山祇命・国狭槌命由緒古くは相模の国一の宮の寒川神社の御分霊を祀って寒川神社と呼ばれていた。しかし、くわしくはわからない。鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治5年(1189年)閏4月30日、奥州(岩手県)平泉衣川館において自害された。その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は腰越の浦に着き、和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として祀られた。」歌川 広重 東海道五拾三次の内 藤澤 遊行寺藤沢は遊行寺の参詣者が多く、江ノ島への分岐点として賑わった。遠くに北条時宗の本山、遊行寺の伽藍が描かれ、その右手にある家並は道場坂の存在を示し、大鋸橋を挟んで、江ノ島弁天の鳥居がある。お参りをすませた人々が山門をでて橋を渡り、鳥居をくぐろうとしている。そして拝殿への階段手前の左側にも石碑が並んでいた。江の島弁財天道標が一番右に。道標の横には、20数基の庚申塔群があった。正面に「えのしま道」、側面に「一切衆生」「二世安楽」と刻字されていた。杉山検校が江ノ島弁財天に祈願し、成就したお礼に藤沢宿から江ノ島まで48基の道標を建てた。10基が現存し、そのうちの1基。昭和41年1月17日藤沢市重要文化財に指定された。藤沢市指定重要文化財となっている「寛文五年庚申供養塔」。「市指定重要文化財 寛文五年庚申供養塔(有形文化財)庚申信仰は十干・十二支の組合せによって、六十日に一度めぐってくる「庚申の日」に、徹夜で無病・息災・長寿を願う信仰である。「人の体内にいる三尸(さんし)虫が、庚申の夜、天に登ってその人の罪過を天帝に告げるため生命を縮められる」とする道教の教えに由来している。この供養塔の中央上の梵字は釈迦如来(主尊)、続く八字ナムアミダブソワーカーの一呪、下の梵字はここでは青面金剛を表している。猿像の脚ぼその彫刻は、江戸時代初期のものに見かけられるものである。「江の島弁財天道標(建造物)その昔、杉山検校が「多くの参詣者が道に迷うことがないように」との祈念から建てられたものと伝えられる。もとは四十八基あったといわれ、現在は十基が残存している。いずれもほぼ同型で、この道標も尖頭角柱形の三面に「一切衆生」「ゑのしま道」、「二世安楽」と刻まれており、造立者の温情がしのばれる。 昭和四十一年一月十七日指定 藤沢市教育委員会」拝殿への石段を上り参道を進む。左手に「絵馬掛所(えまかけどころ)」。「絵馬」を追う。「令和六年 絵馬」。「心願成就 絵馬」。白旗を掲げて馬上の源義経公。弁慶の姿も。「初宮詣」絵馬。「七五三詣」絵馬。「合格絵馬」絵馬。左側には義経公に纏わる「齋源義経公鎮霊碑」があった。白旗神社の御首と宮城県栗駒町半官森御葬札所の御骸、両地の魂土を合祀し、義経公の兜を象った鎮霊碑で1999年(平成11年)に建立された と。拝殿前の最後の石段を上る。「拝殿」。白旗神社がいつごろできたのかは定かではないが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていた。文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害した。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られた。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認された。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれている。このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示した。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになった。現在の社殿は、文政11年(1828)から7年をかけて、天保6年(1835)12月に完成した。本殿、弊殿、拝殿を連ねた典型的な流権現造り(ながれごんげんづくり)で、外壁部の彫刻は江戸時代の匠の技が光る貴重な文化財。昭和55年7月に大改修工事が行われ、平成16年2月に社殿回廊に高欄が設置されたと。近づいて。主祭神 寒川比古命(さむかわひこのみこと):相模国一宮の寒川神社の祭神。 源義経(みなもとのよしつね)共に祀られている神様 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 大国主命(おおくにぬしのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) 国狭槌命(くにさつちのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと)扁額「忠友殿」と。「源氏の家紋・笹竜胆」が多数装飾されていた。白旗神社の幟。「寒川比古命 源義経公 白旗神社」と。寒川比古命(さむかわひこのみこと)は寒川神社の御祭神。 ・・・おわり・・・
2024.04.26
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「柳橋」を渡りながら、上流の「大島桜・オオシマザクラ」を見る。日本の固有種で、日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ。成長が速く再生力が強く古来雑木林に植えられて燃料として多用されたことからタキギザクラ(薪桜)の別名があるほか、葉が桜餅の葉に使われるためモチザクラ(餅桜)とも呼ばれる。開花時期は、3月下旬から4月上旬、早いところでは2月に開花する。緑色の新葉の展開と同時に一重咲きの大輪の花を比較的多く咲かせ、花と花弁の色は白色、花径は30 - 40mm)ある。花弁は5枚で、先が2つに分かれている とウィキペディアより。ズームして。緑色の新葉の展開と同時に一重咲きの大輪の花が。オオシマザクラとソメイヨシノとのコラボ。道路の水溜りに映る桜の花を。円行公園内の赤い椿の花。ここにも落下した花の赤い絨毯が。引地川の下流方向を見る。この切り株は既に朽ちて。中心部分が空洞化して、枯れてしまった為に切られたのであろう。ここにも花を付けていないソメイヨシノの老木が。ところで、1998年施行の改正河川法で、堤防の樹木は根元から水が入り土壌が緩んで決壊しやすくなり、また流木による堤防の損壊や水位上昇につながる恐れもあることから、堤防の川側に植樹することが禁止されたのだと。一般的に桜の木の寿命は60年と言われて、ここ引地川沿いの桜には老木化したものが見られるようになり、10年後か20年後、いつ寿命がくるかわからない状態なのだ。今後、新たに植樹する場合には、川表(堤防を境にして川側)には出来ずに、川裏または桜根が堤防に入らないよう盛土をして植樹しなければならないとのこと。改正河川法の植樹基準では、「治水上等の支障となる場合は、樹木の有する治水機能及び環境機能に配慮しつつ、支障の大きなものから順次伐採することを基本とする」としており、支障があるものについ ては、伐採・移植等を行い治水の安全性向上に努める必要があるのだとも。そして再び満開のソメイヨシノの花を追う。再び「胴吹き桜(どうぶきさくら)」を。この花には既に緑色の新葉が元気よく。一重ヤマブキであっただろうか?ズームして。ここにも「胴吹き桜(どうぶきさくら)」。老木の桜が、エネルギーを振り絞って幹から花を咲かせている姿は、気になり、元気をもらえるのであった。川面を覗き込むが如き枝を追う。そして前方にカーブミラー。カーブミラーに映った桜を。移動して。さらに。そして「神奈川県道403号線」手前まで進む。そして「神奈川県道403号線」に架かる「円行(えんぎょう)大橋」から「引地川」の桜並木を見る。「円行(えんぎょう)大橋」を渡りながら「引地川」の桜並木を。ズームして。エスタテラ湘南台サンライズビュー地上25階、高さ82.5mのタワーマンション。「円行大橋」を振り返って。今年の地元の桜も見納めか!?日本人と桜の縁は非常に古く、『古事記』や『日本書紀』では天孫降臨した天照大御神の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)に求婚される美しき木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が、はかなく散るものの象徴(=桜の花)として書かれていて、桜という名称は「咲耶」から転じたという説があるのだと。また、民俗学においては、田の神を意味する「さ」と神の御座の「くら」が結びついたという説があるのだと。満開の桜には田の神が宿り、田植えから収穫まで見守ってくれるありがたい存在として、農耕民から崇められていたのであった。そして、桜にとってさらに大きな出来事が、江戸末期から明治にかけての品種改良によるこのソメイヨシノの誕生。従来の山桜の花弁は白く、花と葉が同時に現れるのに対して、ソメイヨシノはほんのり紅をさした花だけが先に開き、いっせいに散り、その様子は華麗そのもの。ソメイヨシノが全国に植えられることによって、桜の美しさやその意味は全国に広がったのだ。春の一時期だけしか見られないにもかかわらず、日本人にとってこの上なく大きな意味をもつ桜。その理由は、人々の暮らしに密着し、心に寄り添い続けてきた記憶の継承にある。だからこそ桜は今も日本人にとって最もなじみ深く、特別な存在となり得ているのです。テレビのニュースでは、多くの外国人が、本場のお花見を楽しむことを目的に日本を訪れていると。日本でしか味わえないお花見を実際に体験し大いに楽しんもらいたいと感じているのである。 ・・・もどる・・・ ・・・完・・・
2024.04.16
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この日は4月7日(日)、車で10分ほどの引地川沿いの桜並木を愛でに向かう。この場所は引地川の両岸に巨木の桜並木が続く地元では人気の花見スポットの一つ。ほぼ満開の引地川の桜並木。この付近の引地川の堤防上の道路の手摺には桜の模様が。桜の花の姿が打ち抜かれていました。川沿いの道を上流に向かって進む。富士山の如き形の白い雲を背景に。引地川の穏やかな流れの上に。上流側は緩やかに蛇行して。ズームして。打ち抜かれ桜の花の隙間から。川面を覗き込むように枝が伸びて。白い桜・大島桜も。計画的に植えたものか?それとも混じってしまった?ズームして。開花が進むと、花びらの中央がしだいにピンク色に染まってくると。開花直前の蕾。多くの桜の枝が川面に向かって伸びて。再び近づいて。そして老木の太い幹から小枝が出て直ぐ花が。これを「胴吹き(どうぶき)桜」と言うと。老木になり、エネルギーが不足してくると急いで葉を増やそうとして幹の途中から芽を出すことがあります。木のエネルギーは緑の葉からの光合成で作られますから葉っぱはたくさんあったほうが良い。桜の場合、葉っぱより先に花をつけますからこんなことになるようだ。この現象が「胴吹き桜」。衰えつつあっても力を振り絞って『どっこい生きている』その姿を毎年見るたびに感動するのだ。しかし「胴吹き桜」は幹の途中に芽を吹くことから名付けられたのであろう、もう少し夢のある表現はないのだろうか。可愛らしくもあるし、力を込めて一生懸命に花を開こうとする、けな気な、がんばりやさんのイメージを表現した言葉に!!と。「胴吹きの 花は吐息の ように咲き」・・・詠み人しらず「蘖/ひこばえ」と思っていたが・・・。「蘖/ひこばえ」は切り株や根元からの若芽を言うらしい。ネットで調べてみると、「太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」という。春から夏にかけて多く見られるが、俳句では春の季語となっている。なお、樹木ではないが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽を「穭(ひつじ)」と呼のだと。別の場所にも。さらに、上流に向かって。桜の関する言葉にいろいろあるのだ。・初桜(はつざくら):その年にはじめて咲いた桜の花・桜狩(さくらがり):「狩る」とは何かを求めること。桜を求めて貼るの山里をたずね、 鑑賞すること・夢見草(ゆめみぐさ):桜の別名。美しさにうっとり見惚れてついた呼び名・花筏(はないかだ):水面に花が散る様子を筏に見立てていう・夜桜(よざくら) :夜の桜の花・花明かり(はなあかり):夜、満開の桜の周囲がほのかに明るく感じられること・花吹雪(はなふぶき) :散り落ちる桜。「落下」「花の塵」「花屑」ともいう・花筵(はなむしろ):花びらを敷物に見立て、その上に座ること・花嵐(はなあらし):桜の花が咲くころに吹く強い風のこと。また、風で桜の花びらが 盛んに散ること。・花冷え(はなびえ):桜の花が咲く季節に一時的に寒くなること・花曇り(はなぐもり):桜の花が咲くころの、曇りがちな天気のことそう!この日は「花曇り」?!川面に我が身・花を映すが如くに。そして「引地川」に架かる「柳橋」を渡る。「橋名板」には漢字で「引地川」。橋の名は漢字で「柳橋」。「橋名板」だが、明治以降の近代橋には、”漢字”と”ひらがな”の二つのパターンで設置されているのだ。そして、時代が進むにつれて、”橋名の漢字”、”橋名のひらがな”、”竣工年月日”、”渡る河の名称”等の四つのパターンが多くなってきている。橋が架かる道路の起点側右手に「漢字河川名」、左手に「漢字橋名」、終点側にはそれぞれ「ひらがな」でと。よってこの道路・「湘南台272号線」は道路名からも判るように、左側・湘南台方向がこの道の起点側であることが判るのであった。そしてもう1つのタイプでは、道路の終点側左に「ひらがな橋名」、右側に「竣工年月日」が書かれているようだ。そしてもう一つ、面白いのは、「◯◯ばし」ではなく「◯◯はし」と記載されているものが多いとのこと。濁点を入れないのは「川の水は濁らず」との想いから来ていると。また「橋が濁流に流されないように」とも。しかし、これは全国の都道府県に公に通達されているのでは無いとのこと。つまりほとんどの都道府県では、「はし」の平仮名は濁らないとの明記は無いのだと。この「柳橋」の平仮名表示は「やなぎばし」となっていたのであった。この様に、花見のブログを書きながら多くの事を学んだのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.04.15
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「日本大学生物資源科学部」のお花見を続ける。そして突き当りの「9号館」前を右折して進み直ぐに左折して「善行長後線」方向に進む。この道の両脇のソメイヨシノの桜並木も満開中。ズームして。そして「バラ園」の手前、「5号館」裏の植栽の場所を訪ねた。桜並木を振り返る。そして様々な花をカメラで追う。「ハナモモ」であっただろうか。「ハナモモは、花を観賞するために改良されたモモです。サクラの花の咲く時期に前後して開花の最盛期を迎え、あでやかなピンクや赤、白の花が春の庭を彩ります。モモは古来より中国では災いを除き、福を招くとされてきました。日本への渡来は古く、弥生時代といわれています。『古事記』にもイザナギが黄泉の国から逃げ帰るときに悪鬼にモモを投げつけて退散させたとあることから、古い時代から栽培されていたことがうかがえます。その後、平安時代には3月3日の桃の節句が祝われ、モモの花が観賞されるようになりました。このようにモモは太古から日本人に親しまれてきましたが、観賞用のハナモモとして改良が行われるようになったのは江戸時代に入ってからです。現在もハナモモの品種改良はあまり進んでおらず、栽培されている園芸品種には江戸時代に作出されたものが多くあります。樹形には立ち性、枝垂れ性、ほうき立ち性があり、狭いスペースにはほうき立ち性、広い場所には立ち性や枝垂れ性など、場所に適した樹形を選ぶことができます。庭木として植えられるほかに、‘矢口’などは促成の枝ものとして切り花に利用されています。」とネットから。そして椿の花。落ちた花を。この切り株は、ソメイヨシノであっただろうか?斑入(ふいり)系というらしいのですが、紅白に色分かれしているもの。咲き方は八重咲き。落下した花びらの姿も美しいのであった。ズームして。ピンクの椿。花びらには僅かに赤い筋が。紅白の「ハナモモ」が並ぶ。白の「ハナモモ」。「赤のハナモモ」。「ミツバツツジ」。ミツバツツジは、関東から中部に分布する落葉低木で、和風、洋風どちらの庭にもマッチする植物です。ツツジやシャクナゲの仲間で、枝先に3枚のひし形の葉をつける落葉(一部常緑もあり)種が、一般にミツバツツジ類と呼ばれており、紫色の花を咲かせ、開花後、あるいは同時に葉が出るのが特徴。椿・「紅白美人」であっただろうか?「紅白美人」は、名前の通り紅白の花色が美しい椿。赤と白と桃色の三色が乱れ咲く花木。「源平枝垂れ桃」であろうか?豪華な色合いは春にふさわしいのだ。赤と白が入り混じるので源平合戦になぞらえた名前。江戸時代から好まれて品種改良されてきたと。日本人好みのハナモモ。近づいて。再び「赤のハナモモ」。近づいて。「ピンクのハナモモ」も再び。近づいて。この桜は「オカメザクラ」?早咲きのサクラの一つで、1947年にカンヒザクラとマメザクラ(富士桜)をイギリスで交配して作ったものが逆輸入された。花色が濃くて華やかでありながらも、樹高が大きくならないことから、人通りの多い場所の街路樹や狭い庭のシンボルツリーとして使われる と。この桜も満開!!そして「海棠(カイドウ)・花海棠(ハナカイドウ)」。近づいて。さらに。「紫木蓮(しもくれん)」。通常、モクレン(木蓮)と言えば、濃紅色の花を咲かせる この「紫木蓮(しもくれん)」。白花を咲かせるのは、 ハクモクレン(白木蓮) 。 春、新葉が出る前に、骨格がしっかりした木の枝先に、濃紅色で卵形の大きな花を咲かせる。 花は上向きに咲き、全開せず半開状(開ききらない状態)に咲く。 花色が濃い紅色は花弁の外側だけで、花弁の内側は白または白味がかった極薄紅色なのだ。白い花は「リンゴの花」であっただろうか。別の「リンゴの花」に近づいて。さらに。さらに。この花びらの先端が丸い林檎の花の、リンゴの種類は「陸奥」??」白亜の建物の前にあったヒマラヤスギに似た「巨大杉」。見上げて。「レバノンシーダー Cedrus libani西アジア産の針葉樹。ヒマラヤスギに似た木で、大木になりますが、生長がおそく、成木は枝先が少し垂れます。(マツ科)」・レバノン、キプロス島及びタウルス山脈(トルコ南部)を原産地とするヒマラヤスギの仲間で、 レバノンの国旗にデザインされている。 ・雄大な樹形が好まれ、欧米ではヒマラヤスギより多く公園等に使われる。日本に渡来したのは 明治初年で、新宿御苑に植栽された。現代でも日本での活用は乏しく、一部の公園や植物園に 見られるのみ。・大木となることや材に香気があり、防虫効果があることから、優良な建材(ピラミッドの 基礎等)、船材(帆船の柱等)として地中海域の古代文明を発展させるのに貢献し、 イタリアンサイプレスと共にノアの箱舟の材料になったとされる。しかし、乱伐の結果 (紀元前10世紀にソロモン王の寝殿造りのために伐採されつくしたとの説も)、自生種は 今日では世界遺産として指定される地域内にわずかに残るのみとなった。・葉の長さはヒマラヤスギとほぼ同じか、やや短い。成長はヒマラヤスギよりもやや遅い。 枝はまばらな印象を受ける。花は8月頃に咲き、「私のことを考えて」などの花言葉もある。葉はヒマラヤスギよりも緑が濃いのでは。「SHONAN STAFF COURT」と入口に。白亜の木造・2階建ての建物。大学関連の職員の住居・宿舎なのであろうか?そして小田急線の駅に向かって進む。校門近くのソメイヨシノ。奥には「日本大学生物資源科学部」の高層校舎の姿が。「日本大学生物資源科学部」の正門。通学路のソメイヨシノの並木。そして小田急線、東海道線、神奈中バスを利用して、平塚市土屋にある「平塚市土屋霊園」に元上司の墓参り&花見に向かったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.04.14
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この日は1週間前の4月6日(土)、地元の日本大学生物資源科学部と日本大学藤沢高等学校・藤沢中学校の敷地内にある桜並木を愛でに向かう。途中、道路沿いにある地元の神社・地神社の境内に咲くソメイヨシノを見上げる。満開のソメイヨシノ。ソメイヨシノの下に赤い椿の花が。ズームして。椿の花は既に散り始めていた。そして小田急線の踏切を渡り、日本大学、藤沢高等学校の構内道路に入り、道路脇に自転車を駐め、散策開始。昔は右側にも桜並木があったが、台風で一部の桜が倒れてから、安全を考慮して老木は全て根本から伐採されたのであった。伐採された桜の老木の切り株の姿を。残された老木の桜をの花を見上げて。日本大学生物資源科学部の陸上グランドとその先の小田急線沿いの桜並木。日本大学生物資源科学部の高層校舎方向を見る。左側の緑のネットは、日本大学藤沢高等学校の硬式野球部の練習グランド。陸上グランドの赤いアンツーカーと桜並木のコラボも美しかった。100m競技のアンツーカーと桜並木。ズームして。日本大学藤沢高等学校・日本大学藤沢中学校の正門。ズームして。そして反対側の陸上トラック沿いの通学路の桜並木。ここは、コロナ以後は学校関係者以外は入ることが出来なくなってしまったのだ。入口左側の小さな森をズームして。「しげまるの森案内板この辺りー帯は昭和50年代中頃まで本学の林学科(現森林資源科学科)・樹木園として整備されていました。その後体育館新設に伴い現在の規模に縮小され、長い間放置された森林状態となっていましたが、平成27年3月に除・間伐などの手入れが行われ、樹木とふれ合い森のはたらきを学ぶための樹木見本園(しげまるの森)として整備されました。約0.5haの園内には外国産樹種も含めて30種以上の樹木が生育しておリ、森のニ酸化炭素循環、手入れ不足の森と竹林の拡大、移入外来種などのテーマ別に整備されています。年が明けてツバキが咲き、春のサクラから芽吹きの新緑、夏の涼しい木陰、秋の木の葉の色づきまで、一年を通して森の変化を感じることができます。」通学路の桜並木を見上げて。土曜日の早朝の為か、通学する生徒の姿はほとんどなかった。ズームして。陸上グランドの線路沿いには観覧席も。再び校内の通学路をズームして。これぞ満開。「胴咲き桜」と呼ぶと。「‘染井吉野’を含めた多くのサクラの仲間は、ひとつの冬芽から花あるいは葉のシュートが伸びていきます。花が伸びる芽は花芽、葉が伸びる芽は葉芽と言うこともあります。通常、こうした冬芽は葉の付け根の葉腋と呼ばれる場所に夏季に形成され、翌春に開花あるいは展葉します。ところが、こうした冬芽からではなく、幹や根などから葉のシュートが直接伸びる場合があります。こうしたシュートを不定枝、伸び始めの芽を不定芽と呼びます。どうして不定芽ができるのかはよく分っていませんが、休眠したままだった潜伏芽が伸びる場合もあります。また、‘染井吉野’では樹冠部にストレスがかかって衰弱すると、幹や根から不定枝がよく伸びることも観察されています。幹から直接花が咲いているように見える現象は、この不定枝によるものです。ただし、よく観察すると、花のシュートは幹から直接伸びているのではなく、必ず前年の葉のシュートについた冬芽(花芽)から伸びています。つまり、前年に幹から直接伸びた不定枝についた葉の葉腋に、花芽がつくられて、翌年に開花するのです。不定枝は長く伸びる場合もありますが、数ミリメートル程度の短い場合もありますので、そうなると直接幹から花が咲いたように見えるのです。」とネットから。人工芝、赤いアンツーカーの陸上グランドを見る。再び「日本大学生物資源科学部」の高層校舎をズームして。そして自転車を駐めている場所に引き返す。再び100mトラック、桜並木を見る。 ・・・つづく・・・
2024.04.13
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4月に入りましたが、昨日は急激に温度が上昇し、我が家の庭、菜園の花々も賑やかになって来ました。庭梅(ニワウメ)。この時機になると細い枝いっぱいに梅に似た花を咲かせ、初夏に生食もできる赤い果実を楽しめるのです。別の角度で。近づいて。クリスマスローズ(白)。クリスマスローズ(赤)。ボケ(木瓜)。近づいて。赤いチューリップも。ヒヤシンス(白)。ヒヤシンス(紫)。こちらは葉牡丹。開花直前。今年も我が家の庭の各種スイセンが開花しています。 小型水仙 FORTUNE。「黄色花カップ」黄色の花弁にオレンジ色の口紅カップ。ラッパ水仙白、口紅水仙。白い八重の房咲き水仙「ホワイトライオン」。小型のラッパ水仙。「タヒチ」。黄・黄色の八重咲き。大輪の大型。名前の通り明るい陽気な印象の花。「黄色シボリ」。花弁に黄色と白のシボリ模様が入ってます。ペチコート水仙「バルボコディウム 」。八重の黄水仙。「ピンクチャーム」。花弁が白色、副冠が桃色の大カップ咲き。大輪で大型。花弁も副冠も大きくよく目立ちます。房だけ薄い黄色のラッパ水仙。マウントフッドは徐々にクリーム色に変わるスイセン。八重咲きスイセンムスカリ(紫)。アマドコロ。近づいて。そしてユキヤナギ。近づいて。そして我が家の横の、そしてミツバチを飼う菜園の花々です。こちらはブロッコリーの花。我が趣味のミツバチが大好きな花なのです。近づいて。そろそろ、片付けて、トマトやキュウリを植え込みたいのですが、ミツバチ嬢が毎日訪花しているので、なかなか片付けられません。さらに。スナップエンドウ。スナップエンドウの花。こちらは大根の花。白カブの花。近づいて。更に。イチゴも花を付け出しました。イチゴの花。こちらがそら豆。そら豆の花。別の種類のそら豆の花。花の紫の色がやや濃いのです。
2024.04.01
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「河津桜」を後にして、ひたすら国道135号線を走り、小田原市根府川にある「離れのやど星ヶ山」を訪ねたのであった。訪ねた目的は、「根府川駅」周辺の「おかめ桜」であったが、まだつぼみの状態であった。「根府川おかめ桜まつり」は2月24日(土)~3月24日(日)の開催予定であったのだ。以下は以前に訪ねた時の写真である。「離れのやど 星ヶ山」。清流、白糸川のせせらぎが流れる自然の中の一軒宿。木樹の温もりに囲まれて、ゆっくり・のんびり・ほのぼのとした時間をお過ごし頂けるように願いをこめて、全室離れのログハウス、そして、露天風呂付きの客室もご用意致しました。木の暖かな感触と大自然を近くに感じられ、日常から離れリフレッシュできる空間です とネットから。そして「離れのやど 星ヶ山」の敷地内にある「豆相人車鉄道」の展示を訪ねた。「豆相人車鉄道明治29年全開通から10年間風光明媚な海岸線を4時間を要して走る人車鉄道が熱海ー小田原間を運行していました。その実車復元車両を展示して走らせています。」線路の先に復元車両の姿が。近づいて。こちらにも「豆相人車鉄道明治29年全開通から10年間風光明媚な海岸線を4時間を要して走る人車鉄道が熱海ー小田原間を運行していました。その復元車両は当時の資料を基に製作しました。」と。「車両内部」には木製の座席が向かい合って。明治末期の写真をネットから。小田原と熱海方面とを結ぶ交通の近代化は明治29年(1896)に全線が開通した豆相人車鉄道に始まります。トロッコクラスの小さな車輛を2~3人の車丁が押すもので、人力車の鉄道版といったところです。定員は1車輛6名、4~5輛がグループになって走行していました。豆相人車鉄道は最初から地元住民が必ずしも気軽に利用できるような交通機関ではなく、乗客はもっぱら湯河原温泉や熱海温泉を訪れる湯治客や観光客であったと考えられることから、(中等、下等の)乗客が上り勾配区間で下車させられたり、高額な運賃を支払っていたにもかかわらず客車の後押しも手伝わされたりしていたとの話もあるのだと。正面に「ミニカーハウス」。米国大統領・世界の消防車・ハーレー他1500台以上を展示しています と。正岡子規の句碑。「根府川や石切る山の青蜜柑」「離れのやど 星ヶ山」を開業した内田 昭光さん👈️リンク。「夢に向かって協力し汗をながして努力する 昭光」と。手作りの板葺の屋根を持つベンチも。「ねぶかわ文学碑」。小田原市根府川地区で宿泊施設「離れのやど 星ヶ山」を経営する内田昭光さん(82)が、このほど「ねぶかわ文学碑」を建立した と。「ねぶかわ文学碑文学とはほど遠い生活をしてきました私が、このような「文学碑」建立を思いつきましたのは「根府川地区」の古き時代に関わっていただいた文学者の歴史を伝えることができれば、との思いからです。吉川英治吉川英治さんの曾祖父、銀左衛門さんは大久保の藩士で、根府川関所の役人として務めており、その昔には、根府川岳の山にあったといわれます狼煙灯台の守りの役していたとも聞いています。福田正夫大正時代に片浦村分教場の教論として、地域の学童の教育に尽力され、地域の発展に新風を吹き込んだと伝わっています。その後民衆の詩人福田正夫として、勤労や身の回りの生活等の作詩活動に邁進して多くの作品を残しています。茨木のり子若き日の茨木のり子さんが戦中下、東海道線「根府川駅」を通るたびに兵隊さんとの恋の思いとともに、駅から見渡す、赤いカンナの花の先に広がる大海原へ、戦後の復興を夢見た想いが感じられます。森鴎外箱根、三種の落葉樹として「ヤマボウシ」「姫沙羅の木」「エゴの木」があります。その中の沙羅の木と根府川石を絡めて謳った・・その昔庭の敷石として名をはせた「ねぶかわ石」との情景が見えてきます。正岡子規 歌碑は未完成です。「根府川や石切る山の青蜜柑・・・正岡子規がこの地域を訪れた時、当地を代表する産業の、「石と蜜柑」にふれあった事からこの句ができたと思われます。」「宮本武蔵新平家物語 吉川英治」「根府川の海👈️リンク根府川東海道の小駅赤いカンナの咲いている駅たっぷり栄養のある大きな花の向うにいつもまっさおな海がひろがっていた 茨木のり子」。「沙羅の木褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に白き花はたと落ちたり、ありとしも靑葉がくれに見えざりしさらの木の花。 森林太郎」沙羅の木(サラノキ)は、日本では「夏椿(ナツツバキ)」とも呼ばれ、椿に似た美しい白い花を初夏に咲かせる落葉樹 と。「われらは郷土から生まれる われらは大地から生まれる われらは民衆の一人である 福田正夫」「あじさいの小道」を歩く。簡易コンクリートで舗装した小道。小川の上のくつろぎの場。「サンタの森」と。この植物はクレソン?清流、白糸川。食事も出来るテーブルセットが小糸川の上に。「離れのやど星ヶ山」Area Map。ログハウスを見上げて。「希望の鐘」ログハウスが並ぶ。カフェレストラン「ななつの星」の入口。そして「離れのやど星ヶ山」を後にする。途中、JR根府川駅に立ち寄る。根府川(片浦海岸)案内板。「根府川(片浦海岸)は、箱根火山の外輪山です。駅舎横の慰霊碑や近くにある釈迦堂で、1923年の大正関東地震の際の駅裏の斜面の地滑りやその南を流れる白糸川で起きた岩屑なだれなどの被害について、当時の状況を知ることができます。根府川の尾根伝いに断続的に「氏直の構」と呼ばれた戦国時代の土塁が残されており、江戸時代には根府川関所の要塞山として管理されるなど、当時は箱根火山が生み出した地形を生かした要害の地でした。また海岸に沿って、江戸城の石垣用に石を切り出した石丁場が開かれたため、安山岩を切り出す際にうがたれた矢穴(クサビを入れる穴)の跡がある石が現在も点在します。」ここは小田原市の根府川駅。相模湾を見下ろす崖の上にある駅舎。駅前やホームから見る相模湾の眺望は絶景、特に人気なのは、「初日の出」とこの日の「桜」。東京駅から一本で行ける距離にあるため多くの『カメラ爺』がやって来ると。元日に限り、根府川駅で日の出を迎える臨時列車も運行され、一年で最も賑わう瞬間を迎えると。無人駅の改札口を入り右手にあった池とその横に石碑が。「関東大震災殉難碑」👈️リンク。1923年(大正12年)9月1日:関東大震災により地すべり👈️リンク(土石流ともいわれる)が発生し、当駅に進入中の真鶴行き下り列車(8両編成、乗客約150名)が客車2両を残して駅舎、ホームもろとも海中に没した。列車に乗車していた約110名とホームに居た20数名の計約130名が死亡したのだと。「昭和四拾八年九月吉日根府川駅職員一同建之協力者神崎・・・」改札口を入った場所から「海」を見る。待合室の展示品。「日の出が差し込む根府川駅」「根府川・白糸川橋梁走行の国鉄時代の貨物列車」「根府川・白糸川橋梁走行の国鉄時代の特急列車」そして「JR根府川駅」を後にして小田原市早川にある「漁港の駅 TOTOCO小田原」にて海鮮丼を楽しんだのであった。そして西湘バイパス、新湘南バイパスを利用して17:31に帰宅したのであった。2日間の走行距離は418.7kmであった。 ・・・もどる・・・ ・・・完・・・
2024.03.24
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「河津川」の右岸を歩き「豊泉橋」まで戻る。「豊泉橋」の中央のコンクリート橋脚の河床部分から湯気が出ている事に気がついた。ズームすると、温泉が噴出しているようであった。北西300mほどの場所には「峰温泉大噴湯公園」内には伊豆の中でも珍しい噴泉・「峰の大噴湯」👈️リンク があるのだ。「1926年に掘削された温泉で、摂氏100度の温泉が、1日7回、地上30メートルの高さまで噴き上がります。本当はいつでも噴き上がるのですが、管理上普段は止めていて、1時間ごとに噴き上げています。温泉はとても熱いのですが、噴き上がった温泉が降ってくる頃には冷えていますので、噴湯の様子を近くで眺めていても大丈夫です(濡れますが)。迫力の噴湯をぜひ体験してみてください。9:30~15:30まで1時間ごとに1分間噴湯が公開されています。金曜・火曜は源泉維持管理作業のため休み。」とネットから。ズームして。温泉が1m以上の高さまで噴き上がっているのであった。「豊泉橋」の先に移動して。同様にズームして。「東洋一の大噴湯」案内板が駐車場脇に。「豊泉橋」を渡って左岸に向かう。「豊泉橋」から下流側を再び見る。左岸の白き流れと河津桜を見る。橋を渡り終わって、右岸を振り返ると、右岸には花をつけていない河津桜の樹が数本並んでいたのであった。ズームして。病気?寿命によるものか?心配なのであった。ところで、河津桜は1955年に原木が発見されてから広がり、河津川沿い4キロに850本が咲き誇る。毎年100万人が訪れ、経済効果は300億円ともいわれる。しかし、桜の寿命は60年とされ、20年後には枯れる心配がでてきた。だったら少しずつ植え替えていけばよさそうなものだが、これに法律上の壁が立ちはだかっているのだ。1997年に河川法が改正され、「根が弱ると地面にすき間ができ、堤防決壊につながる可能性があるため」(静岡県土木事務所)と、川沿いの植樹ができなくなったのだ。特に川表(堤防を境にして河川側)への新たな植樹は出来ないのだ。さらに、植樹基準では、「治水上等の支障となる場合は、樹木の有する治水機能及び環境機能に配慮しつ つ、支障の大きなものから順次伐採することを基本とする」としており、支障があるものについ ては、伐採・移植等を行い治水の安全性向上に努める必要があるのだと。 「河津川河津桜の現状と課題河津川における河津桜の植樹状況は、下表等(表-1:河津桜の植樹状況一覧表、図-1:河津川 における河津桜植樹状況)に示すとおり、941 本のうち、679 本(約 72%)が川表(堤防を境にして河川側)に植樹されている。 植樹基準を満たさない堤防への植樹は、堤防の弱体化を招き、破堤・越水の原因となることが あり、堤防の安全性を損なう恐れがある。(図-2:植樹基準を満たしていない桜が堤防に与える 影響) 表-1:河津桜の植樹状況の一覧表(平成20年2月時点)「河津川の危険度と桜状況マップ上表の如く、941 本のうち、679 本(約 72%)が川表(堤防を境に して川側)に植樹されているとのこと。河津川の右岸、左岸別そして地域ごとに❀:川表側に植樹されている桜、❀:川裏側に植樹されている桜の本数が纏められている図をネットから。「植樹基準を満たしていない桜が堤防に与える影響川表側の「桜が倒木し、堤防が欠けると、堤防が破堤し浸水する恐れがある。」「桜が倒木し、流下阻害物となった場合、河川の水位が上昇し、堤防から水が溢れる(越水)する恐れがある。」と。「新たな桜並木の形成現在の河津川沿いの桜並木は、街中や河川背後地へ、 新たな桜並木の形成を検討していくことが必要である。 特に、河津川の背後地は、既に植栽帯を整備している場所や建物が立地している場所、農地等、様々な土地利用がされている。そのため、町全体の中でも河津川沿いをメインとする場所においては、桜のボリュームを下げないよう背後地に「2列・千鳥植栽」での新たな桜並木を形成することを検討している。 また、川沿いの美しい河津桜並木の景観も出来るだけ鑑賞期間を長くするため、引き続き既存桜の適切な維持管理を実施していくとともに、川表の桜については、伊豆縦貫道の発生土を活用した、背後の農地かさ上げによる対応も検討していくことにより、治水安全度向上にも寄与できるようなまちづくりとしていきたい。 町全体の桜計画策定については、桜の植樹年代や全体のネットワーク、治水・津波対策の整備必要区間を考慮しつつ、町全体の桜のボリュームを確保しながら決定 していく。」 と。要約すると●現在の川表の河津桜は、維持管理を十分に実施し、長寿命化を企図する。●現在の川表の河津桜は、新たな追加植樹は出来ないので、将来的には消滅する。●上記を考慮し、川裏側の農地を盛土し、2列・千鳥植栽による新たな河津桜並木の形成を 目指す。ということか。いつまでも、残しておいきたい早春の日本の姿・河津桜なのであるが。そして我が地域・引地川にも同様な問題が発生しそうな場所が。以下、2枚は昨年の引地川沿いのソメイヨシノの桜並木の写真です。このように、河川の川表側に桜が植樹され、人気の場所は日本全国に数え切れないほどあることは間違いないのである。再び現在の河津川の白き流れをズームして。そして再び河津桜の花見の報告です。「この橋は豊泉橋です」と。「河津川」には大きな黒い鯉の姿が。ズームして。左岸に戻って引き返す。人気の河津桜の大樹まで戻る。まだまだ多くのカメラマンの姿が。そして2月1日から2月29日まで、まつり開催期間中は毎日18:00~21:00に夜桜がライトアップ👈️リンクされるとのこと。以下の写真はネットから。「来宮橋」まで戻る。やきそば、たこ焼きの店。さらに「河津桜」のトンネルに向かって進む。再び菜の花とのコラボをカメラに収める。近づいて。再び「河津川」の白き流れを。「ぼくに話しかけてネ!ピョコピョコ動きながらものまねするヨ!一緒にあそぼう☆」再び菜の花とのコラボを。川原に白き鳥を発見。足指が黄色いので「コサギ」であっただろうか?ズームして。そして駐車所のある路地まで戻る。藍染の商品が並ぶ店舗。今年も「河津桜まつり」👈️リンク を大いに楽しみ、帰路についたのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.03.23
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「かわづいでゆ橋」手前まで辿り着く。ヒヨドリであっただろうか?満開の「河津桜」が青空に映える。「かわづいでゆ橋」を歩く。左岸を振り返って。橋の上から下流方向を。上流方向を。2本のピンクの帯が緩やかに左にカーブして。さらにズームして。名所案内板。「かわづいでゆ橋」までとして、帰路は対岸を引き返すことに。「オオキバナカタバミ」であっただろうか?「二本三大寝釈迦霊場・涅槃堂」👈️リンク 案内板。民家の横にも大きな「河津桜」が満開なのであった。ここにも「河津桜」のピンクのトンネルが。「河津川」の水面を花越しに。小さな石祠。さらに下流に向かって進む。「音蔵の桜」はどれか分からなかった。ズームして。見上げて。「セグロセキレイ」が石の上に。全長21cm。全体が白黒模様のセキレイの仲間の鳥。頭から背と胸は黒色で、頭の黒色の中に額の白色が良く目立ちます。翼は白色部分が多く、腹は白色なので、飛ぶと白い鳥に見えます。着地の折には腰を上下に振ることが多く、セキレイ類の特徴の一つになっています。最近になって韓国での繁殖例が知られましたが、世界的には日本特産種と言ってよいでしょう。北海道から九州までの河川や池沼畔などに棲息し、海岸には出ません。飛行は上下に揺れる波型を描き、その時には「ジジッ ジジッ」といった濁った声を出しています。近年、日本では急速に分布を拡げているハクセキレイとの軋轢(あつれき)があり、個体数が減少する傾向にあります とネットから。人工的並べられた?石の場所が眼下に。川面に落ちた花びらが枝に捕まえられて。花筏(はないかだ)のミニ版か?やはり人工的!!目的は??ループ橋にあった「河津桜」案内板と同じものが。そして右手にあったのが「豊泉の足湯処」。峰温泉の河津川堤に、2003年2月オープン。目の前に続くトリムコースでハイキングや散策を楽しんだら、ここへ立ち寄ってリフレッシュしよう。2月に行われる河津桜まつりの会場のひとつでもあり、同時期にオープンした「さくらの足湯処」とともに、人々の交流の場として親しまれているスポットであると。散策の疲れを癒そうと思ったが、時間がなくて・・・。隣には温泉が湧き出していた。ズームして。「足湯時間 9:00~17:00」と。河津桜まつり開催時のみの足湯なのであろうか?この先にも、「河津桜」観賞用?の大きな石段が。見事なピンク色に染まって。「遊漁について漁業権漁種漁法あまご うぐい・・・・ルアー フライ テンカラ 餌釣にじます おいかわ ・・・・餌釣うなぎ ・・・・餌釣 もじりモクズかに ・・・・もじり1人3籠以内あゆ・・・・・・・・・掛針はイカリ針1段又はチラシ針3本以内のいずれか遊漁期間あまご うぐい ・・・3月1日より10月31日までにじますおいかわ・・・・・・・7月20日より2月末日までモクズかに・・・・・・10月1日より2月末日まであゆ・・・・・・・・・6月1日以降組合が定める日より12月3 1日までうなぎ・・・・・・・・3月1日より9月3 0日まで●鮎のエサ釣は下記期間のみ解禁となります。 ・7月20日から10月10日まで来宮橋から下流域 ・8月1日から10月10日まで河津橋から上流域●保護期間として豊泉橋よリ河口まで 10月11日以降は全面禁漁です。●空カン・ごみを川へ捨てないで下さい。 河津川非出資漁業協同組合」ルアー: ルアー(lure)とは、釣りで使用する疑似餌(おとり)です。 ルアーは、肉食魚のエサになる小魚や甲殻類(エビ)などに見た目を似せて プラスチックや木、金属などで作られています。ルアーを使って魚を釣るのが ルアーフィッシング。フライ: 小昆虫などを餌にして魚を釣ること。フライはハエの意であるが,一般には小昆虫を 模した擬似餌をいう。鳥の羽や髪の毛などを針に結びつけて仕上げるもので,日本では 在来から毛針(けばり),蚊針(かばり)と呼ばれてアユ釣りなどに使用されていた。 フライが水面に浮くものをドライフライ,水中に沈むものをウェットフライと呼ぶ。 イワナ,ヤマメ,アマゴ,ブラウントラウトなどの淡水魚を対象とする。テンカラ:テンカラとは、古くから日本で行われてきた毛バリ釣り。 水生昆虫や陸生昆虫などを模した毛バリ(針に毛を付けてエサに見せかけたもの)を 使い、ヤマメやアマゴ、イワナなどの渓流魚を狙います。 テンカラの仕掛けは非常にシンプル。1本ののべ竿に、1本のライン、1本の毛バリ だけを用いて、渓流魚とのスリリングな駆け引きを楽しみます。 ラインを太くし、毛バリのサイズを大きくすることで、本流域に潜む大型の渓流魚や ニジマスも狙えます。また、毛バリにアタックする魚の姿を間近で見られるのも、 テンカラならではの魅力といえるでしょうと、ネットから。釣りの方法に疎い私には良く解りませんが。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.03.22
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そして私も「河津川」の河原に降りる。右手には、石段を踏み外し転げ落ちた妻を心配する夫の姿が。この後にお巡りさんも来たが、何とか夫に支えられて石段を上って行かれたが・・。二本のピンクの帯の曲線がどこまでも。低い位置から、菜の花と一緒に河津桜を仰ぎ見るのも目線が変わって面白いのであった。人工的に造られた河原か?河津川はこの時期・2月上旬から3月下旬にかけて河津桜の濃いピンク色で包まれるのであった。河津川沿い約4キロ👈️リンク には、河津桜約850本が立ち並んでいるのであった。河原で記念撮影されている方々。下流側方向を振り返って。ズームして。山の名は「天嶺山・349.8m」と。川には多くの大きな石の姿があったが、人工的に置かれたものか?「田中親水園地周辺案内図」。田中親水園地にはトイレ施設もあるので、休憩のポイントになるのであった。さらに上流に向かって。テレビ中継も行われていた。テレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」か?時間は10:46。この河津桜の木を背景に放送中。静岡朝日テレビ・林輝彦アナウンサー?右手奥に菜の花畑があった。ここにも河津桜が欲しいと身勝手に!!廻り込んで河津桜とのコラボを。西洋ミツバチの姿も。上手く撮れました。「河津川」の西・「峰温泉大噴湯公園」近くの山の斜面にも「河津桜」が一面に開花中。ホテル「玉峰館」からの景観用のものか?「峰温泉大墳湯公園」➡️800m、「涅槃堂」👈リンク 630m と。さらに「かわづいでゆ橋」に向かって進む。しばし、ノーキャプションにて、河津桜を愛でていただきたく。花にズームして。前方に色の濃い、赤い桜の花が開花を迎えていた。琉球寒緋桜(かんひざくら)に似ていたが。本州で桜といえば「ソメイヨシノ」が一般的だが、沖縄で桜といえば「寒緋桜」。この「寒緋桜」は、ひと足早く1~2月にシーズンを迎えるのですが、その姿を見た人の多くが「梅? 」と思いがちですが、実は「寒緋桜」……。花びらの色は濃いピンク。花の向きは下向き、さらに、桜吹雪といわれるソメイヨシノのような「散り方もなく、ボトッと花が木から落ちるのも、寒緋桜ならではの特徴とのこと。蕾をズームして。メジロの姿を発見。メジロを追いかけるが、なかなか・・・・。「周辺案内図」。ズームして。「かわづいでゆ橋」の手前。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.03.21
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「来宮橋」から対岸の河津桜を見る。そして再び河津川左岸を上流に向かってさらに進む。川の右左は、上流から下流に向かって右側が右岸、左側が左岸と決められている。そしてこの日の一番人気の見事に開花している河津桜の大樹。多くのカメラマンの姿が。ズームして。さらに進む。「スチールタングドラム」👈️リンク を演奏する若者の姿が。現地で採れたフルーツの販売。メジロの鳴き声が聞こえるが姿は・・・?対岸を見る。ズームして。「日本三大和牛 米沢牛(よねざわぎゅう)」。米沢牛は、山形県置賜地方で飼育された黒毛和種の未経産雌牛の牛肉。米沢牛銘柄推進協議会が認定した生産者が、登録された牛舎で18か月以上飼育された牛肉のみが米沢牛として認められているのだと。食べ物の露店が並ぶ。地元生産の柑橘類売り場。肉、やきそば、だんごと、この周囲は香り豊かに。前方に「豊泉橋」が垣間見えて来た。そして「豊泉橋」から「河津川」の「河津桜」の並木を見る。ズームして。「豊泉橋」からの左岸を見る。左岸をさらに上流に向かって。「河津桜ビール」があったが・・・!!「桜色」のビールです。桜咲く春風薫るお酒です と。遊歩道脇の花壇も綺麗に管理されていた。さらに「かわずいでゆ橋」方向に進むと前方に河原に降りる大きな石段があった。そしてその河原から「河津桜」の絶景を楽しむ多くの人の姿が。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.03.20
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「旧天城トンネル(天城山隧道)」を後にして、ひたすら国道414号を南に進む。途中、「河津七滝ループ橋(七滝高架橋)」に立ち寄る。河津七滝ループ橋は「かわづななだるるーぷきょう」と読む。大きな2重ループ橋(道の高低差を2重らせんで継いだ高架橋)です。地震による土砂崩れの教訓を生かして採用された工法によって生まれたもの。全長1,064m、高低差45m、直径80m。昭和56年以来、河津の名所になっているのだ。駐車場に車を駐め散策開始。「河津七滝ループ橋(七滝高架橋)」の周囲の河津桜も満開間近になっていた。720度・2回転するループ橋を見上げて。ループ橋ができる前は東側の山の中をつづら折れになった国道が通っていたが、1978年の伊豆大島近海地震の際に起こったがけ崩れをきっかけにして、このループ橋が作られた。険しい天城の山を克服するための人々の工夫のひとつ。ループ橋は、その構造や耐震性が評価され、土木学会田中賞を受賞。下図が河津七滝ループ橋周辺の地図。赤いラインが国道414号線であるが、地図のほぼ中央で円を描いているのが分かる。これが、河津七滝ループ橋。そして、緑色のラインが河津七滝ループ橋ができる前の「旧道」👈️リンクとなる。ループ橋下の河津桜をカメラで追う。720度・2回転するダイナミックな直径80mのループ橋の上空からの映像をネットから。ループ橋下に駐車場が見える。中央に移動して見上げる。メジロの姿が。「河津桜カワヅザクラはわが国のサクラの中では早咲きの桜です。開花時期は天候等に左右されますが毎年1下旬から開花が始まります。開花期間は約1ヶ月と長期に及び他の桜にない特徴がみられます。河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続け注目を集めました。伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献しています。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や河津町等と、この特徴ある早咲き桜について調査をし、この桜は河津町に原木があることから1974年(昭和49年) (カワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されましたカワヅザクラはオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています。まだ肌寒い時期にお花見がいち早く楽しめる「河津桜まつり」は毎年2月上旬から3月上旬まで開催され1ヶ月で100万人もの来場者で賑わいまた夜にはライトアップされた幻想的な河津桜が楽しめます。」河津桜原木カワヅザクラの原木は、伊豆急河津駅から駅の横を通る町道大堰浜線を天城山に向かって1 .2kmの地点、河津町田中飯田氏宅の庭にあります。2009年現在樹齢約61年、樹高10m、樹巾約10m、幹周約115cmの通称「小峰の桜」河津桜原木物語昭和三十年頃の二月のある日この家の主であった飯田勝美氏が河津川沿い(豊泉橋上流の田中地区側)の冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約一メートル位育った桜の若木を偶然みつけて庭先に植えた事が始まりでした。約十年後の昭和四十一年一月下旬やっと花が咲き始めました。同年四月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け永眠しました。後にきれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜の為手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰の桜」と呼ばれ親しまれてきました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和四十九年に河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され昭和五十年四月河津町の木に指名されました。」「全建賞我が国の良質な社会資本整備の推進と建設技術の発展を促進するため(社)全日本建設技術協会により昭和28年い953年)に創設された歴史と伝統のある賞で毎年優れた建設事業を実施した機関に授与されるものです。七滝高架橋耐震補強工事はその技術が認められ平成28年度の道路部門において受賞しました。 平成29年6月 静岡県 下田土木事務所田中賞土木学会における、橋梁工学の権威者田中豊氏(1888~1964)の意志と功績をしのび制定された賞て優秀な橋梁及び関連する構造物に対して授与されるものです。この賞は土木学会においては高く評価されている賞で七滝高架橋( ループ橋)建設の技術が認められ1982年作品部門において受賞されたものです。 昭和57年6月 静岡県 土木部」ループ橋の支柱の立つ斜面にも河津桜が拡がっていた。中央の特設ステージは建設作業中であった。ズームして。河津桜まつりの開催期間中、河津七滝ループ橋に特設ステージが出現!2月18日(日)15時から、“旅のSPAC一座”による『伊豆の踊子』👈️リンク パフォーマンスを上演いたします。劇団SPACと演出家の多田淳之介がタッグを組み、川端康成の小説を舞台化した観光演劇『伊豆の踊子』。2023年10月~ 2024年2月下旬まで静岡、下田、修善寺、浜北、沼津と、静岡県内各地を大好評ツアー中です。旧天城トンネルや川端康成も滞在した湯ヶ野温泉の老舗旅館「福田家」など、原作の聖地である河津町。その目玉イベント・河津桜まつりで、『伊豆の踊子』出演メンバーが30分の野外パフォーマンスをお届けします! とネットには。「伊豆の踊子」パフォーマンスの様子をネットから。車に戻りながら。ライトアップの写真をネットから。そして国道414号、県道14号線を30分ほど走り「河津桜まつり駐車場」に到着し駐車料金1000円を支払い、散策開始。静岡県賀茂郡河津町笹原91−23付近。「河津桜」は、濃いピンクの花を咲かせ満開で、私たちを迎えてくれた。「今年・2024年」の「河津桜まつり」のポスター。「河津桜の特色落葉高木、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無色。葉は開花後に展開する。成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5~15.0cm、巾6.0~6.8cmで厚い。縁は単鋸歯だが、重鋸歯が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面ともに無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2.0~2.2cmで無毛、上部に一対の蜜腺がある。托葉は長く、分岐多い。(日本サクラの種・品種マニュアル<財>日本花の会)」と。こちらも「今年・2024年」の「河津桜まつり」のポスター。春を求めて、毎年多くの人が訪れる大イベント「河津桜まつり」が2/1(木)~2/29(木)の期間で開催されていたのであった。桜の木の本数は、河津川沿いだけでも約850本、敷地全体ではなんと約8,000本になるという。その数全てが満開になった風景はまさに圧巻の一言。菜の花も彩りを添え、春色の景色が一面に広がっていたのであった。「河津桜」マップ。河津川の遊歩道の横にあった店には様々な手作りのつるし雛が展示販売されていた。静岡県東伊豆町稲取の雛のつるし飾りは日本三大つるし飾り(福岡県柳川市:さげもん、山形県酒田市:傘福)のひとつでもあるとのこと。五段雛飾りも。2月1日から静同県河津町て始まった河津まつりですが、12日に「見頃宣言」が発表され、大勢の観光客て賑わっていたのであった。河津川沿いに立ち並ぶ約850本の河津桜。例年にない早さて花が開き、河津桜まつりの実行委員会は12日に早くも「見頃宣言」を発表していたのであった。2/10~13日の連休となった会場は大勢の観光客で埋め尽くされ、写真を撮ったり団子を食べたりして早咲きの桜を楽しんでいたのだ と売店のオバチャンから。菜の花とのコラボも見事な情景。これ以後、しばしシャッターを切る手が止まらなかったのであった。「河津川」の上流に向かって河津桜のトンネルになっている遊歩道を進む。今年は雲一つない青空。「河津桜」の魅力は、早咲きの桜であることと花色。ソメイヨシノの淡いピンクに比べ、はっきりとした明るいピンク色。「河津桜」はソメイヨシノと同じように花の後から葉が出て来る山桜の種類などは花と葉が同時に出て来るので、葉の出るタイミングが違うのだ。「河津桜」は、花が咲いている間は木全体が花で覆われたようにピンクに染まって見えるのだ。歩いて来た遊歩道を振り返る。こちらの樹の上部はこれからの開花。そして全体が満開の樹が続く。「河津川」の川面を。菜の花とのコラボを再び。菜の花の黄色と、「河津桜」のピンクの色合いが美しいのであった。河津川の清水の白き流れを。河津桜の一番の特徴は、「長く咲く」ことと「花びらの変化」。パッと咲いてパッと散ってしまうソメイヨシノとは違い、河津桜は約1ヶ月に渡って咲き続けるのだ。また、つぼみや咲きはじめは濃いピンク色をしていますが、満開時にはピンク色、そのあとはだんだんと色褪せていくので、見頃は六~七分咲き頃だと言われてはいるのだが。対岸には巨大な土嚢袋が積み上げられていた。護岸堤防の補強工事用であろうか?遠く山の上には風力発電装置が。「ユーラス河津ウインドファーム」は静岡県伊豆半島の賀茂郡東伊豆町と河津町境界に位置する三筋山山頂付近に設置された風力発電所である。三筋山山頂付近から尾根伝いに10機の風車が設置されているとのこと。総出力 16.7MW風車数 10基運転開始 2015年5月「河津町立河津中学校」の横を通り進む。時間は9:30、人出も増えて来た。右側の堤防上には土産物屋が並ぶ。「金目鯛ひもの」売り場には人の列が。更に進む。こちらは「さくら満開餅」。桜の花の塩漬けも付いていて甘さも程よく!!河津桜の苗木の隣には「ミモザ」の苗木も。春の訪れを告げる花として知られる、ミモザ。黄色の小さな花々が印象的なミモザは、ドライフラワーや結婚式のブーケとしても人気で、イタリアでは男性が女性にミモザを贈る風習も。ミモザの日とは、3月8日に国連が制定した「国際女性デー」の別名。女性の社会的地位や権利を守り、女性のすばらしい活動と勇気ある行動を世界的に称える日です。イタリアでは、国際女性デーに男性から女性にミモザを贈る風習がありました。この文化は世界中に広まり、ミモザの日として定着していったといわれています。ミモザを贈られた女性は、ミモザを胸や髪に飾るだけでなく、仕事や家事、育児からつかの間離れて、お出かけや外食を楽しむと。「生わさび」2本で1500円と。前方に朱の色の橋が見えて来た。河津川に架かる「来宮橋(きのみやばし)」。「来宮橋」に到着し、橋の上から河津桜の絶景を見る。静岡県河津町峰にある来宮橋は、河津川沿いに咲く河津桜を鑑賞できる穴場スポット。この橋から東に200mほど進むと「川津来宮神社」が鎮座しているのだ。来宮橋から荒倉橋までの区間には桜並木と菜の花ロードが続き、桜並木のピンクと菜の花の黄色が美しい景観をつくっていたのであった。川辺へ降りれば、河津桜を見上げるようにして観賞することもできたのであった。堤防上から「河津桜」の巨木が、川を覗き込むように枝が伸びて。この橋は「来宮(きのみや)橋です」と。「峰温泉大噴湯」まで1kmと。「東洋一を誇る峰温泉の大噴湯」は大正15年11月22日正午、爆音と共に地上約50mの上空を突き刺し誕生しました。以来90年以上ひとときも絶えることなく噴き上げ続けています。毎分600リットル100度の温泉が高さ30mまで噴き上がる自噴水です。また、温泉で大噴湯たまごを作ったり足湯を楽しんだり出来ます と。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.03.19
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左手にピンクの「しだれ梅」。 近づいて。「澤田政廣記念美術館」への「梅園橋」から「初川」に架かる「香浮(こうふ)橋」を振り返る。「梅園の入園券」で無料で「澤田政廣記念美術館」を見学できると。熱海出身の文化勲章受章者・澤田政廣(さわだせいこう)の代表作品を集めた「澤田政廣記念美術館」。本名、寅吉。文化勲章受章芸術家、熱海市名誉市民。熱海の海辺に育ち19歳で彫刻家を志し、高村光雲(たかむらこううん)の高弟山本瑞雲(やまもとずいうん)に師事しました。93歳で没するまで、多くの木彫作品をはじめ、絵画、陶芸、版画、書など、さまざまな芸術領域にわたり創作しました。力強く生命感と詩情にあふれた作品は、人々の胸に多くのロマンを語りかけます と。澤田政廣記念美術館に入る前に梅園からの通路にある作品。二人の裸婦が近寄って。「黄泉(よみ)のしこめ」👈リンク 昭和31年(1956)。ズームして。何かヒソヒソと語りあっているのであろうか?建物を取り囲む大きな壁にある穴からは女性像が。地中深く埋もれていた大きな岩の魂が突然地上に現れたが如き壁の姿。「ともしび・昭和21年(1946)」。ズームして大きな壁を廻り込んで。近づいて。「ろうそく」を灯した皿を持つ女性像。「蒼穹・あおぞら 昭和35年(1960)」。 「蒼穹・あおぞら 昭和35年(1960)」。ピンクの花の下に、横たわる男の像。「傷つける武人 昭和35年(1960)」。「傷つける武人 昭和35年(1960)」「澤田政廣記念美術館」を正面から。 人魚像・「海の讃歌」👈リンク。「海の讃歌 昭和38年(1963)」。 そして館内へ。館内は撮影禁止であったため、以下の写真はネットから(順不同)。玄関ホール天井の「飛天」。「隠者(いんじゃ)」という高さ265センチメートルもある大きな作品。長嶋茂雄選手の胸像。多くの「常設展示作品」👈リンク が。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.02.06
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「あたみ桜・糸川桜」を楽しんだ後は、「熱海梅園」に向かう。「日本で最も早咲きの梅、そして最も遅い紅葉と言われる熱海梅園。梅は樹齢100年を超える古木を含め60品種・469本、紅葉樹は約380本もあり、のんびり散歩をしながら自然美を堪能できる場所です。1月上旬~3月上旬の梅まつり、5~6月の新緑、11月中旬~12月上旬のもみじまつりと、四季折々で楽しめます。熱海梅園は、内務省の長与専斎が、「温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、適当な運動をするからである」(「熱海風土記」梅園記より)と、提唱したことから造成され、1886年(明治19年)に開園しました。温泉保養地として栄えた熱海文化の、重要な一端を担っています。」と。駐車場に車を駐め、「熱海梅園」入口に。「熱海梅園」入口のピンクの梅の花は5~6分咲き。入園料は一般300円、団体(11名以上の場合)200円、市民・熱海市内宿泊者100円、中学生以下無料※梅まつり期間中のみ有料。「1886年(明治19年)に開園した熱海梅園は、 日本で最も早咲きの梅として有名です。毎年11月下旬~12月上旬には、第一号の梅の花が開花します。樹齢100年を越える梅の古木を含め、60品種・469本の梅が咲き誇り早咲き→中咲き→遅咲きと、順番に開花。梅まつり期間中、梅を存分にお楽しみいただけます。期間中、園内には足湯や土産店もオープン。 日によって熱海芸妓連演芸会や大道芸、歌謡ショー、甘酒無料サービスなどのイベントを実施予定」と。「第80回熱海梅園 梅まつり令和6年1月6日(土)~3月3日(日) 8:30~16:00」と。「熱海梅園」内に入る。「熱海まち歩きガイドの会」が「臨時手荷物預かり所」を運営。さらに、黄色のジャンパー姿で梅園入り口付近で無料ガイド活動を展開。40分で園内をぐるっと一回り。園内の見どころをご案内してくれるとのこと。この白梅は満開間近か?近づいて。「初島漁師の丼合戦2024年2月10日(土)~3月10日(日)」熱海港から定期船で30分!リゾートアイランド”初島”で開催。獲れたての海の幸を堪能できるグルメイベント「丼合戦」は、島の漁師が営む食堂を中心とした島内の13店舗が、獲れたての地魚やイカ、エビ、伊豆の名産野菜アシタバなど、旬の食材をふんだんに使った思い思いの「オリジナルの丼ぶり」をふるまう、島を挙げての冬の恒例グルメイベントであると。老木梅の下に「大塚実氏顕彰記念碑熱海梅園は内務省の初代衛生局長であった長与専斎の提唱を受け、横浜の豪商・茂木惣兵衛氏が私財を投じ、明治19年に開園したものです。爾来120余年の歳月が流れ、往時の優美な姿が失われつつあった中、熱海由縁の実業家大塚実氏の私財提供を受けて、開園以来の大規模な工事が行われ、清流初川の渓流を挟んで、晩秋の紅葉と早春の梅花、そして初夏の新緑と夏の夜に乱れ飛ぶ蛍の光が、その景観美を競うという、新しい梅園に衣更えいたしました。ここに熱海梅園を見事に再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表するとともに、この梅園を永く守り育んでゆくことを誓います。 平成二十一年十一月吉日 熱海市長 齋藤 栄」」花に近づいて。蕾にも近づいて。「熱海梅園」内の「初川」の流れ。「案内標識」に従い進む。「熱海梅園のご案内」。ズームして。<2024年梅の開花状況>2/1現在 全体見頃全体(60品種・全469本)445本開花 →5.86分咲上記のうち・早咲き(全270本)267本開花 →7.03分咲・中咲き(全102本)100本開花 →6.51分咲・遅咲き(全97本)78本開花 →1.88分咲開花している品種(早)矮生冬至、鴛鴦、小田原十郎、鹿児島紅、甲州最小、十郎、新冬至、玉牡丹、唐梅、 緋の司、未開紅など(中)青軸、青竜枝垂、梓弓、鶯宿、大盃、鬼桂花、呉服枝垂、御所紅、酔心梅、長束、 紅牡丹枝垂、満月枝垂、三吉野など(遅)曙、思いのまま、見驚、白加賀、白滝枝垂、玉垣枝垂、月影、花香美、藤牡丹枝垂、 紅千鳥、養老、乱雪、佐布里梅など「中央広場」から。「貫一お宮の梅」。手前は「貫一の梅(白梅)」。「貫一お宮の梅 金色夜叉 第七章「熱海は東京に比して温かきこと十餘度なれば、今日漸く一月の半を過ぎぬるに、梅林の花は二千本の梢に咲き亂れて・・・・・宮は母親を連立ちて入來りぬ・・・・・」 明治の文豪尾崎紅葉の小説金色夜叉では、貫一とお宮とその母と、宮をよこどりした富山の四人の初の出逢いが梅園です貫一とお宮の梅はこれに因んで植えられたものです。貫一の梅(白梅)・十郎梅お宮の梅(紅梅)・紅千鳥」 「貫一の梅」に近づいて。「お宮の梅」は未だ開花していなかったのでネットから。貫一の梅が散るころにお宮の梅(紅千鳥)がさきだすそうです。「第14回全国梅サミット記念植樹」。「献上梅」。12月23日の上皇さまの誕生日に、静岡県熱海市が毎年贈っている「献上梅」と。ここにも「案内板」が。「松尾芭蕉の句碑」。『梅が香に のっと日の出る 山路かな 芭蕉』【早春の夜明け方、山道を歩いていると、どこからか梅の香が漂って来た。折しも、山並みの向こうから朝日がぬっと昇って来た】と。「松尾芭蕉の句碑梅が香に のっと日の出る 山路かな「梅が香に・・・・」の句は元禄七年、芭蕉が五十一歳の時、七部集の第六集として、門人が発刊した「炭俵」の上巻に納められている。これは門人である「志太野波(やは)」、「小泉狐屋(こや)」、「池田利牛(りきゅう)」、「服部乱雪(らんせつ)」等が、翁の旅立ちを記念するための句会の席上、連句の主座として発句したもので、翁の「むめ(梅)が香にのっと日の出る山路かな」のあとを、野波がすかさず「ところどころに雉の啼きたっ」と付けている。その野波が「家晋請を 春のてすきに とりついて」と続け、これに芭蕉が「上のたよりにあがる米の値」と付けている。芭蕉が熱海に来たことがあるかは分からないが、梅園に隣接していた撫松庵(ぶしょうあん)の高台から見た光景が思い描ける句である。建立者 小松精一氏(熱海の先覚者の一人) {熱海温泉いしぶみ巡りより抜粋}。紅梅も今が盛りと。食べ物の売店も出店中。美味しそうな「塩豆大福」、「よもぎ絵巻餅」。満開に向かって。梅園五橋と呼ばれるのは、漸佳(ざんか)橋、迎月(げいげつ)橋、雙眉(そうび)橋、駐杖(ちゅうじょう)橋、香浮(こうふ)橋の5つ。雙眉(そうび)橋を見る。駐杖(ちゅうじょう)橋は唯一朱色に塗られた印象深い橋。近づいて。「初川」に生えているのは山葵であっただろうか。2基の石碑が。「武田鶯塘(たけだおうとう)」句碑。「錦浦観潮 夏すでに 漲る(みなぎる)汐の 迅さかな」。「澤田政廣記念美術館のお知らせ令和5年12月22日(金)~令和6年4月21日(日)物語や伝承を題材として制作された作品を中心に展示します。澤田政廣のイメージから生まれた、描画と立体作品をご覧ください。」。山葵田?の先に「梅見の滝」。ズームして。さらに。滝の裏側に入って。滝の裏側の通路。大きな穴から落下する滝の姿を裏側から。滝の裏側から出て、再び滝を斜めから。正面から、モミジ越しに滝を見る。香浮(こうふ)橋。「茂木氏梅園記念碑」の上部には「茂木氏梅園記」と。「茂木氏梅園記碑文の日本読 内閣総理大臣兼宮内大臣従二位勲一等伯爵 伊藤博文 篆額」「茂木氏梅園記の要約初代総理大臣 兼 宮内大臣従二位 伯爵 伊藤博文 篆額温泉がよく病気に効くのは、ただその中に含まれている塩気や鉄精にばかり頼らず、 適当な運動をするからである。 もし、一日中室にいて、温泉に浸かっていたら倦きもし、疲れもして、養生にならない。山に囲まれ、東南に海を臨む熱海は、温泉で知られている。人々は斜面を削って家を建て、そこに住んでいる。また、東京から遠くなく、その上、気候が温暖なため冬から春にかけて多くの都会人が来浴する。私は、初めてこの地に足を運び、山を巡ってまちの西側を散策すると、起伏に富んだ景色のよい場所を見つけた。そこは清流が乱石にぶつかり、その発する音は風雨のようで、分れたり、合流しながら勢いよく葦藪(よしやぶ)の間を流れ下っている。清流の西側に松や檜がうっそうとした丘があり、そこに登って休んだ。振り返って見ると、あたりはのどかに落ち着き、しばらく帰ることを忘れていた。明治十八年(一八八五)四月、岩倉具視大臣の命令を受け、噏滊館を落成させた。私は、「この地の温泉の効用は顕著であり、今、この館が完成して療養施設は備わったが、保養の場所がないのが残念である」と人々に説いた。そして、前に見つけた場所について話し、そこを造成することを提唱した。すると、中山保次郎神奈川県議会議員が進んでこれに賛成し、横浜の茂木惣兵衛にもちかけた。すると惣兵衛は喜んでこれに応じ、中山氏及び地元の日吉、小松、露木の諸氏と相談してその事業に乗り出した。草木を伐採し、穢れを流し、地形にならって梅三千株や松・杉・楓・柳を植栽した。すると、清流は益々清く、趣のある岩もたくさん出てきて、山水花木、四季の眺めも美しくなった。高みに四阿をつくり、流れには小橋を架け、遊園の設備も整った。人々はここに集まり、酒を酌み、詩を吟じ、全てを忘れ、心なごみ、楽しむことができる。これでこそ、初めて温泉養生の効用を完全に引き出したといえよう。梅を最も多く植えたので、「茂木氏梅園」といわれる。茂木氏は豪商であり、どんなことでもできるだろうが、彼はそうせず、私財を投じてこの事業をおこない、それを私することなく大衆のために開放した。実に偉いではないか。さらに、この花木泉石の名勝は、単に風雅な遊びに適しているばかりでなく、国のために尽くしている人々の疲れを癒し、志気を壮大にし、発想をあらたにさせることができる。その効果は非常に大きい。以上を記し、来園者に伝える。 明治ニ十年四月内務省衛生局長 兼 元老院議官従四位勲三等 長與専斎 撰 市河三兼 書 宮亀年 刻【碑の裏側に】茂木氏がこの園の造成に取り掛かると、横浜の平沼専蔵、朝田又七の両氏も資金を提供するなど協力したことも伝えるべきだ。東京の庭師小川九兵衛が工事を監督した。もともとの天与の地の利もあるが、工事が完成して眺めると、益々素晴らしく、工事にかかわった人々の努力や苦労も忘れてはならない。このことも碑の裏側に氏名などを記し後世に伝える。 専斎又記す」さらに奥に向かって進む。可愛らしいスイセンに似て。「ペチコートスイセン」と、 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.02.05
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前方にあったのが「新柳橋」。ここにも今年は提灯が。「あたみ桜」と「河津桜」の比較をネットから。熱海桜は花弁が濃いピンク色で花が大きいのが特長。花の中心が更に濃く。濃いピンクのブーゲンビリアも負けじと!!私も見てよ!!と。再びメジロの姿をカメラで追う。メジロが来る桜は寒桜系、寒緋桜系、河津桜、オカメ桜、大島桜などでソメイヨシノには来ませんとネットから。沢山の「メジロ」の他に「ヒヨドリ」が集まり、桜の花蜜を吸っていましたが、なぜなのか、沢山の「スズメ」も飛来して、桜の花びらを散らしていた。良く、観察して見ると・・・、「スズメ」は桜の花の付け根の子房を食べて、花びらを食べ散らかしているようであったが。密の味が其々の場所で違い、鳥によって好みが違うのであろうか?そして再びオブジェが。タコが逃げるかのように。実物大のタコが今にも動き出しそうに!!これでもかの紺碧の青空を背景に。これが瓦斯灯であっただろうか。「あたみ桜「あたみ桜」は、明治4年(1871年) 頃イタリア人によって熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によて殖やされ、現在は市内各所に植栽されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分市するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早ぐ花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定されました」「糸川」を覗き込むが如くに枝を伸ばして。花がモコモコと塊になって咲いて。「ヒラメ」が居眠りしているが如くに。桜の花びらが浮かぶ水盤には清水が湧き出して。姉がヒラメの目の上に浮かんでいた花を!!びっくりしたが如くに急に目が覚めた!!メジロが忙しそうに!!蜜を吸って。再びブーゲンビリアとの競演を。ここにもオブジェが。「蟹」と「マンボウ」。巨大な「蟹」。「マンボウ」。花にズームして。「熱海桜 夜会」ポスター。「日本で最も早く咲く「あたみ桜」の見頃に合わせ、昭和レトロの趣が残るスポットで「熱海桜 夜会」を開催。イベント期間中は糸川沿いのライトアップだけでなく、提灯モニュメントによる演出で、夜桜を幻想的に演出すると。また、文豪が逗留したことでも有名な「起雲閣」や、古き日本文化を体験できる「芸妓見番」での特別イベントも実施。二週間の昭和レトロ体験、お見逃しなく!」と。【糸川遊歩道】 あたみ桜ライトアップ+提灯モニュメント(1/27~2/12迄 16:30~23:00) 立ち飲みカウンター(1/27~2/12 16:30~19:00)【起雲閣】 浴衣や昭和レトロ衣装を着用した写真撮影(1/27~2/12 14:00~16:00受付) 3000円~ ※プランにより異なります【熱海芸妓見番】 演舞鑑賞、演舞鑑賞+寿司、演舞鑑賞+寿司+お座敷体験(1/27~29、2/2~2/4、2/9~12) ※5日前 までの予約対岸にあったベンチをズームして。上手く撮れました。石段を下りて糸川の流れに近づいて。ここにも鳥の姿が。国道135号に架かる「糸川橋」も見上げて。両岸に、糸川の川面に下りられる石段が設置されているのであった。手前がブーゲンビリアでがなく、真紅の桜であったらと妄想!!ズームアップして。河津桜にはない色合いの景色を楽しむ。「糸川橋」を振り返って。「柳橋」。手前に「渚歩道橋」その先に「熱海渚橋」。熱海城をズームして。更に。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・
2024.02.03
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今年も前日のテレビニュースで熱海・糸川桜が例年より早く満開を迎えているとのことで、一昨日の1月31日(水)に車で行って来ました。7時に自宅を出発し、西湘バイパス、国道135号を利用して、8:30過ぎに「熱海親水公園」の駐車場に到着し、散策開始。早咲き「あたみ桜」の名所とされる熱海市中心街の糸川遊歩道。例年1月初めから1カ月程度、濃いピンク色の花を咲かせているのだ。糸川に架かる国道135号の「熱海渚橋」。ポスター「第14回あたみ桜 糸川桜まつり」 2024年1月6日(土)~2月4日(日) ライトアップ 16:30~23:00「第80回熱海梅園 梅まつり」 2024年1月6日(土)~3月3日(日) 8:30~16:00 入園料 一般300円⽷川沿い(57本)、さくらの名所散策路(87本)、梅園前市道(23本)、海浜公園(11本)、渚⼩公園(15本)、親⽔公園渚デッキ(17本)ほか、サンレモ公園、釜鳴屋平七像、梅園内、市役所花ひろば、貫⼀ホテル斜め前、伊⾖⼭国道交番前、姫の沢スポーツ広場駐⾞場前、来宮駅前などで開花中と。ここ「糸川べり」には熱海市中央町の「赤線」があったことを知ったのは初めてこの桜を見に来た時。糸川沿いの右岸を上流に向かって進む。この日の朝は雲一つない晴天で、「あたみ桜」が朝の陽光に輝いていた。早朝のため、まだまだ人の姿は少なかった。前方に見えて来たのが欄干の「波」頭にカモメがいる「柳橋」。「柳橋」に近づいて。見上げて。熱海桜は花弁が濃いピンク色、特に花の中心部がさらに濃く花が大きいのが特長で、 カンヒザクラとヤマザクラとの雑種と推定されているのだと。「あたみ桜開花期 1月~2月特徴 開花期間が1ヶ月間と長い 熱海市」「あたみ桜」は、開花期が1月と沖縄の寒緋桜と並んで日本列島で最も早咲きで、早咲きの桜として注目を集める河津桜より約半月~1カ月早く咲きます。開花期間が長い理由としては、花のつき方が、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に開花する花芽の二段構えに形成されているためである とネットから。「柳橋」の欄干を見る。今年の「あたみ桜」は、例年より色が濃いとテレビのニュースでは。ゆっくりとズームして。糸川の堤防壁には熱海の海の姿・魚やカモメが。国道135号に架かる「糸川橋」の先にある「あたみ桜基準木」が姿を現した。南西方向の山の上には!?ネットで調べてみると「崇教真光(すうきようまひかり) 熱海遥拝所」と。「あたみ桜基準木」。案内柱「あたみ桜基準木 平成20年12月選定」と。「あたみ桜「あたみ桜」は、明治4年(1871年)頃イタリア人によって熱海にもたらされたと伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に植栽されています。「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと、関西以西の暖地帯に自然分布するヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花と後期に咲く花芽が形成されるため、開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定れました。」基準木の下には真赤なブーゲンビリアの花も。「熱海桜」碑。花の色が濃い場所と、薄い場所が複雑に分布。その理由は?陽光の影響か?再び真赤なブーゲンビリアの花をズームして。さらに。常夏を思わせる鮮やかな赤色の「ブーゲンビリア」。風に揺れるやわらかな質感も魅力。ひとあし、いや、ふたあし、みあし早く、既に初夏を感じる光景なのであった。さらに糸川遊歩道を上流に進み、「あたみ桜」をカメラで追いかける。石のベンチは草木に覆われていた。更に「あたみ桜」を追って。そして今年の「桜橋」には提灯が。これぞ八重の鈴なり、いや鈴咲き。ズームして。歌碑があった。読めない!!しかし、ちゃんと「案内板」が!!「ちかき山 ゆきはふれゝと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる せいえう熱海をこよなく愛した坪内逍遥は、明治四十五年春ここ糸川べり荒宿に、別荘を新築した。やがて時移りこの地も栄え、夜ごとのざわめきを避けて、大正九年水口に移り双柿舎を営み、ひたすら文筆に明け暮れ、昭和十年、七十七歳の多彩多難な生涯を終えた。シェークスピアの完訳をはじめ、小説「当世書生気質」戯曲「桐一葉」「役の行者」舞踊「新曲浦島」「お夏狂乱」等の名作を世に送り、劇文壇、さらに早稲田大学文科の創設など教育面にも多くの先駆的な足跡を残した。ここに先生の熱海を詠まれた歌一首を刻して、先生の敬慕のよすがとした。 昭和六十二年六月七日 逍遥協会」糸川遊歩道にはいろいろなオブジェが飾られていたのであった。亀とマンボウのオブジェ。上部には波の姿が。近づいて。そのオブジェを見下ろすが如くに。その先に見えて来たのが「ドラゴン橋」。糸川遊歩道に架かる橋の中でも、一番人気の橋のようだ。橋の入口にあったのが「大塚実氏顕彰記念碑この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」として整備を進めてまいりました。この度、熱海梅園の改修計画へ私財を提供された熱海由縁の篤志家大塚実氏の協力を得て日本で最も早く咲く「あたみ桜」に統一し梅と同じ時期に開花する、常春熱海ならではの桜並木となりました。ここに糸川遊歩道を再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表すとともに、市街地内の憩いの場として多くの市民や観光客に利用される施設となるように、この遊歩道を永く守り育んでゆくことを誓います。 平成25年1月吉日 熱海市長 齋藤 栄」ドラゴンの姿が橋柱として。ドラゴンの姿の橋柱を覆い隠すがごとき「あたみ桜」。欄干がドラゴンの骨格のように。ドラゴンに近づいて。超密集な「あたみ桜」。三密(密閉・密集・密接)禁止の時期もあったが・・・。いや今も同じか!?「あたみ桜」の花をむさぼるが如きドラゴンの姿。そして「あたみ桜」に訪花する「メジロ」の姿を暫し追ったのであった。スズメ?の姿も。カメラ設定をいろいろ?変えて。まだまだ、「メジロ」と「ウグイス」を混同されている方が多いのであるが。そして「メジロ」を追う和服姿の女性の姿も。よく見ると自撮りの為に和服姿で!!? ・・・つづく・・・
2024.02.02
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小出川左岸の群生場所を下流に向かって進む。彼岸花には何百という品種が存在し、今も品種改良によって日々新しいものが生み出されていると。赤色のイメージが強い彼岸花ですが、他に白、赤、黄、オレンジ、ピンクなどが存在。ただ、日本では彼岸花の流通が少なく、園芸植物として人気が高くはないようだ。彼岸花の球根は毒(リコリン)があるのだと。地中に潜むモグラやネズミは、他の植物の根はかじっても、彼岸花のものはかじらないと。よって彼岸花は、よくこの小出川の如く田んぼの畔道に咲いているのは・彼岸花の根が土手や畔の土をギュッと固めてくれるため。・彼岸花は毒があるため、田んぼを荒らすネズミやモグラ・虫などの被害を防ぐためなのだと。・墓場にヒガンバナが多いのも、異臭や有毒性を利用して遺体を動物から守るためだとも。更に彼岸花は食用は厳禁だが、飢餓の時に球根の毒を水で流して利用したり、水戸黄門の命令で発行した家庭の医学書「救民妙薬」では、球根をすり下ろして患部に当てて湿布剤とした事もあったのだとも。飽食の今の時代には必要のないことですが、昔はひどい飢饉のときに毒抜きが良くできていないものを食べて命を落とした人がいたのであろう。赤い花だけに毒があるとの話もあったが、間違っているようだ。設定を変えてカップルの如き彼岸花を。それぞれ6個の花それぞれに雄蕊と雌蕊がヒゲの如くに。左の花びらの中心部は赤で、縁が白いのでやや白っぽく見えたのです。最近増えてきた白花彼岸花は花びら全体が白一色なので、この花は赤い彼岸花と、白い彼岸花の中間です。紅から白への変身の途中なのでしょうか?それとも自然交配の結果?突然変異?来年はどんな色を咲かせるのか楽しみ。白い縁取りの別の花に近づいて。こちらは7個の花がついていて、つぼみが5個、咲いている花は2個。花びらが6枚(黄色の文字・数字)、花粉の入る「やく」がついたおしべが6本 (白色の文字 ・数字 ) 、少し長いめしべが1本(白色の文字)が見られます。写真はネットから。情熱の赤のカオスが広がる。「曼珠沙華」の季語はもちろん「秋」。有名な俳句がいろいろとある。そのあたり似た草もなし曼珠沙花 正岡子規まんじゆさげ欄に類ひて狐啼く 蕪村仏より痩せて哀れや曼珠沙華 漱石あかつきは白露づくし彼岸花 伊丹三樹彦まんじゆさげタベのひかりとなりて失す 岸田稚魚英語では、hurricane lily(ハリケーンリリー)、cluster amaryllis(クラスターアマリリス)、あるいは、近縁のハマオモト属・ヒメノカリス属と合わせて spider lily(スパイダーリリー)と呼ぶのだと。いつまでも、立ち尽くして目に焼き付けたい空間なのであった。そして富士山、大山の姿を。富士山にズームして。この橋は仮設橋か?錆の状況から古い橋のようでもあるが。農家の方が作業、移動用に架けた橋?その脇には休憩用ベンチが2台。ベンチの上には「みなさんこんにちは「小出ボーイズ」です。ぼくたち小出小学校の4年生は「小出においで」というプロジェクトで、町おこしのイベントについて考えてきました。そのなかで、ぼくたち「小出ボーイズ」は「小出川のひがん花をもっと多くの人に知ってもらいたい。」と思い、ひがん花の道をPRするきかくをいろいろとかんがえました。そして「NPO法人 サポート茅ヶ崎寒川子どもファンド」で助成金がいただけることになりました。その助成金をつかって今日の「ひがん花まつり」で3つのことをしました。①みんなが一休みできるベンチを2台つくりました。②良い写真がとれるようにスマホ(写真)台をつくりました。③オリジナルキャラクターの缶バッチとキーホルダーをつくってスタンプラリーをしている子ども たちにもPRしていくことこれからもひがん花のみちにあそびにきてね」と。小出地区の未来は輝いていると感じたのであった。頑張れ!!「小出ボーイズ」!!。さらに群生地を楽しみながら進む。神秘的な紅の森を一人彷徨うがごとし。紅万点?の花の海の如き光景。そして秋の宝石の散りばめられた庭の如くに。再び富士山と彼岸花のコラボを。紅色の花の絨毯の先には富士の姿が。人の姿もなく「紅い炎の海」を漂う。秋の儚さが舞い踊るこの場所!!これが「小出ボーイズ」の力作「スマホスタンド」。2本の帯が続く。そして仮設橋?を渡って引き返す。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。いつまでもこうありたい。The boughs that bear most hang lowest.いや、未だ実が大きくならない私!!黄色く実った稲穂が重そうに垂れる稲田。遠くから眺めると見渡す限り黄金色に輝いている。そして富士山を背景に黄金色をした稲田との雄大なコラボレーション!これぞ大昔からの日本の秋の原風景なのであった。紅色と黄金色とのコラボ。この彼岸花は、黄金の稲田を独り占め。逆さに見ると線香花火の如くにも!!線香花火の写真をネットから。似ていませんか?頭を垂れる稲穂と凛として立つ彼岸花のコラボ。この花の名は?「ヤブラン」に似ているが??そして「新道橋」まで戻る。再び「小出川」の上流を見る。そして車に戻り「追出橋」に向かって進む。田園の中に立っていたのが、これは以前訪ねた「土地改良事業完成記念碑茅ヶ崎市芹沢中、西部地区及藤沢市打戻地区の一部は古代より小出川沿いに開田が進められ穀倉地帯と言われましたが形状不整形で道路農業用排水路等不整備にて、腰まで没する湿田のほ場でした。昭和40年(1965)頃からの経済の発展に伴ひ農業の機械化省力化の波が押し寄せて来ました。湿田の乾田化水田の一部埋立て畑地造成等ほ場整備事業の早期実施を望む耕作者の声が急速に盛上がり全員一致の賛成により芹沢西部土地改良区を設立し土地改良事業の施行に着手しました。総面積三十三○○八Ha(組合員所有面積二八三七Ha)事業費四億七千万円、以来二十年間組合員の熱意と協力に依り事業を完成しましたこの事業は土地の価値観を高め農業の近代化はもとより何れの農作目にも適合できる基礎作りであるが将来の土地利用にも活用できる、甦る大地に整備しました。ここに本土地改良区事業の完成にあたり碑を建立し後世に伝へるものである。 西暦1996年 平成8年8月吉日 茅ヶ崎市芹沢西部土地改良区」下記写真は車窓から。茅ヶ崎と寒川の堺の追出橋から延びる道と芹沢の外周をまわる「根通り」の道が交差する三叉路の脇にあったのが「追出地蔵(おんだしぢぞう)」。この地蔵様も以前にも訪ねていた。身近に医者のいなかった時代にはこの追出地蔵にお参りし、疫病神を体の中から『追い出した』といわれています。【追出す(おんだす)】はこの地域の方言化か?いや、私の地域でも子供の頃は【追い出された】を『おんだされた』と言っていた記憶があるのだが。また花嫁行列はこの前を通ってはいけないとも。茅ヶ崎市芹沢4238-1。左側の庚申塔には地蔵像が浮き彫りにされており、台座には「西三谷講中」、横には安政二年の文字が。安政2年(1855)は安政江戸大地震の起こった年。向かって右と真ん中は丸彫りでお顔は失われていたが真ん中は新しく造られたものに代わっていた。そして「追出橋」に到着し、道路脇に車を駐めた。茅ヶ崎市芹沢3854。橋の標識を見て、この橋は「おんだしばし」と呼ぶことを知りました。「追出地蔵(おんだしぢぞう)」の近くの橋なので「追出橋(おんだしばし)」と名付けられたのであろう。上流側には、朱の花の姿はほとんど無く・・・そして人の姿は全く無く。橋の中央からズームしたが・・・。ここにも「小出川 彼岸花群生地」との案内板があったが・・・。やはり今年も猛暑の影響か?道路脇には巨大な配管が空中で「小出川」を渡っていた。神奈川県企業庁寒川浄水場からの水道用管。相模川の寒川取水堰でとられた上水道用の水が横浜市の小雀浄水場へ流れているのである。その先にも、青く細い水管橋の姿が見えた。これは自動エアー抜き弁か?銘板「横浜市水道局 小出川水管橋 昭和44年11月竣工」と。昭和44年は1969年。1969年(昭和44年)のこの日、7月16日(My Birthday)に打ち上げられたアメリカ有人宇宙飛行船「アポロ11号(Apollo 11)」が月面に着陸し、7月20日に人類が初めて月面に降り立ったのだ。そして打ち上げのこの日は、私は御茶ノ水の予備校の近くのラーメン屋で打ち上げの映像をテレビで見ていたのであった。そして「小出川」を渡ると再び水田の中に潜り込んでいたのであった。管の直径は1500mm程度であった。「横浜市水道局 小出川水管橋」を振り返って。昔の人の知恵で植えられた彼岸花。これまでその風景が守られているということは、金色の稲穂を背景に咲く真っ赤な彼岸花の風景を愛おしむ心が、日本人の心として連綿と受け継がれて来ているのだ!!これを再認識した早朝なのであった。『小出川 水のかがやき 曼珠沙華』『群れ咲くも 一輪もよき 曼珠沙華』『曼珠沙華 真紅な花には 毒があり』 ・・・・・詠み人知らずそして帰宅して我が庭の「白の彼岸花」。同じく我が庭の「コルチカム」。「コルチカム」は別名「イヌサフラン」とも呼ばれます。花が「サフラン」に似ていて、「サフラン」ではないところからそう呼ばれるのだとか。”イヌ”を冠した植物の多くは、有用な植物に似ているけれど”役に立たない”という意味でつけられていることが多いと。「サフラン」の赤い蕊は、薬用に用いられたり、香辛料・着色料にも用いられている。その「サフラン」に似ていて、実は”有毒植物”であるところからの命名なのでしょう。今年は、「彼岸花」の開花が遅れていますが、今の時期を代表する「彼岸花」と同じように、「コルチカム」も花が咲いている時には葉っぱが出てこず、花の後、春になると葉っぱが出てきます。いわゆる”葉見ず 花見ず”です。そう言えば、「彼岸花」も”有毒植物”。「コルチカム」と「彼岸花」は、共通点が多いようです。初秋の頃、いきなりニョキっと茎だけ出て花を咲かせる植物は、”ヒガンバナ科”のものが多いですが、「コルチカム」は”ユリ科”の花なのです。彩の寂しいこの時期の我が庭では白とピンクが目立ちます。そして明日9月29日(金)は十五夜(中秋の名月)なのです。 ・・・もどる・・・ ・・・完・・・iPhone 15 512GB simフリー 国内正規品 Apple 本体 端末 新品 回線セット
2023.09.28
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車で、「小出橋」を左に見ながら、県道「大庭獺郷線(おおばおそごうせん)」に出て「新道橋」付近に移動し一時停車。獺郷という地名は、昔ところどころに沼地があり、獺(かわうそ)が多く生息していたといわれ獺の郷から村名になったと言われている。水田の下には湿地帯に生える葦の葉の地層が残っていると言われている。この道はまつりの『せりざわ会場』があった県立茅ヶ崎里山公園に行く道。「しんみちはし」。川の「橋」の読みは、川が濁らないようにと、「ばし」ではなく濁点をつけずに「はし」と読む場合が多いのである。「小出川 彼岸花小出川沿いの彼岸花(曼珠沙華)は、上流の里山などから大水により球根が流れ込み、古くからこの地域に自生していました。平成1 5年頃から流域の彼岸花保護団体が相次いで組織され、増殖・保全活動に努めています。開花期( 9月下旬頃)には、上流の大黒橋から下流の追出橋まで両岸3kmが紅の帯に染まり、西方に望む富士や箱根連山を借景に、絶好の散策コースになっています。毎年、この時期に「小出川彼岸花まつり」を開催し、来場者を歓迎しています。 ・神奈川県藤沢土木事務所・藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町 ・小出川彼岸花団体協議会・設置者:打戻彼岸花の会」付近のご案内として、「宇都母知神社」👈リンク雄略天皇の時代(466年)厳粛な祭祀が執り行われたと「日本総風土記」に記されている延喜式内社。境内に「民具・農機具資料館」(祭礼時等に開放)がある。(これより北東方向1.5キロ)と「盛岩寺薬師堂昭和文化館」👈リンクも。盛岩寺の薬師堂は、築90余年の旧商家を再移築した古建築で、昭和文化館として活動をしている。堂内の薬師三尊十二神将は、旧東光寺の本尊で、(明治4年廃寺 盛岩寺に移管)、「堂の前」の名はこれに由来する。(これより北西方向0.5キロ)「小出川」を見る。この辺りは例年より花の数は少なかった。ここにも仮設用単管パイプに取り付けた横断幕「小出川彼岸花」が。下流側近くには僅かに花が。しかしその先に赤の塊が見えた。まずは上流に向かって歩く。今年は雑草が生い茂り、この場所は終章・エピローグへと。まだ蕾の場所もあったのだが。朝の陽光に輝いて。彼岸花はまっすぐな茎の上に花だけをつける。葉は花が散って後にゆっくり生まれ出る。韓国名はロマンチック。「サンシチヨ」と言い「想思華」と書く。1本の茎を共有しながら花と葉は決して出会うことはない。花は葉を想い、葉は花を思い焦がれているから「想思華」と。彼岸花は冬から春にはちゃんと葉が繁り、花をつけない寒い季節にしっかり栄養を球根に貯えているのだと。多くの植物は春に芽を出し、夏に葉を繁らせ秋に枯れますが、彼岸花はその逆。冬に葉を繁らせ春に枯れ、秋に花を咲かせるのだと。この花は?ピンクノウゼンカズラ?稲栽培の水田は、収穫時期が間近に。稲穂の重みに耐えかねてか?この稲田は大きく波打っていた。ここも独り占めして。彼岸花の色別の花言葉を調べてみました。「☆白色:思うはあなた一人/また会う日を楽しみに★赤色:情熱/独立/再開/あきらめ/悲しい思い出/思うはあなた一人/また会う日を 楽しみに★黄色:追想/深い思いやりの心/悲しい思い出 彼岸花は、その印象的な赤い花色から「情熱」「思うのはあなた一人」といった花言葉が生まれたといわれています。しかし、彼岸花の花は死や不吉なイメージの方が強いですよね。それは、「彼岸花を家に持ち帰ると火事になる」「彼岸花を摘むと死人がでる」「彼岸花を摘むと手が腐る」といったいくつかの恐ろしい迷信があるためです。これらは、花色や花姿が炎を連想させることと、彼岸花のもつ毒によるものとされています。決して怖い花言葉をもっているわけではないのですが、死や不吉な印象があることから贈り物として用いられることはほとんどありません。」と。小出川の紅い帯が輝く。設定を変えて撮影してみました。一般的に呼ばれている「彼岸花(ヒガンバナ)」は、秋の彼岸の頃に開花することにちなんだ名前。毒のあるこの植物を食べた後には「彼岸」=「あの世(死)」しかない、ということに由来するという説もあるようだが。自撮りを。所々に、花が絡み合って密の場所もあった。花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花を咲かせていた。花は高さ30~50㎝程度の花茎の先に、強く反り返った6枚の花被片(花びら)を持った鮮やかな紅色の花が5~7個程度付き、やや扁平な球状の花序となっている。その色といい、形といい、華やかさと妖気を合わせ持った、きわめて個性的な花では。花は9月末ごろには終わりますが、その後、結実することなく、花茎は萎れて枯れてしまいます。日本国内に生育する本種は、染色体数がほぼ全て3倍体(2n=33)👈リンクであるため、結実しないとされているとのこと。最初のたったひとつの不稔(ふねん)の個体から分球(ぶんきゅう)をくりかえすことで殖えてきたとしか考えようがないのであると。このことを初めて指摘したのは、現在NHKの朝ドラで放送中の牧野富太郎博士であったと(明治40年)。彼岸花は中国揚子江沿岸が原産の帰化植物であると。しかし、いつ頃、どのような経緯で我が国に入ってきたのかは諸説あり、よくわかっていないと。燃えているように見えるので「火事花」とも。5年前に訪ねた埼玉県日高市「巾着田」👈リンク、埼玉県幸手市「権現堂堤」👈リンクの見事な彼岸花を想い出したのであった。別の場所でも自撮り、ズームして。「新道橋」まで戻る。遠くには箱根・二子山が見えた。箱根火山のカルデラ内の南東側に位置し、約5,000年前の噴火で形成された溶岩ドームである。箱根駒ヶ岳、神山、台ヶ岳などとともに中央火口丘を構成する。その名のとおり、双生児のように二つの峰が並んでおり、北(右)側が上二子山1,099m高、南(左)側が下二子山1,065m高となる。花からは6本の雄しべと1本の雌しべがまるで装飾のように上方に長く突き出しているのであった。「彼岸花」を楽しむ?「アオサギ」の姿を発見。全長90cm以上。体の上面、翼の上面はうすく黒味のある灰色で、翼の風切羽は青色がかった黒色。鳥害防止用爆音機に驚いて、突然飛び立った「アオサギ」を追う。風切羽と肩の灰色の対照がはっきりしていた。羽の下面は真っ白であることを初めて知る。日本で繁殖するサギの仲間としては最大のようだ。背が高く、脚も長い。飛行姿は長い首をZ字型に曲げ、後方へ脚を伸ばし、大きな翼をゆっくりはばたいて飛んで行ったのであった。「新道橋」からさらに下流に向かって進むと見事な富士山の姿が。この日の富士山には、裾野に横にたなびく「かいまき笠雲」がかかっていた。富士山が雲の浮き輪をしているかの如くに。ズームして。この場所からの日の入りダイヤモンド富士の撮影を来年は是非!!デジカメではなかなか・・・。そして群生場所が現れた。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・SIMフリー iPhone 15 Pro Max 512GB 白 5G デュアルSIM 香港版 MU2U3ZA/A 新品 スマホ 本体 1年保証
2023.09.27
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昨日・9月25日(月)早朝に、車で20分ほどの場所にある『小出川彼岸花』を愛でに行ってきました。「第16回小出川彼岸花まつり」は、3日前の9月23日(土)に行われたとのことです。今年は例年に比べ開花が1週間以上遅れているようで、昨日朝にはかなり満開状態を楽しむことが出来ました。『大黒橋』入口にはビニール袋に入った「第16回小出川彼岸花まつり」のパンフレットが。パンフレットの裏側には「まつり会場」案内図が。スタンプラリーも行われたようです。裏面の「まつり会場スタンプラリー」シート。彼岸花鑑賞場所は彼岸花が群生する「大黒橋」~「追出橋」の「小出川」沿い約3km。おまつりの本会場:遠藤会場 他、打戻会場、おおぞう会場、が設置されたようであった。そして「彼岸花鑑賞コース」とその周辺の「おすすめスポット」案内。2023年(令和5年)9月10日付けの「広報ふじさわ」にも案内が。小出川(こいでがわ)・大黒橋の手前に一時車を停め、しばしの散策。時間は6:45。小出川 ”彼岸花”の案内板。大黒橋の周辺は紅白の彼岸花が。この付近は例年と同様な花の数であろうか。ややピークは過ぎていたが。雑草が例年になく多く。発芽前は例年にない猛暑で、雑草の刈り込みが出来なかったのであろうか。「大黒橋」の大きな横断幕「小出川彼岸花」。小出川は、神奈川県中央南部を流れる相模川水系の川で、これでも『一級河川』。藤沢市遠藤の笹窪谷戸に源を発し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの脇を流れ、駒寄川(こまよせがわ)が流入し、茅ヶ崎市と寒川町の境界河川となる。新湘南バイパスとほぼ平行して茅ヶ崎市の西部を縦断し、千ノ川が流入した後、平塚市で相模川の河口付近に注ぐ河川。この付近の花の数は例年より少なかった。早朝散歩の人の姿も殆どなく彼岸花を独り占め。日本では秋の花として親しまれる彼岸花(ひがんばな)。別名、リコリスや曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、日本特有の「彼岸」の時期に咲く花として知られている。ネット情報に拠ると様々な名前が。彼岸花(ヒガンバナ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)毒花(どくばな)痺れ花(しびればな)天蓋花(てんがいばな)狐の松明(きつねのたいまつ)狐花(きつねばな)葉見ず花見ず(はみずはなみず)雷花(かみなりばな)レッドスパイダーリリーハリケーンリリーマジックリリーなどなど。彼岸花を楽しめる場所は、遠藤の「小出川沿い大黒橋から追出橋まで約3kmの彼岸花コース」。「大黒橋」下の群生場所を振り返る。車で小出川沿いを走る。右手には「道祖神」碑があった。幟「小出川 彼岸花」。「第16回小出川彼岸花まつり」は終了していたが、「写真展示所」は残されていた。写真掲示板を追って。個々の見事な写真を追う。この付近は既に枯れかかっている花も。柿の実も色づいて来ていた。高圧鉄塔にも大きな横断幕が。この付近は例年通りの花の数が。ズームして。山口百恵の歌『曼殊沙華(マンジュシャカ)』👈リンク♫マンジューシャカ 恋する女は~ マンジューシャカ 罪つくり~♫この曲で初めて作詞の阿木曜子が「マンジュシャゲ」を「マンジュシャカ」と発音させたのであろうか。インドの古い言葉(梵語)では「マンジュシャカ」。音写して曼珠沙華。「天上の赤い花」という意味があり、おめでたいことが起こる兆しに、天から赤い花が降ってくるという伝説があるのだと。 彼岸花は「まず花が咲き、後から葉っぱが伸びる」という通常の草花とは逆の生態をもっている。その葉と花を一緒に見ることがない性質から「葉見ず花見ず」と呼ばれ、昔の人は恐れをなして、死人花(しびとばな)や地獄花(じごくばな)などと呼ぶこともあったのだと。またの名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という。これは梵語でズバリ「赤い花」を意味する言葉だと。それにしても、これほど強烈で刺激的な「赤い花」がほかにあるだろうか。この場所の如くに畦道や川べりに群れ咲くさまは、遠目にみてもドキッとするほどのインパクトなのであった。赤い帯が緩やかにカーブして。「道の辺の いちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」万葉集 巻11-2480“いちしの花”は今の彼岸花といわれる。“いちしろく”は白とは関係なく“はっきりと”の意味で「道端に咲く曼珠沙華ではないけれど、ボクの妻があでやかで人目につく美女だってこと、皆が知っているんだ」という妻をベタほめしている男の歌であるのだと。古代すでにこの花は野面を点々と染めて人々の目をひいていたのだ。 ・・・つづく・・・【中古】【安心保証】 iPhone14 Pro[1TB] SoftBank MQ313J ディープパープル
2023.09.26
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更に少し離れた場所にあったひまわり畑に向かう。「今、見頃のひまわりそちらの畑でも咲いています」と。繰り返しになるが、ひまわりは英名で、sunflower(サンフラワー)と呼ばれています。これは、ひまわりの花姿が太陽に似ているからという説や、「following the sun(太陽に従う)」から、「sun-follow」になり「sunflower」に変わっていったという説などがあるとのこと。この展望台も既に立ち入り禁止。私たち人間とひまわりとの間には、とても長い歴史があるのだと。では当時、ひまわりは何のために栽培されていたのでしょうか。それは「食料」としてです。花屋で見かけるように、ひまわりは観賞用としてのイメージが強い方も多いが、もともとひまわりの栽培が始まったのは、目的は食料として。原産国である北アメリカに住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)は、種から栽培する唯一の農作物として、ひまわりをたくさんの土地で栽培されていたのだと。ひまわりは高いエネルギーを得ることができるため、とても重要な作物の1つだったのだと。ちなみに当時のひまわりの食べ方は、様々な方法があったと。例えば、ひまわりの種をつぶし、菓子やパンの生地として使ったり、他の肉などの食材とひまわりの種を混ぜて食べたり……そのままだけではなく焼くことや他の食材と混ぜることもされていたのだと。そしてひまわりの種は「パンを焼く時に使われる油も、ひまわりの種を絞って使っていたのではないか」という説もあると。ひまわりは加工の方法が、たくさんあったことがうかがえるのだ。また、ひまわりは食料としてだけではなく、染料や薬としても使われていたとも。1つの「ひまわり」という植物から、数多くの活用があったことを知ったのであった。ひまわりは、アメリカからスペイン王立植物園に持ち込まれたことから、少しずつヨーロッパ・ロシアへと広がって行った。そして日本にひまわりが伝わってきたのは1660年代後半。ひまわりがヨーロッパから中国に伝わり、ついに日本へやって来のだ。日本にひまわりが伝わったのは、スペインでひまわりが栽培されてから100年ほどが経ってから。「訓蒙図彙(きんもうずい)」という図が入った百科事典にも「丈菊(じょうぎく)、俗に言ふてんがいくわ(天蓋花)、一名迎陽花(げいようくわ)」という記述があったことが分かっていると。その後「日廻り(ひまわり)」から「向日葵(ひまわり)」と呼ばれるようになったのだと。「ひまわり」と日本で呼ばれるようになってきたのは、1700年頃と。日本人は、あまり「ひまわりの種」を食べる習慣は今でもあまりありませんが、中国では、頻繁に食べる習慣があるのだと、若い頃中国に出張した際に知ったのです。「ひまわりの種」やウリ科の種を中国語で「瓜子(guāzǐ/グアズ)」と言います。また、「ひまわりの種」を(前歯で割って)食べることを中国語の表現では、「嗑瓜子(Kē guāzǐ・クウ グアズ)」と言います。1個を殻ごと口に入れて、口の中で殻を割り、実と殻を舌で選り分けて、容器に捨てるのではなく足下に殻をペッペペッペと吐きだすのです。よって足下はあっという間に殻だらけになるのでした。これが屋外ではなく、部屋の中のテーブルに座って行われるのでした。全ての花が展望台方向に向いて。そして廻り込んで。ひまわり畑内の小路を歩く。前日の雨の影響でやや泥濘って(ぬかって)いたが。再びセイヨウミツバチを追う。頭部を花粉だらけにして。ここにも。立派なカメラを三脚に載せて。そして駐車場ヘと帰路に。「ルドベキア」の花であっただろうか?「千日紅」。柿の実も色づいて。「ホウセンカ」。花後にはフットボールのような形の果実が出来、熟すと軽く触れるだけではじけ、種が四方に飛び散るのです。そしてひまわり畑の跡地にはたくさんの鳩がひまわりのタネを食べているのであった。そして台風7号の風雨でビニールシート屋根が剥がされて。テーブル上には大きなひまわりの花の後に所狭しとタネがついて。タネが袋詰されて100円/袋にてこの日も販売されていた。来年の我が養蜂場所用に2袋を購入しました。ひまわりの種:今、撒きますと10月中旬に咲きます。 残った種は冷蔵庫で保存。来年の6月に播きますと、8月に咲きます。ひまわり 掴み取り :3本 200円ひまわりの種:1袋 100円「この畑のひまわりは摘み取り出来ます。置いてあるハサミでご自分で摘み取り新聞紙で包みテープで留めていただき、お金は後で箱に入れてください。御自宅に着いたら水をはったバケツの中で水切りします。大矢さんちのひまわり畑」と親切丁寧に!!「摘み取りが出来るのは、この畑のひまわりだけです。ほかの畑のひまわりは絶対に切らないで下さい・おねがいいたします。」 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・【新品未開封】iPhone14promax256GB 紫 国内版SIMフリー 一括購入品 日本版 プレゼント ギフト 平日15時までの注文で即日発送 送料無料MQ9E3JA 4549995360967
2023.09.25
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この日は8月16日(月)、神奈川県座間市では2023年8月11日(金)から14日(月)まで「座間市ひまわりまつり」が開催されていたが、祭り期間中に訪ねることが出来なかったのでこの日に車で訪ねたのであった。車で40分ほどで、相模川に架かる「座架依橋」下の「臨時駐車場(座間大凧まつり会場)に到着。相模川の対岸には「圏央道」の高架が。まつりは終了した「座間市ひまわりまつり」会場に向かって徒歩で進む。相模川の左岸堤防上を歩く。左手奥にも背を向けたひまわり畑が拡がっていた。堤防上は自動車道の遊歩道が。ランニングを楽しむ人の姿も。そして前方に相模川に架かる「座架依橋(ざかえばし)」が視界に現れた。県道42号線(藤沢座間厚木線)の橋。名前の由来は、座間市座間(ざま)と厚木市依知(えち)を架(か)けることから と。座架依橋のモニュメントを裏側から見上げて。こちらは、以前、2019年に撮影した正面からの写真。堤防を降りる。石段の下、右側・角にあったのが『土地改良の碑』。約35年前の功労者像、「本多菊近翁之像」。其の隣りにあったのが「土地改良の碑 神奈川県知事 長洲一ニ」。「区画整理記念碑 座間市長 星野勝司」。本地域は、古くから相模第一の美田と称せられた水田と、畑地が連なる相模川左岸耕地の北部に位置するが、水田地域に於ける用水不足や農道用排水路の不備。また狭小かつ不整形な圃場区画による農作業の非効率性解消は、関係耕作者永年の願望であった。昭和26年に国が農業基本法を制定されたのを契機に、関係者相諮り既に区画整理完了済の○○○○第一区とし主水路の改良、未整理地区〇第二区として区画整理の実施を目的に土地改良区を設立、昭和33年・・・・・・・(後略) 平成四年三月吉日 座間市新田宿土地改良区そして「座架依橋」に沿って進む。今年・2023年の「座間市55万本のひまわりまつり」ポスター。「ひまわり会場」案内図。「ひまわりまつり会場案内図」の詳細図。まつりの期間は2023年8月11日(金)から14日(月)までであったが台風7号により、8月14日(月)は、おまつりは急遽中止となり、3日間の開催となったとのこと。台風7号の影響、そして早朝の為かひまわりの花が項垂れている場所もあった。まつりの終わった展望台の階段入口には既にテープが張られ、登れないようになっていた。まつりは終わっているが、ひまわりは満開のままで。中サイズのひまわりの花。先日も同じ内容を書きましたがヒマワリはいつも太陽の方向を向いていることから「向日葵(ヒマワリ)」、英語で「sunflower」と呼ばれるようになった、という話は有名ですが、実はヒマワリが動くのは花を咲かせる前の伸長成長をしているときで、ちょうど花を咲かせる頃に動かなくなるのだと。ヒマワリは、花を咲かせる前の成長期に、若い葉が付く茎の先端部分を太陽の方に傾けます。この動きにより、より多くの光を葉に当てることができます。ヒマワリを太陽の方向に向けないように固定すると、個体全体の乾燥重量が13%減少し、葉の面積も9.7%減少したという研究結果が得られています。つまり、ヒマワリは、たくさんの太陽エネルギーを得て光合成をし大きく育つために、小さい頃から太陽を追いかけているのです。ひまわり(ヒマワリ)の花は大きな花を1つ咲かせているイメージが強いですが、実は多くの花が集まって1つの花の形を形成しています。これは「頭状花序」と呼ばれ、キク科の植物に見られる特徴です。黄色い花びらの部分の花を「舌状花」、内側の色が濃く花びらがない部分の花を「筒状花」とも呼びます。ひまわりは学名を「Helianthus」と言い、これは太陽の花という意味。ズームして。セイヨウミツバチの姿も。セイヨウミツバチをカメラで追う。そして反対側のひまわり畑は全員?後ろ姿で。まつり中のゴミ回収設備は風で飛ばされぬように横に倒されて。この日のこれから、まつりの片付け作業が開始されるのであろう。再びひまわり畑をカメラで追う。ひまわり畑の東側には稲田が拡がっていた。こちらの展望台も立ち入り禁止。「使用禁止」と印刷されたテープがこれでもかと。稲は幸い台風7号の風雨には耐えた模様。たわわに実った稲穂!!。その先には別のひまわり畑が。 ・・・つづく・・・【新品未開封】iPhone14promax256GB 紫 国内版SIMフリー 一括購入品 日本版 プレゼント ギフト 平日15時までの注文で即日発送 送料無料MQ9E3JA 4549995360967
2023.09.24
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この日は8月9日(木)。今年も趣味の養蜂の師匠から、ご自宅近くのひまわり(向日葵)畑が開花しているとLINEにて連絡を頂きましので自転車で訪ねて来ました。今年も比較的小柄なヒマワリ(向日葵)が満開。農家の方の畑の緑肥用に栽培されているとのこと。主に土壌の菌根菌を増やして、後作の作物のリン酸吸収を促すのだと。また、深根性のため土壌の透水性改善効果もあるのだと。全国的に5~8月が播種に適しており、農地の景観アップには最高の植物。ひまわりは放射能汚染された土壌の放射線除去にも使用されたとかで話題にされたことがあったが、その効果はあったのだろうか?花が終わった直後に、トラクタ―のロータリーで、立ったままのひまわり(向日葵)を鋤き込むのだと。お盆過ぎには、鋤込みが始まるのであろうか?ヒマワリはいつも太陽の方向を向いていることから「向日葵(ヒマワリ)」と呼ばれるようになった、という話は有名ですが、実はヒマワリが動くのは花を咲かせる前の伸長成長をしているときで、ちょうど花を咲かせる頃に動かなくなるのだと。ヒマワリは、花を咲かせる前の成長期に、若い葉が付く茎の先端部分を太陽の方に傾けます。この動きにより、より多くの光を葉に当てることができます。ヒマワリを太陽の方向に向けないように固定すると、個体全体の乾燥重量が13%減少し、葉の面積も9.7%減少したという研究結果が得られています。つまり、ヒマワリは、たくさんの太陽エネルギーを得て光合成をし大きく育つために、小さい頃から太陽を追いかけているのです。少しずつズームして。そして我が?ミツバチを発見。入道雲がモクモクと。これぞ真夏の風景。養蜂の師匠から、御自宅の2階からのヒマワリ畑の写真を送って頂きました。 ・・・END・・・
2023.09.16
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