JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.12.16
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カテゴリ: 国内旅行
そして「加藤神社」を訪ねた。
熊本県熊本市中央区本丸2−1。



「加藤神社 御由緒
主祭神  加藤清正公
陪神   大木兼能公・韓人金官公
御祭神  加藤清正公【永禄五年(1562)6月24日~慶長十六年(1611)6月24日】は、
     尾張国愛知郷中村(現名名古屋市中村区)の御出身で、智仁勇の三徳を兼備され
     常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を
     以てあたられた武将であります。また、二十七歳で肥後国に入国され五十歳で逝去

     土木・治水工事をはじめ、干拓開墾、植林、街道づくりなどのインフラ整備、貿易振興、
     産業の奨励保護、学問の奨励、文化の開拓そして宗教保護政策など数々の偉業を残された
     領主であり、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たされた
     大恩人であられます。清正公の五十年の生涯は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、
     いつの時代においても尊崇敬慕されるに相応しい政治家で、熊本の人たちは今も親しみを
     込めて「清正公さん(せいしょこさん)」と二重の敬称で呼んでおります。
由緒  慶応四年   熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年朝廷 より
                            神祭仰出され、本妙寺(西区花園)に坐す浄池廟を神道儀式にて守護する。
    明治四年     神仏分離令が出された後、熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。
    明治七年   明治六年、城内に熊本鎮台が置かれた為、京町台に改築遷座奉祀する。
    明治十一年  陸軍中佐乃木希典公西南の役戦勝報賽、祭文奏上(御神宝として所蔵)。

            明治四十二年 清正公三百年祭斎行に伴い、社号を「加藤神社」と改称する。
           同年閑院宮殿下御参拝、同年陸軍大将乃木希典公より太刀一振薙刀一本
           献納される(御神宝として所蔵)。
    明治四十四年 伏見宮殿下御参拝 
    昭和六年   昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。

    昭和四十六年 御創建百年を記念し、御鎮座百年記念大祭を斎行する。
    昭和五十六年 御神徳の昂揚を目的として加藤神社崇敬会を結成する。
    昭和六十三年 清正公肥後入国四百年記念大祭を斎行する。
    平成十九年  熊本城築城四百年記念大祭を斎行する(清正公嫡男忠廣公終焉の地
           出羽庄内より忠廣公ご尊像が里帰りされ、神殿内に一時安置 清正公
           との対面を果たす)
    平成二十三年 清正公生誕四百五十年没後四百年記念大祭を斎行する。
    平成二十四年 城内遷宮五十年記念大祭を斎行する。
例大祭 「春季大祭」四月二十四日 「夏季大祭」七月二十四日
    「清正公まつり神幸祭」七月第四日曜日・「清正公夜市」神幸祭の前週土曜日
    (七月第ニもしくは第三土曜日)」



「昔も今も、未来も、いつの時代にも熊本には熊本城があります。天守復活」



右手に「手水舎」。



「天守閣
大天守内部は地上六階地下一階、小天守内部は地上四階地下一階の建物です。
明治10年(1877)西南戦争直前に焼失し、現在の天守は昭和35年(1960)に古写真などを
基に再建されたものです。白漆喰と黒い下見板の調和が力強く、大天守最上階の出窓には
「唐破風」という曲線の装飾、下の階には「千鳥破風」という反りが美しい装飾も施されて
います。現在も「熊本の誇り」といえる建物です。」



「加藤神社」境内から復活した「大天守」、「小天守」を見る。



手前の石垣の一部は、この日も崩れたままに。



「大天守」(右)は地上六階地下一階。
白漆喰と黒い下見板の調和が力強く、大天守最上階の出窓には「唐破風」という曲線の装飾、
下の階には「千鳥破風」という反りが美しい装飾が。
「小天守」(左)は地上四階地下一階。



「大天守」をズームして。



更に。



カメラの向きを変えて。



「小天守」をズームして。



「宇土櫓」の白壁の一部は剥げ落ちて。



「醍醐の桜」。



「醍醐の桜と百螺祈願
この桜は加藤清正生涯の師である豊臣秀吉が1598年に「醍醐の花見」をしたことで有名な
京都総本山醍醐寺(弘法大師の孫弟子、里源大師・聖宝が八七四年に創建した真言宗醍醐派の
総本山。開創後、皇室をはじめ貴族や武士の深い帰依を受け、国宝・五重塔をはじめとする
多くの堂宇が建立され、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集める)の桜の子孫で、
樹齢約160年と言われている「太閤しだれ桜」をクローン技術で現在に蘇らせた桜です。
平成28年4月に起こった熊本地震の鎮魂と復興を祈るため、醍醐寺を中心とした全国の醍醐派
修験者総勢百余名がここ加藤神社に集結し、百丁の法螺貝を立て当社宮司をはじめとする神官と
ともに「百螺祈願」なる神仏習合の祈りを厳修しました。その際に植樹されたのがこの
「醍醐の桜」です。
この百螺祈願は、加藤清正公が熊本城を築城される際、龍蔵院という山伏を招き、地鎮祈禱を
行ったという歴史的史実に基づくもので、その史実を再現し熊本への祈りとしたものです。」



「加藤神社」拝殿を正面から。



更に近づいて。



扁額には「仰清正公」と。



内部では七五三の神事が行われていた。



境内から石鳥居を見る。手前には大きな御神木が



「白鬚神社 清正公お手植えの樹」案内板。



「白鬚神社」社殿。



「末社 自鬚(しらひげ)神社
(ご祭神)
 白鬚大明神ー導きの神
 菅原道真公ー学問の神
 (猿田彦神)
 大国主神ー福徳円満の神
 恵比寿神ー商売繁盛の神
(例祭日)
 十月五日 午前十時」



左手に「社務所」。



再び熊本城「大天守」、「小天守」を見る。



「熊本城 北大手櫓門跡」の石垣は崩壊防止のために全面モルタルで覆われていた。



「北大手櫓門跡 石垣の工事
江戸時代、本丸に入る三つの大手門のうち、この石垣の上には北大手門と呼ばれる櫓門が
ありました。平成28年(2016)の地震により、この道沿いの石垣は崩落こそ免れましたが、
亀裂が入り大きく膨らむなどの被害がありました。二次崩壊を防ぐためにネットを張り、
大型土のうを積んで応急的な安全対策を施しています。」



更に進むと左手には「戌亥櫓」と「戌亥櫓」に繋がる石垣が見えた。
石垣が大きく崩れたままであることを確認できたのであった。



石垣の石は全て下に落ちて。



日没が迫り空はオレンジ色に。



「監物櫓
監物台樹木園の敷地北側には、国の重要文化財に指定されている監物櫓があります。
江戸時代には豊前街道・豊後街道脇に位置しており、北の守りを固めていました。
平成28年熊本地震で外壁が破損し、建物本体が傾きました。平成31年( 2019 ) 3月に
建物解体が終了し、解体した部材は格納庫で復旧まで保管しています。」



「戌亥櫓」のシルエット。



「監物台樹木園」は休業中と。



「監物台樹木園」案内板。



「戌亥櫓[いぬいやぐら]」が復旧に向けて解体されることになり、11月にも関連工事が始まる。
被災を象徴し、全国から注目されてきた「一本石垣」は近く見納めになりそうだ。
現在の戌亥櫓は2003年、西出丸に完成した復元建造物。16年の熊本地震で石垣がえぐられる
ように崩落。飯田丸五階櫓(既に解体)と同様に角石[すみいし]が柱のように残っている。
11月にも、解体の際に櫓と石垣を安定させる鉄骨などの設置に着工。来年4月ごろから約1年
かけて解体した後、石垣を復旧して櫓を建て直す とのこと。



耐えぬいている石垣をズームして。



正面から見ると、石垣だけでなく櫓も傾いている事が理解できたのであった。



「戌亥櫓(いぬいやぐら)
戌亥櫓は西出丸の北西角に位置する三階櫓で、北西を意味する「戌亥」の名が付けられました。
「西出丸」は本丸の北西側に張り出した一帯のことです。
櫓は明治時代に解体されましたが、平成15年(2003)に木造復元しました。
平成28年(2016)の地震では、櫓下の石垣が大きく崩落して角石のみで櫓を支え、さらに東側に
延びる石垣もほとんどが崩落しました。」



「西南戦争 籠城将校家族避難跡」碑。



「西南戦争籠城戦
明治10年(1877)2月から9月まで続いた西南戦争は、九州各地で戦闘が繰り広げられ、
近代日本において最大かつ最後の内戦となりました。熊本城では籠城戦が繰り広げられました。
籠城したのは鎮台兵や将校家族ら約3000人、それに対し1万を超える薩軍が城を取り囲みました。
鎮台は城内の飯田丸・竹の丸などに築造した砲台から城を取囲む薩軍を砲撃し、薩軍は近くの
花岡山や市街地の砲台から城を砲撃しました。飯田丸などに多くの砲弾が落下したという記録が
残っています。
薩軍による城の包囲は長期化し、最終的には薩軍が坪井川を堰き止め、水攻めが行われました。
それでも鎮台は持ちこたえ、味方の軍勢が入城して籠城が解かれるまでの50余日の間、薩軍から
熊本城を守りぬきました。」



再び「戌亥櫓」を見る。



「大天守」、「小天守」、「宇土櫓」を見る。



「大小天守の再建
西南戦争直前に焼失した大小天守の再建事業が動き出したのは第二次大戦後で、熊本市政
70周年と加藤清正入国360年祭の記念事業として天守再建が決定しました。
江戸時代の絵図や明治初期の古写真を根拠として、外観が忠実に再現されています。
多くの市民のカ添えにより昭和34年(1959)に着工し、昭和35年(1960)に完成しました。」



昭和35年 再建工事中の大小天守。



「大天守」、「小天守」、「宇土櫓」前の石垣上の塀は全て倒壊したまま。



更に進んで。



「大小天守と宇土櫓
正面右側に見える大天守は、慶長5年(1600)の頃に加藤清正によって築かれました。
正面中央は小天守で、大天守築造後に別棟として建てられ通路でつながっています。
大小天守は明治10年(1877)の西南戦争直前に焼失し、昭和35年(1960)に鉄筋ンクリート造で
再建されました。正面左側は宇土櫓で、大天守・小天守に続いて「三の天守」とも呼ばれます。
宇土櫓は江戸時代から残る重要文化財建造物です。」



「宇土櫓」も傾いているのであった。



全て倒壊した石垣上の塀をズームで。



撮影ポイントなのであろう。
「大天守」を。



「小天守」を。



「宇土櫓」を、残念!!



熊本城二の丸から。



「熊本城二の丸由来記
慶長12年(1607) 加藤清正熊本城を築きこのあたり二の丸に重臣屋敷を置く。
寛永  9年  (1633)   細川忠利肥後領主となり熊本城に入る。
宝暦  4年  (1754)     細川重賢二の丸に藩校時習館を開設
明治  4年  (1871)   廃藩置県後城内に鎮西鎮台が置かれる   
明治  8年  (1875)     歩兵第十三聯隊が置かれる
明治  9年  (1876)     神風連の変おこる
明治10年  (1877)   西南の役に鎮台将士が籠城する
大正14年(1925)    歩兵第13聯隊移転
昭和  2年  (1927)     熊本陸軍教導学校が置かれる
昭和  6年  (1931)     天皇行幸がある
昭和18年 (1943)   編成改編により熊本陸軍予備士官学校と改称される
昭和20年 (1945)   同校閉校
            同校跡に官立熊本医科大学(後の国立熊本大学医学部)が置かれる
昭和27年 (1952)   国の史跡に指定される
昭和30年 (1955)   国の特別史跡となる
昭和37年 (1962)   国立熊本大学医学部・体質医学研究所移転
          熊本県立第ニ高等学校が創立される
昭和43年   (1968)    同校移転
昭和47年 (1972)   熊本城二の丸公園として整備される」



そして日没前の夕日を駐車場で追いかける。









「二の丸広場の変遷」案内図。



「江戸時代の二の丸
熊本城本丸の西側に広がる二の丸広場一帯は、北に百間石垣、西に空堀、南に高い石垣や空堀、
東に空堀を扶んで西出丸(本丸)に面しています。江戸時代には上級家臣の屋敷が建ち並んで
いました。また、宝暦5年(1755 )には二の丸の一画に藩校「時習館」が開校しました。」



「藩校 時習館
宝暦5年(1755)に開校した時習館は、家臣の子弟のほか、庶民も優秀な者は入学が許可され
優秀な人材を多く輩出しました。時習館は南北約123m、東西約84mの敷地で、北側には教育を
行なう建物がありました。また、敷地の南西には武芸所が置かれました。」



「明治以降の二の丸
ニの丸は明治6年(1873)には陸軍兵営となり歩兵第13連隊が駐屯しましたが、
大正14年(1925)の連隊の移転後には学校が置かれました。その後、学校等の移転に伴って
陸軍以来の建物が解体され、昭和44年(1969)からは都市公園として整備が進み、現在は
市民の憩いの広場として親しまれています。」



「二の丸広場」を見る。



再び夕日を追う。



月の姿も。



この日の夕日も見納め。



そして熊本市中央区新市街2にあるビジネスホテルに到着する。



チェックイン後夕食に出かける
近くの「サンロード新市街」のイルミネーション。



そして「酒湊」で夕食兼本日の反省会を焼酎片手に。



注文した魚類。
しかし醤油が甘すぎるのであった。やはりMy醤油を携帯すべきであった。







                              ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2021.12.21 11:57:30
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