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今朝からタイピングを始めた。コロナ禍の休暇でタイピング練習のために作ったものを半年ぶりで練習を再開しようと思い立った。************目を星に向け、足を地につけよ。神の愛が創造の始まりであり、創造の内容であり、創造の目的である。もし夢を売っていたら、あなたはどんな夢を買いますか?人間の運命は、自分の魂の中にある。人は生まれてそのまま死んでいけるけれども、創造の目的は、そのままで消え去ることは出来ない。必ず実を結び、結末をつけなければならない。愛には盲目的な突破力がある。目的一つをなすためには、いかなる犠牲があってもそこには避ける道がない。人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。自分の運命は自分でコントロールすべきだ。誰かにコントロールされぬ為に。創造の理想は我々の知識ともなる。たとえ体は、現実の中に生きているとしても、生活感情と理想とすべての因縁はすべての真という名詞は、心情を抜きにしては成立しない。主を愛していたよりももっと世界を愛する心がなければならない。宗教は愛の道であるから生死を超越することができる。創造目的の完成に対しては、一歩も譲らない。人はその守る沈黙によって判断される。すべての者は生まれながらに知恵を求める。恐怖は常に無知から生じる。自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。死というのは、ただ人生の次に起こる大冒険にすぎない。我々は、行くべき道を残しておいて、今日に満足する者とならず自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。しばしば、直観が頼みの綱になる。重要なのは人生の長さではない。人生の深さだ。未来は今日始まる。明日始まるのではない。この世の未練を断ち切ることのできる、より大きい目的を持つ黄金律はないということが黄金律である。行動する事は少しも恐れず。恐れるのは、ただ無為に時を過ごす事だけだ。ただプレーして、楽しく試合をすればいい。人生は公平ではない。そのことに慣れよう。嘘は、生き続けることなどできない。何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。より大きい考えをもって新しい歴史を開拓していこう。天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。与えることで貧しくなった人はいまだかつて一人もいない。最低の苦痛を受けながらも、この世の最高の栄光を嘲笑し踏み越えていく。想像できることは、すべて現実なのだ。失敗は致命的ではない。変わらなければ、それこそが致命的になりうる。成功は、手がかりを残す。外見は大切。笑顔を忘れぬよう。始めうまくいったものは半分できたも同然。何であれ、怒りから始まったものは、恥にまみれて終わる。考え過ぎたことはすべて問題になる。人間は、その想像力によって支配される。屋根を修理するなら、日が照っているうちに限る。恐れを抱いた心では、小さいことしかできない。純粋な心だけが美味しいスープを作る。https://typing.twi1.me/game/105155
2021年01月25日
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過去の日記を整理している。下記は去年二〇二〇年の五月の日記だが、あれから半年以上が過ぎた。部署は数名の人数から十数名に膨らんだところまで記載されていたが、現在は三十名以上になり、次々拡大され新人が増え続けている。つまり、辞めていく人達も出てきていた。去年の最後に私の仕事は評価されるようになっていて、男上司H氏とは十二月末に一分程度対話する機会があった。「一位じゃないですか。その評価の中身というのはかなり厳しいもので…それって凄いことなんですよ…」「Hさんのおかげです…」「いや、ぼくは何も…」「いいえ、いろいろ指導していただきました…」「いやいや…」という一分程度のやりとりがありました。いま、こうして文章を書く事に意識が戻ってきたのは、タイピングを早く正確にしていこうと、一日十分を心がけようとしているからである。 さらに再度の読み返しをしていて気づいた。ああ、この話の奥底にあるのはラマダーン、断食での病になろうとしている元凶を、病気になる手前で取り除いたという話だったのだなあ。今年、私は、大殺界の最後の一年の年回りを挑もうとしている。すでに始まっている。一日が無事に過ぎてくれますように。一日をへりくだって、へりくだって、氷の上を歩くように、そろりそろりと進んでいく。 ************************************************ 五時半だ。今、書く時がきた。ああ、そうか、そうだったか、私が日々、タイピングの練習をしているのはこのような自動書記をするためだったか。先日、Iと会った。一緒にうどんを食べた。まず、彼女の話をたっぷり聴いて、次に自分の話を聞いて貰った。話の最後はペコパのネタの話になった。否定的な場面の咄嗟に出る言葉が肯定的、前向き、前進的、明るいのがいい。不意を突かれた、と思わず笑いがこぼれる、というネタの精神がいい、という話に流れが変わった。Iが「マイシーズン」を読んだかと聞いてくる。うん、読んだよ。アブラハムが結局は明るい作品に行き着いたと言ってたねという。どんな内容だったか、家に帰ってから、読み返してみようと思った。やはり、いつでも家に帰れば本があるというのはいい。しかし、家になくても徒歩十分圏内に多賀城図書館があり、もしくは通勤路線、仙石線の陸前原ノ町下車、改札を出てすぐに宮城野図書館がある。あるいはメディアテーク仙台市図書館、または榴ヶ岡図書館となるが、家に図書棚があるのがいいと認識したのは「知的生活のすすめ」を再読したことから本を手元に置く主義になった。 Iと会おうという運びになったのは他愛ない流れだった。Iの携帯がいよいよ故障となって、メールができなくなった。それでIからこういう事情であると葉書がきた。明日には機種変更しにいくつもりだと記載あり。投函日は昨日の六月二十一日の消印。機種変更に一緒について行ってあげようか、と思い家のポストに入った直後、即座に見た際、固定電話の番号が記載されていたので電話した。彼女は東京から仙台に引っ越してきたばかりであるから、近くのスーパーや家電量販店などの情報を教えてあげた方がいいかもしれないという頭が働いたからである。最初、Iの携帯にかけつながらず、次に固定電話にかけてみた。即座にIが出た。無料通話の十分が近づいたので、架け直すと言っていったん切り、携帯に架け直した。音質が鮮やかになった。すぐそばにいるかのようだ。もう携帯替えてきたところだよ。何の機種?〇〇だよ。そうか、お手頃価格で良かったね。そうそう。こっちが世話を焼かなくてもIは一人で判断して行動していく、そうかそうか、そりゃよかった。もし、求められたら、即座にシャワーを浴びて着替えて彼女の買い物に付き合おうかと思ったが、その必要がないと知って安堵した。電話のあと、続きの時間を自分の好きなことに使える。よかったよかった。そうそう。いま、自分が熱中していることというのは聖書のタイピングテキスト作り。Iの世話を焼かなかったおかげで今日はヨハネの第一の手紙一章からユダの手紙までの聖書十頁分を文字入力したことになる。その作業を一日しながら、こんな楽しい時間の過ごし方があるだろうか、脳がとろける味わいに浸っている。コロナ対策自宅待機の期間ひたすら家にいて一日パソコンの前に座ってこの作業に時が過ぎるのを忘れた。 そんでさあ、I、会おうよ。うん、いいよ。じゃあ、仙台イオンの地下一階の食堂どう?注文しなくても座って休憩できるフリースペースがあるからそこどう?地下二階には食料品売り場もあるよ。十八時半どう?うん、いいよ。こっちはさ、仕事終わってから歩いて三十分で着くと思うから。わかったよ、じゃあ、二十四日の十八時半ね。と電話を切った。そもそも電話嫌いで電話しない、コロナ鬱の引き篭もり状態で人と対面しようなどとは、露ほどにも思っていなかったというのに。人と会いたいと思ったのにはわけがあった。対面したくないだけではなく、あらゆることに心が閉ざされていた状態になっていた。それで、Iに会って話したかったことは、いまこんなに自分は無気力で何もしたくないし、ただ会社と家の行き来だけで、他は何もしたくないという湿った心の状態を取り出して、おひさまにあて干したかったのだ。人の前にさらすといい案配に乾いてまた、心の家に取り込む。ただ、これをしたかった。 悩みながら過ごしていた、という話をしだした。「何に?」そう次の言葉を引き出してくれる相手が必要だった。何の為に書くのか、そもそも自分は書く事が好きというほどでもないし、自分には関心がないし、今、書きたいと思っている作品の草案は韓国の十二歳天才トロット歌手をモデルとした物語だが、こんなに若くして脚光を浴び有名になって財、地位、名誉を得て、少年の名前の道路「チョンドンウォンキル」という三十キロにわたるサイクリング道路に少年の名前がついてしまった。この先の試練と、傲慢と、エレベーター人生を思うと先行きが心配でならない。そんな思いが押し寄せて、全く作品がまとまろうとしない状況。こんなくどくどしたことは実際には話さなかったけど、自分の心の状態も先が見えないということをただ、表明したかった。 そういえば、私がイスラームのラマダーンをしているという話をIに前々から話していた。それが終わる間際の五月二十二日(金)この日、私は最悪な一日を過ごしていた。コロナ対策シフトで何と、部署内は苦手な男性上司Hと二人だけだったのだ。同じフロア内で人はぽつんぽつんとは座っている。通常三メートルは席の距離があくように座っているが、その日は、出勤予定の人も休んで、二人だけとなったのだ。私は姑に粗捜しをされいびられている嫁のような気分を味わっていた。息が詰まった。些細なミスの指摘にわざわざ私の座席に近づいてきてネチネチ小言を言ってきた。それはあまりにも陰湿ではないか、私は一瞬、鬱になる前に電話相談をという窓口があったはず、縁がないと思ったが、この機会にその窓口に相談してみてはどうか、とトイレに座りながら思案したりした。絶対にこの人はおかしい、信じられない、こんな対応があり得るだろうか。 絶望と、湿った気持ち、不運の運気に忍耐し、家に帰ってきた。夜、夫と時間を過ごしながら、夫がいつになく私に対して否定的だった。よもや、まさかの言葉が夫の口から出たときには、目が点になるって、こういうこと?耳を疑った。「アマリニモヒドスギル」と、この言葉は、日中、男上司から言われたこととピタリと同じフレーズだった。えっ、えっ、えっ、何が?なにがそんなにひどいですか?夫がいうには、シャワーを浴びたら、露の時期なのだから黴が発生しないように、T字の器具で水滴を取って換気扇をまわすようにいっているのにしてくれない、というような些細なことだった。もちろん、そう言われてからはその作業はできるだけ忘れないように習慣化した。「アマリニモヒドスギル」その一言をきいた、その瞬間、私は気づいたのだ。ははーん。私は自分のことを棚に上げて相手に問題があることだけを嘆いていたが、問題は相手ではなく、どうやら自分にあったらしい。原因を作っていたのは、こっちの方だったのだ。夫が言うのだから、夫の言うことは正しい。夫ほど妻の美点を理解してくれる人はおらず、妻ほど夫の美点を理解している者はいない。というリスペクトが互いにあると思い込んでいるこちら側としては、夫の言葉は常に効果的だ。私は考えを全面的に改めた。私が間違っていたのだ。ああ、どうやら、私は人に迷惑をかけていたようだ。ああ、なんてこった。私は真実にあまりにもひどいひとだったのだ、と自覚した。 自分に嘆いた、あ、あ、あ、あ、あ、なんとなんと、、、。そうしたあとには、相手の男子はもしかすると凄い人かもしれない。自分が正しく判断できなかっただけなのだ。とたん、その人の姿が韓国の弥勒菩薩に似ているような気がしてきた。弥勒菩薩像は日本の広隆寺の像が最も美しいと思い込んでおり、写真も飾っていたほどだが、韓国の弥勒菩薩像はちょっとコケティッシュ。ウルトラマンのような顔、しかし、もしかすると相手は立派な人なんじゃないかと意識が転換すると、相手の顔が輝かしい存在に見えだした。それが五月二十二日の夜から二十三日にかけて起こった私の心の変化だったのである。 ところで、ラマダーンっていつまで?と夫がきく。たぶん今日までかな。と言って、二十三日の朝の目覚め。ラマダーンあけの祝い「イード」を検索すると、五月二十三日までがラマダーンで、祝いの「イード」は五月二十四日とわかった。二十三日を一日断食しラマダーンがあけたのは二十四日。二十三日、二十四日、二十五日、二十六日までがコロナ対策自粛休暇を含めた四連休を経て、四日ぶりに出勤した。会社内に変化が起きていた。私が休んでいた間に新人が十人ほど増えていて、研修がはじまっていた。隣の部署がフロアの奥の奥に移動していて、新しい新人さんたちの研修の場となっていた。 私はとたんに先輩のベテラン扱いとなり、新しい人たちのお手本を示す立場になっていた。えっ、四日前には、あれだけ、徹底してのダメ出しだったのに、職場の空気がガラリとチェンジしていた。そして、潰れた私の胸の内も、カラリと晴れ上がっていた。頑なに凝り固まっていた壁が解けたのだ。原因が自身にあったことを自覚できたことから、「申し訳なかった」この一点、この心境に行き着いたことで、仕事ぶりが俄然、進化を遂げたらしい。隅々にわたって、何をどうすればいいか、紐解けて行ったのだ。
2021年01月25日
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「やってみようと思ったときは、すでに成し遂げる能力があるのです」同人の集まりに行くべきか、見おくるべきか。三月早春、その言葉で踏み出した。やっても、やらなくても、どうせ時間は過ぎていく。何もしなかった一年、通い続けた一年、想像してみた。行動した顔が濃厚に微笑みかける。進め。時間が用意されているなら今だ。 入会初のイベントはTさん宅でのバーベキュー。平成三十一年四月二十一日復活祭。仙台駅前、八番バスのりば。八時五十六分発車。「トイレの壁に、庭の絵をずーっと貼っていたの。そうしたら、実現しちゃったぁー」無意識に仲間に告げる。帰宅後、じっくり絵をみた。ただの庭じゃない。タイトルが、『ファミリー・バーベキュー』(スコットランド女性画家ジェニファー・トムソン)その絵に思いを留めたのは二年前だった。秋保の百坪以上もあろうかと思われる庭園には無農薬の野菜がズラリ。菜の花の蕾をもいで口にした。甘い。掘りたての筍も網にのせる。肉が苦手な私はもっぱら玉葱、きのこ、南瓜、パプリカ、大蒜も。口の周りをタレでよごしながらも気にしない。蕗味噌、おにぎり、自家製パン。ほうれんそう、人参、もやし、三種のナムル。たらふくたいらげる。おっ、ホッケが網にのった。焼きたてのホッケを食べたい。それも前々から思っていたことだった。 同人誌が完成した。庭さきで、印刷所から届いたばかりの本を手にとった。デビュー前の作家たちの切磋琢磨。その投入した熱が新入りにまで伝染してくる。 目を引いたのは挿絵。染色、テキスタル作家が作品ごとに絵をあつらえた。Kさんが絵を見て泣けてきたんだと、顔をくしゃくしゃにしてテキスタル作家に話しかける。「しっかり読んでくれている。でないとこういう絵は出来ない。こんなにも、私のことを、理解してくれているんだなあって思ったら、もう嬉しくって」本を開いた。ああ、これはペンで描いた絵ではなさそうだ。即座に質問した。「読み込んでからデッサンして、針と糸で刺繍のステッチを作っていくということですか」「はい、そうです。一字一句、丹念に読みます」その回答に一同歓声があがった。わあーーーー、拍手喝采。同人誌にはどうしたら関われるのか。数年前に確かに思い浮かべていた。心に描いた絵は実現させようと自動的に歩き出すものなのか。生きていれば、こうしたいと思ったことが、いつかそのとおりに運ばれていくということなのか。Tさん夫妻のミニ野草園を歩く。自然療法の暮らし。病は無縁。効能のある野草畑。季節の野菜を山盛り、ズンドー鍋で煮込む。コトコト弱火で繊維質がくたくた、とろとろになるまで煮込む。いのちのエキス。次、無農薬の野菜カレーを提案したい。心身のお通じを良くする。樹木なる仲間たち。兄、弟、姉、妹。集いはいのちに磨きをかける。Tさんは七十九歳。二年前のエッセイ講座で隣の席だった。「庭」の作品に魅せられて、(行ってみたい)瞬時に走った思い。それが、忘れた頃に実現することになろうとは。「それは一つの発見だね」など、常に寄せてくれるコメントが光っていた。今回も勇気づけを一発。「エッセイもね、一年や二年じゃ、まーだ、まだ。三年、四年たって、あるとき一気に伸びるものなのよ。もう、そういうふうになっているんだから。続けていくしかないのさ」植物を語るような切り口には妙に説得力がある。奥さんのことを「ミッチー」「みっちゃん」と呼んでいる。その夫婦仲の睦まじさ。この絵をしっかりキャッチした。(了)二〇一九年 五月一日
2021年01月25日
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韓国語を勉強してみようと思ったきっかけは七十七歳から勉強し始めたという友の話を聞いたからだ。小児科の女医をしていた彼女が特別有能だとしても、目や耳が弱くなっているはずなのに、およそ彼女より三十歳も若い自分にやって出来ないということがあるだろうか。 韓国語ができたらいいな、そう思い続けて長いはずなのに、自分にはその能力がないと決めつけていた。韓国小説読書会に入って間もなく韓国語教室の誘いを受けた。咄嗟に両掌パーに力を込め押し出す。小首を小刻みに震わせる。自分には絶対に無理なんだと信じこんでいた。 数年がたち変化が起こる。読書会で一番親しくなった人は八十代女性。彼女が突然詩の翻訳本を出版したのだ。読書会で一番の友達が私ということで出版記念会では彼女の隣に席が用意された。彼女は七十七歳から翻訳家の先生のもとで本格的に勉強し始めた。ご主人を見送ったその年、もし韓国語を始めていなかったらうつ病になっていたと言う。 彼女が翻訳をしたのは震災の只中。家に籠って朝から晩まで辞書を引っ張り作業に集中した。夜になると辞書が膨らんでしまう。電話帳を重ねておもしにして寝る。朝になるともとに戻っている。また一日辞書を引く。「韓国語はボケ防止に最高」彼女の口癖だ。翻訳家先生から電話がきた。「途中からだけど勉強してみませんか」「やります」即答した。既に教科書の三分の一が過ぎた授業に混ざった。その夏、暑かったのか寒かったのか覚えていない。どんなに恥をかいてもしがみついていく。フルタイムで仕事をしている。授業に続けて参加するには睡眠時間を削ることもある。泣きたくなる場面だ。そうこうしながらも長く付き合った者勝ちだ。 忍耐を続けていく中、私は出会った。喜びを見出した。韓国の歌だ。目標は二千曲。今年百曲を歌えるようになった。一年に百曲。二十年で二千曲。この目標は生きる意欲。健康でエネルギッシュに生きるということだ。 できないという信念を砕き大好きに変えたではないか。毎週金曜日は午前午後の授業。そのあと十六時から二十一時まで一人カラオケに行く。水を二リットル持って行く。はじめの二時間は発声練習。とても下手。分岐点を超えると自分の歌に酔う。うまく歌えるようになる。 体を前後に左右にスウィングしながら時々飛び跳ね汗いっぱい。不思議なことに声が枯れない。歌うほどに声が良くでてくれる。一人コンサートをしながら次の一週間もっとがんばるぞと決意をかためる。ラスト三十分というとき歌は最高潮に達している。 これからもっとうまく歌えるのにというところで引き上げる。その時間が励みだ。授業のあとは歌スタジオへ。歌の境地これが脳内モルヒネというものなのか。泣きたい思いは解けていく。負の思いを思い出せない。そんなことはどうでもよくなるのだ。生きている間に朝鮮半島南北縦断の旅をするだろう。2018年 夏
2021年01月24日
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「あんたのおかげ。あんたが声かけてくれたおかげやわ。おかげでこんな楽しい」五か月前、歌で習う韓国語クラスの教室で、後ろの八十二歳の高さんが言ってくれた。 九か月前、生徒数を十人確保する必要があり、高さんを一緒のクラスに誘った。「あんたの言うとおりにするわい。あんたが来いっていうとこならどこでも着いていくで」高さんの参加によって、歌クラスは開講実現となった。「韓国人が韓国の歌うたうのは当たり前。日本人が皆の前で韓国の歌を歌ってるのを見たら皆、心うごかされる。ああ、日本人がこんなに頑張って韓国語を勉強してるのに、わたしら何でこんなに勉強できないんや。頑張らなぁ気持ちになるんや。ありがとうな。あんたは孫みたいなもんや」高さんは杖をついて歩く。このごろはカートのついた鞄に掴まりながら歩く。おしゃれな帽子を被っている。渋柿で染めたお手製だという。情け深いまなざし。「いつもありがとな」と言って授業がある度にお菓子をくれる。在日の人と親しくなりたいと願っていた。歌が結び付けてくれた。去年の芋煮会の席で在日女性が歌う「セタリョン」を聴いていた。「いい歌ですねぇ」と高さんに声をかけた。「あんたも好きなんかセタリョン。あたしが一番好きな歌や」このやりとりで一気に意気投合。「練習しに行こか」「行きましょう」高さんの車の運転でカラオケ五時間を共にした。今年の芋煮会、高さんが向こうのテーブル席から手を振っている。手の振り方はこっち来いと言っている。「あんた何、歌うん?セタリョンを一緒に歌おうや。あんたが一番、あたしが二番を歌う。あんたが歌っているときは踊りを踊ってあげるからな。歌は下手でいいんや。下手でも頑張って歌ってるところをみせてやりい。満面の笑顔で歌うんやで。な、あんたらも一緒に踊ってな。この子は歌うまいんやでぇ。この子はなぁ、懐っこいんや。それが可愛んや」テーブル席の仲間たちに私を売り出しにかかる。弱った。百回練習しても上手く歌えた試しが一度もないというのに。「あんたなんかに歌われてなるものか」歌自身の魂が私を拒絶しているかのようだ。身世打令、自分の身の上をこぼす心の訴え。悲運に翻弄されて、自分ではどうにもならないことへの嘆き。自然の音、鳥の鳴き声もそのように聞こえるというのか。それがなにゆえこうも人の胸を打つのか。二〇一九年 十月
2021年01月24日
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タオが引っ越してきた六畳一間の下宿は、畳はなく、板が敷いてあるだけだ。タオは初めての一人暮らしに気持ちがはずんでいた。タオは貧しい米農家の次男に生まれた。村に仕事がないため田植えのあと町にやってきた。タオの食事は毎日が野菜。冷蔵庫はない。八百屋のおばちゃんとすっかり仲良くなった。「おばちゃん、このリンゴ箱、譲ってもらえない?」「おお、タオくん。何につかうんだい?」「勉強机にしようと思って」「もっていきな」「いくら?」「なあに、お代はいらないよ」「やったぁー」はじめての部屋にりんご箱が入った。雑貨屋で青と白のチェック柄のビニールシートを手にいれた。貼り付けてみると、かっこいいテーブルになった。この上でご飯を食べ、勉強もする。この七月から昼はカメラを組み立てる仕事が決まった。 同時に週に一回の語学教室を申し込んだ。夢は童話作家。と、世界の童話を翻訳すること。とにかくいきなりの忙しさに、その夏が暑かったのか寒かったのか、まるきし覚えていない。いつも授業であてられるたび、冷や汗をかいていたからだ。最近、隣に誰かが引っ越してきた。昨日は酒盛りがあったらしい。お客が、わんさか集まって夜中なのに大声でしゃべっている。ときどき笑い声が入り混じる。そのせいでタオはちっとも眠れなかった。隣室との壁は、薄いべニヤ板一枚。隣の音がつつぬけだ。おなら、いびき、はぎしり。おそらく年配のおやじが住んでるんだろう。まだ、顔はみていない。 語学教室で友達ができた。ブンという年の離れた兄貴分。ブンは出版社に四十年勤務していたが数年前に退職したようだ。ブンの家には本が山のようにあるらしい。物を整理するといいことが舞い込むという本が流行っているからなのか。どうも片付けに本腰を入れた様子。休み時間、タオはいつも本を読んでいた。タオの本には図書館のマークがついている。ブンはチラリと横目で見ていた。授業が終わったあと、ブンはタオに声をかけた。「本を整理しているんだけど、よければ、もらってくれないか」「それはありがたい」タオの顔がぱぁっと明るくなった。ふたりは帰り道が途中まで一緒。角のところで挨拶して分かれる。曲がったところで、タオはひとり飛び跳ねた。タオは本を持っていなかった。自分の本に赤線を引きながら、思いっきり本を読んでみたい。そう思っていたのだ。次から勉強のカバンとは別にリュックを背負っていった。いつブンが本をくれてもいいように。その日は、ブンが本を持ってこなかったので、八百屋でキャベツとさつまいもを買ってリュックに入れた。途中、家を解体している現場を通った。たくさんの煉瓦やら板を処分しようとして、大型トラックに運んでいた。あともう少し積み上げれば作業が終わるところだった。「残った煉瓦と板、ぼくにくれませんか?」交渉は成立。タオは何回にも分けて家に運んだ。壁に本棚をこしらえたのだ。細長い板を壁際に敷き、両端に煉瓦をたてる。その上に板を置く。そのまた上の両端に煉瓦をたてる。また板を置く。それを七段作る。あとは、ぎっしり本を詰めれば厚い壁の出来上がりだ。タオはにんまり。よし、いいぞ。ブンの片づけはどんどん進んで、もう読みそうにない本を片っ端からタオにやった。タオはありがたくちょうだいし、どんどん棚につめていった。しだいに隣の音は気にならなくなってきた。よし、どんどん良くなっていくぞ。ある日、ブンが本でないものを袋からとりだした。「片づけたらこんなもんが出てきた。つかわないからもらってくれ」半円柱形をした木製の枕。直径十センチほどの丸太を半分に割ったかまぼこ状のものだ。ひと目みて上質のものとわかった。柔らかな白木で丁寧にヤスリがけがしてある。「西帰浦治癒の森」(ソキポチユノモリ)と焼き印が施してあった。タオは枕を持っていなかった。ブンと分かれて、角を曲がると飛び上がって喜んだ。こんな枕が欲しかった。その夜、枕の上に頭をのせると、なんて気持ちいいんだろう。首を指圧して貰っているようだ。ヒノキのいいにおいがする。森の中にいるような気分だ。深い眠りにおちていった。その夜、タオは夢をみた。父親と、母親の夢だ。小型トラックの荷台にタオが乗せられている。運転席から振り返ってにやりとする父さん。日焼けした元気いっぱいの目。タオが熱を出して寝込んだとき、朝まで看病してくれた母さんの甘い匂い。朝がきた。いい目覚めだ。ああ、さっきのは夢だったのか。本当に父ちゃんと母ちゃんが近くにいるみたいだった。肌ざわりも、体温も感じとれたのに。生まれて初めて親と離れた。涙がほおを伝った。ぼくはいつだって見守られている。夜くたくたに働いて帰ってくる。夕飯を食べ終えるとすぐ眠くなる。枕に頭をのせると、すーっと深い眠りに入る。短い睡眠で足りるようになった。朝五時前、ぱっと目が覚めるようになる。早寝早起きが習慣になり、朝勉強が出来るようになった。枕がきっかけで、毎日の暮らしにリズムが生まれた。ああ、なんて楽しいんだろう。ますます良くなっていく。タオはブンから貰った本に、丹念に目を通していった。タオは一冊読み終えるごとに、一枚の紙に感想をもとに物語を書いてそれをブンに見せた。それが百枚にもなろうとしていた。童話をつくってコンクールに応募する前には必ずブンに見て貰った。まだ結果は出ていない。が、大丈夫。出来る気がする。作品を生みだすために、物を見て、感じて、聞いて、人と出会って、話して。生きる喜び。もう、結果がでなくても満足。というほど気持ちが高まったその時、郵便受けに受賞通知が入っていた。 2017/10/30 05:30
2021年01月24日
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まき割りをしているのはタイヨウ先生。汗びっしょりで、あたまから湯気がでています。あたまがピカピカ光っているので、子供らはみんなタイヨウ先生って呼んでいます。 初雪が降りました。雪国の村の小学校は、まき運びから一日が始まります。丸いズンドウ型のまきストーブ。いよいよ、ボクの出番です。 休み時間になると、みんなボクのまわりにやってきます。手をかざしたり、背中をあっためたり。タイヨウ先生がこまめにまきを足し、燃えぐあいをみてくれます。ボク、役に立っているな。なんだかうれしい。ボクって、なくてはならないもの。 席替えがありました。黒板にむかって、ぐるりと「コ」の字で、ボクを囲むように机がならんでいます。かきとりテストで、できる子の順番から席がきまりました。 正面の列はできる子。ろうか側の列はふつうの子。窓ぎわの列はイマイチの子。 テストの点数で席が決められるなんて、みんなもたいへんだな。さびしいきもちの子も、きっといるだろうな。 ボクは、一人一人の顔をおぼえていきました。正面の列の子らが、えらそうに、ちょうしに乗っているように見えます。かわいそうなのは、窓ぎわの子らです。すきま風がスースー入ってくるから、寒くてガタガタふるえているんじゃないかって、しんぱい症のボクは、ハラハラします。 朝、タイヨウ先生が大きなやかんに水をなみなみ入れて、ボクの上にかけていきます。じゅぎょうの間にお湯はしゅんしゅんわいて、やかんのふたは、わざとあけておきます。湯気が教室をじゅんぐりあっためてくれます。それで、みんなのひふはツヤツヤ、ピッカピカ。 タイヨウ先生がにこにこ顔でおっしゃいました。「あしたは給食が休みです。みんな、おにぎりを持ってきてください。みそ汁は、まきストーブで作ります。はしを忘れずに持ってくるように。ダシと、みそは、先生がじゅんびします。みんなは、おわんにみそ汁の具を、お母さんに入れてもらってきてください」はーい! 次の朝、ボクの上に大きなナベがかけられました。水がたっぷりはってあり、小さく切った昆布が多めに入っています。昆布ダシがぐつぐつ煮えてきました。タイヨウ先生がナベのふたをあけて、かつおぶしの大袋をどさっと入れました。 うわあー いいにおいがするーお昼のチャイムが鳴りました。みんなが列にならんで、おわんの具をじゅんじゅんに入れていきます。だいこん、にんじん、さつまいも、かぶ、はくさい、とうふ、あぶらあげ、豆もやし、ねぎ。 タイヨウ先生は、ボクの近くにいすを持ってきてすわりました。おたまで、ざぶんざぶん、かきまぜます。みそが入りました。味見をされると、「よーし。できた!」うわあー 列にならび、タイヨウ先生が一人一人のおわんに、よそってくれます。「いただきます!」いただきまーす! 「みんなー、おかわりしていいぞー」はーい。 うん、うん。おいしいね。うん、おいしいー。コンブがとっろとろ!カブがとっろとろ!なんて、うまくできたんだろうー。うちでは食べたことがない味がするな。ほんとだね、みそ汁ってこんなにおいしいんだね。タイヨウ先生なかなかやるな。 じょう気でふっくらしているみんなの顔。まんぞくげです。どの子も、きもちよさそう。たべているときの子供らってかわいいなー。それぞれ、じぶんの席でおとなしく食べている。もう、どの席もまんべんなくあったかい。ボクは、ほこらしいきもちになりました。 2017/01/10
2021年01月24日
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人は音をもっている人は匂いをもっている人は気をもっている人は顔をもっている それぞれちがう顔かたち死んだ父の写真を持ち歩いた毎日みつづけたご飯を食べるとき寝るとき、本をよむときすっかり顔をおぼえた お父さん、と口にすればすぐに顔が浮かびあがる体じゅうに情があふれでる その人からでる声がその人からする匂いがその人だけの顔がその人だけの顔がかもしだされる雰囲気がなんとなく好きだった子はその人から生まれ出た 母のくちぐせはお父さんは上品お父さんは日本一ハンサム頬っぺたから顎のラインがお父さんにそっくりだね母がうれしそうにいうとうぜん気分がよかった きょうはお盆お父さんに手紙を書いた友だちとボーリングをしたお父さん、お願いボールを持って立つたびにお父さんに念じた 姿形をしらない神さまに天の父よと呼びかけ対話をする人々がいる 顔をくっきり思い描ける空に住む私のお父さん対話ができないわけがない お父さんはバターの匂いときにはレモン、ときにはコーヒーの匂いそばによるといい匂いがした お風呂から上がったあとお父さんの肌はピンク色いつもピカピカひかっていた寝る前は腕立て伏せをしていた 庭の雪かきをしているお父さん中学生たちが通ったおおっ、試験はうまくいったかい?しらない子たちに声をかけていた黒のニット帽の顔は笑っていた 今回ばかりは参ったよ母さんが倒れてねえんえんと、しゃべりつづけた いちばん子を頼ったとき子は仕事でヘトヘトだったもっときいてあげればよかった 話ができる時がきたこんなに遅くなってしまったけどつづきの話を聞かせてちょうだい お父さん、と口にすればすぐに顔が浮かびあがる体じゅうに情があふれでる2019/08/15
2021年01月24日
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米屋の倉庫の屋根裏部屋に、男の子アビは父さん母さんと住んでいました。 倉庫には収穫したばかりの米俵がぎっしり積まれています。アビは、その上に寝そべって、天窓を見るのが好きでした。夏の入道雲、秋の青い空、アビがうれしい時は空もうれしそうにしています。どんより灰色の空、アビの気持ちがふさいでいるときは、空の色がアビの気持ちをあらわしていました。 米屋のあるじの息子ケボにいちゃんが配達のトラックを倉庫に入れにやってきました。「ケボにいちゃん、神さまってどんな顔?」「神さまがどんな顔をしているかだって?ハッハッハッハッハ。見えないものに興味はないよ。こっちは稼ぐのに忙しいんだよ」おかず屋の老女バッパの店に、揚げたてコロッケを買いに行きました。「バッパ、神さまってどんな顔?」「何だって?いま、金銀財宝の黄金色がパァーッと思い浮かんだよ。わっはははは!」 ある日、担任の女先生が家庭訪問に来られました。屋根裏のアビの家に入るには、はしごを上らなければなりませんが、女先生のスカートは裾がすぼまっているので、上ることができませんでした。それでも女先生はちっとも嫌な顔ひとつせず、ほほえんでいました。「先生、神さまは自分に似せて人を造ったというけれど、神さまってどんな顔ですか?」「今はまだ、私にもわかりません。けれど、求めていけばきっと答はみつかると思います」 アビは大きくなって旅にでました。誰か神さまのことを知っている人がいないか、薬の行商をしながら、一軒一軒たずね歩きました。ほうぼう歩きましたが、誰も見たことがあるという人がいませんでした。通りにでると、モスクの外で敷物をしいて大きなお辞儀をしている白い服の男ばかりが十人いました。ちょうど礼拝が終わって、帰り支度を始めたので、男達に声をかけました。「神さまはどんなお顔ですか?」「アッラーのことかい?髭をはやしているのかいないのか、彫りが深いのか平たいのか、正直、見たことがないので何とも言えないよ」他の男達もみんな、首を横に振りました。 さらに歩くと隣の街で、壁に向かって唱え事をしている、黒い服を着て頭に小さな箱を乗せている男ばかりが十人いました。ラビの服装の方が現れたので、即座に尋ねました。「神さまはどんなお顔ですか?」「肌が白いのか黒いのか、目が青いのか黒いのか。さあて?かえって誰にもわからないということが幸いしているのかもしれません」 さらに次の街に入ると、教会で結婚式をしていました。ちょうど誓いの儀式を終えて群衆の喝采を浴びているところです。少しすると、礼拝堂から司祭が出て来られたので、すかさず駆け寄って尋ねました。「神さまはどんなお顔ですか?」「なんと、賢い質問をする若者よ。この道八十六年、夢にでもお目にかかったことはありません。ただ、目には見えなくとも感じることはできるのです。目に見えないというのは、実は大変いいことなのではないだろうか」 放浪の歳月が流れ、ある一日の終わりにチチキトクの知らせが届きました。紅葉が終わった十一月、雨の晩秋、ガッポの森を通って、父さんのいる病院に急ぎます。木々たちは枝葉をシズシズ揺らし、だいじょうぶよ、しっかり気をつよくもつのよ、とアビを励ましました。父さんは目を覚ますことなく、間もなく死にました。母さんが、父さんの写真を一枚くれました。アビは肌身離さず、それを持ち歩きました。朝は、父さんおはようございますと、父さんの顔を見つめてから行商にでかけました。昼は、父さんいただきますと、父さんの顔を見ながら昼めしを食べました。 夜は、父さんお休みなさいと、父さんの顔に語り掛け、少しばかり話をしてから、写真を枕元において眠りにつきました。来る日も来る日も、そのように過ごしました。行商帰りの夜空に一番星がきらりと光っていました。「父さんはすっかりお星さまになったんですね」すると、その一番星の光が父さんの笑顔に見えました。父さん、父さんの顔を思い浮かべると、愛情がいっぱいにわいてくるよ。体の底から力が湧き出してくるようだ。神さま、神さまの顔がわかれば、もっと神様に情がわくのに…。ねえ、神さま、うちの父さんは神さまじゃないけれど、神さまが誰にも見えないというなら、ぼくの神さまの顔に、父さんの顔を重ねてみてもいいですか?そのとき、雲に隠れたお月さまがサァーっと姿をあらわし、こうこうと光り輝きました。 二〇一六年五月二十二日(日)
2021年01月23日
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お父さん、このごろ私が熱中していること、知ってる?小説講座に通い始めたんだよ。ものすごく面白い。居心地いい。探していた場所みつけたってかんじ。講座が終わったあと仲間たち皆で食事に行くの。たくさん喋り合う。解散後、途中まで帰り道が一緒の四人はなかなか別れがたい。いつまででも改札前で立ち話が続く。最終電車の一つ手前の電車にやっと乗り込む。作品を見せ合う同人仲間は胸の内をさらけ出す。心にある多くの言葉をたっぷり交換し合う。お父さん、書く事はもしかすると魔法を起こすんじゃない?ここ数日かんじている。だって、お父さんのことを書いていたら、あんなに遠かったお父さんが近づいてくる感覚おぼえている。これってどういうこと?初めて書いた短編小説「ブラウンライス」、あらすじで、お父さんのことをちょっとだけ書いた。すると、そこからスラスラお父さんに話しかけているじゃない。生きている時は話が続かなかったというのに。まさか、あの世とこの世の関係になって、対話するようになるなんて、そんなことってある?ひとりこっそり可笑しい。 『勤労主婦のザックは父親が生きている間、会話が少なかったことを心残りに思っている。一緒に食べたり飲んだりしながら、もっと話がしたかった。父親亡きあと、本との出会いが、ザックをぎっしり詰まった充実の日々に導いてくれる。人と人との間に、本を挟めば、熱い会話が生まれ、人との濃い関わり合いが築けそうだ。父は空の住人であるが、体がないだけで魂は永遠、今もなお生き続けていると信じるザック。今からでも遅くはないんじゃないか。父との不足な親子の情を、今からでも埋める方法があるんじゃないのか。人が生きるとは、食べて、活動、排泄、寝て、起きる。その中には、人と人との言葉のやりとりがある。体を卒業して魂のみで生きる人と、心のやりとりをするのに、水や食物は対話のきっかけになるだろう。その次に、言葉を空に住む人たちに向けて発信し続けたらどうなるだろう。もしや届くんじゃないか。読書会の会場探しでの、木造カフェとのめぐり逢い。木の匂い、癒し。大木の懐にもぐり込んだような心地良さ。天窓のある心にくい設計空間。その天の窓に向って大きな声で朗読したら、どこからか、轟き音が聞こえてきた……』 旅立ちから半年間、お父さんの写真を持ち歩いていた。お昼もお父さんの顔を見ながらご飯を食べていたのは知っていたかな。一番ハンサムに写っているお父さんの写真をこっそり抜きとってきたんだ。お父さん、半年お父さんを見つめたら、ひとこと、お父さん、と口にすると、サァーっとお父さんのきれいな顔が浮かぶようになったんだよ。ある日の仕事帰り、空の一番星を見つけて、ああ、お父さんはお星さまになったんだねぇーっと発していた。お父さん、と呼ぶとお父さんの顔が浮かびあがってくる。体の底からいっぱいに情が湧き上がってくる。姿形を知らない神さまに向って、天の父よと呼びかけ祈りの対話をする人々がいる。それなら、お父さんの顔をくっきり浮かべることができる私が、お父さんと呼びかけて対話ができないわけがない。お父さんと私の仲はこれからなんじゃない?毎日の出来事を報告していくよ。待ち合わせはこの白いノートで。朝五時から六時まで、白い紙に一枚、言葉を打っていくよ。その後八時まで小説を書く時間にあてたいから一緒に居てくれないかなぁ。むかし夏休みの宿題で図工の本棚を手伝ってくれたように。二〇一九年 夏
2021年01月23日
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定年退職まで残り八年。その後もおそらく少ない時間で働き続けるだろう。仕事が好き。仕事は運動。健康にいい。事務の内勤だが、仕事が終わって会社を出る瞬間が特にいい。今日も一日よくやった。充実感がみちてくる。空を見上げる。朝、決まった時間に家を出る。朝日を浴びる。歩く。歩く時間は一日四十分。適度に汗をかく。その日の気温を肌で感じる。今日、何を着たらいいか。厚着が必要か。薄くしておこうか。ハクモクレンからシモクレンに変わる頃、服の厚さを朝の一瞬で決める。ヴァイオリン曲を聴きながら文庫本を広だげる。一日の供は音楽と本。カバンには水、お茶、飴。電車二十分、地下鉄十五分、バス十五分。家に帰ったらお風呂とアカスリ。湯に浸かって体を温める。アカスリ石鹸を泡立て体につける。時間を少し置いてから洗い流す。アカスリタオルを固く絞って体の垢をこする。アカスリ石鹸の効用で垢が浮き上がってくるため少ない力でボロボロ垢が出てくる。春先になったこの頃の日課だ。一日の雑多なホコリと疲れが落ちていく。ツルッツルになるのは皮膚だけではない。気力が冴え冴えとしてくる。まず、夫の足を揉む。テレビを見ながら十五分。「ふくらはぎを揉むと長生きする」本のタイトルだけみて実行するようになった。食べると力が抜けるので食べる前にアカスリ後にふくらはぎを揉む。その後ごはん。これまで夜はシャワー十五分だったが、アカスリを実行するようになった。アカスリは時間を生んでくれる。二、三時間余裕の時間を儲けた気分。韓国で手に入る。 イスラームのラマダーン(断食)をするようになって十五回目。今年二〇一九年は五月五日の新月から六月三日の新月まで。仕事が事務職のためラクにできる。一日の断食時間はおよそ午前二時くらいから夜七時くらいまで。タイムスケジュールはインターネットのサイトで情報を得る。この期間、私は体内の毒だしをする。余分な体のゴミを出し、きれいに掃除するため。その直後に健康診断を受けに行く。毒を出して健康を保とうとするため、というより何となく始めてメリットを感じ続けている。二〇一九年 春
2021年01月23日
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