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『相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす
児らは愛(かな)しく 思はるるかも』の歌碑。(万葉集 第十四巻 東歌)
「相模の淘綾(よろぎ)の浜の美しい砂のように、あの娘が可愛く思われることです。」
吾妻山公園の由来の碑に、この淘綾の浜の歌が刻まれていました。
淘綾(よろぎ)の浜とは、神奈川県 の国府津から東へ、大磯
現在は「こゆるぎの浜」と呼ばれているのです。
右の雲は動かずにデンと構えていました。
吾妻山展望台を見る。
いつまでいても飽きない空間。
再び小田原の街並みと青い海・相模湾をズームで。
この景色を見に毎年来るのである。
この場所が「吾妻山の菜の花と富士山」の第一の写真スポット。
300段以上の階段を上って来た疲れも吹き飛ぶほどの素晴らしい景色が広がっていたのです。
こちらは立派なカメラと三脚で。
撮影スタイルもプロ級!!
山頂の芝生の広場に榎の大木が。
吾妻山からの富士山もこれが見納め。
いつの間にか多くのカメラマンが第1人気スポットに。
再び相模湾の光る水面を写す。
雲の影が水面の青に濃淡を。
山を下ると直ぐに新たに出来た吾妻山公園管理棟。
管理棟内部にはこの時期の上空からの写真が飾られていた。
ドローンカメラからの撮影か?上の白は日光の反射で。
二宮の鳥(1)留鳥。
二宮の鳥(2)夏鳥・冬鳥
吾妻宮(吾妻神社)まで足を伸ばす。
石鳥居。
境内。
吾妻神社には、こんないわれがあるのだと。
『日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の時、三浦半島の走水から海路、 上総へ渡ろうと
すると、突如として暴風が起こり、船もろとも海中に沈む かと思われました。
その時妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は 夫に代わって海の神の怒りを鎮め、
夫の武運を祈るため海に身を投じると たちまち海は静まりました。その後、海辺に流れ着いた櫛を
吾妻山山頂に埋め、ありし日の命を偲び ました。その場所が吾妻神社だと伝えられています。』
と。
拝殿。
拝殿の奥の本殿。
吾妻神社ではカワヅザクラの出迎えがありました
浅間神社に立ち寄る。
祭神は木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。
1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討。
曽我兄弟の姉・花月尼は、仇討ちの成功を富士浅間神社に祈り、兄弟が見事に父の仇・工藤佑経を
討つと、自身の住居前の吾妻山に浅間神社を祀ったのだと。
アオキの実も美しかった。
山を下る途中に相模湾に浮かぶ江の島の姿が確認出来た。
ズームすると江ノ島大橋・江ノ島弁天橋 そして烏帽子岩の姿も確認出来た。
JR二宮駅。
そしてJR二宮駅南口に立つ「ガラスのうさぎ」を訪ねる。
『太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、ここJR二宮駅(当時国鉄)周辺には艦載機P51の
機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を
描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、
戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました
人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。』
「ガラスのうさぎ」像記念碑文より
そしてJR二宮駅ホームから、吾妻山斜面に有る植栽による二宮町の町章が確認出来た。
「二」と「宮」 の文字を図案化したのであろうか?
そしてこの日の吾妻山からの菜の花と富士山を堪能した4時間を終了し12時前には
帰宅したのであった。
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