希望の綴り

小学1年生

「はじまり」 のページで綴った様な事があり
それから毎日送り迎えで学校へ行く様になった。
不登校の本も読み 色々考えた・・・
「母子分離」という言葉が 目に留まった。
まさに当時の娘は母子分離が出来ない状態だった。

学校へ送って行っても私から離れようとはしない(*_*)
当時長男は、年中で幼稚園に入ったばかりだった。
学校へ送り迎え 幼稚園の送り迎えと 毎日バタバタしていた感じだった。

そんな時 長男が通っていたセンターの先生(たまたま小学校が一緒だった)から 朝登校班で行かないと だんだん仲間に入れなくなるかもしれいから 親が一緒に歩いて行ってあげたら?と言われ・・・
毎日片道2キロの道のりを歩いて一緒に学校へ行った。

私が一緒に行くと 途中では離れられない娘 しかし旦那が一緒だと途中で離れられた娘だった。
当時の事は、あまりよく憶えていないが、
必死で 今の苦労は幼児期のツケが回ってきたのだから 今手をかけてあげれば思春期は、人並みの苦労で済むのかな?と期待して頑張っていた様に思う。
それは、夢だったが・・・

1年生の頃は、休む事も保健室登校する事も無く 学校へ行っていた。
それは、担任がとても安心して娘を預けられる先生だったと言う事と 友達に恵まれたからだと思う??

遅刻して行く娘を不思議に思っても それを受け入れてくれたお友達!!
それに私も救われた事が何度かあった。

私は、10月と11月に少し仕事をした。
その時、娘はそういう状況をのみこんで 送って行ってもすんなり離れた。
お母さんは、仕事へ行かないといけない だから我慢して離れないといけないと 感じていたのかもしれない??

だから仕事に行かなくなったら 又離れられなくなった。
担任の先生も状況を見て「お母さんが、仕事に行かなくて良くなったから甘えを出しても大丈夫と感じて 出しているのでしょうね」と言われた。

この年の10月5日に私は、実家の父を亡くした。
とてもショックだった。なかなか立ち直れないでいた。
娘の誕生日は、10月31日
その日旦那は、会社の以前同じ職場だった同僚と泊り掛けで遊びに行く予定が入っていた。
正直私は、娘の誕生日に出掛けないで欲しかった。
父を亡くした心の傷も癒えていなかったし・・・
しかし、素直に言えなかった。
「行っても良いよ」と言ってしまった。
それでも行かない事を期待していた。
でも旦那は、出かけて行った。
娘には、「お父さんは、仕事だからね」と嘘をついていたが・・・
電話の一つもくれない  
悪いと思って次の日早く帰って来るかな?と思っていたが帰って来たのは、夜7時か8時過ぎ?だったような気がする??
私のイライラは、爆発し娘には、酷い言葉を言ってしまった。
「お父さんは、○○(娘の名前)が可愛くないから遊びに行ったんだよ」と・・・
その事を旦那にも言って、娘に誕生日に出掛けた事を謝ってと言ったが、謝らなかった旦那(T_T)

こんな風に夫婦仲がよくないと 娘はすぐに反応して学校への行き渋りをしていた。
お父さんとお母さんが仲良く安定した生活をしていないと子供の心も安定はしないと言う事が この事でよく解るような気がする。
当時その事に気がついていたか??よく解らないが(?_?)
気がついていても 自分の感情を抑え切れない位私も不安定な精神状態だったのかもしれない? 

仕事で忙しい旦那は、せっかくの休み位は自分の時間にしたいらしく?家にあまり居なかった。
それが家族を振り向かない旦那と思えて 私も辛かった。
私の実家は遠くて 子供たちを預けて私も気分転換出来る環境ではなかった。だから旦那だけが遊びに行くのは許せなかった(-_-;)

そんなこんなで 進んでは、後戻りをしての小学校1年生を過ごした様に思う

小学2年生 へ続く

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