宇宙は本の箱

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恋愛小説ーある十年の物語(7)


私は結婚する少し前で、結婚はしんちゃんには伝えるべきことだった、
実はそれだけの夜でしかなかった。
私達は恋人同志になれず、親友にもなれず、そういう間柄は終わりにすべき年だった。

 俺の求めてるもんって何やったんや?
 俺は何が欲しいねやろ?

暗い川面を見つめながら、そんなことを二言三言しんちゃんは言った。
腕を橋の欄干に置いて、顔を腕に埋めるようにして。

その日もまたクリスマス前夜だったような気がする。
あれからでもまた一年か二年かが過ぎていた。

 しんちゃんはきっと自分をわかってくれる友達が欲しいんだと思う。

 なんでそれが分かる?

 必要なのは何も言わずとも心をわかってくれる人。
 それは恋人かもしれないし親友かもしれない。
 でも恋は簡単にみつけられるけど、親友を得るのは難しい。

 あんたが色んな奴と付きおうてても、会うたんび誰かと付きおうてること聞いても、
 俺は、あんたは最後には絶対俺のところに来る思うてた。

 私ってそんなに色んな人のこと好きになる人間かな~?

しんちゃんは何かを思い出したように顔を上げた。

 あ!・・・そうやった。。。

 私はずっと一人の人だけ好きだったってわかるでしょ?

 そうや・・・そうやった・・・

しんちゃんは独り言のように頷きながら言った。

 私が人生に望んだものは、生涯でたった一人の恋人。
 ただ一人の友達。
 ただひとつ心打ち込める仕事・・・。

下には深い薄暗いたゆとう川があるばかりだった。



 俺はこれでええのかな?
 俺の十年は本当にこれでええのかな?

しんちゃんが呻くように言った。
その時はじめて私は、しんちゃんの本当に大切な十年、しんちゃんの青春時代を全部私が奪ってしまったのだという自責の念にかられていた。ひどい話だ。
今の時代ならともかくも、しんちゃんはもう決して若いとは言えない年だった。
私はなんと答えたか?この十年を納得できる方法があるなら、と言ったのだったか、
それは忘れてしまった。

 十年つきおうて、一回くらい男の甲斐性持ちたかった。。。

しんちゃんがそう言ったことの意味がよく分からず、私は聞いた。

 男の甲斐性って?

 一晩くらい家に留守にするくらいの、男としてそういう夜を持ちたかった。

私達は少しの間黙っていたが、沈黙は私が破った。

 いいよ。そうしよう。十年と一晩をイコールにできるなら。
 いいよ、そうしよう。 それで終わりにしよう。
 それでもう私のことは全部忘れて。
 今まで話したことも、今日こうして会ったことも、思い出しもしないで。
 十年とひきかえの一晩で、それでこの十年を全部なかったことに出来るなら、
 それは私の方が得かもしれない。。。


私は歩き出した。しんちゃんは後ろを歩いた。
泊まるにことかかない場所は十分も歩けばあったのに、二十分は歩いただろう。
ああいう所に行くのがしんちゃんの夢だったのかと、もう随分昔の、平手打ちでもしてやろうかと思ったあれやこれやのしんちゃんの小さな行為を思い出して、それが少し可笑しくて振り返ると、しんちゃんは神妙顔で歩いていた。


部屋に入るとしんちゃんはお風呂に入った。
私はというとベッドに仰向けに寝た。何考えるでもなく。頭が疲れてもいた。

その夜、私としんちゃんは、十年付き合って初めてキスをした。
キスをしながらしんちゃんの軽さに気がついた。それがしんちゃんの優しさなのだった。
知っていた。
だからとてもずるく、ここにこうしているのだと思った。

 後悔しない?

しんちゃんは黙って私の胸に顔を埋めていた。

 それで全部忘れる?

 いや・・・

しんちゃんは首をふって、ただ胸に顔を埋めていた。
私はしんちゃんの髪を優しいふりで撫ぜながら、
そうして、いつのまにか二人寝てしまった。


何かの物音で目が覚めた。
隣にしんちゃんの姿はなく、服を着たままの私は起き上がって入り口の方を見た。
しんちゃんは靴を履いているところで、私を見つけると、

 俺、今日会議あるから遅れられへんねん

と、言った。それから少し沈黙の時間があり、しんちゃんはまた私の目を見た。

 俺は あんたに なんて言ったらいい?
 サヨナラ!

そう言うなり、私の言葉も聞かずに扉をさーと開いて出て行った。

私はそれから一時間近くそこにいた。

 サヨナラ。さよなら。

 さよなら。サヨナラ。

私はしんちゃんが言ったその言葉を繰り返した。
別れの言葉のようで嫌いだからと、どんな時でも絶対言わなかった「さよなら」。

明日また会う さよなら。

もう永久に会わない さよなら。

赤いリボンで結んでおくる さよなら。

その朝、一つの恋が終わり、
私は一人の友を失った。


(今になって急に、30までに詩集を一冊出そうかな~と言った時、「出せよ。俺、何にもしてやることないから金出してやる」と、しんちゃんが言ってくれたことを思い出した。
あれは確か、本当にそれが最後になってしまったけれど、子供を産んだあとあった時、駅に向かいながら話していた時の言葉だったということを思い出した。
ああ、しかし、あれからあとも一回だけ仕事のことであったんだった。それはもう事務的に、と思ったけれど、印刷物を持ってきたのは多分しんちゃんを好きな人で、彼女は頑として代金を受け取らなかった。後悔。後悔。私はひどい奴だった。)


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