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2015年11月12日
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お父さん、81歳、お疲れ様でした。父の笑顔が浮かぶ。
2015年11月12日(木)兄からメール来た。
「本日、昼12:04 父、永眠しました。2015年11月15日の日曜日の午前09:40に火葬の予定です。」

父は10月31日の夕方に心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受けたあと、集中治療室で沢山の管につながれて頑張った。昨日、自力で心臓を動かすようにしたが、一日しかもたなかったと兄が電話で言う。午前11時半の面会の頃、急変したそうだ。最後の死に顔は良かったと兄が言う。
「私がみるかぎり、にやっと笑っている顔だった。のどに管(くだ)を入れられていたんだから。喉にクダが入ったら、おまえオエっとなるだろう。むりやり生かされていたんだから。あの頃、顔がふくれていたけど、全部のクダがはずされて、今日は普通の顔に戻っていたよ」

私が面会したのは、11月2日(月)雨の夕方。兄夫婦と3人で面会に行った。その日、私が行ったからなのか、少し呼吸が大きく反応したようだったと兄が言う。
「私が来たってわかったからなのかなあ?」
若い女性の看護士さんに同意を求めたところ、「わかっているかどうかはわかりません」との返答。
手を触ってもいいと看護士さんからの許可をもらって、手を握ってきました。ふっくらした温かい手。


兄は無理に行かなくてもと言うのだが、お嫁さんが、やっぱり悔いを残さないようにと母の同行を勧めて下さった。

母ははじめ、そんなに行きたがらなかった。「帰ってきたら」「戻ってきたら」としきりに母は言う。そういう状態じゃないということをわかってもらうためには、やはり父の姿を見せておく必要もあったと思われる。
9時半、4人で先生のお話を聞くことになった。良くない状態であること。看取りの覚悟をという言葉。

通常、集中治療室の面会は11時半から。兄は行っても父と面会できないかもしれないからと言っていたが、看護士の仕事をしている兄嫁は、車椅子の姑が、なかなか来られない事情を医師に説明をして、面会が許可された。父の呼吸は大きく動いた。胸から空気を吸う、その動作が大きくなった。ああ、やっぱり娘が来たときよりも、奥さんが来たときは、もっと反応が大きかったね。

だって、父はずっと、母の介護をしてきたのだからね。父が買い物して、父が作った食事を、母は口にしていたのだからね。

10月31日の夕方、5階に住む住人のお二人さんが、ピンポンを押した。町内会費の集金に来られた。「はい」と、ドアを開けた父は、玄関に倒れた。即座に倒れて、食べたものを吐いてしまったそうだ。すぐに救急車を呼んでくれた。お陰で、処置が早かったため、助かった。

もし、来客がなければ、突然倒れた父に対して、母は気づかなかっただろうと兄夫婦は言った。あたふたして、車椅子から立ち上がって、骨折していただろうと兄嫁さんは言われた。兄夫婦の住まいは、父母の住まいから歩いて1分の距離。私は父母の住まいに3泊して、こちらに戻ってきた。今月で有給休暇は使い切った。今日、知らせを受けて、忌引き休暇の連絡をした。

私がこちらに戻る日、母は、もう今までの家には居られなかった。兄夫婦の住まいに移動とならざるを得ない。母はトイレには一人で行けるが、コップに水を汲むこともできない。台所に立てない。冷蔵庫を開けられない。トイレの電機のスイッチもつけられない。が、話はいくらでもできる。私はそんな母と数日を過ごした。

初日、私が久しぶりで出向いた日、母は朝方まで話し続けた。私はひたすら話しを聞いている。朝が来た。兄がやってきた。私は一睡も出来なかったのに、
「起きてくれないか。こうしてくれ。台所を片付けてくれないか」
えっ?長旅で疲れて来ている上、寝させてくれず、働けというのか。ああ。


「お兄ちゃん、朝まで寝させて貰えなかった。おまけにいろいろ用事をいいつけられるー」
悲鳴をあげた。
「おかあさん、寝かせてあげなきゃだめだろう。いいからおまえは寝ていろ。片づけは俺がやるから」

母の話はそれなりに面白かった。親戚の様々な人の話。お金の話。父の悪口。自分の子供の時からの辛かった話。様々な話を三夜に渡って聞くことが出来た。母の口はまるで小説。父への鬱憤も吐き出して、面会に行ったとき、
「涙がこぼれた。気づいた?」

「いいえ」

そんな余裕なし。父しか見ていなかったから。父の手を握り、足も触ってきた。健康的な美しい皮膚。
「機械で血液を廻しているのだから、血色がいいのは当たり前なんだって。嫁さんが言ってた」
「ふーん」


父の臨終を、休みの今日、受け止めることができて良かった。兄は片付けを決意しており、全部捨てると宣言している。家に要らない物がありすぎるため、血管が詰まることになったのだという。父は心筋梗塞、母は脳出血で倒れた10年後に、脳出血と脳梗塞を併発させる。

兄が言うには、母が倒れる前に、物を溜めて捨てられなかったのが悪いと、今回の片付けをしながら、母の前でぼやいていた。

このままでは全てを捨てられてしまう。帰る日の朝、押入れにあった写真と手紙類をごっそり鞄に詰めて持ってきた。この日、兄が押入れの宝物をすべて捨てにやって来ると母が言ったため。私は帰りのバスで、手紙類を読んで、5時間の車中を過ごしてきた。親元を離れた息子と娘からの手紙のみを缶に入れてしまっていた母。

それらが、けっこう読み応えがあって面白かったんです。父の写真も、ごっそり私が貰ってきました。初めて見る、父の若かったカッコイイ姿。お父さん、霊界に旅立ったのですね。

今年はじめ、「朝、夢を見たんです、お父さん」
と電話をかけました。
「友達がね、喪服を捨てるって言うんで、何で捨てるの?って、聞いたら、着そうもないからって言うので、ことがあるたびに、買うわけ?って、私が夢で言っているの。そしたら、その友達が、いやいや、着そうもないからやっぱり捨てるって言ってきかないんですよ。それでね、お母さん、大丈夫かなって心配になって電話したの」と言ったら、父はいきなり、電話を切ってしまった。へんなことを言うなと言わんばかりに。そのことを、兄にメールで伝えたのでした。

今年の2月27日の夢でした。
「お兄ちゃんへ。今朝は喪服の夢をみた。先日はお母さんがプールでおぼれていて私が助けを呼ぶ夢。今朝父に電話したけどスグ切られてしまい。さびしい」

「父に夢みたと言ったら、この前も夢みたって言っていたじゃないか!と。今朝は喪服の夢をみたから、お母さん元気?と聞いたら、切られてしまった。あ~あ」
2月28日「お兄ちゃん、最近若い時のきれいなお母さんの写真が浮かぶ。元気な姿を毎日想像してパワー送る」

誰も父の心配をしていなかった。倒れてから12日未満を生きた父。
「手術に500万、600万かかったのだから、よくなってもらわなきゃ」
兄夫婦が話していた。
それでも血色のいい父の姿を見られて良かったと思った。また、これから最後を見届けに行きます。

人は誰でも逝くのですから。私は別に悲しいとか思っていない。来るべき時が来たのだ。
「81歳、まだ若い方ですね」
と、二人の方から言われた。先ほど75歳の方から電話を頂いた。夫を亡くして18年になると言われ、以来、ずっと一人暮らしとのこと。魂ががっしりしている方だと感じた。お母さんの支えになってあげて欲しいとも言われた。





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Last updated  2015年11月12日 22時44分37秒
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