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http://www.youtube.com/watch?v=ECeY_8R9owE&feature=related
時代も高度成長期の真っ只中で
かつてゴルフは金持ち紳士達の社交場で敷居が高く、
近所の人がそこにあるから、じゃあチョッと何て、
とても利用できるような遊びではなかった
不況が長い今では考えられないような時代であった。
ゴルフ場はフロント業務、コース業務、総務と部署が多数有ったが
普段は受け持った枠内の仕事をこなすのが精一杯で
社員同士の交流は年数回の社内行事の時だけでした。
お客様は、少なくても毎日200人以上、
多いと400人以上の方々がおいでになられて、
皆さんコンペ後はパーティなので、ほぼ全員がレストランの客となり
朝、昼、夜、私の勤務するホールは たった4人の女子で
必死に応対していた。
厨房もコックが6人くらいで全てのメニューを作っていた、
和食メニューは、板さんが(噂ではアル中と聞いた)
一人でふてくされながら切り盛りしていました。
混んでどうしようもない時は、
ホール主任(帝国ホテル出身)、食堂課の課長(元コック)
が随時席を立ち助っ人になってくれていた
洗い場には、農閑期のおばちゃんがおり、
皆の朝食を彼女が、昼食のまかないは厨房のコック達が
ローテションで腕を振るってくれた
私の母はお嬢様育ちの為食事が作れない人であったから
特にあの時のおばちゃんの食事は、私のお袋の味となり
今、私は自分の子供達にそれらを提供しているが、
大のヒットメニューは大根葉を用いたものだ、色合いはいいし、
炒めても、煮ても、漬物もOK! 人生の財産はお金だけではない。
そう言うわけで、普段は仕事に追われていたから
個人的にウエイトレスがコックとオーダー以外で口をきく事は無かった
いい人だな・・と思いながら帰りのバスの後姿を眺めるだけの日々が
続いたどうせ、気がつかないだろうと思って、
アッカンベーをしてみた時、
不意に振り向かれて慌てた事は有ったが、
それは、それでたったそれだけのことがあっただけであったが
極偶に思い出すが、気まずい気持ちに褪せる事は無い・・
忘れたいのに、
私は、学生アルバイトであったが、良く仕事をする子、と言う事で
社員行事ににもお声がかかり
その年の忘年会に参加することとなった
もう昔なので、詳細な記憶は無いが
お座敷でテーブルを挟みコック氏と向かい合わせなった、
初めて前を向いての顔合わせだった・・
宴にも慣れていない私は、未成年でも有るし酒も断りうつむいたまま
コック氏の気配ばかりを気にしていた、
まるで全身が目の玉になったよう・・
真っ直ぐ顔を上げた時、見つめあうような事になるのが
恥かしかったし、怖くもあった為 時折外を眺めたりはしていたが、
改めて窓に目をやると辺りは暗く宴会場だけがまぶしかった。
今で言うビンゴ大会な様なものがあり私は外れたが
コック氏は土鍋セットが当たったものの不要だからと私によこしてくれた、(その時のコック氏は本当に何の気なしで)
若い私には不釣合いな 重く大きな土産をぶら下げ家路に向かった
でも、心はうきうき♪足取りは軽かったのである。
恋の歯車が動き出してゆく・・・
闇の中ではあったが私の心は光り輝いていた。
後に、コック氏と初デートをするのだが、更に数ヶ月後のことである。
【2007記原文のまま】

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