JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.03.18
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カテゴリ: JINさんの農園
隨神門 」右側の「 脇門 」。



「脇門」から再び境内に入ると右手にあった「石碑群」。
神田神社(神田明神)・御防講(おふせぎこう)記念碑 」。
御防講は、警護団体の一種で、江戸町火消しの先駆けといわれる。
神田明神は、江戸総鎮守で、江戸三大祭りの「神田祭」を執り行う神社として知られているのだ。
右手に「 火消しの纏



「生命の言葉 令和七年二月
山かげに したたり落つる 山の水 大河となりて 野を流れゆく
今上陛下   ー宮内庁 平成二十九年歌会始め お題「野」」



第22回 神田明神薪能
明神能幽玄の花 石橋 」ポスター。
【あらすじ】
中国・インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師[大江定基]は、中国の清涼山(しょうりょうぜん)
[現在の中国山西省]にある石橋付近に着きます。そこにひとりの樵の少年が現れ、寂昭法師と
言葉を交わし、橋の向こうは文殊菩薩の浄土であること、この橋は狭く長く、深い谷に掛かり、
人の容易に渡れるものではないこと[仏道修行の困難を示唆]などを教えます。そして、
ここで待てば奇瑞を見るだろうと告げ、姿を消します。
寂昭法師が待っていると、やがて、橋の向こうから文殊の使いである獅子が現われます。

乗り物に戻ります。

年中行事|江戸総鎮守 神田明神

尾上菊之助 改め 八代目 尾上菊五郎襲名披露
 尾上丑之助 改め 六代目 尾上菊之助襲名披露
お練り
於 神田明神 」ポスター。

八代目尾上菊五郎、六代目尾上菊之助「襲名披露お練り」のお知らせ|歌舞伎美人

さざれ石 」。



さざれ石
国家君が代に詠われている。
永久の団結と繁栄の象徴
名峰伊吹山山麓産出
さざれ石美濃坂 謹撰」



さざれ石(細石)は細かい石・小石のことで、それが巌(いわお)となった状態のものが
”さざれ石”と呼ばれている。 学術的にはさざれ石(細石、さざれいし)は、小さな石の
欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に
変化したもので 「石灰質角れき岩」 と呼ばれる。
さざれ石の巌となりて 」は、日本国歌「君が代」の歌詞にある一節で、
長い時間を経て小さな石が積み重なって大きな岩となり、苔がむすほど子々孫々と国の平安が
続くように
」と祈る思いが込められています。



明神男坂 大公孫樹
この公孫樹(いちょう)は、向い側の男坂解説にもあるとおり江戸の昔よりこの地に育ちました
由緒ある樹木である。
大正時代、関東大震災により社殿をはじめ神社の諸施設がことごとく炎上し崩壊したなか、
その焼け跡に唯一残されたのがこの公孫樹であった。震災で焼け残った公孫樹からひこばえが
生え育ち、その後、昭和20年の東京大空襲による油脂焼夷弾が東京一帯を襲ったが、昭和9年
建立の鉄骨鉄筋コンクリート造・総漆塗の社殿は当時としては日本初の耐火耐震構造を持つ
神社建築であったため焼失を免れた(国登録文化財)。その一方、ひこばえは被災の憂き目に
あったにもかかわらず立派な樹木となり親木を支えることとなりました。
この度、親木のほうは枯木につき倒木危険防止のため上部を伐採し保存することといたしました。
江戸時代、月見の名所に植えられた公孫樹は、大正・昭和の災害にも遭遇しながらも子孫を残し、
この地の歴史を伝えてきた大切なご神木と言えます。
災難除け・厄除け・縁結びのご神徳を持ち長い間この地を見守ってきたご神木として、今後とも
後世にお伝えいたします。
ひこばえの生育が後世までも受け継がれてゆくことを心より願うものであります。」



近づいて。



「本殿」を振り返って。



西側にあった「 神田明神男坂 」を見る。
神田神社の境内にある明神会館のわきから、東に下る石段の坂 です。
天保の頃、最初に作られたと伝えられています。 「明神石坂」の別名 もあります。



明神男坂
『江戸名所図会』にも登場するこの坂は、江戸時代には「明神石坂」、「石坂」、「明神東阪」
などと呼ばれていました。高台で見晴らしが良かったため、風光明媚な場所として錦絵にも
描かれています。
幕府が1825年から1828年(文政8年~11年)の間に町名主に提出させた、町の情報をまとめた
『町方書上』によれば、当時高さは4丈余り(約12m)、幅は2間(約3.6m)、石段数は68段と
紹介されています。明治時代に入ると、「明神男坂」と呼ばれるようになりました。」



「神田文化史」には「天保の初年当時かんだの町火消「い」「よ」「は」「萬」の四組が石坂を
明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。
この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、
坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です
と。



そして 「JR御茶ノ水駅」に向かって 進む。
東京下水道 合流 マンホール蓋
東京都の花「ソメイヨシノ」、木「イチョウ」、鳥「ユリカモメ」がデザインされた
マンホール蓋です。 ソメイヨシノは中央に大きく。そして、花びらの間にイチョウの葉、
それらをぐるりと囲むように13羽のユリカモメ が描かれています。
ユリカモメは別名「都鳥」 とも呼ばれ、古代から詩歌や絵画の題材とされてきました。
言問橋(隅田川)の由来とされる在原業平の歌にも登場しますから、いかに古くから
この地に馴染んだ鳥であるかがわかります。」



聖橋 」を渡る。
聖橋 」は 神田川に架かり、昌平橋の上流約350mの所 にあります。
ニコライ堂がある神田駿河台四丁目と湯島聖堂がある文京区湯島一丁目を結んでいます。
昭和2年(1927)9月8日に関東大震災の復興橋の一つとして架けられました。
立体的な橋脚美は東京の新名所となり、北区滝野川の音無橋のモデルともなりました。
橋の名は一般から懸賞募集してつけられました。長さ92.0m、幅22.0mの
鋼及びコンクリ-ト橋です。
こちらは、 JR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線の車両が立体交差する
絶景トレインビュースポット! なのであった。



赤い地下鉄丸の内線の車両が上下線に。



JR中央線が御茶ノ水駅のホームに。



そして JR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線の車両が

御茶ノ水駅(JR中央線・JR総武線・東京メトロ丸の内線)聖橋から

ニコライ堂(日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂)のドーム が前方に見えた。



そして「大崎駅」へと向かったのであった。

                                   ・・・もどる・・・




                    ・・・完・・・









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Last updated  2025.03.18 00:00:25
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