JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.03.01
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カテゴリ: JINさんの農園
そして「古墳展示室」を後にして外に出る。
見事に黄葉した 多摩川台公園第一広場 の隅のイチョウを再び。



右手奥に見えたのが「 カトリック田園調布教会 」。 
1931(昭和6)年にカナダ・フランシスコ会の宣教師によって創立された
「カトリック田園調布教会」。アシジの聖フランシスコを保護の聖人としていることから、
「聖フランシスコ教会」とも呼ばれている。現在の聖堂は1955(昭和30)年に建てられたもの。
時間は11:00。



「平和都市宣言」像



平和の像・愛し子 」と。
1984年(昭和59年)8月15日「……大田区は平和憲法を擁護し核兵器のない平和都市で
あることを宣言する」とあった。 



母子のお顔をズームして。



多摩川台公園第一広場を振り返って。
左にメタセコイヤ、右にイチョウの大木が黄葉して。



多摩川台公園第一広場の紅葉を楽しむ。



左手に「第2号墳」。



その先に「第3号墳」。







東京都指定史跡
多摩川台古墳群
所在地 大田区田園調布一丁目六十三番
                同四丁目三番
            指 定 平成十二年三月六日
多摩川台古墳は、八基からなる古墳時代後期の古墳群である。古墳群の南側には国指定史跡
亀甲山古墳、北側には東京都都指定史跡宝莱山古墳の二基の大型前方後円墳が古墳時代前期
(四世紀)に築造されている。
古墳群は、最初に二号墳が六世紀前半に築造され、二号墳を前方部として利用し、一号墳を
後円部とする一基の前方後円墳(全長三十九メートル)が六世紀後半に築造された。その後、
三号墳から八号墳までの円墳(直径十三~十九メートル)が七世紀中頃まで継続して築造された。
発掘調査された古墳の横穴式石室内からは、副葬された直刀や鉄鏃等の武具類、耳飾りや管玉等の
装身具類、馬具の轡、須恵器や土師器が出土し、墳丘部からは円筒埴輪が発見された。
本古墳群は、大田区田園調布付近から世田谷区野毛付近に所在し、昭和初期に五十四基の古墳が
確認されていた荏原台古墳群の一支群にあたる。今日、荏原台古墳群の多くの古墳が都市化の波に
埋もれてしまっている中で、本古墳群は往時の姿をとどめているだけでなく、当時の多摩川
下流左岸地域の首長墓群の変遷をたどることができる貴重な古墳群である。
平成十三年三月三十一日 設置
                      東京都教育委員会」 



広場から一段上の遊歩道へ。



「第?号墳」。



展望所前にあった案内板と休憩所。



多摩川の自然 」。
ふなやこいが釣れるようです。
鳥では、ひよどりやきじばとなどが見られると。



多摩川台公園からのながめ 」。



丹沢の山々の奥に富士山の姿が見えると。



富士山の姿を探す。
前方に「 Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu 」の姿も確認できた。



ズームして富士山の姿を確認。




①~⑦までの古墳群 の配置図をズームして。



武蔵小杉周辺の高層ビル群。



「第4号墳」。



さらに遊歩道を進む。



第5号墳 」。



多摩川台古墳群の案内 」。



ズームして。



「第6号墳」。



「第7号墳」 。



そして「虹橋」が前方に。



8号墳と宝萊山古墳はこの橋の先にあるのだ。



「虹橋」。



「虹橋」の下には車両が通過できる道路が(北方向)。



南方向。



「虹橋」を渡る。



「大田区立 多摩川台公園 案内板」。



ズームして。 現在地 はここ。



大田区自然観察路「雑木林のみち」
ポイント2 多摩川台公園の植生
雑木林は人の手によって作られた林で、クロマツなどの高木やムラサキシキプなどの中低木で
形成されています。また、園内にはアジサイなども植載されています。それそれの植物の特徴や
季節ごとの変化について観察してみましよう。」 



「第二広場」が前方に見えて来た。



周囲の紅葉・黄葉はピークに。



ここにも「多摩川台古墳群」案内板が。



近づいて。



見事な紅葉の下を歩く。





第8号墳 」。





公園内のいたる場所に「大田区立 多摩川台公園 案内板」が設置されていた。



現在地 はここ。



「第二広場」北側の紅葉を楽しむ。



黄金ヒバの黄葉であっただろうか?



モミジ葉は炎の如くに。





そして「多摩川台公園」の北側入口にいったん出る。



「多摩川台公園」。



そして再び「宝莱山古墳」前の広場に向かって坂道を南に向かって上る。



広場にあった案内板。



東京都指定史跡蓬莱山(ほうらいさん)古墳 」案内板。



東京都指定史跡蓬莱山古墳
蓬莱山古墳は、多摩川下流域左岸の台地上、大田区多摩川台公園西端の標高三十七・五m付近に
築造された前方後円墳である。国史跡亀甲山古墳に次ぐ全長約九十七メートルの規模をもち、
古墳時代前記前半(四世紀前半)に築かれたこの地域最古の前方後円墳である。前方部は東南に
向き、この地域最大規模を誇る全長約百七メートルの亀甲山古墳の前方部と向き合う位置に
造られている。
昭和九年に後円部が土取り工事で削平された際に、粘土槨の埋葬施設が発見され、倣製四獣鏡、
紡錘車形碧玉製品、玉類、剣、槍等が出土している。現在、この出土品は、慶応義塾大学と
大田区立郷土博物館に展示・保管されている。また、この出土品のレプリカは、多摩川台公園内の
古墳展示室に展示されている。
平成七年の公園整備にともなう確認調査において、前方部にも埋葬施設のあることが推定され、
前方部の先端が「撥状」に広がる形をとり、前方部南側の墳丘裾から台地の際まで張り出して
いることが明らかにされた。墳丘は、後円部三段、前方部二段に築かれ、墳丘の周囲は削り出し
による一段のテラスが設けられている。この古墳は、多摩川流域の古墳時代を解明する上で
重要な遺跡として、平成八年三月十八日付けで、東京都指定史跡に指定された。
大田区」  



現状と 現在地



断面図と古墳の規模。



「蓬莱山古墳」の紅葉をカメラで追う。







多摩川台公園(蓬莱山古墳拡張部)の樹林
多摩川台公園は、都市の中にありながらもまとまった緑と豊かな自然が残る公園です。
また、丘陵地にあるため遠くからでも挑めることができる貴重な樹林です。でも、もともとの
自然林ではありません。人の影響を受け、管理されながら自然を保っている二次的な公園型
雑木林です。
この宝来山古墳拡張部も人の影響を受けた樹林ですが、人の手が入らなくなってからだんだん
樹林が荒れ始めてきました。これガらは適度に管理して、樹木を守っていきます。」 



「蓬莱山古墳」の北口入口にはゲートが。



大田区立 多摩川台公園 案内板 」。



この門は下記の時間で開閉します 」 と。





                                 ・・・もどる・・・   


                    ・・・つづく・・・ 









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Last updated  2024.03.01 00:00:25
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