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2013年10月13日
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<土、生けとし生ける啓示と啓蟄(けいちつ)> きょうは二十四節気の啓蟄。冬ごもりしていた虫が、もぞもぞはい出してくるころとされる。「啓」は開くこと。「蟄」は、虫が土の中に隠れたり、閉じこもったりするという意味だ。 けさは青空に恵まれたものの、外はひんやり。まだまだコートは離せない。虫が地上に出るには、最低気温が5度以上は必要だそうで、顔を出すのはもう少し先のようだ。 冒頭の文は、兵庫県芦屋市の文筆業徳永未来さん作。上から読んでも下から読んでも同じ「回文」だ。彼女の作品を小欄で紹介したのが縁で、近著『回文平家物語』を送ってくれた。その中の一文。 平家物語の名場面や日本の四季を回文でつづった。副題が「落ち延びろ滅びの地を」。筆名にも凝り「君が泣くとき徳永未来」と自己紹介している。回文尽くしである。 昔から、言葉遊びとして和歌や狂歌に詠まれてきた回文。季節にふさわしい一首が国語辞典に出ていた。<しら雪のきゆる春野か駒しばし馬子がのる春雪のきゆらし>。のどかな春の情景が、パノラマのように広がる。【河北新報】
2013年03月06日
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心理学では、人には「自分は平均より優れている」という思い込み(優越の錯覚)があることが知られているが、この錯覚が脳内の異なる部位の連携の強弱や、神経伝達物質に影響されることが25日までに、放射線医学総合研究所などの研究で分かった。 抑うつ状態ではこの錯覚が弱いことも知られており、成果は抑うつ症状の診断などへの応用が期待できるという。論文は近く、米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。 放医研分子イメージング研究センターの山田真希子主任研究員らは、男性被験者24人に対し、「正直」「怒りっぽい」「温厚」などの単語を示し、自分が平均と比べてどうかを評価させる実験を実施。多くの人が平均より2割程度「優れている」と自己評価していた。 その上で、機能的磁気共鳴画像診断装置(fMRI)と陽電子放射断層撮影(PET)を使い、脳内の局部的な働きと神経伝達物質が「錯覚」に与える影響を調べた。 その結果、脳の深部(大脳基底核)にある線条体という部位で、神経伝達物質のドーパミンが多いと、線条体と、認知をつかさどる前頭葉の「前部帯状回」と呼ばれる部位の連携が低下。 両部位の連携が弱いほど、「錯覚」の程度が強いことが分かった。 山田研究員は「人には元来、自分は優れているという意識があるが、前頭葉で制御し過ぎると抑うつにつながるのかもしれない。仕組みの解明は、症状を客観的に評価し、特定することにつながる」と話している。【時事通信】----------自分は平均より優れていると思い込む「優越の錯覚」を初解明 放射線医学総合研究所などの研究チームが、「自分は平均より優れている」と思い込む人の脳の仕組みを、初めて科学的に解明した。 今回の研究では、「正直」、「温厚」、「怒りっぽい」などの言葉について、20~30代の男性24人に自己評価させたところ、多くの人が、「自分は平均より、2割程度優れている」と認識していたという。 そのうえで、脳の活動を調べた結果、神経伝達物質のドーパミンの分泌量が多く、脳の特定部位の働きが弱くなる人ほど、自分のことを「優れている」と評価していたという。 「自分は平均より優れている」との思い込みは、心理学では、「優越の錯覚」と呼ばれている。 うつ状態では、この錯覚が弱いとされていて、研究チームは、今回の成果をうつ病の治療方法などに役立てたいとしている。【FNN】
2013年02月26日
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長崎県島原市の障害者支援施設「島原療護センター」の入所者に暴行を加え、重傷を負わせたとして、傷害罪で起訴された元職員、金子修被告(29)(島原市有明町)の初公判が19日、長崎地裁で開かれる。 同センターは6年前、金子被告の暴行を把握しながら県に報告しておらず、事件発覚の遅れや、職員による日常的な虐待を放置することにつながった。 金子被告は2007年12月、下半身が不自由で、記憶障害もある男性(76)の右腕を数回殴り、骨折する重傷を負わせたとして、昨年12月に逮捕、起訴された。08年7月にも別の入所者の脇腹を殴り、肋骨(ろっこつ)を折る重傷を負わせたとして、1月に追起訴された。 事件は、昨年7月に男性が鼻の骨を折ったことを知った長男(47)が不審に思い、施設側に介護や看護の記録開示を求めたことが発覚のきっかけとなった。 00年以降、男性は6回の骨折を含む76回のけがを負っていたことが記録されており、長男は県警に通報。金子被告以外の職員や元職員も入所者に暴行を加えていたことが明らかになり、県警は15日までに男女6人を傷害容疑などで長崎地検に書類送検した。 県警は07年頃から、同センターで300件以上の虐待が日常的に行われていたとみている。 施設側が開示した記録以外にも、長男は、金子被告が07年12月に「男性がかみつこうとしたので殴った」と記述した介護記録を入手した。 厚生労働省の省令では、入所者がけがをした場合、県や家族に報告するよう施設に義務づけているが、同センターは金子被告から報告を受けながら県に伝えず、家族にも「原因は分からない」と説明していた。 一方、県監査指導課は県内1028か所の障害者福祉施設について、少なくとも2年に一度は監査を行っているが、一部の入所者の介護状況などを調べるにとどまっている。 同課は「時間の制約上、全ての入所者の状況確認はできない。施設側が隠そうとすれば、虐待を確認するのは難しい」と話す。 同センターを運営する諫早市の社会福祉法人「幸生会」は事件発覚後、弁護士や他の施設の関係者による検証委員会を設け、虐待が行われた経緯などを調べている。 長崎純心大の松永公隆教授(現代福祉学科)は「第三者が定期的に入所者全員の様子をチェックするような仕組みが必要」と指摘。男性の長男は「施設の運営などの問題が真摯(しんし)に見直され、入所者が安心して暮らせるようになってほしい」と訴えている。【読売新聞】
2013年02月20日
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八王子市のコンサルタント会社を経営する松坂昌司さん(60)が、障害者に障害の種類などに応じて仕事を提供する古本ビジネスを展開している。 本格的に始動してから1年にも満たないが、自信をつけ新たな挑戦へと踏み出した人もいる。障害者が働ける職場は限られているが、知的障害者の長男(29)がいる松坂さんは「障害者がもっと社会とかかわりながら、仕事をする場を提供したかった」と話す。 障害者が民家を訪ねて古本を寄贈してもらい、インターネットで注文を受けて発送する――。松坂さんが経営する「松坂ティーエムコンサルタンツ」のビル一室に、このビジネスの作業所がある。 「自分のペースで仕事ができ、ありがたい」と話す女性(38)は、タイトルや販売価格、欠損部分など本の情報をパソコンに入力していた。 集中力や対人関係に問題を抱える発達障害の女性は週5日ほど、八王子市内の自宅からバスで通勤し、約4時間、入力作業を行う。1冊処理するごとに20円の報酬を得る仕組みで、昨年10月に始めて以来、毎月約3万円を稼いでいる。 女性は高校卒業後、静岡県で倉庫管理する会社に勤めていたが、寮生活が苦痛で4年後に辞めた。八王子市に戻り、データ入力のアルバイトなどをしてきたが、ここでも集中力が持たない上、ノルマを達成できず6年で辞めた。 「何で人並みに仕事ができないのか」と悩み、昨年9月、病院に行ったところ、発達障害と診断された。「歩合制の仕事なので周りを気にせず仕事ができ、長く続けられそう」と、女性は今の心境を語った。 同社には、重度の知的障害者や身体障害者など約30人が登録。データ入力は発達障害者や精神障害者、身体障害者が行い、古本の回収と商品の発送は、重度の知的障害者が担当し、健常者の職員が同行するなど、障害の種類などに応じて、仕事が割り振られている。 重度の知的障害があり神奈川県内の施設で暮らす長男が通う作業所の実態を聞き、疑問を抱いたのが、松坂さんがこのビジネスを始めるきっかけだった。 「知的障害者ばかりの作業所で、社会から隔離されているように感じた。障害者も、健常者とかかわりながらできる仕事はないか」。昨年4月、作業所を設立し、障害者が住む自治体から毎月計約150万円の補助金を受けている。 人との意思疎通が苦手な発達障害者には、個室や防音室を用意したり、発作的に暴れ出す行動障害を抱える知的障害者には、映画観賞など本人が好きな動作を把握し、発作が起きた際に和らげたり……。障害者にあった環境づくりをするだけで、作業がスムーズに進むことが分かった。 また、障害者がここでの作業を通じて、「自分でも仕事ができる」と自信を取り戻し、新たな挑戦を始めたケースもある。 昨年4~9月に在籍した発達障害を持つ20代の男性は同年10月、私鉄に就職、清掃業務に携わっている。発達障害を持つ別の20代の男性も同年10月から、職業訓練校に通い始めた。 駒沢大学文学部の桐原宏行教授(障害者福祉論)の話「障害者の中には労働時間や技術指導など、その人に応じた配慮をすれば就労可能な人は多くいる。企業は業務に合わせて採用するのではなく、彼らを受け入れる体制をどうつくっていくのかを考えていくべきだ」◇被災障害者の体験語る 福島のNPO理事長講演 講演会「しょうがいを持つ人の防災」が16日、多摩市永山公民館で開かれた。 福島県田村市で障害者の自立支援を行うNPO法人「ケアステーションゆうとぴあ」理事長で、自身も車いす生活を送る鈴木絹江さんが、福島第一原発の事故の影響で避難した体験から、高齢者や障害者に必要な防災の視点について語った。 鈴木さんは、大勢が集まる避難所で障害者が生活するのは難しいと考え、支援している障害者と共に新潟県の旅館に避難した。 一方で、脳性マヒの女性が地元の避難所に逃げたものの、「トイレに時間がかかり、他の避難者に迷惑をかける」と考えて共同トイレを使うのを我慢したため、体調を崩した事例などを紹介し、「車いすトイレがあるホテルや旅館を避難所として開放すべき」と提案した。 また、自治体が「災害時要援護者避難支援計画」を決める際、地震や津波、原発事故といった災害の状況と、被災者の障害の種類に応じて、誰からどう避難させるかを具体的に定める必要があると指摘。 福祉サービスを使わず、「ひきこもり」生活を送っている障害者の個人情報の共有や安否確認の方法をいかに確立するかも、課題として挙げた。【読売新聞】
2013年02月18日
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【書籍紹介】『中国 目覚めた民衆 習近平体制と日中関係のゆくえ』興梠一郎/NHK出版新書/819円 昨年新指導体制が誕生した中国が抱える問題を、外務省の分析員を務めた著者が様々な資料をもとに明かす。 各地で起こった反日デモの真相、経済発展の陰にある格差社会の現実、ネットが変えた市民の意識などを解説しつつ、今後の日中関係改善への提言も。※週刊ポスト2013年2月15・22日号【NEWS ポストセブン】----------NHK出版新書 397中国目覚めた民衆 習近平体制と日中関係のゆくえ/興梠一郎【もれなくクーポ...価格:819円(税込、送料別)
2013年02月15日
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中国の新聞で、政治の民主化などを求める記事が地元当局によって書き換えられたとされる問題で、この新聞の本社前では8日も行われた抗議活動に警察官が出動し、規制に当たるなど、中国政府が抗議の広がりに神経をとがらせていることがうかがえます。 この問題は、中国南部・広東省の新聞「南方週末」が、政治の民主化などを求める記事を掲載しようとしたところ、地元当局の指示で記事を大幅に書き換えられたとして記者らが反発しているもので、7日広州市にある本社前では、およそ300人が抗議活動をしました。 これに続いて8日も同じ場所に集まった若者などおよそ100人が、菊の花を手向けるなどして当局への抗議の意思を示しました。 現場では、30人以上の警察官が出動し、参加者に新聞社の入り口から立ち退くよう命じたほか、報道関係者に対しても記者証の提示を求めるなど、規制に当たりました。 7日の抗議活動について、広東省の地元紙は一切伝えておらず、一部の新聞は、中国共産党系の新聞が冷静な対応を呼びかけた7日の社説をそのまま掲載しています。 これに対してインターネット上では、中国の若者に人気の作家が抗議活動を支持する声明を発表するなど、抗議の声が広がる一方、一部のサイトでは「南方週末」に関することばが検索できなくなっており、中国政府が抗議の広がりに神経をとがらせていることがうかがえます。【NHK】------「南方週末」検閲で抗議デモ、人気俳優らも支持表明 中国 【AFP】中国で、当局に記事を検閲された新聞社の前に大勢の人々が集まり、出版の自由を求める抗議行動が起きている──数百万フォロワーを持つ同国のブロガーやセレブらもこの動きに同調する動きを見せている。 人気リベラル紙「南方週末(Southern Weekly)」が人々の権利向上のための改革を呼びかける記事を出版しようとして当局の検閲を受けたことに対し、大勢の人々が7日、広東(Guangdong)省広州(Guangzhou)にある南方週末の本社前に集まった。 ある新聞社の記者は8日、中国のツイッター(Twitter)類似サービス「新浪微博(Sina Weibo)」でこのようにつぶやいた。「黒い手が黒く重たいカーテンを閉じ、光と空気を遮断している。南方には週末がもはや無い」 新浪微博で3200万のフォロワーがいる人気女優ヤオ・チェン(Yao Chen)さんは、南方週末のロゴを投稿し、そこにロシアの亡命作家、故アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Alexandr Solzhenitsyn)氏の言葉を引用して「一片の真実の言葉は世界全体より重い」とつぶやいた。 2700万フォロワーを持つ人気男優のチェン・クン(Chen Kun)さんはこれに応答し、「私はそこまで深くはないし、それに言葉遊びをしない。私は、南方週末の友人たちを支持する」とつぶやいている。■広がる抗議への支持 南方週末をめぐる抗議行動は、中国共産党の新指導部が改革を誓う中で起きた。次期国家主席の習近平(Xi Jinping)氏は11月の共産党大会以降、より開放的な統治を行うことを約束してきた。 7日のデモは警察の許可を得て行われた。参加者の大半は、ポスターや、中国で葬儀に使われる菊の花を手に集まった若者たちだった。菊は中国の抗議行動参加者たちの間で、出版の自由が失われたことの象徴とみなされている。 集会の前には、新聞社のスタッフたちが公開書簡を発表。同紙が出版しようとした新年のメッセージを別の主張の弱い記事に差し替えたとして、地方プロパガンダ責任者Tuo Zhen氏の辞任を求めた。 また前週末にかけては、Tuo氏の辞任と出版の自由の拡大を求め、国内各地で大勢の著名学者らが署名した書簡も広まっていた。 中国の著名な市民活動家、胡佳(Hu Jia)氏は7日夜、南方週末の北京(Beijing)支局で撮影した自らの写真を投稿し、同支局には自分も含め大勢の人々が支持を示すために集まったと述べた。 また650万フォロワーを持つブロガーのLi Chengpeng氏も「われわれには高層ビルも、世界第2位のGDPも、航空機も要らない。だが真実を語る新聞は必要だ」と記している。【AFP通信】
2013年01月08日
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「死票」は、落選候補に投じられた票のこと。有権者の意思を選挙結果に反映できず、無駄になったという意味合いがあり、「しひょう」または「しにひょう」と呼ばれる。 一つの選挙区から複数の当選者を選ぶ大選挙区や中選挙区と比べ、1人しか選べない小選挙区は死票が多くなる。 現行制度は死票の少ない比例代表との並立制のため、小選挙区の短所を補う効果がある。 一方、「白票(はくひょう)」は、有権者が何も記載せずに投じた票のことで、無効扱いとなる。選ぶべき候補がいないという意思表示で、政治全体への批判と解されることが多い。 2009年の前回衆院選をみると、小選挙区は約75万票、比例は約82万票が白票で、いずれも無効票の半数を超えていた。【時事通信】
2012年12月12日
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有権者がさまざまな理由で投票日に投票に行けない場合、選挙期間中にも投票を認める制度。投票率アップを狙い、不在者投票を簡素化して2003年に導入された。 各自治体の選挙管理委員会が設置する投票所で、当日に投票できない理由を仕事や冠婚葬祭、出産、旅行、交通の便が悪いなどから選択し、「宣誓書」に記入、署名して投票する。 開票までに他の自治体に引っ越したり死亡したりしても、有効票として扱われる。 利用者は回を追うごとに増加しており、衆院選は05年約900万人が09年には約1400万人に、参院選は07年約1080万人が10年には約1200万人となった。 一方で、報道機関が投票当日に行う「出口調査」の精度を下げているとの指摘もある。【時事通信】
2012年12月04日
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多くの政治家が活用しているインターネットのホームページ(HP)やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が、4日の衆院選公示から制限される。 ひと足早く先月29日に告示された東京都知事選では、告示前に選挙戦でのネット使用禁止を批判する立候補予定者が相次いだ。 各陣営とも演説日程などの周知に苦労しており、衆院選でも不満が噴出しそうだ。 ◇ <公職選挙法とはくだらない法律。化石のような法律で選挙を縛る。明日からはHPはおろか、ツイッターもFB(フェイスブック)もダメ> <お金持ちしか立候補できないじゃないか。言葉で語ることが許されず、街宣車の連呼がむなしく響く日本の選挙はおかしい!> 11月28日、都知事選告示を翌日に控えた複数の立候補予定者が、SNSのひとつであるツイッターで不満をつぶやいた。告示後はHPなどの更新やSNSでの書き込みができなくなるためだ。 HPやツイッターで集会日程などを広めてきた別の候補者の陣営も「すごいハンディ」と悲鳴を上げる。 公職選挙法は選挙期間中、資金力のある候補者が有利にならないよう、枚数や様式が決められた法定ビラやポスター以外の「文書図画」の頒布や掲示を禁じている。 候補者がHPやツイッターなどで政策を訴えるのも文書頒布の一種とみなされ、告示・公示後は更新ができない。 若者の政治参加を求める「ワンボイスキャンペーン」発起人の原田謙介さん(26)は今春、全国会議員に解禁の賛否を問うアンケートをした。 「反対」は2人だけだったが、回答率は12・5%と低調で、原田さんは「賛成してくれる人にも『今やらなくても』と言われた」と嘆く。 ネット選挙に詳しい東洋大の松原聡教授(経済政策)は「インターネットはビラや政見放送と同じか、それ以上の影響力があるコミュニケーション手段。候補者からすれば費用も節約できる。ネット禁止は時代にそぐわない」と指摘している。【毎日新聞】
2012年12月03日
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民主党は前回選挙のマニフェスト(政権公約)のトップに税金の無駄遣いを掲げた。道路やダムといった公共事業の利益誘導で票を集めた自民党との違いを鮮明にし、政権交代を果たした。風穴をあけたのは、有権者個人に向けた公約を掲げる手法だった。 「コンクリートから人へ」。その象徴が群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダムの建設中止だった。 ◇ 政権交代の高揚感が残る平成21年9月、国土交通相に就いた前原誠司氏(50)は就任会見で「八ツ場ダムの建設は中止する」と高らかに宣言した。 「大勢の人生を左右することを、地元への説明もなしに、宣言するとは思わなかった」 ダム建設予定地の川原湯(かわらゆ)温泉で、旅館「山木館」を営む樋田洋二さん(65)は、こう振り返る。 地元は、民主党の政権公約に八ツ場ダム建設中止がうたわれていることを知っていた。それでも、突然の“ちゃぶ台返し”に温泉街は揺れた。 昭和27年のダム構想発表以来、建設の是非をめぐり親兄弟の間でさえ対立し、長い歳月を費やして建設を受け入れた経緯があるからだ。 地元や関係者の猛反発に加え、国交省内でも異論が噴出した。強引な手法への批判も強まった。それでも前原氏の意向は変わらなかった。 だが、後任の馬淵澄夫氏(52)は事実上、建設中止を撤回。事業計画の再検証を経て昨年12月には建設再開が決まった。 温泉街の土産物店を切り盛りする樋田ふさ子さん(83)は「結局元に戻っただけ。この3年は何だったのか」とつぶやく。 ◆蓄え切り崩す日々 建設再開が決まって1年になるが、公約違反の“後遺症”は残る。川原湯温泉の老舗旅館「柏屋」の社長、豊田幹雄さん(46)は今月8日、国交省と旅館の移転先の補償契約を交わした。 旅館の休業から2年8カ月。ようやく再開業への一歩を踏み出したが、まだ先は見えない。今後は移転先に決まった土地を国交省に整備してもらい、新たな旅館を建てる手はずだが、土地の整備にめどが立っていないのだ。 先週も、豊田さんと国交省担当者の間でこんなやり取りがあった。 「いつ造成(整備)できるのか」 「なかなか予算がつかない…」 事業は遅延している。「少しの骨休みのつもりで旅館を閉めたが、いまだ将来を見通せない」。ぶっきらぼうに話す豊田さんの口調には政治への不信がにじむ。 江戸末期創業の旅館は、年2億円近い売り上げがあった時期もあった。今は蓄えを切り崩す生活が続く。 「時間が過ぎるだけの毎日だ」。 ◆財源の裏付けなし 子ども手当、脱官僚、脱公共事業…。民主党は先の衆院選でこうした公約を掲げたが、完全に実現できたものは少ない。 「財源の裏付けもないまま、有権者への耳当たりのよい言葉を並べただけ。あまりにも無責任だ」。政治評論家の浅川博忠氏(70)はそう話し続けた。 「公共事業などへのバラマキを批判した民主党も、結局は個人へのバラマキで有権者を引きつけただけ。有権者も安易に流された。次期衆院選では政党は公約で財源まで示し、有権者も厳しい目を向けるべきだ。そうしないと、また生活を壊される」 樋田洋二さんは言う。「今となっては政治は信用できない。くしくも政権交代で改めてそれを痛感した。言葉だけではない、生活を守ってくれる政治であってほしい」。 ◇ 【八ツ場ダム】 群馬県長野原町の利根川水系吾妻川に計画されている多目的ダム。総貯水量1億750万トン。洪水対策や首都圏430万人分の水道用水供給を図る。 昭和27年に建設計画の調査に着手。激しい反対運動の末に地元地権者らが補償案を受け入れ、道路などの付け替え工事が進んできた。総事業費は約4600億円。完成予定は平成27年度とされていたが、見通しが立っていない。【産経新聞】
2012年11月20日
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「政権を取ったら…」 衆院解散後の自民党議員の発言は、決まってこんな枕(まくら)詞(ことば)から始まる。3年4カ月ぶりの「政権奪還」のチャンス。党内にはある種の高揚感が漂う。 「自民党政権になったら円高、デフレ対策を全力でやる。それから領土で、3つ目は教育再生。そして東日本大震災の復興…」 菅(すが)義(よし)偉(ひで)幹事長代行は18日のNHK番組でこう強調した。党執行部の目標は「単独過半数、自公両党で安定多数」。閣僚経験者からは早くも「政権を奪回後、安定した政治をどう作るか考えるべきだ」と、選挙後を見据えた発言も飛び出す。 世襲批判も一蹴 勢いづく自民党に対し、民主党も“反撃”を試みてはいる。野田佳彦首相は18日、公邸前で記者団に「自民党は世襲候補ばっかりだ。この違いはしっかり出てくる」と強調。 細野豪志政調会長も「自民党は五役全員が世襲だ」と強調したが、この程度の“口撃”では、今の自民党の自信は揺るがない。 菅氏は番組で「民主党政権の最初の首相も世襲の首相だった」と、すかさず民主党にボールを投げ返し、甘利明政調会長は「そこしか攻めるところがないのか」と皮肉った。 水面下でも攻防 自民党は首相の解散宣言前から、政権奪還を前提とした布石を打ってきた。 甘利氏は今月上旬、細野氏との水面下での政策責任者協議で、来るべき自民政権にとって重要な意味を持つ合意をとりつけた。 「平成27年度までの間、特例公債発行を認める」 特例公債法案の修正案に、この文言を盛り込むことに成功したのだ。細野氏は甘利氏に「これは内閣法制局も通っているので大丈夫です」とささやいた。 これで、「決められない政治」の大きな要因となってきた法案の処理が向こう3年間担保された。自民党執行部の一人は「3年間といわず、10年だっていいんだ」とうそぶいた。 どうなる枠組み 多くの好条件が整い、自民党は絶好のタイミングで衆院選を迎える。だが…。 「14日の党首討論後、野田内閣の支持率が回復している…」 ある自民党幹部は最近、周囲にこんな不吉なデータを示した。そして「なのに自民党は、すでに政権を取ったかのように浮かれている」と不安を口にした。 石破茂幹事長も18日、「少しでも緩みがあれば、この選挙は負けだ」と指摘した。小選挙区の選挙では、ちょっとした民意の変化が取り返しのつかない事態を招く。 気がかりな問題がもう一つある。自公両党が今回の選挙でいくら議席を積み上げても、参院の第一党は民主党のまま。衆院選後も「衆参ねじれ」は続く。 考えられる選択肢は、消費税増税を決めた民自公3党の枠組みを活用するのか、日本維新の会など第三極と連携するのか。 今回の衆院選では民主党政権の3年間の失政が再検証され、その責任を問われる可能性が高い。安倍氏は産経新聞社の取材に「(選挙後に)いきなり自公民として(民主党の)力を借りるというのは、どうなんでしょうかね」と漏らした。 かといって、既成政党との対決姿勢を鮮明にする石原慎太郎前東京都知事や橋下徹大阪市長らと手を結ぶのもハードルは高い。自民党重鎮は「単に数だけで維新と組んだらかき回されるだけだ」と警戒する。 高揚感と不安感が交錯する自民党。あるベテランは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。 「風は瞬時に変わる。小選挙区の選挙は怖いんだ」。【産経新聞】
2012年11月19日
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自民党の安倍晋三総裁は17日、熊本市内で講演し、デフレ脱却について「やるべき公共投資をやって建設国債を日銀に買ってもらうことで強制的にマネーが市場に出ていく」と述べ、政権に復帰した場合、建設国債の全額日銀引き受けを検討する考えを示した。 安倍氏は衆院解散が決まった14日以降、大胆な金融緩和策を繰り返し訴えており、日銀の独立性を懸念する見方も出ている。 建設国債は道路や港湾など公共事業の財源に充てる国債。自民党は10年間で200兆円を防災などに投入する国土強靱(きょうじん)化計画を掲げており、その財源を想定した発言とみられる。ただ、「国の借金を中央銀行が肩代わりしている」と市場が受け止めれば、国債の信用が失われる懸念もある。 日銀は現在、市場から国債を購入し、資金を供給している。安倍氏の発言は、政府から直接、国債を買い取る「直接引き受け」を念頭に置いた可能性もあるが、財政法は原則として日銀による国債の直接引き受けを禁じている。 国会の議決があれば可能だが、放漫財政につながる懸念から財務省などは反対しており、現実に議論されるかはわからない。 安倍氏は、来春に任期を迎える日銀総裁の後任人事にも触れ、「インフレターゲットに賛成してくれる人を選びたい」と発言。自らが主張する2~3%の物価目標に協調できることが条件との見方を示した。 日銀が物価の安定だけでなく、米連邦準備制度理事会(FRB)のように「雇用の維持」にも責任を持つべきだとし、日銀法改正を検討する考えを改めて強調した。 自民党の政権復帰が有力視される中、安倍氏が衆院選後の一段の金融緩和に言及した14日以降、円相場は対ドルで2円近くも円安が進行した。 この日の講演では「私が講演しただけで円安になり株価は上がり続けた。市場は私たちの実行を望んでいる」とも述べたが、政府・民主党内からは「日銀の独立性を度外視したような発言だ」(前原誠司経済財政担当相)との批判が出ている。【毎日新聞】----------日銀の国債引き受け検討=総裁条件、インフレ目標賛成―安倍氏 自民党の安倍晋三総裁は17日、熊本市で講演し、衆院選で政権を奪還した場合の経済政策について「早くデフレから脱却するため、金融政策とともに財政政策を行っていく。建設国債を、できれば日銀に全部買ってもらい、マネーが強制的に市場に出ていく(形にしたい)」と述べ、建設国債の日銀引き受けを検討する考えを示した。 行き過ぎたインフレを避けるため、財政法は、日銀による国債の直接引き受けを原則禁じている。新規発行の建設国債の引き受けは、日銀による財政赤字の穴埋めと受け止められ、金利の上昇など市場の混乱を招く恐れがある。 安倍氏はまた、来年4月に任期が切れる白川方明日銀総裁の後任人事に関し「インフレターゲット(目標)政策に賛成してくれる人を選んでいきたい」と表明。 「物価目標を達成するため、日銀は無制限にマネー供給を増やすべきだ。目標に到達できず、なぜできなかったかを説明できなければ、日銀総裁には責任を取ってもらう」と強調した。【時事通信】
2012年11月17日
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財務省が1日の審議会で「地方公務員の給与水準が国家公務員を上回っている」と試算したことに対し、樽床伸二総務相は2日の閣議後会見で、 「権限のない役所が勝手な数字を出し、世論をリードするのは不適切」と述べ、強い不快感を示した。城島光力財務相にも直接“抗議”したという。 財務省は1日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)財政制度分科会で、国家公務員を100とした場合の地方公務員の給与水準「ラスパイレス指数」が平成24年度は106・9程度となり、9年ぶりに地方公務員が国家公務員を逆転するとの見方を示した。 樽床総務相はこれについて「国家公務員給与は震災対応のため今年度から2年間、平均7・8%削減した。いわば『臨時の数字』だ」と指摘。「臨時の数字と通常の数字を比べるのはおかしい」と強調した。 さらに「公式なラスパイレス指数は総務省がまだ算定中」とし、「(財務省は)オーバーラン、フライングだ」と批判した。【産経新聞】----------<地方公務員>平均給与、国家公務員を上回る 9年ぶり逆転 財務省は1日、12年度の地方公務員の平均給与が国家公務員を6.9ポイント上回り、9年ぶりに逆転するとの試算を財政制度等審議会(財務相の諮問機関)に示した。 東日本大震災の復興財源確保のため、国家公務員給与が12年度から2年間、平均7.8%引き下げられたことが主因。 財務省は13年度予算編成で地方自治体に自主的な給与削減を要請。地方公務員の給与の一部に充てられる地方交付税を抑制したい考え。 財政審は「民間企業と比べても高い」などと見直しを求める方向で一致したが、地方自治体の反発は強く、実現のハードルは高そうだ。 財務省は地方公務員の12年度の給与が11年度と同水準と仮定し試算。国家公務員の給与と比べる「ラスパイレス指数」は、国を100とした場合、地方は106.9となった。 全国の自治体(約1800)のうち約85%で職員の給与が国の水準を上回った。 平均給与が高いのは都道府県別では秋田111.9▽愛知111.8▽静岡111.7の順。政令市では横浜112.2▽川崎112.1▽名古屋111.9の順だった。 13年度予算の概算要求では、地方の財源不足を補うために自治体に配る地方交付税の要求額が16.9兆円と今年度予算比で約2%増加した。 これに対して、財務省は地方自治体が国並みに公務員の給与を下げれば、1.2兆円(国の負担は2分の1の6000億円)の歳出抑制が可能と指摘。 14年からの消費増税もにらみ「増税への国民の理解を得るには地方も給与削減に取り組むべきだ」としている。 1日の財政審では、委員から「地方公務員の給与が高いままでは、交付税の総額を減らせず、国の借金も減らない」といった意見が続出。 13年度の予算編成に向けて財政審が11月末にまとめる報告書で地方公務員の給与削減の必要性を指摘する方針だ。 ただ、すでに人員や各種手当削減に取り組んできた地方自治体からは「11月から給与を1.5~7%カットし、一般職員も5年で約600人減らした。国と同様に減らせというのは理解できない」(秋田県)などと反発の声が上がっている。 民主党の支持母体の連合傘下の自治労や日教組の抵抗も必至だ。【毎日新聞】
2012年11月02日
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「野田る」とは、今やその場を切り抜けるために場当たり的なことを言って約束を守らないことを意味するそうだ。自民党の伊吹文明元幹事長が言っていた。 「近いうちに」と衆院解散を約束しながら、守ろうとしない野田佳彦首相。在任23日で更迭した田中慶秋氏の後任法相の起用でも場当たり人事が明らか。高齢を理由に退任表明したばかりの滝実氏を再入閣させた。 法務行政に精通との評価もある滝法相。省内訓示で「初心者がまた来たつもりで説明を」と要請。省側は「一から説明の手間がない」と歓迎する。どの閣僚にしろ、「初心者」では心もとない限りだ。 が、拉致担当相は前任法相の兼任から官房長官兼任へとまた交代。発足1年余りの野田内閣だけではや4人目。 「首相のやる気を疑うしかない」。おととい首相に面会した北朝鮮による拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表が怒りをぶつけたのも無理はない。 24年間拉致生活を強いられた蓮池薫さんは帰国して10年。「政府は北朝鮮に残された拉致被害者の思いをどれだけ感じているのか。腹立たしい限り」。近著「拉致と決断」(新潮社)で心情を吐露している。 帰りを待つ被害者家族らの「今度こそ」の切なる願いにいつまで背き続けるのか。首相は全力を尽くす考えを強調した。拉致問題で「野田る」とやゆされないような取り組みを求めずにはおれない。【愛媛新聞】
2012年10月29日
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映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏(65)が自分に学習障害があり、それが原因で子ども時代にはいじめられていたとインタビューで告白し、話題となっている。「学校へ行くのが大嫌いだったが、映画づくりを通して救われた」と語っている。 スピルバーグ氏が公表したのは、読み書きが困難になる「ディスレクシア」と呼ばれる障害。5年前に初めて診断され、「自分についての大きな謎が解けた」という。 小学生の時は読み書きのレベルが同級生より2年遅れ、「3年生のころは、クラスの前で読むことを求められるのがいやで、とにかく学校へ行きたくなかった」「先生も心配してくれたが、学習障害についての知識もない時代で、十分に勉強していないと思われた」と打ち明けた。 今でも、本や脚本を読むのに、多くの人の倍近く時間がかかるという。 また、学習障害がきっかけでからかわれ、いじめられたことも明らかに。 「中学時代が一番つらかった。他人の立場から自分を見ることがまだできない子どもは本当にきつく、嫌なことをする。今は理解できるし、恨みもないが、大変だった」と話した。 一方、「自分が被害者と思ったことは一度もない。映画づくりが、負わなくていい重みから私を救ってくれた」とも述べ、10代初めから撮り始めた8ミリ映画が支えになったと話した。【朝日新聞デジタル】---------スピルバーグ、学習障害を告白 診断は5年前…子ども時代は理解がなく、イジメも 映画『E.T.』『シンドラーのリスト』の監督として知られるスティーヴン・スピルバーグが、学習障害の一つであるディスレクシア(難読症、読字障害)と診断されていることを告白した。 過去にスピルバーグはアスペルガー症候群との診断を受けたことを明かしていたが、自身の学習障害について語るのは初めてのことだ。 スピルバーグは、学習障害を持つ青少年のためのウェブサイトFriends of Quinnのインタビューでディスレクシアであることを告白。 だが、その診断結果をスピルバーグが受けたのはわずか5年前のことであり、自身が子どもだった1950年代は現在ほど学習障害についての理解が広まっておらず、そのためにさまざまな苦労をしたと振り返っている。 実際、スピルバーグは読字障害のため、学校を同級生に比べて2年遅れで卒業。そのことでイジメを受けた過去や、学校が嫌いだったことも告白。 そんな生活で救いとなったのが、映画制作だ。「映画を作ることで、わたしは恥ずかしさや罪悪感から解放されました。映画制作は、わたしにとっての『大脱走』だったのです」とスピルバーグは明かしている。 現在でも本や脚本を読む際は普通の人に比べ、2倍の時間がかかるというスピルバーグ。それでも、映画監督として成功できたのは周囲のサポートがあったからこそ。 スピルバーグは同インタビュー中で、学習障害を抱える子どもたちに対して、「学習障害は、思っているよりもずっと一般的なものです。自分一人だけが悩んでいるものではありません。それでも、学習障害があることで、今後やりたいことをやるためには、さまざまな困難が降りかかるでしょう。でも、それはあなたの可能性を狭めるものではないのです」とメッセージを送っている。【シネマトゥデイ】
2012年10月03日
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政府と世界銀行は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けた岩手県釜石市で小中学生約3000人のほぼ全員が避難した「釜石の奇跡」など震災の経験をまとめた報告書を10月9~10日に仙台市で開かれる「防災と開発に関する仙台会合」で発表する。 48年ぶりに日本で開かれる国際通貨基金(IMF)・世銀総会の関連イベントとなる同会合を通じて世界に発信し、防災に活用してもらう。 約300ページに上る報告書には、釜石市の小中学生が励まし合いながら、定められた避難場所よりも高い場所に逃げた事例などを紹介し、普段からの防災教育の重要性を強調する。 耐震強化を十分に行っていれば、各地の小学校が地域の避難場所や復興拠点として活用できることや、地震検知システムを整備した新幹線では大事故につながらなかった事例などを盛り込む。【読売新聞】----------【忘れない、立ち止まらない】防災への備えが生んだ“釜石の奇跡”!助かるべくして助かった (9月11日配信) 「釜石の奇跡」。そう呼ばれる出来事がある。昨年3月11日の東日本大震災発生直後、岩手県釜石市の小中学生が迅速な避難を行い、99%の生存率を記録した。それを指し、大手メディアが使い始めた言葉だ。 私はこの言葉に違和感を覚える。果たしてそれは“奇跡”だったのか?「神がかりの力が働き、子供たちは運良く助かりました」というようなおとぎ話だったのだろうか。 答えは当然違う。彼らは「助かるべくして助かった」のだ。かつて津波被害を受けたことのある沿岸部児童の防災意識が、群を抜いて高いことは以前から身をもって感じていた。 震災の前後、私は同県大船渡市三陸町の3地域、綾里(りょうり)、越喜来(おきらい)、吉浜の担当だった。何度か児童の避難訓練を取材する機会があったが、その行動の早いこと早いこと。 「大きな揺れがあったら高台へ逃げる」というシンプルな原則がしっかりその身にたたき込まれているのだ。 あの日も多かれ少なかれ動揺はあれど、訓練時と変わらぬ早さで、地震発生から約5分後には全員が高台にいたという。同3地域での犠牲児童生徒はゼロだった。 こんなこともあった。浸水域に整備された広場を取材していたとき、大きめの余震が起きた。その場にはたくさんの子供。 すぐさま高学年の少年が「みんな行くぞ」と冷静に声をかけ、小さい子らもパッと遊びを切り上げた。そして、素早く山側へ走っていったのである。大人からの指示は一切受けずに。 のど元過ぎれば熱さを忘れる。むしろ大人のほうが「自分は平気。今回は大丈夫」という思考に陥りやすい。先月31日、太平洋沿岸部に津波注意報が出された。 到達予想時刻は、発令から約4時間後の午前2時。波の高さは50センチとされる中、「なら安心」となかなか逃げない人たちもいた。 …どうしてそんなに早く忘れてしまえるんだ! あの日、予測3メートルと報じられていた波高が、結局は15メートルを超えたじゃないか。 危険性を過小評価し、都合の悪い情報は無視する-この「正常性バイアス」がかからなかったのが、釜石や三陸町の子供たちだった。 同様に「奇跡の集落」と呼ばれ、流失家屋2戸、犠牲者1人に留まった三陸町吉浜だが、それも、明治・昭和の大津波の教訓から、住民を挙げて高台移転したという単純明快な話だ。 「もうあんな災害は起きまい」と、なし崩しで低地へ戻ることはたやすい。それをこらえたからこそ生まれた結果なのだ。 “奇跡”を起こせたのは、「想定にとらわれず、自分の命に自分で責任を持つ」というその1点のみに起因する。すでに忘れられつつあるこの原則こそ、必ず語り継がねばならぬ防災の原点である。 ◇ ■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。【ZAKZAK】
2012年09月30日
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元国連事務次長の明石康さん(81)は26歳の時に日本人初の国連職員になり、数々の民族紛争解決に尽力してきました。世界をまたにかける華麗な人生。その陰には、努力の末に身につけた打たれ強い精神力がありました。 ◇ 留学中にスカウト 東大卒業後、フルブライト奨学金で米国に留学、国際関係の名門大学院「フレッチャー・スクール」在学中に国連にリクルートされ、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)最高責任者などとして国連活動を指揮-。 傍目には順風満帆なエリート人生をひた走ってきたようにみえるが、本人にしてみれば「泥と汗にまみれながら挑戦し続けた日々。かっこいいという言葉には無縁だった」という。 柔らかな物腰ながらも、しっかりと相手の目を見て質問に耳を傾ける姿からは、真剣に対話をしようという気概が感じられる。 66歳で退官するまで35年間在籍した国連は、言葉も文化も生活習慣も何もかも違う人たちの集合体。職員が自分の意見を率直に言い合う環境は刺激的ではあったが、百八十度違う意見を一つにまとめるのは至難の業だったという。 しかし、この国連内部の闊(かっ)達(たつ)な議論ができる環境は、のちに世界の紛争当事者と交渉する際のいい経験になった。紛争当事者には「アカシは信頼できる」と思ってもらって初めて交渉の舞台に立てる。 いつでも、どこへでも駆けつける現場主義を徹底。対話を重ね、少しずつ譲歩を引き出す日々に、私生活を楽しむ余裕などなかった。 暗殺を予告され 遭遇した試練は数え切れない。カンボジアでは、市民への過激な虐殺を繰り返したポル・ポト派から暗殺予告が届いた。公邸の垣根から手(しゅ)榴(りゅう)弾を投げられれば寝室まで届くという状況の中で暮らしたこともあった。 思えばプレッシャーの多い人生だったが、一番の試練は旧ユーゴスラビア問題の国連保護軍(UNPROFOR)責任者として、国連指揮下に入ったNATO(北大西洋条約機構)軍の空爆決定権を任されるという重責を担った時だったという。 旧ユーゴではセルビアとクロアチアとモスレムの3つの民族が対立。カンボジア問題よりも、各国の政治の思惑が複雑で、絡んだ毛糸玉のようにこんがらがっていた。 米国は、セルビア人勢力が紛争の加害者であると決めつけていたし、ロシアはセルビア人勢力に同情的。英仏はその中間。国連が何かをしても必ずどこかの国から文句が出る状況だった。 対話の道を閉ざす空爆を回避しながら、各民族の代表者と対話を重ねたが、米国などの欧米諸国からは「セルビア人勢力をつけ上がらせる」「空爆を決定しないアカシは弱腰だ」などと名指しで批判された。 戦火をめぐる状況は刻々と変わり、1995年5月には、セルビア人勢力による攻撃が激化。一転して初めてNATO軍による空爆承認の決定を下す。 しかし、その決定によりセルビア人勢力との対話の道はふさがれ、350人もの国連要員が人質にとられてしまった。そして95年末には国連保護軍はボスニアから撤退。 紛争対応はNATO中心の多国籍軍が行うことになり「アカシは国連の歴史にも特筆される大災禍」とまで揶(や)揄(ゆ)された。 今も連日の会談 「しかし、当時の判断は間違っていなかった」と振り返る。かじを切った方向に必ず批判がつきまとうのが世の条理。その批判に流され冷静な判断ができなくなれば、多くの人命が奪われてしまう。 各国の思惑がからみあう極限の状況の中で、大局を見失わないために大切にしてきたことがある。それは「置かれた状況の中で徹底的に考え抜き、仲間と議論を重ねる。 その上で得た決定は最善のものだから、その結果を非難されても反省や後悔はしない」ということ。まさに「人事を尽くして天命を待つ」の哲学だ。 今も、内戦終結後のスリランカの平和構築や復興を担う政府代表として、平和に力を尽くす日々が続く。 朝から晩まで、さまざまな要人との会談予定で埋め尽くされたスケジュール帳を見せながら、「80歳を超えて連日の会食続きはさすがにきつい。でも進展は腹を割った話し合いからしか生まれませんからね」。 温かな人柄から、強い意志がのぞいた。 ◇ --難題にぶつかっても逃げない強い胆力は、どうやって培われたのでしょう? 「秋田県生まれで、雪深く厳寒の冬の厳しさを経験したせいか、私にはもともと東北人気質の粘り強さがあります。人が怒ったり、投げ出したりしてしまう複雑な問題に直面しても、何とかならないか常に考えてしまいます」 --小さい頃はどんな少年でしたか 「山や川を走り回るいたずらっ子だったようです。『何でもやってみたい』という気持ちが強く、ガキ大将に誘われ、川向こうに縄を張り、それを伝って遊ぶ遊びに挑戦。溺れかけたのですが、それでも『挑戦するのは気持ちがいいなあ』と思っていました」 --留学時代の思い出は? 「日本人特有の『あうん』の呼吸が通じませんから、言葉で本心を伝えあい議論で総意を決める人生哲学の原点を学びました」。 ◇ 【明石康〈あかし・やすし〉】 昭和6(1931)年、秋田県生まれ。東京大学卒、バージニア大学大学院修了後の1957年、国連入り。広報や軍縮担当の国連事務次長、カンボジアや旧ユーゴスラビア担当の事務総長特別代表を歴任。97年、人道問題担当事務次長を最後に退官。 現在、「国際文化会館」理事長、スリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表、「ジョイセフ」(家族計画国際協力財団)会長などを務める。主な著書に「国際連合-軌跡と展望」(岩波新書)、「『独裁者』との交渉術」(集英社新書)など。【産経新聞】
2012年09月29日
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子猫や子犬など、多くの人が「かわいい」と感じる幼い動物の写真を見た後、注意力が必要な作業をすると能率が上がることが、入戸野(にっとの)宏・広島大准教授(41)=認知心理生理学=のグループの研究で分かった。 米科学誌「PLOS ONE」のオンライン版に27日、論文が掲載された。入戸野准教授は「『かわいい』ものが普及する心理的背景を説明するヒントになり得る」と話している。 大学生132人を対象に実験。幼い犬や猫の写真7枚を好きな順に並び替える作業を1分半した後、ピンセットを使って慎重に小さな部品を取り出したり、不規則な数列に特定の数字が何個あるか数えたりする作業をさせた。 その結果、成功率と正答率は、写真を見る前と比べてそれぞれ平均で44%と同16%高まった。大きくなった動物の写真では成績は変わらなかった。 縫いぐるみや各地で人気を集めている「ゆるキャラ」などは、手足が短く、顔が丸いなど「幼さ」に通じるものが多い。 入戸野准教授は「幼い動物や赤ちゃんなどを見ると『保護しなければならない』と感じ、注意力が高まって作業効率が上がるのではないか」と分析している。 また、アニメやキャラクターグッズなど、日本発のポップカルチャーが世界で人気を集め、「カワイイ(kawaii)」も国際語になりつつある。 入戸野准教授は「海外でも受け入れられるのは、『かわいい』という感情に生物学的な基盤があるからではないか。本家として自信を持って研究を進めたい」と話した。【毎日新聞】----------可愛いもの見ると、人は集中力高まる…研究発表 かわいいものを見ると、人は集中力を高める――。 広島大の入戸野宏准教授(認知心理生理学)らの研究グループが、こんな実験結果をまとめた。約130人の大学生に愛らしい子犬や子猫の写真を見せ、注意力が必要な作業をさせると正確性が高まったといい、27日発行の米科学誌「プロス・ワン」のオンライン版で発表した。 入戸野准教授の実験目的は、「かわいい」という感情がもたらす効果の解明。まず大学生グループに子犬や子猫の写真7枚を1分半見せた後、おもちゃの小さな部品をピンセットでつまみ上げる作業をさせた。 その結果、見せる前に比べ、成功した個数は平均44%増加。これに対し、成長した犬猫の写真を見せた別のグループは平均12%の上昇にとどまった。 このほか、10桁の数列の中から指定の数字を抽出するテストを3分間行ったところ、子犬や子猫の写真を見たグループの正答数は16%上昇。一方、成長した犬猫の写真を見たグループは1・4%増で、ほとんど変わらなかった。 入戸野准教授は「『かわいい』という感情は、対象に接近して詳しく知ろうという機能があるため、細部に注意を集中し、作業の正確性を高める効果が出たのでは」と分析している。【読売新聞】
2012年09月27日
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21日付の米紙ワシントン・ポストは、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との対立などを背景に、日本が「緩やかだが、かなりの右傾化」を始めていると指摘、周辺地域での行動は「第2次大戦後、最も対決的」になっていると1面で報じた。 同紙は、日本の政治家が与野党問わず集団的自衛権の行使容認を主張するようになり、憲法改正論が高まっていると分析。 沖縄県・与那国島への陸上自衛隊配備計画などを挙げ、自衛隊にも「より強力な役割」が与えられつつあるとの見方を示した。 背景として海洋進出を活発化させる中国の存在に加え、20年にわたる経済停滞の下で「失われた影響力を回復すべきだという感覚」が日本国内で広がっていることを指摘した。 一方で、日本には軍事力保持への複雑な感情が根強く残り、右傾化には一定の限界があるとの専門家の見方も紹介している。【共同通信】----------右傾化する日本=米紙 【ワシントン時事】21日付の米有力紙ワシントン・ポストは1面で、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との領有権争いなどで、日本が右傾化していると論評する記事を掲載した。 記事は「日本は徐々にだが、右傾化への重要な変化の途上にある」と指摘。日本の武器輸出3原則緩和や集団的自衛権行使に向けた憲法改正の動きなどを詳細に伝えている。 その一方で、こうした動きは、戦後、平和主義を掲げてきた日本がようやく、中道に路線を修正しつつあるにすぎないとの識者のコメントも紹介している。【時事通信】
2012年09月24日
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沖縄・尖閣諸島をめぐる数々の事件にかかわらず、中国の傍若無人ぶりは本当に目に余る。対抗策はないのか。神戸にある中堅商社「小林桂」がヒントになる取り組みを進めている。 中国にほぼ一極集中する唐辛子輸入のありようを見直そうと、アフリカ・モロッコで独自に唐辛子を栽培。年内にも輸入を始めるというのだ。 中国漁船衝突事件後のレアアース(希少金属)輸出規制が示す通り、資源を人質にとる中国外交は狡猾だ。一民間企業の小さな取り組みとはいえ、中国リスクを避ける考え方がそこにはある。 アフリカで唐辛子… 本当にできる? 「あそこで唐辛子を植えられないか」 きっかけは、2006年夏。同社会長の小林博司が1人での海外出張を終え、帰社後に発したひと言だった。場所は、日本から1万キロ以上も離れたアフリカ・モロッコ。250ヘクタールの畑を取得したのだ。 スパイスを専門に取り扱う同社は従業員50人ほど。小林は30年以上前にイラン産のピスタチオに目をつけ、日本に輸入して「ヒット商品」にした経験がある。確かな見立てがあっての発言だが、唐辛子である理由もあった。 国内の唐辛子の輸入量は約1万1千トン。うち9割近くを中国産に依存している。中国からの輸入が止まれば、唐辛子が食卓から消える可能性がある。代替産地をつくり、中国依存に風穴を開けられないか。そんな思いも小林にはあった。 もっとも、現場は戸惑った。 現在、唐辛子プロジェクトを担当する営業部課長の常深克典(39)は「新しい事業を検討中で、唐辛子も候補のひとつだった。ただ、やれと言われても、どう進めればいいのか分からなかった」と振り返る。 まず、唐辛子栽培の経験がない。仮に栽培に成功したとして、中国産の価格に勝てる保証もない。社内では事業の進め方を議論したものの、答えが見つからず、実質棚上げされた。 試行錯誤の末のスタート まったく動いていなかったわけではない。09年には現地の取引先を通じ、契約農家に唐辛子栽培を依頼した。100キロ程度だったが、収穫もできた。 実は、唐辛子栽培にはアブラトキシンという強い発がん力を持つカビ毒素の発生をいかに抑えるかという懸案がある。アブラトキシンは、アスペルギルスフラバス菌がいなければ発生しないが、モロッコでどうかが分からない。 そこで翌10年は、安全な唐辛子を栽培できるかをチェックした。その結果、畑の管理さえ怠らなければ菌の発生を抑えることが可能だと分かった。つまり事業化のめどがたった。 国内でも動きがあった。日本貿易振興機構(ジェトロ)による支援策の活用だ。常深は当時、直接の担当ではなかったが、その支援策活用で唐辛子栽培を軌道に乗せられないかと思い描いていた。 小林に直談判し、了承を得た上で、ジェトロの審査の末、支援を受けられることになった。 代替産地化を目指した唐辛子プロジェクトは動き始めた。が、懸案はまだあった。ひとつは農業経験のなさだ。アジア、アフリカ各地で異なる収穫方法や農薬頒布、価格設定は…。解決しなければいけない課題は山積していた。 「きっと壁は乗り越えられる…」 常深はプロジェクトの担当に任命され、10年7月に現地に向かった。 「どれだけ準備しても不安はなくならなかった。ゼロからのスタートでしたから」 関西国際空港から飛行機で現地に向かったが、その間ほぼずっと、ミスターチルドレンの「終わりなき旅」を聞いていたという。 「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて『きっときっと』って僕を動かしている」 「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな」 そんなフレーズが自身の立場に似ている気がしたからだ。経由地を経て約22時間、常深は「きっと壁は超えられる」と頭の中で繰り返していた。 だが、やはり何度も壁にぶつかった。ひとつは言葉の壁。常深も英語はできるが、現地の農家で使われていたのはフランス語とアラビア語。 意図が十分に伝わらないこともあった。それ以上の壁は、農業の専門用語の知識が十分ではなかったことだった。 「分かったと言ってくれても本当に分かっているのか…。農業の常識を知らないから、不安は二重三重になって襲ってきた」 帰国後、常深は茨城県内の唐辛子農家を訪れた。モロッコでの栽培方法が正しいのかをチェックするためだったが、農場をみて愕然(がくぜん)とする。 雑草が生え放題だったモロッコに比べ、茨城の農場は整然ときれいだった。葉の付き方も、畝の作り方も、土の質も…。何もかもが違った。同じ唐辛子の畑とは思えなかった。 「唐辛子の茎はある程度生育して高くなると、地面に陽が届かなくなり雑草も生えなくなる。それを知らないから、当時はあまりの違いに焦ってしまった」 ただ、そういう経験を積み、モロッコでのやり方があることにも気がついた。畝の間隔が日本と違うのは、モロッコの契約農家が、パプリカ栽培の経験を生かした結果。「農家の知恵」があると知った。 対中国を考える「切り札」に 2012年の生産面積は10ヘクタールに増えた。8月末から第1次の収穫がスタートし、雨期の始まる11月ごろまで続く。収穫して天日干しし、日本に輸入する。収穫量は20~30トンになる見通しだ。 5~10年後までに年間生産量を千トンまで見込むが、実は思わぬ効果も生まれているという。 欧州各国から唐辛子の生産量について問い合わせがあったのだ。唐辛子は欧州でも調理に使われ、中国に依存する態勢を不安視されていた。中国リスクへ切り札だけでなく、欧州への「輸出」も視野に入ってきた。 常深は「今回と同じスキーム(仕組み)はほかの産物にも活用できるはずだ」と言い、カードゲームにたとえて中国依存脱却のやり方をこう説明した。 「リスクを軽減するために手札をたくさん用意しておくのは勝負の鉄則でしょ。カードを切るとみせかけながら相手と交渉する手立てにすればいい。そうすることで、日本の力を示すことにもなるはずだ。唐辛子がその一例になればいい」(敬称略)【SankeiBiz】
2012年09月19日
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地方の時代(ちほうのじだい)とは、日本において1970年代からみられる、地域主義を主張するスローガンである。国がコントロールする中央集権に対する反論であり、過去、何度かの盛り上がりをみせた。 「地方の時代」は1970年代はじめから、長洲一二など「論客」ともいわれた地方自治を担う何人かの首長によって提唱された。また、松下圭一、西尾勝、力石定一など学界からもこれを理論づける主張や提言がみられた。 1978年7月に「第一回地方の時代シンポジウム」が横浜市で2日間にわたり開催され、長洲一二神奈川県知事は「地方の時代とは、政治や行財政システムを委任型集権制から参加型分権制に切り替えるだけでなく、生活様式や価値観の変革をも含む新しい社会システムの探求である」と定義づけた。 この定義にあるように、単なる、地方分権など政治・行政システムのあり方の変革のみならず、社会システムから、さらに社会思想に及ぶ全般的なあり方を問うものといえる。 ただ、この時期に「地方の時代」を主張していたのは、主として大都市圏の自治体であった。 先のシンポジウムも、東京都、埼玉県、神奈川県、横浜市及び川崎市の5つの自治体により設置された「首都圏地方自治研究会」が、直面する首都圏の問題の打開と自治体自身の自己革新の方向をさぐるために提言を試みた政策提言プロジェクトの一環としてであった。 「地方の時代」は一時流行語となったが、1979年4月の統一地方選挙を前にしていたことといい、たぶんに政治的なものであった。 その意味では、平松守彦大分県知事など後の時代の主張とは、同じ「地方の時代」を主張しても、かなり背景は異なっている。 ただ、1979年の大平正芳首相の「田園都市構想」もこの系譜に連なる部分があり、成長政策の行き詰まりなど、時代の雰囲気を表している。 時代背景として、戦後30年を迎え先進国の一員として科学技術に裏づけされた工業化社会がある程度達成されたものの、環境破壊、資源浪費、人間疎外、経済的豊かさが生活の豊かさにつながっていないなど、さまざまな問題があらわれていたことが挙げられる。 世界的にも、シューマッハの「スモール・イズ・ビューティフル」、ソフトパス論なども影響している。 政治的には、「革新自治体」の動きが深く関係している。「革新自治体」による「中央包囲網」論すらあった時代であり、中央政府から施策メニューと財源が示され、その指定獲得こそが地域振興に結びつくという「中央直結」のアンチテーゼの具体的実践として、「革新自治体」は住民のみならず、学界や他の自治体からの期待も背負っていた。 このあと、地方の時代は進展を見せなかった。1980年代の財政再建路線により地方への財政資金フローが減少、地方からの人口流出が再び激しくなり、大都市圏と地方圏との格差が拡大した。 この状況をとらえ、平松守彦・大分県知事は「地方試練の時代」、細川護煕・熊本県知事は「地方反乱の時代」と呼んだ。 細川は熊本県の「日本一づくり運動」を推進、『雛の論理』(岩國哲人との共著)も著した。地方からの異議申し立て、独自施策が脚光を浴びた。この時期が地方が一番輝いていた時期といえるかも知れない。 1990年代には、バブル崩壊後の景気対策として国の要請もあり、地方においてかなりの量の公共事業行われた。 しかしながら、その内容より事業量の確保が重視された面があり、その反動から、中央の論理では地方、もっと広く言えば世の中は良くならないのではないかとの反省が芽生え、地方からの異議申し立て的な動きがみられるようになった。 「地域らしさ」を示すための自治体の独自施策として、のちに梶原・岐阜県知事が「善政競争」と呼んだ各種の動きも始まった。 1998年には月尾嘉男・東京大学教授の呼びかけで、寺田典城・秋田県知事、増田寛也・岩手県知事、浅野史郎・宮城県知事、梶原拓・岐阜県知事、北川正恭・三重県知事、橋本大二郎・高知県知事が集まって「地域から変わる日本」の活動が始まり、「改革派知事」と呼ばれるようになった。 片山善博・鳥取県知事も「改革派」グループに入る。全国知事会もそれまでは親睦団体的な色彩が強かったが、2003年には梶原知事の呼びかけで、「闘う知事会」のスローガンのもと、国に対して積極的に主張した。【地方の時代】(Wiki)
2012年09月12日
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[シャーロット(米ノースカロライナ州)4日] ミシェル・オバマ米大統領夫人は、4日開幕した米民主党の全国大会で、オバマ大統領が公約した変革は困難で時間を要するとの認識を示し、大統領の再選を有権者に呼びかけた。 夫人は「変革は困難で時間がかかり、一度に起こることはない」とした上で、「最終的にわれわれはそれを達成する」と強調した。 また、「われわれは、米国を前進させる人物だと確信する大統領のために再び団結しなければならい」と述べ、大統領への支持を呼びかけた。 民主党は共和党にリードしている女性有権者の支持で拡大を目指しており、この日の党大会では女性の登壇が焦点となった。 民主党は、国際武装組織アルカイダの元指導者ウサマ・ビンラディン容疑者殺害や、自動車業界の救済などオバマ大統領の1期目の功績を強調するとともに、大統領が就任時に困難な状況に直面していたことを有権者に思い起こさせた。 ジュリアン・カストロ・サンアントニオ市長は「4年前、米国は不況に陥る寸前だった。大統領は共和党の反対などにもかかわらず、行動を起こし、450万人の雇用を創出した」と語った。 党大会は3日間の日程で開催。最終日6日には、オバマ大統領が指名受託演説を行う予定となっている。《ロイター通信》
2012年09月05日
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ほんの1年前まで優良企業と目されていたシャープ。なぜ崖っ縁に追い込まれたのか。 「2000年代はシャープにとって夢だった」。シャープ関係者の多くはそう振り返る。確かに、家電メーカーの中位だったシャープは00年以降、トップメーカーに躍り出た。 原動力となったのが液晶だ。 1998年、町田勝彦社長(当時)は「ブラウン管テレビをすべて液晶テレビに置き換える」と宣言。00年初には、「20世紀に、置いてゆくもの。21世紀に、持ってゆくもの。」という広告で革新的な企業イメージを確立。液晶テレビ「アクオス」で国内首位を獲得した。 経営陣は、積極果敢な投資を矢継ぎ早に行った。00年代半ばまでに三重第2、第3工場(三重県多気郡)、亀山第1、第2工場(三重県亀山市)と8000億円超をテレビ用液晶パネルの生産ラインに投じた。 その象徴が、04年1月に稼働した亀山第1工場である。産地名がブランド化した「世界の亀山」は、“日本のモノづくり”のモデルとされ、マスコミなどからもてはやされた。 液晶パネルから液晶テレビまで一貫生産する戦略が当たり、業績は急拡大。08年3月期には過去最高となる売上高3兆4177億円、純利益1019億円を計上した。だが、その挑戦は身の丈を超えていた。 フリーキャッシュフローは、営業益が過去最高を更新した07年3月期もマイナスだった。純利益が拡大していた00年代前半も一貫して純資産比率が低下していることから、莫大な投資がシャープの財務体質を悪化させていたことがわかる。 結果論で非難するのは簡単だが、一方で、シャープの積極戦略がすべて間違いだったとは言い切れない。 液晶パネルは半導体と同様、最先端設備の導入で生産数量が大幅に増加すると同時に、生産コストは大きく下げられる。こうした産業で投資を躊躇すれば、たちまち競争から置いていかれる。 「熾烈な競争に打ち勝つためには、競合に先んじた、果敢な投資が絶対に必要だった」とのシャープ幹部の言葉は真実だ。 シャープの不幸は、液晶パネルの価格下落が想像以上だったことにある。32インチのテレビ用パネルの価格は04年時点で約865ドルだったが、11年には約149ドルにまで下落した(ディスプレイサーチ調べ)。 大型液晶で世界シェア1位のLG電子、2位のサムスン電子でさえ、普及サイズのパネル事業は黒字化が難しい。その過酷な市場で戦う日本勢には円高という重荷もあった。■つまずいた外販戦略 ソニー“撤収”の誤算 パネルメーカーは、勝ち残るために増産投資を継続した。新工場が稼働すれば供給量は一気に増える。ひとたび需要増加が鈍れば、供給過剰で価格は急落する。それでも巨費を投じた以上、生産はやめられない。待っているのは消耗戦だ。 もちろん、シャープ自身の過ちもある。堺工場(09年10月稼働)への4000億円を超える投資に対しては、当時、業界でも疑問の声が上がっていた。韓国・台湾勢に加え中国勢の参入で、近い将来、パネルが供給過剰になることは明白だった。 堺工場は、シャープがテレビ販売でなく、パネル外販で生きていく決断でもあった。08年、片山幹雄前社長がこう明言している。 「(亀山第2など)既存のパネル工場だけで年間2000万台(32インチ換算)以上の生産能力がある。うちの液晶テレビ(アクオス)の販売台数を考えたら、それで今は足りる」。 42インチ換算で年間1300万台もの生産能力を持つ堺工場新設を決断したのは、パネルという部材で世界一の夢を描いたからだ。安定需要家を確保するために、08年2月、シャープは液晶テレビ世界2位(当時)のソニーと手を組んだ。 堺工場にシャープが66%、ソニーが34%を出資、出資比率に応じたパネルの引き取り義務を設けることで合意した。 液晶パネル事業のハイリスクは覚悟のうえ。ならば、リスクマネジメントが最重要となる。「強いパートナーがいなければ、巨大な堺の新工場はリスクが大きすぎる」(片山前社長)。ソニーとのパートナー戦略がそのカギとなるはずだった。 結論から言えば、“ソニー取り込み”は不発に終わった。ソニーは09年末、100億円を投じて堺工場の株7.04%を取得したが、その後、出資比率を上げることはなかった。今年になって、ソニーは堺工場の株をシャープに売却した。 ソニーの元役員は振り返る。「06年以前にシャープと液晶事業の合弁交渉をしていた。当時、片山さんを訪ねると、『どこの誰だ?』といった偉そうな態度でげんなりした」。 自社工場を持たなかったソニーに対し、交渉はシャープ優位で進み、嫌気の差したソニーはサムスンと合弁会社を設立した。だが、思うようにパネルを調達できず、08年に堺工場への出資を決断する。 しかし提携後もシャープはソニーを大事にしなかったようだ。堺が稼働した直後の09年秋、国内ではエコポイント制度導入で液晶テレビが売れに売れた。 そんな中、シャープはアクオス用のパネル生産を優先し、納入遅延をたびたび起こした。当然、ソニーは態度を硬化。ソニーのパネル購入量は大きく増えることがないまま、現在はほとんど取引がない。 「鴻海は、もともとソニーと関係が深い。シャープは3月の鴻海との提携でソニー向けの納入が再開できるのではともくろんでいた。だが、郭台銘董事長のトップ営業でも実現できていない」(関係者)。 東芝などほかの有力顧客に対しても、液晶パネルの需給が逼迫していたとき、シャープは納入遅延を起こした。需給が緩和されると顧客の多くはシャープの元を去った。堺工場の外販は年を追うごとに減少。12年3月期の堺工場の外販比率は約1割しかない。 「堺工場を作った時点で、シャープはアクオスを捨ててでもパネルの外販に集中すべきだった」と、業界関係者は一様に指摘する。■一時の成功に酔い味方作りに失敗 好調時の振る舞いがあだになった──というのは言いすぎだろうか。 銀行との関係でも同じ構図が見て取れる。00年代、有利子負債を膨らませたが、高い信用力をバックに直接金融で多くを賄ってきた。直接金融の手段であるコマーシャルペーパーへの依存が今、シャープを苦しめている。銀行首脳のシャープに対する姿勢はどことなくよそよそしい。 高精細と低消費電力を兼ね備えた新型パネル「IGZO液晶」の量産で先行するなど、“頼みの綱”とする中小型液晶パネルでのシャープの技術力は今でもトップクラス。 だからこそEMS最大手の鴻海が出資を検討し、世界のアップルもシャープに新製品の部品生産を依頼する。どん底の今、プライドを捨てて再出発すれば、再生への道は開けるはずだ。《東洋経済オンライン》
2012年09月04日
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「津波が襲ってくるとしたらどうする?」。7月上旬に行われた和歌山県新宮市立光洋中学の3年生の授業。 保健・体育担当の橋本淳太郎教諭(30)の問いかけに、生徒たちは少し首をかしげながらも「高いところへ逃げる」「焦らない」などと答えていった。 最大40万人が犠牲になるという推定もある南海トラフ巨大地震が起きた場合、同市では最短12分で最大12・2メートルの津波が襲うと想定されている。 しかし、どこまで津波が押し寄せるかを示した同市の津波浸水予想図を橋本教諭が示すと、「わが家は浸水域から遠いから大丈夫」といった声も生徒から漏れた。 東日本大震災で、甚大な被害を受けた岩手県釜石市でも、浸水予想図は以前から作成されていた。 しかし、実際の津波は予想図の想定をはるかに上回り、浸水しないとされていた地域の住民の中からも多くの犠牲者が出たのだった。 こうした事実を解説しながら橋本教諭は生徒に語りかけた。「想定にとらわれていると、逃げ遅れてしまうかもしれないよ」 授業は、和歌山県教委が昨年12月に作った「津波防災教育指導の手引き」を基に、校区の地形などを考慮しながら独自に構成したものだ。 そして、手引きの最大の狙いは、釜石市で長年、津波防災教育を進めてきた片田敏孝・群馬大教授が提唱する「津波避難3原則」の大切さを理解することだ。橋本教諭が言う「想定にとらわれるな」はその3原則のうちの一つなのだ。 標高6メートルにある光洋中でも、「これまでは津波が来ても校舎の3階か屋上なら大丈夫と考えていた」(嶋田雅昭教頭)。しかし、震災後は、標高約90メートルの学校の裏山に逃げるように避難計画を変更した。 津波で壊滅的な被害を受けた釜石市だが、市内の小中学生約3000人はほぼ全員が避難し、「釜石の奇跡」と言われている。 特に、鵜住居(うのすまい)地区の釜石東中と鵜住居小の子供たちが励まし合いながら定められた避難場所よりも高い場所に逃げ、学校にいた全員が生き抜いた事実が防災教育の意義を浮かび上がらせた。 光洋中の授業では、鵜住居地区の小中学生の避難を再現した気象庁制作のアニメも放映。「最善を尽くせ」「率先して避難せよ」という避難3原則の残りの2原則についても学んだ。 「何より自分の命を守ることを優先してほしい」と橋本教諭が言うと、生徒たちは大きくうなずいた。 同県教委は今年度、県内全小中学校の児童、生徒にこの手引きを使った防災授業を2回以上実施する計画だ。取り組み全国的に 避難所の運営や食料備蓄など、従来の災害対策は、災害を生き延びた後の準備に重点が置かれがちだった。 これに対し、片田教授が提唱する「津波避難3原則」は、災害で命を落とさず「生き抜く」ことを最優先課題に掲げたのが特徴だ。 「釜石の奇跡に学ぼう」との声は震災後、全国に広がり、和歌山県のほか、兵庫県や東京都でも釜石での取り組みを紹介した副読本や教材などが作成されている。《読売新聞》
2012年08月29日
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玄葉光一郎外相は22日の参院決算委員会で、韓国による島根県・竹島の実効支配に関し、民主党政権の歴代外相が日韓関係への配慮から自粛してきた「不法占拠」という表現を用いて批判した。 外務省によると、2009年の政権交代後、外相が公の場で竹島をめぐり「不法占拠」と言及したのは初めて。 自民党政権時代の06年に政府が答弁書に「不法占拠」と盛り込んだ際、韓国側が強く異論を唱えた経緯があり、反発は必至だ。 一方、李明博イミョンバク韓国大統領の竹島上陸を受けて一時帰国していた武藤正敏駐韓国大使は22日夜、ソウルに帰任。国際司法裁判所への提訴に応じるよう韓国への働き掛けを強める。 韓国外交通商省当局者は22日、野田佳彦首相が李大統領に送った親書を日本側に送り返す方針を決めたことを明らかにしており、対立は深まる様相だ。 玄葉氏は記者会見で、韓国国会で天皇陛下に謝罪を求めたと受け取れる発言をした金星煥キムソンファン外交通商相に関し、韓国側に「極めて遺憾だ」と抗議したことを明らかにした。 大統領の竹島上陸を受けた対抗措置については「韓国が未来志向を踏まえた行動に転じる用意があるかどうかを見定め、判断したい」と強調した。 また決算委で「韓国によって(日本領土の)管轄権の一部を行使できない状況にある。不法占拠と言っていい。きょうから不法占拠という表現を使う」と明言。 大統領の行動を「不法上陸したと思っている」と非難した。強い態度に転じた背景には、領土問題をめぐる弱腰批判をかわす狙いもあるとみられる。 ロシアが実効支配する北方領土については、ロシアが領土問題の存在を認めていることを踏まえて今後も「不法占拠」とは呼ばない考えを示した上で「(竹島と)表現に差異があっていい」と述べた。 藤村修官房長官は記者会見で、玄葉氏の発言について対抗措置の一環との認識を示した。森本敏防衛相も参院決算委で「不法占拠」と述べた。《中国新聞》----------「法的根拠ない支配」→「一方的な不法占拠だ」 玄葉外相は22日の参院決算委員会で、島根県・竹島の現状について「我々が管轄権の一部を行使できない状況は不法占拠だ」と述べた。 民主党政権の閣僚が、韓国による「不法占拠」との表現を使ったのは初めて。 自民党の佐藤正久氏への答弁。森本防衛相も、佐藤氏の質問に対し「一方的な不法占拠だ」と答えた。 民主党の岡田克也、前原誠司、松本剛明の歴代外相3氏は、国会答弁などで「法的根拠のない支配」と表現してきた。韓国の反発を予想し、「不必要な摩擦は招かないようにしたい」(岡田氏)との配慮からだ。 しかし、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が竹島上陸を強行したことから、国際社会に韓国の不当性を強くアピールする必要があると判断したようだ。 玄葉氏は同委員会で「どのような表現を使うかは、政権のその時々の政策的な判断で異なりうる」と説明した。《読売新聞》
2012年08月23日
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ビール各社がノンアルコール飲料の品ぞろえを強化している。車の運転中や妊娠中にアルコールの代わりとして飲む「代替需要」だけでなく、味そのものを楽しむ「積極的な需要」が増えているためだ。 各社がビール風味に加え、カクテル、チューハイ風味を相次ぎ発売。今年のノンアル市場は前年比で2割増が見込まれている。 サントリー酒類は、ビール風味飲料「オールフリー」の2012年の販売数量を、前年比約2割増の700万ケース(1ケースは大瓶20本)と見込む。 7月には東京・六本木で、期間限定のノンアルビアガーデンを開設。オールフリーとカレーライスのランチセットを提供し、近隣の会社員や主婦など多くの人が訪れた。来場者は目標を上回る約3100人、約4500杯の販売を達成した。 サントリーはカクテル風味の「のんある気分」も好調で、今年1~7月の販売数量はすでに、昨年の販売実績137万ケース(1ケースは250ミリリットルで24本)を上回る172万ケースとなった。 同社では「幅広いシーンで楽しんで味わう飲み方が増えている」と分析している。同社のビール風味飲料を購入する男女比率は半々だが、カクテル、チューハイ風味の飲料に限ると、6対4で女性の比率が高いという。 ビール風味のノンアル市場を最初に切り開いたのは、「キリン フリー」を09年4月に発売キリンビール。 そのキリンが満を持して、同社初のチューハイ風味飲料「キリン ノンアルコール・チューハイ ゼロハイ シチリア産レモン」を7月18日に発売した。8月29日にはグレープフルーツ味も追加する。 レモン味は発売1週間で年間販売目標83万ケース(同)の約2割を達成する人気ぶりだ。グレープフルーツ味も「年間50万ケースを目指す」と鼻息が荒い。 アサヒビールは2月に発売したビール風味の「アサヒドライゼロ」が発売後、約2カ月で100万ケース(1ケースは大瓶20本換算)を突破し、年間400万ケースの販売を目指す。 また、10年9月に発売したカクテル風味飲料「アサヒダブルゼロカクテル」のネーミングとパッケージを一新し、「アサヒゼロカク」として9月19日にリニューアル発売する。 サントリーによると、12年の国内ノンアル市場は前年比22%増となる見込み。ビール風味が19%増、カクテル・チューハイ風味が43%増と大幅に増加する見通しだ。《SankeiBiz》
2012年08月21日
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金融市場が混乱した際に日韓が通貨を融通しあうための協定。 01年から開始し融通枠は130億ドル(約1兆円)だったが、韓国の通貨ウォン安に対応するため、昨年10月の日韓首脳会談で野田佳彦首相が李明博大統領に1年間の措置として700億ドル(5兆6000億円)に拡大することを表明していた。《毎日新聞》----------拡大措置見直しへ 竹島上陸に対抗 政府は17日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や、天皇陛下への謝罪要求など対日批判発言への対抗措置として、韓国への金融支援策として実施している日韓通貨交換(スワップ)協定の拡大措置を見直す方針を固めた。 10月末に期限を迎える拡大措置を延長しない方向で調整する。 安住淳財務相は17日の記者会見で、李大統領の竹島上陸などについて「あまりにも礼を失し、看過ならない」と非難。24日からの韓国訪問を見送り、25日の日韓財務対話を延期する方針を明らかにした。 また、スワップ協定の融通枠を1年間に限り130億ドルから700億ドルに拡大する時限措置が10月末に期限を迎えることについて、「厳しい韓国側の経済状況を考慮して手を差し伸べたつもりだった。延長するかどうかを含めて白紙」と述べた。 日韓通貨交換協定の拡大は、欧州債務危機の深刻化に伴う影響を和らげる目的で実施された。当時、多くの韓国企業は欧州系金融機関から融資を受けていたが、欧州系金融の資金引き揚げが相次ぎ、韓国側はドル資金の調達に苦慮していた。 日本政府は韓国経済の混乱が国内に波及することを警戒、資金を融通することで危機拡大を防いだ。一方、枝野幸男経済産業相は17日の記者会見で、李大統領の竹島上陸や香港活動家の尖閣諸島上陸について、「我が国の主権にかかることについて敵対的な対応をしている国との取引に大きなブレーキがかかるのは当然だ」と述べ、韓国や中国との通商・経済関係に影響は避けられないとの見方を示した。 枝野氏は「主権に影響を与える行為を十分に取り締まっていなかったり、大統領みずから行っている」と批判した。 日中韓3国は、日中韓自由貿易協定(FTA)の年内交渉開始を目指し、6月から事務レベルの協議を進めている。韓国外交通商省は17日、事務レベル協議を予定通り21日に、中国・青島で開催すると発表した。 韓国側には日韓関係のこれ以上の悪化を回避したい狙いもあるとみられる。だが、日本政府内では「年内に交渉を開始するのは難しいのではないか」(経産省幹部)との見方も出ている。《毎日新聞》
2012年08月18日
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精神的ストレスを感じている男性は、太った女性に魅力を感じる傾向がある――。そんな調査結果が米科学誌プロスワンの今週号に発表された。 調査は18~42歳の異性愛者の白人男性81人を2つのグループに分けて行われた。最初のグループは採用面接を受ける役割を与えてストレスの程度を引き上げ、もう1つのグループは別室で待機させた。 その後、両グループにさまざまな体型の女性の写真を見せて魅力を感じるかどうかを9段階で評価してもらった。 その中で、自分が最も魅力を感じる女性と、魅力を感じる女性の中で最も太った女性と最もやせた女性を選んでもらった。 その結果、ストレスを与えた方のグループでは、体格指数(BMI)が標準および高めの女性の評価が突出して高かった。 このグループが最も魅力を感じる女性の平均体重は、ストレスなしのグループが選んだ女性に比べて大幅に重いことも判明。 一方、やせ型の女性に対する評価は両グループとも変わらなかった。 社会の理想とする体型が資源利用に左右されることは、学会では定説だった。食糧不安などに脅かされている状況では、困難な環境で生き延びる能力が高いとみなされ太目の女性が好まれる。 現代社会では失業などの問題でもこうした不安に該当し得るほか、過去の研究では、男性が空腹になると太目の女性を魅力的と感じる傾向があることも分かっている。《CNN.co.jp》
2012年08月10日
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米航空宇宙局(NASA)の探査機「キュリオシティ」の歴史的な火星着陸(日本語版記事)を受け、記者会見が行われた。 その席上で、NASAの科学者たちには意外な頼れる相棒がいたことが判明した。マイクロソフトの「Windows XP」だ。 ブログ「Boing Boing」のブロガー、ゼニ・ジャルダンが8月6日未明(米国時間)の動画から発見したところによると、ミッションの成功を互いに喜び合う科学者たちの後ろに、Windows XPの起動画面が映り込んでいたのだ。 NASAは、世界の多くの人たちと同様に、10年以上前に出たOSをいまだに使い続けていたわけだ。 もっとも、Windows XPがキュリオシティを動かしているわけではない。 キュリオシティには、WindRiver社製の軽量のリアルタイム・オペレーティングシステム(OS)「VxWorks」が搭載されている。(NASAは長年このOSを火星探査機に使ってきた。1997年の「マーズ・パスファインダー」や2004年の「マーズ・エクスプロレーション・ローバー」上の制御ソフトウエアもVxWorks上で動いている。) NASAが記者会見の部屋のプロジェクション・スクリーンで古いOSを使い続けていることは驚きではない。NASAの予算はカットされ続けており、彼らは古いメインフレームも使い続けてきた。 今年2月にやっと、1981年から使い続けてきた最後のメインフレーム「IBM Z9」の稼働を終了したばかりだ。 地球から5,600万kmも離れた惑星に、核燃料で動く重量1トンの探査機を見事に着陸させられることが、OSをアップグレードする正当な理由にならないとしたら、ほかにどんな理由があればいいのか、われわれにはわからない。 なおマイクロソフトは、Windows XPのサポートを2014年4月まで継続するとしている。 ※キュリオシティを含む「マーズ・サイエンス・ラボラトリー」プロジェクトは、当初は2009年に打ち上げられる予定だった。 しかし2008年に開発費用の超過が問題となり、NASAは打ち上げを2011年に延期すると発表した。 この時点では、打ち上げ延期による追加支出は4億ドル、最終的な予算総額は23億ドルになるとされた。最終的な総額は25億ドルとされる。《WIRED.jp》
2012年08月08日
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日ソ中立条約に違反してソ連が満州(中国東北部)に侵攻して9日で67年。 第二次大戦末期のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦する密約を結んだとの情報を入手し、大本営に打電したとされるストックホルム駐在、小野寺信(まこと)陸軍武官の公電について、大本営の情報参謀だった堀栄三氏が参謀本部に着信しながら、握り潰されたのは確実と証言する書簡を送っていたことが7日明らかになった。 小野寺氏の証言を裏付ける有力な証拠で、ソ連参戦情報を得ながら、十分に生かせなかった陸軍中枢の責任が改めて問われそうだ。(岡部伸) 書簡は平成2年7月26日付と同年8月14日付で堀氏から小野寺氏の妻、百合子氏にあてたもの。 書簡によると、堀氏は「大本営の中には、次長、作戦部長、作戦課、軍務課の一握りの『奥の院』があって、同じ小野寺電でも、戦争の趨勢(すうせい)や軍の士気に重大な影響のあるものは、情報部にも見せず、一握りだけが握りつぶしていたことは確実です。好例としては、私の『台湾沖航空戦』の戦果に疑問を持った電報が握りつぶされたり(これは瀬島龍三氏((四十四期)))が私に告白しながら、その後は一切とぼけて語らず)、また『米国が原爆を研究中である』旨の情報が握り潰されて、私達が最後までテニアンの正体不明機を解明出来なかった」(7月26日付)と証言した。 さらに「『あの電報が参謀本部に不着』ということは絶対にありません。(中略)大本営の一握りの奥の院のことや、軍事機密とされると最早キリの参謀のところには廻(まわ)ってこなくなって、赤表紙の部厚い封筒に入れられて、一握りのピンの者にのみ廻って見せる方法がとられていました。(中略)当時の私達には『ドイツが降伏したら、三カ月後にソ連は対日参戦する』というのが常識の判断になっていましたが、そういう判断が私達の部内に、そもそもあったこと自体、(小野寺武官の)ブ情報の内容が一握りの者から洩(も)らされていたのです」(同年8月14日付)と記した。 堀氏は平成元年に出版した『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇』の中で、「ヤルタ会談で、スターリンは『ドイツ降伏後三カ月で対日攻勢に出る』と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の『ブ情報』の電報にもあった」と大本営参謀の中で唯一、小野寺電が届いていたと明記していた。 このため百合子夫人が堀氏に問い合わせ、同氏が書いたのがこの書簡である。《産経新聞》
2012年08月08日
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自分にうそをつくこと――心理学者が呼ぶところの自己欺瞞(ぎまん)――には実際、益があることもある。そしてほとんど誰もが自分にうそをつく。新しい実験テクニックを使った多くの研究により、これが明らかになった。 ◇ 自己欺瞞は単なる「うそ」や「ごまかし」ではなく、もっと深くて複雑なものだと話すのは、カナダのブリティッシュコロンビア大学で心理学を教えるデル・ポールハス教授だ。 ポールハス氏は自己欺瞞の傾向を測るために広く利用されている「ものさし」の作者でもある。同氏によると、自己欺瞞とは、自分を脅かすような自分自身の真実を認識しないよう働く強い心理的な力だという。 自分は実際より才能があるとか、より知的だと信じることが、影響力を発揮したり他人に勝つための一助となる、とラトガース大学の人類学教授、ロバート・トリバース氏は指摘する。 トリバース氏は自己欺瞞をテーマにした『The Folly of Fools』(2011)の著者だ。 トリバース氏によると、自分は人前で話すのが得意だと自身に言い聞かせている企業幹部は、実際のスピーチで以前より気分が良くなるだけでなく、「彼は上手いと観客に思わせられる自信に満ちた態度を身につけることによって、観客をだます量が」増えていくのだという。 まだ多くの人を対象にした研究がないため、自己欺瞞の程度や男女の比較ができるものはないが、規模が小さい複数の研究に基づき、自己欺瞞が非常に一般的であることがわかっている。 また多くの異なる分野の科学者らが研究対象にしている、とハーバード大学ビジネススクールの准教授、マイケル・I・ノートン氏は言う。自己欺瞞は「人間の行いで最も不可解なものの1つ」だとノートン氏は話す。 自己欺瞞の最中、脳の中で何が実際に起こっているのかについては、研究者の間で見解が分かれている。社会心理学者は自尊心を強めたり、気分を良くするために無意識に行われると言う。 一方、脳は対立する複数の信念を異なる部分で同時に持つことができると主張する進化心理学者らによると、自己欺瞞は自身の利益のために他人をだます手段だと言う。 なかには生まれつき自己欺瞞の傾向があるような人もいる。また問題や困難に対処するための手段として自己欺瞞の習性を身につけたような人も一方ではいる。 行動科学者らは最近、いつ、なぜ人は自分自身を欺くのかを推測するため、実験室で新しいテクニックを使い始めた。 例えば、自分の魅力やスキル、知性を割り増しできる機会を対象者に与え、後に対象者のムードや約束、報酬といった「変数」を操作する。そして、どのくらい自己欺瞞の程度が変化したかを測るのだ。 今年実施された未公表の研究は、若い女性を対象に行われたもので、興味深い結果を示した。女性たちは茶色の紙の前に立ち、自分のからだの輪郭を描くように言われる。 その後、ロマンチックな気分にさせるため、デートの話を読まされるグループと、建物や建築関係の内容を読まされるグループに分かれる。 女性たちが再度、自分のからだの輪郭を描くよういわれると、デートの話を読んだグループは、先に描いた絵より細身で、ウエストが細くなっていた。 研究を率いたニューヨーク州ハミルトンのコルゲート大学で心理学を教えるキャリー・キーティング教授によると、これには「からだに関する否定的な情報を排除」し、デートゲームに成功しようとする努力が反映されているという。 建築関係の内容を読んだグループには、スケッチに大きな変化はなかった。 またキーティング氏による別の研究によると、キャンパスでリーダー的な立場にいる女子学生は自己欺瞞の程度も高かったという。 リーダーシップを志す女性は、「(自分の)否定的な面を都合よく忘れる」必要があるのかもしれない、とキーティング氏は指摘する。例えば「支配的な態度で行動する女性は勇ましく見られる可能性がある」といったことだ。 多くの人は困難な問題を避けるために自己を欺く。自己欺瞞を仕事や人間関係での妨げにしないためには、ある程度の自己訓練を必要とする。 多くの実績や公のイメージに包まれ過ぎているのは1つの危険な兆候だ。慢性的な問題をいつか解決するからと自分に言い聞かせ、先送りにしているのも同じだ。 解決法は「境」を見つけることだとノートン氏は言う。「ほんの少しの自己欺瞞は不健全なことではないが、多量なら極端に不健全なものになる」と言う。 研究結果は、否定的な考えを単に遮断するだけなら益をもたらす傾向がある。将来成功している姿を想像したり、自身の能力を楽観的にとらえることは、行動力や説得力を向上させる傾向にある。 以下はポールハス氏が考えた自己欺瞞度を測るテストだ。果たして読者の皆さんは、自分にどれくらい正直だろうか。 ◇ 回答方法:自分に当てはまるかどうかを1から7までの数字で答える。1は「まったく違う」、4は「いくらかあてはまる」、7は「完全にあてはまる」。 1、私の第一印象はいつも正しい。 2、人が自分のことをどう思っているか気にしない。 3、一度決めたら、他の人の意見にほとんど惑わされない。 4、自分の運命を完全に支配している。 5、自分の決断を一度も後悔したことがない。 6、私は完全に理性的な人間だ。 7、自分の判断に自信がある。 診断:6もしくは7と答えた設問を1ポイントで計算する。ポイントが高ければ高いほど、自己欺瞞の傾向が強い。《ウォール・ストリート・ジャーナル》
2012年08月01日
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降る雪や明治は遠くなりにけり (中村草田男 なかむら くさたお) この有名な句の初出は、昭和6(1931)年3月号の『ホトトギス』だという。草田男29歳のころである。 後に自ら書いているところでは、昔通った小学校を訪ねたとき雪が激しく降ってきた。その瞬間、明治というなつかしい時代が過ぎ去ったことを強く感じたのだそうだ。 明治天皇の崩御で「明治」が終わったのは、今からちょうど100年前の明治45(1912)年7月30日のことだ。「降る雪や…」の句からは20年近く前である。 現代から20年近く前を振り返ってみると、時代はもう平成である。世界的にはソ連が崩壊した直後で、日本では細川護煕氏の連立政権が誕生したころだ。人によって感じ方は異なるとはいえ、そんなに「遠い昔」とはいえないだろう。 それなのに若き草田男は「明治は遠く…」と嘆じた。明治から大正、そして昭和へという時代の変遷がいかに激しかったかということを示している。象徴的だったのが、明治天皇の崩御から5カ月ほど後に起きた「大正政変」である。 きっかけは陸軍による師団増設要求だった。7年余り前、日露戦争でロシアに勝ったとはいえ、その脅威は少しも去っていない。このため2個師団を増設し、併合していた朝鮮に配置したいとしたのだ。 だが、それには膨大な国費が必要である。政友会・西園寺公望の内閣は即座に拒否する。陸軍側は上原勇作陸軍大臣を辞任させて対抗したため、西園寺内閣は崩壊、陸軍のドンである山県有朋直系の桂太郎が3度目の首相に就任する。大正元年12月のことだった。 これに対し「軍閥政権打倒」を叫ぶ政友会など政党側は内閣不信任案を出して抵抗する。尾崎行雄らの演説にあおられた群衆が議事堂を取り囲み、新聞社を襲うなどし、桂内閣はわずか2カ月で倒れた。 確かに戦争後の財政状況からして陸軍の要求には無理があった。だが桂といえば、維新の戦いにも参加している。 首相として日英同盟締結や対ロシア開戦を決断、日露戦争を勝利に導いた「明治」を代表する政治家の一人だった。それが石もて追わるるごとく去ったのである。 時代は「強い明治」から「柔らかな大正」へと急旋回していた。 追い打ちをかけたのが大正3(1914)年、欧州で始まった第一次世界大戦だった。日本は日英同盟に基づき青島のドイツ軍を攻撃したが、欧州各国ほどに未曽有の戦いに巻き込まれることはなかった。 それどころか、大戦の特需でバブル経済を享受する。その「豊かさ」を背景に、文学や音楽、映画と「大正文化」が花開く。政治の世界でも初の本格的政党政権として原敬内閣が出現した。 さらに大戦後には、世界的な「軍縮」の時代となり、日本の国内でも「反軍」的な風潮が高まった。山県や大隈重信ら明治維新を経験し「強い明治」を体現していた元勲たちも相次いで世を去っていく。 これほどまでに時代が移り変わったとなれば、草田男ならずとも「明治は遠くなりにけり」の実感を持ったに違いない。 一方で「柔らかな大正」に危機感を持った軍人らは再び「強い明治」を取り戻そうとして、さまざまな事件を起こしていく。まさに「糾(あざな)える縄のごとし」だった。《産経新聞》
2012年07月21日
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《歴史》 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)要請で、アメリカ合衆国からの教育使節団が、1946年(昭和21年)3月5日、7日に来日、同年3月30日に第一次アメリカ教育使節団報告書が提出され設置勧告をされた。 そこで文部省は1948年(昭和23年)に教育委員会を設置した。 この制度は、教育行政の地方分権、民主化、自主性の確保の理念、とりわけ、教育の特質にかんがみた教育行政の安定性、中立性の確保という考え方のもとに、教育委員会法によって創設された。 地方自治体の長から独立した公選制・合議制の行政委員会で、予算・条例の原案送付権、小中学校の教職員の人事権を持ち合わせていた。 しかし、「教育委員選挙の低投票率、首長のライバルの教育委員への立候補・当選、教職員組合を動員した選挙活動」(文部科学省、2004)などにより、教育委員会は発足直後から廃止が主張される。 1956年(昭和31年)には、教育委員会に党派的対立が持ち込まれる弊害を解消するため、公選制の廃止と任命制の導入が行われ、教育長の任命承認制度の導入、一般行政との調和を図るため、教育委員会による予算案・条例案の送付権の廃止を盛り込んだ地方教育行政法が成立した。教育行政に対する首長の影響力が増したといえる。 その後、教育委員会制度について政策レベルで現在につながる改革論議が公になされたのは臨時教育審議会だった。 1986年(昭和61年)に臨時教育審議会の第2次答申「教育行財政改革の基本方向」において、教育委員会の現状を次のように厳しく言及した。 「近年の校内暴力、陰湿ないじめ、いわゆる問題教師など、一連の教育荒廃への各教育委員会の対応を見ると、各地域の教育行政に責任を持つ『合議制の執行機関』としての自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、主体性に欠け、二十一世紀への展望と改革への意欲が不足しているといわざるを得ないような状態の教育委員会が少なくないと思われる」。【教育委員会】(Wiki)-----------大津市長「裏切られた…教育委員会制度は不要」 いじめ問題について思いを語る越市長(大津市役所で)=矢野彰撮影 いじめを受けていた大津市立中2年の男子生徒が自殺した問題を巡り、同市の越直美市長が読売新聞のインタビューに応じた。 「学校で何があったのか、なぜ不十分な調査になったのかを明らかにしたい」と述べ、市が設ける外部委員会での真相解明に意欲を見せた。 この問題では、全校アンケート結果の大半を市教委が公表していなかったことが、今月4日に発覚。越市長は「非公表のものがあるとの報告を市教委から受けておらず、報道で知った」と弁明した。 越市長は、自身も小学校と高校でいじめに遭ったことを明かしている。市教委から、まとめ資料ではなく、詳細なアンケート回答を取り寄せて読んだ。 男子生徒が同級生から受けた被害がいくつも記されており、「いじめが自殺の原因だと確信した」という。 一方、市教委は男子生徒の自殺後、「全校アンケートは不確かな情報が多く、いじめとの因果関係は断定できない」と主張していた。 越市長は「市教委の説明を受け入れてきたけれど、前提となる事実の確認がいいかげんで信用できないとわかった。裏切られたように感じた」。 アンケート結果の全面公表をしぶる市教委に対し、「事実はあなたたちが言ってきたことと違う。これは出すべきです」と押し切り、10日以降の公表につながったという。 さらに、越市長はこれまでの市教委の対応のまずさを改めて認めた上で、その遠因に教育委員会制度の矛盾があると指摘。 「市民に選ばれたわけではない教育委員が教育行政を担い、市長でさえ教職員人事などにかかわれない。民意を直接反映しない無責任な制度はいらない」と述べ、国に制度改革を求める意向を示した。《読売新聞》
2012年07月19日
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鉄を主成分とする特定の化合物を赤ワインやビールなどの酒で煮込んだ後、極低温に冷やすと電気抵抗がゼロの超伝導になる不思議な現象の謎が解明された。 物質・材料研究機構(茨城県つくば市)と慶応大先端生命科学研究所(山形県鶴岡市)が16日発表した。 詳細な分析で、酒に含まれるクエン酸やリンゴ酸などが化合物に作用し、余分な鉄イオンが酒の中に溶け出して超伝導物質になることが分かった。 この発見は鉄系の物質が超伝導になる仕組みを解明する手掛かりとなり、超伝導になるマイナス約220度以下の温度を引き上げて電磁石などにした場合の冷却コストを安くするのに役立つと期待される。《時事通信》----------酒の有機酸で超電導 物材機構、仕組み解明 ある種の鉄の化合物を酒に浸して温めると、電気抵抗が完全になくなる超電導となるのは、酒に含まれる有機酸などが、超電導になるのを妨げている余分な鉄を除去するからだとの研究結果を、物質・材料研究機構(茨城県つくば市)などのチームが16日、発表した。 同機構の高野義彦グループリーダーらは平成22年、超電導になる物質と構造が似ている鉄テルル系化合物が、70度に熱したワインやビール、日本酒など6種類の酒に24時間浸すと超電導を示すことを発見した。 高野さんは原因が解明できたとして「新たな超電導体をつくるヒントになる」と話している。 チームによると、6種類の酒の成分を特殊な装置で分析すると、特に赤ワインに多く含まれるリンゴ酸やクエン酸といった有機酸が超電導を誘発することが分かった。《産経ニュース》
2012年07月16日
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■なぜ日本の会社はiPadを作れなかったか いま、企業が成功を収めようと思ったら、アップルのiPadのように極めて革新性の強い商品を作り出すか、リッツ・カールトンのように突出したサービスを提供するか、ふたつにひとつしかない。 ところが、日本の会社の多くは、どちらもできずに伸び悩んでいる状況だ。なぜ、そうなってしまったのかといえば、ひとことで言って、効率を追求しすぎたということだろう。 たとえば、私の専門分野である編集の仕事を例にとると、編集者の多くはあまりにも多忙な日々を送っている。短いサイクルで、年間に何冊もの本を出さなくてはならないからだ。 毎週のように企画会議があるが、毎回毎回、新しい企画、面白い企画をひねり出すのは大変だ。 そこで、多くの編集者がインターネットを頼ることになる。面白そうな著者はいないか。若者の間で流行しているものは何か。人気の高い著者は誰か……。 インターネットは一見、ネタを効率的に収集し効率的に企画を考えるために最適のツールのように思える。 しかし、である。編集者の多くがインターネットを使ってネタを検索するようになってからというもの、企画会議で提案されるアイデアは、ほとんどが似たり寄ったりのものになってしまったのである。 世の中が、過度に効率を追求するようになった結果である。 そして皮肉なことに、効率的に儲けようとすればするほど、画一的なものしか生み出せなくなっていき、企業の売り上げも利益も下がっていく。近年の日本の電機メーカーの業績悪化が、その見本だろう。■非効率こそ結果として効率的 では、どうすればいいのか。参考になるのは、たとえばザッポスの経営だ。ご存じの方も多いと思うが、ザッポスは創業わずか10年目で年間売り上げ1000億円を達成した靴の通販会社である。 ザッポスのCEOトニー・シェイの商法は「顧客を熱狂させる」とまで言われているが、その実態は脱マニュアルの経営である。 一般的に電話による注文受け付けの場合、機械的な音声ガイダンスがあり、最後に登場するオペレーターもマニュアル通りの対応しかしない。 ところがザッポスにはマニュアルが存在しないのだ。オペレーターは顧客と自由に会話を楽しみ、時には1件の注文を受け付けるのに6時間も費やすことさえあるという。 マニュアルとはまさに、効率を追求するツールの象徴である。誰がやっても、最短の時間で同じ結果が出ることを目的に、マニュアルは作られる。ところがザッポスのやり方は正反対なのだ。 そして、脱マニュアルの経営が、全米の顧客を熱狂させている。現代は、非効率こそ結果として効率的であるという、パラドックスに満ちた時代なのである。 革新的な商品やサービスを生み出せるのは、従来型のエリートではない。むしろ、いわゆる職場の「異端児」だ。 1日中イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴いている奴。いつも外回りと称して社外をうろついてばかりいる奴。仕事はろくにしないのにフェイスブックの友達の数が異様に多い奴。社内ではぱっとしないのに社外では有名な奴……。 こんないささか怪しげな連中こそ、実は、斬新な商品やサービスを生み出す可能性を秘めている。 もちろん、結果的には単なるダメ社員で終わるかもしれないが、少なくともルーティンの仕事を効率的にこなすだけの優等生よりも、将来会社に大きなメリットを与える可能性は秘めている。 一見、社業と無関係な突飛なことを考えつく変人社員を抱え続けることができるかどうか。企業の未来は、その「ムダ」にかかっている。-------【作家・夏川賀央】(なつかわ・がお) 1968年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、大手出版社などを経て独立。著書に『残業ゼロですごい結果が出る時間術』(PHP研究所)などがある。《プレジデント》
2012年07月15日
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「iPhone、iPad、スマートフォン、どれも持っていないという人は、今日から人生を悔い改めていただきたい」――。 ソフトバンクの孫正義社長は7月11日、都内で開いた法人向けイベント「SoftBank World 2012」の基調講演で、「過激な言い方」と断りつつもこう呼びかけた。 iPhoneとiPadを武士の小刀と大刀になぞらえ、両方を携帯する“二本差し”が現代の武士たるビジネスパーソンのたしなみだと力説。iPhone、iPadを社員全員に支給すると業務効率が劇的にアップするとアピールした。 「iPhone、iPad、片方しか持っていない状態では、戦に出たら負ける」。情報が武器になる現代、企業戦士は武士の両刀のように、両端末を身につけるべきと孫社長は言う。 「織田信長の時代から歴史は繰り返す。鉄砲は雨が降ったら使えないなど、シニカルな見方をしたところは戦に負けた。いち早く文明の利器を手にして戦える構えをつくるのが大事」 ソフトバンクの創業期、“情報革命”が危機を救ったと話す。 ソフトウェア流通事業で赤字が続いていたころ、社内にLANを構築し、デスクトップPCを支給し、オンラインの稟議システムを構築。 稟議が上がって24時間以内に決裁者の返事がなければ自動で承認とみなす仕組みで、「他社が1週間、1カ月かかっている稟議を1日に短縮できたのは、LANがつながっていたからだ」。 端末はデスクトップPCからノートPC、iPhone、iPadと変遷。現在、ソフトバンクグループは全社員2万人にiPhone、iPadを支給している。 会議など社内業務でペーパーゼロを実現したほか、商談に紙の資料を持っていく必要がなくなって業務が効率化し、営業マン1人当たりの顧客訪問件数が2倍に増えたという。 「ワークスタイルのプラットフォームが変わると生産性が変わる」と孫社長は力を込める。 これまでにiPhoneを導入した企業は15万社以上、iPadは6万社以上にのぼるという。 例えば全日本空輸(ANA)は、キャビンアテンダントにiPadを支給し、分厚いマニュアルや学習用動画教材をiPadに入れて活用。LIXILは、商品カタログ500冊分と商品を説明する動画をiPadに収録し、営業活動に使っているという。 iPhoneやiPadなら、端末を紛失したり盗まれた場合も遠隔操作でデータを消去できるなどセキュリティも万全だとアピール。 「ソフトバンクは電波がつながりにくい」という課題も、7月25日から対応が始まる900MHz帯「プラチナバンド」が解消すると話す。 「プラチナバンドの電波もコンクリートの壁を通過できないから、都心部ではつながりにくいと言う人もいるが、全くの“素人専門家”だ」と孫社長は批判。 「プラチナバンドはビルの窓から回り込んで建物の中に入る」とつながりやすさをアピールした。 孫社長は肌身離さずiPhoneとiPadを携帯し、「24時間情報武装」しているという。 人口減や少子化で日本の産業が競争力を失う中、「現代の最新の武器を持つことでワークスタイルが変わり、競争力をもういちど取り戻すことができる」と力説。 「正義なき力は世にとって害かもしれないが、力なき正義は無力。正義のために命をかけ志を高く持ち、あわせて情報武装を」と呼びかけた。《ITmedia》
2012年07月11日
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『棄権(きけん)とは、何かの物事に対する自分の権利を放棄・破棄すること。 主に、選挙において有効な投票を行わないことや、大会などの行事に参加を 表明した上で開始前・開催中に参加を取りやめる場合をいう。』-----------【政治・選挙】 選挙権は一般に有権者が行使可能な権利とされており、権利としての性質から行使しないことができる。 選挙における棄権には、そもそも投票に参加しないことのみの狭義の棄権と、投票に参加しつつ意図的に白票などの無効票を投じる場合を含む広義の棄権がある。 国会の議長は投票権があるが、慣例として投票しないことになっている(可否同数の場合は議長決裁権を持つ)。 公職選挙においては投票を義務とする義務投票制を設け、狭義の棄権に対して罰金や一定期間投票権停止などのペナルティを課している国も存在する(例、オーストラリア)。【棄権】(Wiki)
2012年06月26日
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もう近ごろは、「日記型のホームページ」などと説明しなくてもいいほどブログは日常的なものになってきたが、そんなブログに書かれた文章をしゃべらせようと考えた広告会社が札幌市にある。 「あなログ」と称してすでにサービスを開始しているが、宣伝もしていないためまだまだ知名度は低い。来るべき総選挙に向けて立候補予定者に利用してもらえれば-と期待を寄せている。 ◇ 「こんばんは。最近、暖かい日が続きますね…」 札幌・宮の森にあるコミュニティーFM局「ラジオカロスサッポロ」のスタジオで、しゃべるブログ「あなログ」の録音が行われていた。 マイクの前でブログを読み上げているのは、同局でパーソナリティーを務める後藤眞理人さん(42)。 同局の社長でもある後藤さんは、「あなログ」に契約しているユーザーのブログを毎日2、3回チェックし、新しい文章が入っているとプリントアウトして、時間の空いているときに録音している。 「人となりを声で表現するのは気を使いますね。イントネーションを気にしつつ、その人の生活が垣間見えるようにやっています」と後藤さんは言う。 「あなログ」を開発したのは、札幌市中央区にある「エヴァンス」という広告会社だ。「あなログ」のサービス名は、アナウンスとブログを組み合わせて命名した。 そもそもは、小さなブログの文字を目で追うのは疲れる、と感じた高杉良伸社長(65)が発想したのが最初だった。 「ホームページの中には、機械による自動読み上げシステムで音声をつけているものもあるが、それだととんでもない間違いが多い。土曜日のことを『つち』と読ませたりして、それを直すと莫大な費用がかかる。人間の声なら気持ちも伝わるし、ブログを読ませるなら肉声だなと思ったんです」 こう振り返る高杉社長、開発担当として、入社前にはウェブ制作の仕事をしていたことのある沢田隆二さん(41)に白羽の矢を立てた。 さっそく取りかかることになったが、「ブログに音声を装着する仕掛け自体は簡単なんです。一番のミソは音源を制作することでした。」 「プロのナレーターを呼んで読み上げてもらうと、20秒のラジオ広告で1万5000円はかかる。それをブログでやるなんてナンセンスですからね」と沢田さんは打ち明ける。 それを可能にしたのが、ラジオカロスサッポロだった。以前から高杉社長と仕事でつきあいのあった後藤さんにお願いすると、二つ返事で引き受けてくれた。 ラジオカロスならスタジオを別に用意する必要もないし、しゃべりのプロの社員がいる。なまりも出ないから、全国のニーズに応えることができる。こうして昨年春、まずは統一地方選に立候補する議員のブログで実験的にスタートした。 「最初は感激しました。今まで誰もやったことがないことだし、画期的だなと思いました。ただ評価は別です。これがいきなり受けて、世の中に広まるとは考えていない。ラーメンの写真を載せて、おいしかったというだけなら音声はいらないですからね。」 「メッセージ性のあるブログ、主張の強いブログなら、音声付きだとさらにアピールになるので可能性はあると思っています」と高杉社長。 現在は1回のナレーションで1万円が基本の料金となっている。ほとんど宣伝をしていないため、まだサンプル的に行っているだけだが、次期総選挙に向けて需要は増すのではないかと予測する。 「議員のブログは議会報告がほとんどで、長々と書いてあって読む気が起きない、聞き流したいな、というのが正直なところでしょう。伝わりにくい部分も音声が付けば補填(ほてん)できるし、まずは選挙でのニーズに切り込むところから始めたいと思っています」と沢田さんが強調すれば、 高杉社長も「300行もある文章でも、ただ聞いているだけなら楽でしょ。なんとしても当選したい、となったら、ブログにお金をかけてもいい、という人が出てくるんじゃないかと思うんですけどね」と話す。 「これから何かが始まるんじゃないかと予感させる新しいシステムで、その一端を担えるのは光栄です」というラジオカロスサッポロの後藤社長は、契約が増えても十分に対応できると自信を見せる。 「今後は、子供の描いた絵に本人の声を入れて音の絵日記にするとか、地域アイドルがブログに自分で歌をつけるとか、使い方はどんどん広がっていくんじゃないかと思う。大売り出しの広告を読み上げる、というのもいいでしょう。」 「なかなかすぐに普及するとはいかないかもしれないが、幅を広げていけば、将来の可能性はいっぱいあると思います」と期待していた。《産経新聞》
2012年06月23日
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古くて不毛な「創造なき破壊」の政治からようやく決別する好機が訪れた。 民主党の小沢一郎元代表が、消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案の衆院採決での造反を明言したことにより、小沢氏、鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相が3頭立て馬車となって政界をかき回してきた「トロイカ体制」の終焉(しゅうえん)が見えてきたからである。 円高・デフレ下に、しかも社会保障制度改革を棚上げにして野田佳彦首相が消費税増税に固執するのは不可解ではある。ただ、その政策判断の是非はともかく、連動して政治の不可逆的なうねりが始まっている。 ◆ボスと夢想とゲリラ 「自分は何のために政治家になっているのかに思いを致して自身で決断をしてもらいたい」 小沢氏は21日、自らのグループ会合で造反を呼びかけた。ならば小沢氏らトロイカは政治家として何をやってきたのか。 師である田中角栄元首相の縮小コピーのようなボス型政治家である小沢氏。現実と夢想の区別さえつかない鳩山氏。「政治の本質は野良犬のけんか」と言い切る市民ゲリラ出身の菅氏。 それぞれタイプが異なるように見えて、大きな共通項が一つある。3人とも「破壊」が何より得意ということである。 小沢氏は平成5年に派閥内抗争に敗れて自民党を飛び出すと新生党、新進党、自由党-と新党を作っては壊し、今また民主党を分裂させようとしている。 「壊し屋」としては面目躍如かもしれぬが、この間、なぜか議員歳費だけでは不可能なはずの蓄財も成功させている。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、腹案もなく「トラスト・ミー」(私を信頼してほしい)と口走って日米同盟を毀損(きそん)し、本土と沖縄県の紐帯(ちゅうたい)を危うくした鳩山氏の施政も破壊的だった。 いまだに「マニフェスト堅持」などと自身の首相時代にもできもしなかったことを真顔で訴えている。 菅氏は首相就任前、「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズにした小泉純一郎元首相に対抗心を燃やし、こう述べた。 「私も破壊力なら小泉さんに負けない!」 確かに、菅氏は首相就任後、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件や内閣不信任決議案の採決対応などで党所属議員までもペテンを仕掛けて社会にモラルハザードを蔓延(まんえん)させた。 東日本大震災と東電福島第1原発事故の対応では、自ら率先して法やルールを破り、周囲の諫言(かんげん)を無視して政権に居座り続けた揚げ句、社会秩序・規範意識に深刻なダメージを与えた。 ◆「老齢化で動脈硬化」 つまり、彼らは政治や権力を私(わたくし)してきただけなのだ。こんな非生産的な「破壊のトロイカ」が今回の消費税政局をきっかけに基盤を失い、退場へ向かうならばその意義は大きい。 「どうぞ小沢先生、鳩山先生、反対してください。国会はすっきりして素晴らしいものになります」 民主党の渡部恒三最高顧問の言葉はまさに正鵠(せいこく)を射ている。菅氏だけは法案に賛成のようだが、この際、トロイカのよしみで一緒に表舞台から退場すればよりすっきりするに違いない。 「老齢化で動脈硬化の状態にある国会に若い世代の代表として新風を吹き込みたい。若さと駆け引きのない清潔さを売りものにバリバリやっていきたい」 これは昭和44年、27歳で衆院に初当選した際の小沢氏の言葉である。それから40年余り。小沢氏も5月に古希を迎えた。老齢化で動脈硬化の身では、もはや政界に新風は吹き込めまい。 結局、民主党による政権交代は開けてはならない「パンドラの箱」だった。開いた箱からさまざまな「災い」が飛び出し、日本社会を疲弊させた。 ギリシャ神話では最後に残ったのは「希望」だったという。そのささやかな希望がトロイカの退場だと考えたい。《産経新聞》
2012年06月23日
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山梨県南アルプス市にある市立櫛形図書館のエントランスホールに入り、思わずギョッとしてしまった。東京タワーがあった。いや正しくは、ミニチュアのタワーが建っていた。 なぜ、山梨の図書館に東京タワーが? 深沢知恵美館長に聞くと、タワー設計者が南アルプス市出身なのだという。 地域で育った人なら誰もが知る偉人で、東京タワー以外にも多くの電波塔を手掛け、「塔博士」と称された内藤多仲(たちゅう)氏(1886~1970年)。 図書館では博士の足跡と、5月に開業した“後輩”の電波塔「東京スカイツリー」の特徴、2つの電波塔の違いなどを紹介する展示「ふたつの塔の物語」が開かれていた。 スカイツリーのオープンを記念する展示で、内藤氏の業績や人柄をしのぶ内容となっている。 内藤氏は旧櫛形町の生まれ。東京帝国大学(現東大)で建築を学び、耐震構造、耐震建築に対する造詣が深かった。日本耐震工学の祖といわれる。 東京タワー以外にも、早稲田大学大隈講堂、共立女子大学講堂、東京都新宿区役所、名古屋テレビ塔、大阪の通天閣(2代目)、山梨県庁、山梨県医師会館など、設計にかかわった著名な建築物は枚挙にいとまがない。 今回展示されているのは、「耐震建築五訓」を記した直筆の書、耐震性に関するヒントを得たといわれる頑丈な愛用品のトランク、旧制甲府中学(現甲府一高)や大学時代に使っていた教科書やノート、アルバム、父とやり取りした手紙など約40点。 東京タワーとスカイツリーの500分の1のミニチュア(ぺーパークラフト)、図書館職員が調べた2つの電波塔の概要や特徴、内藤氏による東京タワーの設計図なども紹介している。 冒頭に紹介したミニチュアの東京タワーは75分の1の大きさ(高さ4メートル44センチ)で、平成11年の開館当初は中庭に設置されていたという。 《積み重ね つみ重ねても またつみかさね》 内藤氏が生涯、信条とした言葉とされ、母校が統合した櫛形北小学校に文字が刻まれた碑が昭和63年に建立された。 深沢館長は「スカイツリーがオープンしましたが、東京タワーのことも忘れず、内藤氏の功績を知ってほしい」と呼びかけている。 展示は24日まで。櫛形図書館(電話)055・280・3300。《産経新聞》
2012年06月17日
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ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った。 ◇講演の要旨 何年も前のこと、私は英国オックスフォードで、「無人島のレコード」というラジオ番組を息子のアレクサンダーと聴いていた。有名人が招かれ、無人島に持って行きたい8枚のレコード、聖書とシェークスピア全集以外の1冊の本、一つのぜいたく品は何かを語り合う番組だ。 番組の最後に、息子は私が出演することがあると思うかと尋ねた。私は「もちろんよ」と軽い調子で答えた。息子は、なぜ私が番組に招かれると思うのか尋ね、私は「ノーベル文学賞を受賞するからかもね」と答えた。笑いあった。喜ばしいが実現しそうもない予想に思えた。 1989年、最初の自宅軟禁中に、夫のマイケル・エアリスが、私がノーベル平和賞にノミネートされたと教えてくれた。その時も私は笑ってしまった。 受賞の知らせはラジオで聴いた。事前に有力候補として報じられていたので、驚きはなかった。この演説の草稿を書きながら、当時の自分の反応を思いだそうと努めてみた。「あら、私に賞をくれることに決めたの」という感じだったと思う。現実とは思えなかった。 軟禁中、自分はもはや現実世界の一部ではないとの思いにしばしば陥った。家が世界だった私。共同体ごと閉じ込められた他の人々。そして自由な世界。それぞれが、無関心の宇宙で別々の軌道を進む惑星だった。 平和賞は、私を隔離された場所から、他の人たちが暮らす世界へと引き戻し、現実感を取り戻させてくれた。月日が過ぎ、受賞の反応が報じられるにつれ、ノーベル賞の意義を理解するようになった。 より重要なことは、ノーベル賞が世界の人々の関心を、民主主義や人権を求めるビルマの闘いに引きつけたことだ。我々は忘れ去られなかった。 忘れられるということは、自分の一部が死ぬことであり、人類社会全体とのつながりの一部を失うことだ。先日タイを訪問した際、多くの人が「忘れないで」と叫んだ。 私が平和賞を受賞したのは、抑圧され孤立したビルマもまた世界の一部であり、人類は一つであるとノーベル賞委員会が認めたということだ。受賞をきっかけに、民主主義と人権への私の関心は、国境を越えて広がった。平和賞が私の心の扉を開けてくれたのだ。 ビルマの平和の概念は、調和や健全性に悪影響を及ぼす要因をなくすことによる幸福、と説明できる。ビルマ語の「ニェン・チャン」は、直訳すると「炎が消えたときに得られる涼しさ」という意味だ。 苦しみや争いの炎は世界中で燃えさかっている。私の国では北部では武力衝突が続き、西部では今回私が出国する数日前も宗教対立から焼き打ちや殺人が起きた。世界中どこでも平和の土台をむしばむ勢力がある。 仏教徒の私は、軟禁中に初めて、一般的に苦しみを意味する「ドゥカ」という言葉を調べようとした。六つのドゥカとは、生を受けること、年を取ること、病を得ること、死ぬこと、愛する人と別離すること、愛していない者との暮らしを強いられることだ。 私は軟禁中、これらを日常的に実感した。苦しみが避けられないなら、可能な限り実際的な方法で和らげるべきだ。 軟禁下で、私は世界人権宣言の前文にあるお気に入りの一節に何度も勇気付けられた。 人権を軽視すれば、人間の良心を踏みにじる野蛮な行動をもたらす。こうした恐怖がなく、言論や信条の自由を享受できる世界こそ、人類の最高の望みなのだ。 抑圧に対して最後の手段として反抗せずにすむよう、人権は法の支配の下で守られることが必要だ--。この一節は、私がビルマで人権を求めて闘う理由を代弁している。 この1年、ビルマでは民主主義や人権を信じる仲間の努力が実を結びつつあるように見える。 民主主義や基本的人権が実現可能だという確信がなければ、過去の絶望的な時代に私たちの運動は続かなかっただろう。離脱した仲間もいるが、最も困難な状況下で数多くの仲間が闘い続けたことに驚かされる。 私が今日、皆さんと一緒にいられるのは、私の国で最近起きた変化のためであり、その変化はビルマの現状を世界に知らせようと努力してくれた皆さんのような自由と正義を愛する人々のおかげだ。 だが、私の国の話を続ける前に、政治囚の話をさせてほしい。ビルマでは今なお多くの政治囚が拘束され続けている。有名な政治囚が釈放され、残る無名の人たちが忘れられることを恐れている。 政治囚は一人でも多すぎるのだという真実を思い起こし、早期に無条件で釈放されるよう協力してほしい。 ビルマは多民族国家で、その未来への信頼は、真の調和の精神の上にのみ築かれる。1948年に独立を成し遂げてから、国全体が平和であると言えた時はなかった。紛争の原因を取り除くための信頼と理解を発展させられなかった。 ひとつの軽率な行為でも長年の停戦が駄目になる。ここ数カ月、政府と民族勢力の交渉は進展した。停戦合意が国民の念願と調和の精神に基づいた政治的解決にいたることを期待したい。 私の政党NLDは国民和解の過程でどんな役割を担う準備もできている。テインセイン大統領が始めた改革の維持には国内全勢力の知性的協力が不可欠だ。改革は国民生活の向上が伴ってこそ評価できる。国際社会も重要な役割を担っている。 我が国の潜在力は非常に大きい。より繁栄し、平和で自由な調和に満ちた民主的社会実現のため潜在力を伸ばし発展させるべきだ。 完全に平和な社会は得難い目標だが、その場所に向けた旅は続けなければならない。地上で完全な平和を成し遂げられなくても、平和に向けた共通の取り組みは人々や国々を信頼と友情で結びつけ、人類共同体をより安全で思いやりのあるものにするだろう。 私は「思いやり」という言葉を熟慮の末に使った。何年も熟慮したといえる。思いやりは人々の人生を変えることができる。 最近、タイのメラ難民キャンプを訪れた際、難民の生活を改善するために奮闘する人々に会った。彼らは「援助疲れ」について懸念を示した。「援助疲れ」は「同情疲れ」とも言い換えられる。 「援助疲れ」は、資金提供を減らすという分かりやすい形で表面化する。我々は「同情疲れ」をしている時なのだろうか。難民の必要を満たすのに必要なコストは、無関心でいることのコストより高くつくのだろうか。 私は世界の援助者に対し、時として絶望的に避難する場所を探し続ける人々の要望を満たすことができるよう、協力を求めたい。 メラでは、タイ当局から難民キャンプにおけるさらに深刻な問題について聞いた。違法薬物使用やマラリアや結核、コレラなどへの対応だ。難民受け入れ国は、困難な問題に対処するための考慮や実際的な援助を当然受けるべきだ。 我々の究極の目的は、帰るべき家や希望がない人々が存在しない世界、自由で平和に暮らせる真の聖域のある世界を作り上げることだ。安心して眠り、幸せな気持ちで目覚められる世界を作るために手を携えよう。 私が民主主義の闘いを始めた時、何かの受賞をするなどとはまったく考えなかった。歴史は我々に、自分たちが信じる大義に向かって最善を尽くす機会を与えてくれた。 ノーベル賞委員会やノルウェー国民、全世界の人々の支援は、平和を追求する私の信念をさらに強めてくれた。《毎日新聞》
2012年06月17日
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社会保障・税一体改革関連法案をめぐる政局は、21日の会期末を目前にしてヤマ場に入りました。ただ、これまでの経緯を取材してきて、はっきりしたことは民主党がすでに政党の体をなしていないということです。 というのは、ここまできても消費税を増税するのかしないのか、社会保障をどうするのかという国家の根幹と言うべき政策課題で、党内の意見が真っ向から対立したままだからです。 政党の条件は理念と基本政策で一致していることですが、民主党がこの条件を満たしていないことは明白です。 私は1月にこのコラムで「政権交代という名のもとの『民主党』という実験は失敗に終わった。そうである以上、その実験はもうやめて次のステップに進んだ方がいい」として「民主党はもはや分裂した方がいい」とのコラムを書きました。 そして今回、私は民主党に「分裂しなさい」と言い渡したいと思います。 しかし、その民主党内ではまだ「党を分裂させてはならない」として、社会保障・税一体改革関連法案の採決をせずに「継続審議」とするよう求める声が、法案に反対する小沢一郎元代表を中心とするグループや中間派から出ています。 党内中間派である鹿野道彦前農林水産相を中心とするグループは14日夜、都内の中華料理店で会合を開き、(1)絶対に党を分裂をさせない(2)衆院解散・総選挙をさせない(3)社会保障に先行して消費税増税を行うことは認めないーの3点で一致しました。 (3)は政策論ですから別としても、(1)と(2)は政権与党であり続け、自分も一日でも長く議員でいたいという党利党略、個利個略でしかありません。 ここまで委員会審議をしてきて、民自公3党が法案修正の協議を重ねてきて、「採決をしない」というのはまさに「決められない政治」の典型です。 国民はもう「決められない政治」には辟易(へきえき)としており、「決める政治」を強く求めています。法案の採決しないというのは、国民に対する背信行為と言っていいでしょう。 各党、各国会議員は、採決で堂々と自らの信念に基づいて法案に賛成なのか、反対なのかを明確にすべきではないでしょうか。 そのうえで、もし党内で意見が異なったとしたら、その政党は分裂して、造反した議員たちは新たに「理念と基本政策」を示して新党を結成すべきです。 とくに民主党は私が以前のコラムで指摘したように、党の「理念と基本政策」である「綱領」を作らないまま、現在に至っています。 これを突き詰めて議論すれば党が分裂しかねなかったからで、「政権交代」という目標のみでまとまってきました。 しかし、平成21年の衆院選で政権交代を果たし、目標を失った民主党は党内の意見がバラバラなままで、政権は当然、迷走してきました。 今や民主党が「理念と基本政策」で一致した政党だと思っている国民は、誰一人としていないでしょう。そうである以上、民主党は分裂した方が、国民にとってはよっぽど分かりやすいと思います。 国家、国民より党や自分の国会議員という地位を守るために「党を分裂させてはならない」などというのはもうやめて、思うところがある議員集団は、潔く民主党を割って新党を結成すべきです。 そうしてもう一つ。衆院解散・総選挙をして国民の信を問いましょう。21年の衆院選は「政権交代」が最大の争点となりました。 そして、その際に民主党が掲げたマニフェスト(政権公約)はもはや崩壊したと言っていいと思います。つまり、前回衆院選での国民との約束はすでに破られているのです。 そうである以上、国民に信を問い直す必要があります。大阪市の橋下徹市長率いる「大阪維新の会」の人気を恐れているのか、民主、自民両党内には「衆院解散・総選挙は来年でもいい」という声があります。 しかし、もし民主党が分裂すれば、前回衆院選での国民の付託は崩壊したことになりますし、与野党ともに国民の信を得ていない状態でずるずると政治が行われたら、中央の政治に対する国民不信は頂点に達するでしょう。 衆院解散は首相の専権事項です。野田首相に「政策などどうでもいいから首相であり続けたい」といった邪心がないのなら、社会保障・税一体改革関連法案が成立しても不成立でも、衆院解散・総選挙に踏み切ってもらいたいと思います。 そして民主党が分裂するのなら、それぞれが新たな「理念と基本政策」とそれに基づくマニフェストを示して、理念・政策本位で総選挙を戦うべきです。 一方、有権者もブームに流されるのではなく、理念と政策で投票先を決めてほしいと思います。 前回衆院選の反省から、次の衆院選では各党のマニフェストが厳しく点検されることになるのは間違いありません。有権者も民主党の失敗を繰り返さないために、真剣に考えましょう。 私は日々の取材を通じて、日本はすでに経済、外交・安全保障をはじめとしてさまざまな問題で、国家的危機に直面していると強い危機感を持っています。 国民の方々の多くも同じかもしれません。日本が国家的危機から脱出できるかどうかは、やはり国のかじ取りをする政治にかかっています。 日本の政治は本当に一日の余裕もありません。失敗であったことが明白になった「民主党」という実験はもう止めて、次の実験に進みましょう。そのための「民主党分裂と衆院解散・総選挙」を求めます。《産経新聞》
2012年06月16日
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13日午前の参院予算委員会で、野田佳彦首相が、尖閣諸島をめぐる丹羽宇一郎駐中国大使の発言に関する質疑の中で「尖閣については領有権は存在しない」と2度発言する場面があった。 周囲の指摘を受け、すぐに「すみません。領土問題です。領土問題は存在しない」と言い直したが、質問した自民党の山本一太氏は「言葉に気を付けてもらいたい」といさめた。《時事通信》----------尖閣諸島:領有明確化に国会動くべきだ…衆院委で石原知事 (6月11日配信) 衆院決算行政監視委員会は11日、東京都による尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入問題について集中審議し、石原慎太郎都知事らを参考人招致した。 石原氏はこれまでの政府や国会、外務省の対応を厳しく批判し「都がやるのは筋違いだが、(国が動かないから)やらざるを得ない。国会も国政調査権を使って(国に議員の上陸を認めさせるなど)動くべきだ」と訴えた。 石原氏は、中国側が尖閣諸島を「核心的利益」と位置付けて領有権を主張していることや、中国漁船衝突事件を引き合いに出し「『強盗に入るぞ』と言われて戸締まりしない国がどこにあるのか」と指摘。 「こんなことになったのはあなた方の責任、政府や国会の責任だ」と怒りをあらわにし、領有権を明確にするための対応強化を国に求めた。 一方、都が購入した後の島の活用方法については、動植物の固有種保存や魚礁の設置を例に挙げたが、踏み込んだ説明はなかった。 委員会では石垣市の中山義隆市長や山田吉彦・東海大海洋学部教授(海上安全保障)が石原知事に賛同する意見を述べた。《毎日新聞》
2012年06月13日
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「おかげさまで60周年」「40th Anniversary」-。食品売り場を見渡すと、パッケージに発売の周年記念をうたった商品が目に留まる。 各メーカーの代名詞になっているその商品に、ロングセラーの秘訣(ひけつ)を探った。 ◆ビールに合う!? 容器の底に付いたツメを折り、お皿にのせる独自のスタイルで人気の「プッチンプリン」は、今年で発売40周年を迎えた。これを記念し、8月末までの期間限定で発売されている「甘くないプリン」が話題を呼んでいる。 「男のプッチンプリン〈おつまみ冷奴風〉」は、豆乳プリンに、ショウガ風味を利かせたしょうゆ味のソース…。味は冷ややっこそのもの。晩酌のお供にお父さんが「プッチンする」姿は、想像するとちょっとおもしろい。 「40周年は『やっぱり、これが楽しい』と思ってもらえる企画にしたかったんです」と話すのは、グリコ乳業(東京都昭島市)マーケティング本部の松長直樹さん。 「『小学生の頃、ご褒美に食べた』『家族でプッチンして楽しかった』など、記憶にすり込まれている人たちに、もう一度、目を向けてもらうきっかけになれば」と期待を寄せる。 大人になって、いったん離れていたユーザーが何かのきっかけでまた戻り、自分の子供にも買い与える-。この循環がロングセラーにつながる。周年記念は顧客への感謝とともに、離れていたユーザーへアピールする狙いもある。 ◆不況に強い 表のように、今年は節目を迎えたロングセラーの当たり年。各カテゴリーの先駆け的存在が多い。 1960年代に、国内初の調理ハンバーグとして登場した「マルシンハンバーグ」。日本の家庭ではまだ洋食が珍しく、当時はさつま揚げと間違えられることもあったという。 福岡県の県花、梅の花ををかたどったバニラアイスに小倉あんが入った「あいすまんじゅう」は、和風アイスの先駆け。九州から全国へと人気が広がった。 「絶えず原材料を見直して、おいしさを追求してきた。『昔と変わらない味ね』とよく言われますが、変わっているから昔と変わらずおいしいんですよ」と、丸永製菓(福岡県久留米市)業務部の森直朗さんは胸を張る。 ロングセラーが不況に強いのは、「昔ながらの味」にある。安心感があり、計算できる味に消費は傾く。 ◆売り上げ最高 80年目となる「ビスコ」は昨年度、過去最高となる約50億円という売り上げを記録した。 東日本大震災の影響で保存缶が売れたものの、そればかりではない。大小さまざまな容量のバリエーションを展開し、家族で食べるおやつから、OLの小腹を満たすオフィス需要まで、幅広いシーンに対応したのが結果につながった。 一方、「お茶づけ海苔(のり)」は、夏は冷やし茶づけに、また、朝食にお茶づけなど食べるシーンを提案。60周年にして、料理やデザートなどの活用法をまとめたレシピ本も出版された。 ロングセラーに欠かせないのは、時代の変化に合った新鮮な要素を持ち続けること。周年記念はメーカーにとって、単なる「お祭り」でなく、次の10年への方向性を問われる難しい側面もあるようだ。 ◇ 【今年節目を迎えた主なロングセラー】 商品名 (メーカー) 100周年 宝焼酎 (宝酒造) 80年目 ビスコ (江崎グリコ) 60周年 お茶づけ海苔 (永谷園) 50周年 マルシンハンバーグ (マルシンフーズ) あいすまんじゅう (丸永製菓) ルックチョコレート (不二家) 40周年 プッチンプリン (グリコ乳業) サッポロポテト (カルビー) デルモンテ・野菜ジュース (キッコーマン飲料) 35周年 エビ寄せフライ (味の素冷凍食品) 30周年 料亭の味 (マルコメ) おむすび山 (ミツカン)《産経新聞》
2012年06月10日
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08年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士(91)が60年代に提唱した「対称性の自発的な破れ」理論で、カリフォルニア大と東京大の研究チームがこれを発展させ、従来説明し切れなかった範囲まで例外なく証明できる理論を導き出した。 物理学界の50年来の謎を解き明かす成果として、8日付の米物理学会誌「フィジカルレビューレターズ」に掲載された。 例えば、洗濯物を干す時、シャツをどちら向きから干しても構わないが、最初にたまたま右向きに干すと、結果的にすべてのシャツが右向きに並ぶことがある。 南部博士の理論は、この意図せず左右の向きが決まることを「対称性の自発的な破れ」としている。 博士は、こうした現象を物質の最小単位の素粒子の世界に当てはめ、質量の起源の解明に貢献したことでノーベル賞受賞につながった。 ただ、絶対零度の真空を前提としており、密度や温度がある生まれたての宇宙や、磁石の中など身の回りで説明できないものもあることが分かっていた。 カリフォルニア大大学院生の渡辺悠樹(はるき)さん(25)は、南部博士の理論を数学的に発展させ、「対称性の自発的な破れ」をすべて説明できる理論を導き出した。 東京大の村山斉(ひとし)特任教授(素粒子物理学)は「現状では成果をどの分野に応用できるか分からない」と話すが、宇宙の進化過程の解明など幅広い分野に応用される可能性があるという。《毎日新聞》
2012年06月08日
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長崎県は4日、入札改革に関する説明会・意見交換会を長崎県建設業協会長崎支部との間で行なった。同県は今年度、従来の特別簡易型総合評価方式を廃止し、簡易評価型競争入札を導入することを予定している。 説明会では、長崎県土木部の担当者が、改正の方向性を説明し、出席した建設業協会長崎支部の会員から質問や意見が出された。 長崎県の入札改革は、国土交通省の方向性に沿う形で進めるとしており、福岡市など各地で問題提起がなされている施工実績に比重を置く総合評価のあり方を見なおすという。 総合評価方式は、価格だけではなく技術提案や施工計画などの技術資料の提出により、総合的に落札者を決定する入札方式。 同県では現在1億円以上の工事で実施されているが、特別簡易型総合評価方式では、施工実績のみで技術提案が求められていなかった。改正後は発注金額2億円以上、あるいは2億円未満の場合でもレベルの高い工事に限定して行なわれ、現行の特別簡易型総合評価は廃止。 技術力向上を図るべく技術提案の配点を現在の20点中、4点から8点へと2倍に拡大。工事の品質管理を定めた「公共工事の品質確保の促進に関する法律」いわゆる品確法の趣旨に基づいたものとする。 2億円未満の工事では、簡易評価型(総合評価)のほか、従来からの指名競争入札も併用していく。 全国的にはまだ事例が少ないものとしては、新たに「下請け次数」評価を追加し、下請けを土木などは2次、建築では3次までにすることを誓約した場合に評価する。 これは、建設業界が抱える問題である重層下請け構造の改善につながるか注目される。 説明会では、技術提案の8点は重すぎるなどの意見が出された。長崎県土木部は、今回の説明内容はあくまで素案であり、県議会や業界の意見を聞いたうえで、改正するよう意見が出されている。 今後、建設業界団体の意見交換を行ない、その集約が終わった段階で、県議会に諮り、入札方式を改正するとしており、素案の変更もあり得るとの見解を示している。《Net IB News》
2012年06月06日
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四季を通じて観光客が訪れる港町・神戸。観光都市としてのポジションを下支えするのが数々のホテルだ。 その一つ、ポートアイランドに立地し、神戸を代表する大型シティーホテルである神戸ポートピアホテルは、ホスピタリティー(もてなし)の質を高めようと、利用客の声はもちろん、他のホテルの情報などを全スタッフに伝えるため、「情報メモッピー」と名付けた独自の制度を導入。 サービス向上とスタッフの情報共有に大きな効果を発揮している。 「ホテルは毎日稼働しているので、全スタッフが一度に集まることができません。部門の壁を越えて、会社の方向性をみんなにどう伝えようか、と考えたことがきっかけです」 平成19年4月に始めたこの制度を考案した副支配人の万年美恵さんは話す。 ホテルには宿泊、宴会、レストラン、ブライダル…じつにさまざまな部門があり、勤務形態や休日などはまさに千差万別。経営方針1つ伝えるにしても、なかなか一般の会社のようにはいかない。 「メモ」と同ホテルのマスコット「ポッピー」を合わせたのがこの制度。 青、赤、白の3種類のメモ用紙に、それぞれ利用客からのお褒め(青)、苦情(赤)、他社情報・提案(白)を書き込んで、スタッフ専用の通路に張り出す。 スタッフがメモを読むことで、情報をみんなで共有する仕組みだ。 一昨年からは、社内LAN(構内情報通信網)を利用したウェブ版メモッピーをスタートさせたこともあり、これまでに7千件以上の情報が集まった。このうち200件以上が実際の改善につながったという。 その一つが授乳室。結婚式などパーティー参加者からの要望が紹介されたことをきっかけに設置を検討。約500万円かけてロビーの近くに設けた。 フロントからパーティー会場に向かう長い廊下を歩く際に不安を感じたお年寄りの声も届けられ、途中にいすを配置した。 また、最近では、フロアによって男女のトイレの配置が左右異なっているという“鋭い”指摘も寄せられ、全スタッフが認識するようになったという。いずれもスタッフにとっては盲点だった。 スタッフ自身の意見も自由に投稿できるため、旅行先で利用したホテルで参考になった情報や、お気に入りの神戸スイーツなども寄せられた。 「お客さまから神戸のお勧めスイーツを尋ねられたときにとても助かる」(万年さん)と社内の評判もいいという。 ウェブ版では、寄せられた情報に対する書き込みも可能だ。中内仁社長と総支配人の2人は全情報に感想を書き込むことになっており、トップの考え方が社員に伝わる重要な手段にもなっている。 「制度を導入したことによって客室の稼働率が上がったといったような、直接的なデータはありませんが、設備や業務の改善が進み、お客さまに満足していただけるホテルや職場環境につながっています」と万年さん。 「お金がかかることは時間が必要ですが、低コストで取り組めることは順次改善します」。 神戸のリーディングホテルを目指し、これからもさまざまな情報が寄せられることだろう。《産経新聞》
2012年06月02日
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整理回収機構(RCC)が30日発表した2012年3月期決算によると、旧住宅専門金融会社(住専)から買い取った債権を扱う住専勘定で、債権の回収額が買い取り価格を下回ることで発生する二次損失が新たに1251億円発生した。 これにより、二次損失の総額は1兆4017億円で確定した。 これらは国と民間金融機関が折半して全額を穴埋めすることが決まっているが、それぞれ負担額を上回る資金を確保しており、国民の追加負担は回避された。 この結果、住専に関する国民負担は、破綻処理した際の6800億円のみとなった。一方、二次損失は国と民間金融機関が7009億円ずつを負担する。《時事通信》
2012年05月30日
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今月18日に上場した交流サイト(SNS)最大手、米フェイスブック株が急落した問題は、株式市場のルールや透明性などさまざまな問題を投げかけている。 欧米紙は先端IT企業に潜む閉鎖的な体質を指摘。情報開示で大口投資家を優遇する証券会社の商慣行にも疑問を投げかけた。中国紙には、創造的なビジネスモデルの成功をあくまでたたえる論調もみられる。 ■投資家には「フェイドブック」/ガーディアン(英国) 英紙ガーディアンは24日付で、上場後に株価下落で損失を被った投資家たちがフェイスブックを「フェイド(消えていく)ブック」と呼んでいると揶揄(やゆ)する記事を掲載した。 同紙は「創始者のザッカーバーグ氏は歴史的な大失敗をしたことで、ヒーローからゼロになってしまった」と断言した。 その上で、フェイスブック側が、株式公開の主幹事を務めた米金融大手のモルガン・スタンレーによる業績予想の引き下げ情報を反映させないまま、上場目論見書を当局に提出していたことは「事実に反する申請」に当たるとの投資家らの主張を取り上げている。 同紙は、今回の上場直後の大規模な株価下落は、大型IPOをめぐる「ルール」の不備も浮き彫りにしたとも指摘する。 IPOでは、証券会社が上場目論見書提出後、自分たちの顧客の投資家たちへ文書での情報提供を禁じているが、投資家からの電話など口頭での問い合わせは禁じていない。 同紙によると、上場目論見書には載らなかったフェイスブックの業績予想の修正情報を、証券会社が、「お得意さま」の投資家だけに口頭で提供したことが、今回の株価下落の混乱をもたらしたという。 コネのない一般の個人投資家には伏せておいたわけだ。同紙は、そんな証券会社の体質が問題を大きくしたと断罪。米証券取引監視当局の調査による真相解明に期待を寄せた。 一方、英紙フィナンシャル・タイムズは22日付で、問題が「欧州債務危機で株式投資に個人投資家が移り気になった微妙な時期に起きた」と市場心理への影響を懸念。「今後予想される他のインターネット企業の上場の波を遅らせる可能性もある」と指摘した。 ■閉鎖的な企業文化改めよ/ウォールストリート・ジャーナル(米国) 「金融機関が人気をあおりすぎた」「システム障害を招いたナスダック市場が悪い」。フェイスブックの“母国”の米国では、上場の混乱をめぐる「犯人捜し」の報道が盛んだ。 だが問われるべきは、時代の最先端を走るIT企業が意外にも閉鎖的な企業カルチャーを抱えている点にこそあるのではないか-。 そんな問題意識から、米紙ウォールストリート・ジャーナルのホルマン・ジェンキンス記者は、「最悪のIPO(株式公開)」と題した23日付のコラムで、フェイスブックと経営陣の「体質」に切り込んだ。 ジェンキンス氏は、IPOの“失敗”について、フェイスブックと金融機関が「自らを責めるのではなく、ナスダックのせいにしようとしている」と問題視。 株価の低迷も、そもそも両者がタッグを組んで公開価格を無理に押し上げようとしたためと指摘し、「IPOからあぶれた小口投資家は今や適正水準で買えるようになったわけで、幸運だ」と皮肉る。 フェイスブックの創業者のザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は、IPOで普通株の10倍の議決権のある特殊な株式を割り当てられ、上場後も6割近い株式を握る。 一般株主に経営を翻弄されたくないとみられているが、ジェンキンス氏は「彼は権力を手放さないことに心を砕いてきた」と切り捨てる。 ジェンキンス氏はザッカーバーグ氏に対し、「真に独立した取締役会や、経営を監視する強力な社外株主を望まないだろう」としながらも、それならなおさら、この株価の低迷から教訓を学ぶべきだと指摘する。 すなわち、「市場に利益をもたらす企業を構築できれば、だれも彼にやいのやいのとうるさく言うことはなくなるだろう」からだ。 ■「モノマネ脱却」指し示す/環球時報(中国) 中国共産党機関紙、人民日報系の国際情報紙、環球時報は24日付で、「フェイスブック上場は中国人に啓示をもたらした」との社説を掲載した。 創造的な仕事を成し遂げたフェイスブックの成功が、中国人にモノマネ文化からの脱却を促すよう指し示した、というのが同紙の解釈だ。自らの実態を謙虚に分析して省みる論調は中国では珍しい。 上場後の株価急落も同時に伝えてはいるが、斬新なビジネスモデルの成功に変わりはないと好意的だ。 創業者、ザッカーバーグ氏の学生時代の構想に対し、投資家らが理解を示して資金提供するなど、ベンチャービジネスを育てる米国の社会的な基盤が成功のカギとなったと解説。 一方で、「今でも模倣やパクリが、事業を興そうとする中国人の第一の選択だ」と指摘し、中国人の“パクリ精神”や、足の引っ張り合いに血道を上げる社会が続けば、フェイスブックのような企業家の成功も国全体の成功もおぼつかないと主張した。 フェイスブックは、中国語で京劇役者の顔の隈取りを意味する「臉譜(リェンプ)」と表記される。 臉は顔(フェイス)の意味。譜はブックの発音を音訳で当て字したようで、音でも意味でも中国人にはなじみやすい。また、ザッカーバーグ氏が中国系の女性と結婚したことも、好感を高めているようだ。 だが、矛盾もある。インターネット検閲を続ける中国当局は、フェイスブックへの接続を遮断したまま。 「アラブの春」で若者の意思疎通に貢献したフェイスブックが、デモ扇動や当局批判など、反体制の情報ツールとして利用されることを警戒しているようだが、ビジネスは絶賛、サービスは拒否では、ご都合主義のそしりも免れないだろう。《産経新聞》
2012年05月28日
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