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Friday, February 17, 2023 晴れ 西南西の風平均風速1.7 14.6℃ -0.3℃ 72-44% 午前5時起床。昨晩、午後9時過ぎ、床につきました。このところ1週間、疲れの溜まって、蒲団から出るのが遅れていました。今朝もそうでした。体操と筋トレをせず、新聞に過ごしました。 午前7時過ぎ出社、午後7時前退社。 午前は報連相が相次ぎ、たて込みました。11時過ぎ、社用車で大分向け。同業他社に同じ立場の方々と会合。業界の課題を侃々諤々、やり取りがありました。午後5時、会議終了。4時間近く、シビアな内容でした。 風呂を浴びて午後8時、夜のお勤めをスタート。白波のロックでタコブツと妻の作り置き、野菜炒めを流しました。写真はありません。午後9時半、寝落ち。 ということで、この1週間、帰宅時刻が午後7時8時となる毎日でした。禁玉さんの忙しさには比べようもありませんが、無理筋案件の続き、5時から男の杣夫にとっては辛いウィークデーでした。ということでブログが滞りました。こんな折は難儀解消に酒精です。お世話になりました。 凝った頭には上等の甘露が必要で。 塩から、舐めたいな。byトラ 会社のあれこれは書くこと能わずということで、代わりに先週末、訪ねた熊本のことを。 私のまちにはgovernmentの出先があります。Ministry of Defenseです。その関係からか、或る催しに招待されました。具体的なことは書けませんが、夫人を伴ってどうぞ、との案内でした。よし、ここは一つ、妻を連れだし、慰労しよう。毎日の家事、加えて父のおさんどん、実家の母を病院や買い物へも。てんてこ舞いの毎日を送っています。1泊2日、日常から解放がよろしい。加えて熊本のまちは彼女の青春です。其処にある大学の教育学部で4年を過ごしました。実習・卒論で関係した付属小学校の保護者とは今も交誼が続いています。そのお宅も訪ねよう。ということでプライベート、出っ張ることになりました。 出発は先週土曜の午前9時過ぎ。R10号を北上。犬飼から高規格道路を西に飛ばしました。竹田市でその道は終わり。阿蘇外輪山の裾野を走るR57号に乗り換えました。写真は九州の屋根・九重連山です。深田久弥の本や芹洋子の歌に歌われています。 しばらくすると、滝室坂という急坂にさしかかりました。外輪山の内側に下るところです。写真左は阿蘇五岳の端。右は外輪山。内側に阿蘇市が広がります。 坊中を過ぎると、阿蘇・中岳の噴煙が手に取るよう。火口近くまで行くことが可能です。其処は迫力があります。 午後1時過ぎ、イベント会場に到着。催し、私より妻が楽しんだようです。午後4時、其処を後にしました。ホテルにチェックインしたあと、少しくつろいで、さてと、新市街、下通(何れも熊本の繁華街)を練り歩くとするか。写真は街角から眺めた熊本城です。おお、なかなかの威厳です。 さてと、どの店にしようかな。 熊本と言えば馬刺しです。それをウリの店に突っ込みました。 生下さい。あっ、それと辛子蓮根を。 私は馬ユッケ。 妻は馬寿司。 こちらは馬ステーキです。 折角だから地酒の飲み比べをやってみよう。どれも甘露でした。 腹八分目になりました。それじゃーもう1軒。バーに突っ込みました。私は日本のウイちゃん・余市を。妻はソルティドッグ。 もう一杯下さい。宮城峡。 満足の夜でした。 翌日の午前、前述の通り、大学時代、妻がお世話になった家庭を訪ねました。 何十年ぶりでしょうか、時を経ての再会に、彼女と宅の奥さん、話が弾んでよかったです。馳走になった紅茶が美味しかったです。土産にと用意した干物の類を喜んでくれました。写真は宅の庭で記念撮影。私の横、当時小学生だったというT君も今は五十路。時は流れました。さてその家族、私にとっては初対面も同然でしたが、話題豊富のご主人が間を繋いでくれ、有り難かったです。 昼過ぎに其処を後。来た道を帰りました。次の写真は途中、波野村にあった道の駅で購入の地鶏と豚足です。ドライブの疲れ、これをビールで流しました。今日の一句大阿蘇に深呼吸して忘我也浩然大観望や胸のすきのんびりと外輪山に牛を弾く白煙を春一番が吹き下ろし今日の写真はバレンタインデー、会社の若い女性に貰った抹茶チョコムースです。これが美味しかった。有り難うね。10倍返しするからね。
2023年02月17日
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Monday, November 7, 2022Tuesday, November 8, 2022 月曜日、午前6時半に家を出ました。妻に大手前バスターミナルへ送ってもらいました。高速バスに乗って一路空港へ。午前10時過ぎの便に乗りました。 前の座席背後にタブレットが装着してありました。飛行時間が短く、途中、機内アナウンスのあって途切れ途切れ、ジェットエンジンの轟音もあって楽しむこと能わずでした。 次の写真はブロ友さんたちの暮らす名古屋上空です。セントレアを見て取れます。昨日開催された大学駅伝のコース、伊勢路も、でした。 行ってきました、北海道。訪ねた大学のキャンパスです。北国の秋は美しい。 赤嘘です。上の写真は届いた大学の広報誌、その表紙です。 今日と明日、出張でした。抱える課題についての研修をするため、取り組みの進む神奈川、静岡の同業他社を訪ねるのが目的でした。内容はひとくくりにするとDX。詳細は割愛しますが、先進事例というよりも、乾いたタオルを絞るよう、或いは暗中模索、弊社と同じ苦悶だな、そう思いました。いえ、参考になることもありましたが。 訪ねたまちAのホテルに投宿。写真は翌朝、相模湾に昇る太陽です。 朝食前、海岸を歩いてみました。なんだか、ハワイ(行ったことはありませんが)のような風情でした。港にはヨットハーバーがあり、いい感じの艇が何隻も係留。ここは人口3万人余りの小さなまちですが、市外の方の別荘が9,000棟あるという資料を読んで、うーむ、思うことありでした。 二日目はF市の某社を訪ねました。取り組みは弊社の2年先を行っているという感じでした。会社規模は弊社と比較にならぬほど大きく、インフラが整備され、大手企業も多数立地、都会的というか、働く場のあり、暮らしやすさを感じました。説明資料に、主婦アンケートで日本一暮らしやすいまちであることが書いてありました。羨ましくもありましたが、私のまちにはここにない自然、一次産業、人情・地縁があるぞ、今に見ておれ此畜生。天邪鬼、犬の遠吠えかもしれませんが、戻ったら一点豪華主義、尖ったところを磨いて、幸福度だけは追いつこう、そう思いました。 出張の楽しみは食事です。写真はこの日の昼食。瓢箪の形をした弁当箱です。 段重ねになっていて、取り分けてこんな様子。 寿司に加え、茶碗蒸しと味噌汁が付いていました。 羽田にとって返し、午後5時過ぎの便で大分向け。写真は窓外に広がる都会の夜景です。 大分空港に着いて、午後7時過ぎ、佐伯向けのバスに乗りました。車中、2時間、月蝕を楽しみました。 月見には酒がつきものです。空港売店でこれを仕入れ、ちびりちびり。午後10時前帰宅。バタンキュー。
2022年11月08日
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Thursday, May 12, 2022 雨 西北西の風平均風速1.2 20.4℃ 18.5℃ 午前4時起床。 午前7時半出社、午後5時半退社。 終日、雨は止みませんでした。写真は帰り道です。沖田の農道から元越山を望むの図ですが、今日は低く垂れ込めた雲のせい。隠れて稜線すら見えませんでした。 走らず。シャワーを浴びてさっぱりの後は夜のお勤めです。卵焼きでした。ならばと冷酒をチビリ。広島の甘露・白牡丹です。 もう一品はキムチ鯖。鯖缶利用の一品です。 嗚呼、今日もアスパラ嬉しいな。 特段のこと無しの一日でした。というのも、先日読了、尾崎放哉をモデル、吉村昭「海も暮れきる」のことが頭を離れなくて。ぼんやりしてばかりでした。小説の内容は先日のブログと重複します。放哉が小豆島に渡るところに始まり、8ヶ月後、死亡するまでを追っています。結核菌に冒され弱る病状を主人公自身の心理描写で、です。死の恐怖に揺れながら、精神が次第、研ぎ澄まされ透明になっていきます。吉村はそれにつれ作品も高みに至れりと書いてあります。 私、自由律俳句の高みを解らないので、ああそうなんだくらいの理解でした。 応えたのは、身体の衰えていく描写のほうに凄絶さを感じたからです。次第、食事が喉を通らぬ、酒も飲めず。肩から内臓にかけ、或いは喉の鈍痛疼痛。排便能わず。痩せ衰えて体重が30Kg、骨と皮になり、立つどころか這うことも能わず。最後は呼吸困難、目を剥いて藻掻き苦しみ、窒息死するまでの過程。人間、かくも苦しまねば死ねないのか。 人間、何が辛いとて、死ぬほど辛いことは無い、そう思わせる小説でした。それを引き摺ってのここ数日。 今日の一句 人間は枯れ果てるにも時懸かる懸かる アスパラのいと甘きなり箸を持つ 今日のラン なし 今日の酒 芋焼酎ロック1 お湯割り3 今日の音楽 なし 今日の写真は今年初めて姿を見せた守宮です。 玄関の外に出てパチリ。トラのパトロールに気をつけろよな。食べられるぞ。Friday, May 13, 2022 雨 北東の風平均風速0.8 19.7℃ 18.4℃ 午前5時起床。午前7時半出社。 このところ、人工7万弱の佐伯にも毎日20~40人程度、コロナウィルス新規感染者が出ています。ここ数週間に行われる行事を開催するか否かの相談が持ち込まれます。難しい判断です。今日も朝一、そんな案件がありました。困ったなぁ。 午前9時過ぎ、佐伯駅に。鹿児島市に出張でした。写真は私の乗車したソニックです。日豊線、佐伯駅から下り列車に乗るのは久しぶりです。 宮崎市まで2時間余り。次の写真は乗換の列車までに1時間、宮崎駅のうどん屋にての図。肉うどんが美味しかったです。1ラー。このお店、リーウーマンが多かったです。 宮崎からは特急きりしま。 都城や霧島神宮、広がる農村地帯を走りました。乗車2時間。社内はガラガラ。文庫本を2冊持ち込みました。捗りました。次の写真は車中の図。乗客は私1人でした。 午後2時過ぎ、鹿児島中央駅に着きました。その街も雨でした。駅近くの会場で会議。午後5時過ぎに終了。その時刻、佐伯まで戻る便はありません。この街泊となりました。 天文館にあるホテルにチェックインしました。写真は宿までの途中、乗った市電です。女性運転手でした。 おっ、新車両です。これ、都電に乗った折に見たような。 午後6時過ぎ、荷を解き、早速夜のお勤めを。近くの立ち飲みに突っ込みました。「キリツ」というのが店の名。 入り口から覗くと数人が無言でグビグビ。ならばコロナの心配なしだろう。暖簾を潜って、おーっ、流石。焼酎瓶が幾つも逆さになっているぞ。 銘柄を数えませんでしたが、80ほどありそう。 当てはこんな内容でした。鰺フライ、ホタルイカの沖漬けを注文しました。 折角鹿児島に来たので黍魚子の刺身も。 1時間ほどで店を後に。今日は花金でしたが、世情なのか、天文館に人出はありません。賑わいなし、疎らでした。興醒め。コンビニに焼酎とビールを求め、早々と撤収。ホテルにしけ込んで1人酒盛りとなりました。今日の一句六甲の水飲んで居り天文館今日のランなし今日の酒焼酎お湯割り4 焼酎ワンカップ1 サッポロ黒ラベルレギュラー1缶今日の音楽なし今日の写真は天文館のアーケード内に見つけた焼き芋(紅はるか)の自販機です。こんなのがあるんだ。Saturday, May 14, 2022 曇りのち晴れ 北北西の風平均風速2.5 24.4℃ 13.8℃ 午前4時起床。スマホで新聞をチェックした後は文庫本。ホテルの朝食はバイキングではありません。それを避け、午前6時、抜け出てコンビニへ。これを買って戻りました。パクつきながら更に読書。 午前9時前チェックアウト。来た時と同じ名前の列車に乗りました。写真はその折り、ホームに認めた「指宿のたまて筺」号です。鉄ちゃんと思しき人が写真に収めていました。 途中、都城の手前で架線のトラブル。立ち往生となりました。宮崎駅で乗換でしたが、その便に間に合いませんでした。宮崎発大分行き、1本遅らせ、午後3時前発のソニックになりました。しかし、そのせいでいい出会いがありました。ホームに、クロスバイクを大きなバッグに入れて旅行の青年が佇んでいました。声をかけました。中国・深圳の人でした。日本を自転車旅行中とのこと。意気投合の図です。 旅は道連れ、それじゃー隣に座ろうよ。佐伯までの2時間、これまでに辿った九州各地の写真を見せてくれました。これから広島や四国に向かうので見所を教えて欲しいと言われ、宮島や三段峡、それに徳島・鳴門の渦潮を勧めました。彼、北海道まで足を延ばすとのこと。ウィスキーのブラックニッカを好きというので、余市を教え、摩周湖や中国にない火山・有珠や川湯も。素敵な旅ができるといいな。次の写真は私の薦めをGoogleマップに落とす彼です。三十路前半。 午後5時半に帰宅。風呂を浴びました。早速夜のお勤め。写真は私への土産、鰹の酒盗。鹿児島駅の売店、おばちゃんが小皿に少量移し、酢で軽く溶いたら美味しいよ、そうアドバイスしてくれました。やってみました。確かに。 酒盗にはやっぱり日本酒です。これを抜栓。 こちらは妻への土産。薩摩揚げです。他に蒸気屋のかるかんも。 おっ、アスパラのサラダが出てきました。うん、美味しい。こよなくさん、重ね重ね有り難うございます。 プロ野球をチェック。カープは負け、金満は勝ち。面白くないな。バタンキュー。 今日の一句 若者はペダルを踏んで旅の空 今日のラン なし 今日の酒 芋焼酎のお湯割り2 冷酒1合 赤ワイングラス1 今日の音楽 JAZZオムニバス 今日の写真は読了の吉村昭「私の引き出し」文春文庫。作者が取材先で出会った人たちのことを材題のエッセイです。思いもよらぬ内容が出てきます。面白いというか、驚きです。 おまけは鹿児島市内から桜島を望むの写真。天気が悪く、駅のポスターで代用です。
2022年05月14日
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Saturday, December 18, 2021 晴れ 北西の風平均風速2.7 7.7℃ 1.1℃ 午前6時前起床。 今日は近場に向かう団体ツアーに紛れ込みました。半分、プライベートの旅行です。隣まちの社長さんが歓迎してくれるというので、名刺を持参、今日は彼への挨拶だけがしごとです。 佐伯駅に午前9時前集合。この看板に見送られて日豊線を下りました。佐伯は釣りバカ日誌19のロケ地なんです。 県境にある秘境駅・宗太郎で同じトレインが離合。 今日のツアーには鉄ちゃんも混じっているようでした。私、その手には興味なしですが、彼らはこんなところにも津々なんでしょうか。 目的地は延岡です。ランドマークの煙突(大と小あり、こちらは小さい方)が見えてきました。 延岡駅は蔦屋とのコラボ。いい感じにリニューアルです。スタバも入って、人が集っていました。その玄関先で太鼓の歓迎を受けました。 私は同業の社長さんにご挨拶。弊社社長からの言伝と幾つかの連携について暫しお話をさせていただきました。 それの済んで、さあ観光です。ツアー客はバスに分譲。先ずは旭化成の記念館へ。レンガ造りの社交クラブです。くつろげるソファーが並んでいました。社員やOBが気軽に利用するんだろうか。壁に画が何枚も飾られていました。中村琢二のそれもありました。片岡球子級の画家です。素晴らしいなぁ。写真を撮らなかったのが残念です。くつろぎスペースの横に社業を紹介の展示スペースがあり、そこを一通り見学。アンモニアを日本で最初に製造、以来化学メーカーとして成長、今は医療や建築の分野にも進出。総合化学メーカーとして海外に発展の企業と知りました。この会社、陸上と柔道に力を入れています。中に実業団で活躍の写真がありました。 オリンピックのユニホームも展示。 金メダルの実物です。目をこらしましたが、歯形はついていませんでした。 次は酒造会社見学です。大分、宮崎、鹿児島は、焼酎と清酒、両方を製造の会社が多いのですが、ここ、千徳酒造は日本酒一本で頑張っています。玄関に大きな杉玉を下げていました。 工場内を見学しました。これ、酒絞りの機会です。油圧のジャッキで右から左へ押して絞るんだそうです。 一通りの説明を受けた後、売店で試飲。今日はこれが楽しみでした。もう挨拶は終わったので、後は無礼講。ガブガブやりました。タダ酒は許されませんから、新酒を買いました。 微酔いになりました。続いて昼食会場へ。「源太」という宮崎牛のお店に案内されました。チキン南蛮と日向牛のステーキが出てきました。蓋付きの陶板に上等の肉が入っていました。 ここは最前、千徳酒造で買った酒の持ち込み可でした。早速抜栓。クイッとやりました。飲んでばかり、半分も食べきれませんでした。もったいない。 隣に大分の方から参加のナイスガイが座りました。一杯如何?水ではなく酒を向けましたが、ノンとのこと。歳を訊くと高校3年生。未成年に酒は法度です。失礼しました。それを話の継ぎ穂、食事の間に色々なことを話してくれました。彼曰く 僕は鉄ちゃん、飛行機にも興味あり、時々羽田に写真撮影旅行する、北海道にも行ったことがある、釧路湿原のトロッコ列車撮影を企画したけれど吹雪で飛行機が飛ばず、残念だった、今日は一人で参加、カメラはキャノンを愛用(立派な一眼レフを見せてくれました)、秘境駅を撮るため、この列車に乗った・・・。 戻ります。食事を終えて道の駅「はゆま」に向かいました。美味しそうな金柑を売っていましたが、鮎のうるかに惹かれ、そちらを購入。 そこを後にバスは延岡一の和菓子屋「虎彦」へ。老舗だそうです。 社長自ら歓迎をしてくれました。彼が破れ饅頭を振る舞うの図。勿論、お茶も賄ってくれました。土産に破れ饅頭と羊羹、それにイチゴ大福を買いました。 ツアーはここでおしまいです。延岡駅に戻りました。ところが何と、列車が運休らしい。なんでも宗太郎峠で貨物列車が立ち往生、坂を登ることができないとのこと。日豊線は単線です。結局、延岡観光をしたバスに再び乗って高速道路を北上することに。次の写真はバスの中に開栓の鮎うるか。 昼に舐めた酒をリュックから引っ張り出しました。うるかを当てに一杯は格別です。 延岡から佐伯までは1時間。あっという間の到着でした。 帰りの車中、仲良しになった添乗員さん(あっ、誤解なきよう、男性です)に誘われました。今夜、一献如何?うーん、どうしようかな。今日出撃だと、週4日夜のまちへ出勤になります。うち2日はノンアルでしたが。駅への迎え時刻を下げて欲しい旨、妻に連絡を入れ、誘いに乗っかりました。 私のまちに着いて突っ込んだ店は「たじか」です。焼肉のお店です。写真は盛り合わせです(これは他のお客様の注文)。 私たちのものは既に用意してありました。豚しゃぶです。生で乾杯の後、屋久島の三岳でこれを流しました。 ポケットの中にこれを入れていました。たじかの女主人・ママさんに、これお土産、差し上げました。 妻の迎えにまで、もう少し時間がありました。誘われてラ・ナチュールという店に突っ込みました。南アのボトルを抜栓。うん、これはいけました。 昼からチビリチビリでした。ボディーブローが効いてきました。ビザが出てきましたが、もう食べることはできません。先に失礼させて貰うことに。今日は有り難うございました。 家に帰ってバタンキュー。 今日の一句 日向路にうるかを舐めて一人旅 北川に凍えて居りし鵜行列 千徳に初搾り酌む旅の空 今日のラン なし 今日の酒 アサヒスーパードライレギュラー缶1 冷酒3合 生中1 芋焼酎のお湯割り正味1合 赤ワイングラス3 今日の音楽 なし 今日の写真は延岡駅トイレの壁にあった牧水の歌です。酒を愛した彼ならのもの。 そこで私も。 宗太郎峠を越えて日向路に入りたる海は冬に光りて 破れ万振る舞われてのお茶柱味親爺の粋や日向一なり
2021年12月18日
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Saturday, November 9, 2019 午前6時半起床。晴れ。昨晩は樽を振りました。午後11時を過ぎて就寝でした。後れを取りました。このところ、飲み過ぎ遊びすぎです。疲れが溜まっていました。今日は休養日だ。終日、屋内に過ごしました。ラジオ、読書。本の返却期限を過ぎました。図書館に行かねば。 日中、ぼんやりしていたら勝手口をコンコン。隣のおばちゃんが小鯵をくれました。スーパーに行って安かったから、とのこと。シールの値段を塗りつぶしていました。心遣いかそれとも安すぎて気の毒に思ったのか。透けて見えた数字は1/10ラーほど。が、鮮度は抜群でした。鱗を取り、ゼイゴを削ぎ、鰓と腹を出しました。その写真はありません。夕方、妻が二度揚げしてくれました。頭からそのままいける唐揚げになりました。 夕飯の前、MさんからTELあり。彼女は建築士の資格を持った大工です。約束の板を貰いに行っていいか、とのこと。二つ返事。 私のまちに暮らす地域おこし協力隊のN嬢が、宿泊所をオープンしました。名称は「投げ銭ゲストハウスさんかくワサビ」です。場所は盛り場です。古い建物を改修。そのリフォームを請け合ったのがMさんです。彼女がN嬢のため、ダイニングキッチン用にテーブルをこさえるとのことらしい。私、この春、親方の大杉を倒し、それを2寸の厚さに割いていました。それをプレゼントの口約束をしていたのです。 やってきました。しかし、彼女の車はバン。中に荷物を満載。載せること能わず。軽トラの出番です。荷台に積んでゲストハウスの下、倉庫に配達しました。写真のないのが残念です。 その代わり、N嬢が営む宿泊所内部を以下に。二段ベッドです。カプセルホテルに似た造りです。ウッディー。温かみがあります。全部で14名の宿泊が可能。 N嬢は、嘗てオーストラリアにワーキングホリデー。世界中を旅する若者たちと交流し、思うところがあったようです。 今、日本に対する海外の興味は、都市の観光名所ではなく、どこにでもある農山漁村の暮らし、その風土に向かっています。テロワールというと語弊のあるかも知れませんが、その空気を体験しにやってくる外国人が増えつつあるとのこと。しかし、片田舎にはバックパッカーが泊まるような宿(シェアハウスなど)がない。 N嬢、佐伯のまちを、食と人情も含め「濃い田舎」だと認め、定住することを決めたようです。そして、ワールドトラベラーに、安く泊まることの出来る場所を提供したい、一方、彼らを迎え、交流することでこのまちもきっと得るものがある、そう考えたのでしょう(未確認)。 料金は一人一泊1,000円。プアでなくとも少しリッチな方、このまちを元気にしようという彼女の思いを意気に感じる方は、プラスアルファ、投げ銭を頂きます、とのこと。なんともいい感じです。私の板がその取組に役立つとなれば、こんなに嬉しいことはありません。こちらは洗面所とトイレ。洗濯機と乾燥機は別のところにありました。全部、私の紹介したK製材の板張り。安くあげることが出来たとはMさんの弁。 次の写真は、自由に使うことの出来るキッチンです。勝手に調理出来ます。左は小上がり。持ち込み宴会大歓迎とのこと。宿泊者以外もOK、場所代1人500円。酒も料理も持ち込み自由だそうです。 此の10月にオープン。建築資金の一部はクラウドファンディングに依ったとのこと。ゲストハウスのHPはこちらです。 「投げ銭ゲストハウスさんかくワサビ」 帰宅したら、夕ご飯が出来ていました。最前の鰺唐揚げに加え、海老のかき揚げ。黒白波のお湯割りで流しました。バタンキュー。今日の一句ぼんやりの一日を過ごす日向なり今日のランなし今日の酒芋焼酎お湯割り2 冷酒5勺今日の写真はこよなく氏ご夫妻に頂いたもう1本。これもいい酒でした。甘露中の甘露。亮さんのブログに載っていて、ちょっとだけ嘗めました。チビリやります。重ねてお礼を。 もう一枚。Mさんに土産を頂きました。鹿児島のポン菓子と長野の漬物。いつか、さんかくワサビで一杯やろうと約束しました。札幌旅行その5(Sunday, November 3, 2019、夜の部) 午前4時起床。朝風呂に浸かりました。ベッドに戻りSTVラジオを聴きながら帰り支度をしました。荷物はリュック一つです。あっという間に済みました。朝ご飯を食べて4日間世話になった木賃宿を後に。写真は玄関の前を走る電車です。横っ面に中央区のタワーマンションとあります。ふーん、いいなぁ。大分・佐伯のあれこれ、しがらみを全部打ち捨てて、大通りのタワーマンションに暮らしたいな。毎日のように書きますが、私、この街が好きです。 角に髭のおいさんが。先日架かっていた足場が外れていました。次、ここに来るのはいつのことだろう。 先日飲んだ宮越珈琲の味を忘れられず、駅中にある喫茶店に突っ込みました。ちょっと高いですが、ここのこの一杯をこのまちの別れの杯にしよう。15円するマンデリンを注文。私、その苦みが好きなんです。香りを楽しみながら旅の便りを書きました。 飛行機は昼過ぎの便です。それまで少し時間がありました。何をしようかな。勃然、そうだ、この5日間に飲んだ酒を抜いておかないと。札幌駅近くのビルにある北海道赤十字センターを訪ねました。献血カードを持っていなかったのですが、指紋認証で本人確認が出来ました。写真は採血ルームです。 広々とした部屋、採血椅子の前に個別の小型テレビが備え付けてありました。全日本大学駅伝をやっていました。これ、自宅で録画しています。結果を知りたくないので消しました。 プスッ。この直前、検査用を採血するため左手にもプスッ。針先の研磨が素晴らしいのでしょう、全く痛くありません。 この中に、私の手から出たチューブの入る血液パックが入っています。あと239mlで終了のデジタル表示が。 正味10分ほどで終了。待合室に戻ると飲み物の自販機は無料。こんなサービスもありました。一つ頂きました。至れり尽くせりです。休憩を促されましたが、飛行機にマニアワン。差し出された記念の小物類も遠慮。後にしました。 電車で30分余り。千歳空港に着きました。早昼をしておこう。福岡空港は「ラーメン滑走路」でしたが、こちらは「北海道ラーメン道場」。 頼もう。突っ込みました。人気店には行列。そうでないところは閑散。差が大きかったです。時間が押していました。閑散に突っ込みました。高校生、アルバイトと思しき女の子(初々しい)がメニューを持ってきてくれました。 お薦めは?と訊くと、左上を指してくれました。当然、それに決めました。 此の旅行、食べたラーメンは全て縮れ面でしたが、ここもそうでした。青梗菜と思しき大きな青菜が1枚入っていました。それがいい感じでした。 妻に何か土産を買わないと。5日間も家を空けた罪滅ぼしです。おっ、「かま栄」のお店だ。STVのコマーシャルによく登場しています。飛ぶように売れていました。決めた、これにしよう。各種の入ったセットを求めました。 もう思い残すことはありません。搭乗口に向かったら、やっ、雪印パーラーだ。折角来たんだ、乳製品も少しは口にしておかないと。これを貰いました。嘗めていて、ああ、愈々お別れだ、A先生お元気で。こよなくさんご夫妻またいつか、亮さん、今度は中部地方に殴り込みですね。 座席に座り、窓外を深い秋が流れ去っていきました。ふわり浮いて嗚呼千歳空港・・・。 恵庭岳が見えました。その左に支笏湖の湖面も少し。そういえば二日目、「茄子の花」というおばんざいの店を訪ねた時、ママさんの娘がここの秘湯、丸駒温泉でアルバイトをしたという話を訊きました。そえrを思い出しました。冬場は孤立するとか。訪ねてみたいな。 北海道の大地は窓からすぐに消えてしまいました。海はつまんない、そう思った矢先、恵山が見えてきました。やっ、函館の街だ。臥牛山や五稜郭をはっきりと。2年半暮らしたところです。パラシュートを背負って飛び降りたい。 津軽海峡をひとっ飛び。大間のまちを確認。ここは個人的にちょっとした繋がりがあります。食い入るよう、眺めました。 その後、機内に読書。持参の司馬遼を読みました。あっという間に福岡へ。走るよう地下鉄へ。夕刻のソニックに間に合いました。切符を買った後、酒精を仕入れました。JR九州は車内販売を取りやめています。佐伯までの3時間半、切らして寂しい思いをするのは願い下げです。 乗るなりプシュッ。クワワワァ~もちぇん。 ビールを飲み過ぎるとタンクが一杯になります。それを避けるためにチェンジ。日本酒がいい感じでした。 乗った列車は佐伯が終点。やり過ごす心配は不要でした。到着したとき、車内は閑散。大分駅を過ぎてからは、私一人のために運行してくれたようなものです。 改札を出たら妻が待っていてくれました。つい今しがたまで後ろ髪を引かれていましたが、彼女の顔を見て、その思いは雲散霧消。亮さんが宜しく言っていたよ、というと「嬉しいわ。亮さん、元気そうだった?安藤先生は?」帰りの車中、仮報告をしました。家について荷を解きました。かま栄のそれにまだ温もりがあり、喜んでくれました。一口食べてにっこり。自宅はいいものです。写真は風呂上がりの右手です。 そうだった、血を抜いたんだ。水分補給をしなければ。幸い、いいお酒が届いていました。抜栓。栄螺と併せました。いい甘露でした。嘗めながら駅伝を観戦。「旦那、ちょっと疲れ気味だね」byトラ。何を言う、お前の方こそ寝ぼけ顔だぞ。嗚呼、そうだった、お前には土産がなかったんだ。かま栄を少し分けれもらえよな。今日の一句支笏湖の深みやよし真珠かな噴火湾ひとっ飛びなり夢の跡今日のランなし今日の酒アサヒスーパードライレギュラー缶1 ロング缶1 普通酒1合 甘露1合今日の写真はラーメン道場の入り口にあった飾りです。説明の必要無しかと。もう一枚は貰った献血カード。101回目でした。振り返ると、1回目も確か札幌で、でした。大学1年の夏、真駒内の運転免許試験センターに自動車免許証を受け取ったとき、記念にと、でした。感慨深い。
2019年11月09日
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Friday, November 8, 2019 午前5時起床。晴れ。 未明、書斎に本を読んでいて、ゴーッというジェット機の音。フライトレーダーを開き、調べてみました。エアアジア、クアラルンプール発札幌行きでした。5時間あまり前に飛び立ち6000キロの行程。ここまで4600kmを飛行して残り1400km。観光客が多いのかな。 午前、フォトショップや製材所に小用あり。それを済ませました。父が公民館祭りに画を3枚出品するというので、軽トラにそれを載せて搬入。午後は野良に出ました。エンジンバリカンで茶の木の剪定。1/4を済ませました。この時期の刈り込みは、秋に伸びた若葉を始末するだけの軽作業。続いて薪ストーブの焚き付け作り。製材所から貰い受けた背ビンタの束にチェーンソーの刃を入れました。 切ったそれを居間の前に運んで、土佐鉈で適当な幅に割りました。丸めた新聞紙の上にこれを櫓組したら忽ち、なんです。 やっ、豌豆が伸びているぞ。早く植えなければ。支柱にする竹の枝を取りに熊野神社へ。倒れてあった孟宗のそれを20本ばかり持って帰りました。植え付けは明日。妻の仕事です。 今日はつね三の30周年記念日。招待を受けていました。常連の飲み助10人ほどに声をかけたとのこと。都合あり、集まった人はその半分余りでした。今日来ることの出来なかった7段やdatelineは、多分明日の夜、やってくるはずだ。開店時刻の5時、突っ込みました。お祝いの品を手渡すと、写真同様破顔。喜んでくれました。 まあ一杯どうぞ。 クーッ、美味い。私、開店の頃からの常連です。苦みが感慨深い。大将にスマの刺身をこさえて貰い、それを当てにカウンター越しの差し向かい、来し方のあれこれを懐述。 大将、店を開くまでのことを話してくれました。高校卒業後、滋賀の東レに就職、3年後に退職、調理師学校へ。其処を出て大阪の寿司屋に住み込み修業。思うところあり佐伯に戻ってホテルの板場に。30半ばで独立、とのこと。全て縁あってのことだそうです。写真は開店祝いの色紙です。平成2年11月8日とありました。ん?平成2年?ということは28周年?まあそんなことはどうでもいいや。大将が30周年と言えば30周年。 午後6時半を過ぎて、ジュンさんとKさんがやって来ました。差し入れは鮮度抜群の鰺と鹿肉でした。後者は今朝獲ったばかりだそうで、とてもいい感じでした。 今日は何を食べても何を飲んでも勘定不要。欲な杣夫はならばとこれを注文。番匠川の天然鰻です。 定番の鰺フライがホクホクでした。 午後8時、大将、疲れからか、小上がりにゴロリ。寝入ってしまいました。私はジュンさんにライフル銃のことをあれこれ質問。彼曰く「弾は100m先までまっすぐ飛ぶよ。それから落ち始める。遠くを打つときはね、距離の判る双眼鏡で確認し、スコープの目盛をその距離に併せるんだ。例えば400m先ならつまみを回して仰角を上方向に微調整。弾道は放物線を描くように飛んでいくんだ。バンと撃って、獲物に当たったときはプスッという命中音が返ってくる。不思議でしょう。」 知らない世界の話でした。撃つところを見て見たいな。写真は3人のショットです。左から私、ジュンさん、Kさんの順。ちなみにKさんは潜水士。養殖筏に付着した牡蠣殻を落とすのを生業にしています。大変な仕事です。 ん?Kさん、鰺寿司を食べたい?大将は大鼾。ならば任せなさい。差し入れのキンキンバチバチをチャチャッとやっつけました。これを握って出してあげました。 なに?なめろうを食べたい?任せなさい。次の写真はそれにかかる杣夫です。大将、勝手にまな板を使い、ごめんなさい。 おっ、キンノジとキリノスケが入ってきました。二人とも仕事帰りでした。キンノジは会議の後、関係者と忘年会。中座したそうです。キリノスケは愛媛出張。午後8時臼杵着のフェリーで戻ったとのこと。忙しそうです。 ぐでんぐでんになりました。次の写真はS先生と大将のツーショット。彼も常連客でした。70代です。高校で国語の教鞭をとっていました。佐伯市ゆかりの文豪・国木田独歩のことで一談義。話が横に逸れ、校歌問題や互いの読書分野についても意見交換。楽しかったです。改めて素面の時に話をしよう、そう約束したような。 気がつくと午後10を廻っていました。代行運転で帰宅。バタンキュー。今日の一句庖丁に支えられての三十年今日のランなし今日の酒瓶ビール中2 燗酒冷酒合計7~8合 一升は飲んでません今日の写真は昼間に通った大手前です。ホールの建て替えが進んでいました。来秋に杮落としです。ラドゥロヴィッチ・ネマーニャが来日します。若手アイオリニスト。バッハだといいんですが。 もう一枚、公民館横の畑です。毎年、公民館祭りに併せてこういうユーモアが出現。全部が手作りの人形です。いい感じです。 札幌旅行その4(Saturday, November 2, 2019、夜の部) 午前5時起床。晴れ。昨日、飲む前にソルマックで免疫をつけました。少し頭が重かったけれど、二日酔いというほどではありません。今日は再び道立文学館を訪ねる予定でした。そのために3泊4日を4泊5日、一日滞在を延ばしたのでした。でも、一昨日、丸一日をかけて、隅から隅まで。それで十分でした。行くのは取りやめ。行ったことのないところを訪ねてみよう。先ずはゆっくり珈琲を飲みたいな。どこぞ、薪ストーブのある喫茶店はないか、調べてみました。朝9時に開店という店を見つけました。ちょっと遠いけれど行ってみよう。宮の沢まで足を伸ばすことにしました。ススキノ駅でドニチカ切符520円を買いました。「大通り」で地下鉄東西線に乗換え、西向け。土曜日なのか、混み合っていませんでした。終点「宮の沢」で下車。20分ほど歩いて住宅街の中にありました。写真は途中にあった石屋製菓です。「白い恋人」で有名のお菓子屋さんです。屋上にCHOCOLATE FACTORYの看板がありました。 その横を抜ける坂道に差し掛かると、上記ビルの裏側は違った感じに。 広い敷地内は公園のよう。手をかけたであろう薔薇が其処此処に咲いていました。観光施設のよう。駐車場に大型バスが幾台も止まっていました。 道を隔て、サッカー場が広がっていました。石屋製菓はコンサドーレのスポンサーです。それにしても専用グランドまで所有するとは。大変な入れ込みようです。 エンブレムが街路灯の柱に象られていました。 其処を抜け、山裾に差し掛かりました。次の写真は住宅街の一部です。モダンの家が斜面に沿って並んでいました。カメラアングルがいいと、メルヘンの世界に見えると思います。瓦屋根は一軒もないし、白い壁が目立ちました。 それぞれの家にカーポートと少しの庭がありました。停まっている車は4駆が多かったです。菜園に大根や葉物野菜を作ってあるところも。素晴らしいのは庭木です。紅葉が燃えるようでした。 訪ねたのは「喜茶(きっさ)ゆうご」。珈琲とケーキのお店でした。 写真右手前に、近所に住んでいるのだろう、それと判る会話の老夫婦が朝食を食べていました。地元密着型なのでしょうか。 小さな薪ストーブがありました。焚いていませんでした。日の差し込む日中は暖かいので燃やしていないとは店主の弁。薪は購入しているようでした。 ガラス越しの庭にシュウメイギクが咲いていました。スローなコンテンポラリーミュージックが流れて、落ち着く感じ。絵葉書を書いたり、持参の本を読んだり。2時間ほどゆるり過ごしました。 もう1軒、目星をつけたところに入ってみようか。来た道を戻りました。宮の沢駅には西友が入っています。ちょっと魚売り場に寄り道してみよう。おっ、筋子の特売をやっていました。イクラの醤油漬け用だそう。北海道は生筋子を買い、家庭でこさえるようです。 見ていて急にお寿司を食べたくなりました。薪ストーブの喫茶店、もう一軒を断念。狸小路近くにある「活一鮮」という回転寿司に突っ込みました。生ビール頂戴。 寿司は廻っていず、注文を紙に書いてカウンター向こうの板さんに渡すのがルールだそう。そうしました。先ずはこれ。 帆立がいい感じ。 締め鯖も脂ののりがいい。他に数皿をやって4ラーほどの勘定でした。昼酒をすると、値が張ります。 折角のドニチカ切符です。南北線を南下。終点、真駒内で下車。そこからバスに乗り、石山緑地へ向かいました。 ここは初めてです。嘗て軟石が採掘されていた場所です。今はその名残を景観として残し、近代アートを其処此処に飾ってあります。 余談です。札幌軟石は明治、開拓の時代、ビルの材料に使われたとのこと。現存する建物を調べていて、何と、こよなく氏に頂いた日本酒の蔵元、夕張・栗山の小林酒造が有する酒蔵に使われているとのこと。余談の余談です。その建物は高倉健主演「鉄道員」のロケ地。札幌軟石をして、石材、小林酒造の酒蔵、こよなく氏に頂いた酒はその蔵元、そして鉄道員のロケ、繋がり連想していくその最後がこよなく氏の奧さんが父親です。奇しくも鉄道員であったのです。何だか群像劇のよう。 園内に兄弟が遊んでいました。声をかけました。小5と小2でした。大分県を知っていました。兄は続けて此の公園の話しを。小4の時に習ったそうで、説明は堂に入っていました。素晴らしい。さよならを言うと、手を振ってくれました。 バーニーズ・マウンテンを連れた紳士に行き遇わせました。犬を褒めたらニコニコ。犬にとってはいい季候になりましたね、そう言うと「この春まで神奈川県で働いていました。定年念退職し、札幌に戻ったんですよ。そのとおり、犬のためにもよかったです。あちらの夏は酷いものでしたから」 前衛的な格好をした女性をモデル、写真撮影の人がいました。此の公園、その手が何なのか上手く説明できませんがその手の雰囲気を醸しています。流石に声をかけづらい。 木々の色づきに傾いた夕陽が映え、吹く風の冷たいこともあって、なんとなくセンチメンタル。 公園入り口の高台から西の山並みを眺めました。札幌にあって此の感じ、雪の季節到来を予感します。 遙かに霞む無意根山の山容を見ただけで来た甲斐があったというものです。 来た道を戻りました。バスの車窓から眺めた南真駒内周辺は、街全体が秋色に染まっていました。ジョギングしたら楽しいだろな。 「大通り」に戻りました。地下を歩いていて、図書館の出先サービスを見つけました。おっ、これ、いいな。カウンターの画面に読みたい本を入力すると、後日、その本をここで借り受けることが出来るとのこと。政令市の図書館だけに、蔵書が充実しているはず。地下鉄利用者にとっては嬉しいサービスです。 この横に、各種催しのパンフがズラリ。音楽会のチラシが目立ちました。 おっ、札響の第九だ。指揮は尾高忠明氏。名誉音楽監督に就任して何年になるんだろう。聴きたいな。 いい頃合いの時刻になりました。札幌最後の夜です。別れの杯をしないといけません。目についた大衆酒場「まねき屋」に飛び込みました。 セットが安い。 カウンター内に大きな鍋があって、煮込みがいい香りを立てていました。お姉さん、おねがいします。 クーッ、もちぇん。 次いで燗酒をもらいました。とその時、隣の女性が声をかけてきました。「お兄さん、一人?お酌してあげるわ。ああ、還暦なの。私の方がお姉さんだわ。旅行?大分からなの。へーっ、石山緑地に行ってきたの?私、真駒内の手前、平岸に住んでいるのよ。今日は旦那(横に座って静かに飲んでいる男性を指す)と大通りであったイベントを手伝ったのよ。菊の展示会よ。あら、明日帰るの?どうでした、北海道の印象は?」 訪札の目的や恩師、友人に会ったことを話しても詮のないことです。寒さ、紅葉の美しさ、食べ物の美味しいことを伝えました。それにしてもご主人の服装は地味なのに、此の方のそれはどう見ても飲み屋のマダム。化粧が濃かったなぁ。 話し込んで写真を撮るのを失念。短い時間で席を立ちました。 飲み直そう。もう1軒、うろうろ探しましたが、ここは、という店に行き当たりませんでした。仕方がない、「いなり」に行こう。SAPPORO赤星がいい感じでした。 シロを貰いました。私、ホルモンの中では此の串を一番好きです。 此の日は軽めに2軒でした。〆のラーメンは止めておこう。セイコマでワインと水のペットボトルを購入、宿に戻りました。チビリやりながらラグビーW杯の決勝を観戦。途中で寝落ち。ああ、これでSAPPOROの夜も終いか。今日の一句無意根山寒気を呼んで梢鳴る今日のランなし今日の酒生中2 燗酒1 瓶ビール2 冷酒1合 ワイン180ml今日の写真は宮の沢に見つけた虎杖の花です。冬枯れの色合いがいい感じでした。天気予報は、もういつ雪が降ってもおかしくないとのこと。雪を見たかったなぁ。
2019年11月08日
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Thursday, November 6, 2019 午前4時起床。今朝も冷えました。陽の昇る前の外気温は7℃。薪ストーブの火を大きくしました。未明、お茶を淹れ、炎を見ながら一人の時間を過ごすのは至福です。音楽を小さな音で流し、トラの頭を撫でました。 さて、朝ご飯の後は玉葱を植えなければなりません。今日は一人作業でした。妻は朝一、出かけていきました。某小学校に代用教員の仕事です。昨日、彼女が鶴岡高校から持ち帰ったものを300本、和式便所に座り込む恰好で3時間。マルチシートの穴に差し込んでは土をかけて根元を締める作業。正午丁度に終了。 午後は書斎に。過去の写真データからつね三のそれを探しました。いいものをA4で印刷、フレームに入れてあげようとの算段です。30周年記念に招待されました。お祝いに持参しよう、そう考えたのでした。 余談です。私、ブログを始めて毎日10~20枚、多いときは50~100枚撮ります。先の訪札、4泊5日は合計600枚余りでした。それを取捨選択無し、全部HDに保存しています。ファイルは月別に整理しているだけなので、探すのに往生しました。よし、これにしよう。「おかげさまで30周年」のロゴを入れようか。 午後は所用あり、K林業へ。或る依頼を受けていました。それを済ませたら、社長に鰺を貰いました。彼の趣味は海釣り。船を持っていて毎晩のよう、沖に出るそうです。昨夜釣ったとのこと。 家に帰り、すぐさまチャチャッ。小さい3尾は刺身です。大きいのは腹を出し、塩を振りました。 着替えて走りました。まだ陽のあるうち、湯船に浸かりました。午後6時過ぎ、妻が戻ってきました。「あなた、友だちの友だちに漁師がいるの。車海老を斡旋して貰ったわ」いい感じ、鮮度抜群でした。 3尾をチャチャッ。後は冷凍しました。 普段刺身を余り好まぬ妻ですが、今日は両方の刺身をペロリ。海老のそれは、私の口に一切れのみでした。いいんです、それで。私、リーマン時代の若い頃、水産の営業をしていました。浜廻りの折、よく魚を貰いました。ゲップをすると車海老の匂いがしたこともあります。もう食べ飽きた、そう嘯き、妻の遠慮を退けました。武士は食わねど高楊枝です。今日の一句葱の苗小さく植えてやって来い今日のラン5km今日の酒アサヒスーパードライレギュラー缶1 焼酎お湯割り2 ウイスキーシングル2今日の写真は玉葱植え付けの作業中です。一冬越しての初夏、リンゴ大になります。札幌旅行その4(Friday, November 1, 2019、夜の部) 亮さん・こよなくさんご夫妻との約束は午後5時でした。亮さんから、暖機運転をしようという連絡が入っていました。一時間前に落ち合う約束でした。午後3時半、TELしました。電話の向こうで彼曰く「早く着いちゃってさぁ、飲んでいるんだわ」ゲッ!粋がって1次会の前に引っ掛けることを、飲み助はゼロ次会、練習、嗽、呼び水などと嘯き、悦に入ります。じゃぁゼロ次会の前を何というのか。私は聞いたことがありません。それをする亮さん、流石です。恐れ入りました。「15分後に切り上げてRホテルに行くから」そう聞いて、其処のロビーで彼を待ちました。写真はホテルの窓外です。札幌の深い秋を感じました。いいなぁ、こういう景色のあるホテルは。木賃宿と大違いです。 やってきました。フロントの前で久闊を叙しました。以前より何だかダンディになったみたい。「したらチェックインしてくるわ」写真はエレベーターを待つ彼の後ろ姿です。既に酒精の入って傾いているよう見えるのは気のせいかな。 ホテルを出ました。彼にとっては勝手知ったるススキノです。路地をスタスタ。ん?早くも場末感のある通りに差し掛かりました。創世川を渡ると街は急に寂れます。 あったあった!ここが有名(?)な第3モッキリセンターだ。 店の前にメニューが懸かってありました。瓶ビール(大)が480円です。 亮さん、自宅に戻ったような顔つきで暖簾を潜りました。常連は違うなと思いました。カウンターはコの字型。飲兵衛を扱い慣れたおばちゃんたちが中を立ち回っていました。亮さんはホッピー、私は生中。 酒を前にしての嬉しそうな顔といったらありません。 再会を祝して乾杯。クワワワァ~もちぇん。「ここで食べ過ぎるわけにはいかないね」彼はこれを注文。 私は鰊の切り込みを頼みました。ブログに書き込んでくれるびっちりびちこさんがお薦めの逸品でした。亮さん曰く「その味は作る人によってまちまちなんだわ。(一口食べて)美味いかどうかわかんねぇっ」 燗酒器が目の前にありました。酒をやって頂戴。正一合の量でした。 店内はこんな感じです。リーズナブルの焼酎やウィスキーが右へ倣えでした。向こう側のお客さんは二組とも妙齢のカップル。これからどうするんだろう。エヘヘ。 余談です。モッキリセンターの由来が以下の写真に書いてありました。道新記事に、ここの店主は私と同じベンツに乗っているとのこと。ご覧あれ。 生中と燗の銚子を1本。ふわり、いい気色になりました。「そろそろ行くべか」腰を上げました。「二条市場を廻って行くかい?なんもだけどね」この時刻でした。呼び込みのお兄さんたちも気分は店じまい。投げ遣りの声で「買っていかないかい?3割引するよ」 冷やかそうと思ったのですが、時刻が迫っています。加えて亮さんが歩行の速いこと速いこと。釧路湿原や阿寒連峰登山で鍛えた健脚です。写真は狸小路にあった熊の剥製です。スナップを撮っていて、置いていかれそうになりました。 待ち合わせの店が入るビルを見つけられず、付近をうろうろしました。突然「なーにやっているの?」ハスキーな声が聞こえました。こよなくさんでした。笑顔満面。あった途端、旧友に久しぶりの感じを覚えました。挨拶を交わしただけでジェントルマンと判りました。何をして「こよなく」か解りませんが「こよなく日本酒を愛す」という肩書きを持った方です。その通り、ダンディでした。 お店は氏が予約を入れていてくれました。某ビルの上の方にある「とら太」。暖簾も看板も乙です。 一杯気色もあって、敷居が低かったです。小上がりに草鞋を脱ぎました。あっ、やんごとなきお方があらっしゃる。ご尊顔は眩しく、面を上げること能わずでした。酔いがいっぺんに覚めました。陛下は若い頃の浅田美代子似でした。お目に掛かり恐悦至極に存じまする。侍従(こよなく氏がそう呼ばれているかは未確認です)に促され、先ずは乾杯。ウォーミングアップをしているので、亮さんと私は最初から冷酒。 おっ、タチポンだ。素晴らしい。こんな鮮度のものを頂くのは初めてでした。 鮭のフライ。 雲丹。 イカ刺し。 厚岸?の牡蠣も絶品。 次から次、北海の幸が出て来ました。話しに夢中となり、箸の動きが鈍りました。後から思うと、残念至極です。写真は陛下が下賜の酒です。侍従がシャッターを切ってくれました。 それにしてもです、流石北海道。日本国憲法・皇室典範は、男性のみが即位です。翻ってこよなく王国は女帝。英国並みです。進んでいる。 陛下は庶民目線でした。王国の帝室に入る前は雅子様同様、市民だったとのこと。父上は国鉄に勤務、保線区だった由。家族皆が官舎に住んで、風呂は共同の大湯船。石炭ストーブを焚いて暖をとり、大雪が降ると夜中、父に呼び出しがあり、ラッセル車に乗ったとのこと。古き良き時代の薫る話でした。当時珍しかったと思うのですが、陛下自身は工業高校に進学。技術を学んで某企業に就職。其処で侍従に見初められたとのこと。どうしてOKしたのか、3択を示して訊いてみました。1.魔の差した、2.仕方がなかった、3.煮詰まっていた。済みません陛下。困らせて。侍従曰く「親方、言わしてもらっていい?バカヤロウ(笑い)」 楽しい時間は忽ちです。若かりし陛下の時代をもっと訊きたかったです。まだ中頓別、浜頓別に鉄道の走っていた時代です。それを想うと、掻き立てられます。 閑話休題、ここで1次会はお終い。陛下の時間は酔い子の時間。仕方がありません。またいつかきっと。名残を惜しんでお別れしました。亮さん曰く「ジャマイカへいくべや」 おお、素晴らしい。凄い量のCDです。全部ジャズ。 レコードもこの通り。 店に入るなり、暖かく深い音に魅了されました。システムが気になりました。おっ、アンプはマッキンとマーク・レビンソンか。 プレーヤーは初めて目にする、これまたマッキントッシュ。 スピーカーです。説明の必要なし。 ここのママさん、篠ひろ子似、素敵な方でした。今夜は浅田美代子といい、女優に会う夜だな。 折角なので3人のショットをお願いしました。こよなく氏は初対面の感じがしないんですが、お初なので顔はモザイク。ごめんなさい。 それにしても亮さんの背中が渋い。 こよなく氏もいい感じにスイング。 2人が何を飲んだのか覚えていませんが、私はアイラの高級酒を馳走になりました。幾杯も飲んでグニャグニャになりました。もはやパラゴンを楽しむ余裕はありません.目が舞うとはこのことです。 ん?気のつくと知らないスナックに座っている。この店にアルバイトの女性がアイスランドにワーキングホリデー云々、どこかで聞いたような話が耳に入ってきました。でも何がどうなっているのか、全く判りませんでした。 誰かがピッザを食べているぞ。ここはどこだ、私は誰。亮さん曰く「そろそろいくべ」私もですが、こよなく氏はすでに一杯になっていたようでした。エレベーター、亮さんについて乗る後ろ姿にそれを見て取れました。人のことは言えませんが、かなり酔っているぞ。この後、ハグしてお別れをしました。いつか芦別岳の見える御宅を訪ねたいな。有り難うございました。陛下に宜しくお伝えください。楽しい時間はあっという間です。見送って寂しい気持ちになりました。亮さん曰く「もう一軒行くべ」千鳥足、ふらつきながら後を着いていきました。ビルの奥の院に向かい右に折れ左に折れ。 九龍城のようなところをスタスタ。酔っていないはずはないんですが、おかしいな。恐ろしい男です。 ちょっと、ちょっと、亮さん、どこまで行くの? 着いた先はここ。何でも名古屋に兄弟店のある由。 嘗て、ももさんに連れて行ってもらったお店とチェーンだそうです。それをして彼女ことを肴に日本酒を呷りました。彼女、どうしているのかな。元気かな。 ここで改めてツーショット。 飲みつまるとはこのことです。もうあきまへん。「したら寿司食うべ」後を着いていき、気のついたら白ワインのグラスを持っていました。口をつけたことを覚えていません。 以降、全く記憶なし。カメラが代わりに覚えていてくれました。「いちい」のカウンターです。 これを馳走になったようです。 亮さんが茶碗酒を煽っている。彼の肝臓はどうなっているんだ。 ん?小イワシの刺身?(後でシシャモのそれと知りました) こっちはワープしているのに、亮さんは悠然と白ワイン。やっぱり肝臓のキャパが違うんだな、きっと。 後がどうなったのか、全く判りません。あれ、ラーメン屋玄関の写真があるぞ。 カメラに残っているということは、これを食べたんだろう。今日の一句コンコンと玄関叩くラッセル車機関区に今も昔も冬将軍ススキノは俺のものだと千鳥足久闊をススキノで叙すタチポン酢栗山に大酒を飲む色男今日のランなし今日の酒不明今日の写真は亮さんとのツーショット。素面のような顔つきですが、二人とも既に理性を落とした状態。かメラを確認して、別れ際に撮ったようです。誰かに撮影を頼んだんだろうか。こよなくさん、陛下、亮さん、楽しい夜を本当にありがとうございました。またいつかきっと。
2019年11月07日
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Wednesday, November 6, 2019 午前4時起床。快晴。未明の外気温6℃。放射冷却現象です。冷えました。日中は20℃まで上昇。汗ばみました。 午前は父を歯医者に送迎。5kmの距離なので乗せていき、連れて帰りの2往復。 午後は野良着に着替えて玉葱の床を誂えました。4列に穴の空いたマルチシートを2列。300個余りを植える予定です。苗は佐伯豊南高校に注文していました。今日、妻が引き取りに出向きました。 余談です。佐伯豊南高校は、数年前、同名の佐伯豊南高校(商業系)と佐伯鶴岡高校(農業系)が統合して出来た学校です。校舎は旧鶴岡高校を使用しています。それまでの鶴岡高校は、もう何十年も前、佐伯農業高校から校名を変更、鶴岡地区にあることから所在の地区名を冠した名前となった経緯があります。一時期、生徒募集のイメージを考慮、校名や科名の変更がブームとなりました。例えば水産高校が海洋科学高校に、というように。鶴岡高校もその時のことでした。 この手の校名変更、大学も然りです。酔散大が海洋大にです。残念なことです。農林酔散系はその名を残したほうがいいと思います。判りやすいし、一次産業を学ぶことは「食」に直接つながるので、何だか地に足が付いているような気がするからです。あっ、酔散は千鳥足、沖に出たら舟が揺れるから、地に足は付かないと言われそう。 つまらぬことを書きました。写真は昨日掘った生姜を保存のバケツです。籾殻の中に寝かせました。 高菜や青梗菜に水を遣って今日の野良は終わり。小用あって畑野浦を訪ねました。届け物があったのです。栄螺(さざえ)を貰いました。10月末に採り、畜養していたとのこと。11月から禁漁となります。ラッキー。壺焼きに使用かな。 とって返しました。しばらく親方の顔を見ていないことに思い至り、波越を訪ねました。山仕事は一休み。野菜造りに励んでいるとのことでした。野良猫が納屋に忍び込まないよう、網を張っている最中でした。動物病院に勤める奧さんがお茶を出してくれました。家に居着いた猫がくしゃみ鼻水なんです、と言うと、恐らく猫エイズとのこと。トラを絶対外に出してはいけません。気をつけよう。写真は親方です。 もう一枚。彼の野菜畑横にこんな植物が生えていました。名を知りませんが、青空とのコントラストがいい感じです。先週末、札幌に遊んだ際は、ナナカマドと青空でした。青と赤はマッチングがいいのかも知れません。 椎茸を籠ごと貰いました。天気が続いていたので特急品とは彼の弁。何だか物貰いに来たようでした。 帰宅してランの格好に着替えました。走るのは一週間ぶりです。調子が出ませんでした。半分以上を歩きました。まだ札幌への旅疲れ、飲み疲れが残っているのかな。 風呂を浴びて北海道・栗山の銘酒、隠酒真冬詰大吟醸の底溜まりを流しました。早くも一本空いちゃった。次を抜栓するのは勿体ないので焼酎のお湯割りに変更。当ては親方の椎茸。料理の手早い妻です。 こちらも味見。昨日の鰺が南蛮になっていました。うん、いい感じでした。炊き始めた薪ストーブを前、アルテックにバッハを流しました。心地好い夜が更けていきました。今日の一句玉葱の畝を鍬もて小春かな籾殻で冬を越せ越せ生姜種今日のラン3km今日の酒冷酒5勺 焼酎お湯割り3今日の写真は届いた本2冊です。うち、右側、佐野眞一のそれは週刊ポストに叩かれて以来の上梓です。唐牛健太郎を扱っています。全学連の委員長だった人です。札幌詣での目的は保阪康正展でしたが、奇しくもです。保阪と唐牛は面識があった。福岡在住のSさんからのプレゼントでした。有り難うございました。ちなみに左、北海タイムス物語はその名の通り、北都で刊行の地方紙(既に廃刊)が舞台です。そこの記者が主人公。未読ですが、NHKFMのラジオドラマ青春アドベンチャーに取り上げられました。ストーリーの概略は承知。アイヌ民族のことが伏線となっています。読むのが楽しみです。札幌旅行その3(Friday, November 1, 2019 昼の部) 午前4時起床。晴れ時々曇り。気温が一気に下がりました。寒い一日でした。 今日の日中は近場を散歩です。午前8時過ぎ、木賃宿を出ました。写真は大通り公園です。色づいた木々の中に札幌のシンボル、テレビ塔が見えました。時刻を示す電光掲示板は何かにつけ利用されるアイテムです。 道議会庁舎の庭を過ぎると、旧道庁舎です。中に絵画が展示してあります。今はリニューアル中なのか、休館でした。残念。ちなみにこの辺りは佐々木譲の小説に出て来ます。実際に歩いてみるとストーリーが蘇り、生々しいです。 次の写真は札幌駅です。私が住んだ頃はブルーの色をした3階建て、横長の建物でした。前に女性数人のブロンズ像があったっけ。今は大層様変わりです。 センチュリーロイヤルホテルはそのままでした。屋上の回転レストランが懐かしい。 駅に宮越珈琲店がありました。折角の札幌です。スタバやタリーズ、ドトールは避けたい。ブレンドを1杯貰いました。うん、いい感じでした。私、深煎り、苦みのあるのが好みです。その系統でした。 博物館を見に大学の構内へ。写真はその正門です。 此の大学は酔散だけでなく法学部も有ります。市民のための無料法律相談をやっているそうな。いいな、これ。弁護士に相談したら30分10ラー近くが相場です。 博物館の開くまで少し時間がありました。定番のポプラ並木を見てみようか。次の写真は其所に続く道中です。色づいた木々がとてもいい感じでした。 其処に辿り着き、近くのおっさんにシャッターを切ってもらいました。梢が切れてしまっていました。おっさん、もう少しレンズを上に向けんかい! それにしてもの強風でした。寮歌に♪~打振る野分に破壊の葉音の~と歌われています。その通り、手稲から吹き下ろしてくる強風に轟々、ビュービュー、大揺れのポプラでした。暫し佇み、空気を感じまいした。時雨れて寒かったです。いい頃合いになりました。博物館へ。 ここは嘗て理学部の建物でした。今は各学部単位に標本の展示や研究の紹介をする博物館。無料でした。早速入館。おっ、樹齢400年、何の木だったか失念ですが、年輪にその年の出来事を記載していました。これ、いい感じです。時代を一目瞭然。妙な気分です。 沢山写真を撮りました。以下にその一部を掲載します。1枚目は白熊。でかい。 さらに大きいマンモス。 こちらはライオンの骨格標本。 酔散のブースに忍路丸3世の模型がありました。今就航しているのは5世。40年前、私が乗船実習したのはこの3世でした。オホーツク海に浮かび、デッキで夕陽を見ながら酒を飲んだことが懐かしい。学生室にレコードとポータブルプレーヤーがあり、石川セリの「八月の濡れた砂」を聴いて、妙にセンチメンタルになったことを思い出しました。 農学校時代に学生が録ったノートの現物もありました。どうですか、此の写真。講義は英語でだったと聞いています。皆、超の付くほど優秀だったんだな。文字を見て開いた口が塞がりません。素晴らしい。 展示で最も惹かれたのは、北方民族のコーナーでした。どこからどこまでの地域に暮らす民族を北方と称するのか、知りませんが、樺太や千島の人たち、カムチャッカやベーリング海に沿っての人たち、大陸・アムール川流域、さらにオビ、レナ川。写真の民族衣装をして愈々遙かです。民族の文化を深掘りしたり、相互の関係を想像、言語も然りですがそういう分野に今はDNAを重ね合わせた研究が被さっているようです。面白そうです。その分野のことは司馬遼の本にあります。読んだときは惹かれませんでしたが、此の括りの展示を目の当たりにし、津々の気持ちになりました。 お腹が空きました。今夜は亮さんやこよなくさん夫妻と一献の約束です。午後5時がスタートです。早昼をしておくに如くは無し。クラーク会館の食堂を目指しました。 おっ、メニューの左上に今日のお薦め、背脂醤油ラーメンというのがありました。それをやってもらいました。430円は安い。 それほど油っこくなかったです。ランチメニューは1/2ラー位からでした。安い。 腹がくちくなって、折角だから北二十四条まで歩いてみようか。クラ館を出ました。メインストリートを北に向け、スタスタ歩きました。紅葉に目を奪われました。校内の秋はこんなに美しかったっけ。それとも歳を取ると、季節を美しく感じるようになるのかな。 銀杏の色づきは今が盛り。この先、観光名所の並木は散り始めていました。 余談です。構内を南北に貫く此の道は、北海道マラソンのコースになっています。胸突き八丁、40km辺りになります。オリンピックのマラソンが急遽札幌に決まりました。コースの急ごしらえは難しいとの報です。もしかして、ここが道順の一部になるかも知れません。どうなることやら。 北18条に差し掛かると、大学の影は薄くなります。樽川通りをとぼとぼ北上。並寿司を鱈腹食べた長寿司がまだありました。懐かしいなぁ。でも、そのほかは様変わり。記憶にあるお店は皆無でした。24条の「鳥やん」や「連日連夜飲みまくる人でごった返す」というキャッチコピーをHBCに流していた「鳥政」は跡形もなし。餃子の「みよしの」も見当たりませんでした。しょんぼりしていて、やっ、中央市場が残っている。営業していました。ここ、寮生たちの御用達でした。 中を覗いてみました。キュウリウオが懐かしい。此の魚、その名の通り胡瓜の匂いがするんです。 こちらは鱈。タチポンのシーズンです。加えて身は昆布締めが美味しい。食べたいなぁ。 さて、北海道の秋は落ちる釣瓶が早い。午後の早い時刻にもう夕方の空気が流れます。地下鉄に乗って大通りに戻りました。写真は繁華街をガサガサ、風に吹かれて舞い歩く木の葉です。こんなに大きいものも。これ、何という木の花のでしょうか。よくよく見ると、葉脈の形がいい感じでした。 狸小路のドンキでこれを求めました。先飲みのソルマックです。正直なところ、これを飲んでも亮さんには太刀打ちできないんですが。 次の写真は戸惑ったレジです。ユニクロ方式に似て非なるものでした。オヤジにはちんぷんかんぷん。中国人の方が上手でした。(続く)
2019年11月06日
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Tuesday, November 5, 2019 午前4時起床。快晴。 未明の外気温は、放射冷却現象のこともあって10℃を下回りました。拙宅は荒ら家です。冷気が忍び込んできていました。寒さに耐えかね、今期初、ストーブに着火。炊き始めました。こうなることを予想、昨日、薪を室内に運び込んでいたのでした。写真は待ってましたのトラです。 朝一、農業用マルチシートを軽トラに積みました。父の畑で使い古したものがかなりの量、ありました。 産廃処理業者向けになりました。リーマンの時代、其処の社長さんにはお世話になりました。弊社、男女共同参画の取組を広めるのも仕事でした。私が担当したとき、審議会のメンバーにY社長をお願いし、快諾頂いたのでした。彼に白羽の理由は、経営する会社の女性比率が当該業種にしては随分高いためでした。過去に幾度か訪ね、事務室は言うに及ばず、現場に快活、働く女性たちを見て、いい感じを覚えていたのです。今日は彼に遅ればせ、退職したことを話し、その節のお礼を言いました。笑顔がとても素敵でした。勿論、女子社員は今日もはつらつでした。写真は持ち込んだマルチシートと我楽多です。3ラーあまりの料金でした。この後、父の家の家庭ゴミをもう1車満車にして、清掃センターへ。産廃でないのでこちらは1/6ラー、100円でした。(ラーとは岐阜県多治見市の極一部に流通の仮想通貨です。固定相場制を敷いています。円換算すると1ラー=600円。)次の写真は市経営のゴミ処理工場玄関から佐伯湾を眺めるの図。すっかり冬の色になっていました。 家に戻ったら妻不在。父母をカットに連れて行ったようでした。午後2時頃に戻ってきました。その間、昼を食べずに大蒜を植えました。球根が父の作業小屋にぶら下がってあるのを認めたからでした。それを土に突っ込みました。順調に育てば来年は大蒜三昧です。写真は昼前、野良の合間に食べたカステラです。隣家のK君が長崎旅行の土産。抹茶がいい感じでした。 遅い昼をした後は豌豆の畝作り。トラクターで一掻きした後、耕運機を使いました。幅1.2mを2本。マルチシートで覆いました。しみったれの杣夫です。そのシートはこの夏、父が西瓜畑に使ったもの、再利用です。写真は作業中の一枚。途中、妻が顔を出し「その幅はいけないわ、もっと狭くして頂戴」こちとら汗をかく身。船頭の手戻り指図に苛つきましたが、グッと我慢。顔に出さぬが肝心です。 勝手口からまたもや顔が覗きました。またかと思いきや「あなた、Uさんが釣鰺を持ってきてくれたわ。宜しくね。そうね、数が多いから南蛮にするわ。私の実家、母にも刺身をお願いね」 チャチャッとやっつけました。釣ったばかりの鮮度抜群。まさにキンキンバチバチでした。魚の新しければ新しいほど庖丁が切れます。今日がそうでした。 今日はこれで打ち止め。湯船に浸かった後、これを当てに白波のお湯割りを流しました。テレビでWBCをやっていましたが、途中で落ちました。バタンキュー。 写真をもう一枚。妻の夜なべです。収穫した生姜を刻みました。これ、佃煮になるそうです。庖丁が切れるので助かると言ってくれました。いい気分です。今日の一句朝冷えにストーブ焚きて猫達磨今日のランなし今日の酒黒白波お湯割り4今日の写真は猫2枚。1枚目は野良です。家の周りに居着いているバイカルに模様がよく似ています。時々見かけます。名前を付けてなければ。こちらはトラ。窓外にその猫を認め、威嚇の大声を出していました。尻尾が狸だ。札幌旅行その2(Thursday, October 31, 2019) 二日目は午前1時に目が覚めました。この時刻に起きても為す術無し。木賃宿併設24時間営業の大浴場に浸かりました。水を飲んでも一度ベッドへ。 朝ご飯を食べた後、ホテル前の電停から市電に乗ってA先生宅へ向かいました。写真は札幌市電です。緑色は昔からですが、最近はピンクの同型やヨーロッパのトロリーバスも走っています。 先生の家は藻岩山の麓にあります。山腹は紅葉が終わりを迎えていました。某電停を降りて徒歩5分が先生宅です。 連絡をしてありました。午前9時、部屋の中から窓越し、外を覗いていました。目の合うなり、おいここだここだ、口のそう言っているのが判るよう、手を振ってくれました。待っていてくれたのでしょう。グッときました。再会は何年ぶりでしょうか。居間に案内され、積もる話を1時間。先生は卒寿、ペースメーカーを埋めて遠出能わず、不如意の生活と伺っていました。お目にかかって何の何の、教官時代と変わらぬ怪気炎でした。安心しました。曰く「おー、よく来たな。葉書で知ったが文学館に行くのかい。お前も好きだなぁ。奧さんは元気か。そうそう、先だっては柿を有り難う。好物だ。家内と美味しく頂いたよ。果物の見た目、器量が悪いなんてとんでもない、いい味だった。うん、ストーブはもう早くから焚いているよ。寒いんだわ。それに座ってばかり、動けない。ゴミ出しに300m歩くのがやっとだよ。朝、新聞を1時間かけて隅から隅まで読んだ後はテレビだ。ただな、1時間で飽くのよ。その後は何もすることがない。この身体、もうよくなることはない、よくて現状維持だ~。それはそうとお前は佐伯だったな。札幌にやってくると聞いて調べたよ、お前のまちを。私の兄が海兵出で、佐伯に入港したこともあると聞いたことがあるぞ。随分前、お前の家に泊めて貰ったときは失念していて、先日思い出したんだ。兄かい?戦死したよ。ところで仲間と連絡は取り合っているのか?HやSには会うのか?そうか、今回は会わないのか。まぁそれもいい。Sはこないだ、訪ねてきてくれたよ。道の水産部を退職し、札幌の某会社に天下っていると聞いた。Hはお前より年上だろう。一浪と留年で一緒の学年になったんだよな。彼の両親が交通事故死したときは、俺の教え子に弁護士がいて、世話を焼いたよ。泣き寝入りせずに済んだ。相手には刑事罰が下った。いろいろあったなぁ。ところでお前の先輩、Aはまだ広島に住んでいるのか?築地のKも退職したんだろうな。高松のMは父親の後を手伝っているそうだ。お前たち野球部の連中は全部顔と名前が一致するよ。がよかったなあの時代は。印象深い。函館の金成はまだやっているんだろうか?ああ、代が変わったんだったな。ウンウン、昔話は楽しい。それにしてもこの年になると、便りが少なくなる。死亡通知ばかりだ。俺が最後に死ぬんだわ。香典を包んでばかりで、もう元は取れない。畜生め。腹いせに俺は葬式をしないよ。家族に厳しくそう言っている。誰にも連絡してはいけない。新聞掲載もノン。遺体は白百合会行きだ。医学部への献体だよ。教官だったんだから当たり前。最後の勤めだ。えっ、もう帰るのか?だめだ。10時までいろ。そう急ぐな。一日中居たってかまやしないんだ。こうして座っているだけなんだから。(ここで電話着信音、奧さんに向かって)おい、電話だ。誰からか判らないが、多分お前だ。早く出ろ・・・」 先生の話は止まるところを知りません。切りがありません。 教官と学生の関係だった頃、先生の口癖は「偉くもないのに威張るな!」でした。私たち教え子は先生の前に出ると「はい」しか言えなかったです。でも、その時の心地いいことといったら。 先生は面倒見のよい方でした。所謂親分肌。面倒をかけ、お世話になり、手を煩わせた教え子は数知れず。今日もそのエピソードを幾つか聞かされました。例えば教え子の一人は某野球部監督だった時、相手打者のホームランをファウルと主張、審判を殴り謹慎、その彼を弁護に奔走、処分が緩み、別の高校に移動させ、其処の監督に据えたとのこと。彼はみるみる手腕を発揮、道内の高校を6度も甲子園に導いたとのことでした。余談です。その彼は先月、79歳で死亡。明日、先生は奧さんに付き添われて彼のお別れ会に出席するとのことでした。 先生は札幌一中卒です。後輩に作家・渡辺淳一がいたそうです。5年の時に彼が入学してきたとのこと。優男だったようで、野球部且つ硬派の先生は「優男で女の尻ばかり追いかけていたからぶん殴ってやったんだ」そうです。他にも少女人形が物知り話をする番組のナレーターアナウンサー女子のNHK入局、札幌オリンピックの際、選手の健康診断で女子フィギアスケーターメダリスト担当・・・。数え上げればこれまた切りがありません。写真は先生とのツーショットです。教え子、世話になった輩がこの写真を見ると、きっと羨ましがることと思います。 10時を回り、そろそろ先生、と言うと、途端、顔が曇りました。名残惜しそうでしたが、其処は恩師。「よし、また来い」。玄関を出、寒い中、奧さんと道路まで見送りに出てくれました。藻岩山からの吹き下ろしに雨交じり、雪になりそうな空模様でした。曲がり角までの100m、3回振り返りました。杖をついた姿が少し傾いていました。後ろを振り向く度、先生の顔はくしゃくしゃ、崩れていくようでした。私も同じでした。辻を曲がる直前、私、被っていた帽子を振りました。涙が零れました。今生の別れという言葉が過りましたが、それは押し殺しました。また会いに来るぞ、折に触れての便りは欠かさずを誓いました。写真は先生ご夫婦です。家の周囲はマンションでした。先生宅だけが意固地のよう、庭に花を植え、がんばっていました。いかにも、の様子です。 電停までの道は足が重かったです。 電車に乗って、地面から伝わるゴトゴト感に、気持ちを変えることが出来ました。中島公園通で下車。公園内に足を踏み入れました。途端、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできました。終わり前の鮮やかさでした。写真にはありませんが、ナナカマドの実が赤い。 今回の訪札目的はこの催しを訪ねることでした。 特別展「保阪正康の仕事」を見るためでした。加えて常設展とアーカイヴ第3期「八木義徳と北海道」もやっており、杣夫としては是非とも訪ねなといけない内容でした。八木は何を隠そう、同窓、酔散の先輩なんです。樺太旅行中に宿泊費を踏み倒し、肉体労働で支払いをしたとのエピソードが退学理由とか。後、稲門を潜り芥川賞作家となりました。従軍作家として大陸にいたとき、その通知を受けたとのこと。受賞作は「劉廣福」。一人の中国人労働者を描く快哉小説です。知らせを聞いた時、その隊にいた少尉、日本百名山の深田久彌にお祝いとして煙草を貰ったそうです。後年、読売文学賞や菊池寛賞も受賞。 さて、保阪正康氏は歴史評論家です。多数の本を出版。半藤一利とともに昭和史の研究は他の追随を許しません。展示内容はとても充実したものでした。年表や時々の時代背景は学芸員の手によるものでしょう。構成が素晴らしい。 氏は札幌東高校卒業後、同志社大へ進学、院に進みました。其処を卒業後、一時期北海タイムスで短期アルバイトをした後、朝日ソノラマに入社。結婚し、まだ幼い子どもを抱えてジャーナリストとしての独立を決心。以降は承知の通り、膨大な著作を残していきます。以下、展示会の印象を。 先ずは氏の勉強ノートが凄い。整理した昭和5年のノート、実物がありました。几帳面の楷書、万年筆の筆跡が歴史に向き合う真摯の姿勢を醸していました。整理の緻密さには気魄迫るものがありました。几帳面のスケジュールは文化手帳。それぞれの事件が取材メモも幾つか。東條カツ(英機の妻)を取材した折のそれもありました。取材に臨んで氏はアピカのA4ノートを使用でした。横書き。 展示の文中、幾つか語録を拾ってみました。「社会の価値観が揺らぐとき、奇異な事件や事象が起きる」「年表の一行を一冊に」「同期が至純ならば全ての行為が許されるという誤った感覚が(昭和の)主軸」「(取材方法は)第一次円(肉親)、第二次円(同僚部下親友)、第3次円(仕事、趣味など社会的関係)、~枠組みをそっくり~取材対象を絞り証言を集めていく」 何れも含蓄ありです。勉強になります。 文学館は「昭和陸軍の研究」朝日新聞社を渾身のライフワークと位置づけていました。まだ読んでいません。 没頭するも途中で疲れ、中休みを入れました。トーストと珈琲の休憩時間。それが昼ご飯。風花が舞いそうな天気でした。 戻ります。この展示に合わせ、氏の語るインタビューもありました。1回が30分ほどの内容でした。E・H・カーの言葉「歴史はしがらみの中にある」を引用、紐解き、解き明かすため、何故その事象が生じたのか、時代背景と必然を考証すると話しました。当たり前のことですが、氏の口が語ると重みを増します。 来た甲斐がありました。再度書きます。勉強になりました。 頭を整理し、常設展とアーカイヴのフロアに。前者は、北の大地に関係した作家を時系列に並べて紹介していました。引かれたものを以下に。「虹と雪のバラード」は河邨丈一郎作であったり、岡田嘉子のことを書いた本は「半丁国境」西木正明だったり、千島列島が舞台の佐々木譲「択捉発緊急電」だったり。樺太文学というジャンルのあるのを知りました。斯様、執筆の動機を駆られた作家たちの列伝が続きました。岩波文庫「アイヌ神話集」の知里幸恵に送った金田一京助の実物葉書がりました。19歳で夭折の女性をして、アイヌ文化が風前の灯火であることを痛感。残念です。他に小林多喜二の自筆や伊藤整の色紙、「丹下左膳」は北海道出身の作家長谷川海太郎が林不忘のペンネームで書いたことも。原田康子の自筆は小さな文字。渡辺淳一のそれにはA先生が言っていた通り、女ったらしの感じを覚えました。 アーカイヴの方は八木義徳。「クッタラ湖」や「海霧の街で」は北海道の色が濃い。特に前者はヒメマスの移植がストーリー。酔散を勉強した当方、興味ありでした。八木の従軍は先に書きましたが、記者としてです。徴兵は赤紙に依りますが、従軍記者としての召集令状は「白紙」と呼ばれたそうです。その名の通り、白い色をしていたとのこと。知りませんでした。余談です、今日出海や林芙美子も従軍作家でした。 北海道立文学館の常設展、維新以降の潮流を展示です。その流れとは別、私はアイヌ文学に惹かれました。金田一の葉書とは別、数多の資料を前にし、カムチャッカ、千島列島、北海道、それぞれに暮らした少数民族の内地同化政策が悲しさに思いが至りました。ここで深掘りは出来ませんが、哀しい宿命です。写真はここの入館チケットです。うち、特別展は11月7日までの開催。惜しいなぁ。 今回の文学館訪問、最後に昭和を理解する本として保阪氏が10冊を挙げています。それを以下に。「回想10年」吉田茂「西園寺公と政局」原田熊雄「侍従長の回想」藤田尚徳「側近日誌」木下道雄「失われし政治」近衛文麿「戦中派不戦日記」山田風太郎「レイテ戦記」大岡昇平「太平洋戦争」小島襄「昭和史1926-1945」半藤一利 最後にメモを。保阪氏は唐牛健太郎との交流あり。父との対立もあり「所詮人生はそのようなものだと思う」との言葉には親子であっても・・・。諦念じみたものなのか。 腹一杯になりました。今日は終日、ここで過ごしました。立ちっぱなしの鑑賞は疲れます。次の写真は求めた書籍です。福岡在住の元新聞記者Sさんにリクエストされていました。購入し、この後、コンビニから発送。 文学館を出て、やっぱり来てよかった、と思いました。繰り返しになりますが、保阪氏のものの見方と真摯な求道研究、八木義徳の人となり、北海道文学の歴史、何れにも深いものを感じました。次の写真は一杯になって漫ろ散歩の道すがらです。展覧会の重さ、A先生との別れ、それぞれが相まって溜息が出ました。この紅葉にちょっぴりアンニュイでした。 木賃宿に戻り風呂を浴びました。湯船に浸かり、またも溜息。重ね重ねです。札幌が産んだ保阪正康は、今現在、最高のジャーナリストの一人です。 さてと、今日はA先生に会ったし、文学館にも遊んだ。心地好い疲れです。癒やす必要無しですが、夜の部に出撃しなければなりません。ラインに「札幌の予報は寒いわ。おでんを食べて温まって」と妻からの頼りもあって、スマホで「おでん」を検索しました。「なすの花」という店がヒット。何々、茄子?私は日本一茄子を食べる男(自称)です。訪ねないわけにはいきません。 暖簾を潜ったら、私と同じ年頃かと思しき女性がやっていました。おばんざいの店です。 セットを注文。出て来た突き出しがいい感じでした。真ん中はブリ。これを当てに日本酒を3種。このところ、ヤズの水揚げが増えた由。これも美味しかったです。 スガキを貰いました。佐呂間産だそうです。厚岸の方は大粒だけれど、こちらも美味しいよ、そう説明してくれました。 最初の一杯は注いでくれました。 ママさんは札幌近郊出身。親は牧場経営、自分も家畜の世話をしたと話しました。あれこれあって廃業。土地を切り売りして糊口を凌いだとのこと。娘さんが海外にワーキングホリデー、それが自慢のようでした。店名の由縁を訊きました。咲いた茄子の花は必ず実になるから、と返ってきました。写真は干した杯と猪口です。北海道の地酒も奥が深い。 いい気色で勘定を済ませました。少し歩いてみおうか。次の写真は札幌のランドマーク、髭のおっさんです。今日はリニューアルなのか、掃除なのか、足場が掛かっていました。 夜風に冷えました。もう一軒、狸小路の「いなり」に突っ込みました。大衆酒場です。 中はコの字カウンター。多くのお客さんでごった返していました。機転の利くテキパキのお姉さんがよかったです。 ここのビールはサッポロ赤星の瓶。おおっ、甘露甘露。同席したとなりのお兄さんが手持ち無沙汰。横目に窺うと、年齢も体型も私の息子に似ていました。親しみを覚え、声をかけしました。函館住まいのリーマン、札幌に出張とのこと。明日帰函。奧さんは道南、日本海側にある某神社の娘さん。自身は札幌出身。今は婿殿として楽しい生活らしい。土産にお義父さんへ酒を買って帰るといいよ、そう言うと、酒は祝詞の折毎頂くので、奥さんの実家には有り余るほどある、よって不要、飲んで減らしてくれと何時も言われている、とのこと。大笑いしました。羨ましい。意気投合、酒を酌み交わしました。 彼が席を立ったのを潮、私も今日はこの辺で堪えてやろうか。勘定をしました。 でも今夜も〆のラーメンを外すわけにはいきません。新ラーメン横丁の「いそちゃん」を覗きました。ここは数年前、妻と訪ねたことがあります。札幌ハーフを走った折でした。塩味が忘れられなかったのです。 一口啜り、おお、この味だ。ほのぼの感ありでした。時刻が早いのか、客は私一人。ママさんと世間話をしました。塩ラーメンの店を問えば「いそちゃん」と返ってくる、そう言うと嬉しそうな顔をしました。私もそう思います。満腹になりました。 ホテルに戻り、文学館訪問のことを整理。SAPPOROクラシックを飲みながらでした。今日の一句藻岩山何故に時雨るか此の日をば今日のランなし今日の酒不明今日の写真は札幌コンサートホールKitaraです。中島公園にあります。以前、其処は学生野球の聖地、中島球場がありました。其の跡地にが開館しています。この旅行中、札響の演奏を聴きたかったのですが、叶いませんでした。 もう一枚は街中にあった本別のポスターです。亮さんがお兄さんが農業を営んでいます。来夏辺り、一ヶ月くらい野良の加勢をしながら其処に過ごすのもいいな。おさんどんと毎晩の酒があればアルバイト代金は不要。働きが悪いから追い返されるかも知れないけれど。
2019年11月05日
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Monday, November 3, 2019 午前5時半起床。曇りのち晴れ。終日北風強し。朝のうち、少し時雨れました。 5日間の旅を終え、時差ボケならぬ酒ボケ。身体が重かったです。 写真は今朝の食卓です。旅行中、山向こうの漁師T君が栄螺(さざえ)を届けてくれました。栄螺飯です。風味絶佳。 野良仕事が待っていました。「あなた、豌豆が伸びたの。早く植えないと」 妻に促され、襤褸に着替えました。豌豆や玉葱の植え付けを準備。苦瓜、地這い胡瓜などを片付け、生姜を掘りました。写真は収穫の図です。枯れ始めたゴーヤの中にこれだけの実が隠れていました。 マルチシートを始末、枯れた敷き草をトラクターで鋤込みました。続いて白菜やキャベツのネットを外しました。あれこれの作業に正午を廻ってしまいました。 昼にシャワーを浴び、午後は書斎に。旅の整理をしたり、A先生に便りしたり。午後4時前、ランの格好になりました。走り始めて直ぐ疲れを覚え、止めました。家に戻ったら、妻の畑仕事は未だ片付かず。朝から畑にに出突っ張りでした。午前は私と土作り。午後は白菜の土寄せと施肥、加えて水遣り。手伝うため、も一度野良着に。 父の西瓜畑や芋畑に使ったマルチシートを処分しなければなりません。広げ始めました。雨に濡れ、付いた土が重くなっていました。これ、産廃処理業者に持ち込みます。重量が引き取りの物差し。キロあたり20~30円が目安です。軽トラに満車ほどあります。重量は200Kg程かと。10ラーほどの処分費でしょうか。LCC福岡-千歳の片道航空運賃です。勿体ない。この作業、乾かして軽くするのが目的。でも思うに任せず。ペラペラのそれは言うことを聞かない。暗くなって中断。明日もそれの続きです。 風呂の後、一杯引っ掛けてバタンキュー。今日の一句陽の釣瓶鳶の群れ舞う溜息か今日のランなし今日の酒冷酒2合今日の写真はこよなくさんから届いた夕張・栗山町、小林酒造の大吟醸です。当て不要、これだけで楽しめる重さです。甘露。 さて、札幌に行ってきました。以下にどうでもいい旅の徒然を勝手の時系列です。暇な方、定年オヤジの飲んだくれ旅にお付き合い下さい。札幌旅行その1(Wednesday, October 30, 2019) 午前4時起床。晴れ。味噌汁が美味しかったです。妻が心尽くし。写真は旅行に使うメモ帳です。薄く軽くに限ります。この旅のために用意しました。 妻に佐伯駅へ送ってもらいました。「行ってらっしゃい。美味しいものを食べてきてね。A先生や亮さんに宜しく」 午前7時前、ソニック12号に乗車。席に座ると、日豊海岸の見慣れた景色が流れ去っていきます。博多までの3時間余りは、本を読んで過ごしました。これからのことを思うと浮き浮きです。活字が身につかなかったです。写真は博多駅ホームに停車の「湯布院の森号」です。七つ星のずっと前から久大線を走る観光列車です。 地下鉄に乗り換えました。二駅目が福岡空港。都心から近くて便利です。次の写真は地下鉄ホームに見つけた広告です。「筋肉は一生ものの服」、これ、ジムのキャッチコピーです。「専門のトレーナーにアドバイスをもらいながら2ヶ月ぐらい続ければ、肉体は正直者です。何てことはないTシャツ1枚でもきっと納得できるあなたになるはずです。割れた腹筋と厚い胸板」とありました。 飛行場に着いて、チェックイン時刻までの間、ラウンジに一休み。ビックリするような美人、受付のお姉さんが微笑んでくれました。 ここはクレカを見せるとタダで入ることが出来ます。飲み物のサービスがあります。缶ビールも1本だけ無料。早速プシュッ。クワワワァ~、もちぇん。 泡を楽しんだ後、受付カウンターへ。其処に秤があり、背中のリュックが7Kg以下を確認しました。それを越えると追加料金が発生します。LCCだけに仕方ありません(でも7Kgの手荷物は結構重いですよ)。ちなみに今回の旅、福岡-千歳間の運賃、行きは8ラー、帰りが13ラーでした。安いでしょう。さて、ピーチ札幌行きMM455便は使用機遅延のため1時間遅れるとのこと。うーん、ホテルにチェックインは暮れてになるな。昼を過ぎたし、ちょっと腹に何か入れておこう。ぶらり、港内を歩きました。おっ、「ラーメン滑走路」粋な名前です。食べようか。 おっ、美味そうだな。 これにしようか。でも向かう先もラーメンの街。発つ前は止しておこう。 「しらすくじら」という定食の店がありました。フロアの半分は立ち飲み仕様でした。 メニューに「せんべろ」の文字がありました。 条件反射とは恐ろしいものです。足がひとりでに動きました。トリビー。写真に木札が2枚写っています。これ1枚で1パイ、日本酒と交換するのです。この後、比良松と夢一献、2グラスを干しました。 いい気色になって機内へ。飛び立って下界は晴れ時々曇りでした。翼と空の蒼が得も言えぬコントラストでした。 能登半島上空付近でしょうか、遠くに富士山が見えました。右の少し手前はアルプスでしょうか。下界にあっては見ること能わずの景色です。 窓側の席は眺めを楽しむことが出来ます。しかし、飲んで搭乗は不如意。尿意を催すからです。今日は加えてLCC。狭い座席に加え前の椅子との間隔も甚だ近い。ちょっと失礼が申し訳なかったです。帰りは自重しよう。写真は飛行中に配られたピーチエアの機内紙です。タブロイド判。観光地の特集が主でした。 千歳空港に着陸しました。色づいた白樺がとてもいい感じでした。九州にはない光景。最前、苫小牧辺りを過ぎて広がる原野も何が流石か判りませんが流石北海道。車輪が滑走路を掴むと、スポイラーとフラップが全開になります。空気抵抗を最大限、減速が目的です。うちスポイラーはペラペラなのに、よくもまぁの感あり。強度もですが押し上げる油圧も相当な力なんだろうな。 JRに乗って札幌入り。勝手知ったるです。地下鉄でススキノに向かいました。場末の木賃宿にチェックイン。道中、さほど寒さを感じませんでした。大浴場に汗を流しました。サッパリしたところで、さてと、明日からの予定を前に少し盛り場の偵察をしておこうか。狸小路を歩いてみました。見た目約8割が中国人。後は日本人。韓国人は皆無でした。もし中国との関係が拗(こじ)れたら、大通り・ススキノ界隈は灯の消えたようになるんだろうな。狸小路だけの賑わいをして、全体を論じるのは如何かと思いますが、北海道観光は薄氷の上にあるかと。 腹が空きました。どこかにしけ込むか。別にウニ・イクラ、ジンギスカンを頬張らなくてもいいな。大衆酒場2軒と〆ラーメンの節約コースに如くは無し。今夜の1軒目は「富士山」にしました。 看板がお洒落です。 おっ、あるある、あるぞ、ちょい飲みセット。それを貰いました。制限時刻を過ぎていましたが、可愛いお姉さんがにっこり折れてくれました。 クワワワァ~、もちぇん。 炙り鯖がいい感じでした。 この店、コの字カウンターがありません。ビルの2階にあって看板通り小洒落た感あり。下町風情は薄いかな。大衆酒場を名乗ってはいますが、少し垢抜けているような感じでした。開店して間もないんだろうか。冷蔵庫の中の酒にそれを感じました。 2軒目は「かすそば風土はなれ」という居酒屋に。「かすそば」がどんなものか判らずにおでんを注文。燗酒とお通しが先に出て来ました。カウンター内のお兄さん曰く「茄子の煮しめです」。うっ、札幌までやってきて茄子かいな。 おでんはいい感じでした。ロールキャベツが出色。 郷に入っては郷に従え。千歳鶴純米の後、国稀をやってもらいました。 いい気色になりました。よし、今夜はこのくらいで堪えてやろうか。かすそばのお兄さんにお勧めのラーメン屋を聞き出し、〆モードに。紹介されたところは「信月」。地元で評判の店だそうです。売りは塩ラーメン。 それをやってもらいました。サッパリ味がいい感じでした。 今日はこれで打ち止め。午後8時過ぎ、ホテルに戻りました。バタンキュー。今日の一句ソニックの車両軋みて寒霞み今日のランなし今日の酒アサヒスーパードライレギュラー缶1 生中3 冷酒2 燗酒銚子4本今日の写真はススキノ点描。1枚目はラーメン横丁。狭い路地に10軒以上がひしめいています。もう一枚はサッポロビールの大看板。その通り、どの店もサッポロクラシックか赤星の中瓶でした。
2019年11月04日
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Tuesday,July 10,2019 午前4時起床。終日雨。 降り籠められて、家の外に出ず終い。書斎で過ごしました。調べ物も読書も遅々として進まず。何だか気分の乗らない一日でした。それには理由があります。まず広島カープ。どうなっているんだ。連敗続き。今夜も逆転負け。11連敗です。加えて名古屋場所です。嘉風が休場しています。詳しくは書くこと能わずですが、6月中旬、弟弟子たちを連れて私のまちに合宿を張りました。相撲以外のちょっとしたことで怪我をし、市内の病院で手術したそうです。観戦に張り合いがありません。 こんな日は飲むしかありません。結びの一番を見終えて、これを開栓しました。石川・輪島の酒「千枚田」です。北陸旅行で買った自分への土産、これが最後です。 その名の通り、ラベルにこんなイラストがありました。いい感じです。 当てはこれ。地ダコです。 いい色合いの茄子です。日本酒に合いました。今日の一句紫に切れ込みの在り梅雨の茄子今日のランなし今日の酒日本酒3合 ハイボール1 今日の写真は「写真ものがたり 昭和の暮らし3 漁村と島」です。これまで1農村、2山村の二冊を読みました。漁村と島を終え、昭和の時代だったら農山漁村の何れに暮らしてみたいか、考えました。何処にも魅力在り、迷いますが、バリエーションに富む海の幸、生活に開放感のあること、それに何より銭が海に泳いでいて、育てることをせずに獲って暮らせる、などを理由、私は漁村です。 船、漁法、海女、北洋漁業、塩田、島の暮らし・・・こんな切り口の写真がてんこ盛りでした。殆どがモノクロの中にカラー写真が2枚。その一枚が昭和47年撮影という輪島の朝市でした。輪島の酒を飲んだ後です。懐かしさのような感じを覚えました。Sunday,July 7,2019 午前5時起床。曇り。 ホテルの朝食は午前6時半から。ロビーには8時集合でした。この宿は最上階に温泉があります。一風呂浴びようか。でもその前に折角だから駅周辺をぶらっと散歩だな。東口の方を一周しました。古い家並みの小路をうろうろしました。生活の匂いがしました。西口のほうは垢抜けて、再開発が進んでいるようでした。歴史の街金沢とは思えぬよう、ハイカラでした。駅地下を歩いていて、今流行りの「駅ピアノ」を見つけました。 こんな立て看を置いてありました。ふーん、そうなんだ。 やっ、もう6時だ。急ぎ足で戻ったら、ホテルの玄関にロードレーサーを止めた青年がいました。声を掛けたら、これから金沢のまち周辺を100km走るとのこと。自転車はパナソニックでした。自分は大分・佐伯から観光に来たんだけれど、秋、私のまちでツール・ド・佐伯というロングエイドがある、長いものは200km、如何?宣伝をしました。ああ、知っています、と返されました。何だか嬉しくなりました。 朝風呂を浴びました。プシュッとやりたかったです。しかし、今日は私の運転です。朝ビーを我慢。次の写真は駅のセブンで購入した地元紙福井新聞です。朝食後、ゆっくり読むことが出来ました。 金沢のまちに別れを告げ、北陸自動車道を南下。旅の最後は東尋坊と決めていました。金津インターで降りました。坂井丘陵フルーツラインというなだらかな道を通りました。途中、競艇場がありました。その近く、コンビニでトイレ休憩をしていたら、崩れた態のおっさんたちがスポーツ紙片手に同じ方向へ向かって歩いていました。 東尋坊に着くと、おっさんに駐車場へ誘導されました。料金は500円だけれど、売店で2,000円以上の買い物をしたら無料になるよ、そう言われました。永平寺近くのそれと一緒です。商魂逞しい。その売店を抜け、断崖へと続く道の両側にも土産物屋。商品は海産物中心です。店じまいの店舗もちらほら。うらぶれ感が漂っていました。柱状節理の名勝が神通力、弱まっていると感じました。 折角やって来たので、この石の前で証拠写真を。 東尋坊は、先にも書きましたが名勝です。ウィキによると「名勝」とは「庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地の中で、日本にとって芸術上また観賞上価値の高いものを、文部科学大臣が『名勝』および『特別名勝』の名称で指定することができると規定している。地方公共団体においては、文部科学大臣の指定から漏れたものに対して、それぞれの条例に基づいて教育委員会が指定を行っている」とのこと。日本全体で名勝は415件、特別名勝は36件だそうです。今回の旅行で訪ねた兼六園は特別名勝、成巽閣とここ東尋坊が名勝として指定されています。 さてと、これで旅も終わりだな。福井市へ。レンタカーを返しました。福井駅で新大阪向けの切符を求め、昼ご飯にしました。写真は駅のコンコースにあった恐竜の模型です。白衣を着た研究者の格好でした。そういえば福井市の西隣、勝山市は恐竜のまちです。余談です。そのまちに平泉寺という寺があり、其所に東尋坊という坊主がいて、ここ、柱状節理の断崖から墜ちたという昔話があり、それがもとで東尋坊という地名になったとのこと。そうと知るまでは「とうじんぼう」という音と、日本海の荒波が吠える断崖絶壁の印象をして、地の果ての印象を持っていました。いわれが判り、イメージが変わりました。余談です。犬吠埼という名の岬があります。打ち寄せる荒波は犬の吠え聲が如くと思いきや、義経に此処へ置き去りとされた犬が幾日も吠え続けた言い伝えから、その名がついたとのこと。 戻ります。写真は昼に食べた蕎麦定食。腰があっていい感じでした。 旅の終わり、無事だったことを祝し乾杯。クーッ、生ビールが沁みる。 ホームに立つと、敦賀行きと金沢行きの電車が止まっていました。いよいよこの地ともお別れだな。 サンダーバードの席に収まり、売店で購入のカップ酒を開栓。別れの杯です。 昼酒は効きます。目が覚めたら湖西を走っていました。湖面を眺めながら、いつかきっとビワイチを、そう思いました。ビワイチとはサイクルで琵琶湖一周のことです。ちなみにアワイチとは淡路島一周のこと。 新大阪で1時間の待ち合わせ。のぞみ発車まで時を潰しました。義母の好きな551は行列が出来て変えず終い。しかたがないか。飲み物を見繕い、人間ウォッチング。西洋やアフリカと思しき人が目につきました。 おっ、早くも列車の時刻になりました。入線の新幹線に乗車。のぞみは何とも可笑しい顔をしています。 混み合っていましたが、事前予約のおかげで横一列、5人並んで腰掛けることが出来ました。座ると、取るものも取りあえずです。プシュッ。間に合わないのでロング燗にしました。皆も思い思いプシュプシュ。アルコールの入ると声が大きくなります。加えて大分・佐伯弁。周囲の目が気になりました。 いい気色になって墜ちました。気がつくと関門トンネルの中でした。小倉駅に降りて、日豊本線に乗換。そこで必ずしなければならないことがあります。行きの便で学習しました。ソニックには車内販売がない。見繕いました。写真は小倉駅の線路です。くねくねです。日豊本線、日田彦山線、鹿児島本線のそれぞれを束ねています。 列車は混み合っていました。座席指定、4席は同じブロックでしたが、一席だけ離れたところ。仕方ありません。私が其所に座りました。隣に大学生と思しき女性が座りました。失礼、そう言葉を掛けてプシュッ。おにぎりを肴にもう一缶プシュッ。あー美味しい。旅の余韻がじわり、でした。 大分駅で殆どの乗客が下車。仲間の席に合流しました。Aさん曰く「D兄よい、どんだけお金ぅ使うたんか。財布を見せてみぃ」 D兄曰く「夜遊びぁちょびっとうよ。土産ぅよーけ買うたけんどしれちょる、万札ぁおまい、何枚も残っちょるど。あいたぁおまいパチンコじゃーが。ヒヒヒヒィ~」いい笑顔です。 旅を終えるときは必ず〆が必要です。今日は、いやこの三日間、ビールと日本酒ばかりでした。最後はワインだな。これで打ち止め。 佐伯駅には午後8時過ぎ到着。妻が迎えに来てくれていました。今日の一句越前は海の色さえ霞みおり東尋坊頻りと岩の軋みおり今日の酒ビア中ジョッキ1 缶ビールレギュラー3缶 ロング1缶 カップ酒1 ワイン1カップ今日の写真は妻への土産赤福です。リクエストに応じて、です。これを二箱。多分一両日中になくなるはずです。
2019年07月10日
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Wednesday,July 9,2019 午前4時起床。曇り一時雨。 午前8時過ぎ、襤褸を着ました。ゴミを出した後、トラクターに乗りました。菜園の隙間が草茫々。それを始末。写真は着工前です。 竣工図。ここに何を植える予定もないのですが、もう一度耕耘し、その後にマルチシートを張る予定です。そこに地這い胡瓜だな。 この後、梅林下の草刈り。刈り払い機を背負いました。汗びっしょりになりました。昼前、本降りになったのを潮、長靴を脱ぎました。シャワーを浴び、妻のこさえた牛丼を頬張りました。梅ジュースの炭酸割りが美味しかったです。 午後は書斎に。写真は徳田秋聲の全集物。左は拙宅蔵書。右は図書館のそれ。同じ筑摩書房です。集録の主要作品は被るものの、小品の幾つかは異なります。その何れも青空文庫で読むことが出来ます。目に優しいのは紙なので、取り敢えず、昨日、図書館で借りてきました。 夕刻、陽の傾いて今度はランの格好に。何時もの堰堤までを往復。インターバルを3本。このところ、スマホラジコは止めにしています。カメラも持たず。その方が走りやすい。湿度が高く、汗びっしょり。シャワーの後、レモンハイを楽しみました。おっ、遂に出て来たか。拙宅菜園の茄子は施肥を失敗したのか、葉ばかりが茂り、実が少ない。やっと本格化です。これまで、漬物や味噌汁なんぞに入っていましたが、焼き茄子は今日が初めて。 流した酒はこれ。今日もカップ酒です。石川・輪島、白藤酒造店の純米吟醸。昨日飲んだ「十代目」もですが、美味い。今日の一句此処佐伯輪島の酒や日本海今日のラン10km今日の酒レモンハイ2杯 冷酒1合 ウイちゃん2ショット今日の写真はトラです。夕刻になっても妻がサポステから戻らぬことを好都合、エプロンの上に鎮座の図。ネコカリを変え、食が進み始めました。満腹になって寝ぼけ眼です。Saturday,July 6,2019 午前5時起床。晴れ時々曇り。 その前、午前2時過ぎ、障子がオレンジ色に染まりました。おっ、早くも日の出か。寝ぼけ眼にはそう見えましたが、違いました。コンサルタント会社勤務のAさんが、隣部屋、ソファーの間に蒲団を持って移動したのでした。私と炭組合組合長D兄の鼾がせいでした。オレンジの灯りは隣の部屋の照明でした。それがです、5分もしないうちに今度はAさんの雷鼾が障子越し。それを子守歌にうつらうつら。外の白み始めて、床を離れました。一風呂浴びるとするか。湯船はガラガラでした。泉質はアルカリかな、肌がツルツルしました。塩っぱい。目に沁みました。ガラス越しに能登島が見えました。露店に出てみました。思えば遠くへ来たもんだ、一人、湯船に浸かって風に吹かれて、そんなフレーズが口をついて出て来ました。写真は部屋に戻ってシャッターを切ったその風景です。 部屋に戻ると、皆、飲み疲れたような顔をして蒲団にまったり、でした。この旅館、冷蔵庫の中のものは飲み放題。早速ビールを抜栓。ポン、トクトクトク。グイーッ。プファーッ、もちぇん。猫に鰹節、杣夫に朝ビー。風呂上がりの一杯は堪りません。 朝ご飯です。ここでも生ビールを貰いました。ビールは水と同じ、食事の折りはお茶代わりです。 部屋に戻り朝刊を開きました。北國新聞を開きました。旅行先の地方紙にはテロワール、地域の色があります。特集記事やコラムもよいですが、紙面広告にもローカル色が出ていて、何かしら感じるところあり、です。 着替えて出立。1階フロアで朝市をやっていました。満腹でしたが、ホタルイカの一夜干しや漬物の類を試食。またぞろビールが欲しくなりました。売店で土産を物色する仲間を待つ間にチェックアウトの手続き。とその時でした。琴の音が。振り返ると、着物姿の女性が奏でる生演奏。 も少し聴いていたかったのですが、先を急ぎます。玄関の前で仲居さんと記念撮影の図。この後、手を振って見送ってくれました。 大型の観光バスを見送る仲居さんたちの図。この光景、いい感じです。 さて、私たちの道中は行き当たりばったり風任せ。今日は輪島の朝市を覗く予定でした。しかし、所要時間が往復4時間近くかかることを聞き、移動に時間を割くのは願い下げ。割愛と決まりました。金沢へとって返すことに。写真はその道中「のと里山海道」です。右手、松林の向こうは日本海。冬場の季節風、雪混じりの北西はことのほかなのでしょう、全部の枝が風下のほうに靡いていました。 金沢に到着。このまちに来たら先ずは兼六園。日本三名園の内の一つです。其所を見るため、観光物産館前の駐車場に突っ込みました。ついでにトイレ休憩を兼ね、売店を冷やかしました。おっ、冷酒の試飲があるぞ。クイッ!やってみました。おお、甘露甘露。帰りに買いますね、そう言い置いて後にしました。 入場料310円を支払いました。受け取ったパンフと入場券の裏を読みました。文化財指定庭園とか特別名勝の文字は躍るものの、三名園に数えられるとは何れの紙にも書いていない。水戸や岡山とは違う、というプライドがあるのでしょうか(私の勝手な想像です、他意はありません)。写真は兼六園と言えばこれ、徽軫灯籠(ことじとうろう)の前でポーズの皆の衆です。早くも顔に旅の疲れの出ている者がいる。 足を踏み入れ、京や奈良の寺が持つ庭と、何故かしら、異なる印象を覚えました。前者にあるものがここにはないのです。宗教的な空間の拡がりとでも言いましょうか。パンフを改めて読むと「中国宋の時代の詩人・李格非の書いた『落陽名園記』の文中から採って、宏大・幽邃、人力・蒼古、水仙・眺望の六勝を兼備するという意味で兼六園と命名された」とあります。六勝の勝は名勝の勝です。眺めて心地よさを覚えるだけの庭園。翻って古刹のそれは輪廻転生、万物流転を込めています。ここらあたりに異なる感じを覚える理由があると思うのです。苔ばかりが目立つ印象でした。 感動を覚えずスタスタ。おっ、大きい杉だな。先般、親方と一緒に切ったそれと同じくらいの大きさだ。このくらいなら倒すことが出来るな。名園の樹木に抱きついて切り倒すことを考えるのは甚だ失礼ですが、大木を見るとついそう思ってしまう杣夫です。 灯籠のある霞が池をくるり、一回りしただけでここを後にしました。道路を隔て出口の向かい側に金沢城が見えました。 彼処を覗いてみよう。中は広場一面、緑の芝生でした。五十間長屋はもういいや、微酔いと暑さとが入場料を払う気持ちを萎えさせました。黒門口を経て近江町市場へ向かうことに。写真は金沢城公園の入り口、石川門です。リニューアルの匂いがしました。材は総欅。これだけの材料を集めるのにいくらかかったか、つい想像してしまう杣夫です。 やって来ました。ここは旅行前からの楽しみでした。私、市場と名のつくところに引かれるのです。 こんな店がアーケードの下に連なっていました。 おっ、ベニズワイを売っているぞ。一皿2杯で2,000円か。安いのか高いのか判りません。 総じて魚は豊後水道のものと変わらないようです。鰺が安い。違うのは蟹くらいかな。売ってある野菜の類は少し違うような感じでした。例えば茄子が極端に小さかったり、赤皮南瓜とかつる豆であったり。こういうのも売ってありました。 おっ、立ち飲みだ。メインの当てはおでんです。そうか、そういえば金沢はおでんのまちでもあったな。いい匂いが漂っていました。突っ込んで一杯引っかけたかったです。 通りの反対側に酒屋がありました。おっ、石川県のカップ酒がところ狭し、でした。これはもう買わないわけにはいきません。人気上位3種類という表示があり、それを1つずつ購入。私への土産です。 昼になりました。市場内の食堂で蕎麦を。勿論、ビールで乾杯。いい気色になりました。あっ、ハンドルキーパーは確保してあります。飲酒運転は決してしませんよ。さてもの近江町市場、観光客でごった返していましたが、なんとなく庶民的です。京の錦市場とは比ぶべくもありませんが、私は近江町市場の方が好きです。 そこを後にして、Aさんが成巽閣(せいそんかく)を見たいというので、そちらに廻りました。兼六園に隣接です。建物は、江戸末期に造営、前田家奥方の御殿です。重文とのこと。中は写真禁止。数寄屋風建築という触れ込みです。和風建築に疎い杣夫です。惹かれませんでした。700円は高い。加えて農民の血税を奥方御殿に注ぎ込むの図、当方天邪鬼ですからついナンセンス、そういう思いが首を擡げました。 同行仲間に、杣夫も行きたいところがある、そう言いました。どうぞどうぞ。二つ返事でした。訪ねたところはここ。 鈴木大拙館です。鈴木大拙(1870~1966)は日本の宗教学者です。「日本的霊性」(1944)は名著と思います。何故そう思うのか、それは2回読んでなおよく解らないからです。難解だと、名著であるように思える門前の小僧です。西田幾多郎「善の研究」もしかり。ということで、大拙先生の思いを少しでも解ろう、まして折角金沢まで来たんだ、訪ねることにしたのでした。 この空間を「水鏡の庭」と言うのだそうです。先生曰く「実力というは、自分のものでないのを自分のとしたり、僥倖を頼んだりせぬことである。ある意味の個人主義である。この実力を養うは自主自由の精神を徹底的に発揮するに限る。少しでも他を頼らんとの念が浮かむと、その時それだけ実力を滅殺する。『他』というは、人間でもよし、規則とか規律とかいうものでもよし、財産とか地位とか爵とかいうものでもよい、何でもそんなものに頼りて目的を達せんとする気分が動けば、その時吾等は自由でなくまた自主の精神を没却し去るのである。それゆえ実力を養わんとするには、何事につけ独立自尊主義を実践するように心懸けなくてはならぬ」 ふーん、そうなのか、独立自尊主義を心懸けるため、この水鏡に映してみるのか。 こちらは思索空間。先生曰く「大地をそれが与えてくれる恵みの果実の上でのみ知っている人々は、まだ大地に親しまぬ人々である。大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである」 大地の苦しみを嘗めるとはどういうことを指すのか。この空間で考えると、それが解るような気がしてくるから不思議です。 入館して直ぐ、展示空間がありました。大拙先生の交誼が世界に亘るものであることをスライドで紹介していました。写真はその中の一枚、パンフの裏に印刷の姿です。孤高です。次の写真はここで求めた葉書のうちの2枚です。何れも大拙先生の筆。 同行の皆も神妙の顔つきになりました。悪かったな。さて、次は「ひがし茶屋街」。レンタカーで移動です。出格子の家並みがいい感じでした。大拙館は入館者が少なく、すれ違ったのは西洋人と思しき観光客ばかりでした。ここは中国語やハングルを話す人でごった返していました。 金沢は金箔のまちでもあります。その類いの細工物を売る店が其処此処に。金箔カステラや、挙げ句の果てと言いましょうか、こんなものまで。 くるり一周。仲間はここでも土産を買ったようです。もう一カ所、いきたいところがあるんだ、御願いしました。ここです。徳田秋聲記念館。作品は読んだことがありません。しかし、折角近くまで来たのです、茶屋街の一角にそれはあります。覗きました。館内は撮影禁止でした。秋声の生い立ち年譜や、身の回りと愛用の品を展示。菊池寛賞のオメガ懐中時計や四高の成績表なんぞも。館は「四高と秋聲」と題した特別展も開催中。これがよかった。置いてあったパンフ「秋聲作品への賛辞」がいい感じでした。漱石が「秋聲の小説、今日からで申候。文章しまって、新らしい肴の如く候」、犀星が「実に五十年の永い作家生活の間、ときに神技を帯び又描写の極北を示された」、「川端康成が「日本の小説は源氏に始まって西鶴に飛び、西鶴から秋聲に飛ぶ」等の言葉が載っていました。よし、徳田秋聲、旅行が終わったら読むぞ。 陽が傾きました。一同、歩き疲れました。金沢駅近くのホテルに突っ込みました。今日は各人一人部屋にしました。1時間、各自、シャワーを浴びたり部屋でくつろいだり。私は抜け出して駅を探検。新幹線の開通を機、リニューアルされたと知りました。 中は土産を売るショップが多数。そこに日本酒の試飲自動販売機のあることを聞いていました。話の種に、です。しかし、場所が判りません。総合案内の女性に訊ねました。それを目当ての人が多いのでしょう。にっこり微笑んで即答してくれました。 その自販機がこれ。左側の4種類は100円。右側は300円。カップを中心にある小口の中に置き、好みのボタンを押すとちょろちょろ、出て来ました。2種類を試しました。左下の「原酒」がいい感じでした。お店の人にこのマシン、人気ありますか、訊きました。引きも切らぬと返されました。私が1杯目をやっている途中、その通り、妙齢の女性がやって来て、コインを投入。チビリやり始めました。如何です?声を掛けましたが無視されました。 おっ、もうこんな時刻か。慌ててホテルのロビーへ。一同うち揃って繰り出しました。100円バスに乗って香林坊へ。突っ込んだ店はここ。F氏がネットで物色、下調べしてくれました。 まずビールで乾杯。メニューを見ました。おっ、日本酒が充実だ。どれから飲もうかな。えい、面倒臭い。端から持ってきてちょ。 違う種類が並びました。ササッと味見。それを終え、マワシの緩い酒を皆の杯に。出色は「これは不味いから杣夫が飲む」といいました。作戦です。それでいいんです。皆は味のわからぬ輩です。普段、焼酎ばかりを飲んでいますから。 あれこれを頼みました。肴中心でした。写真は、1枚だけ載せ、後は割愛。刺盛です。私の口は豊後水道のそれを覚えています。これはまあこんなものか、という感じでした。それにしてもです、金沢は通りを歩いて、どの店先のメニューにも「のどぐろ、のどぐろ」と異口同音、宣伝していました。私は北海道のキンキが上と思いますが。好みなのでしょうね。 刺身に倦いてこれを頼みました。絶品でした。酒が進みました。店を出てホテルへ直帰。朝から飲んでいたので疲れました。立ち飲みの梯子をとも考えたのですが、身体が動きませんでした。バタンキュー。今日の一句昼酒で香林坊に辿り着き僅かの日兼六園に苔の生す兼六を百万石が威張り居り大拙を写す水面や永久に秋聲の時計は止まり蝉の鳴く今日の酒瓶ビール中瓶2 生中3 冷酒3合 別に試飲を何杯か今日の写真は北鉄バスのマークです。香林坊バス停。
2019年07月09日
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Monday,July 8,2019 午前4時起床。曇り時々晴れ。一時ザーッときました。 午前中は書斎。旅行ボケなのか、ぼんやりした時間を過ごしてしまいました。写真は昼に食べたピザトーストと野菜ジュース。飲み疲れた腑にいい感じです。 午後、少し調べ物のあって図書館へ。目的の半分を果たしただけでした。次の写真は大分合同新聞に掲載の記事です。先月、東京からお客様があり、市の歴史資料館に佐伯藩と矢野龍渓関連の貴重な資料を寄贈頂きましたが、そのことを紹介するものです。この確認に図書館へ出向いたのでした。 午後、一雨ありましたが、直ぐに上がりました。とって返し、着替えてラン。途中に広がる水田は、稲穂が首を垂れ始めていました。折り返してインターバルを混ぜると汗が噴き出ました。3日間、酒漬けでした。溜まった澱を絞り出し、サッパリしました。写真はシャワーの後、引っかけたカップ酒。石川・加賀の橋本酒造「十代目」純米大吟醸です。うん、これも立派な甘露だ。 「あなた、三田文学が届いてよ」 妻の声で、我に返りました。季刊誌「三田文学」夏号です。別に会報と関連イベントの案内が同封されてありました。慶応大三田キャンパスで開かれる川又千秋氏の講演です。訪ねるか否かは別として、これを口実、上京し、京成線筋の立ち飲み酒場を練り歩いてみようか。早くも虫が疼き始めました。今日の一句首垂る稲の青さよ何時熟れる今日のラン6km今日の酒レモンハイ1 冷酒2合今日の写真は松浦越に望む入道雲擬きです。梅雨明けが近いのかな。Friday,July 5,2019(旅行1日目) 午前4時起床。曇り時々晴れ。 今日から3日間、韓国旅行仲間と越前に珍道中となります。着た切り雀の杣夫です。リュックに少しの下着と文庫本を詰めました。午前6時半過ぎ、佐伯駅に待ち合わせ。7時前の特急に乗りました。小倉向け。写真は日豊線のメイン列車ソニックの車両です。 nkucchanのよう、グリーン車貸し切りの真似は出来ませんが、こちらもこのとおり1両丸ごとでした。嘘です。この便、佐伯駅始発のためが理由でした。 列車の動き始めて、あっ、しまった。忘れ物をしました。飲み物を失念。在来線は車内販売が中止になっていたのでした。乗換の小倉駅まで我慢するしかありません。午前9時半、小倉駅着。禁断症状が出ました。駅の売店でビッ、ビッ、ビールください。あっ、のぞみが入線。急いで下さい、早く早く。 ホームでプシュッとやること能わず。取るものも取り敢えず、席に座ってプルトップを引きました。プシュッ。クワワァ~、もちぇん。出張とは別物、誰にも邪魔されないお気楽旅行の友は酒に限ります。朝から飲みモードでした。午前10時、やっと願いが叶いました。 何が流石か判りませんが、流石新幹線。綺麗なお姉さんが飲み物とつまみをたっぷり載せた台車を押し押し、やって来ます。ビール下さい。プシュプシュ。 正午過ぎ、新大阪着。乗換の時間に余裕がありませんでした。一便繰り下げ、車内で食べる弁当を改札前の売店に求めました。 同行の仲間はわけのわからない幕の内を買ったようですが、私はこれにしました。どうですか、この断面。 これを流すには、当然日本酒です。大関をいってみることにしました。 鯖の棒寿司は酒のつまみに持って来い。腹がくち、日本酒がボディーブロー、効いてきました。いい気色になってこっくりこっくり。北陸トンネルの長さに気づきませんでした。あっという間に福井到着。写真は乗ったサンダーバード号です。日豊線を走るソニックの座席横にはコンセントがありますが、これにはない。車体も古く感じました。 予約していたレンタカー会社に飛び込みました。三菱のワゴン8人乗りを借りました。店員の女性は伸ばした爪に綺麗なネールアート。それを褒めたら「これに命賭けてますから」と言われました。余談です。昔、E・H・エリックというプロレスラーがいて、鉄の爪といわれていました。得意技がアイアンクロー。彼女の爪でアイアンクローをやられたら、バタンキューだろうな。 今日の宿は和倉温泉を予約していました。その前に永平寺を見ようということに。駅から東に向け30分近く走りました。町並みが切れ一本道に。辺りは典型的な中山間地でした。谷筋にそれほど広くない水田が張り付き、もうすぐ穂の出る頃合い、のんびりした風情でした。その道の突き当たりに曹洞宗大本山、あの道元が開祖の永平寺がありました。門の前、参道の両側には土産物を売る店。駐車料金は500円ですが、1,500円以上買い物をしてくれたら車の止め賃は不要です、とのこと。なかなかの商売上手です。それじゃー帰りに、とやり過ごし、今日のメンバー全員で記念写真。一番左が建設会社の役員を退職、測量設計コンサルタントに再就職のAさん、私を挟んでポンポン船の船長K氏。時折、盛ん釣りに連れて行ってくれる漁師です。その横は炭組合の組合長D兄、田18枚に米を作る農家でもあります。最右は某社秘書のF氏。苦労が多いのでしょう、天井が毟られ始めました。 寺内を一通り巡りました。全体の規模は京都の大伽藍、例えば大徳寺と比べると随分コンパクトです。山の斜面にこざっぱり、の感じです。周囲を取り巻く塀のようなものはなく、開放感がありました。写真撮影を禁止する野暮の張り紙はなく、修行僧が平気で歩いていてすれ違いざま感じのいい挨拶をしてくれる、観光客が足を踏み入れても全く気にしない、そんなところが、どこぞの神社仏閣と違うところでした。院、殿、堂のそれぞれは明治から昭和に掛け建造された物でした。古いものもでも江戸時代とのこと。古色蒼然感は感じませんでした。写真はすれ違った雲水の後ろ姿です。黙礼が日常の感じ、これがよろしい。 くるり一周し、駐車場に戻りました。一行5人の内二人が店で漬物と菅笠を買いました。駐車場の500円は約束通り戻ってきました。 陽が傾きました。午後7時半が今夜の宿、夕食スタート時刻のタイムリミットでした。一路和倉温泉向け。途中「のと里山海道」を走るべきところ、間違えて北陸自動車道に乗ってしまいました。氷見廻りで北上。ところがです、材木を積んだ大型トレーラーに引っ張られ、自足80kmのところを40kmでのろのろ運転。1時間が無駄になりました。何とかギリギリ夕食に間に合いました。チェックインのあと烏の行水。湯船に浸かったら真っ赤な夕陽が丁度能登半島に沈むところでした。風呂場にカメラを持ち込むわけにもゆかず、写真はありません。代わりの写真は、やれやれ、着いた着いた、旅館にしけ込む一行の後ろ姿です。 加賀屋はテレビ番組に紹介されるほどの有名処。ロビーの奥が吹き抜けになっていました。写真がそれです。中央、丸いメリーゴーランドのようなところはバー。洋酒が並んでいました。 夕食は会席。部屋担当の仲居さんにレストランを案内され、彼女が賄いもしてくれました。料理メニューの能書きがありました。一通りのコース料理でした。写真は割愛。合わせた酒は「宗玄」。仲居のSさん(19歳、関東C県出身、着物姿が初々しい、炭組合の組合長がちょっかい出すも上手くあしらう)に地酒でお薦めは?と所望。これを勧めてくれました。普通酒と思えぬまわしの締まり感。いい感じでした。半島の先端、珠洲市の蔵元だそうです。 午後10時、一同揃ってバタンキュー。早い朝旅立ちが応えました。今日の一句永平寺聞きしに勝る鄙の山雲水の優しい顔に苔の生す門前の繁盛知らぬ道元か枝打ちの職人こその修行僧天邪鬼加賀屋加賀屋に目を瞑り伝燈の開きし門前こうこ売り今日の酒缶ビール3本 ワンカップ1 生ビール1 冷酒2合 今日の写真は加賀屋から頂いたお祝いの品です。中に旅館の名の入った九谷焼が入っていました。おざなりの品物ではない。蒔絵風、いい感じでした。今回の旅行、私たちは九州から、という世間話の中、私の退職記念ということを会話の中で仲居のSさんに話したところ、それが上に伝わり、態々私たちのテーブルまでやって来て、これを手渡されたのでした。彼曰く「私、当旅館の支配人○○でございます。本日はT(私のこと)様の新たな門出を祝う旅行と伺いました。ささやかではありますが、当館からのお祝いの品でございます。大分からと伺いました。このマグカップをお使いになり、折に触れ、南の地で当館を思い出して頂くと嬉しゅうございます。おめでとうございました」
2019年07月08日
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Friday, April 12, 2019 午前3時起床。晴れのち曇り。 雑誌「三田文学」を読んでいます。今日は2話。おこがましいですが、なんだか奇を衒っているような感じの作品でした。午前はNHKFMを聞いたりネットサーフィンを。午後、ちょっとした荷造りをして、3時過ぎ、家を出ました。日曜日まで佐伯を離れます。関西向けです。この2月、私のまちにキャンプを張った野球チームMIKIHOUSEの公式戦が京都・久御山町のNTT球場であると聞いて勃然、応援に行ってみよう。そう思い立ったのでした。 高速道路を別府向け。途中、別府市内に開店のサイクルショップ「ジャイアントストア別府」に立ち寄りました。台湾の自転車メーカー・ジャイアント社の直営ショップです。冷やかして写真を撮らせてもらいました。そこを後にし、別府港に着いた時、あっ、しまった、カメラにSDカードが入っていない、がびーん。仕方がありません。明日、船を下りてコンビニで購入することにしました。それまでの間はスマホ対応。 午後8時前、別府港発の「フェリー・さんふらわあ」に乗船しました。明朝、午前8時前に大阪南港へ着く予定です。写真は夕刻、出発前の船体です。1万トン近くあるそうで、先日、四国・徳島から和歌山に渡った折の南海フェリーの4倍ほど。なんとはなし、ゆったり感がありました。 おっ、接岸の後ろに青雲丸だ。この船は独立行政法人海技教育機構(以前は運輸省航海訓練所という組織でした)が所有の練習船です。東京海洋大学や神戸大学海事科学部、商船高専などの学生が学びます。帆船日本丸や海王丸もこの法人の所属です。要するに国が所有のホワイトシップ。格好いいなぁ。 さて、「さんふらわあ」は雑魚寝の2等からスイートまで幾つかの等級があります。私は往復で20ラーの「弾丸フェリー」チケットを購入。行きと帰りの便を指定する格安チケットです。通常、片道20ラーです。それがほぼ半値。4ラーほど追加し、ベッド仕様にしてもらいました。ベッドと言っても蚕棚。巾70cm、長さ2mほどです。でも仕切りカーテンがあり、プライバシーは何とか保たれます。弾丸チケットは安いだけに条件があります。中日無しの往復がそれです。つまり、夕刻乗船、翌朝到着、その日の夕刻の便でとんぼ返りしないといけません。乗り遅れると無効です。 船には畳3畳ほどの湯船が二つあります。入り放題。早速、飛び込みました。サッパリしました。後はすることがありません。飲むだけです。乗船前に途中のスーパーに立ち寄り、買い込んだものをベッドに広げました。写真には写っていませんが缶ビール、酎ハイなんぞも。いい気色になって忽ち夢の中。今日の一句別府港明日は大阪蚕棚Saturday, April 13, 2019 午前3時起床。晴れ。大阪南港到着の午前7時半までまだ時間がありました。スマホでニュースチェックの後は青空文庫で吉川英治の短編を読み散らかしました。Wifiありでしたが、ネット環境が悪く、いけませんでした。おっ、白んできたな。明石大橋通過は午前6時頃だったな。そろそろだな。甲板に出てみました。おおっ、日の出です。 と、その時、フェリーが舵を切りました。グッと傾きました。重心トリム計算の説明時にと一緒の感覚を味わいました。それにしても明石海峡のこの時刻、値千金です。 船は25ノットの速力。あっという間に橋の下を潜りました。 振り返ると淡路島に風力発電の大きな風車が立っていました。ああ、先月、沼島の南からこの島を見たんだっけ。そんなことを思いながら橋を見上げました。突然、神戸に妻の友人が頭に浮かびました。彼女の娘さんは三宮からバスに揺られ、毎日この橋を渡り、淡路島の看護大学に通った由。晴れて卒業、資格を得て大きな病院に勤務しています。随分と頑張ったんだな。今はどうしているかな。弟もこの春、京都の超難関大学に合格、夫を亡くし、苦労しました。よかったよかった。 余談をもう一つ。こうして淡路島の一端を眺めて、淡路島は広いな。よし、アワイチをいつかきっと、という気分になりました。150km、島内一周です。毎年、秋に開催のイベントもあります。1人ストイックもいいですが、先日の和歌山大会のよう、エイドステーションのある催しに参加が楽しいだろうな。 随分と明るくなってきました。おっ、クルーズ船だ。神戸港に向かっているのかな。それにしても明石海峡は船が多い。貨物船の他、底曳網や一般釣り船も其処此処に確認。 おっと、もうこんな時刻か。午前6時過ぎ、朝ご飯。船の食堂、朝食は食べ放題で1ラー。品揃えはイマイチですが、コスパ有りでした。写真のないのが残念です。お代わりをして満腹に。午前7時半着岸。急がねば。野球、ミキハウスチームは第1試合です。ニュートラムに飛び乗りました。地下鉄を乗り継いで京阪電鉄に。急げ急げ。久御山町にある淀駅で下車。ホームから京都競馬場が見えました。そういえば京阪の車中、馬新聞に赤鉛筆のお客さんが多かったな。紳士の身なりもいたけれど、どちらかというと崩れているおっさんの割合が高い。写真は京阪電車淀駅です。 京阪バスに乗りました。久御山町役場で下車。そこからは歩いてNTT淀総合運動場へ。ここが会場でした。 ミキハウスは第一試合を辛勝でした。相手の好投手がナイスピッチング。フォークに悩まされたようでした。何とか勝利を収め、今日はもう一試合。次に行われた試合の勝者と午後にプレーボールでした。それまでの間に腹ごしらえをする必要があります。調べて一番近くのラーメン屋へ。開店前15分でした。駐車場に座り込み、吉川英治の続きを。 店が開き、突っ込みました。やっ!自動販売機だ。大分・佐伯に住んでいると、滅多と目にしない機械です。どれにしようかな。フロアの女性に訊きました。蛤ラーメンがよく出るとのこと。その醤油味にしました。900円。1.5ラーです。 よく磨かれた厨房はオープン。カウンターからの眺めが気持ちよかったです。ビールをもらおうか。 ラーメンが出て来ました。このお店、麺は手打ちのようです。蛤の出汁がよく出ていました。麺の量はそれほど多くなく、ビール腹に丁度いい感じでした。 ここ、久御山町は桂川と宇治川の合流地点です。川の名前は淀川に変わり、大阪湾に流れ込みます。直ぐ近くにサントリーの山崎蒸留所があります。付近を新幹線で通る際、見えます。京阪の車両からも眺めることが出来ました。辺りは農地もちらほら。淀駅から離れているので、昼からやっている立飲屋はありません。昼を済ませ、午後の試合までなお少し時間がありました。仕方ありません。リュックの中に昨晩、フェリーの中で飲み損ねた日本酒の小瓶があったっけ。それを引っ張りだしてグビリ。向こうの青は野球場に併設の400mトラックです。流石NTTです。 ん?ネット裏に軽トラを止めてありました。フロントガラスにボールが当たったのでしょう、割れていました。野球場の周囲に車を止めたらこれがあるからいけません。自己責任でしょう。 午後の試合が始まりました。絶好の野球日和。 打つべき人が打ち、投手もよい出来でした。相手のミスもあり大量点。7回コールドでした。ちなみにコールドゲーム、高校生は5回10点差、7回7点差を以て試合終了ですが、社会人野球は7回7点差以上のみを今日知りました。勝利、おめでとうございました。持参した大分・佐伯産の焼酎2本を監督に渡しました。態々佐伯から?!と驚いてくれました。試合後、急いで大阪南港に戻らねば。挨拶もそこそこ、とって返しました。マネージャーが運動公園の入り口まで見送ってくれました。来てよかったです。 来た道を乗り継いで大阪に戻りました。次の写真は乗換電車を待つ私です。北浜駅でパチリ。午後の試合、途中から曇り始め、強い北風が吹いてとても寒かったです。誇りっぽく、目がしょぼしょぼになりました。昼酒も相まって赤目になっています。余談です。退職後、nkucchanを真似て鼻髭を伸ばしてみようか。そう考えて10日程経ちました。まだまだです。 次の写真はニュートラムの先頭車両です。見ての通り、運転手がいません。無人運転システムです。 さんふらわあのチケット販売所に着きました。写真には写っていませんが、リュックを背負った登山姿の人たちが多かったです。一緒の便に乗船、明日、大分・別府で開催のイベント、鶴見岳一気登山大会へ参加するのでしょう。明朝、下船して山登り、夕刻、下山してこの船の折り返しでとんぼ返りするんだろうな。彼らも「弾丸」のチケットを求めているようでした。50~60代とおぼしき女性と退職して自適の男性ばかりでした。 おっと、ぼやぼやしていては後れを取ります。コンビニに突っ込み一式を見繕いました。 乗船後、風呂へ。埃まみれの体を洗い流しました。ベッドに戻りプシュッ。明日は皐月賞です。頭を切り替えて馬の検討。疲れに酔いの回るのが早く、バタンキュー。今日の一句海も海明石の海は都会なりSunday ,April 14, 2019 午前4時起床。曇りのち雨。 それにしても船内のWifi環境が悪かったです。スポーツ紙はあらかた読んでしまったし、売店に朝刊のあるはずもない。本を1冊持ってくればよかった。 午前6時朝食。お代わりをして腹一杯になりました。午前8時前、別府港に着岸。写真はクラブツーリズムという旅行会社が募集の鶴見岳一気登山大会ツアーのみなさんです。殆どがリタイアした方と見受けました。いいなぁ、来年の大会には私も参加しようかな。でも大勢で登ると、立ち止まる時間が増えるな。マラソンやサイクリングの大会は別、登山は個人に限るな。そんなことを思った次第です。 次の写真は下船したフェリー「あいぼりい」です。大きい。 東九州自動車道をとって返しました。午前9時半、自宅着。荷を解く前、竹藪を覗きました。筍の出具合を見るためでした。1本も出ていない。掘ること能わず。今年は裏年なのかな。家に戻り、昨日と今日の新聞をチェック。珈琲を入れぼんやり。ゼロ泊三日。なんだか夢のような旅行でした。昼を食べて、一寝入りしようか。しかし、夕刻からまた雨の予報です。よし、芋畑の畝にマルチシートを張ろう。ぽつり、落ち始めましたが、野良着に着替えました。2畝を終えて、どうも勝手が悪い。マルチの巾が少し足りないのです。ホームセンターまで車を飛ばしました。120cm巾、長さ50mのものを2本調達。とって返し続きを、が以下の写真です。 あと少しで終了という時になって本降りになりました。今日はこのくらいで堪えてやろう。その後、鎌と外使いの庖丁を研ぎました。濡れてからだが冷えました。RCCにチャンネルを合わせ、風呂に飛び込みました。やっ、カープは今日もやられている。畜生め、ナントカナランノカ。ん?金満もやられた?よし、いいぞいいぞ。 風呂上がり「あなた、今日は猪肉よ。これをスライスして頂戴」 半解凍です。 スパスパ切りました。 燗を付けて3日間のブログを書いていたら、これが出て来ました。弾丸ツアーは野菜不足でした。有り難い。 猪はつね三のレシピ通りにこさえたとのこと。うん、これはいい。牡丹肉は焼酎に限ります。お湯割りに切り替えました。バタンキュー。今日の一句地下足袋に春雨の落つ畝作り今日の写真は淀のNTTグランドトイレに張ってあった人生訓です。思わず見入ってしまいました。
2019年04月14日
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平成31年3月22日(金) 午前、デスク廻りの整理。溜まった名刺の扱いに困っています。特別の関係が残りそうな方を除き、仕事上の知遇は記憶の中だけに留めることにしました。昼はカロメイ。午後は会議。年が明け、急仕立てで取り組んだ某計画策定は今日が最終日。区切りをつけないといけません。座長としてちょっと強引でしたが、そうしました。5回に亘り、集まって頂いた社外の皆さん、年度末のお忙しいところ、ありがとうございました。 夕刻、急いで帰宅。荷造りをしました。今夜、和歌山に向けて出発します。そこで第1回全国シクロサミットという大会が開かれます。それに参加します。併せ、わかやまサイクリングフェスタという催しがあります。自転車を持参、紀州路を走ってもみるつもりです。弊社も遅ればせながら、自転車を活用したまちづくりに取り組み始めました。このジャンルはすでにレッドオーシャン、加熱気味となっています。その流れに乗り遅れないよう、敵情視察を試みることにしたのです。 ということで、キャノンデールの前輪を外し、車に積み込みました。軽トラの荷台では雨が降った際、諸々が濡れてしまう。妻のNBOXを借用。後部座席を倒し、七つ道具に加え、スーツなんぞも。風呂を浴び、午後8時に自宅を出発。臼杵港へ向かいました。写真は臼杵・八幡浜航路のフェリー待合室です。 ここで乗船。豊後水道を横断、愛媛に向かいます。次の写真は乗船するフェリー「おれんじ四国」。 船腹の中はこうです。仕様によると乗用車37台、トラック37台、だそうです。全長119m、2918トン。ちなみに旅客定員は485名。私、弊社が離島航路を運航していることで、以前、大分県旅客船協会の監事を仰せつかっていたことがあり、関心があるのです。余談でした。平成31年3月23日(土) 船中で日付が変わりました。航海時間は2時間半。仮眠をとりました。午前零時過ぎ、八幡浜に到着。 夜昼トンネルを抜け、大洲北インターで松山自動車道に乗りました。一路徳島市向け。川之江JCTで徳島自動車道へ。深夜から未明にかけての高速道路は退屈。カーオーディオでバッハを聴きながら。眠かったです。 夜の白んで吉野川河口のまち、徳島県の県都・徳島市に到着。写真は南海フェリーの徳島港乗り場です。余談ですが、南海フェリーはその名の通り南海電鉄グループに属しています。プロ野球チーム南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)も以前はこのグループの一員でした。 船は午前8時の便でした。おっ、これから乗る船がやって来たぞ。 通常、フェリーの乗下船口は前と後ろにあります。後ろから乗った車は前口から降ります。その通り、船首がパカッ。 乗り込みました。おっ、今日は満員のようだ。 この船「フェリーつるぎ」の仕様は トラック換算で39台、全長108m、2604トン、旅客定員472名。昨夜のオレンジフェリーはガラガラだったのに、この航路は満船状態。 眠く、座席でウトウトなりました。目の覚めて、たまたま見た窓外に、やっ!クルーズ船だ。何が流石かわかりませんが、流石紀伊水道。海上交通のメッカです。行き交う大小の船影数が多い。 2時間あまりで和歌山港に入港。疲れました。下船後、花王の工場や中央卸売市場を横目に南向け。目指すは和歌山マリーナシティ。20分あまりで到着。写真は斜張橋からの眺めです。シクロサミットもサイクリングフェスタもここが会場です。 朝ご飯を食べていません。腹ごしらえをしようか。マリーナシティの中に黒潮市場というマグロのテーマパークがありました。 中は数多の水産物を販売。次の写真は中の様子。閑散としているようですが、実際はアジア系のツアー客でごった返していました。 その名の通り、マグロの解体ショーをやっていました。 忽ちブロックに。 私、好んでマグロを、ではありません。でもこうも見せ付けられては。 折角だからいってみよう。 ついでに鉄火巻きも。 満腹になりました。さてと、そろそろ着替えようか。ネクタイを巻いていて、ん?無精髭が伸びている。そうだった。朝、顔を洗っていません。車のガラスを鏡、シェーバーを当てました。車中に愛車キャノンデールが見えます。 これでよし。 サッパリして会場へ。そこは全国から集まった同業他社の社員ばかり。開会式には来賓挨拶が付きもの。ん? ゲッ! なんと、自民党幹事長の二階俊博氏だ。そうなんです、彼は自転車活用推進議員連盟の会長でした。 その後、台湾の自転車メーカー・ジャイアント社の最高顧問、羅祥安氏の基調講演「サイクリングの世界」、エッセイスト・一青妙氏、シマノの企画部阿部竜士課長、花王和歌山工場の健康相談室・掘祐子氏、のそれぞれから台湾をぐるっと一周する環島サイクリング、自転車通勤と企業における健康づくり、等の関連公演、最後にパネルディスカッション。「太平洋岸自転車道とつながる広域サイクルルートの連携」と題し、自治体のトップがそれぞれのサイクルによるまちおこしを自慢しました。午後5時過ぎ、終了。写真は会場ロビーに置かれてあった全国各地のサイクリングコース宣伝パンフです。うーむ、同業他社の取組がこうも進んでいようとは。井の中の蛙、大海を知らず。 今日はも一つ大切な役目を担っていました。本日の某ゲストに挨拶、弊社のサイクルによるまちおこしの取組を説明する仕事でした。前後します。正午過ぎから会の始まる午後1時まで、来賓室の前でずっと立ちんぼ。入退室の機会を狙いました。機会はなかなか訪れず。国会議員や地元知事、市長の歓談が行われている間、待ち続けました。汗びっしょり。その場面では面会能わず。中休みの午後3時過ぎ、再度挑戦。足早に会場を移動の某氏前に回り込みました。お控えなすってではありませんが、1分、お時間を下さいと頭を下げ、名刺と持参の資料を手渡すことができました。今後、弊社が改めてご挨拶に参る旨を伝えたら、よろしくと笑顔で返してくれました。よかった。肩の荷が下りました。やれやれ。 会が終了。駐車場でラフな格好に着替え戻しました。あー、やれやれ。これで一安心。ホテルのチェックインは日没後になりました。このまま、ベッドに倒れ込みたいような気分でした。しかし、和歌山は初めてです。夜の偵察をする必要があります。眠気を振り払いました。和歌山駅西口を探検。おっ、「酒一」という立ち飲みがありました。早速突っ込みました。やってるやってる!作業服姿のおっさんが赤い顔をしていました。 カウンターの左側も満員御礼。喉が渇いていましたがビールをパス、最初から日本酒でいってみることに。「お姉さん(カウンターの中、賄いは70近くと思しき女性)、間に合わないから2杯、いっぺんに注いで頂戴。」 出て来ました。何れも地酒の定番だそうです。 当ては煮込み。店の力量を知る物差しです。うん、いい感じ。 冷えてきました。おでんを貰いました。 黒牛がいい感じ。酒の色が深い。 口で迎えにいきました。この後、燗を何杯か。 降り出しました。ホテルに戻ろう。雨の中を走りました。いや、まてよ、もう1杯だけ飲んでいこうか。店の名前を失念しました。ホテル近くの焼き鳥屋へ避難。そこでも燗を付けて貰いました。まにあわん、大きな猪口を頂戴。 うーん、いい気色になりました。今日の酒は早じまいとしよう。明日は早起きしてサイクリングです。おやすみなさい。今日の一句月映える豊予の海や墓参り三郎の流れは未だ冬の谷吉野川剣の冬を飲み込みて紀伊道の向こう舗堕落迷い込み今日の写真は22日早朝、出勤途中の角道辺り、山桜です。福岡に住むSさんが、この風景を褒めてくれたことを思い出しました。
2019年03月27日
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平成30年11月17日(土) 午前5時起床。晴れ。 このところ、あれこれあって一月ばかり土日が潰れていました。やっと休みが来たような感じでした。トラを膝に載せ、ぼんやりの朝でした。 と、その時、勝手口をコンコン。父でした。芋を掘れ。指令が出ました。昨日、近所のみなさんに加勢してもらい、これだけ掘ったようでした。 出来のよくない畝が残っていて、それを掘らされる羽目に。父が待っていました。 掘った先から拾う父です。この後、それを袋に詰めて、YのK兄(歳の離れた私の従兄)宅に軽トラで運べとの指示。K兄は箱罠で猪猟をします。おびき寄せる餌にサツマイモが一等なんです。猪肉を貰うとの父の魂胆です。言うとおり、そうしました。 次の写真はK兄宅の隣、Tさんの庭に咲いた山茶花です。ここの奥さんも私の従姉。親戚中で一番の和風美人です。70近くの今も綺麗です。K兄へは芋、Tさん宅へは小さな蹲を届けました。 次は妻の指令を片付けよう。先ずは包丁です。といっても今日は外使いのステンレス。新婚の頃使っていたものです。今は野菜畑に収穫のものを外の流しで切るときに使用。切れ上がっていました。砥石はこれ。手っ取り早く刃を整えるのに重宝します。錆びた鉈なんぞ、これがあれば一発。このあと、天草で仕上げました。 初夏になると支援学校やサポステのみなさんが茶摘みにやって来ます。兄夫婦の住んでいる建物の横にその茶畑がありますが、彼らは管理しません。野良仕事は全くしないんです。放っておけばいいのですが、妻がそこを支援学校等に開放します。従い、茶摘みの出来るよう、きちんと整える必要があります。而してそれも私の出番。写真は着工前。伸び放題、葛巻き付き放題。 エンジンバリカンで1時間。サッパリしました。 昼を過ぎました。妻がラーメンをこさえてくれました。一人の時は何時もインスタントです。やっぱり生麺のほうがいい。「あなた、今夜は牡丹肉を煮るわ。解凍してあるから切って頂戴」塊を半解凍にしてありました。 ざくざく切りました。今夜はワインだな。「あなた、それが終わったら里芋を試し掘りして頂戴」そうしました。鎌で茎をサクサク。 出来は芳しくありません。もう少し放っておくことにしました。 日が傾きました。なんだか疲れたな。走るのをやめ、文庫本を片手、風呂に入りました。あっ、もうこんな時刻だ。飛び出てプシュッ。テレビを点けました。よっしゃーっ!嘉風が栃ノ心をやっつけました。いいぞいいぞ。これで白星先行。大分トリニータもJ2で2位、昇格を決めました。気分がよいです。ワインを抜栓。当ては勿論これ。猪の煮物。 折角だからと妻がちりめんピザを焼きました。これも美味。忽ち酔ってバタンキュー。今日の類語「インスタント」 その場で、即刻、即時、即座、即席、即製、即日、即、同時、リアルタイム、言下、直後、直ちに、早速、直ぐ、直ぐ様、咄嗟に、俄かに、折り返し、右から左 私の生活は須く右から左です。今日の一首掘る芋を高崎猿に与えんと親子二人の笑う声あり今日のランなし今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 ワインボトル半分今日の写真は妻の植えた花です。名を知りません。一輪、里芋の脇に咲いていました。もう一枚は柿の木に巻き付いた葛です。いい色でした。おまけです。父の芋畑横の山茶花と柿。青空がいい感じです。おまけのおまけは半袖Yシャツ。この後、妻がアイロンを掛けてくれます。しかし、来年、クールビズが始まったとき、私はもうリーマンではありません。これに袖を通しません。そう思うと、なんだか寂しいな。以下は旅行最終日、これで最後です。平成30年11月10日(土) 午前6時起床。晴れ。 今回の取材旅行(といっても何の為の取材か自分でも判りませんが)は今日で終わり。午後の飛行機で宮崎空港へ戻ります。荷物の整理をして目的地へ。カプセルホテルをチェックアウト。少し寂しい気分でした。とぼとぼ難波駅へ。おっ、磯丸水産だ。24時間営業。今日は土曜日。朝っぱちから引っかけている人がいる。 やっ、金龍ラーメンだ。流石大阪、看板の龍が仰々しい。とぼけた顔をしていました。朝からラーメンを食べる若者、食生活はどうなっているんだ。 かく言う私も小腹が空きました。近くの吉野家に突っ込みました。鯖焼き定食を注文。卵かけご飯にしました。 近鉄奈良線で八戸ノ里駅に向かいました。この駅、「やえのさと」と読みます。周辺は住宅地でした。駅前にジャスコがありました。ちょっと魚売り場を覗いてみようか。ん?コメダ珈琲があるぞ。もう魚は鮮魚はいいや。さっき朝ご飯を食べたばかりですが、珈琲を飲んでいません。折角だから小倉餡のモーニングをやってみることにしました。 ここの日経はばらけぬようクリップで留めてありました。コラム「私の履歴書」を読むのは日課です。今月は興福寺貫首の多川俊映氏です。毎日、興味を惹く懐述が続きます。今日のそれは龍谷大学仏典翻訳室の様子。狭くて穴蔵のような教官室のことを書いてありました。話の筋は別として、昨日までの京都散策をして、そのまちに遊学、喧噪から離れた静かなキャンパス、図書館で古典を読みふける学生生活への憧れがまたぞろ首を擡げました。写真は藤本龍暁氏のことを書いたそのコラムです。 午前10時前、開館時刻に行き着くよう店を出ました。向かった先はここ。 ここは東大阪市です。建物は駅から歩いて10分足らず。大通りから折れ、生活感のある路地を進む先にありました。敷地内は緑が多く、外から書斎を見ると、雑木林の中に建っている錯覚を覚えるような感じでしょう。 その部屋に入ることは出来ませんでした。外から覗いただけでした。ガラスを透けて見える書棚には辞典辞書の類いがびっしり。この部屋で原稿を認めていたそうです。亡くなったときは「街道をゆく~濃尾三州記」を執筆中。その際、用意した資料は690冊だったとのこと。 書斎の隣に記念館がありました。ガラスとコンクリート、安藤忠雄氏の設計によるとのこと。 地上1階、地下1階の2階建て構造になっていて、吹き抜けを利用し、書棚を誂えていました。そこにびっしり書物が並んでいました。一個人の蒐集としての蔵書をこうしてみるのは三度目かな。北九州の松本清張記念館、東洋文庫のモリソン書庫を連想しました。館内は撮影禁止。代わりにパンフの写真を以下に。こんな感じなんです。 もう一枚、メモ帳に記念のスタンプを押しました。書庫のイメージです。インクが黒でなく青というのもよろしい。 地下に降りました。ガラスケースの中に愛用の品々が展示してありました。ふーん、司馬はパーカーのインクを使っていたのか。懐中時計はモーリス、スイス製だな。机廻りの小物がいい感じでした。私も書斎が欲しいな。ケースの中には、まだ福田定一の時代、中学の折に書いた作文を載せた雑誌もありました。彼の通った上宮中学の校友雑誌、その名も「上宮」です。文章の洗練も勿論ですが、彼の前後に掲載、同級生のそれらも司馬に勝るとも劣らない。戦前、旧制中学の生徒が文章力は素晴らしい。本の壁を前、暫し佇みました。この時間がいいんです。 記念館の地下には小ホールもありました。YAMAHAのグランドピアノ、コンパクトサイズを置いてありました。演奏会なんぞもあるのでしょう。こんな施設が私のまちにもあるといいな。戻ります。そこで彼の生涯を短く編集のビデオ上映を見ました。作家を志したのは日本の敗戦が契機とのこと。映像の中で司馬作品の至高は「空海の風景」だそうです。最澄や三筆の残り2名も登場します。力作です。司馬ファンは必読。 大作家の空気を胸一杯吸い込みました。嗚呼、これでもう十分だ。建物を出て、ん?ジェット機の音。我に戻りました。それにしてもの轟音でした。関空が近いからかな。司馬がこの地に住み始めたのは東京オリンピックの年1964年です。彼の没年は1996年。関西国際空港の開港は1994年。晩年、彼はこの音に苛まれなかったのか、気になりました。写真はここのすぐ上を通過するジェット機です。 八戸ノ里駅に戻る途中、魚の行商に行き遇わせました。夫婦して、軽トラに保冷のケースを積んでの商いです。 中を覗きました。品揃え、なかなかの充実です。これを見て、この辺りが高級住宅街、優雅な食生活を送るリッチな世帯が多いと想像。 難波に戻りました。南海電車が迎えに来ていました。 南海本線で南へ南へと。写真は関西国際空港連絡橋です。台風来襲時、タンカーのぶつかった辺り。 乗る飛行機は今日もピーチエアを自撮り。遊び疲れた顔をしていました。 次の写真はその連絡橋。ああ、楽しい時間はあっという間です。 連絡橋は連絡橋でもこちらは本四の間、大鳴門橋です。余談です。今でこそ大分・佐賀関に水揚げの関鰺・関鯖ですが、私が築地にいた頃は、なんと言っても鳴門の鰺でした。南淡町に松栄丸という産地仲買がありました。そこの鰺が河岸を席捲。言い値で売れました。懐かしいなぁ。 戻ります。四国三郎吉野川に沿って西に飛行。四国山地が眼下に広がりました。剣山はどこかな。奥深い山並みが広がりました。この風景、好きです。 旅行の最後にサプライズがありました。宮崎ブーゲンビリア空港に着陸したとき、丁度、ロンバルディア機と一緒になりました。 中から背広を着た大柄の人たちがぞろぞろ。なんだなんだ?ん?ロビーに歓迎の輪が出来ていました。あっ、カープの秋季キャンプだ。 知った顔は一人だけでした。一軍選手はいませんでした。アドゥワ選手、背が高く格好いい。 帰りは途中まで下道を走りました。一ツ葉のフェニックスに夕日が射し、異国情緒でした。 最後、九州山地に沈む夕日が旅を締め括ってくれました。
2018年11月17日
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平成30年11月16日(金) 午前4時半起床。未明の外気温5℃。冷えました。曇りのち雨。夜は本降りになりました。写真はトラです。薪ストーブが燃え始めると、ここが指定席です。 次の写真は大根。親方がブロッコリーや自然薯と一緒に持ってきてくれました。曰く、彼の畑の今年一番大きいもの、だそうです。そういえば最近、大根足という言葉を聞かなくなったな。日本人女性のそれが細くなったんだろうな。 仕事は終日デスクワーク。午後、ボードへ報告案件を一つ。写真は昼に食べた弁当です。今日は梅干しの代わりにタラコが載っていました。 昼休みは雑誌に目を通す時間です。弊社へ送付のある紙ベースのものにもですが、dマガジンをipadで。次の写真は毎日フォーラムという業界誌です。面白くありませんが、牧太郎の「青い空白い雲」と中島章隆「スポーツを読む」は好きなコラムです。 dマガジンの方にいい写真がありました。文春11月22日号の写真特集。「飲兵衛に愛されて 100年居酒屋物語」というのがありました。ペラペラ捲っていたら、やっ!「大甚」だ。愛知名古屋で創業明治40年とあります。以前に2回、nkucchanに案内をしてもらいました。懐かしい。賀茂鶴の樽酒をぬる燗で、でした。まだ明るい内から左党でごった返していました。また行きたいな。 帰宅したら、そのnkucchanから大判の写真葉書が届いていました。写っている画像を調べたら、フランスの前衛写真雑誌に掲載のものらしい。逆巻く波頭とデッキの白熊。アヴァンギャルドです。有り難うございました。 前後します。帰宅途中、何時ものスーパーへ寄りました。しばらく鰺刺から遠ざかっていました。迷わず購入。キンキンバチバチ、相変わらずS鮮魚はその名の通り鮮度抜群です。 チャチャッ。包丁は盛高刃物の青紙スーパー、金剛兵衛です。刃を見せただけで刺身の出来上がり。 トラにも裾分しました。それがいけなかったのか、それともネコカリを食べ過ぎたのか、後になって、戻してしまいました。ぐったりして可哀想。 妻のこさえてくれた野菜の煮物と親方に貰ったブロッコリーや新玉を当てに日向木挽ブルーで流しました。バタンキュー。今日の類語「前衛」 ニューウェーブ、アヴァンギャルド これを前衛と訳した人、素晴らしい。今日の一首大根の青首を見て知る秋や波越の窯の鮮人悲し今日のランなし今日の酒芋焼酎1合 燗酒2合今日の写真は、薪ストーブの灰掃除用金バケツです。所謂ブリキです。灰には熾火が混じっています。プラスチックのそれを使うと忽ち穴が空きます。これまで使っていたものが古くなりました。一回り大きいものを新調。以下は旅行の続きです。平成30年11月9日(金) 午前5時起床。ゲストハウスの中で私が一番早起きでした。昨日もそうでした。 今日は雨模様。折りたたみ傘を準備しておいてよかったです。昨日は宿にバックパックを預かってもらいましたが、今日はチェックアウト。5㎏程の荷を背負いました。雨に備えてカバーを被せました。やよい軒で朝定食。地下鉄京都市役所前駅でバス・地下鉄一日乗車券を買いました。地下鉄烏丸線を乗り継いで九条駅に。市バスに乗り換えました。 ここで京都の市バスについて。観光地です。路線は縦横に。便数も多い。それだけではありません。バス停そのものが便利なんです。バスが近づくと、時刻表を備えた掲示板にその旨の表示が表示されます 。アナログです。空港に反転フラップ式のパタパタがありますが、それをイメージすると判りやすいです。写真がそれです。 東福寺に向かいました。といっても目的はその先にある光明院です。東福寺塔頭の一つです。そこの庭を見るためでした。小さな山門を入り、靴を脱ぎました。上がり框の向こう、左に書院、右に本堂。 いずれも小ぶりの落ち着いた空間でした。その建物を囲むように、渡り廊下も含め腰を下ろすことのできる濡縁が続きます。リュックを下ろし、座りました。写真は眼前に広がる庭です。と、その時でした。俄雨がバラバラ、音を立てて落ち始めました。庭に浮かぶ石がみるみる濡れていきました。しばらく乾いた天気が続いていたのでしょう、表面の苔がカサカサになっていました。一息ついたような感じでした。杉苔も息を吹き返したよう。驟雨は30分も続いたでしょうか。樋を伝う雨水が途中で詰まったのか、住職と寺男が竿で揺すっているのが微笑ましかったです。ここは山つきです。落葉の屋根に散るのは仕方なしです。小降りになって、向かいの斜面に聳える檜に鵯が。切り裂くような声。空気が引き締まった。流石京都五山の名刹が塔頭。こうでなくてはいけません。石庭を前にして何を判ろうとしているのか判りませんが、何かわかったような気持ちになるから不思議です。小一時間座って、心が真っ白になりました。杉苔が枯山水に流されて大き小さき我心の乱る山水を知ってか知らずか鵯の鋭き声に我の我あり銅板で葺きたる屋根の雨音や光明院の海に響けり 帰り道、東福寺の境内を 歩きました。流石の三門です。大きい。圧倒されました。しかしましての興味は規模や様式ではなく使われている材料。どうしても木に目がいきます。材は何の木かな。 仏殿の大扉、指物大工の腕前が素晴らしい。 紅葉名所の東福寺ですが、通天橋は込み合っていてスルー。庭や天井絵のほうも人が多く割愛。光明院のそれだけで充分です。食べ物も美術品も音楽も、食傷気味はいけません。印象が薄くなります。 さてと、やまぬ雨に天龍寺を諦めました。路線変更。屋内中心のコースに。まずは漢字博物館を。八坂神社を目指しました。 博物館はその門前にあるのです。途中、花見小路があり、着物姿が目につきました。 さて、そこの1階は漢字の歴史を解説。辞典の類も一揃えありました。 2 階には企画展。幕末から明治にかけ、外国語の翻訳がどうなされたのか、その特集していました。時代は文明開化、外国の文化が洪水のごとくでした。翻訳に漢字が活用されたとのこと。例えば哲学、権利などです。Philosophyをそう訳すとは。人口に膾炙した今、この言葉にそれのイメージは直截ですが、当時は大層悩んだことと思います。よく思いついた。それをしてまさに名訳。ということで漢字賛歌の企画展でした。写真は当時の華英辞典です。 中はこうです。ここで仕入れた蘊蓄を一つ。草書の話です。漢字の書体は大まかに楷書、行書、草書の三字体があります。楷書は言わずもがな。行書も読むことの出来ないような崩しはありません。それが草書になると字画を大きく省略されます。しかもその省略も漢字ごとに決まった形があるそうです。知らないと読むこと能わずです。さて、その草書の草ですが、その意味は草卒。怱卒とも書きます。軽はずみ、いい加減、ぞんざいのことです。つまり草書はいい加減に崩して書いた文字なのです。それをして草書の便りは、文字通りいい加減な手紙なのです。 この博物館、今年の漢字を展示しています。年末、清水寺の管長が書くあれです。和尚の書いた字には惹かれません。 腹が空きました。ここの出口にちょうどファミマがありました。インド人と思しき、タイプのいい女性たちがここで買ったものを人ごみの中でパクパク。四条通りですが、真似ない手はありません。私もそうしました。 ん?向かいに目を引くポスターのような写真がありました。遠目に「ドアノーの愛した街パリ」と見て取れました。何必館・京都現代美術館でした。 ここ、知りませんでした。折角です、覗いてみよう。見終えて、これも一つの世界だな、そう感じ ました。展覧会の概要によるとドアノーは20世紀を代表する写真家、ライフにそれを提供していたとのこと。「写真とは創るものではなく、探すものだ」そうです。パリの市井を切り取った数々や芸術家のスナップがいい感じでした。偶然でしたが、いいものを見ました。ちなみにここ何必館には北大路魯山人や村上華岳のものもありました。後者は渡辺崋山と名前が似ているため、比較されます。先日も日経だったかにそのことが書かれてありました。近年、再注目とありました。この点も訪ねたかいではありました。 美術館巡り、最後は京都国立近代美術館です。藤田嗣治展。 説明の必要なし。没後50年を記念の回顧展です。時代とともに画風の変わるのがわかりました。風景画はユトリロのそれに似ていました。晩年の作品には、宗教をモチーフにしたものが多かったです。こちらは興ざめでした。一方、戦争画「アッツ島玉砕」は圧巻。ただ、藤田の戦争への共感はどうもいただけない。作家に「歴史そのままと歴史離れ」があるよう、画家にも本人の意図を離れ、作品が独立して存在意義を放ちます。従軍作家があったように。そう思い、人は人、画は画、そう独りごちました。さてもの「乳白色」です。彼の代名詞ですが、私には銀に見えました。真珠色。もう一つ、特徴的なことは猫です。多くの絵に猫が描かれています。極めつけが「闘争」という題名のそれ。猫尽くしです。これを見ると中世の絵巻、飢饉の猫にどこか似ています。 もう一つ、高麗美術館を除きたかったんですが時刻が下がりました。北山まではもう無理。割愛しました。ここで 京の取材旅行はお終い。明日、大阪に1か所残すのみです。さあ難波に向かおう。でもちょっとひっかけたいな。あとは電車に乗るだけだし。それに折角だから錦市場の有次を冷かそう。いいものがあれば1本求めてもいい。覗きました。ここは外国の方が中心。包丁にまして鍋や卸し金など銅や錫の料理道具に見入るご婦人が多かったです。気に入ったものがありませんでした。 次の写真は左用の包丁。私もサウスポーです。 そこを離れ、立ち飲みの店を見つけました。 酒盗と冷酒を1合。歩き疲れた体に沁みました。 京都駅へ向かいました。コンビニで缶ビールと乾きものを買いました。大阪までの車中でひっかけようという算段でした。ところが作戦ミス。座るどころか満員。つり革につかまってまでは無理です。プルトップを引いたのは難波に近づき、腰を下ろしてからでした。ぬるくなっていました。 今夜は学生時代の友人Tとの一献を予定していました。宿は彼に紹介されたカプセル。難波の真ん中にありました。そこに荷を解きました。指定の時間前に迎えが来ました。早速盛り場へ繰り出しました。 おっ、シバチョウだ。ここは有名な角打です。店の前でおっさんたちが引っかけています。いい感じだな。ちょっと寄っていこうよ。 久しぶり、元気だった?うん、息災か。よかったね。Tは学生時代落研とフェンシング部を掛け持ちでした。勉強の方はサッパリ、卒論を出さず、どさくさに紛れて卒業したともっぱらの噂です。本人はちゃんと出したと言い張りますが、本当のところは誰も知りません。 私です。嗚呼ビールが美味い。Tに、今回の旅行が経緯について大分弁で捲し立てました。宮崎空港までの所要時間を訊かれ、ツーシーター四駆ミッションで2時間半。そう言うと彼曰く「えっ、スポーツカーに乗ってんの?何時買うたの?車種は?」メーカーはダイハツだよ。軽トラさ、軽トラ。と、その時でした。隣で一人酒、冷酒を引っかけていた40歳位、背の高い笑顔の素敵な男性が吹き出しました。私の方言に聞き耳を立てていたのでしょう。加えてスポーツカーの話でしたから。それを機に互いの身分を名乗りました。三重・津から大阪に営業でやってきたリーマン。今日は仕事がうまくいかず、明日の報告をどうしようか迷っているとのこと。今夜は、帰る電車の時刻、午後9時半までここでしこたま飲むと話してくれました。酒好きはどこにもいるものです。 一度難波駅に戻りました。今夜はYが同席でした。Tが私のために誘ってくれたのでした。そこで彼と待ち合わせ。Yも同じ釜の飯を食った中です。会うのは卒業以来ですが、気心は通じています。改札口でおお懐かしい。思わずハグをしたくなりました。積もる話はT行きつけの店で。ということでここへ突っ込みました。 乾杯。久闊を叙しました。Yは腹が出てたものの、顔つき、声は40年前と変わりません。笑顔が素敵です。一浪だったため、私よりも一つ年上。昨年に定年となった由。 大阪は当てが独特です。食べたことのない品がテーブルに並びました。 今何をしているんだ。Yに訊きました。「虞美人草を読んでいる」と言い、本を出してくれました。いや、そう言うのじゃなくて。仕事だよ仕事。Tのあきれ顔がYの天然を示しています。そのTも、本は読んだことがないという猛者です。「ああ、仕事か。何もしていないよ。プー太郎だよプー太郎」「ところでT(私のこと)よ、母校がラグビー大学選手権の本チャンに駒を進めているの、知っているか。今度、北九州のミクニワールドというところで試合があるんだ。チケットを取ったぞ。かみさんと行くんだ。お前も応援に来い」そう言って大事そうに財布から2枚のチケットを出し、見せてくれました。私も観戦しようかな。揺れました。 杯盤狼藉、楽しい時間は忽ち過ぎます。Tは阿倍野に住んでいますが、Yは枚方です。遅くまでの痛飲は避けました。さようなら、元気でね。二人とも人混みの中に消えていきました。なんだか物足りないな。もう一軒寄っていくか。ホテル近くの大箱に突っ込みました。 久闊の余韻、旅の余韻に浸りました。明日午前に最後の訪問場所を潰し、午後の飛行機で宮崎向けとなります。ああ、ビールが美味いような苦いような。 締めに食べたラーメンです。大阪の夜、名残は尽きません。
2018年11月16日
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平成30年11月15日(木) 午前5時起床。晴れ。いい天気が続きます。朝の外気温9℃。 朝ランを小一時間。寝坊し、読書の時間はありませんでした。写真は大溝からの元越山です。明けの明星が光っていました。 こちらは走る途次にあった大分県の看板です。特定猟具(銃)禁止とあります。平地は危ないからでしょう。GUNの文字がなんとなく不気味です。でも、そのおかげで私、猪や鹿を食べることが出来ます。全て取り扱いの問題です。 このところ、毎朝、ストーブを焚いています。未明、暗いうちに火を入れました。戻ったとき、モクモクの煙。これがいい感じです。 仕事は終日デスクワーク。会議やミーティングもありません。来週、大切な会議があります。私、責任者を務めています。関係書類に目を通しました。写真は昼に食べた弁当です。このところ、出張や取材旅行で家を空けていました。外食ばかりでした。妻の手づくりは久しぶりです。梅干しがいい感じでした。 夕刻、真っ直ぐ帰宅。昨日ホシを五分に戻した嘉風、今日は逆転で貴の岩に敗れました。残念。地元九州場所です。頑張れ。 今夜は妻不在。二日間空けたので一人酒。独酌はパック酒。燗にして楽しみました。忽ち酔いが回ってバタンキュー。書くことがありません。今日の類語「寝坊」 寝過ごす、寝忘れる、寝ぼける、寝惚ける 私、酔うと何時も寝ぼけ眼です。今日の一首明星が朝の空気を凜とさせ白菜キャベツ露流しけり今日のラン6km今日の酒燗酒3合今日の写真は昼に空を行くプロペラ機です。自衛隊かな。以下は旅行の続きです。平成30年11圧8日(木)その3 大徳寺を後にし、バスを乗り継ぎました。地下鉄で蹴上に向かいました。南禅寺の奥にある水路閣を見てみたかったのです。この建造物、ローマの水道橋に似ていませんか。いい感じなんです。明治に建築とのことで洋式です。寺内にあってミスマッチのような感じを受けません。 この水路橋、琵琶湖から引いた水が流れているんですが、どうやってここまでとの思いがあります。途中に山科の山塊があるし、標高もここ南禅寺のほうが高い筈。ところが違いました。調べました。標高は湖面のほうが高い。加えて蹴上までの8㎞余りのうち4㎞余り、合計4本のトンネルを掘って山の中を流れていました。驚くのはその勾配です。1/2000~1/3000です。1/2000とは手前と2000m先の高低差が1mであることを示します。あって なきがごとくの傾きです。当時の測量技術が偲ばれます。湿り気の多そうな水路閣、しばしたたずみました。おっ、綺麗どころだ。お大尽のような旦那と一緒でした。忽ち観光客に囲まれました。外国人のカメラが集中砲火。写真はサービス精神旺盛の図です。 それにしてもの南禅寺でした。まさに錦秋。山華開いて錦に似たり、です。 手前に金地院崇伝の金地院がありました。そこの等伯が襖絵「猿猴捉月図」は午前のトラブルにつき割愛。またの機会とします。同じく五右衛門絶景かなの南禅寺山門もスルー。左に折れ、鹿ケ谷通りに向かいました。道なりは東山高校の校舎脇を、でした。生け垣を隔て、教室の中が見えました。教師の声が聞こえてきました。おっ、勉強しているな 。頑張れよ。調べたらこの高校、知る人ぞ知る池江泰寿の母校です。オルフェーブルの調教師です。ちなみにオルフェは3冠馬、有馬記念も2度制した名馬です。 さて、野村美術館に差し掛かりました。ここも予定していました。碗の目利きを養うには数をこなさなければ。そう思い、覗く予定でした。しかし、時刻が下がりました。時間をつぶすわけにはいきません。省略。 そこを過ぎてほどなく永観堂でした。 見事な紅葉です。薬王院や悲田という言葉のとおり、施しの歴史があります。その分、ほかの寺に比べ一層赤が際立つのでしょう。いや、そう思いたかったです。 歩を進めました。哲学の道に差し掛かりました。熊野若王子神社の境内に、この奥に新島醸の墓があると書いてありました。そこまでかなり登ることになるらしい。時間がない、面倒だ。割愛。疎水に沿って思索の道をぶらぶら。観光客は思ったより少なかったです。 おっ、猫だ。そうだろうそうだろう。この道に犬は似合わない。正眼は猫でなくては様になりません。この黒ちゃんもバッハを聴くんだろうか。 どうですか、この顔。デカンショーの眼差しです。哲学に京都学派というのがありますが、併せ見て、奴らの世界にも京都猫派というのがありそうです。 おっ、リュートを抱えた青年がいました。楽器の収納ケースを投げ銭皿にしていました。話しかけました。「バッハを弾くの?」彼曰く「もっぱらヴァイスです」1曲やってもらいました。通りの少ない疎水道、午後の日差しを受けた紅葉に染み入るバロック音楽。しかも生演奏です。しばし我を忘れました。彼は独習と話しました。1回6~7ラーでコンサートを引き受けるとのこと。100円玉を1枚、お礼に。 鹿ケ谷に分かれる手前で外国人の新婚にシャッターを頼まれました。二人とも和風の格好をしていました。国を訪ねたらハワイからとのこと。絵になります。 南禅寺から銀閣寺へのこの道、半ばあたりに鹿ケ谷の入り口があります。表示はありません。その先、疎水に架かる橋を渡って山奥に進むと俊寛僧都忠誠之碑があります。僧都の鹿谷山荘のあった場所です。平氏打倒の謀議がなされました。そこに佇みたい。旅目的の一つでした。しかし、肝心の入り口を見つけること能わず。先の熊野若王子神社、社務所の女性に訊ねたのですが不明。注意して歩きましたが、どうしてもだめでした。見つけることが出来ずじまい。残念でした。 先を急ぎました。おっ、その名も哲学カフェ。いい感じの雰囲気でした。中に入ってみたかったのですが、この先に目当ての茶店があり、スルー。 次の写真は着物を着た若い女性たちです。いい感じ、少女漫画の世界です。 しかしその世界、おやじは疎い。それよりも疎水に泳ぐ魚が気になりました。ホシスズキかな。もしそうだったら外来種だけれど。写真のないのが残念です。その代わりに鯉を。腹が大きい。産卵期は春から夏にかけてだけれど、抱卵しているのだろうか。まさか。 銀閣寺参道入り口で左折しました。直ぐのところに橋本関雪記念館があります。そこに突っ込みました。 関雪は大正・昭 和期の日本画壇にあって中心となる文人画家です。猿を描くこと幾枚。関雪と言えば猿です。「秋桜老猿」がありました。先の金地院にて等伯の猿を見てくればよかった。後悔しました。ここには「琵琶行」や「木蘭」も。特に後者木蘭の傾げた首、憂いが瞳、薄紫に近い唇、素魚のような指・・・。うっとり。痺れました。館内は撮影アウト。代わりに庭の池、石塔などを。1枚目は灯篭。古いもののようです。 画室の二階から眺めた庭。ここも紅葉たけなわ。写真にはありませんが、向こうに大文字が見えました。 このような幾重もの塔がそこここに。いずれも鎌倉あるいは室町のものと拝察。別に欲しくはありませんが、それの持つ時空を超えた祈りが内在しているような。惹かれます。しかし、 ここの蒐集は過ぎたるの感も。多すぎて鑑賞も食傷となります。 関雪に腹いっぱいとなりました。日が傾きました。そのまま今出川通りを西にてくてく。百万遍の交差点を抜けて鴨川に突き当たりました。目指す場所は叡山電鉄始発駅。 その前に柳月堂という名曲喫茶があるのです。パン屋の2階です。中はこんな感じです。鑑賞ルームは私語を禁じています。飲み物とは別に500円払います。 シューリヒト、パリ音楽院管の第九が流れていました。名演奏。次いでシゲティのバッハ無伴奏。ここに90分ほど滞在。今日の余韻に浸りました。出がけ、オーディオの一部を撮影させてもらいました。どれもこれも垂涎物。さてと、日が暮れました。河原町が待っています。京阪電車に乗っ て祇園四条へ。駅を出たら、おっ、立ち飲みがあるぞ。「ミサキ」という店でした。即断。突っ込みました。次の写真はメニュー二題です。手書きがよろしい。 開店したばかりとのこと。岡山・倉敷出身の女子大生3人がアルバイト。板場を店主が仕切る店。彼女たち、遊び感覚でカウンターの内外を行き来。小さな店でした。お客さんを話し相手と勘違い。楽しんでいました。私にもあれこれ話しかけてくれました。つい酒が進みました。えへへ。写真は今日の当て。漬物が美味しかった。今日はこれで打ち止め。ゲストハウスに泥酔帰宅は禁じ手。ほろ酔い、途中、コンビニでワインの瓶を買って帰着。ちょうど、韓国の青年がいたので捕まえました。さしつさされつ 。明日は東京に回るという彼をベッドに見送り、なお、食堂のテーブルでちびり。関雪記念館で求めた絵葉書に旅の空を認めました。バタンキュー。
2018年11月15日
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平成30年11月13日(火) 午前5時起床。プライベート旅行のゲストハウスとは違い、今朝の目覚めはシティホテル。ふかふかのベッドでした。当然、朝ご飯も吉野家ややよい軒と違いました。上等の生ハムやベーコン、パンもこの通りです。 写真は食べたご飯。珍しく生卵がありました。 帰りは弊社営業車にKさんが同乗しました。彼は私のまちにあるB銘醸の会長さんです。日本酒と焼酎、甘酒も造る蔵です。喜寿とのことですが矍鑠。せっかくの機会、車中の2時間半余り、酒に纏わる質問をし続けました。以下は彼の話です。「鑑評会ですか?熊本の国税局に酒類鑑定官が何人かいて、我々の団体が推薦するしっかりした方々も含め20人くらいで利き酒をするんですよ。採点は減点法。結局、欠点のない、スマートな味のものが評価されることになります。特徴的、味わいの濃いものは賞を取りませんね。カラオケでプロの歌手が歌うと得点が低く、抑揚なくスマートに歌うと高得点。それに似てますな。蔵元のほうもそれを承知、出品するものとマーケットに出すのは別物です。箔をつけるためだけに、というのが実際のところです。ということで鑑評会は結果として酒の均一化に向かわせていると私は思いますね。良し悪しは別としてですがね。ところでTさん(私のこと)、お酒は好きですか。ああそうですか、結構飲むんですね。いいことです。ああその通り、冬場は燗がよろしい。パック酒も温めるとおいしいですからね。日本酒党なんですね。それでは二倍増醸という言葉を知っていますか?純米酒に醸造用アルコールを混ぜてほぼ倍の量にするんですよ。本醸造と呼びますがね。安上りなんですよ。1.8リットルのパック酒がそれです。昔は三倍増醸もありましたが今は流石にそれはありません。それから昔は合成酒というのもありましたね。アルコールに水飴やグルタミンソーダなんぞを混ぜ、味を日本酒に似せるんです。えっ?私の蔵ですか、ええ、一時期、仕込みを止めて焼酎に専念していたんですが、息子が東京農大の醸造を卒業しましてね。せっかくだからと改めて日本酒を造り始めたんですよ。全国に数ある中、日本で南から数えて確か4番目に位置する南国の醸造所です。酒造りは何といっても冬場の冷えがものを言います。昔、気温の高い折はタンクを冷やすため魚市場へ毎日氷買いに走ったものです。発酵はゆっくりが基本ですから。寒さの中、酵母のゆっくりが繊細の味を醸すのですよ。寒の地はその分有利ですね。今はもう蔵内の温度管理がしっかりして、低温システムにコストはかかるものの北の蔵に負けませんよ。そうそう、これまでそのせいで発酵が速く、繊細の逆、九州のそれは男の酒と言われていま した。荒っぽいところがあったんでしょうね。ところで息子の話をしましたが、かくいう私もそこの卒業なんです。同級生に小泉武夫がいましたよ。ちなみに次男はね、あなたと一緒、東京品川にある酔散大をでましたわ。築地の仲買で働きましたよ。ああそうそう、うちで作る甘酒は日本一なんですよ。最近は同業他社が増えました。森永乳業なんぞも参入し、売り上げは頭打ちですがね。あっ、もう佐伯インターですか。話が弾むと目的地へすぐに着く。今日は便を貰い、ありがとうございました」 昼前、会社に戻りました。ちょっと野暮用があり、稟議にハンコを押し、午後は野暮用あり。休みました。夕食後は疲れもあってバタンキュー。 今日の類語「繊細」 敏感、過敏、多感、多情、デリケート、神経質、ナーバス今日の一句男おり酒を造りて四十年麹揉む手で鯵フライ揚ぐ今日のランなし今日の酒ノン今日の写真は泊まったホテルロビーのクリスマスツリーです。早くも、ではあります。平成30年11月14日(水) 午前5時起床。晴れ。北風の強い一日でした。寒かった。早朝ウォーキング50分。西にオリオン座が懸っていました。 終日、お客様の相手であったり、内部協議であったり。落ち着かない一日でした。それぞれの具体的な内容は書くこと能わず。ただし、懸案であった案件がゴロリ一回転、前に進み始めました。いい兆候です。次の写真はお客様の一人が持っていたサキソフォンです。すぐに値段を訊きたくなる杣夫です。問うて何と1,500ラー。凄い。 そのお客様、昼休みに弊社1Fロビーで演奏を披露してくれました。とてもいい感じのスイングでした。次の写真はそのロビーに飾ってあった鬼神面です。全て東九州に住む鬼だそうです。 なんともいい感じです。興味のある方、見に来ませんか。 夕刻、真っ直ぐ帰宅。日中の寒さに、妻がストーブを焚いていました。いつもは玄関に走り出てくるトラも火の前から動かず。背広を脱いで着替え、今夜以降の薪を居間に運び込みました。夕食はこれ。里芋の煮付けでした。美味い。今日の類語「下世話」 卑語、俗語、スラング すぐに価格のことをいうのを「下世話な話ですが」と前置きすると、ちょっと和らぎます。今日の一首一輪車満載背負う割り薪に風邪気味の妻顔ほころばし今日のランなし今日の酒ノン今日の写真はCDです。Hさんに借りていました。本日返却。朝比奈のブルックナーはやっぱりクナに近い。以下は旅行の続きです。平成30年11圧8日(木)その2 (カメラが壊れて~) 仕方がない。背に腹は変えられません。カメラを買おう。ヨドバシカメラの開店までに腹ごしらえ。朝食をすき家でとりました。10時の開店と同時、突っ込みました。店員のお兄ちゃんに「GX7を買うよ。勉強してね。あっ、それとストラップを付けてね、保護フィルムとSDカードもおまけして頂戴」 ついでに充電も依頼。満タンになるまでカメラ店の隣、喫茶delifrance京都店で塩フランスパンをかじりました。サイフォンで淹れたブレンドコーヒーが美味しかったです。写真は購入したキヤノンです。 トラブルに午前が潰れました。急がねばなりません。大徳寺へ向かいました。ここにある塔頭(たっちゅう)のひとつ、真珠庵を訪ねてみたかったのです。塔頭とは禅寺内にある小さな書院造の建物のことです。大抵、庭が付きます。調べたら大徳寺には真珠庵を含め24あるそうです。膨大な敷地です。 南門に着きました。看板が立っていました。表千家の宗匠襲名祝賀会をやっているとのこと。入ると、着物姿、私と同年配かそれよりも上と思える着物の女性姿が目立ちました。ざます調の会話が聞こえました。 さてもの大徳寺、司馬遼太郎「街道をゆく」の第34巻に「大徳寺散歩」があります。寺に纏わるあれこれの蘊蓄を展開します。念仏と禅の関係、司馬の説明は目から鱗が落ちます。「善人なおもって往生を遂ぐいわんや悪人をや」、それも明快です。この大徳寺散歩の中に小項目「真珠庵」があるのです。 司馬によると、真珠庵・仏堂の天蓋に真珠を連ねているとのこと。彼は唐代の詩人、推敲で有名となった賈島(かとう)の「百八真珠、綵縄ヲ貫ク」という詩を引用することで話を起こします。唐の様式が真珠庵に見て取れること、その天蓋は室町時代からのものであること、宋時代の朝貢に真珠が用いられ、その真珠は中国商人の手を経て堺商人に買い取られたインド産のものだったかも知れない、という下りに至り、推敲の起源をしていまここに天蓋を吊す真珠の綵縄。なんとも夢が膨らむ話じゃーありませんか。只それのみを見たくて真珠庵へ、なのでした。しかし、仏堂は非公開。なにやってんだ。残念でした。 余談です。この真珠庵、一休が開祖。でも彼の書はありませんでした。今年6月、東京/目白台に永青文庫を訪ねたとき、そこには彼の書があんなにあったのに。一幅だけでもどこぞに掛けたらよかろうものを。 勇んで鑑賞しよう、でしたが真珠庵の中を写すこと能わず。しかし、文句は言いません。庵中は期待ほどでなし。別にたいしたものもないし、現代作家の描く襖絵を特別公開とあったけれど漫画の域だし。「朱印帳はこちら、一冊二千円、朱印は五百円」。たっぷりした体つきのお坊さん手招きに首を振りました。筆を持つ手を見て、興味が失せました。私、何しにここへやって来たのか。今日、某寺は「そろばんづら」と司馬も書いてありますが、ここもさもありなんです。写真は真珠庵の入り口(確かそうだったと思う)。 もうここはいいや。残りの塔頭に見切りをつけ、寺を出ました。写真は南門の前にあった大徳寺一休です。700年続く老舗です。名の通り、一休を店名に頂いています。司馬遼太郎もここで食事したそうです。 私はその隣のそば屋で腹ごしらえ。(続く)
2018年11月14日
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平成30年11月12日(月) 午前3時起床。雨のち曇り。 あれこれ、旅行のメモや写真を整理しました。折々にもっと詳しく思ったことを書き留めておけばよかった。スケッチはその場でが肝心です。写真だけでは思い出せない。 午前8時、出勤しました。会社を3日留守にしました。机上の未決書類は少なかったです。午後出張。部下のK課長が営業車を運転、福岡向けでした。道中はずっと雨。佐伯から湯布院までの間はガスの中を走りました。 ホテルにチェックイン後、某国の支店へ。立派な建物です。 今日は弊社社長が晩餐会に招かれていて、その随行ということで、K課長共々席に直ったのでした。写真にはありませんが、建物も部屋も豪華でした。しかも天井が高い。広い間、クロスを張ったテーブルの向こう側に支社長ご夫妻と支社のみなさん、こちら側に社長夫妻と我々社員。先ず乾杯ということで、マッコリが右の器になみなみ。ちなみにスプーンや箸は全て銀製だそうです。 当ては(晩餐会の料理を「当て」と呼称するのは失礼ですが)キムチやナムル、海苔にサザエの和え物でした。これ、おかわりしてもよいと言われました。サザエの和え物とキムチをそうしました。 早速料理が出てきました。これはペクスクという鶏肉の入ったお粥です。 ミックスサラダ、韓国南瓜や椎茸、エビの揚げ物に続き、牛カルビチムが。ワインに変えて楽しみました。 流石晩餐会です。見たことのない、蓋付きの器です。何れのそれにも某国のマークが入っていました。 こちらはアワビと高麗人参の蒸し物です。後者は植えて6年経ってからでないと効能が薄いというような説明を受けました。ちなみに両方とも母国から取り寄せたとのこと。 食べ終えて、下品ではありますがアワビの殻をひっくり返しました。性なんです、これ。おっ、やっぱりだ。渦の中心部が緑です。 この部分、3~4ヶ月頃の時にこの色をしているのは、人工餌料による飼育であったことを示します。つまり種苗生産施設で生産した人工種苗。そこから成長するに従い、色が黒褐色に変化しているのは、放流されたものを漁獲か、もしくは天然餌料(天然の海藻類)を使った養殖に切り替わったことを意味します。なるほど、御国もアワビの種苗生産、養殖が行われ始めているようです。余談の余談です。アワビといえば内村鑑三先生を思い出します。彼は大学の大先輩です。水産学(彼の場合酔散学ではありません)を先攻、北海道開拓使や農商務省に勤務しました。農学部の博物館に彼が製作のアワビの発育標本があります。 閑話休題、締めに出てきたのがこれ。薬膳ご飯です。銀杏、棗、青豆などの混じった黒米とトック入り餃子スープ。 〆の締めにフルーツと薬食菓子。 五味子茶がいい感じでした。 弊社はこの会社の或る手法を学んで業務に活かしています。取引があるのです。その関係で社長が招かれたのでした。 午後8時半過ぎ、そこを後にしました。Kが「滅多とない経験をしたけれど、緊張してマッコリの後はビールを飲んだだけ。酔わん」といいました。ならばと、ホテル近くの串揚げ屋に突っ込みました。 折角だから5合便を貰おうか。1本入れました。ロックでガバガバ、結局1時間ほどでそれを干しました。 なお物足りないのか、Kが宿へ戻る途中、ローソンに。缶ビールのロングを2本買いました。私も釣られました。買ったのがこれ。どうしようもありません。やっぱり酔散学部です。バタンキュー。今日の類語「折角」 折り入って、態々 ついでに、という意味合いはどうも薄いようです。今日の一首マッコリの酸がよろしい格別の薬膳に見る半島の道今日のランなし今日の酒マッコリ3杯 ワイン2グラス 芋焼酎3合 パック酒(不明)今日の写真は馳走になったメニューです。この手のコース料理、初めてでした。美しい秘書の説明を聞きながらの会食、とてもよかったです。(旅その2)平成30年11圧8日(木)その1 午前3時起床。世の白むまでイヤホンを付けてアマゾンプライムで映画を見ました。「復讐するは我にあり」です。原作は佐木隆三。直木賞を受賞の作品です。過日、仕事で俳優Nさんと一緒しました。その時、映画の話になりました。同行のマネージャーが前記のそれがよかったという話をしました。それをして気になっていたのでした。2時間20分、没頭しました。 午前6時、やっ!もうこんな時刻だ。ゲストハウス、まだ夢の中の人たちを尻目、宿を出ました。地下鉄京都市役所前へ。 そこで一日乗車券を購入。1ラーでした。これがあると便利という作戦でした。後で、バスも含めたフリーパス券1.5ラーを買えばよかったと後悔。京都市内の移動は地下鉄とバスを上手く利用してが賢いやり方、地下鉄だけでは事足りぬ、それを後になって知りました。翌日になって、その2日券が3ラー弱を知り、更に後悔することに。また、それとは別、京都市内のバス/地下鉄の乗換検索「歩くまち京都」アプリのあることを知ってダウンロード、利用したのは翌日になって、でした。これ、大変便利です。お薦め。写真は今朝に求めた地下鉄の一日乗車券です。 朝一、向かった先は京都の台所です。といっても錦市場ではありません。京都中央卸売市場です。ちなみに中央卸売市場とは開設者が都道府県、人口も20万人以上の都市だけにあります。現在、全国に64市場。ちなみのちなみ、京都のそれは築地に先んじ、日本で一番最初にに認可を受けました。杣夫は一時期、築地の末席を汚しました。ということで見るに如くはなし。話の種にと見学することにしたのです。 おっ、ターレーだ。 ん?後ろにガスボンベを背負っているぞ。なるほど、燃料はガスなんだ。このタイプを見るのは初めてです。 市場というと魚のイメージがありますが、野菜の取り扱うスペースもあります。おっ、これは長野の白菜だ。 こちらも信州のふなしめじ。 おっ、北海道・富良野からだ。全国各地からの集荷。旅情を感じるというほどではありませんが、各地の地名に、その土地へ想いを馳せることは出来ます。 鮮魚のほうに向かいました。途中、塩干物を扱う仲買業者のスペースを通りました。いい感じのちりめんが並んでいました。九州一円、瀬戸内、近畿、東海。これも各地からの集荷です。相場は並の3ラーから10ラー近く(キロ当たり)でした。店舗の一人に話しかけました。今年はどこも不良だそうです。 おっ、ヤマジンの干物だ。大分/佐伯にある大きい加工屋さんです。豊後とは大分県南部地方。米水津は佐伯市米水津のこと。嬉しいな。旅先で同郷の友人に遇った気分です。 棒鱈だ。「棒鱈」は間抜けな酔っ払いを指す俗語です。古典落語にあります。よく見るとなるほどなという姿に見えなくもない。 次は続けて鮮魚の幾枚か。 こうしてみると、京都の市場は赤い魚が多いような。京料理と関係があるんだろうか。 おっ、鮪屋だ。 でっかいのが転がっている。 よく見たら釣り針が食い込んでいました。どこぞの釣物なんでしょう。 シーズンインです。フグも列をなしていました。全て養殖物です。大分・佐伯もこの養殖が営まれています。産地を訊ねたら香川とのこと。香川県は全国3位の生産量。大分は僅かに及ばず4位です。 赤帽が並んでいました。卓袱にもですが、京料理に欠かせません。 おっ、タラの白子だ。タチポン、食べたいな。 クエのでっかいのが並んでいました。これ、高級魚です。鍋に最高です。 それにしても赤い魚が多い。 おっ、珈琲の屋台だ。一杯飲んでいこうか。 と、その時でした。やっ!カメラのレンズが出ないぞ。何度試しても言うことを聞きません。故障でした。参ったな。先日、ヤフオクで購入、程度のよい同型機を持ってくればよかった。旅行、まだ3日残っています。どうしよう。(続く)
2018年11月12日
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平成30年11月11日(日) 午前3時半起床。快晴。 昨日の夜、関西から帰ってきました。烏行水をして、冷や奴を当てに冷酒を2合。バタンキューでした。午後10時半就寝。4日間、いい勉強をしてきました。 早くに目が覚めました。写真の整理をしようとして、倦きました。やめたやめた。こんなことをしていては今日の仕事に障る。珈琲を淹れて薪ストーブに火を入れました。途端、トラが特等席を占領。私が不在の時は焚かなかったので待ってましたとばかり、でした。写真の無いのが残念です。沸いた湯で淹れる珈琲は、旅の空で飲んだものとは違う味でした。午前6時半、猫飯を掻き込見ました。日曜日ですが、ネクタイを巻いて出勤。今日は弊社採用試験最終面接の日でした。窓の無い部屋に缶詰、陽の落ちるまでみっちり、でした。様子は差し障りがあるので書きません。疲れました。真っ直ぐ帰宅。一風呂浴びて即冷酒。当ては冷や奴にポテサラ、金平牛蒡。全部妻の手作り。やっぱり家が一番です。 こちらは冷凍食品に火を加えたもの。横浜・鵬天閣焼き小籠包。パクリやると中の汁がプシュッ。飛び出て其処此処を汚しました。穴を開けてがいいようです。バタンキュー。今日の類語「みっちり」 十分、十二分、存分、たらふく(鱈腹)、たんと タラの腹を見ると鱈腹の意味が判ります。今日の一首 太陽の暖を貯め込む布団敷きわが家一番床入りの夜今日のランなし今日の酒冷酒2合今日の写真はトラです。俺に土産は無いのか、と言うような顔をしています。(平成30年11月7日(水)のこと) 午前3時起床。快晴。今日からポカ休を3連発。関西を旅行します。2ヶ月前から計画の旅。土曜の夜に戻ってきます。出立の前は、何時も浮ついた気分になります。が、今朝は違いました。ゆっくり本を読むことが出来ました。まだ夜の明けやらぬ午前6時前、ドライブに備え、もう少し睡眠を取っておこうか。私、運転をしていると眠くなるのです。二度寝。1時間ほどウトウトしました。起きてブランチ。荷造りは簡単。3泊4日といっても荷物は下着の替えとカジュアルシャツのみ。メモ帳とカメラをバックパックに詰めて4kg。忽ちです。「では入ってきます」妻にそう言い残し、一路宮崎空港向け。彼女を誘いましたが、外せない用事が幾つか重なり、断られました。トラと一緒に玄関で見送ってくれました。写真は東九州自動車道のサインです。眠気を防ぐ為、カーステレオでクナのベーヤンを聴きました。英雄。彼のタクトはゴツゴツ感あり。 3時間近くで宮崎空港に着きました。フェニックスが南国を醸しています。広い駐車場に車を止めました。ほぼ満車でした。ツーシーター四駆ミッションは一台も停まっていませんでした。 空港ロビーは華やか。観光地の色合いが濃いです。 もうすぐ始まるダンロップフェニックスやPGAツアーの看板がありました。ふーん、宮崎はゴルフ天国なんだ。 私、ゴルフをやりません。止まったボールを耳かきのお化けで打つなんて。 さてもの天国、日向国は焼酎天国でもあります。当然、試飲のコーナーがありました。天孫降臨を醸造の会社、営業の方が自社製品を勧めていました。曰く「20度の焼酎を水割りで飲むのは邪道ちゃがー。まっこちソフトドリンクちゃっがー。こいの28度がてげーよかとですよ」 結局、試飲可能の全部を嘗める羽目に。試し終えてこれから出発なんでごめんなさいね。写真は味見の数々です。蔵元限定という度数高めのそれがいい感じでした。少し酔いました。 濃い奴を流すと喉が渇きます。これを1本やって貰いました。「たった今飲みます」そう言って、抜栓して貰いました。HIDEJIビール、太陽のラガーという代物。1本1ラーほどの値段でした。スッキリ系でした。レジのお姉さんが装いも南国カラーでした。笑顔もいい感じ。 ん?ロビー上の時計が動き出しました。宮崎は天孫降臨の焼酎名が示すとおり、神話の里です。からくり人形が神楽を舞いました。 搭乗は陽の傾いて。路線はピーチ・エア。LCCです。ピンクの柄がとても可愛らしい。CAも同じカラー、素敵な装いでした。着陸してのアナウンスは毎度の通り。しかし、最後が違いました。「皆様のまたのお越しをお待ちしています。まいどおおきに」。 関空まであっという間でした。文庫本が捗らなかった。空港に降りたらマジックアワー。なんとも素敵な夕暮れが待っていました。 LCCは第2ターミナルに到着です。南海電鉄の入線する第1ターミナルまで無料の連絡バスで移動。成田空港第3ターミナルのそれと同じです。切符売り場で京都アクセス切符を購入。割安でした。 よく見ると中国や韓国の案内が印刷してありました。 電車を2回乗り継ぎました。揺られること90分。途中で阪急電車に乗り換え、京都・河原町に着きました。小豆色のこの電車には上品のイメージがあります。余談です。映画「阪急電車」はよかった。 さてと、宿に荷を解く前、遅い夕飯を食べようか。あっ、そうだ、nkucchanに教えて貰った居酒屋のことを思い出した。確か近場だったな。「たつみ」を探しました。あった、あった。 突っ込みました。おっ、やってるやってる。渋い店だな。なるへそ、兄貴のお薦めだけはある。もしこの店の前を亮さんが歩いたら、絶対に絡め取られるだろうな。 お疲れさん、自分で自分のコップにお酌。トクトクトク、がいい感じでした。 当てはポテサラ。 筋の土手煮も注文。 京都に来て黄桜を飲まない手はありません。兄さん、それをやってよ。出てきました。 もう1品頼もうか。鰯のフライを。それなりの物が出てきました。 今日の酒はこれで打ち止め。宿に向かう途中、丸亀製麺でかけうどんを食べました。満腹。明日の早立ちに備え、午後9時、ゲストハウスに草鞋を脱ぎました。バタンキュー。今日の類語「毎度」 度(たび)、毎(ごと)、都度、一々、逐一、毎日、日々、日毎、日替わり、連日 列記すると晩酌を連想してしまいます。今日の一首日向灘燦めく海に冬は無し沖ゆくタンカーそろり北上今日のランなし今日の酒瓶ビールキリン中瓶1本 黄桜1合今日の写真は宮崎空港滑走路脇に見えた航空大学校の機庫です。パイロットになろうとする者はここ宮崎で学びます。入学は狭き門と聞いたことがあります。もう一枚は利用した駐車場の図。諄いようですが、軽トラは1台もない。
2018年11月11日
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平成30年6月23日(土) 午前4時起床。曇りのち雨。ホテルの部屋にごろり。だらだらサッカーを観ました。眠くなって二度寝。 今日は完全フリーの日。さて何をしようか。頭の冴える午前は一応真面目にしておくか。先ずは腹ごしらえです。午前8時、宿のモーニングを避け、吉野家へ突っ込みました。私のまちにはすき家はありますが、このみせはありません。普通盛り、あたま増量、汁だくを注文。掻き込みました。早起きをしているので空腹。とても美味しく感じました。 通常、美術館の類いは午前10時が会館です。それまで少し時間がありました。天井を張り替えるか。1ヶ月前、出張で上京の折に利用した新橋の床屋を訪ねました。午前9時開店とのこと。まだ30分ありました。うーん、困ったな。とその時1杯220円の珈琲看板が目に入りました。新橋烏森口に立って機関車の向こうにあるコーヒーショップです。勘定の時、カウンターのお姉さんが丁寧な応対、優しかったです。型どおりでなく気持ちがこもっていました。学生のアルバイトでしょう。育ちが判ろうというものです。 旅のメモを書いていて、おっと、早くも9時を回りました。散髪屋へ。15分で張り替えが終わりました。サービス券があったので100円割引になりました。支払いは2ラー。シャンプー、顔そりなしですがかまいません。 さっぱりしたところで目白台へ。地下鉄有楽町線護国寺駅で下車。講談社の本社前を通りました。写真はその会社の出版物です。玄関に飾ってありました。余談ですが、毎週dマガジンで読む週刊現代もありました。連載の漫画「銀行渉外担当竹中治夫」はお薦めです。原作は高杉良です。池井戸潤とともにリーマン稼業の諸氏に人気の作家です。 坂道を上っていきました。汗が出ました。目的地の目印はこれ。 玄関に到着。野間記念館です。 ここは所謂野間コレクションを所蔵。今日は近代日本の洋画展と銘打っての展示会をやっていました。藤島武二や岡田三郎助、黒田清輝の名前に釣られて訪ねたのでした。一周、一通り鑑賞しました。惹かれたのは林武の2枚。入場料金は5/6ラー。コスパがよいとみるか、それなりなのか、難しいところです。それにしても展示会の案内文は大上段に振りかざし過ぎの感。土産物で言うと上げ底。学芸員さん、苦労したんだろうな。 辺りは閑静な住宅街でした。建物は緑の中。道を隔て、樹間に有名な教会の尖塔が覗きました。そちらも訪ねようか。しかし空模様が怪しい。先を急ぎました。次はここ、永青文庫です。細川藩のコレクションが詰まっているとのこと。 今回の展示は良寬和尚のものが中心でした。書簡を表装が多かったです。同世代のご婦人方が多かったです。団体さんでしょう、揉まれながらの鑑賞でした。部屋を回りながら、仙厓和尚と比べてしまう杣夫でした。 いよいよ泣き出しそうな空でした。 永青文庫を後にし、胸突という名のついた坂を下りました。ん?関口芭蕉庵という看板がありました。緑の深い斜面に古風な木造と風流の池や遊歩道。ちょっと覗いてみようか。写真は中に見つけた芭蕉自筆の句碑です。田舎者の杣夫にとってはさしたるものなしに見えますが、都会の真ん中にあってこの緑です。それはそれでいいのでしょう。という施設を管理する年配の方と立ち話。東京生まれ、長野育ち、東京に出て長野を忘れた、ふるさとがどんどん遠くなる、リタイアして田舎に戻る人もいるけれど自分にはできない、とため息交じり。 坂を下りきって神田川を渡りました。橋の上から水面を覗き込みました。大きいマゴイがゆったり泳いでいました。都会の川は汚いというイメージがありましたが、案外との思いがしました。けれども鯉は汚れ・濁りに強い魚です。コイし か住めぬ川というのは信用できません。そんなことを思いながら流れに沿って江戸川橋へ。降り始めた雨が本格的となり、少し濡れました。写真はその神田川です。落ちたら這い上がれません。 ハンカチで濡れた頭を拭きました。電車を待つ間、観た絵画と書を振り返りました。どうも不完全燃焼。昨秋に訪ねた書道博物館に比べ、印象が薄かったです。そういえば書道博物館のコレクションを収集した書家にして画家の中村不折、野間記念館に1枚ありました。妙なつながりです。 つぎはさて、どうするか。吉村昭記念館に突っ込もうか。それとも路線を変更するか。と、そのときでした。亮さんのことが頭をよぎりました。彼は毎週札幌出撃です。私はめったとよそのまちを訪ねることがありません。何の肩か判りませんが、肩を並べるには昼から飲むのが手っ取り早い追いつき方です。よし、それがいい、そうしよう。 東京には飲んべぇの聖地がいくつもあります。その一つ、谷根千を訪ねてみようか。そうするに はとりあえず山手線のどこかの駅に出る必要があります。最も近いのは池袋でしょう。よし、そこで嗽をし、馬力をつけていくか。西池袋の「ます家」という立ち飲みに突っ込みました。黒ホッピーください。通しにペンネが出てきました。煮込みとシロを1本。いい感じの味わいでした。 へい、おまち。この串、ボリュームがありました。占めて2ラー。暖気運転にはちょうどいい感じでした。 JRで谷根千の玄関、日暮里駅へ移動しました。そこで下車。西側に出ました。墓地に沿って坂を上りました。雨が止んで助かりました。上り切ったらこんどは下りです。すぐに谷中銀座の看板が見えてきました。商店街です。メインの小路をひととおりの散歩。あれっ、立ち飲みの店が見当たりません。お かしいな。仕方がないので新橋に戻ろうか。いや、せっかくここまで来たのだから一杯だけ引っ掛けていくか。幸い、角打ちの店がありました。うれしいことに隣が揚物屋。ここでハムカツを買いました。秋田・天の戸を注いでもらいました。表面張力には口から行くしかありません。谷中にはこんな店が散らばっています。立ち飲みに突っ込むのもよいですが、テイクアウトの当てを肴に缶ビールやカップ酒も悪くないな。日暮里駅に戻りました。谷中には波長が合いませんでした。谷根千、奥は深いんでしょうが、今日は仁和寺の和尚でいいや。新橋に戻って仕切り直しをしよう。戻り、烏森口を出ました。おっ、名店「へそ」があるぞ。新橋のリーマンでここを知らないとモグリです。突っ込みました。生を頂戴。それ とハムカツ。午後4時までは1品プラス生1杯が480円。このコスパ、たまりません。ここはこれで打ち止め。午後3時半か。ホテルに戻るにはまだ早いな。ぶらり、物色散歩をしました。おっ、惹かれる店構えです。店頭に牡蠣を置いていました。よし、それをいってみよう。突っ込みました。生牡蠣と冷酒をやって頂戴。出てきました。日本酒は桃川。パクリ、グビッ。うーん、幸せです。満足満足。さて、スパッと切り上げるのがはしご酒の鉄則です。勘定は3ラーでした。いい気色で支払いを済ませ、ウーイ、千鳥足で店を出ました。「お客さーん、忘れ物ですよ~」酒をなみなみ注いでくれたチャキチャキのお姉さんが追いかけてきました。大事なカメラキャノンG15 を失くすところでした。なんだか腹が空いてきました。ちょうど「俺のイタリアン」が目に入りました。雨の新橋、しかも土曜日です。酔客が少ない。この店内も半分ほどの入りでした。とりあえずワインとチーズを注文。ゴルゴンゾーラのテリーヌ。バケットに載せ、蜂蜜を垂らしました。これがなかなかいけました。メインはアラビアータ。チーズがたっぷり。腹いっぱいになりました。満足満足。ワイン2杯を飲んで合計4ラー強。さすが俺シリーズの店です。コスパあり。今日はこのくらいで堪えてやろうか。午後6時前、ホテルに戻りました。バタンキュー。今日の類語「聖地」霊地、霊場、札所聖地の類語は少ないです。飲み 屋の括りだと「札所」という表現もありかな。亮さんは酒場の梯子を檀家回りと言っていたな。それもいい表現です。今日の一句居酒屋の当たり外れが次の糧今日のランなし今日の酒黒ホッピー1杯 生ビール1杯 冷酒2合 赤ワイン2杯今日の写真は野間記念館にあった石灯篭です。私の背丈の2倍でした。立派なものです。個人的な話です。石の灯篭には関心があります。良くも悪くも朝鮮半島と日本の関係に大きくかかわるのが石の灯篭です。高句麗、百済、新羅、朝鮮の灯篭はそれぞれ独自の様式を持ちます。形を覚えて、日本でそれに出会うと、その灯篭がたどった数奇の運命を感じるから不思議です。平成30年6月24日(日) 午前4時起床。曇りのち晴れ。 午前10時、妻と東京駅で落ち合う約束をしていました。都会は夜が遅いだけに、朝の動きが鈍いです。店や各施設の開店は10時11時が普通です。毎日、鶏と早起きの競争が杣夫には手持無沙汰。本がないのでスマホにダウンロードの書籍を読みました。露伴の随筆がいい感じでした。それに倦いて9時にホテルをチェックアウト。珈琲を飲んでいくか。昨日の店に突っ込みました。あのお姉さんはいませんでした。残念。旅の楽しみは友人知人へ葉書を出すことです。そこで10枚を。ちょうど店の前にポストがあって助かりました。 ぶらり、銀の鈴に向かいました。一角に何十人も腰掛けることのできるベンチがありました。そこに座ってぼんやりしていると、前に崩れたおっさんが座りました。パカッ、パカッと音がしました。缶詰とワンカップの蓋をあけた ようでした。人込みに背を向け、ちびりちびりやり始めました。その様子に見とれ、妻と娘が横に立ったのに気がつきませんでした。娘とはここが最後。彼女に別れを告げ、さてどうする?「あなた、パンダを見たいわ」げっ。参ったな。仕方がありません。上野駅に向かいました。「あなた、お腹が空いたわ。動物園の前にお寿司を食べましょうよ。マグロがよくてよ」御徒町で下車。アメ横の筋を歩きました。おっ、大統領だ。ちょっと寄って行かないか、口をつきそうになりました。いそいそ歩む後姿を見て、堪えました。 突っ込んだ先は回転寿司の三浦三崎水産。評判のお店です。10時を回ったばかりなのにすでに満員。何とか隅に座ることができました。 ネタはそこそこのレベル。写真は妻のや っつけた皿です。生ビールは私が飲みました。 私がつまんだのはこれ。生タコがいい感じでした。 小さな店ですが、活気がありました。職人さんもプロの気概を感じさせる方ばかりでした。ここの回転寿司、侮るなかれ。それが証拠、店を出たらこの態です。ネット情報を見てなのでしょうか、外国の方と思しき人たちが列をなしていました。 高架下を抜け、坂を上りました。一昨日ヴェルディを聴いた東京文化会館の隣を横切りました。動物園の前にたどり着きました。やっ!なんと待ち時間150分。あきまへん。恨めしそうな顔をする妻を宥めました。ぐずるのを説得、涼しい場所があるからと手を引きました。隣にある東京都美術館でプーシキン美術館展をやっていました。 渡りに船、これ幸い。2時間半もたかがパンダ、貴重な時間を取られるわけにはいきません。入場。ルノアール、モネ、セザンヌ、ルソー、ピカソ。時代順に風景画の変遷をたどる仕立てでした。ルノアールのピンク、モネのブルー、写真だと判らないことを実物が教えてくれます。いくら録音を聞いても生演奏の会場を訪ねない限り知ることのできない音楽と同じです。次の写真はルソーのジャングルです。 堪能しました。妻のふくれっ面は直りませんでした。売店にクレヨンを売ってありました。ピカソも使ったという触れ込みでした。機嫌直しに買ってやろう。げっ!14色が20ラー近く。出した財布をひっこめました。 おっ、もう午後2時か。急がねば。午後3時、昨夏まで佐伯に住んだシミ君夫妻と船橋で会う約束をしていまし た。東京駅に戻り、総武線の快速に乗りました。船橋まではすぐでした。久しぶりの再会。シミ君は少し痩せていました。奥さんは相変わらずお綺麗。久闊を叙しました。 ビールを流しながら積もる話。楽しい時間はあっという間でした。写真は食べたハムの盛り合わせ。 うーん、どうも不完全燃焼です。シミ君、もっとディープな店はないの?もう1軒行こうよ。 穴場を教えてくれました。大衆酒場「増やま」。満員でした。おっさんが一人、外に座ってひっかけ中でした。声をかけられました。ここに座るよう言われました。二つ返事で椅子の準備を手伝いました。と、その時、中が空いたとの声。汚い所に座るのは嫌よ、顔を引きつらせた女性陣も一安心。 中はこんな感じのコの字カウン ター。感じのいいお兄さんが切り盛りしていました。 メニューが充実。コスパありでした。 吉田類の番組に時々登場のホイスを注文してみました。一口飲んで、向きが悪かったです。煮込みを頼みました。ハチノスがメインのホルモンでした。美味かったです。後で妻においしかっただろう?と同意を求めました。「確かにいい味だったわ。でもあのホルモン、気持ち悪かったから裏返しにして食べたのよ」 戻ります。when in Rome, do as the Romans doです。地酒・梅一輪をやってもらいました。 当然口からです。 隣のお客さんが紅ショウガの天ぷらというのを注文していました。惹かれました。 そちらを頼まずに竹輪の磯辺揚げと茗荷の天麩羅。 烏賊ゲソ天も出てきました。 玄関で鉢合わせのおっさんが話止めませんでした。なかなか面白い内容でした。熊本県出身、高校野球が好きだ、昔、予選は中九州大会というのがあって熊本と大分の勝った方が甲子園だった、大分商業と津久見にやられた、佐伯鶴城は名門だね、私かい?済々黌でも熊高でもないよ、若い時分に都会へ出て落ちぶれた、毎日、酒が友達だ、肥後もっこすも焼きが回ったわい・・・。別れ際、お元気でというと、「いいや、明 日死ぬ」と返されました。彼、梅一輪を1杯馳走してくれました。 その後、船橋のスタバでお茶をしてシミ君夫妻と別れました。お元気で、また会いましょう。 京成の改札で見送りを受けました。楽しい一時でした。ありがとうございました。 電車は印旛沼の向こうに沈む夕日の中を成田向け。日曜日の夕刻ということもあって車内は閑散。日の暮れる前に京成成田駅近くのホテルへチェックイン。 何とはなし、物足りません。昨秋突っ込んだことのある「寅屋」を思い出しました。妻に、突っ込もよ。あまり気乗りがしていない様子でしたが、ついてきてくれました。 ホッピーで乾杯。娘、息子がそれぞれどんな様子だったか、飲みながら情報交換。2人とも何とかやっているよう。夫婦して肩の荷を下ろしました。 当てが出て きました。ここの焼豚はボリュームに加えて味も格別。 この店、中はこんな感じです。こういう店があると通い詰めそうです。 いい気色になりました。もう一軒いきますか。誘いました。旅行最終日、解放感もあって「あなた、ワインを飲みたいわ」 駅にロータリーに面した店に入りました。ジャズバーでした。ちょうどライブをやっていました。 グラスワインも生演奏を聴きながらだと香りが立ちます。 ジャズは門外漢ですが、トランぺッターが上手に感じました。お客さんは入れ替わり立ち替わりの外国人。カウンターに座ったラフな格好をした中国の御婦人、とても乗りがよかったです。 今夜はこれで打ち止め。ホテルへ戻りました。 ひと風呂浴びたら口直しにビールを飲みたくなりました。えいままよ、旅の恥はかき捨てだ。浴衣を着たまま外に出ました。近くのコンビニでオリオンと札幌を一缶ずつ。前者を干してバタンキュー。今日の類語「機嫌」 気色、気味、情緒、情動、衝動、情調、情操 これが類語かと思うような言葉が多いです。気色と書いて「きしょく」「けしき」の二通りの読みがあります。前者はものから受ける不気味な感じ、後者は外見に現われる人の心理。衝動は衝動買いの衝動。衝動飲みというのはあるのだろうか。今日の一句名残惜し酒も肴も今日限り今日のランなし今日の酒生ビール1 ホイス1 ホッピー1 冷酒1合 グラスワイン2杯 ウイスキー2ショッ ト今日の写真はホテルを出がけ、近くにあったバンコックバンク東 京支店です。タイ最大の商業銀行です。マークが素敵だったのでパチリ。記念に一枚撮りました。もう一枚は立ち寄った回転寿司に掛かってあった時計です。うん、これもいい感じです。平成30年6月25日(月) 午前4時起床。晴れ。 冷蔵庫に昨日のサッポロが一缶残っていました。プシュッ。今回の上京、これが最後の杯でした。 簡素な朝食を食べました。空港まではホテル専用のバス。15分で到着。10時30分の予定が11時に離陸となりました。何度も書きますが、楽しい時間はあっという間でした。 飛行中、霞がかっていましたが、近場はよく見えました。写真は雪の残る富士山です。 名古屋、大阪、瀬戸内・・・。ぼんやりの時間でした。大分空港に降りて昼食。山小屋というラーメン屋さんに突っ込みました。腹が朽ちて、東京のことをふっ切ることができました。 午後3時過ぎ、自宅に到着。トラが纏わりつきました。おーよしよし、撫でたら落ち着きました。しかし顔つきは険しい。1人の4日間がこたえたのでしょうか。 さてと、疲れをとるにはランが一番。一丁走るか。着替えてランシューズを履きました。以下はカメランです。小中尾付近で犬を乗せた軽トラと行き遭わせました。名を訊きました。クロだそうでした。一目瞭然。それにしてもよく吠える。 やっ、川の向こうにシマヘビだ。1.5mはありそう。 林道入り口で折り返しました。おっ、IのTちゃんが犬を連れて散歩だ。こちらの黒はやさしい顔つきです。 やっ!道にカラスヘビだ。よく見たら轢かれたのでしょう、腹から血を出していました。 家に戻りました。妻は4日間放置した野菜の手入れ。ゴーヤが生り始めました 。このジュース、美味しいんです。「あなた、ついさっき、隣のYさんに魚をいただいたの。お願いね」疲れていましたが、ここで放り出しては男がすたる。包丁を持ちました。魚はチダイとイサキ。鮮度抜群キンキンバチバチでした。 どうですか、この色合い。 チャチャッとやっつけました。チダイの半身を刺身に。 後は煮付け用。 こちらはトラへの分け前です。お~よしよし、おいで。 腹の朽ちて満足の図。お前が一番だ。私も焼酎を炭酸で割ってバタンキュー。今日の類語「放り出す」 止める、止す、中止、解除、打ち切る、締め切る、切り上げる、手を引く、見合わせる、見送る、思い止まる、踏み止まる、欠航 どれも中止の意味を含んでいますが、嫌になって無責任な状態で止めてしまう感じをもつのは「放り出す」という言葉だけです。今日の一句鶏魚割く骨の硬さや梅雨のゆく今日のラン6km今日の酒焼酎2合今日の写真はランの途中、蛇を見た谷に覆いかぶさるよう、合歓が満開です。。おまけ
2018年06月25日
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平成29年10月1日(日) 午前5時起床。晴れ。午前に息子のアパートを訪ねる予定でした。昨夜のうちに都合悪しの電話。初日の夜に会ってもう話は済んだつもりか。でも仕方ありません。これが親離れというものなんでしょう。 ホテルの前にサンマルクカフェがありました。そこのモーニングを食べながら今日の作戦を練りました。よし、鶯谷の書道博物館を冷やかそう。子規庵もあることだし。 JRでその駅鴬谷へ。この名前、年配のかたは笑福亭鶴光のオールナイトニッポンに覚え有りのことと存じます。いらっしゃいませいらっしゃいませの鶯谷ミュージックホールです。ああここに来たな。そう思いながら改札を出ました。地図に沿って博物館へ。途中は喋喋喃喃が目的のホテル街でした。心持ち膨らんだ感じのショルダーバックを下げた妙齢の女性が目につきました。私の前を歩いていて、突然立ち止まり、くるり後ろを振り向いた後、さっと玄関の暗がりに消えました。うーむ、意味深長だ。博物館から駅に戻る折も同様の光景や、陽射しに眩しげの顔つきとなったカップルが玄関を出るところに出くわしました。なるほど、鶯谷は鴬谷です。 書道博物館はそのようなところにありました。 ここの収蔵品、ほとんどは中村不折の蒐集品です。 彼は江戸末期に生まれ、昭和18年に没しました。洋画家であり書家でもありました。描いては売り、買いては売り。得た蓄財で中国の書を集めたのです。昭和8年、それらを展示・公開するため建設したのが書道博物館。今は台東区の施設として運営されています。ちなみに中村の手によるものとしては、油彩を別にすると「吾輩は猫である」や「若菜集」の挿画を描き、森林太郎の墓碑、清酒「眞澄」や新宿中村家インドカリーの字などです。 目録を販売していました。私は不要です。そのお金を夜のお勤めに廻さなければなりません。印象深い書はメモすればよい。ということで感じ入った作品をいくつか。 入館したら王義之が出迎えてくれました。勿論「蘭亭の序」がありました。続いて息子の王献之。則天武后の書も。中国唯一の女帝です。76歳に書いたものを展示してありました。丸々とした字体。艶めかしい人だったのかな。目を移すと「泰山刻石」や唐の玄宗が書。続いて書顔眞卿。褚遂良とともに隋・唐の名筆。北宋の大家も軒並み。蔡襄、蘇軾、黄庭堅などでした。蘇軾の「赤壁賦」は歴史考証的価値と漢詩の芸術性の両方を併せ持ちます。素晴らしい。杜牧、陸游(三国志・陸孫の子孫)、時代が下がり、乾隆帝や林則徐のものも。林はアヘン戦争時、厳しくアヘンを取り締まった欽差大臣(緊急の重要案件を処理する要職)でした。陳舜臣の「アヘン戦争」に登場します。同じ時代の康有為も。 部屋を変わると三国志の頃のものが充実。曹操が息子曹丕に位を譲った石碑の拓本、陸孫の孫、陸機の書。なんと孔明の書「玄莫帖」も。拓本でした。なんとも変わった書体でした。丸みを帯びたゴシック体でした。始めてみる字体。「?マーク」のマジック(先が角になっているあれ)で書いた字をイメージしたらよいと思います。それにしてもこれを諸葛亮孔明が書いたのか。今から1800年近く前、あの孔明が認めたものが今目の前にあるんです。遥かも遥か、心の内に時空を超えての世界が広がりました。この横に添えるように「出師表」が2種類。唐と明の時代の筆、李邕と祝允明が書いたものです。ため息が出ました。 見入って、時の経つのを忘れました。嗚呼、いいものを鑑賞した。所蔵品の素晴らしさ、話には聞いていました。しかし、まさか孔明の書に対峙しようとは。思いもよりませんでした。息子のことはさておき、これを見ただけで上京した甲斐があろうというものです。 この博物館、別棟に金石類の展示がありました。胸が一杯になったので、そちらは駆け足で。 勉強になったことは日本の石墓、庶民が使いだしたのは江戸時代後期ですが、中国ではすでに漢の時代からであったこと、棺の蓋がそれであったこと、鉛の札に刻まれた文字は墓券と言われ、死後の世界の役人宛て、金額と墳墓の面積が書いてあること、後年、その墓石が集められて建築材として利用されていたこと、興味は尽きませんでした。目を惹いたのは璧。史記、趙の恵文王と蘭相如の話に出てくる「和氏の璧」の璧です。高校の漢文授業で璧のなんたるかを判らないまま丸覚えでした。和氏の璧ではありませんが、璧の実物がありました。疑問解決。「完璧」の由来です。 昼飯を食べずに4時間、疲れました。しかし、この心地よさは何にも代えがたい。ということで高揚した気分は鎮めないといけません。しかし、此処は鶯谷。女衒に操られる女に声を掛けられかねません。その鎮められ方は興味ありますが法度。急いで上野に向かいました。 目指すはアメ横の大統領。言わずと知れた大衆酒場です。吉田類の番組にも登場しました。飲んべえの甲子園、あこがれの地です。当然突っ込みました。 おーっ、やってるやってる。 瓶ビールで喉を潤しました。当てはナニハトモアレの煮込み。 物足りません。向かいの「たきおか」に突っ込みました。真っ赤な顔をしたお兄さんが愛想を振りまいていました。こちらは立ち飲み。 里芋の煮っ転がしを生中で流しました。椅子のない分、大統領よりコスパ有り。 晩杯屋のハムカツが美味しかったことを思い出しました。此処のはどうなんだろう。頼んでみました。値段の安い分、それなりでした。 東京の下町風情を満喫。嗚呼、このまちとは今日でおさらばです。京成線で成田に向かいました。飛行機は明日早朝発。今夜は成田に泊。ライナーに乗ると高いので、特急に乗りました。途中、青砥駅を通過。下車して突っ込もうか。いやいや、いけない。先ほど、の見納めを決めたばかりだ。我慢しました。 京成成田に着きました。ホテルにチェックイン。シャワーを浴びてうとうとなりました。目が覚めて、嗚呼、明日はもう九州の方田舎だな。そう思うと寂しさがこみ上げてきました。仕方ありません。寂寥を癒すには立ち飲みしかありません。出撃しました。途中でワクチンを補給。 都内から離れると、駅周辺の賑わいは薄れます。寅屋という立ち飲みに突っ込んだんですが、客層はぐっとブルーカラー。ニッカボッカを履いて腕っぷしの強そうな猪首のお兄さん、作業ズボンに地下足袋の似あう同世代と思しきおっさん、オートレースを楽しんだリタイア組らしき御仁・・・。皆さん、ニコニコ顔でモツを頬張りながらサワーを流していました。 メニューはこんな感じです。金宮マークが目立ちます。 先ずはシロ。日本酒で流しました。 煮込みを日本酒で流しました。この料理、各店が自慢を誇っています。入ると先ずの注文がよろしい。 隣のおっさんがうまそうにレバーを食べていました。下がりと1本ずつやってもらいました。絶品でした。 郷に入っては郷に従え、ホッピーを貰いました。サワーよりましです。 折角だからもう一軒、JR成田駅の方を冷やかしてみよう。いい感じの立ち飲みがありました。あとになって店を出る時、ここが先の店と姉妹店であることを知りました。でも客層はリーマンとお姉さんたち。店が客層に合わせて2パターンを用意している。いい感じでした。 此処では煮込みを日本酒で流しました。やっぱり冷やがいいです。 さあ帰ろうか。店を出たら、おっ、おでんの文字。勃然、日本酒に出汁を混ぜる飲み方を思い出しました。よし、もちょっとだけ。ふらり、「博多劇場」に入りました。 店内は国際色豊かでした。成田空港利用者かな。 看板のおでんがいい感じでした。 コップをもらい、「おでん、汁多めでね」。「あいよ、汁多めね」。覚えた出汁割りをこさえました。 ちびりやりながら書道博物館の印象を荒書きしていたら、隣のおっさん二人が声をかけてきました。「その飲み方、始めてだよ。美味いかい?」いきさつを話し、一杯ずつ馳走しました。話が弾みました。一人は秋田、もう1人は大分・日田の出身。大手建設会社の下請けの下請けで働く技術屋さんたちでした。気持ちのいい方々でした。話の内容は、孫請け会社が如何にピンはねされているか、嘆き節でした。お元気で。 店を出たところにワインバーがありました。そういえば上京して以来、ワインを飲んでいませんでした。1杯だけ飲んでいくか。オープンエアの席に座りました。グラスワインを貰いました。少し離れた席にいい格好しいのおっさんが葉巻をくゆらせ始めました。いい香りでした。 もうこれでおしまい。打ち止め。京成成田駅の地下を通り、ホテルの側に戻りました。喉が渇きました。あと1本だけ、ビールを飲むか。ふらり、コンビニへ寄りました。オリオンビールを手に取りました。小腹がすいたので、鉄火巻きも1本。パクつきながら、早出の準備をしました。バタンキュー。今日の一句我が胸も秋風の吹く五丈原蘭亭を心で真似し酒斗の酒町の宿春を鬻いで子規悲し今日のランなし今日の酒忘れました。今日の写真は閉門中の子規庵です。 たまたまの閉館。残念でした。塀越しに覗き込んでみました。いい風情でした。
2017年10月01日
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平成29年9月30日(土) 午前4時起床。晴れ。ホテルの朝ご飯はバイキングの馳走。いけません。欲ですから食べ過ぎてしまいます。夕刻まで腹がすかない。加えて夜の部もあります。胃の腑を休ませるのもテクニックの一つ。ということで食べずに吉野家へ突っ込みました。卵かけごはんとシラスにみそ汁。腹の朽ちたところで、さて今日は何をしようか。昨夜、都合で会うこと能ず、娘のメールを見ていろいろ考えました。 吉川英治記念館を訪ねようか。でも青梅市の奥です。遠いな。一日潰れてしまう。もったいないな。ボストン美術館展を上野に訪ねるのもいいけれど、それを見たら昨日訪ねた東洋文庫の印象が薄れてしまいそうだし。とその時、新聞のスポーツ面に目がとまりました。おっ、横浜にカープがやってきているぞ。見に行こうか。チケットを調べました。完売でした。ダフ屋から買うのは嫌だし。もしそうしてもナイターだから終るのは午後9時を過ぎる。夜のお勤めに影響が出てはいけません。断念。おっ、昼の部もあるぞ。今日明日の2日間、神宮球場で東京六大学野球の試合があるとのこと。立教対明治、東大対早稲田の2カードです。東大の宮台投手を見ることができるな。よし、覗いてみるか。 JRで信濃町へ移動。都内の移動は、スイカとスマホの乗り換え案内ソフトが役立ちます。普段は全く使いませんが、上京の折は重宝です。コンビニでワンカップとおにぎり二つ、それに緑茶「綾鷹」を買っていざ神宮へ。 歩道橋を超えて外苑に入りました。おっ、立派な建物が見えてきました。聖徳記念絵画館です。中に献上の絵画を展示してあるとのこと。調べたらウィキにリストがありました。惹かれませんでした。スルー。 目当ての神宮球場が見えてきました。1塁側スタンドの外側に明治大学応援団と判る集団が整列。団長と思しき人が訓示を垂れていました。女性でした。今の時代です。さもありなん。 ネット裏の料金は1,500円でした。中の通路に売店がありました。ビールやカレーを販売していました。フィールドはバッティング練習の最中でした。さすが六大学です。みな、バットの振りが鋭いし、打球もライナー性ばかり。スコアボードにベンチ入りも含めたメンバー全員の紹介がありました。出身高校を見ると、甲子園常連校が多い。両翼のスタンドに目を移しました。試合前なのに、応援席は早くも盛り上がっていました。立教側はチアリーディング部の加勢を得ているようでした。それが証拠、女子応援部員とは思えない軽快なステップ。 翻って明治のほうは切れ味が今一つ。その分、応援への入れ込みよう、気持ちはこちらのほうが勝っていたようでした。若人のエネルギーを目の当たりにし、も一度学生時代に戻りたくなりました。 試合直前、先発メンバーの紹介がありました。打順に従い守備位置、氏名、出身高校がコールされました。ここまでは40年前の田舎、北海道の大学野球と同じです。違うのは、バックスクリーンがフルカラーになっていて、アナウンスとともに選手の特大カラー写真が映し出されるのです。時代は代りました。ちなみにアナウンサーは明治大学の女子マネージャーが努めます、と自己紹介がありました。しっかりしたものです。アナウンスはプロまがい、しっかりした口調でした。 回が進み5回になると校歌の演奏です。バックスクリーンに歌詞が映し出されました。至れり尽くせりです。各大学とも卒業生が多いので、この演出も受けるのでしょう。 加えて日刊スポーツがTOKYOROCKSという新聞を発行。この注目度、田舎大学の卒業生にとっては羨ましい限り。箱根駅伝も関東の大学しか出場資格はありません。このあたりも一極集中の要因です。 第1試合は2対1で明治が立教に辛勝。立教の田中誠也投手、小柄ながら素晴らしいバネ。右足を高く振り上げ、こ気味のよい投球でした。まだ2年。プロになるだろうな。マウンドの選手が彼です。 2試合目、東大の宮台が先発。すぐに点を取られました。見る限り、評判を感じませんでした。写真の中央、ピッチング練習が彼です。 点差が開き、飽きました。クルリ、左上に目をやりました。レフトスタンドの向こうに角のような形をしたクレーンがいくつもそびえていました。ははーん、新国立競技場の建設現場だな。東京オリンピックに備え、突貫工事をしているんだろうな。 そう考えて、ハッとしました。取り壊された国立競技場、それが建設される前、そこに明治神宮外苑競技場があったのです。神宮外苑といえば「雨の神宮外苑」。そうです、74年前の10月21日、この場所で「出陣学徒壮行会」が催されたのです。その折の画像はYouTubeで見ることができます。時の総理大臣の勿体ぶったる大演説、返す答辞は東大文学部の学生。これもまた聴く人を酔わせる美文調。しかし、昂揚感とは裏腹、行進する多くの学生は悲壮感よりも覚めた心を感じる顔、それを悲しい目でそれを見送る女学生。運命を従容として受け入れざるを得ない若者の諦念と感じるのは私だけでしょうか。 ちなみに答辞の学生は、入隊後も戦地へ行かず、生き残りました。物議をかもした話は周知のことです。私のブログに詳しい内容を記すことはできません。にわか知識で個人を貶めることになりかねません。割愛することにします。 ボーっとなりました。東大の勝利が遠のきました。判官びいきの私です。面白くない。どうでもいい気持になりました。 それにしてもです。今、目の前に白球を追う学生、スタンドで彼らを励ます応援団とブラスバンド、弾けるばかりの健康美を振りまくチアガール。74年前、ここを行進した若者の誰が今日のこの光景を予想したでしょうか。平和、大切にしなければなりません。改めてそう思いました。 閑話休題、球場を後にしました。学徒出陣のことをして、なんだか妙な気分になりました。切り替えないといけません。夜のお勤めに差し障りが出てはならじ。よし、神田に行ってみよう。気分転換、古書店街を冷やかすことにしました。外苑前から半蔵門線に乗って神保町へ。地上に出ました。順番に各店先の100均を漁っていきました。 欲しい本が沢山ありました。 手当たり次第、籠に入れたい欲求に駆られました。店の張り紙に10,000円以上で日本全国送料無料とありました。100冊買ったら持ち帰らなくて済みます。よっぽどそうしようかと思いました。でも、今回の上京にこのミッションはありません。衝動買いはよしておこう。やめました。 覚えのある本屋が多かったです。記憶になかったのがここ。東洋堂でした。その名の通り、東洋史関連が中心でした。朝鮮半島の歴史を考察したものが山積み。雰囲気は良かったですが、本のそれぞれがあまりにも微に入り細に入りだったので、かえって惹かれませんでした。私の場合、歴史物は通史、俯瞰に限ります。トピックは小説のほうがいい。 さてと、疲れました。立ち読みも3時間を超えると、足が棒になります。そろそろ勤行モード、修行に行くとするか。JR水道橋に向かいました。右手に日大の経済学部校舎が林立。立派な建物ばかりでした。流石「日本大学」です。それにしても運動場がないな。体育の講義はどこでするんだろうな。余計な心配ですが、気になりました。 今日は十条を攻めてみようか。一旦池袋に出て埼京線に乗り換えました。目的地の駅に着きました。駅前のマツモトキヨシで解毒剤を準備しました。 このまちも立ち飲みの聖地です。入った路地に雰囲気がありました。 少し歩いて「碁ゑん」という比較的新しい店に。 ん?此処は皆座っているぞ。 瓶ビールを貰いました。ふーん、中瓶じゃーないんだな。 当て、先ずは厚揚げ。 次いで串を4本もらいました。美味しかったですが、店が若いだけに、ディープさに少し欠けていたかな。 店を出ました。おっ、ニャンコだ。商店街を入った小路にいました。こちらを振り向く表情が可愛い。目の色が違うだけで毛並みはトラと瓜二つ。 やっ、犬が2匹、雑貨屋の店番をしていました。声を掛けましたが無視されました。撫でようか。でも噛まれたらいけません。やめました。 十条に来て此処に寄らずんば仁和寺の法師です。「大衆酒場斉藤」に突っ込みました。 地域密着型でした。ビールが冷水に浸かっていました。 ポテサラと冷酒を注文。 次いで煮込みを貰いました。此処の客層、ブルーカラーのおっさんは一人もいませんでした。週末を楽しんだ主婦のグループやカップルでした。人気があるんだな。 十条の印象、店が散在しているような。梯子より一つの店に落ち着いての方がいい感じかな。おっ、夜の帳が降りて来ました。雲間に月が浮かんでいました。そろそろ戻ろうか。 池袋で山手線に乗り換えないといけません。とその時神の啓示。乗り換えず改札を出なさい、とのこと。そうしました。写真はそのまちの夜です。 黒おでんのメニューに惹かれ、「かぶら屋」という立ち飲みにふらり入店。 次の写真はその黒おでんです。昨日覚えた日本酒のおでん出汁割りで流しました。 池袋には敬意を表しただけ。巣鴨に戻りました。うーん、蛇の生殺しです。あとちょっとだけ、ということで昨晩の「晩杯屋」を急襲。ハムカツの味をもう一度と思ったからでした。それを注文。 次いで日本酒を。おでんを貰い、此処でも出汁割り。収まりがつきました。今日はこれで堪えてやろう。今日の一句十条の月も違わず立ち飲みか今日のランなし今日の酒カウント能わず今日の写真は十条で見つけたアジアの食材店です。都会ではよく見かけるようになりました。髭のおっさん、顔が中東系でした。
2017年09月30日
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平成29年9月29日(金) 午前5時起床。晴れ。 ロビーの無料新聞は読売。それを持ってホテル向かいのコメダ珈琲へ。小倉餡のトーストがついたモーニングを頼みました。コーヒーは、好みと違う味でした。訪名の折、毎朝突っ込んだ時と違う感じでした。好みが変わったのかな。 ここで90分を潰し、東洋文庫へ向かいました。喧噪を離れると、閑静な住宅地になりました。文京学院大付属の女子高校校舎が上品でそた。目を惹きました。通う生徒はお嬢さんかな。歩を進めたら六義園の大木が塀越し、枝を歩道・道路に張り出していました。欅でした。落葉の折は掃除が大変だろうな。それにしても東京は大きな木が多い。街中いたるところに大木があります。大分・佐伯の山でもあまり見ることはない。銀杏に加え、樫も太いです。これはいい薪になりそう。 この緑地を過ぎるとすぐに目的地でした。 ここを訪ねたかったのです。午前10時、開館と同時に腕まくりして入館。4時間没頭しました。評判に違わずでした。本物の迫力に圧倒されました。実物書籍、文書を目の当たりにし、時空を超える遥かな思いになりました。この感覚がいいんです。エクスタシーでした。 東洋文庫はその名の通り本の博物館です。19世紀後半から20世紀前半にかけて清朝末期を生きたオーストラリア人・モリソンの収集がベースになっています。西洋で刊行の中国物が中心です。 モリソンのことも略記しておきます。メルボルン生まれ。英国留学、医師の資格を取りました。ドクターにして探検・冒険家、ジャーナリスト。英・タイムズ社特派員として中国に長期滞在、義和団事件に遭遇、後に孫文の中華民国総統府顧問に就任。対日21カ条の交渉に同席。日本が旅順入場の際、外国人としてただ一人参加の人とのこと。 彼が清滞在中に集めた本は2万冊を超えました。1917年、このコレクションを日本の三菱財閥岩崎休弥が購入。日本渡来となりました。100年前です。奇しくも中国の歴史を記した陳舜臣の生まれた年です。ちなみにこれを管理する財団法人の設立は1924年、初代館長は血盟団事件に倒れた井上準之助でした。彼は大分・日田の生まれ。造り酒屋井上酒造の倅でした。その蔵は今も健在、日本酒「角の井」や焼酎「百助」が有名です。おっと、これも余談でした。 さて、この日見たものを紹介します。ここはフラッシュを焚かない限り撮影自由なのでした。 此処の一押し「東方見聞録」です。開いた頁にある動物のマークが印象的です。 先のはイタリア語でしたが、こちらはラテン語。フビライにマルコ謁見の画です。ちなみに陳舜臣はマルコ・ポーロを本にしています。マルコの人となりを知るには必読の一冊です。 英語版には彼の肖像が載っていました。余談ですが、マルコは東方の旅からイタリアに戻り、戦争に従軍。捉えられ獄舎に繋がれました。見聞録はその折の口述筆記です。 洋書だけではありません。春秋経伝衆解(国宝・平安時代の写本)です。言わずと知れた四書五経一つ「春秋」に注釈を施したもの。平安時代に貴族が講義を受けた教科書です。勿論現物。書いてあることは単純です。魯(BC722~481年)の国の歴史。何年何月に戦があったとか、どの国と約束をしたとか、誰それが亡くなったというようなことを単純に列記。歴史を学ぶテキストだったのでしょう。ちなみに春秋とは春と秋、すなわち一年を表しているので年間のあれこれという意味なんだそうです。朝日は天声人語、毎日は余録、読売が編集手帳、日経が春秋の名を使っています。 魏志倭人伝(江戸時代中期の写本)も。これに関しては説明の必要がないでしょう。 日本書紀(1599刊)がありました。これも写本です。内容は言わずもがな。神武天皇から持統天皇までの皇室、政治の記録、寺社のあれこれなど数多のことが書かれています。 他に徒然草の写本や御成敗式目もありました。出色は殿試策。中国・科挙の最終試験の答案です。これ、現物です。清朝1772年の試験トップ合格者のもの。これも勿論実物。 拡大してみました。素晴らしい字体です。本当に答案なんでしょうか。疑いたくなるような出来栄えです。 異色では阿片戦争の画。これ、中学の歴史教科書に必ずといっていいほど掲載されています。これが原本。 名君乾隆黄帝挿画の本も。 何が素晴らしいのかわかりませんがただただ素晴らしい。眠っていた歴史の妙が突然目の前に飛び出してきた感じでした。壁に積み上げられた累々の書籍。入館者が少なく、一人その前にたたずむと、往時の風が吹いてくるような気持ちになりました。少し寒気を覚えたというと大げさでしょうか。建物を出て巣鴨に戻りました。腹ペコでした。地蔵通商店街を冷やかし、何か食べようか。 ん?晩酌セット980円という文字が目に飛び込みました。中国の人が経営の飯店。突っ込みました。当然看板メニューを注文。 2品と生ビールが1杯。 海老玉がいい感じでした。 もう1品は豚足でした。いい味でしたが、少し粘りが強かったです。 近くのとげぬき地蔵に参拝。都電庚申塚駅に向かいました。ホームは小さかったです。改札もなし。下町の風情でした。 車両はチンチン電車と思いきや、新しいものに更新されていました。それに乗って飛鳥山へ向かいました。 そこで降車。もう一つの目的「紙博物館」に入場。此処は製紙技術を学ぶ産業文化系の切り口でした。 以前、千葉にある某工大で教鞭を取るHさんが「入学した学生を必ず見に行かせる」と言わしめたミュージアムです。早足で済ませました。東洋文庫で胸がいっぱいでしたから。ん?紙博物館に船の模型?木材チップ専用船「新本州丸」でした。この船、昭和45年に就航。米サクラメントから亮さんの住む釧路へ向けパルプを運搬したとのこと。 さてと、陽も傾いたことだし、此処は王子だし。折角だから赤羽に足を延ばしてみよう。新橋はサラリーマンの聖地と呼ばれていますが、赤羽は立ち飲みの殿堂。まちに降り立つと早くもその風情でした。 おーっ、左のおっさんがショウケースを覗き込んでいるぞ。 老いも若きも男も女もです。小さな青天井屋台の前に立ち止まり、次の串を待っています。この光景、よいです。 負けてはおれません。「いこい」という店に突っ込みました。 吉田類を真似てレモンサワーをいってみました。うっ、薄い。飲めたものではありません。東京の飲み助連中はこんな水のようなものをやっているんだろうか。煮込みを掻き込んで早々に退散。(決して店が悪いのではありません。日本酒に馴れた舌の私がいけないんです。雰囲気はよかったですよ) 気を取り直して次の店は「喜多屋」。 ビールと青梗菜のナムルを貰いました。昨夜の巣鴨もでしたが、このあたり、瓶といえば大瓶のこと。これが500円。コスパ有りです。 立ち飲みは尻軽を信条です。此処も瓶を干してバイバイよ。最後は「丸健水産」。赤羽に来て寄らない手はありません。そうしました。写真左の女性が若くて美しかったです。此処も酒や当てはその都度キャッシュ。 しきたりに従いカップ酒とおでんを貰いました。 カップの酒が1/3ほどになったところでおでんの汁をそれになみなみ注いで貰います。これがうまかった。家に帰ったら試してみます。ちなみに此処のはんぺんは農林水産大臣賞受賞。食べてその通りでした。 いい気色になって逍遥の気分。とその時でした。目を真っ赤にして、少し疲れた表情、私より一回り近く若い男性が声を掛けてきました。某全国紙記者をしているとのこと。話が弾みました。名詞を頂戴しました。余談ですが、ホテルに戻り、その名を検索したら、記事が数えきれぬほどヒットしました。私、仕事柄少なからず記者の方を知っています。ゼントルマンが多いです。見た目、これだけ崩れた人は少ない。呂律も回っていませんでした。それでも言葉遣いと語彙はしっかり。人は見かけによりません。 おっともう18時を廻ったか。月も昇ったことだし、そろそろ帰るとするか。 巣鴨駅に着きました。何だかもの足りません。もう1軒だけ寄って帰るか。「晩杯屋」という店に突っ込みました。 左隣は帽子を被ったお父さん。酒を呷っていました。 右側向こうはお兄さんが酎ハイをゴクリ。いい雰囲気の店です。 隣にリーマン、50くらいと思しき紳士が立ちました。どちらからともなく話し始めました。父親が広島出身とのこと。私は大分出身、広島とは言葉が近いことを話すと、それじゃー大分弁を話してくれ、そう返されました。チャンネルを切り替え「ちょる」言葉にしました。途端、彼は死んだ父親の言葉そっくりと言い出しました。嬉しかったです。話ながら頻りにスマホで写真を撮っていました。問うと彼もブロガー。名刺を持っていました。くれましたが、差し障りがありそうなので掲載しません。意気投合。年齢と職業を聞かれ思わず「70です。リタイアして飲み歩いています」を口にしました。お若いですねという言葉を期待して。しかし、年相応だなという目で見られました。ショックでした。おっと、閑話休題。頼んだ当てはおでん。最前の丸健水産の真似事をしてみました。 それにしてもこの店、ごった返している。目の前のビールサーバーは休むを知らず。 写真をもう1枚。林客に裾分してもらったハムカツ。厚い。 午後7時半、ホテルに戻りました。ん?娘からメール。土日に会うこと能わずとのこと。残念だなぁ。でも急な上京だったからな。先週なら会えたんだろうけれど。まっ、しかたがない。明日は明日の風が吹く、だ。バタンキュー。今日の一句モリソンの吐息の有りや駒込に義和団に身体張りたる文庫かな今日のランなし今日の酒カウント能わず今日の写真は1686年、ニュルンベルグで刊行の聖書です。大きい。ちなみに今年は宗教改革500周年だそうです。
2017年09月29日
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平成29年9月28日(木) 午前4時起床。雨。 休暇を取って上京。写真は空港バスからの眺めです。別府・十文字原に秋の気配です。この直下は9月に入学式を行う大学・APU(立命館アジア太平洋大学)です。東南アジア・アフリカを中心に世界中から学生が集まっています。学生の6割が留学生だそうです。秋が深まったら、此処に世界報道写真展がやって来ます。楽しみです。 話が逸れました。 飛行機は午後の便。ライトまで少し間がありました。マニアワンのではなく、間に合い過ぎるのも困りもの。仕方がありません。プシュッ。これが昼ご飯でした。 機内で寝入ってしまいました。本を用意していたのですが、酒精に気が緩んでの仕儀。気がついたら成田でした。京成線で都内へ。巣鴨の宿に荷を解きました。今回の上京は子どもに会うためでした。連絡を取り合い、近くにやって来た息子と「鳥晶」という焼き鳥屋に突っ込みました。 先ずはビールで乾杯。 積もる話をしながらモツをつまみました。流石東京です。レバーが新鮮でした。 盛り合わせもレベルが高い。此処でホッピーを注文するのが筋なんでしょうけれど、冷酒を頼みました。甘露でした。 うまい酒にいい肴、息子のトラバーユ話も先ずは祝着。いい気分になりました。よし、銀座へ行こうか。彼の河岸というと大げさですが、馴染みのバーがあるというので父親の立場で顔を出すことに。夜の地下鉄にほろ酔い、親子並んで座る気分、悪くなかったです。某丁目の某ビル某階にそれはありました。若いバーテンダーが複数いました。味わったことのないシングルモルトを3種類楽しみました。ボトルの名前を失念。余韻の深さは格別でした。香りを楽しみながら、今後のことに話題が及びました。いつまでも子どもと思っていましたが、大人になっているのを実感。いよいよ子離れだな。そう独りごちました。店名も写真も能わずなので、代わりに外堀通り?のネオンサインを。 店を出たところで別れました。もう1回、日曜日に彼のアパートを訪ねる予定です。地下鉄で巣鴨に戻りました。飲みたりません。ちょっと寄っていこうか。都会のいいところは駅毎に立ち飲みの店がある点です。「でかんしょ」という立呑処に突っ込みました。デカルト、カント、ショーペンハウエルです。よし、哲学していこうか。 此処のシステムは注文の度に現金払い。勝手が違いました。先ずは生中。ガツの刺身と一緒に流しました。くーっ。沁みました。 この店、広い店内にウィスキーの酒樽を縦においたものをテーブル代わりに使っていました。写真は充実のメニューです。 続いての当ては好物のシロ。ちょっと硬かったかな。 立ち飲みはすぐに河岸を後にするのがエチケット。だいたい30分が目安です。そうしました。さてと、タンク満タンにもう少し余力有りです。ホテルへ戻る途中に何が例かわかりませんがマグロで有名な例の「すしざんまい」がありました。ふらり、店内に入ってしまいました。セットと熱燗を頼みました。 物足りないので鯖とイクラを追加注文。写真は次に流した冷酒「一ノ倉」。これも甘露でした。 うーっ、酔っぱらいました。でも折角の東京です。このままホテルに戻ったら、きっと釧路の亮さんに笑われます。おっ、ラーメン屋があったぞ。 〆はここにするか。看板を見ると「横浜家系」とありました。ラ王禁玉さんのブログによく登場の言葉です。どういうものなのか、確かめるいい機会です。これを注文。 麺とチャーシューは腹に収まりましたが、卵と汁を残しました。焼の廻ったのを実感。今日はこれでお終い。帰宅は午後11時をまわりました。初日からとばしすぎだな。今日の一句焼き鳥の煙目に沁む親子かな今日のランなし今日の酒カウント不能今日の写真なし
2017年09月28日
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平成29年4月10日(月) 午前6時起床。曇り。今日は娘に会う日でした。ホテルサービスの朝食をそうそうに済ませました。新宿駅南口で待ち合わせ。小田急沿線に住む彼女から、電車不具合につき遅れる旨の連絡がありました。迂回してやって来ました。多少の遅刻でしたが、こうした回り道手段のあるのが都会でしょう。 二人は新宿御苑の散歩とスパの岩盤浴・マッサージを楽しみながら女同士の話をするそうでした。一人残されることは折り込み済み。ならばとむかった先はここ。六本木ヒルズの森ビルです。 普段、こんなところに縁の無い杣夫ですが、今日は違いました。このビルの52階にあるギャラリーが大エルミタージュ美術館展をやっていました。月曜日は多くの美術館が休館です。ここだけは違いました。フランス・ハルスの「手袋を持つ男の肖像」を見逃す手はない。蜘蛛の化け物のようなモニュメントの横を通って建物の中に。チケットを買ってエレベーターに乗りました。其処此処の曲がり角やエレベーターの出入り口に案内の人がいました。でも案内だけではなさそうな。セキュリティーのためでしょうか。 さて、その展覧会、入ってすぐにエカテリーナ2世の大きな肖像画がありました。エルミタージュのコレクションは彼女なしには語れないのです。それをしていの一番に本人がモデルの1枚を飾ったのでしょう。しかもこの1枚だけは撮影が許されていました。但しフラッシュ厳禁ですが。パチリ。見れば見るほど大きな女です。女帝としての貫禄があります。大した押し出しです。ウィギリウス・エリクセンという画家によるものです。似ていなかったりしたら大層叱られたでしょう。十分の謝礼があったのでしょうが、時の権力を描く際は筆がさぞ痺れたであろうこと、想像に難くないとは素人考えでしょうか。 めあての「手袋を~」を前にしました。なんと素晴らしい。教科書に載る名画です。見入りました。しかし、それ以上に惹かれたのがレンブラント「運命を悟るハマン」でした。旧約聖書の一場面を描いています。時代は市民絵画の黄金時代。市民国家の形成が進むにつれ、まちの有力者・資産家からの注文が多くなります。一方で古典のクライマックスをテーマにした作品も負けず劣らずです。私はその方に惹かれます。死刑宣告を受けたハマンの諦観、従容として運命に従う彼の表情をモデルなしに描く凄さ。思うに、想像力を膨らませるには文学の素養が必要ではないかと。そのことをしてやはりレンブラントはレンブラントです。余談です。勝手な言い分ですが、私、印象派よりバロックのオールドマスターが好きです。フェルメール、ルーベンス、スペインのベラスケス・・・。堪りません。 閑話休題、サンクトペテルブルグからやって来た絵画は80余り。ゆっくり見て回ることができました。命の洗濯でした。写真は森ビル52階からの眺めです。青山墓地の桜が満開。手前右下に新国立が見えます。そこは今日休館のはず。次の機会に回します。 腹が減りました。麻布十番の駅に下る途中、その名も麻布ラーメンに突っ込みました。 当然、昼ビアを注文。ゴクゴク、プハーッ。堪りません。 醤油ラーメンにしました。券売機でチケットを求めました。結構コッテリの味でした。しるを残しました。隣に座ったあんちゃんは餃子の大盛セットを注文、鉢に一滴も残さずの食べっぷり。亮さんといい勝負だなと思いました。 さてと、腹ごしらえもできたことだし。本郷の方へ行ってみようか。席を立ちました。ビール1杯ではふらつきません。大丈夫です。加えて東京の移動は結構歩きます。階段の上り下りもあり、微醺はすぐに醒めました。地下鉄南北線で東大前へ。此処にある「わだつみのこえ記念館」を訪ねるのが目的でした。駅を出て本郷通りを歩きました。その名の通り左手に東大の本郷キャンパスが続きました。大学はまだ始まっていないのか、閑散としていました。有名な赤門がありました。確かにその色をしています。 わだつみ記念館は通りから少し奥に入ったところにありました。認定NPO法人わだつみのこえ記念館の運営です。マンションの1室を借り受けてのこぢんまりでした。入館は無料でした。 展示内容の大部分は家族・友人に宛てた手紙や葉書でした。原稿用紙に綴った手記もありました。達筆。旧字体の漢字に時代を感じました。岩波文庫に印刷の文字を読むのとは違い、迫力がありました。何せ、肉筆です。内容は近況報告がほとんどでした。家族への気遣いが痛ましい。何れにも、死の影が透けて見えました。それらの中に、新妻へ宛てた愛の手紙がありました。「(戦地にあって)何度も君の名を声に出してみたら、寄り添っているような心持ちになった」旨がありました。涙が出そうになりました。南洋の兵舎にあって明日をも知れぬ身、一人おり妻の名を呼ぶ気持ちの切なさはいかばかりか。悔しさ、憤り。想像を絶するとはこのことです。潤む目を背けることが出来ませんでした。 ここは月水金の3日間、午後1時から午後4時のみの開館です。今日の入館者は私一人でした。理事長と館長がいました。2人を手伝う男性、併せて3人とも年配の方でした。理事長に訪ねた動機を訊かれました。以前、ブログに書いたことのある成迫忠邦氏のことを話しました。成迫氏は佐伯市木立の生まれ、日本大学出身、入隊して石垣島に配属、墜落した米軍飛行兵の捕虜を上官の命令で斬首した人です。復員後、その事実が発覚。大分県庁に就職の決まってさあこれからの時に東京・巣鴨の拘置所に収監されました。裁判で絞首刑判決を受け、28歳の若い命を落としました。身を乗り出して聴いてくれました。遺書とか戦地からの便りなんぞがあれば寄託して欲しい旨のことを言われました。帰って父に相談してみよう。去り際、蔵書の中に成迫氏の遺書を見つけてくれました。コピーをいただきました。これがそれです。 おっ、もうこんな時刻か。日が傾き始めました。沈んだ心を癒やす必要があります。新宿に戻り、名曲喫茶らんぶるに入りました。 地下の店舗です。階段を降りたら大広間がありました。私にとっては外れでした。渋谷のライオンとは大違い。人が多く、音楽が会話に消されそうでした。じっくりクラシックを楽しむ環境にはありません。 壁にバーンスタインの写真を飾ってありましたが、客の関心は向きません。 とその時、スマホにメール。娘が待ち合わせの店と時刻を指定してきました。まだ1時間半ありました。うーん、虫が疼き始めました。マニアワン。ちょっと一杯引っかけるか。らんぶるをでて歌舞伎町をぶらり。おっ、ホルモン屋があったぞ。24時間営業か。素晴らしい。ちょっとつまんでいくか。 丸腸を1人前とマッコリを1杯。 炭火焼きとありますが、どうも日本製の堅炭ではないようです。しかし、そんなことに構ってはいられません。安ければよし。焼き始めていい匂いがしてきました。腹が膨れてしまってはもともこもありません。後の食事が入りません。これだけで我慢しました。 店を出てなお小一時間ありました。間が持たず、ぶらり歩いて待ち合わせした店の前にやって来ました。おっ、ロシア料理か。パッとひらめきました。何のことはない、先に入ってちびり、いつもの練習をすればいいんだ。 その店スンガリーの席は娘が予約してくれていました。中はこんな感じです。 ロシアの人と思しき若く美しい女性が迎えてくれました。いらっしゃいませ。外国人と判る日本語でした。先ずはウォッカです。よく冷えていました。ぐびっ。 何か当てが欲しいな。その女性に何かつまみをと言うと、ニシンの酢漬けを勧めてくれました。それをやってもらいました。パクリ。美味いっ!スモークサーモンのような感じでした。 酒が進みました。違うものも試してみました。こちらもいい感じでした。 妻と娘がやって来ました。彼女たちが頼んだのはこのコースとケバブ。私はピロシキ一つで結構。 次の写真はその一部、ボルシチです。 これもロシア料理の定番。 コースとは別のケバブ。なんだか昨夜に食べた牛串に似ているぞ。 ロールキャベツもありました。 私の頼んだピロシキです。 硬い酒に飽きました。おっ、アルメニアブランデーがあるぞ。奮発してファイブスターを貰いました。芳醇。いい感じでした。妻はグルジアワイン。娘は何だか訳の判らぬフルーツジュース。 アー飲んだ飲んだ。いい気色になりました。腰の重い女性陣はロシアンティーを楽しみました。勿論勘定は私のヘソクリ。散財しました。 新宿南口で娘と別れました。帰りの便も成田からです。朝便のことを考えて帰りも京成成田に宿を取っていました。ホテルに着いたのは午後11時を廻った時刻でした。近くのコンビニに寄り、缶ビールを買いました。シャワーを浴びてプシュッ。バタンキュー。今日の一句新宿のビルの谷間に丸い月今日の写真は美術展で求めた絵葉書です。運命を悟るアマンです。160円でした。訪ねた展覧会や美術館で、一番気に入りの1枚を求めます。裏にその日と印象を書くのがよいです。平成29年4月11日(火) 午前6時起床。雨。 楽しい時間はあっという間に過ぎました。雨の帰り道に足が重かったです。妻も同じ気持ちだったはずです。救いは息子が新しい仕事に幾分慣れたこと。娘も元気そうでした。写真は第3ターミナルの飛行機群です。LCCの機体が並んでいました。大分からの往復、一人あたり10ラー余り。安い時代になりました。 次の写真は成田のフードコートで食べたうどんとおにぎりです。これが朝ご飯でした。テーブルの相席はアメリカ人と思しき家族連れ5人でした。ハイスクールの年頃でしょうか、長女は、劇のシナリオを暗記中。何かに出演するんだろうか。それを応援に家族一同来日というような感じでした。 後ろが気になって仕方ありません。ここに突っ込もうか。昼ビアもいいけれど、朝の冷やも捨てがたい。でも諦めました。結果、後になってこれが幸いしました。 帰りの飛行も揺れました。いつものことですが、気持ちのよいものではありません。大分空港に降りての昼もコンビニのおにぎりで済ませました。帰りの車中にパクつきました。写真は津久見付近の山です。雨に煙って暗いですが、ヤマザクラの散って新芽が吹いていました。いい感じです。東京にない色合いです。 佐伯のまちへ入り、鰻屋へ。鰻重を買って父母への土産にしました。それを届けて娘息子の元気だったことをを報告。明日、大分の病院へ検査に行く父の励ましになりました。その後、シャワーを浴びてイッパイやろうか。とその時でした。スマホガブルッ。会社からでした。疲れているところ申し訳ないが今から出てきて欲しいとのこと。午後6時半、とるものもとりあえず駆けつけました。内容は書くこと能わずですが、忙しくなりそうな案件でした。帰宅は午後9時。缶ビールを1缶やっつけてバタンキュー。疲れが一気に出ました。今日の一句新宿も田舎の月も月は月今日の写真はその二題です。一枚目は新宿。昨夜撮りました。もう1枚は呼び出されての帰りに写しました。田んぼの水面に映るの図です。どちらも月は月。見るところが違うだけです。
2017年04月11日
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平成29年4月9日(日) 午前6時起床。関東は雨。旅行中に降られると、気分が乗りません。しかし、今回は娘息子を訪ねて、あれこれの四方山を話すのが目的。そうひとりごちて傘を持たず。濡れる頭を気にしてショールを被る妻を連れ、息子のアパートに向かいました。京成線で日暮里へ、そこからはJRで新宿に。次いで黄色い電車に乗り換えて。 部屋は思いのほか整理整頓がなされていました。いい感じの小綺麗。私にとって子どもは手を離れた大人です。女の子の1人2人もあっていい。しかし、その気配だけはありませんでした。ところが妻にとってはいつまでも子ども。心配の種が尽きないようでした。あれこれの根掘り葉掘りに、だんだん鬱陶しい表情となりました。でもまあそれもよしの久しぶりではありました。おっ、ウイスキーがあるぞ。一杯飲ませろ。昨晩、友人が訪ねて来、一献やったようでした。ショットグラスで味見しました。3本三様の味、いい感じでした。映っているAmazonのカードはちょっと自慢話。娘息子がお金を出しあっての私へのプレゼントです。嬉しかった。息子を通じ、ここにいない娘からの伝言がありました。「お父さん、何に使ってもいいけれど、酒だけは買わないでね」 冷蔵庫にこれまた甘露の真澄純米あらばしり、それも樽酒です。これもグビッ。素晴らしいけれど、昼から飲んだら危ない。それを横目に妻はアオサの味噌汁をこさえました。母の心づくしです。 いい頃合いになりました。雨脚が強まりました。傘を持っていけという息子の言を入れず、部屋を後にしました。しばらくロビーで雨宿り。佇みながら、転職後半年たって、地に足のつき始めた仕事と生活に二人して安心。それでいてここに残していく寂しさとため息の時間を過ごしました。小降りになった頃合いを見計らってそこを後に。 午後4時を過ぎて山手線沿線のホテルへチェックイン。夕刻になりました。雨も降ることだし、そろそろ樽も乾いた。今日は下調べをしていませんでした。飛び込みで大塚界隈を泳いでみることにしました。立ち飲みという色合いの暖かみに誘われて突っ込んだ先は晩杯屋(バンパイヤ)大塚北口店。先ずは乾杯。私はビール、妻は柑橘系のサワー。とにかく当てが安い。このモツ煮込み、1/4ラーです。150円。 どうですか、この充実メニュー。 注文は紙に書いて店員に渡します。熱燗をやってちょうだい。3本。へっへっへ、マニアワンのです。 昨日、大分空港で足止めを喰らい、訳あって搭乗前に引っ掛けることができませんでした。その分も取り戻さないといけません。 おっ、何だこれは。話の種です。注文しました。焼き栃尾揚げ、新潟名物だそうです。 何だ、厚味のあるだけのただの薄揚げでした。生姜と葱が載っていました。 妻はポテサラ。私は沢庵。すかさず「なんでタクワンなんかを注文するのよ」といいながら、食べ始めたら「あら、おいしいわ」現金なものです。 こうしているうち、次から次にお客さんが。その殆どは男性。無言で注文、ビールを呷り、つまみを一つ二つやっつけて20分前後で店を後にするの図が多いよう。何が流石かわかりませんが、流石通ではあります。私たちも長居は無用。〆に濁り酒を一杯やってもらいました。うむ、これはいい。写真の向こうに霞む素敵な女性の飲みっぷり、いい感じでした。勝負したら私の負けは明か。その通り、新潟出身という声が耳に。彼女、人妻のようでした。余計なお世話ですが、大丈夫でしょうか、そんなに飲んで。 足が疲れました。座って飲むことにしました。牛串という文字に惹かれました。突っ込みました。 玄関の冷蔵庫にいい感じのブツが山盛りになっています。横には金宮の焼酎。期待できます。 サワーとトマトハイを注文。この手、普段はまったく口にしませんが、郷に入っては郷に従え。頼みました。一口つけて、うん、これはいける。飲まず嫌いはいけません。先入観を持たないようにしよう。 独りごちていたら頼んだセットが出てきました。先の店で飲んだ濁りが効いてもう味が判りません。それどころか牛なのか豚なのかも不明。 よし、帰ろう。席を立ちました。しかし、ホテルへ帰るつもりが、そうなりませんでした。足が勝手にこの店へ。「あなた、おひとつどうぞ」妻の勺は久しぶり。これも娘息子が東京にいるお陰です。そう思わねば。 何が「ということで」か判りませんがということで鰯と〆鯖を頼みました。うん、いい感じです。「あなた、帆立と雲丹がいい感じよ」私は鉄火と蟹味噌。どれも〆にいい感じでした。寿司屋の法則、女性注文の方が高い。 酒も締めなければいけません。冷酒を貰いました。残念ながら銘柄は失念。美味しかったことだけは覚えています。以上3時間の徘徊でした。 余談です。3軒目の店で面白いカップルと隣り合わせとなりました。会社の社長と、明らかに夫婦関係にない女性。二人とも60年配。女性のほうが愉快に話し、社長はなだめ役。身の上話をカウンター越しに聞くマスターが苦笑。メートルの上がった彼女、矛先を私たちに向けました。「どちらから?」私「パリからです」彼女「あらそうなの」それから話が弾みました。終いには彼女が食べ残しの雲丹を彼女の箸でアーン。仕方ありません、郷に入っては郷に従え。いただきました。妻も郷に入っては郷に従え。同じ箸でやられました。社長さんが気の毒な顔でした。今日の一句パリからの帰省を嘘と見破られ今日の写真は、おっ、ホテルの近くにボクシングジムがあるぞ。調べたら世界チャンピョンを何人も輩出の名門ジムです。ブロ友のゴーゴーあっこたん、ここに通っているのかな(笑い)。 広い窓の中を覗きました。リングがありました。本物を見るのは初めてです。何だか判りませんが血の滾りのような感じを覚えました。妻曰く「ボクシング、私は嫌いよ!」さいだすか。これぞ男と女の違いです。
2017年04月09日
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平成29年4月8日(土)(続き) 午後4時を過ぎて家を出ました。途中、義母宅に寄った後、佐伯インターから高速道路に。雨の東九州自動車道を一路北上。途中、猿で有名な高崎山の裏辺りからはガスの中をドライブ。別府湾SAから日出ジャンクションにかけては霧で通行止めになること繁しです。心配になりましたが、事なきを得ました。写真はその様子です。 気もそぞろは霧にもでしたが、ヤクルト・カープ戦の実況にもハラハラ。昨日はルーキーの加藤がナイスピッチング。あわやノーヒットノーラン。今日は岡田が尻上がりの好投。僅差の試合をものにしました。いいぞいいぞ。 到着は午後6時過ぎ。出発時刻は午後8時過ぎ。駐車場へ車を突っ込んで、さあイッパイやるぞ!ところがです。ロビーの様子がおかしい。閑散としていました。周辺の天気が霧のため、午後の便はずっと欠航。これから先も飛ぶかどうか判らないとのことでした。えっ~。飛ばなかったらどうしようか。明朝の便を予約して一度家に戻るか。思案のしどころでした。でも、あれこれ悩んでも仕方ありません。カレーでも食べて状況を見守るしかありません。ということで帰りの運転に備えて酒に口をつけず。このジャワカレー、結構美味かったです。 よくしたものです。アルコールに手を出さなかった姿勢が天に届いたのか、飛行機は飛びました。午後10時過ぎ成田着。京成成田のビジネスにチェックインしました。さてと、時計を見たら午後11時をまわっていました。道路向こうに塚田農場の灯りが見えましたがグッと我慢。コンビニで茶を濁す程度を購入してプシュッ。大人しくベッドに入りました。今日の一句観念の白砂きか桜道今日の写真は空港の取付道路です。桜が満開でしたが、この雨に悲しいかな頭を垂れて元気なし。
2017年04月08日
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平成28年11月13日(日) 午前4時起床。晴れ。 この上京、荷は小さなショルダーバッグだけ。フットワークをよくするため、下着と換えのシャツを1枚のみ。着たきり雀でした。ジョグの用意もありません。皇居の周回コースを走ること能わず。朝風呂に入ったあと、だらだらネットサーフィン。チェックアウトは午前8時。腹が減りました。新橋まで歩き、吉野家に突っ込みました。並盛に(アタマ)を追加。アタマとは牛の倍盛りです。それに新香。久しぶりだったので美味しく感じました。つゆだくにすればよかったです。 JR浜松町で下車しようと思いました。調べたら秋田屋は日曜日が休み。畜生。舌打ちをしました。仕方が無いので品川に向かいました。ここは開札の中に立ち食い寿司があるんです。突っ込んで冷酒にありつこうという作戦でした。ところが牛丼を食べたばかりで今ひとつ、ノリが悪いというか、いい酔い方が出来そうにない。売店で缶ビールを1本。おっ、変わったデザインだな。ん?キオスク?なんだ、デザインが変わっているだけか。イメージ、変わったな。 京急に乗り換えて、羽田に向かいました。便は12時発です。ウロウロ歩き回り腹ごなしをしました。金曜日のポカ休を埋め合わせるため、会社に茶菓子の土産を買いました。餞別をもらった親方にも同じ物を。機内手荷物検査場を抜けたら、もう東京ではありません。大分に着いたも同然。まずは角ハイボールで東京の娑婆垢を流しました。 いけません。火が付きました。搭乗ゲート近くに蕎麦屋がありました。各種日本酒ありとの張紙。一杯もらいました。銘柄を忘れましたが、冷蔵庫から一升瓶を出してトクトクトク。甘露でした。当てをわざわざ頼むまでもありません。カウンターの塩を掌に振り、嘗めました。 大分便の案内があり、搭乗が始まりました。いい気色になって、搭乗カウンターに。勿論、後ポケットにはこれを突っ込んで。機内で引っかけるためです。席はJALのclassJ。知る人は知っている、幅広のシートは快適でした。座ってすぐに蓋を開けました。離陸の折、揺れてこぼれそうになりました。ゴクリゴクリ。水平飛行になって酔いが回りました。 窓外は、赤石山脈が早くも白いものを被っていました。主峰北岳の向こうは八ヶ岳でしょうか。いい眺めが続きました。写真を何枚も撮りました。そのうち、寝入ってしまいました。ガタンと揺れ、大分空港に着陸したことを知りました。 空港から佐伯まではバスの中。焼酎を飲まずにおとなしくしていました。午後4時、大手前のバスターミナルに着きました。妻が迎えに来てくれました。酒臭い息を悟られてはなりません。素面のふりをしました。乗り込んだ車の窓を開けました。途端「あなた、家に帰っても何も食材がないの、どこかで何か食べた帰らないこと?」渡りに船でした。日曜日はつね三が休み。まだ明るかったのですが、二八に突っ込みました。亮さんが来佐した折り、案内した大衆酒場です。 早速焼酎をもらいました。二階堂です。お湯割りで一息つきました。妻に息子のことをあれこれ訊かれました。上京の目的、半分は彼に会い、最近の生活を確かめるためでした。子離れできない彼女です。 根掘り葉掘り。語っては飲み、語っては飲み。次を注ぐのが間に合いません。すっかり出来上がりました。帰宅してバタンキュー。ワーグナーの感動は雲散霧消。明日から仕事。がんばります。今日の一句飛行機の酒は酔うのが速いのさ今日の写真は一島一村の姫島村です。大分県東国東郡。全国ニュースになった村長選の行われたところです。16回連続無投票が続きました。この上空を過ぎると、数分で大分空港着陸となります。 もう1枚。家に帰り着いたら月が煌々と輝いていました。明日はスーパームーンだな。
2016年11月13日
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平成28年11月12日(土) 午前4時起床。宿は愛宕山でした。この日は築地を訪ねようと決めていました。午前5時半に宿を出ました。歩いて30分で市場です。白んでいくビルの谷間を縫いました。写真は道中にあった電通本社ビル。学生に人気の会社ですが、華やかの陰に隠れた陰湿が暴かれつつあります。 おっ、何が天下か判りませんが天下の朝日新聞社だ。従軍慰安婦問題では叩かれましたが、今もオピニオンリーダーを自負しています。それが鼻につく人も多いのでしょう。100人のうち善人が99人であっても、1人が悪人だと全員がそう見えてしまうのが世の定め。社員の方の多くは忸怩たる思いでしょう。孟嘗君が食客三千人を抱えた如く、社内は人材の宝庫。皆さん、一流中の一流です。沖縄の珊瑚事件や亀井静香と田中康夫、吉田調書がそうであっても、その充実ぶりは他紙の追随を許しません。くわえて自由と平等、それに博愛、民主主義の3原則を唱えることにおいては、繰り返しますがオピニオンリーダーたり得ていると思うんですが。いえ、別に肩を持つ訳ではありません。個人的には毎日新聞のスタンスが好きです。ともかく、朝日は他紙の色濃さに比べスマートです。例えが悪いですが、色気のない知的美人のような感じです。 さてと、市場に入る前に、書いて置かなければいけないことがあります。 今、築地市場は渦中にあります。私の働いた30年前は、大井が移転の候補地でした。紆余曲折を経て大洲に決まりました。それが、引っ越しの直前になって待ったがかかりました。どうなるんでしょうか。 私的な話になります。前にも書きましたが、若い頃、ここの荷受け会社で働きました。入社したては見習いです。セリの前、岸壁に並んだ何百本のマグロの背中をタオルで拭いたり、セリで落ちなかった鰺を小車に載せ、雑踏を抜けて仲買に押っつけたり。苦行でした。1年経って、セリの醍醐味を知りました。がしかし、すぐに退社。生まれたまちに請われ、いや違うな、親に請われてが本当ですが、田舎に戻ったんです。今思うと、本当にここで働いたのか、夢ではなかったのかと思うくらい、彼方の記憶です。 市場の仕事は朝が早かったです。午前2時前に起きて荷捌所へ。毎日、青物との格闘でした。人の寝ている時間に仕事をしていました。会社は昼に引けました。夕方が迫ると、早く寝ないと、という思いになりました。焦るような気持ちでした。しばらくすると当たり前と思えるようになりましたが、決して馴れたわけではありません。同僚も、先輩後輩も、仲買の皆さんも、小揚や軽子の人たちも、どこか心の中で、いつかこの生活から抜け出したいという思いがあったはずです。少なくとも早起きに限っては絶対にあったと思います。私もそうでした。 大分・佐伯に戻って、幾度となく夢を見ました。田舎で勤め始めた仕事を辞め、築地に戻るという内容でした。元と同じ荷受け会社に再就職するんです。夢の中とはいえ、なぜ戻ったのか、同僚の冷ややかな視線と失った信頼、判ってはいたものの、気まずさと居づらさでやるせなかったです。決まって寝汗をかきました。50台になっても続きました。時折「あなた、うなされていたわよ」と妻が言いましたが、その折が決まって河岸の夢でした。 うまく書けませんが、そんな訳で、築地に心的外傷を負っていたのです。トラウマなんです。今回の上京、しかも揺れる豊洲問題。傷を癒やすというか、ケリをつけるにはいい機会でした。斯くて築地に足を向けたのでした。 正門に至りました。おぉー懐かしい。既にごった返している様子。 中へ足を踏み入れました。いや、夢遊病者の如く引き込まれていく感じでした。あぁこれが、これが・・・。大通路に出ました。この雰囲気、30年前が一気にフラッシュバック。ターレーのエンジン音、飛び交う怒声、発泡スチロールの軋む音。懐かしい匂いでした。 仲買店舗の中を歩きました。白色電球の色合い、飛び散る水、丁々発止のやりとり。混沌の中に一定の法則のようなものがあります。 ふらふらの徘徊が止まりませんでした。気のついてふと足もとを見たら、懐かしい石畳。これが築地なんです。このゴツゴツ感、今も手に残っています。小車を引いた折、地面から伝わってくる河岸の手応えが。 小車とはこのことです。幅の狭く、長いリアカーの形をしています。舵を切るのが難しいんですが、狭い通路にあっては万能です。 奥の院まで行くと、鮪のセリ場でした。HACCPをいうようになって、荷捌き所は衛生管理に煩いです。立ち入り禁止になっていました。 ターレーにも小車にも邪魔されないよう、仲買店舗の隅に佇みました。これが築地。移転して消える運命。私の働いた過去も一緒に持っていって欲しいと思いました。知る顔のいない30年後の今です。寂しさと、苛まれた記憶とも、もうこれでおさらばよ、せいせい、スッキリした気持ちになりました。いや、きっとなるはずです。 決まりのついてああお腹が空いた。場外に廻りました。案の定、寿司屋は外国人の行列でした。築地で寿司を食べるの定番コース、天の邪鬼の私です。てやんでぃ、こちとらぁーカレーにコーヒーだい!看板を見て、ここに突っこみました。中に入ってキーマカレーを注文。 出てきた料理はこれです。おっ、蒸したチキンが載っている。これはうまそうだ。食べ終えて予想の通りでした。 書いたとおり、カレーの後は珈琲と相場が決まっています。こんな店に入りました。 年配のおいちゃん、おばちゃんがやっていました。客は市場関係者。しかし卸売り会社や仲買ではなく、隙間を埋める業種の方たちのようでした。皆顔見知りで、この時間に一杯の香りやトースト、シチューを楽しみにやって来るといった感じでした。全員、スポーツ紙を愛読しているようでした。会話に耳をそばだてましたが、移転の話にはもう飽いたのか、その内容はまったくなし。 市場にジーンズ・シャツ姿の格好は異端でした。おばちゃんに声をかけられました。昔、ここで働いた話をしたら、親近感を覚えたのか、様変わりのあれこれを話してくれました。豊洲に行くのか、訊いてみたかったですが、答えの予想がつき、止めました。 ここのコーヒーは酸味が効いていました。私の好みでした。 さてと、有次を冷やかそうか。そうしました。店舗構えの小さいのは正本も同じでした。どちらの店頭も、職人が包丁を研いでいました。話しかけたら、快く対応してくれました。 次の写真は知る人ぞ知る配送会社です。築地にはなくてはならないシステムでした。が、店先は閑散。これも移転を控えてのことなんでしょうか。寂しい限りです。 一通りを終えて、腹も満腹、ああこれでもう夢を見ることはないな。ひとりごちました。整理のついて、よし、隅田川を覗こう。勝鬨橋に向かいました。おっ、天竹だ。ビルになっていました。30年前は木造の2階屋だったような。 勝鬨橋は耐震補強中でした。向こうに見えるのは高層マンション。乾倉庫も道路を隔て反対側に大きなビルをこさえていました。 ここまできたら築地本願寺に挨拶をしなければ。そうしました。異国情緒漂う造りでした。インドシナにある寺院のような格好でした。 本堂に入りました。外観とうってかわり、弥陀の本尊が鎮座。金色尽くしでした。 寄付者の名と金額を書いた札がべたべた張ってありました。あなたは5万円、あなたは1万円、あなたは5千円。金額により中心から袖の方へという順番でした。外の黒板にはこんなにいいことを書いてあるのに金次第。嗚呼本願寺でした。 そろそろ時間でした。先の珈琲店「センリ軒」で買ったカツサンドをもって地下鉄へ。高田馬場に向かいました。西武に乗り換えました。黄色の電車でした。乗るのは初めてでした。 沿線の某駅で下車。息子の住まいを訪ねました。私はプライバシー無しのパンパカパンですが、子等にはそれぞれ私的世界があります。詳しいことを書くこと能わず。元気にしていました。積もる話を2時間。一緒に飯でも食うかといいました。昼はカツサンドでいいやと返されました。余計な物を持っていくんではなかった。写真は彼の部屋にあったウィちゃんのリッター瓶です。匂いを嗅いだら、いい感じでした。一口嘗めたかったな。 何とかやっているのが判ってよかったです。そこを後にしました。後ろ髪は引かれませんでした。 さてと、次は東京文化会館だ。上野に向かいました。写真は息子の住まいを出て駅まで歩いた道すがらです。空が青いため、住人の人柄もよさそうに感じたのは親ばかでしょうか。 山手線に乗って上野に。付いたところで腹ごしらえはまたまたカレー。店はアメ横の入り口にありました。券売機で500円のカツカレー。味はともかく、安くはあります。 腹が朽ちたところで開演まで2時間。微妙でしたが、折角なので。 二つの展覧会を駆け足で。腹ごなしにはなりましたが、上滑りの鑑賞は意味をなしません。無駄遣いになっただけでした。 さて、今回の上京は午後3時からのワルキューレが目的。ワクワク感が募りました。会場は東京文化会館。写真はポスターの前の私です。 とその時。入れ込んでいた私に同世代と思しき男性が「梅林庵さんですか?」。???。なぜ私のことを?話を伺うと、彼は大分・佐伯出身。しかもニシューラーゼとのこと。モイ香先生繋がりで私のブログを知って、ここで今日コンサートを聴くということで、わざわざ会いに来てくれたとのこと。何とも嬉しい話でした。あれこれを話して共通の知人も何人か。青天の霹靂でした。ブログはこれだから止められません。とてもほっこりした気分になりました。話によると、Kさん(彼のイニシャル)もオペラが好きで、先日横浜で、同じオケによるモーツァルトのフィガロを聴いたとのこと。帰省の折、いつか拙宅のタンノイを聴きたいとも。この出会い、感動ものでした。拒まれましたが、何とか了解を取付けました。ツーショットを撮りました。顔出しもOKとおっしゃってくれました。モイ香先生、見ているか。 彼に別れを告げ、4階に上がりました。写真は私の席からステージを見下ろすの図です。遠目でしたが、始まってオケも歌声もよく届くというか、ホールの響きと相まって上席でした。コンサートは上段中央に限ります。 舞台はとにかく素晴らしかったの一言。リングは4部作からなります。全曲を通すには4夜が必要です。描くテーマは神々の世界の煩悩とでも言いましょうか。今日聴いたのは第2夜目。父と娘の深い愛が主題です。ストーリーを知らないと、感動は半減します。難解というか、難しいんです。神話とかメルヘンの世界と思い定め、現代詩を楽しもうという心持ちになって楽しむ気持ちが大切です。それが証拠、舞台袖の字幕掲示板に流れる日本語訳がすごく詩的でした。第3幕には、思わず涙ぐんでしまいました。ブリュンヒルデ役の女性が素晴らしかったです。よくもまあ長時間、艶々とした声で歌えるものだ。素人ながら感心しました。カーテンコールの拍手も彼女が一番多かったです。翻って管弦楽は何だかスマートすぎました。第3幕の前奏、ワルキューレの騎行も今ひとつでした。オーケストラボックスの中だからかな。ただ、弦のシルキーさにはハッとさせられました。午後3時から休憩を挟んでの5時間。堪能しました。本物は本物でした。600ラー以上の価値がありました。田舎に住んでいたら一生に1回、経験できるか否かのコンサート。いや、素晴らしかったです。背中を押してくれたnkucchan、重ね重ね有り難うございました。 会の跳ねたのは午後8時過ぎ。 ということで築地を訪ね、息子に会い、音楽を聴いた、好い一日でした。褒美を取らせないといけません。新橋に戻りました。息子に聞いた「馬力」という焼きトンの店に突っこみました。写真はここの一押しホルモン刺しです。一見、グロテスクですが、酒飲みには堪らない美味しさ。 もう一軒、河岸を変え「炉端たぬき」へ。タチポンと厚岸産の牡蠣をやってもらいました。燗酒は普通酒。コンサート帰りなので、自分でもおかしいくらい背筋が伸びての酒になりました。 こうなったら〆ラーをしなければなりません。「博多天神豚骨ラーメン」に入りました。塩ラーメンを注文。酔った体にスープが沁みました。今夜はこれで打ち止め。疲れました。ホテルに帰ってシャワーを浴びずにバタンキュー。今日の一句築地見て九龍城を思い出し石畳いつまで塩を被るのか我に似る息子の目元口元よ 今日の写真はロダンの名作「地獄門」です。国立西洋美術館の玄関先にあります。細部まで睨め揚げました。見れば見るほど奥の深い彫刻です。死んだらこの門を潜るんだろうな。よく覚えておこう。
2016年11月12日
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平成28年11月11日(金) 午前4時起床。ポカ休を取りました。夜の白んで快晴でした。ご飯と味噌汁に香の物。お代わりをしました。妻に大手前のバスセンターへ送ってもらいました。午前7時40分のバスに乗りました。写真は出がけに写した妻の野菜畑です。昨日植えたという玉葱が、飲み過ぎてはいけませんよ。彼女の言葉を代弁しているようでした。 空港について勃然、Kの顔が浮かびました。今夜の予定はありません。ホテルへ泊まるだけでした。時間が空いていれば一緒してもいいな。TELしました。OKでした。売店で彼に土産を買いました。別府湾のチリメンと大分産の生柚子。 搭乗の列に並んだ時、男の子が私の足を踏みました。素敵な母親が、すみませんと頭を下げました。私「僕、何歳だ?」彼「4歳だよ、おじちゃんは?」私「58だよ、これからどこへ行くの?」彼「ママと大分のおじいちゃんところに帰っていたんだ」母親「主人の実家が大分なので」彼「おじちゃんも東京に帰るの?」私「いや、帰るんじゃーなくて、これからいくんだ」彼「何しに行くの?」私「オペラを鑑に行くんだよ」彼「ふーん、見たことない、僕も今度見てみるよ」賢そうでした。目元の涼しさが母親似でした。 午前11時前の便に乗りました。ジェットスター。LCCは格安が売りです。飲み物の機内サービスはなし。有料でアルコールを飲むことが出来ますが、我慢しました。降り立ったのは成田の第3ターミナル。京成電鉄の駅は第2ターミナルでした。写真は双方を結ぶ連絡通路です。ラバーが張ってありました。歩きやすかったです。福岡の大濠公園を思い出しました。2kmの周回コースがこれでした。ジョグをしたい気分になりました。 向かったのはここ。京成立石です。飲兵衛の聖地。聖地中の聖地。 商店街はこんな様子です。下町の風情がありました。 突っこんだのは「宇ち多”」。ウチダと読みます。ネットで検索するとすぐ様ヒットの名店です。 訪ねた時、既に満席。20人ほどが並んでいました。最後尾に付いて、入店できたのは30分後。写真は店の前に張ってあった注意書き。ふむふむ、なるほど。 平日の午後3時前でしたが、店内はごった返していました。案内されたのは、もつ鍋の前でした。 この店、メニューがないんです。こまったな。仕方がないのでそれを貰いました。アルコールはダイヤ焼酎に梅のエキスを垂らしたもの。無垢です。アル度25馬力です。郷に入っては郷に従えです。これを2杯やっつけました。 何かを注文しないといけません。シロとレバを焼いて貰いました。うん、これはうまい。特にシロは絶品でした。 どうですか、この感じ。たまりません。 隣は若い青年でした。たった一杯の焼酎に飲み詰まり、サイダーを貰って割りました。私も真似しました。なかなかいけました。その彼が席を立ったら、直ぐに40代と思しき兄さんが座りました。注文は知らない用語の並べ立て。しばらくして、タンや腎臓、心臓の蒸したスライスが出てきました。酢醤油で食べ始めました。写真に撮りたかったんですが、人様のものです。アウェーなので遠慮しました。同じ物をといいたかったんですが、入店前、並んだ時に読んだルールを思い出しました。「ある程度の時間で交代を」とかいてありました。Kとの待ち合わせ時間も迫っていました。勘定をしたら1,200円。安い。 店を出て、ぶらり商店街を。ん?肉屋が揚げ物を売っている。鯵フライがあるぞ。1枚貰いました。 電車を待つ間、味見をしました。パクリ。しまった!醤油もソースもなかったんだ。とんだ失敗でした。二囓りして、そのままポケットに突っこみました。 Kのオフィスは築地にあります。東銀座で降りました。 指定された待ち合わせ場所はここ。 彼とは10ヶ月ぶり。元気そうでした。春先、私の住む大分・佐伯へ大阪のTと一緒に泊まりに来て以来です。その際は海に出て魚釣りを楽しみました。写真は案内された彼のオフィスです。 久闊を叙しました。商売のことを訊きました。まずまずとのこと。彼はエビの個人輸入をしています。最近は病院や老人ホーム用に、湯煎するだけで食べることの出来る食品を手がけているといいました。見本を見せてくれました。トンカツを真空パックした冷凍品でした。大連でこさえているんだそうです。ふーん、介護施設に入ると、中国でこさえたトンカツを食べるんだ。 部屋には大都魚類のカレンダーが掛かっていました。 インドシナの地図も。海外へはよくいくのか、訊きました。インドや中国、ベトナム、インドネシアも含め、年20回出張するとのこと。ビジネス英語を話せます。学生時代は皆にアホのKと呼ばれていたのに。今度、俺を連れてってくれ、迷惑はかけないから、といいました。二つ返事で「ああ、ええよ」嬉しいな。インドの田舎町で海老輸入の交渉、いつになるか判りませんが、楽しみです。 夜の帳がおりました。彼に案内された店はここ。 ビールで乾杯。古い友人との一献は、忽ち時が遡ります。当てにタチポンをもらいました。 あっ、そうだ。鯵フライの食べかけがありました。ポケットから出して、ポン酢をつけました。 Kの頼んだイカ焼きです。キャベツの下に1杯分のイカが隠れていました。これ、よかったです。この店に寄った折はいつもこれを頼むそうでした。 さて、飲み直そうか。河岸を変えることにしました。タクシーに乗って銀座へ。彼の店は満員でした。仕方がない。蕎麦のうまい店に行こう。新橋へ向かいました。写真は着物のおねえさんです。銀座ならではの風情です。 それが通り一つ隔て様子は一変。リーマンの財布にやさしい大衆酒場が多いです。新橋には、独特の匂いもあります。寿毛平という、なんともいい感じの名前の店に入りました。ここもKの御用達でした。店長とは顔見知りのようでした。 日本酒もそこそこを置いていました。八海山をやってもらいました。 当てはホヤ。これを食べたかったんです。 もう一品、Kの勧めるまま、スルメのワタを焼いてもらいました。日本酒に合うつまみでした。 最後に蕎麦を。満腹になりました。 「君に奨む更に尽くせ一杯の酒」の気分でした。積もる話が出来ました。いい頃合いで杯を置きました。彼を新橋駅に見送りました。有り難う。 駅前広場で古本市が開かれていました。ちょっとだけ覗いてみました。100円箱の中にこれを見つけました。南イタリアか。読んでみよう。ホテルに戻っての眠り薬に丁度いい。今日の一句空旅に消えては浮かぶ妻の顔何しにと幼児期問われオペラなり今日の写真はカーゴ船です。大分空港の沖を北に進んでいました。満船でした。私、こんなところに旅情を感じるんです。もう1枚はKが見せてくれたスマホ写真です。インドの南端、コモリン岬を撮ったもの。「おいT(私のこと)、ここはな、ベンガル湾、インド洋、アラビア海、3つの海がであうところだ。ただそれだけだけどな、地の果てという見方もある。今度一緒に行こう」
2016年11月11日
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平成28年8月9日(火) 午前5時起床。晴れ。 朝食はホテルのバイキングでした。1週間ぶりの白ご飯でした。玉子かけにして食べました。梅干しとシラスが美味しかったです。 一度成田空港に戻りました。改めて羽田向けのバスに乗りました。この朝に海外から到着した帰国組が大勢乗り込んできました。私の隣に年配のご婦人が座りました。とても旅行帰りとは思えない態でした。下町を歩くおばさん然りの格好でした。暇ですから声を掛けてみました。どちらに行かれていたんですか?彼女曰く「イタリアからいま帰りましたの。ベニスに飛んで、そこから船に乗りましたのよ。アドリア海のクルージングでしたの。帰港したまちは名を覚えられなかったけどとても美しかったわ、いえ、一人旅ではないのよ、主人と息子二人、それに彼等の嫁と子どもたち、皆で10人の旅よ、お金は私が出すの、案内と通訳は息子たちに任せてあるの、ついていくだけよ、ええそうよ、年に2回は海外に行くわ、今回は船旅だったけれど何時もはコンドミニアムを借りて数日滞在するの、土地の市場で食材を買ってお嫁さんたちが料理するのよ、たのしいわ、急ぎ足の観光地巡りは慌ただしくて嫌いよ、ところであなたはどちらへ、あらそうなの、オーストラリアはまだ行ったことないわ、今度行ってみようかしら・・・」うーむ、人は見かけによらない。 閑話休題、羽田に到着。正午発の便に乗り大分向け。午後4時、会社に戻りました。荷を解くのが面倒でした。部下への土産は明日の朝に回しました。上司への帰国報告をすませ、急ぐ稟議書に判子をつきました。 夕刻、妻に迎えを頼みました。車に乗るなり「お母さん、ちょっとでいいからつね三へやってちょうだい、樽が乾いているんだってば」 突っ込みました。くーっ!たまりません。 大将、出羽桜をちょうだい。2合を一気飲みしました。 寿司をもらいました。早く握ってよ。早く早く! 忽ち酔いが回りました。1時間足らずで暖簾を出ました。嗚呼、一息つくことができた。今日の一句彼の国の朝日夕陽は色違い今日の写真はトラです。勿論彼にも土産がありました。オーストラリアのツナ缶に満腹の図です。
2016年08月09日
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平成28年8月8日(月) 午前4時起床。晴れ。未明、ホテルのロビーに取引先の幾人かが迎えに来てくれました。この旅で失念していたことを思いだしました。南十字星はどれだか教えて欲しい。社長が空を見上げ、この時刻だ、残念ながら西に沈んだよといいました。 自家用車で空港へ送ってくれました。今さらながらですが、この国も右ハンドル左側通行。 空港に取引先の役員が待っていました。名残を惜しみました。右手で握手、そのまま抱き合い、左手を相手の背中に回してギュッ、抱きしめるのが別れの挨拶です。そうしました。写真のうち、手前の白ヒゲさんは紳士。コンビニを娘さんと経営しているそうです。小柄、コップを持った眼鏡さんは歯科医。日本のMORITAは素晴らしいと話してくれました。MORITAとは、歯医者が治療に使う器具のメーカーだそうです。知りませんでした。オペラが好きで、スマホのユーチューブを何度も見せてくれました。赤ネクタイさんは投資コンサルタント。巨漢、ラムのコークハイを何杯も飲む大酒飲み。皆さんサヨウナラ。 写真はミートパイと紅茶です。心づくしでした。 乗った飛行機はボンバルディアのプロペラ機。朝日に映えて辛さがましました。 一路ブリスベンへ。そこで出国手続きをしました。写真はロビーに飾ってあった人形です。何か記念にと考え、レイバンのサングラスを買いました。似合うかどうかは別です。中国人のマネキンさんにニッコリほほえみかけられました。あなたにはこれが似合ってよ。即座に決めました。 成田向けは9時間。映画を見ました。男性が一人火星に取り残される物語でした。ワインを飲んでウトウト。気がついたら早くも房総沖でした。 午後7時に到着。この時刻です。羽田に向かう時間を考慮すると、大分便はもうありません。成田で1泊。シャワーでオーストラリアの垢を流し、飲んだ缶ビールの美味いこと。バタンキューでした。 旅の最後に、泊まったホテルのことを書いておきます。とにかく広い部屋でした。ベッドはダブル。 冷凍冷蔵庫に加え、電磁調理器、鍋やフライパン、ケトルがおいてありました。宿泊者が料理することを想定してのことでしょう。勿論トースターも。 ひげ剃りや歯ブラシは置いてありませんでした。バスタブもなし。ウォシュレットもついていない。この点は日本のビジネスホテルに軍配でした。wifiは今時です、勿論使い放題。今日の一句酔っぱらいサザンクロスを見損じし今日の写真は到着直前の窓外です。館山や千倉のまちあたりでしょうか。左の海上に伊豆大島が見えました。
2016年08月08日
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平成28年8月7日(日) 午前4時起床。晴れ。午前7時、早めの食事をしました。今日もスモークサーモンが美味しかった。 明日の未明にこのまちを発ちます。毎日、業界の説明はもとより、数多の歓待を受けていました。日曜日、最後の心尽くしということで、仕事抜きのサービスをしてくれました。バスに乗りました。こちらの国は日本人より体格が大きい。シートも足もともゆったり仕様でした。大柄の私です。助かりました。写真は、となりの座席に座った取引先の社長です。朝ランを一緒して以来、親しみが日増しに沸きました。今日は何もかも忘れてとおっしゃってくれました。しかし、道中、通訳を介して会社の運営方針や経営状況、株主総会のシステムなど、あれこれを質問責め。面倒くさがらず、丁寧に応えてくれました。大変参考になりました。弊社のことも訊かれました。外国の人に説明できて嬉しかったです。 郊外に向かう途中、ちょっと高校を見ましょう、案内されました。ミッション系でした。私立。州立もあるそうですが、人気はこちらの方が高いとのこと。理由までは訊くことができませんでした。たぶん、教育方針の違いなのでしょう。それにしても立派な校舎です。 運動場に目を転じました。一面芝。そういえばこのまちの公園はどこもかしこもグラスでした。サッカーもラグビーも芝の上で行うスポーツというのを妙に納得。日本はというと、土の上と相場が決まっています。このまちで土の上を走っていたのは馬だけでした。 南東に向かって高速道路を2時間近く走りました。リゾートにつきました。大きなホテルが林立する雰囲気ではありません。海岸近くの森に別荘やオートキャンプ場が点在するの感じ。自然の中の保養地といったところでしょうか。波打ち際のマングローブ越しにたくさんのクルーザーやヨットが見えました。何とも優雅な眺めではあります。 バスは丘の中腹を回りました。青い空、青い雲、白い家、柴の緑・・・、重ねてですが、瀟洒で垢抜けた風情です。別世界の図。 人の集まるハーバーに向かいました。すべり(漁港施設用語だと「斜路」、ボートなどを海面に下ろす際、陸地から斜めに海中に没している滑り台ような施設)が至る所にありました。ふーん、ここに四駆で牽引したボートの台車を進め、海に浮かべるんだな。あれこれを見ながらきょろきょろしていたら、おっ、水陸乗用車だ。これはすごい。 乗せてくれました。前述のすべりを自走して降り、海に乗り出しました。あらかじめ、用意してくれていたプログラムでした。しばらくして、なぜ水陸両用なのか、判りました。この辺り、海岸は遠浅です。広い渚が続きます。湾の切れ込んで深いところもあります。砂浜を走るには、大きいタイヤ、水上を進むときはスクリュー。この両方が必要なのでした。写真は、もう一隻とすれ違いざまに撮りました。ユーモラスといえばユーモラスです。 波打ち際で魚釣りをするところに行きあわせました。バラマンディを狙っているのでしょうか。船長に訊いたらルアーだそうでした。優雅な週末を過ごすまちの人たちではあります。 ユーカリの樹間にトレーラーハウスがあちこちに見え隠れ。ゆったりしたキャンプです。取引先の役員へ尋ねました。ここにキャンプやフィッシングの人は週末だけなのか、それとももっと長い期間滞在しているのか。長期滞在と週末利用は半々とのこと。続けて、このまちの人たちはオーストラリアの平均所得より少し低い位置にあるけれど、トレーラーハウスやフィッシングボート、場合によっては草競馬の馬を所有するのは、ごく人並みのことと話してくれました。ふーん、そうなんだ。 延々と続くビーチで船を下りました。裸足になるべきとアドバイスされました。そうしました。写真は私です。 ただビーチだけを写しても芸がありません。よし、砂浜に文字を書こう。ブロ友を代表して禁玉さんに登場いただきました。おーい、禁玉さ~ん、コールドコーストに名前をかいたよ~。 でも一人だけ取り上げたら他の人に叱られるな。その後、nkucchan、亮さん、ママさんの頭文字を書いて写しもしたんです。でも陸に戻って気がつきました。Nkucchanの頭文字をkに、ママさんはスローライフですからSです。間違いの判っても後の祭り。でも気持ちだけは汲んで頂戴。 深呼吸。どこまでも続く渚。南太平洋。何もかも忘れました。時間が流れました。 キャプテンが「おーい、お昼だぞ~っ」声をかけてくれました。ピクニックでした。サンドイッチにコーヒー・紅茶。バナナやリンゴもありました。今田勝や松岡直也の音楽が頭をよぎりました。潮騒、頬をなでる心地よい風。たまりません。 おーい、クリケットを楽しもう。取引先の社長が道具を用意してくれました。ルールを知りませんが、やってみると野球に近い。波打ち際をバシャバシャ。童心に返りました。写真のないのが残念です。代わりに一緒に楽しんだ人たちの写真を載せます。リゾートです。楽しい時間はあっという間に過ぎました。帰りに運転してみないかと誘われました。二つ返事を返しました。簡単なレクチャーを受けました。ハンドルをもってどんどん進めと言われました。そうしました。ナイスカーです。足もとのプレートを見たら、U.S.Navy とありました。魚雷艇を払い下げてもらい、改造したのかもしれません。次の写真はスタンディングボードを楽しむ女性です。黒い犬を2匹連れていました。これなら私にもできそうだな。おっ、ここにもペリカンだ。聞くとことによると最も大きい種類だそうです。日本にいないので珍しい感じがしてなりません。陸に上がりました。夕刻が迫っていました。週末組は撤収でしょうか。家路につくべく、釣り竿をダッシュボードの上に納めるの図。ああ、これでもうこの町とおさらばか。と思いきや、最後に美術館を案内されました。コンセプトは入植の時代とアボリジニーでした。木彫りの動物が展示してありました。この感じ、よいです。生きものが崇拝の対象となって人の営みの中に生きることは自然です。そのことを大切にしたいという思いのこもったミュージアムでした。お別れのピザパーティをしてくれました。おいしかったです。関係者の家族もやってきて、てなしてくれました。皆愉快でした。インチキ手品を見せてあげました。大笑いしてくれました。よかったです。明日は早発ちです。ホテルに戻りました。名残惜しいので、近くのバーに突っ込みました。ワインを頼もう。メニューをもらいました。SAとありました。ふーん、ここにも南アのワインがあるんだ。その旨を話すと、違いました。サウスオーストラリア。なーんだ。上等のカベルネソーヴィニヨンでした。これで出張は打ち止め。さようなら。今日の一句君思う異国の渚打ち寄せて今日の写真はパーティで意気投合した紳士です。初日にも話をしました。会うのは2度目でした。このまちの国際交流を推進する団体の役員でした。取引先の方々は皆、底抜けに明るかったのですが、この方は違いました。落ち着いて思索的でした。職業は歯科医。もしかしてと思い、趣味を問いました。クラシックミュージックと返されました。やっぱりでした。滞在中、移動の車中はポップばかりでした。アメリカナイズと感じていました。そのことを話したら、このまちでクラシックを聴く人は1~2%だと寂しそうに語りました。互い、数多の作曲家の名を挙げ、感想を述べ合いました。話は半分も理解できませんでしたが、思いは100%通じ合いました。私はバッハが好きといいました。彼はベートーベン、中でもシンフォニーの6番と7番だと。演奏家やオーケストラの話もしました。別れ際、彼曰く「Classical music is world language.」御意。最後の最後に、通じ合う人との出会いがありました。嬉しかったです。
2016年08月07日
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平成28年8月6日(土) 午前4時起床。晴れ。午前5時半、今日は一人で走りました。ラン6m。ハーバーの方に廻りました。向こうに見えるボートやヨットの係留基地は遠目にも船が少なめでした。週末なので、出港したのかな。 手前にも幾艘かのクルーザーが繋留されていました。古いヨットに目が留まりました。この手の船に造詣は深くありませんが、色といい形といい、惹かれるものがありました。こんな船に乗って、何もかも忘れて沖に出てみたいな。 おっと、白昼夢に浸っていてはいけません。丘をとって返しました。朝日がいい感じに向こうから昇ってきました。大げさですが、映画のワンシーンです。 そこを越えたら、また下りです。向こうに見える海は南太平洋です。 ホテル近くに戻りました。犬の散歩に出くわしました。タッチ、OK?。撫でていいか、聞きました。ノープロブレム。おーよしよしをしました。私、犬語も得意ですから。 シャワーを浴び朝食。今朝はトラウトにしました。ボリューム満点。太りそうです。明日は加減しなければ。 今日は土曜日。この地も当然週末。でも、取引先の社長を始め役員の方々が休みを返上し、この際だからと、インフラや州立公園を案内してくれました。 朝、ホテルへ迎えに来ていただいた折、今日が8月6日であること、日本人にとっては特別の日であること、犠牲者に思いを馳せ、核兵器廃絶を願い、その時刻に黙祷をするといった事情を話しました。そのことは知っていました。一緒にロビーの隅で1分間を過ごしてくれました。 さて、出発です。近くにあるこのまち自慢のギムナジウムを見せてくれました。聞くところによると、利用はほぼ無料。素晴らしいです。 体育館で踊りの練習をしていました。東欧の国のダンスとのこと。指導者の一人は日本人でした。すぐ後ろにはローラースケートの貸し靴がロッカーにいっぱい。履いて、この面をゴロゴロやるんだそうです。 再び車に乗りました。このまちの市街地は、見た感じ、南北東西3kmほどです。少し走るとすぐに郊外に出ます。ユーカリを中心とした灌木の自然林が無限に広がります。 ところどころの草原に肉牛が草を食んでいました。牧場というよりも天然の草原に放し飼いしているという感じでした。数ヶ月に1回、疫病等の検査をするほかは放し飼いとのこと。日本の松阪牛は牛舎で管理されたメニューを与えられるというと、目を丸くしました。写真は道中、平行に走った鉄道です。石炭を満載した貨車とすれ違いました。100両編成だそうです。 自然保護区に案内されました。青い空、広がる緑、渡る風の爽やかさ。気温は20℃そこそこ。日射しは強いけれど湿度が低く、北海道の夏を連想しました。写真は管理棟の一部と、乗ってきた車です。ちなみにこのまちの車種はセダンとランクルが半分半分と言ったところでしょうか。4駆が多いようです。キャンピングカーやボートを牽引するためでしょう。 国立公園や州立公園では、絶滅危惧種の保護するための研究がなされているとのこと。ここもその一つです。園内に(と言ってもただの原野ですが)モザが咲き始めていました。この国のカラーです。改めて今が春なんだとひとりごちました。 オーストラリアといえばコアラ。居ました。目の当たりにして、抱きしめたくなるような可愛さでした。私は50代後半のオヤジですが、感嘆の声をあげそうになるほどのつぶらな瞳。 此方はオンバック。初めて見ました。ズングリムックリでした。愛嬌がありました。でもいざというときの動きは素早いんだそうです。時速40kmで走ることができるとのこと。何ともいえぬ顔つきでした。ここの研究は中国の青年が担っていました。動物学者かどうか聞き損ねましたが、そのような感じを受けました。 蛇もいました。抱いてみるかと言われました。勿論。亮さんには決して出来ない行為ではあります。逆にスローライフmamaさんは二つ返事かも。 ここで昼をしました。写真にはありませんが、簡単なバーベキューとハンバーガーやサンドイッチのケータリング。それを済ませて、ダム湖へ向かいました。 オーストラリア北西部は降水量が少ないとのこと。このまちには水を必要とする精錬工場があります。生活用水と合わせ、確保が最優先。ということで見せてやろうという話になったのです。 とその時、競馬場らしきところを通りかかりました。見たそうな顔に見えたのでしょう、「寄っていくかい?」トイレ休憩を兼ねて立ち寄りました。人口7万人あまりのまちであっても、競馬場があることの素晴らしさ。今日は週末。たまたまレースの開催日。大勢の人で賑わっていました。 お茶をしました。写真は隣のテーブルです。女性は着飾って、或る意味社交場と化していました。美しい人たちに見とれてしまいました。 パドック近くで、取引先役員が、知り合いというご老人を紹介してくれました。馬主とのこと。この辺りでは、競走馬を持つことはごく普通の趣味と感じました。競馬新聞を見せてもらいましたが、チンプンカンプン。でも「俺は日本の馬を知っているぞ、デルタブルースというステイヤーがオーストラリアにやってきた」と話してくれました。確か、メルボルンカップで1位になったはずです。 話を戻します。1時間ほど、西に向かって走りました。重力式のダムへ案内されました。青い水が満々。 堰堤の内部を案内してくれました。立ち入り禁止区域。取引先の社長が口をきいてくれました。特別に見ることができました。説明がなければ、どうということのない写真ではあります。ダムの構造や保水量の説明がありました。8年の旱魃に耐える水量だそうです。私はそれに増して、ダム建設による遡河性魚類の生態系について興味を覚えました。そのことを問うと、流石自然を大切にする豪国。ダム湖への放流も行っているとのこと。しかも資源量を考慮し、放流量をカウントしている。素晴らしい。 眺めのいいところに案内されました。どうですか、この色合い。ダム湖の規模もさることながら、素晴らしい環境です。辺りは手つかずの自然です。ところどころに管理されたオートキャンプ場がありました。そのすぐ傍でワラビーを見ました。6~7頭が草を食んでいました。近づいてみました。気配を感じたのか、ピョンピョン跳ねて逃げました。みごとな跳躍力でした。 湖水におりてみました。手に汲んで飲んでみました。軟水のようでしたがよくわかりません。近くをペリカンが泳いでいました。 次の写真は私です。ユーカリの木に抱きつきました。蟻がいて、刺されました。硬いのかな、チェーンソーの刃を入れてみたくなりました。 まちの近くに戻りました。海岸でウインターフェスタをやっていて、そこに案内されました。ビーチのの公園にフリーマーケット、ホットドックやアイスクリームの出店が犇めいていました。週末を楽しむ家族連れがそぞろ歩き。いい感じでした。写真は仮設のステージに聴き入る老若男女です。日本でいうところの小さなまちの縁日のような感じを覚えました。どこの国であっても、ローカルはよいです。 この方、警備責任者です。彼も、案内して下さった取引先役員の知り合いです。遇う人遇う人に、俺の友だちが日本の佐伯からやってきたんだぞといい、紹介されました。大げさというか、恥ずかしいというか。でも友だちの友だちは友だちという国民性でしょうか、Nice to meet you, too.派手な握手をしてパチリはいい気分です。 疲れました。ホテルに戻り、そのまま近くのレストランへ。スズキを注文しました。当地ではバラマンディと呼ばれています。1メートルを超える魚とのこと。フィッシングの対象として好まれているそうです。 マッシュルームが前菜でした。これ、椎茸の味に似ていました。ワインを2杯飲んで疲れがドッと出ました。シャワーを浴びてバタンキュー。今日の一句バラマンディ幾度聞かされ名を覚ゆペリカンの湖水にゆたり我もなり蛇抱きて悪くないなと悦に入り今日の写真はオウムに似た鳥です。朝ランの折、町中の木に留まってなにやら食べていました。妙な顔ではあります。
2016年08月06日
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平成28年2月13日(土) 午前4時起床。家にいてもホテルであっても目は早く覚めます。歳を取ったせいでしょうか。夜の白んで曇天でした。今にも泣き出しそうでした。朝風呂に入った後、帰り支度をしました。昨日までの下着とあれこれをまとめました。宅急便で送りました。サッパリしました。荷が軽くなりました。 今日の朝ご飯も喫茶店のモーニング。3日連続です。「みかど」という店の小倉です。これもよろしい。 栄から名古屋まで地下鉄。名鉄に乗り換えて一駅目。豊田産業技術記念館を訪ねました。 煉瓦造りの広い倉庫2棟でした。片方に紡織の歴史を、もう片方は自動車生産の変遷でした。両方とも、説明に長けた職員がいて、丁寧な解説をしてくれました。写真は自動織機です。豊田佐吉が発明したとのこと。当時は革新的だったそうです。 織機の発達過程より、綿花を打ち、揃え、紡いでいく過程に興味を惹かれました。うまく説明できないのでやめます。一言で言うと、糸の強さ、柔らかさは、撚りの程度によるということが不思議でした。摩擦なんです。考えると当たり前ですが、なんとも不思議な感覚でもあります。目から鱗でした。綿花の繊維、綿が紡がれて糸になり、織られて布になること、実際に触わらせてもらいながらの体験は記憶に残りそうです。この施設、必見です。写真は紡績の一コマをになった古い機械です。多くの技術が隠されていました。いいものを見せてもらいました。 布を織る機械も多数展示してありました。見学者は稼働を見ることができます。最新式のものまで、じっくり見せてもらいました。どうですか、この広さ。 自動車館の方へ廻りました。その名のとおり、トヨタの主要車種が古い順に並んでいました。あれこれの蘊蓄を職員から、或いは能書きからもらいました。いちいち書くのは面倒です。やめます。ただ一つ、豊田佐吉はとよださきちと読みます。「とよだ」なのに、なぜトヨタなのか。近くにいた説明員に聞いてみました。曰く、創業家と会社は別であるべきと考えたから、二つ目はカタカナの方がすっきりするし、濁点をつけなければ8画、8は末広がり。なるほど。 も一枚、エンジンの展示です。ロータリーエンジンの試作機もありました。余談ですが、私、若いころ、このエンジンを積んだマツダ社の車に乗っていました。懐かしかったです。 この施設、人によって感じ方は違うと思いますが、得るものありです。お薦めです。 ついでということで、近くにあるノリタケの森を訪ねました。疲れたせいもあり、惹かれませんでした。ショップを冷やかしました。何も買いませんでした。 雛人形は陶器製です。高さは50cmほど。いい感じでした。 こちらは一級品。勿論非売品でした。 腹が減りました。JRセントラルタワーの13階に上りました。まだ味噌煮込みうどんを食べていませんでした。山本屋総本家に突っ込みました。 それを注文しました。名古屋コーチン入りとありました。出てきました。うっ、麺が硬い。それにこの辛さ。一昨日だったか、亮さんが「あれはちょっとねー」と言っていましたが、その気持ち、解りました。 飛行機は夕方の便でした。そろそろ土産を見繕うか。高島屋へ突っ込みました。都会に行ったら、土産はデパ地下に限ります。おっと、その前に喉が渇きました。ヒルビアと生きたいところですが、この後、大分空港から自宅まで120kmの運転があります。リンゴ・ニンジンミックスの生ジュースをもらいました。 妻や会社、それに親方、全員に赤福です。おっ、高島屋の地下は直営店。休み処がありました。ぜんざいがありました。早速やってもらいました。これはいい。伊勢まで行かなくてよかった。 降り出した中、名鉄でセントレア向け。空港に着いて一休み。とその時でした。大分空港は天候不順、着陸不能の場合は福岡に向かうか、中部に引き返す場合ありとのアナウンス。まいったな。でもまあいいや。なるようにしかならない。写真は、飛行機の機内です。名古屋の光が後ろに流れていきました。これで旅は終わりです。 心配しましたが、大分空港に定刻着陸。愛車が待っていてくれました。2時間のドライブで自宅に着きました。午後9時半でした。今ごろ、亮さんは焼き肉で満腹なんだろうな。いいないいな。 腹が減ったので、妻のこさえたチンゲンサイの炒め物を当てに、冷酒を流しました。飲みながら思いました。楽しいことはあっという間に終わってしまう。よし、次はどこへ行こうかな。今日の一句罰当たり旅の終わりに雨が降る今日の写真はトラです。俺に土産はないのか?
2016年02月13日
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平成28年2月12日(金) 午前5時起床。ラジオを聴いてスマホで新聞チェック。昨日に続いて朝風呂。曇り空でした。昼に落ち始める予報を聞いて、明治村を断念。次の機会に回しました。 朝食は今日もKOMEDAです。嵌まりそう。 腹の落ち着いて、名古屋市科学館へ徒歩で向かいました。連日、2万歩でした。今日も頑張るぞ。午前9時半前、行列に並びました。プラネタリウムを見る人たちです。11:20のチケットは、難なく取ることが出来ました。 時間に余裕があったので、展示をじっくり見て回りました。生命、人体、生活、地球、宇宙、科学などの切り口。これらがビルの6階まで埋まっていました。原子、分子、細胞などの話から宇宙の果てのあれこれまで。なんだか人生観の変わるような思いがしました。自分は何なんだという不思議な感覚です。写真は竜巻の実験。 こちらは恐竜の化石。本物でした。 自然を数学で表すという説明。頷首。これ、よかったです。 大きなロケットエンジンがありました。ドラマ「下町ロケット」に出たものと同じ形状でした。何とも複雑な構造ではあります。これ、打ち上げに使うと終わりです。使い捨てです。宇宙にはお金がかかります。 プラネタリウムは期待ハズレでした。毎朝、未明の散歩で見るのと大差なし。加えて、旅の疲れについウトウト。自分の鼾で目が覚めました。隣の娘さんたちに迷惑をかけたかもしれない。五分の四を失念。残念でした。写真は投影に使う機械です。穴が沢山空いていました。形状は芸術的ですらあります。 もう一枚、デスクジョッキーの机前にあったパソコンです。操作はこれで行うようです。 見終わって小腹が空きました。直ぐ近くが大須観音です。昼がてらお参りしました。 略縁起の紙がありました。1枚貰いました。護摩に書くための筆を借用、その裏に習字しました。えへへ。叱られなくてよかった。ローソクを売ってありました。買おうかと思いましたが、燃えているのを見てやめました。煤が沢山出ていたから。 商店街に団子屋さんがありました。1本もらいました。味噌味でした。 一串ではもの足りません。パン屋に突っ込みました。お薦めはと聞くとクリームパン。じゃあそれをちょうだい。パクリ。下品ですが旅の恥はかき捨て。食べながらぶらつきました。 おっ、土手煮の看板。たまらず、入ってしまいました。おばさんがひとりでやっている小さな店でした。ヒルビアしました。テレビが育休不倫代議士の記者会見を流していました。 油を注したら元気が出ました。白川公園にとって返しました。名古屋市美術館へ。 ここはエコール・ド・パリです。出色はなんといってもアメデオ・モディリアーニ。おさげ髪の少女です。彼の佳作です。いいものを見ました。それはそれとして、北川民次の企画展をやっていました。この作家、知りませんでした。戦前、メキシコに渡り、美術教師をしていた人です。解説に、藤田嗣治とメキシコ画壇の軋轢話がありました。興味深かったです。写真は彼のポスターです。いいものを見ました。別話をもう一つ。ここを訪ねて、新美術新聞というのが発行されていることを知りました。調べてみる必要あり。 おっと、時刻が下がりました。ホテルへ戻りました。途中、小さな店できしめんを食べました。ふらっとよったところは、寂れた構えでした。おっさんが暇そうにスポーツ紙を読んでいました。注文したら、立ち上がって作り始めました。その中スポを手に取りました。明日のデイリー杯クイーンズカップの予想を見ました。全員がメジャーエンブレムに◎をつけていました。パパさんの予想如何。 部屋に戻り30分だけ眠りました。スカッとしました。中部地方にあって、クラシック音楽の殿堂、愛知県芸術劇場に向かいました。少し時間があったので、図書館のようなところを覗きました。芸術の図書館・アートライブラリと銘打っていました。美術、評論、論文の類、芸術史、美術史の関連書籍で書架が一杯。レーザーデスクやCDも数多揃っています。ただで聴き邦題。素晴らしい。流石名古屋です。 プログラムは、チャイコフスキーのピアコンと悲愴でした。今回の旅に重なってラッキーでした。モスクワ国立交響楽団。指揮はパヴェル・コーガン。あのレオニード・コーガンが父。プロフィールを見て驚きました。母親はエミール・ギレリスの妹だそうです。席は3階の袖奧。ピアノタッチがよく見て取れました。ダニール・ハリトーノフという若手でした。超絶技巧。痺れるような演奏でした。大げさですが、髪の毛が逆立ちしそうでした。悲愴の方は少し甘かったかな。 ピアノのアンコールはリストでした。オケの方はグリーグのペールギュントから。もう一曲は知りませんでした。命の洗濯になりました。 隣り合わせた男性と、休憩時間に話をしました。N大学のオケでチューバを吹いているとのこと。1回生です。今度スワンレイクをやるので参考になるかなと思い、聴きに来たそうでした。このコンサートの楽器や衣類の搬入搬出を手伝うアルバイトを兼ねてだそうです。心理学を勉強する好青年でした。 音楽会が跳ねました。階段を降りたら、禁玉さんが待っていてくれました。最後の夜をつきあってくれるというのでした。こんなに嬉しいことはありません。彼は仕事帰りでした。ネクタイ姿は流石大会社の管理職。ダンディーでした。今日河岸はフレンチにしました。先ずはビールで乾杯。クーッ!しみました。 生ハム、オイスター、チーズ。美味しい料理が続きました。南アのカベルネをもらいました。話が弾みました。奥さんとの馴れ初めを聴かせてもらいました。素晴らしい。やっぱり禁玉さんです。結婚は、共通の人生観、生活信条において同じ物差しを持つ方と、という信条。いい話でした。好いた惚れたの獣ごっこが国会議員にまで蔓延する時世です。そんな中にあって流石禁玉さんです。話を聞いて、〆のジンがジンときました。ちなみに私は賭事気分で結婚を決めました(笑い)。 最後に〆ラーをたべようと誘われました。その前に、我が儘を言いました。もう一杯。それを聞いてくれました。ジャズバーへ連れて行ってくれました。 彼はアイラモルトを、私はズブロッカを。最後の酒でした。この店、マランツとトーレンスで鳴らしていました。プリもパワーも拙宅のと同じものでした。嬉しかったです。 1杯ずつ飲んで一風堂へ。 いよいよ最後です。頼んだラーメンにこんな海苔が載っていました。文に笑いましたが、心底ではありまsねん。もう時間切れかという思いが募りました。 店を出て、中日ビル近くの交差点まで来ました。ここでお別れでした。振り返らないで下さいと言いました。約束通り、振り返らずに地下鉄の階段を降りていきました。あーあ、いっちゃった。ホテルまでの道すがら、飲み直そうかと思いました。やめました。部屋で飲み直しました。明日は返ります。花火のような3日間でした。 今日の一句観音に頼むことなし無信心モスクワの風に吹かれて酒を飲む今日の写真は求めた絵葉書です。
2016年02月12日
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平成28年2月11日(木) 午前4時起床。習慣からか、どうしても早くに目が覚めてしまいます。スマホで音楽を聴いた後、午前5時配信の朝日をチェック。 泊まったホテルはアパホテル栄です。最上階に風呂があります。午前6時を過ぎて、一風呂浴びました。部屋のユニットバスは興醒めです。広くていい気持ちになりました。今日も元気だ、空が青い。 着替えました。名古屋に来ての朝ご飯は、喫茶店のモーニングを外せません。地下鉄栄のKOMEDAに突っ込みました。 おぐらトーストです。焼いてバターの塗ってあるのに粒餡を重ねます。これが悪くない。パクつきました。 腹が落ち着いて、名古屋の官庁街、市役所駅に向かいました。今日は祭日です。午後に仕事が入ったから、早めに名古屋に出向く。禁玉さんが、わざわざ午前を割いてくれました。彼は岐阜・多治見住まいなんです。痛み入ります。ということで、その駅で午前9時半に待ち合わせ。 名古屋城を案内してくれました。尾張名古屋は城でもつということばがありますが、そのとおり、立派でした。隣接の庭園が見事でした。中国・明の様式だとか。散策をしながらの会話が楽しかったです。付近の建物、官庁街、業界のこと、大学のこと・・・。 歩は普請中の本丸御殿に向きました。殿様が来訪の大名小名御家人と対面する建物です。寄付によって賄われつつあると聞きました。建設費150億円だそうです。三分の一が完成し、公開されているのでした。禁玉さん曰く、これは当初の見積もりだ、すべて出来上がるのは平成28年、まだまだお金がかかりそうだ。自嘲気味に笑いました。以下は中の写真です。襖絵がキンキラキンです。 雉です(部分)。この正月、私の住む木立で偶然、この鳥を見かけましたが、やはりこんな顔をしていました。 広い間がいくつもありました。廊下も幅広でした。加えて柱も壁も総檜です。無節。素晴らしい。 慣行ボランティアに声をかけられました。若い女子大生でした。断る手はありません。禁玉さんも同じ思いでした。二つ返事でお願いしました。口元から八重歯の覗く初々しい説明でした。何でも大学で観光の勉強をしているそうで、大分からだと話したら、別府に行きたいと返してくれました。 続いて天守閣に。らせん状の階段を登りました。最も高いところは7階でした。途中のフロアは関連の各種展示で埋まっていました。江戸時代の生活様式、武具甲冑の類、刀剣や鍔。あれこがありました。この城、太平洋戦争の空襲で消失したそうです。その頃の様子も詳しかったです。昭和30年代にコンクリートで復元されました。現在、江戸時代の図面が発見され、あの河村市長が木造で再建したい旨を発信しているとのこと。以上は禁玉さんの弁。写真は最上階から見た北東方向です。御嶽山とその右に中央アルプスが見えました。昔の殿様もこの景色を見たのだろうな。 下に降りたら、なにやら江戸時代の格好をした武者が行列をはじめたところでした。イケメンのお兄さんたちが、往時の格好をしての行進でした。男前なので、追っかけの女性が何人もいるとのこと。いいものを見ました。 この後、隣接の能楽堂を覗きました。立派でした。ここも舞台は総檜。説明をガードマンの男性がしてくれました。「舞台の背景に描かれた若松が物議を醸した、杉本健吉の作だ、老松に書き直せという声があった、今は双方を1年交替で掲げるそうだ、ここは能に籍を置く者にとって聖地の一つ、あこがれの舞台、あっ、この柱ね、木曽檜だよ、1本1千万円・・・」能を見たことがあるか、禁玉さんに聞きました。「この舞台でタップダンスを踊るのを見たことがあるが、能はまだない」と言いました。写真のないのが残念です。 腹が減りました。名古屋駅に戻りました。道中は市内巡回バス「メーグル」に乗りました。これにもボランティアのおばさんが観光案内係として乗り込んでいました。あれこれの説明が判りやすかったです。そういえば、バス停にも障がいを持った人が案内係をしていました。写真はその車内です。 昼はトンカツにしました。味噌だれがたっぷりかかったものでした。私に遠慮なくヒルビアをどうぞ、という禁玉さんの勧めに甘えました。彼は午後仕事です。申し訳なかったです。スミマセン、それでは。あーっ、美味い。 食後、禁玉さんと別れました。地下鉄に乗って名古屋港へ向かいました。南極観測船ふじを見るためでした。ありました。オレンジカラーの船体です。この船、当時の科学技術庁、文部省、気象庁、海上保安庁、どの省庁所属でもありません。海上自衛隊の所有です。私の背後はタロとジロの像です。その向こうに巨大なスクリューがあります。氷を割って進むため、大きな水力が必要だったのでしょう。それに丈夫でないといけません。羽に厚味がありました。 こちらは隣接するポートビルの7階から撮った写真です。ふじはそれとして、ここからの眺めもよかったです。写真にはありませんが、南側は伊勢湾。すぐ下の岸壁に海保の巡視船。ホワイトシップの姿はスマートで美しいです。 船内に入りました。厨房を見て、学生時代に乗った練習船おしょろ丸を思い出しました。懐かしかったです。観測の様子を写した写真がありました。黄色いナンゼン採水器に思わず見入ってしまいました。同じような真似を同じく練習船北星丸に乗ってしたことがあるんです、私。 士官、甲板員、研究者のそれぞれの部屋、操舵室、ペンギンや鳥の剥製もありました。なんだか、南極に行ったような気分になりました。遥かです。若いころに戻って、越冬隊員になりたいな。写真は隊員の部屋です。机上に残した家族の写真がありました。なぜかわかりませんが、グッと来ました。ここに来てよかったです。 見終えて吾に返りました。ヒルビアの酔いが完全に抜けました。金山にある名古屋ボストン美術館へ向かいました。ヴェネツィア展。「魅惑の都市の500年」というサブタイトルが着いていました。切り口は時代時代にこのまちを訪れ、描いた画家の集約です。入り口にあったヴィザンティン、オスマン時代の大きな鳥瞰図に圧倒されました。細密画です。チェテーリオ大聖堂に煙突の多いのを知りました。薪を焚く煙突なんだろうか。圧巻はティントレットの「東方三博士の礼拝」でした。ルーベンス、レンブラント、ボッティチェッリも画いた聖書の名場面です。出色はモネ「ヴェネツィアの大運河」これに引き込まれました。安息を覚えました。天国的。軟らかい色合いでした。 午後6時、mamaさん夫妻と亮さん、禁玉さんと待ち合わせていました。今日も飲み会です。ラシックというビルの上階にある店でした。まるは食堂。何でも知多半島の先っちょが発祥とのこと。三河湾の魚料理が売りの由。早速乾杯です。今日は一日歩きました。足が棒でした。うーっ、ビールがしみる。 おっ、出てきました。名物大あさりです。日本酒を合わせました。 どえりゃーうみゃーえびふりゃーです。芯詰まりでした。流石名古屋です。この店、mamaさんの予約でした。美味かったです。 男3人のショット。楽しい時間が流れました。 途中、ももさん合流。写真は大喜びのmamaさんです。 パパさんとのツーショット。二人は競馬に加え、熱燗好み。意気投合です。 ついでにこの人とも。 失礼しました。ここでmamaさん夫妻、禁玉さんとはお別れです。mamaさんに、今日が最後だね~と悲しい顔をされました。大丈夫です。またいつかきっと。写真は栄を闊歩する一行です。おつきあい、ありがとうございました。 さて、遅れての参戦、飲みたりないももさんは、このまま終わるわけにはいきません。こういうこともあろうかと下調べをしていました。日本酒好きな亮さんと私を誘おうとの配慮でした。立ち飲みでした。日本酒2,000円で1時間飲み放題というシステム。彼女も初めてのようでした。どうですか、亮さんの喜びよう。 早速いってみました。はよ注がんかい!待ちきれない様子のももさんです。 飲んだ飲んだ。完全に元を取りました。まいったか。店の若旦那、なんだか面白くなさどうでした。写真は、鼻の下が伸びきった亮さんです。 楽しい夜は更けるのが早いです。二人と別れ、トボトボホテル向け。歩きながら、禁玉さん、今日も〆ラーを食べるんだろうな、と思いました。負けてはおれません。突っ込みました。 今日の一句御嶽の雄姿眺めし名古屋城ベネチアの風に吹かれる冬の旅三河湾知多の味やよし夜の更ける今日の写真はまるは食堂で飲んだウィスキー「知多」です。発売になったばかりです。うん、いけます。 もう一枚、ドニチエコ切符です。これ1枚で1日地下鉄とバス乗り放題。しかも施設入場に割引があります。禁玉さん、ありがとうございました。
2016年02月11日
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平成28年2月10日(水) 午前5時起床。晴れ。未明、南の空に向かい手を合わせました。逝った酒飲みの盟友モイ香先生に別れをしました。サソリ座のアンタレスが低い位置に光っていました。夏に見る星です。赤みがかった色が悲しげでした。今生の別れ、一目顔を見たかったです。通夜と葬儀は妻に頼みました。 今日から3泊4日、名古屋に遊びます。告別しないで自分だけ楽しむのは気が引けました。しかし、彼の分まで私が飲もうと、勝手な理由をつけて行くことに決めました。私と彼の仲です。きっと「そらーそーじゃー、上から見ちょっちゃる、存分暴れ飲み暴れ喰いをしてきてちょ、じゃーけんど悪い遊びだきゃーすんなよ」と言うはずです。そう思うと、気持ちが楽になりました。午前6時40分、さあ出発です。写真は東九州自動車道です。猿で有名な高崎山の西側付近です。由布、鶴見の両岳は大分県のランドマークです。道路に映っているのは愛車、ツーシーターミッドシップミッション4駆の影です。 別府の湯けむりを左右に見ながらのドライブが続きました。08:30、大分空港の駐車場へ乗り入れました。1日500円です。700台余りの収容能力があります。ほぼ満車でした。軽自動車はちらほらでしたが、軽トラは私の1台だけでした。ベンツの隣に止めました。出発は09:45。飛び立って直ぐに佐多岬半島が見えてきました。写真では判りませんが、中ほどに伊方原発があります。手前が半島の先端になります。風の強いところなのでしょう、風車が林立しています。 石鎚山が見えてきました。四国にあって、いや西日本の最高峰です。山頂付近は岩稜です。雪を被っていました。土佐と伊予にまたがる南国であっても、流石2,000m近くの高峰です。 機は、紀伊水道を横切りました。阿南市の沖に浮かぶ伊島がよく見えました。海南市、和歌山市が左手に見え始めて、雲がかかりはじめました。高野山から釈迦岳、大台ヶ原は残念ながら確認できませんでした。写真は松坂辺りでしょうか。雲に機影が映りました。 午前11時前、セントレア着。ここは常滑です。待ち合わせは、名古屋市の中心部、栄(さかえ)の中日ビル前です。禁玉さんとスローライフmamaさんが待っています。急げ急げ。ミュースカイという特急電車に乗りました。ノンストップの快適車両でした。着いたぞ~。写真はこのまちのランドマーク、テレビ塔です。風が強かったですが、天気は上々。 約束の時刻に禁玉さんがやってきました。私のために会社を抜け出したのでした。トラブルが生じたとかで、息を切らせていました。mamaさんは所用により少し遅れるとのこと。それまでの時間、オアシス21やNHK名古屋放送局を案内してくれました。ドラマ「愛おしくて」のポスターが飾ってありました。ドーモ君やひつじのショーンが可愛かったです。3Dテレビを体験しました。素晴らしかったです。観光協会の事務所でもらったパンフは、以降、役立ちました。 とその時、禁玉さんの携帯にメールが。mamaさんからでした。彼女とは初対面。予想通り、スリム、スマートで背の高い素敵な方でした。挨拶もそこそこ、早速昼ご飯となりました。案内してくれたのはひつまぶしの店。店名を失念しましたが、確か中日ビル地下だったような。大きいのを注文しました。後のことを考えて、mamaさんが小さい方に代えてくれました。今夜も明日も食べ飲みが続きます。お気遣い、痛み入ります。おっ、出てきました。これがそうか。うまそうだな。 二人のレクチャーに従い、最後は茶漬けにしました。山葵を混ぜました。これがいい感じでした。 腹が落ち着きました。二人が、名古屋に来たら先ずはアイスコーヒーを、と勧めてくれました。mamaさん御用達の店コンパルに案内されました。出てきました。??。コーヒーカップに注がれていました。横に氷の入ったコップが添えられていました。 こうやって楽しむんだそうです。 そうしました。カップからコップへ移し替える折、こぼす人がいるそうです。気をつけなければなりません。 禁玉さんは会社に戻りました。大企業の幹部は多忙です。午後4時半に再度会うことを約してくれました。さあデートです。mamaさんとです。近くに愛知芸術文化センターがありました。その10階に愛知県美術館があるのです。「ピカソ 天才の秘密」と題した展覧会をやっていました。見るに如くはなしです。 構成は、幼小からキュビズムに至る前半生を辿るものでした。鑑賞し始めて、10代前半の作品が、早くも印象派のレベルに達しているの感でした。素人ながら、セザンヌやピサロ、シスレーの域といえます。 進化に「個体発生は系統発生を繰り返す」というのがあります。ピカソは、系統発生、つまり美術史の進化を、日本人に例えると中学生のうちに終えたことがよく判りました。やっぱり天才です。 ピカソと言えば抽象画です。天才は早熟でした。本領である抽象の世界へ、二十歳で踏み出したことを知りました。この展覧会には長命だった彼の後半生の作品は少なかったです。何時か、ゲルニカを見て見たいです。 ピカソ展とは別に、日本画やシュルレアリスムを特集した展示もありました。ピカソの方はmamaさんそっちのけで失礼しましたが、シュルレアリスムの作品は並んで見て回ることができました。この手の芸術は、見る者が想像を膨らませ、作者の意図を感じ取ろうとすること、それが作者の狙いです。何だろうと思い始めたら、わけがわからなくても、作者が人の心を動かしたことになります。何を感じるか、mamaさんとの会話が楽しかったです。ありがとうございました。写真は、一級の作品と並ぶmamaさんの図です。若い折は陸上の選手、スプリンターだった由。オートクチュールのモデルみたいです。 喉が渇きました。美術館並び、10階のレストランで休憩しました。私はウィスキーをストレート。mamaさんは名前を知らない赤い飲み物を頼みました。初対面なのに、積もる話をしました。妻以外の女性と向き合って話すことは滅多にないことです。胸がドキドキしました。 あっという間に時間が経ちました。禁玉さんと再会し、亮さんの待つホテルへ向かいました。彼とは2年ぶりです。久闊を叙しました。nkucchanとの合流は18:00でした。飲兵衛が4人揃うと、することは決まっています。時間稼ぎです。風来坊という店に突っ込みました。名古屋名物手羽先を当てにビールを流しました。早くもいい気色です。 満を持して大甚へ。既に腹が膨れている。でも別腹です。ここの日本酒は最高です。 賀茂鶴の樽酒。さあ飲むぞ。 宴会の始まりです。mamaさんのご主人、nkuchannの奥さんも来てくれました。初対面、2回目の人、3回目の人。でも旧知の間柄のような気分でした。酒が進みました。あれこれのつまみが出てきましたが、食べた記憶がありません。ひたすら銚子を転がしました。どうですか、いい雰囲気でしょう。 途中でmamaさんのPAPAさんと競馬談義をしました。タニノムーティの話になりました。彼の好きな騎手は福永の由。馬券は馬単或いは三連単だそうです。本格的です。写真はnkucchanです。大甚を予約できる人はそうそういないと聞きました。凄いことだそうです。それはそれとして、なんだかウォーリーを捜せのウォーリーに似ているような気が。 こちらの写真はへいかけさんとのツーショットです。彼は大工さんです。お父さんは棟梁の中の棟梁だそうです。金山(かなやま)というところで工務店を経営していると伺いました。私の拙い材木知識を笑いもせずに聞いてくれました。ありがとうございました。ちなみに彼はスキーの選手だったそうです。国体レベル。これも凄いことです。 杯盤狼藉。河岸を変えることにしました。ももさん行きつけの店に突っ込みました。何という店だったかな。そこで彼女の合流を待ちました。当てはいい感じのマグロ、味噌煮込み、柳葉魚。飲んでばかりでここでも食べた記憶なし。 あれっ、亮さんが酔っちゃったぞ。長旅の疲れからかな。釧路から羽田へ。品川に出て新幹線で名古屋入りだった由。でも流石です。この後復活しました。例の調子で梯子を登りました。 楽しい酒でした。同士討ちになるのは仕方ありません。今夜ばかりは禁玉さんに腹一杯飲ませます。まあどうぞ。 おおーっ、ももさん来店。途端に背筋を伸ばし畏(かしこ)まる禁玉さん。 もう一枚、禁玉さん、舞い上がるの図です。 あー飲んだのんだ。でもここで終わってはいけません。ももさんが生殺しです。そういうことにはなりません。もう一軒。もう店の名前は覚えること能わず。でも、飲んだビールの旨さだけは記憶にあります。3杯くらいやっつけたかな。グラスでしたが、効きました。この時点で、いや、もう少し前か。呂律の回っていないのが自分でも判りました。 この後、ヘイカケさんがnkucchanを送りました。彼の奥さんはその前の店を出て帰宅。サヨナラを言えなかったのが心残りでした。昨春、馳走になったお点前のお礼も失念。ご免なさい。 まだ終わりません。最後の締めにともう1軒。突っ込み、白ワインを飲みました。よく覚えていないんですが、カメラに証拠がありました。出鱈目に写っていたので、掲載はやめます。それにしても皆、よく飲むよな~。 その店で本日打ち止め。皆と別れた時、日付変更線を跨いでいました。私は飲んでばかりで小腹が空きました。急に覚醒、折角ですから〆ラーを。楽しい一日でした。 今日の一句賀茂鶴を如月に飲む伏見かな善人の集まりて飲む冬の空梯子酒こぼれるような笑い声 今日の写真は集合写真です。楽しい夜でした。nkucchanの奥さんと別れた後でした。写っていなくてご免なさい。カメラのヘイカケさん、なんどもありがとうございました。
2016年02月10日
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平成27年10月18日日曜日(続き) 折角だから高千穂峡を見ていこうということになりました。国道から逸れ、谷の底へ降りたところにありました。妻が「ん?」駐車場からその場へ向かう途中、茶屋がありました。花より団子です。一杯気色の彼女が早速手を伸ばしました。 ペロリ食べていい気分です。 目当てのところは、ああこんなものか、という印象でした。東京にオリンピック誘致を目指したアルゼンチン・ブエノスアイレスでのプレゼンに富士山とここの景色が使われたそうです。実際に目の当たりにすると、ああこんなものかという感じでした。ポスターや絵はがきに使われるこの景色はここからの撮影です。100mあまりの続く、ほんの狭い範囲でした。 火砕流が凝固し、それを五ヶ瀬川が浸食して形成されたとありました。ボートが遊んでいました。上流に高千穂の町があるからでしょう、流れる水はお世辞にも美しいとは言い難かったです。潜っても、透明感はなさそうです。そそられません。地学的観点からは柱状節理。自然のこさえた幾何学的な形状です。見て面白いとか不思議だなと思いました。 こちらの方に惹かれました。大きな杉が立っていました。チェーンソーの歯を見せたくなりました。でも切ったらバチが当たるわな。エヘヘ。 記念にと、一枚残しました。私がもう二度と来ることはないだろうというと、紅葉の折、も一度来たいわと返されました。多分、もう来ないでしょう。紅葉狩りは久住の方がいい。 遊歩道の手前にそうめん流しの茶屋がありました。店のおばちゃんが「ヌードル、ヌードル」と道行く外国人に勧めていました。そうか、これが商売になるんだ。料金は500円でした。 こんな看板もありました。釣っただけ買い取るシステムです。殿様商売です。 R218に戻りました。「しまったわ、土産を買い忘れたわ」道の駅に寄りました。売店を覗きました。冷凍庫のなかにホルモンのパックが並んでいました。熊本や宮崎は畜産県です。手が出そうになりましたが、踏みとどまりました。いい匂いがしました。高千穂牛の串焼きでした。1本350円の串でしたが、運転の報酬としてこれくらいは許されるだろう。買いました。 エッヘッヘ。美味い。 後は川沿いに下るだけ。延岡の手前で高速に乗りました。佐伯まであっという間でした。帰りにスーパーへ寄りました。禁断症状が出ました。刺身中毒です。ということでいつものスーパーに寄りました。小鰺の10尾入ったパックを購入。198円でした。帰宅して早速刺身に。焼酎を引っ掛けながらの包丁はよく切れました。 手が魚臭くなったので、ひとまず風呂へ。ドライブの疲れを湯が癒やしてくれました。鰺刺を流したのは、自分の土産にと購入した芋焼酎「御幣」。これ、いい感じでした。 今日の一句牛串を頬張り西日旅終わる 峡谷にボート遊びの紅葉狩り 蝶鮫が神話の中を泳いでる ということで今日の写真はチョウザメです。高千穂峡の売店横に掛け流しの池がいくつかありました。うようよ泳いでいました。鼻先の違う2種類が混じっていました。刺し身になるんだろうか。アンモニア臭がするだろうな。不味そうだな。
2015年10月18日
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平成27年10月18日日曜日 午前5時起床。昨晩、遅い晩ご飯の折、Mさんご夫婦に、長男夫妻も一緒してくれました。話が弾みました。打刃物の技術を子や孫へ伝えようとする気持ちが伝わってきました。過去の苦労話、危機やピンチを僥倖で乗り切ったこと、今後の戦略、時間の経つのを忘れて聞き入りました。 朝、目の覚めて午前7時、散歩に出かけました。Mさんが案内してくれました。すぐ近くに八代神社(妙見宮)がありました。其所を一回り。この神社、来年のユネスコ無形文化遺産登録がほぼ確実とのこと。何ともユーモラスな顔をした亀蛇(「きだ」と読みます)の練り歩く神幸行列は有名だそうです。全く知りませんでした。写真は改装なった社の棟です。熊本のお殿様は細川家です。垂木に九曜紋がありました。Mさんに説明を聴いていたら、神主さんが通りかかりました。これからカシコミカシコミなのだそうでした。足を止めて、あれこれを話してくれました。曰く、前任者の後を継いでかれこれ20年、毎年積み立てをしてやっとさ改装費に目処が立った、見積もりの額を見て何とかなりそうだった、着工して費用が嵩んだ、2億円近くになりそう、一部を寄付に頼った、今は何とかなりそうだ、目途がついた、救う神とはこのことだよ・・・。 家に戻って朝ご飯を馳走になりました。おっ、流石球磨川の流れるまちです。何と申しましょうかの甘露煮です。腹ボテとはこのことです。卵でパンパンでした。しかも辛子蓮根とは豪勢です。 午前10時前、別れをし、八代を後にしました。写真は宮原SAで撮った畜産運送のトラックです。ホルスタインを載せていました。近寄ったら全部の牛が私の方を向きました。何とかしてよ、と訴えるような目でした。運命を予感しているんだろうか。 松橋ICで高速を降り、R218を東に向かいました。九州山地を越えます。美里町、山都町を抜けると宮崎県です。道中、刈った稲を干していました。農村の原風景です。 有名な通潤橋はスルー。五ヶ瀬町のワイナリーで試飲を選択。といっても私はハンドルキーパー。妻だけが一杯気色になりました。写真はそこからの展望です。眼下に阿蘇外輪山の裾野が広がりました。私たちの背中、遥か向こうに阿蘇・根子岳が見えます。写ってはいませんが、更に右方向に久住連山もはっきり見えました。空の青がいい感じでした。この絶景、妻に見せたかったのでした。 (写真の容量が一杯になりました。つづく)
2015年10月18日
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平成27年10月17日土曜日 午前4時起床。晴れ。外気温10℃。やっと休日に辿り着きました。朝をのんびりしました。午前8時を過ぎて、電話がありました。親方からでした。山仕事の依頼でした。今日と明日、不在にすることを伝えました。山はいつでもいいと返されましたが、声色は残念そうでした。 ということで午前10時出発。国道10号を北上、野津で左に折れ、三重、緒方、竹田を走りました。青空の下、快適なドライブでした。道中はどこも稲が実り、黄金色の波でした。滝室坂を下り始めると、カルデラ盆地が広がりました。先週、此処を通った折は雨模様でした。阿蘇のドライブは晴れに限ります。 中岳の噴煙が見えました。警戒レベルが上がっています。RKKが河口から半径2kmは立ち入り禁止と報じました。写真は、車中から妻の撮影です。遠目に火山灰の噴き上がっているのが判りました。 昼はホルモンの名店「彦しゃん食堂」に突っ込もうと狙っていました。妻に反対されました。オンボロの店構え。座布団は脂でテカテカです。店の前に来て案の定でした。仕方がありません。その先にあった「馬方そば屋」という、何とも場所の判りづらい、道路脇にあるのですが見落としてしまいそうな暖簾を潜りました。初見参でした。ジャズの流れるいい感じの店内でした。喫茶店を居抜きで買ったような造りでした。 天ザルをもらいました。十割り蕎麦でした。 北海道のものを取り寄せ石臼挽きしているとのこと。妻はとろろ蕎麦にしました。こういう折は、半分半分するに限ります。違いを味わうことができます。釧路の誰かさんのように、一人で何杯も食べる必要はありません。でも交換した時、既にとろろはなくなって、ただのかけ蕎麦になってはいましたが。 立野、大津と過ぎ、九州自動車道に。目的地の八代が近づくと、十條製紙の煙突が見えてきました。人口16万人、熊本県南部の中核都市です。今夜、第28回やつしろ全国花火競技大会が行われます。これを見るためにやって来たのでした。写真はこのまちのランドマークです。なんだか釧路で見た光景のような。 此処に荷を解きました。義弟の奥さんが実家です。生業は鍛冶です。系譜を辿ると建仁の時代に遡るとのこと。今は包丁を中心にした品揃えです。「盛高鍛冶刃物」で検索するとHPがヒットします。 玄関先で当主とツーショット。風格のある方です。話を聴くほどに、広さ深さを感じました。大学の大先生、大物政治家、はたまた大企業の社長といった人に見られる驕り、自惚れ、自任、鼻掛け、勿体、体面、気位が全くありません。矜持だけを持つ古武士のように感じました。寛いだ後、息子さんに鍛冶場のあれこれを見せてもらいましたが、そのことはあらためて別の日に書きます。 午後5時前、会場へ向かいました。歩いて30分ほどのところに球磨川の河川敷があります。とても広い。一枚の写真に切り取ること能わず。 特等席に陣取りました。銀のマットを持参しました。クッションが効いて座り心地がよかったです。当主が持たせてくれたビールを早速プシュッ。陽の傾いて、ダウンジャケットを着ました。準備万端整えていたのがよかったです。 いい感じに日が暮れてきました。写真は夕陽です。製紙工場の煙突もですが、夕陽にも釧路を感じます。 花火が始まりました。地元企業協賛の連発を3回に分けて打ち上げます。その間に、第1部と第2部が入ります。全国から集まった花火制作会社30社のコンクールです。競技は小さな玉5連発と大玉1発で競うのがルール。色や華やかさ、見栄えで採点されるようです。審査員は火薬学会や地元商工会議所の方々。2時間、堪能しました。あれこれ書いても、その素晴らしさ、凄さには迫れません。ということで、その一部をYouTubeにアップしました。 午後8時過ぎにお開き。帰り道は人人人。ごった返しました。どうですか、露天商の数。写したのは店じまいの時刻です。花火の始まる前は、各店舗にそれぞれ行列ができていました。 お世話になるMさん宅に戻りました。料理をこさえ、待っていてくれました。風呂をよばれ、ビールを馳走になりました。鍛冶を継いだ長男夫婦も一緒になって、楽しい夜が更けました。私は妻の夫というだけの外様でしたが、それにもかかわらずの歓待。嬉しいやら恐縮やらの一日でした。今日の一句球磨川の夜空に掛かる色屏風 今日の写真は花火大会オープニングの一枚です。カメラに花火モードというのがあり、これを使って写してみました。便利です。
2015年10月17日
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平成27年10月11日日曜日 午前4時起床。曇り。 今日のあれこれを書く前に、昨日掲載能わずの仕儀となった写真をアップします。Kさんと彼に仕留められた鹿の図です。大きな雄でした。立派な角でした。 先ずは写真に納めます。他の地域に漏れず、私のまちも農林業が鳥獣被害を被っています。猿、猪、鹿等の駆除を市が奨励しています。ハンターは、獲ったら市の農林課へ報告します。その際、証拠写真と切り取った尻尾の現物を添えます。ということでKさんもそうしたのでした。写真の目線は奥さんの構えるカメラへ向いています。彼、男前でしょう。若い時分の石原裕次郎です。 鹿の体から湯気が立ちのぼっていました。猟師は撃ったら先ず谷の流れに浸けるといいます。冷やすためです。そうしないと、たちまち肉が煮えてしまうからだそうです。血抜きも必要と聞いたことがあります。煮えるというのは魚の死後硬直・解硬のメカニズムと一緒なんでしょうか。今日は夕刻ということもあって時間との勝負でした。腹を出しただけ。冷やす前に早速解体に取りかかりました。一気に皮を剥ぎました。次いでロースを取り、もも肉を切り取っていきました。手早い作業でした。最後に首を落としました。これは骨にするんでしょうか。本匠のマタギOさんの小屋に並べてあったような髑髏になるんだろうな。ナイフを振るいながら彼曰く、雄鹿は縄張りを持つ、別の雄がテリトリーに侵入したら追い払おうとする、ピューピュー鳴くのは領域を主張するためなのか、雌にアプローチをかけているのか、ということで今日は迷彩服を着て藪の中に潜み鹿笛を吹いた、大きいのがやって来た、撃ったらた20mほど走って息絶えた、そこから道まで引きずり下ろすのに苦労した・・・。写真はここまでです。骨になったところまでありますが、血祭りの図はブログに馴染みません。 さて、日記に戻ります。午前8時半に家を出ました。熊本向け。妻はそのまちにある大学を卒業しました。4年間、混声合唱団のサークルに入っていました。当時から指導に当たっていた方、現在80を越えるのだそうですが、その人が高齢を理由に退任するのでOBが集まってパーティーをやろうという案内が届いたのでした。私もですが、妻もお洒落は苦手です。着ていく服も履く靴もないので買ったようでした。 道中、曇り空でした。国道10号を犬飼まで走り、そこでハンドルを西向けへ切りました。竹田のまちを抜けたら阿蘇外輪山の裾野が広がりました。高冷地野菜の栽培が盛んです。白菜、キャベツ、ゴボウなんぞの畑が広がっていました。収穫作業もそこここでやっていました。写真は広がるレタス畑です。 国道57号が滝室坂にさしかかると、天気のいい日は高岳・根子岳と外輪山の絶景が広がります。今日は雲って興醒めでした。JR宮地駅の近くにあるホルモンの店、彦しゃん食堂はスルー。妻が昼に、夜とは別の仲間、学部で親しかった女性二人と食事をする約束をしていたのでした。残念。ちなみにその二人も教育学部卒、現役教師だそうで、荒尾と宇城からわざわざ妻のために熊本市までやって来てくれるのだそうです。ホルモンを食べている場合ではない。道路はその辺りから立野付近まで混み合いました。連休中日を想定していませんでした。のろのろ運転に待ち合わせの時刻が迫り、助手席の妻が気もそぞろの様子。仕方ありません。 待ち合わせの場所へ彼女を送り届けて、私はフリー。今日泊まる宿の駐車場へ車を突っ込みました。昼は熊本の味「桂花ラーメン」にしました。ここの味、好きなんです。 当然昼ビアです。ここは大瓶でした。これが580円。 ほろ酔い気色になりました。電気店のカメラコーナーを一回り。ネットサーフィンで製品情報のあれこれを知ってはいますが、手に取ることも必要です。手触り、ホールド感は触ってみないと判りません。衝動買いの欲求に駆られましたが、グッと我慢。G15を修理に出しています。浮気は禁物。次いで本屋へ。1冊買いました。ホテルへ戻り、ロビーで読み始めました。ふと気がついて外を見ました。あっ、姜尚中氏ではないか!一瞬、走り出てサインをもらおうと思いました。しかし、何とも難しい顔をして、取り巻きの人たちと話をしていました。近づきがたい。そうこうしているうちに大きなボックスカーに乗って去りました。後で聞いた話ですが、彼は来年1月、熊本県立劇場の館長に就任するのだそうです。それにしても、背が高く、カッコよかったです。65歳ですが、スマートな姿にその年齢を感じませんでした。世のご婦人方が痺れるはずです。そうこうしているうちに妻が戻ってきました。満足の顔をしていました。一緒にチェックイン。彼女、休む間もなくそそくさの着替え。パーティー会場となるホテルへ向かいました。 実を言うと、この訪熊に際し、別れて久しい友人O氏に連絡を取っていました。きっかけは先日亡くなった新聞記者F氏のことを知った彼(彼も某全国紙記者です)が電話を寄こし、やり取りをしたからです。その際、熊本行きを話したのでした。久闊を叙そうということになりました。この日、彼は夜勤、総局に待機でした。同僚に代わってもらい、夜の8時、仕事を終え、やって来てくれました。彼の河岸「鳥政」という店で再会を祝しました。 店の看板メニュー、焼き鳥です。 熊本です。当然馬刺です。 馬肉ユッケ。好物なんです。卵の黄味を崩して気がつきました。失敗作です。 熊本県知事選の情勢、松野明美氏が市議会議員から県会議員へ鞍替え当選したこと、農業県熊本のTPPに関する情報、夏目漱石の新たな旧居発見?のニュース、阿蘇山が噴火したらてんやわんやだな・・・。あれこれを話してくれました。新聞記者の話は聴いていて面白いです。多くのことを知っています。 河岸を変えました。ここも彼の店です。いい感じのバーでした。 彼はマティーニが好物だそうです。その酒で乾杯。次の一杯、彼はこんなジンをベースにした2杯目を飲みました。私はカサーシャ。彼曰く「私、来年1月に子どもが生まれます」えっ、そうですか、それはよかった。気になってはいましたが、再会してもそのことは切り出せませんでした。彼、私のまちにいた頃、結婚しました。山口県某市に異動し、熊本へ転勤。5年が経っていました。祝着です。 彼と別れました。飲みたりませんでしたがホテルへ戻りました。午後11時でした。フロントにまだ鍵がありました。よし、それならばもう一軒。付近を徘徊しました。しかし、適当な店に行き当たりません。コンビニでおでんと冷酒を買いました。部屋に戻り、本を読みながら独酌。あっ、戻ってきた。「あなた、まだ飲んでるの」呆れられました。 今日の一句マティーニがあっという間に手繰り寄せこのまちで刺し入りを喰う旅やよし今日の写真は再会を祝すの図です。彼40台です。生まれてくる子が高校を卒業するときに還暦です。頑張って下さい。
2015年10月11日
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平成27年7月10日日曜日 午前5時起床。カプセルの中にあったラジオをチューニングしたら、クラシックチャンネルに行き当たりました。メンデルスゾーンがかかっていました。場違いのようでしたが、目を閉じたら忽ちその世界に移入できます。カプホテ、料金は安いし、サウナに大浴場、ひげそり等もそこそこの物が揃えてありました。悪くないです。朝ご飯も470円、お代わりし放題だそうでした。写真は、ガラガラの食堂です。 映っていないところにスポーツ紙を拡げたオッサンが、瓶ビールを傾けていました。日曜日の朝、サウナに入って馬の検討をしながらビール。優雅な生活です。私も若い時分、魚市場に勤務していた折は、そんな感じの崩れた過ごし方をしていました。勝鬨橋を渡ったところに寮があり、銀座の場外が近かったんです。いや、馬券は全て先輩のセリ人にお願いして、蚤屋からの購入でしたが。余談ですが、その後、JRAから大井にシフト、次いで平和島、松戸、最後は船橋。ギャンブラーの道を辿りました。以前、大分・中津に競馬場がありましたが、随分前、閉鎖になりました。今は別府競輪があるのみです。横道に逸れました。写真は朝のメニューです。 午前8時にホテルをチェックアウト。南海電鉄の駅に向かってブラブラ歩きました。界隈は昨夜の賑わいが嘘のようでした。ところどころ、酔った若者が、気勢を上げていました。陽の昇った盛り場は、なんとも興醒めでした。 写真は南海電鉄の始発駅です。このデザイン、妙に惹かれました。 ラピートの乗車券を買いました。 これで旅は終わり。寂しさがこみ上げてきました。ウーン、沁みる。コクのビールで後ろ髪を引かれる気持ちを流しました。 親友二人は「インドの青鬼」というビールをプシュッ。「これはアカンわ」「あきまへん」異口同音でした。私も飲んでみました。悪くない。ちょっとマスカットの風味がし、味わい深い。じっくり楽しみたい逸品だと思いました。でも素人の方は手を出さない方がよいかもしれません。 Tとはここでお別れ。さっきサヨナラしたのに、車外のそこまでやって来て、見送ってくれました。この心づかいが嬉しかったです。また、大分に来いよな。魚影の濃い豊後水道・佐伯湾で釣りしような。 Kとは関空まで一緒でした。そこで別れ、成田へ帰ります。空港までの座席は、二人とも無口。傷心でした。名残惜しいな。Tはいませんでしたが、別れの杯をもう一度。どこにしようかな。 こんな店に突っ込みました。 当てを頼んで、冷酒を流しました。私「おい、K、今度はどこで会おうか?東京に行こうか?」K「ああ、いつでもいいよ、待っている、それはそうと俺、来週は福岡、再来週はインドに出張するねん、元気で行ってくるよ」インドかー。遙かです。さっきの青鬼ビールを思い出しました。も少し早くに判っていたら、その日程に合わせてポカ休を取ったのに。ムンバイの空気を感じたかったです。 別れの時がきました。サヨウナラ、またいつかきっと。独りになり、西向けの飛行機に乗りました。青い空が悲しかったです。 正午過ぎに大分空港へ着きました。佐伯行きのバスまでなお時間がありました。一杯ひっかけようか迷いました。止めました。空港隅のソファーで文庫本を読みました。乗車する前、缶ビールを買いました。ところが、何を間違ったか、これがアルコールフリーでした。ガックリ。佐伯に着いて、迎えに来てくれた妻の車に乗りました。疲れました。荷を解いて、やっぱり自宅が一番です。今日の一句碧空が悲しく見えし家路なり今日の写真は妻への土産「有次」です。上は「菊一文字」の薄刃です。20年、働いてくれました。これからは下が活躍します。いい菜切りです。両刃。惚れ惚れ。
2015年05月15日
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平成27年5月9日土曜日(続き) 大阪・千日前に戻りました。賑やかでした。大きな交差点に車を停めて、Tの奥さんを待ちました。 やって来ました。以前、3組夫婦そろって雲仙を旅しました。あれは何時だったかな。ああそうだ、博多の街を歩いていて、配られた号外が「三浦和義自殺」と書いてあったな。あの年だ。彼女、大阪のU商事に勤めています。ゴルフをやっているとのこと。 彼女は、私たちが使った車を運転して帰って行きました。サヨウナラ、またいつかきっと。残った男3人、嗚呼腹減った。T「わし、鳥を食いたい!」そうすることにしました。突っ込んだ店は「鳥光」早速ビールで乾杯。 おっ、利き酒セットというメニュー。有名どころを3種類チョイスできるんだそうでした。〆張鶴、上喜元、出羽桜をもらいました。甘露甘露。 当てはこれ。鶏刺セット。心臓がうまかったです。 地鶏鍋をもらいました。流した酒は焼酎。具がなくなって、雑炊にしました。いい気色になりました。 以下はミナミ散歩の私です。 道頓堀川にボート。左の船上は、バンドがなにやら演奏していました。華やかでした。 疲れはしないけれど、荷物が重い。カプセルホテルに突っ込みました。この手、利用したことがないんです。Tに予約を頼んでいたのです。チェックインし、カバンを置いて、再度出撃。 おっ、オッちゃんが3人、たこ焼きを焼いていました。いい構図です。 その店に突っ込みました。メニューが素晴らしい。 早速たこ焼きをもらいました。スープのようなタレにつけて食べました。 こちらは串揚げ。これもこの店の看板メニューだそうでした。 ミズナスという品書きが気になっていました。それをもらいました。かみしめると、その名のとおりジューシーでした。 流した酒は松竹梅の辛口でした。この酒は初めてでした。 満腹になりましたが、夜を終えるのはもったいない。もう1軒行こうとはKの言。トロピカルの店に入りました。カウンターの止まり木に三人並びました。それぞれカクテルを所望。スタイルのいい女性がこさえてくれました。じいさんが日本人、クォーターのブラジル人でした。Kがその国の女性はお尻を褒められると嬉しいんだと嘯き、そうしました。そのとおりでした。私が大分から来たんだというと、熊本の横ね、田舎でんがな、と返されました。参ったな。じいさんが熊本に住んでいて、行ったことがあるんだそうでした。 おっ、ラーメン屋がある。なにやら、仰々しい能書きを書いてありました。でも満腹でした。よし、1杯注文し、3人で啜ろう。突っ込みました。店員に断られました。意味がわかりません。 仕方がありません。飲み直すことにしました。ピーナッツを当てに〆のビール。 写真は今夜の寝床です。まさにカプセルでした。 今日の一句朋友と重ねる杯や道頓堀今日の写真はウヒョウヒョです。
2015年05月14日
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平成27年5月9日土曜日 午前4時起床。ホテルのベッドでKBSを聴きました。予報によると、空模様は下り坂とのこと。三十三間堂は午前8時に開門します。午前7時過ぎ、ホテルを出ました。駅前のスタバで朝ご飯。深煎りのコーヒーが美味しかったです。 写真は京都駅です。ビルに京都タワーが映っていました。30代の頃、このまちを旅し、ここのてっぺんに上がりました。遠くに大阪城の見えたことを思い出しました。 歩いて東へ。途中に和菓子屋がありました。よもぎ餅を1つもらいました。粒あんでした。食べ歩きは品のない仕儀ですが、旅の恥はかき捨てですし、休んでいくには時間がもったいない。 太閤塀が見えてきました。秀吉が蓮華王院に寄進した土塀です。 瓦を釘で留めてありました。端瓦に豊臣の家紋がありました。これ、桐です。余談ですが、筑波大学の校章も同じです。政府や皇室、某ホテルも使っています。 角を曲がると、朱塗りの伽藍です。京都の色合いです。神社のような感じでした。 堂の中はカメラ法度。靴を脱いで100m余りの廊下を歩きました。千手観音は圧巻でしたが、風神、雷神と28体の王や神、仙人の像に惹かれました。見入ってしまい、時の経つのを忘れました。写真は通し矢の廊下です。 隣にある京都国立博物館は割愛。降り出しました。後ろ髪を引かれる思いで駅行きのバスに乗りました。100円引きのチケットがあったので、駅地下のスタバに入りました。甘いものが欲しかったんです。 ここで札幌のA先生に葉書を認めました。駅前に郵便局がありました。そこのポストに投函。旅の便りを出す恩師のいること、幸せです。 ホテルをチェックアウト。さあこれから大阪です。大学時代の友人TにTEL。彼曰く、近鉄に乗って来い、西大寺で乗り換えだぞ。そうしました。写真はその鉄道会社がホームです。オレンジの車体でした。 乗った電車はこれ。社内には大阪弁が満ちていました。おばちゃんのしゃべりがどぎつかったです。 指定の通り、一度乗り換えて難波へ。この正月明けに拙宅へ来た二人がホームに待っていました。Tは大阪・阿倍野ですが、もひとりのKは千葉に住んでいます。私に会うため、わざわざ成田からやって来ました。嬉しい限りです。再会を祝し、昼飯を食べることにしました。写真は難波・花月の前の一枚です。あたりはごった返していました。 うどんを食いたいというKの言を入れました。食堂のような店に入りました。昼から飲んでいるおっさんたちがいました。ケースに早くもつまみが並んでいました。シメサバを取り、ビールで乾杯。 写真はその二人です。私は中華ソバを頼みました。懐かしい味がしました。 繁華街をぶらり。たこ焼きを買いました。これを持ってTの車へ。 行きたいところはあるか、見たい場所はないか、どこでもいいぞ。嬉しい言葉でした。カープが甲子園で試合をやっている、見たい、と言いました。却下されました。Kが野球オンチなんです。それじゃーということで、浄瑠璃寺へ。二人とも知りませんでした。堀辰雄の大和路・信濃路だよといっても、本を読まないTはちんぷんかんぷん。まあそれでもいいやといいながら、車を出してくれました。写真は生駒山を抜ける阪奈高速のトンネルです。長かったです。 奈良の街を抜け、うねうねした道を走りました。のどかというか、鄙びたというか。私の住んでいる田舎と変わらないような農村にありました。「浄瑠璃寺の春」の浄瑠璃寺です。いよいよ、九体の阿弥陀如来と対面です。写真は寺の門です。京の大寺が大門とは大違いです。 九体の阿弥陀如来が安置されていました。素晴らしいの一言でした。瞑想というか、深い思索の表情にうっとり。同行の二人はスタスタ坊主。興味ナシでした。写真法度なので、そのスタスタのほうを。 もう一枚は私です。いい感じの石灯籠でした。 折角だから東大寺を見ていくか、いや南都北嶺の興福寺がいいかな。あれこれ相談。まとまりました。向かった先はここです。でかい。中学の修学旅行以来でした。 柱の受けは御影石でした。大昔なのにこんなことのできるのは、鎮護国家だからです。 中国の坊さん一行が歩いていました。呼び止めて、ツーショットに入ってもらいました。同行の通訳が青龍寺の偉いお方だと言いました。後で調べたら、その青龍寺、円仁、円珍が留学し学んだ古刹だそうでした。すごい。 広い敷地も、建物のでかさも、桁違いでした。観光客が多かった。鹿が煎餅を求めてウヨウヨ。ウンコを放りさがし、臭かったです。石畳の上のそれが雨に溶けて流れ、踏まずとも踏まざるを得ない情況でした。車にとって返し、来た道を大阪へ。(続く)一句蓮花寺の矢通し凄し江戸娯楽大和路の瑠璃寺やよし如来さん今日の写真は2枚。東大寺近くの池に浮かんだ蛙です。でかい。小石を投げても逃げませんでした。 もう一枚は奈良の甍です。この感じ、好きです。
2015年05月13日
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下賀茂神社を抜け、地下鉄鞍馬口駅へブラブラ。おっ、銭湯がありました。足が疲れたし、汗ばみもしました。一風呂浴びていこうか。 そうしました。まだ午後3時。中は空いていました。貸しタオルを借りました。20円。オッちゃんが二人、ゆるりとしていました。耳をそばだてました。片方「いいね、これから一杯やって寝るの?」もう片方「とんでもない、これから明石にいくんだ、仕事だよ仕事」片方「へーっ、そりゃ大変だ」思わず私「明石って兵庫県の明石ですか?」もう片方「そうだよ、2時間かかるんだ」私「お仕事は?」もう片方「建設関係だよ」二人とも私より一回り年を食っているような感じでした。旅の空が申し訳なくなりました。片方の人、肩に入れ墨がありました。でもその道の人とは思えない優しいごま塩頭。足を洗って久しいのかも知れません。 サッパリしました。烏丸へ戻りました。晩酌の時刻に猶、間がありました。ロフトを冷やかしました。大分にないので、文房具のあれこれを楽しみました。カリグラフィのペン先万年筆を見つけました。カリグラフィとは、縦線を太く、横線は細くの筆跡をこさえる手法です。好きなんです。衝動買い。でもまぁ有次の5分の1以下の値段です。そろそろいい頃合いになりました。突っ込んだ店はダニエルズソーレ。イタリアンでした。入り口はこんな感じです。和風。洋食屋には見えません。 が、中は奥行きが深かったです。門を入って、細い緑の通路を10mほど行くと、中庭にテラスのあるレストランがありました。 先ずは生ハムとビールで。ガーリックのきいたサラミがウマイ。 お兄さんを呼んで注文。ウリのパスタと、それに合う安くて美味しいワインを。笑顔で二つ返事をしてくれました。写真がそれです。これ、生麺でした。絶品。シャルドネのグラスもまわしが締まっていました。 京都駅に戻りました。このまちは今夜が最後でした。これで終わっていいはずがありません。駅前の煮込み屋「へんこつ」の暖簾を潜りました。 喉が渇いたので、SAPPOROを流しました。当ては漬物。これがまたよろしい。 「サルベージ」というメニューがありました。それを注文。テールやモツの入った煮込みでした。深い鍋からすくい上げることをして、このような名を付けたのでしょう。無愛想なおばさんに、海保の海猿とサルベージ会社の海猿は役目が違うんだ、海保のそれは生命を助け、サルベージ会社は財産を救うんだ、知ったかぶりの講釈を垂れました。彼女、呆れた顔をしました。心の中で「このオッサン、バカじゃないの」入ってくる客は、サルベージを注文し、瓶ビールを飲んで1,300円。滞在時間は平均10分のようでした。 ぶらり、ホテルへ向かいました。おっ、オープンドアのパブがありました。〆にウイちゃんをと思いました。 軽いビールとラフロイグを注文。外のテーブルに座りました。周りは外国人が多く、さっきの煮込み屋とは違った旅気分になりました。いい一日でした。 今日の一句杣夫なら糺の森に刃を当てて銭湯で汗を流して旅の空
2015年05月12日
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平成27年5月8日金曜日(続き) 京大にきたら、覗こうと決めていたところがありました。ここです。 展示テーマの一つは「送粉者」でした。昆虫のことです。突然ですが、ヒトはセックスにより子どもをこさえます。どの動物も同じです。植物然り。しかし、根の生えて移動できないし、動きが取れません。セックスできません。従い、生殖活動は助けを得なければなりません。そこで昆虫が登場します。植物の生殖器官は花です。おしべからめしべに、如何に花粉を運んでもらうか。そこで、花の色や形と匂いを工夫、昆虫を蜜に引き寄せるシステムをこさえました。見事というか、驚くばかりです。脳のない植物に猶「意思」を感じました。これらは「進化」の結果です。自然の仕組みを解明する学問は素晴らしい。研究者は楽しいだろうな。でも、ジャングルの調査は御免だな。虫に刺されそうだ。 アカデミックな空気を感じて、大学を後にしました。裏口を出たら、百万遍の交差点。ここは高校駅伝の舞台です。街並を目に焼き付けました。ぶらり曲がり、出町柳駅の方へ向かいました。この辺りは住宅地。新しい建物が多かったですが、中に古い民家もありました。高橋和巳の小説に出てきそうな居家でした。清貧を送る大学の老教授が住んでいそうでした。燻った二階屋があると、つい足が止まりました。しばし眺めては、このひっそり家屋に下宿、本まみれの学生生活を送りたかった。写真は京大史料館の中に再現してあった三高の学生下宿部屋です。 閑話休題、叡山本線の始発駅が近づきました。目当ての一つ「柳月堂」に突っ込みました。 知る人ぞ知る名曲喫茶です。1階はパン屋ですが、広い2階は別世界。ディープなオーディオが並んでいました。見たこともないトーレンスのプレーヤーが目を引きました。透明感のある女性が、席に案内してくれました。 腰を下ろした時はドビュッシー、次いでシューベルトのSQが流れました。歩き通し、錦市場でひっかけたこともあり、ウトッとなりました。10分間、記憶を失いました。写真はメモ整理途中の図です。 散歩に火照った心は、コーヒーが癒やしてくれました。落ち着いたところで再出発。出町柳駅をやり過ごし、鴨川を渡りました。下賀茂神社へ向かいました。参道は「糺の森」と言われています。鬱蒼が鳥居まで続きました。樹種はエノミが多かったです。ガイドブックはここを神々しいスペースと紹介しています。が、私には、薪の山に見えました。取り付けも足場もいいので、始末が楽だな。 写真は下賀茂神社の山門です。京特有の真っ赤な色をしていました。
2015年05月12日
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平成27年5月8日金曜日 午前5時起床。晴れ。走ろうと、短パンTシャツに着替えました。でも止めました。二日酔いだったんです。頭が重い。も一度、ベッドに潜り込みました。再び目の覚めて、着替えました。朝早くに開門する西本願寺、続いて東本願寺に歩いて向かいました。途中のコンビニでおにぎりと茶を買いました。歩行朝食。と、途端に視界が開けました。西本願寺。伽藍も本堂も目を瞠るような大きさでした。堂内に入ってみました。流石に浄土真宗本願寺派の本山です。真影の上はカラフルな装飾の彫り物がいっぱい。残念ながら飛雲閣は見ること能わず。前日までの予約が必要とのことでした。唐門に廻ってみました。桃山時代を彷彿させる絢爛の装飾でした。これを見ただけでも来た甲斐があるというものです。近くに龍谷大学があるとのこと。系列の高校や中学もあるのかな。大勢の生徒たちとすれ違いました。中学生ではありますが、女の子たちの美しさに見とれました。京女の予備軍です。やはり違うな。写真は西本願寺の本堂です。 龍谷ミュージアムは割愛。修復中の東本願寺を覗いた後、地下鉄に乗って二条城へ。中を一回りしました。大名・老中の使った各部屋は絢爛豪華。大政奉還の舞台となった大広間は、松の襖絵がよろしい。装飾美にもですが、その広さに驚嘆。江戸幕府の権勢を感じました。両本願寺は欧米人と思しき人が目につきましたが、ここは中国・香港系が多かったです。 もう一枚、写真は地下鉄構内に張ってあったポスターです。交響楽団のあるまちは素敵です。 小腹が空きました。よし、錦市場へ行こう。烏丸へ。そこはごった返していました。京野菜、漬物、煮干し乾物、肉、茶、京菓子・・・。おっ、サバの棒寿司がある。でも1本は厳しいな。あっ、1カンの小分けも売ってある。それをもらいました。300円也。それだけの味はしました。 アマダイの天麩羅がありました。この魚、京都では「ぐぢ」と呼ぶんだそうです。1つもらいました。200円。ホクホクでした。 なんだなんだ?「みやこつる」京都の地酒でした。今、飲むシアワセとあります。 ならば飲まないわけには行きません。いい感じにまわしが締まっていました。600円。ドイツの大男がこの店で酢を買っていきました。一緒に飲まないか誘いました。ニヒト! 当てが欲しくなりました。隣が玉子焼きの店でした。う巻きを一つ。こちらは130円だったかな。 いい気色になりました。ぶらぶら歩いて東の方へ。あっ、有次だ。突っ込みました。包丁の店です。有名です。拙宅、菊一文字の薄刃が減り加減のことを思い出しました。よし、1本誂えよう。菜切りを5本出してもらいました。バランスを確かめ、うちの1本をもらいました。2万円を越す散財、ちょっと高かったな。妻に値段を言わずにおこう。写真は彼女の名を刻んでいるところです。おっと、忘れていました。帰りも飛行機です。持ち込み法度。自宅へ送るよう頼みました。 さあ、どこへ行こうか。河原町のほうへブラブラ。そうだった、昨晩、禁玉さんに天下一を是非と勧められたのを思い出しました。スマホで検索。忽ち近辺の店が地図上に表れました。近いところに突っ込みました。それを頼みました。おおーっ、ドロリンチョのスープでした。味は悪くなかったですが、飲み干すと血管が詰まりそうでした。 店のおばちゃんに、京都大学への道を訪ねました。ブロ友のゴーゴーあっこたんが、いつも東大キャンパスの自慢をします。悔しいので、私も最高学府に入ってみることにしました。門を入ると、学生が楽しそうにカッポしていました。皆、青春を謳歌しているような表情でした。もうすぐ57になろうかというオッサンにとって、彼等彼女等の顔が眩しかったです。写真の背後、時計台の建物に入りました。大学の歴史を時系列に展示した部屋がありました。滝川事件は有名です。当時の教授たちが書いた連判状がありました。大学の処分に反対する内容でした。教科書に載った事件の1場面を現実、目の当たりにし、痺れ感のようなものを感じました。旧制高校のあれこれも並べてあり、往時を偲びました。建物の1階に下がると、生協やカフェ。講義の合間に珈琲を飲み談笑する若者たち、歴史ある大学に入学し、勉強できることの幸せ、羨ましいかぎりです。学生を見るにつけ、一抹の寂寥感を感じました。彼等には、これからどうとでもなる輝く未来があります。翻って私に残された時間は少ない。ブルーな気分になりました。(続く)
2015年05月11日
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