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五か月前、歌で習う韓国語クラスの教室で、後ろの八十二歳の高さんが言ってくれた。
九か月前、生徒数を十人確保する必要があり、高さんを一緒のクラスに誘った。
「あんたの言うとおりにするわい。あんたが来いっていうとこならどこでも着いていくで」
高さんの参加によって、歌クラスは開講実現となった。
「韓国人が韓国の歌うたうのは当たり前。日本人が皆の前で韓国の歌を歌ってるのを見たら皆、心うごかされる。ああ、日本人がこんなに頑張って韓国語を勉強してるのに、わたしら何でこんなに勉強できないんや。頑張らなぁ気持ちになるんや。ありがとうな。あんたは孫みたいなもんや」
高さんは杖をついて歩く。このごろはカートのついた鞄に掴まりながら歩く。おしゃれな帽子を被っている。渋柿で染めたお手製だという。情け深いまなざし。「いつもありがとな」と言って授業がある度にお菓子をくれる。
在日の人と親しくなりたいと願っていた。歌が結び付けてくれた。去年の芋煮会の席で在日女性が歌う「セタリョン」を聴いていた。「いい歌ですねぇ」と高さんに声をかけた。「あんたも好きなんかセタリョン。あたしが一番好きな歌や」このやりとりで一気に意気投合。
「練習しに行こか」「行きましょう」高さんの車の運転でカラオケ五時間を共にした。
今年の芋煮会、高さんが向こうのテーブル席から手を振っている。手の振り方はこっち来いと言っている。
「あんた何、歌うん?セタリョンを一緒に歌おうや。あんたが一番、あたしが二番を歌う。あんたが歌っているときは踊りを踊ってあげるからな。歌は下手でいいんや。下手でも頑張って歌ってるところをみせてやりい。満面の笑顔で歌うんやで。な、あんたらも一緒に踊ってな。この子は歌うまいんやでぇ。この子はなぁ、懐っこいんや。それが可愛んや」
テーブル席の仲間たちに私を売り出しにかかる。
弱った。百回練習しても上手く歌えた試しが一度もないというのに。「あんたなんかに歌われてなるものか」歌自身の魂が私を拒絶しているかのようだ。身世打令、自分の身の上をこぼす心の訴え。悲運に翻弄されて、自分ではどうにもならないことへの嘆き。自然の音、鳥の鳴き声もそのように聞こえるというのか。それがなにゆえこうも人の胸を打つのか。二〇一九年 十月
一年に百曲 2021年01月24日
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